流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて- 作:Anacletus
―――ニアステラ地下研究所。
このご時世、世界が滅ぶ隕石が降って来たり、月が緋色の運河と共に染まって夜空が爛々と輝いていたり、巨大な塔が世界の果てから月まで届いていたり、大航海時代になったはずなのに何故か大航海してると数万km以上を航海し尽くして、一晩でとある大陸に辿り着いたりするのがデフォになった(勿論、転移用のゲートを各大陸の航路上にひっそりこっそり建設中の蜘蛛達が試験運用ついでにニアステラの方へご案内した)。
まったく全ては馬鹿げた御伽噺である。
更にその辿り着いた大陸に上陸するより先に大陸最大の国家が保有する船舶に留められて、行先は大陸東部から更に先だと海軍に誘導されて消えていく外大陸船舶が大量にいるのだから、笑い話だろう。
「ウリヤノフ。それで結局、蜘蛛達が置いたコレは何なのだ?」
「遠くと此処を結ぶ“門”だそうです。一瞬で行き来出来る呪紋を誰にでも使えるようにしたものだとか。大本となる“地獄門”とやらの小型版と蜘蛛達が……」
「ほう? それは……名前の仰々しさ以外は素晴らしいな。で、だ」
「はい。何でしょうか。我が主」
「……今、大使館に詰めている蜘蛛達が接待中の外交官だけで4000人近いのだが……どうすればいいと思う? というか、桟橋に軍艦と外交船団と移住船団が一緒くたになったせいで埠頭そのものがもはやニアステラもう一つ分くらいの広さになったのだが……何故一月で邦が一つ増えるのか……上陸許可を出したはいいが、何もかもが蜘蛛頼みな現状なのも困りものだな……」
「………全うに国交を結ぶべきかと。蜘蛛達が勝手にやっている事ですが、我らとしても“保険”は必要でしょう」
「ふぅ。そうか。そうだな……あの子達に邪神とやらを狩らせているのは表向きはこのニアステラの長という事になるものな。此処は蜘蛛の首魁でも気取っておくか。我ながら似合わんな……」
「主……心中お察しします」
「あの若き皇帝と色々話を詰めていると何とも言えぬ気持ちになる。もっと若い頃なら、あるいはあの子が小さかった時ならば、幾らもやれたようにも思う」
「若さは若者の特権です……ですが、老人には老人の特権があるかと」
「ふ、お互いに苦労するな。頭の中身は何も変わっていないというのに時代が変わる。その節目に付いていけないと泣き言を零したくなる」
「ですが、やらねばなりますまい」
「ああ、そうだ。此処に我らの邦を築こう。砂上の楼閣も石造りの要塞も全ては我ら次第だ。あの子達が子や孫と見る未来の為に……」
「お任せを……この鉄を打つ事しか出来ない片手ではありますが、己の全てを掛けて神に一太刀くれてやる程度の剣を打つのはお約束します」
「はははは、それは良い。どれだけ技術が進んでも我らに出来る事なぞ、大昔から何も変わらんのかもしれんな」
「かもしれません……」
無論、全てはとある島の意向であった。
せっかく、来てくれたのに戦乱に沈んでる後進大陸をお見せするのは申し訳ないという大陸最大の版図を持つ帝国の皇帝が『お客様を正しい玄関口に案内しておいてくれ』と本国に見知らぬ呪紋で通信して来て、各沿岸国に手を回している故に起こる出来事の果てにニアステラの沿岸部は正しく巨大洋上都市(仮)になっていたのである。
近頃、世界が滅びるとか、蜘蛛が外大陸で大躍進してるとか、大神勢力が牛耳っていた全ての外大陸に到達し、全ての国家へと浸透を終えたとか。
そんな話が聞こえて来ては大陸最大版図を持つ帝国の皇帝もコレにはニッコリ笑顔で交渉しようとするのも無理は無い。
要は『蜘蛛君達のコネと物流網にタダ乗りさせてくれたら、帝国も含めて、適当に裏から統治してくれて構わないよ(ニッコリ)』という事だ。
「陛下。本日のご要人との会合は終了しました。明日朝8時から午後9時までにまた40人程と会って頂くことになりますので、食事が終わりましたら、どうぞお休み下さい」
「……なぁ、我が伴侶殿」
「はい。何でしょうか? 陛下」
「一日くらい休みがあっても」
「ダメです」
「そうか。ダメか」
「はい。ダメです。神々が従える全ての大陸からのお客様です。帝国は後進国。技術的には侮られる方です。蜘蛛達の威光が効いている内に内実を取り纏めませんと、あの子達の働きが無駄になります」
「あの蜘蛛達にも困ったものだ。客がこれほどに多くては宮廷官僚共が後400人は必要だな」
「帝国から蜘蛛達が優秀層をほぼ引き抜いて来てもですか?」
「とにかく、量が多過ぎる。官僚機構の改革が切に必要だ。無能なのは一律あの大聖地の対応に当たらせて反乱を阻止しているが、我が国もかなり混沌としているな……出来れば、“彼”にも半分くらい背負って欲しいものだが……」
「ダメです。これは陛下のお仕事なのですから」
「ははは、我が伴侶殿はまったく優秀で辛辣だ。だが、そうだな……世界の命運も神々の戦争も任せ切りでは人の世を人が統治する程度、してみせねば嘘か」
「はい。あの子達が邪悪なる神々と戦い続け、破滅を呼ぶ神を倒さんと日々血を流している。その時間を無駄にしてはいけません」
「だな。はぁ、それにしてもあの老王にも困った」
「何か要求されたのですか?」
「いいや、逆に贈り物をされた。恨みを晴らしたら、ザールラントを帝国の属国の形で穏便に自治領としてくれてもいいとまで言われたよ」
「っ、あの方はご自分の邦を護る為に戦っているのかと思いましたが……」
「苦笑していたよ。時代が自分を必要としなくなるのも時間の問題だと気付いて、蜘蛛達からの書類を見て、3分後には決めたそうだ」
「相変わらず御聡明ですね。ザール王は……」
「民が残れば良しだそうだ。邦は形にしか過ぎない。過去の政体が、国家が、必要な時代が過ぎ去ろうとしている。新たな形に生まれ変わる時が……来たようだ」
「そうなのですか?」
「ああ、各大陸の内情から状況からあらゆる数字を蜘蛛達は持っていた。つまり、彼らはもう世界を征服したに等しい」
「そこまでの……」
「そして、彼らは人々が安穏として暮らせる時代をくれるそうだ。少なくとも人の手と人の悪意でしか悪化しようのない時代の到来だ。あらゆる物資の充足、文化文明が交じり合い、混沌とした流通網があらゆる価値観と世界を繋げる。やがては大陸全てが強固に結び付き、多くの大陸が自己完結出来る時代を終えるだろう」
「つまり、どういう事でしょう?」
「誰の手を取ってもいい。誰の手が取られてもいい。誰を殴ってもいい。誰に殴られてもいい。そういう時代だ……滅び掛けた世界、世の果てに向かう世界、安穏としていた世界、闘争の世界、地獄のような世界、全ては均一化されていくだろう。その時、人々は新たな価値観を見出さねば、あるいは見出した故に滅びるかもしれん。だが、滅びるならば、その滅びすらもゆっくりと安穏とした穏やかな日差しの最中、眠るように死ぬような……そんなものになる気がする……」
「来るでしょうか。そんな時代が……」
「さてね。全ては彼ら次第だ。どの道、救世神とやらを斃せねば……そして、全ての神々が人の世を滅ぼさんとやって来なければの話でしかない」
「……ならば、きっと、大丈夫でしょう」
「ほう? 理由は?」
「この地には彼らがいます。陛下」
「……そうか。そうだな……では、我らも我らの仕事を成すとしよう。早めに世継ぎは欲しいしな」
「ま、陛下ったら。ふふ……」
どの道、蜘蛛達の勢力に勝てないのは分かり切っているのでエル大陸の覇者(物理)な皇帝はそろそろ教会勢力も衰退させ切ったし、自分の肩の荷が下りるのならば、大陸と世界平和の為に協力しようじゃまいか!!!
と、甘い汁をちゃんと吸いつつ、伴侶に仕事の時の顔で激励、癒されつつ、祖国の繁栄を願って蜘蛛の手先になる事を承諾したのだ。
少年がいないのでほぼ独立稼働している蜘蛛の氏族の最高意思決定機関セブンス・ヤーンはこれを承諾。
こうしてエル大陸の国家の何処よりも先に蜘蛛の手先となった帝国は活動を開始した。
帝国は新たな種族となる蜘蛛の氏族の受け入れを喧伝し、周辺諸国を大きく驚かせた。
ついでに島で王家連合が全滅した事も報告され、あちこちでお家騒動が勃発。
これに託けて帝国は反帝国の中小国を次々に平和裏に表向きは支援という形で属国化を加速させ、ついでに帝国の“お客様”である蜘蛛の氏族を彼らの邦に売り込み。
蜘蛛達はアマテラス討伐からまだそう日も経っていないのに何食わぬ顔でエル大陸の国家に浸透を果たし、次々に新商売を始めて帝国をブローカーとする一大物流網を構築。
全ての国家に等しく物資を良心的で善良な価格で卸す蜘蛛商人達と言われて、人の世の進歩を加速させまくっていた。
「イーレイ様。外大陸の者達との会合は引き続き朝の9時からとなっています」
「分かっている。朝の早いお前には悪いが、やはり少しだけ寝かせろ」
「………」
「何か言いたげだな。アルクリッド」
「彼がいれば、もう少し仕事は投げられたかもしれないと……そう少しだけ……」
「あの人間不信に投げる程、オレも間抜けではないさ」
「人間不信?」
「ヤツを見ていたからある程度は分かる。我ら亜人も大きな括りで見れば、人間の亜種に過ぎん。そして、ヒトの最後の敵はヒトでヒトの最初の味方はヒトであるという事だ」
「分りかねます」
「ふ、本当にか? 思い当たる事はあるだろう」
「確かに人をまったく信じていないという点では中々に剛の者。よく似ている」
「随分な言われようだ。だがな? オレなどより余程に深刻だぞ。あのヒトを見る時の目は……」
「ですが、お仲間の多くを信じているのでは?」
「信頼はしているだろう。だが、信用はしていないな」
「そう、でしょうか?」
「納得しかねるという顔だな。だが、こればかりは政治に長けた者にしか分からんかもしれんな。アレは人の業をしっかりと見た上で信じない事を選択した者の目だ。それは仲間達とて例外では無い。そして、だからこそ、何一つヤツは自分の目で見て確信に至らぬ限り、何だろうと現実を直視する眼で否を叩き付けるだろう」
「否………」
「その資質は間違いなく蜘蛛達にも受け継がれている。連中の瞳は真実を映さない。つまり、現実しか見通さない。その大本たるヤツは自分が政治家として不適格でありながら、最も適切な判断をすると疑わないだろう」
「不適格なのに適切、ですか?」
「政治の基礎は信用だ。だが、ヤツは信頼しても信用しない。その上で最も信用しないからこそ現実的な手を打つ。ヤツが信じるのは数字、実績、目に映る全てであって、決して感情ではないという事だ」
「妹様は信頼されているといいですが……」
「ははは、言う必要も無い。あの子は最初からそんなヤツに嫁ぐと決めたのだ。信頼に足る相手として、いつか信用に値する己を手に入れようと今も励んでいる。その実績もやはりヤツの目にはちゃんと映るだろう……いつかが、死ぬまでに来るかは分からないがな……」
「……帰ってきますか?」
「帰って来るとも。ヤツは帰ると言ったとあの人魚は言っていた。ならば、例え世界が滅んでも、帰って来るとも……おかしな事に聞こえるかもしれないが、オレにはそう思える」
今や蜘蛛達はどんな夜盗もどんな襲撃者も撃退する『安い!! 速い!! 旨い!! ついでに可愛い!!』ヌイグルミとして一部の国では遂にブレイクを果たしていた。
勿論、各国、各地域の教会は激オコであったが、呪紋が効かない、武器が効かない、毒も効かない、呪具も効かない、物量で圧し潰せない、帝国が受け入れた極めて強靭な種族という……どうにもならない現実を前にして匙を投げた。
『(・ω・)ノ(あ、ゆーびんでーすと蜘蛛の氏族便であちこちを回り、教会にも毎日各地の郵便物や宅配を持ってくる教会から攻撃されてる蜘蛛の顔)』
『キシャァアアアアアアアア!!!? また来やがったな!!? この怪物めぇえ!!? 我が名剣の錆びにしてくれるわぁああああああああ!!?』
『(・ω・)(あ、サインお願いしまーすと剣を片手に切りつけて来る教会の狂信者の鳩尾を打撃して、倒れ込んだ片手に先進大陸製のボールペンを握らせ、地べたに樹脂製の版を置いて、サインを書かせる人類操作系蜘蛛の顔)』
『ぐ、ぐぉおおおおおお!? また、我が左手が勝手にぃいいい!!? お、覚えていろ!!? 必ず、邪悪なる貴様らを討ち果たしてくれるからなぁ!? ふぐぅ!!?』
『(;・∀・)(抗魔特剣持ち出さない辺り、もう少しで折れそうと蜘蛛のいる日常を教会に押し付けてグダグダの流れで受け入れさせようと画策する陰謀系蜘蛛の顔)』
しょうがないと明らめるのには更なる理由がある。
つまりは教会本拠地。
大聖地オーエルが総主教不在のままに亡霊の巨群と各地の反乱分子によって攻撃され、五大災厄が確認された事で今まで指示出ししていた教会の上層部が丸々消える大事件が起きていたのだ。
「ふ……外交団の連中も中々に……真っ青になったり、真っ赤になったり、この地の実情を教えられて嘆く嘆く。やれやれ文化と技術が発展しても感情は御し切れぬか。だが、一部は……まぁ、良い……全てはヤツと周辺以外は些事と捨ておくか」
「ヘクトラス様。聖域外延部の地図詳細が出来ました」
「そうか。必要部数だけ刷って、原本は頭の中に入れておけ」
「はい。畏まりました」
「何か言いたげな顔だな」
「どうかご自愛下さい。先日から殆ど寝ていらっしゃらないのでは?」
「……顔に出ていたか。見なかった事にしておけ。蜘蛛達の薬で随分と持たせているが、【六眼】はどうにも精神が削れるのでな」
「ニアステラの英雄、ですか? 彼のいない間の統括と監視を蜘蛛達から引き受けたと聞きました」
「裏仕事は我らの倣いだ。任されたならば、その事に関してヤツからの信用は勝ち取っていると言えるだろう。ああ、そうだ。どうやら見つかったらしい。蜘蛛共が騒いでいる。こちらに知らせが入るのはまだ先だろうがな」
「そうですか。ならば、聖域遠征も近いのでしょうか……」
「恐らくだが、真っ先に遠征隊が向かうのは竜神の霊廟だ」
「まずは先にそちらを片付けると?」
「カルトレルムの遺骸の話が先日、あの竜の兄弟から蜘蛛達に伝えられたらしい。となれば、救世神や英雄神共を圧し折るのに必須の素材となる」
「神器ですか」
「神の遺骸を用いて武器を造る事となるはずだ。我らはその水先案内人となる。そして、それまでは緋隷王にも持ち堪えて欲しいところだな」
「今、どうなっているのでしょうか?」
「時間が随分と遅くなっている関係でほぼ進んでいない。だが、どちらに転ぶとしても緋隷王ではあの教会の主神には敵うまい」
「では、結果は見えていると?」
「時間稼ぎを終えた時、恐らく逃げ出すはずだ。我らはその時にこそ動こう」
「分かりました。いつでも動けるようにしておきます」
「そうしろ。だが、問題が一つあるな」
「問題、ですか?」
「近頃、ようやく見えるようになった。聖域の王群を操っていた者達が本格的に動き出した」
「っ、では、すぐにでも戦に?」
「ああ、聖域外延部で連中が事を起こせば、救世神の力を一部使われる可能性が高い。しかし、ヤツは確実に間に合わない」
「蜘蛛達には?」
「連絡済みだ。恐らく、一両日中に抑えに回る者達が結集せねばなるまい。その為の戦力は遠征隊以外から出す事になるだろう」
「……つまり、激戦になるとお考えなのですか?」
「何でも好きに改変する力だぞ? 我らが丸々敵にされる事すら有り得る。だが、それに関しては蜘蛛達が何やら動いているようだ。どうにもならない事は捨て置けばいい。我らは我らに出来る事をするのみだ」
「オクロシアに出来る事……」
「お前に命じた例の件は?」
「はい。蜘蛛達の力も借りて、回収が完了しました。ですが、やはりあまりにも“毒”が強いらしく。蜘蛛以外は近付けない有様で保管している黒蜘蛛の巣で仮封印しております」
「ふむ……すぐ英雄邸に跳べ。あの受肉したハシマス神のお気に入りの娘を呼んで来い。前哨戦前に幾つか策を仕込んでおこう」
「はい。畏まりました。では、直ちに……」
「行ったか……忙しくなって来たな……目が霞む……監視役もまったく楽ではないな……奴め……帰って来たら、覚えていろ……っ、ふぅ……これで50本目……本当にこの薬は副作用が出ないものか……知りたくもないな……」
帝国はこの状況下で蜘蛛の氏族と事を構えたくはないし、彼らは紳士的に商売人として付き合うならば、極めて利益を齎してくれる存在だと各国を説得。
結局、教会勢力の主力たる新聖騎士もいない為に異議は唱えても、蜘蛛達の押し付けがましい商売の圧力に屈して済し崩しで受け入れないが、事実上は黙認している状態であった。
こうして今や帝国各地と各地域には“蜘蛛の氏族商会”というまんまなネーミングで明らかに現地民に溶け込む蜘蛛達がイソイソと経済界を侵食。
各地の商人達に甘い汁を吸わせながら、各地の様々な種族、民族、被差別民などを慈善活動で救い、勢力を増大させ、次々に人々を雇って勢力に吸収。
蜘蛛派閥を各国で形成し始めている。
彼らは今まで虐げられていた持たざる者達を次々に教育、教化しており、その高度で先進的な知識を詰め込んだ。
人類の遺伝適正や個人のお仕事への情熱、人格などを見て、稼げる業種へと進出する際の母体集団として人々を纏めて形成した事でほぼ蜘蛛が上司という人材を万単位で抱えるまでになっていた。
「いやぁ~本当にこの薬は効きますな。蜘蛛の氏族が卸してくれれば、それだけで飛ぶように売れるので大助かりです」
「ですが、かなり値段が低いような?」
「薄利多売ですよ。市場の独占を狙っているそうです。ですから、過剰な安売りも過剰な高値も付けずに庶民が手を出し易い。低所得層の1月の給金の1割程度で買えるようにしてあります。それを大量に各地の病院へ降ろせば?」
「成程……病院は患者がやって来てくれて大助かり。そちらは安定供給する限り、くいっぱぐれないと。あちこちの商会があの大蜘蛛の怪物に飛びつくわけだ」
「今後はお客様とお呼びするのが良いですよ。何処で彼らが聴いてるか分かりませんしね。このニアステラ産オクロシア医薬局からの直送品。ふふふ、これで3代は安定した商会が築けそうだ」
「教会を帝国が見捨てるとは何事かと思ったが、新しい商売相手の方が一枚上手だったようですな。これで教会が殆ど収集していた魔の技が公開されれば、文句は無いのだが……」
「それに付いてなのですが、ニアステラからの直輸入品に呪具が―――」
これらの商売に逸早く噛んだのはオクロシアであった。
今までは情報を帝国やリケイと取引していた六眼王は島の特産品を蜘蛛の物流網経由で送る事業を誰よりも早く行った。
大陸ではその煽りで薬価が暴落。
各地の医薬品を下す各商会、各店舗の協同体が公式に悲鳴を上げて各国上層部に蜘蛛を排除して欲しいと嘆願したが、ブローカーが帝国である以上、何処の話も途中で握り潰され、日干しになりそうな各地の“良さそうな”薬品関連商会や各個人店舗には蜘蛛達が入り浸り、蜘蛛の氏族商会傘下になるか……もしくは自分達の薬の現地生産を手伝わないかと打診。
結果としてエル大陸には正しく島の特産品で島外へと出せない産品以外、島特産の希少な植物の加工品や呪具が大量に出回り、大陸そのものでの生産すらも始まった。
これでオクロシアは結構な外貨を稼ぎ出す事となるが、その殆どが塔内での種族連合側へのヴァルハイルの賠償金の補填に使われる事になっていた。
一気に国際化というよりは大陸間貿易の波がやってきた島では莫大な戦争用の資源以外の育てて売ったり出来る植物を筆頭にした蜘蛛達がデザインした外に出す事を前提とする薬や雑貨の類が大規模生産され始めており、種族連合及び島内のほぼ全ての国家の外貨獲得手段となった。
蜘蛛達の物流網と商会への支払いに1割、蜘蛛へのパテント量で1割、生産者の運転資金が4割、残りが手取りとして各国事業者に流入。
その外貨で島外から必要な資材を買い込んで祖国を復興する為に備蓄し、自分達の食い扶持を稼ぎ始めた島民達は大戦争が近いという話もあって構えていた。
流入する外大陸人やら先進技術大国の技術者やら諸々の見知らぬ人々と交流しつつ、彼らの文化を少しずつ学び、己を高める努力へと走ったのだ。
その為に島外の者であろうと等しく頭を下げ、元々の門地、民族、宗教関係無く貪欲に技能や叡智を得ようとする姿は危機感の塊であった。
それは同時に嘗ての少年の努力を思い起こさせるような鬼気迫るものであり、蜘蛛達の下で何とか生存を保っていた者達が遂に自分達で蜘蛛から守られる必要も無い程に強く成ろうと決意したという事でもあったのである。
「どうする!? どうすればいいのだ!? まさか、此処が神々と敵対する者達の邦だとは……蜘蛛の氏族は何も言わなかったではないか!?」
「((T_T)蜘蛛達は何も“嘘”は言ってなかったんだよなー……真実が全部抜けてただけで……と、旨い話に食い付いた政治家と軍部の無能を思い出す汎技術的進歩を遂げた中進大陸艦隊参謀長の顔)」
「確かにノクロシアは有った!! だが、現実はどうだ!? 世界を滅亡させる神とやらと戦う為に大量の大神から攻められていて、我らはこの島から出られない!!? 月に掛かる階段も大陸帰還用の方法もまだ敷設中だと!? どうすればいいのだ!? こんな事!! 本国に報告出来るものか!!?」
「艦長……ですが、どうにもならない事はどうにもなりません。我らの知らされていない軍事的情報も多いでしょう。ノクロシアでは古の邪神を討伐し、世界を滅ぼす神を倒す為の技術開発が成されているという話です。我らに出来る事など本国に警告を発する以外には……」
「く……これでは架空宇宙戦記物を報告した方がまだマシだろう……人類が滅びの危機に瀕している。神々は我ら人類の一部だけを生き残らせ、後は見放してこの世界から去り、残された者達を消去する事が慈悲だと言い張り始めてもおかしくない、などと……ぅぅ……やはり、こんな所には来るべきではなかった!!」
「艦長……戦うしかありますまい」
「神々と戦えと言うのか!?」
「どの道、生き残る選択を行うべきです。蜘蛛の氏族からの例の条件さえ飲めば、もし仮にこの世界が崩壊しても大陸から民を避難は可能と……」
「ッ、よもや母なる大地を捨てるかもしれない時代が来るとはな……」
「出来る事をしましょう。まずはニアステラとの交渉妥結を。他の大陸の者達も次々に大陸避難計画を提示されているようですし、技術的な供出や共同開発に乗り遅れれば、他大陸との地位争いも芳しいものでは無くなるでしょう」
「全大陸間協商協定……事実上の世界統一を見知らぬ小さな島が行うだと? ははは、本国の政治家共はきっと何かの冗談だと思うだろうな」
「ですが、蜘蛛達の力は本物です。神すら屠る力……それですらまだ足りないと言われている以上、世界を滅ぼすモノは恐らく……」
「何だ。言ってみろ?」
「我らの手に負えるものではない。蜘蛛一人にすら、この艦隊は勝てぬと参謀の間では結論されています。各大陸の者達の話を総合すれば……もはや、我らに彼らの力を頼らないという道は無いのですよ」
「あの報告書……単独で神を討ち果たす兵器を内蔵し、大陸を焦土にする魔力を誇り、あらゆる現存の文明の用いる攻撃方法で倒すには早過ぎて命中させる事が極めて困難、その上にあらゆる分野の叡智を共有し、人の心を覗く術と精神を崩壊させる力を有し、自分の種族を敵に僅かな傷を付けるだけで増やし、大陸を超える巨大な艦を無数に保有する……か」
「全て各大陸の者達の情報を集めた末に出された結論です」
「蟲が我らを蚕食し、あるいは遥か天すら凌駕する……此処は悪夢の中か?」
「悪夢ならば、まだ救いはあるでしょう。いつでもこの現実こそが地獄だと多くの大陸の者達は知っている様子ですよ。ソレを蜘蛛達が善きにしろ悪しきにしろ終わらせた例も数多い。となれば……」
「ふん……分かっている。分かっているとも……持たざる我らが持つに至るまで……強者には従っておこう……それが破滅をやり過ごす唯一の方法だと言うのならば、な……」
ニアステラの浜辺から続く南部の巨大桟橋群は今やその上に大量の蜘蛛達が住まう巨大な居住型海洋プラットフォームとでも言うべき姿を露わにしていた。
無数の船が入り込むのは南部の浮上したノクロシアから続く竜骨製の桟橋だが、その規模はニアステラの領土にも匹敵する程に広がり、海中と海上の巨大過ぎる竜骨の上には蜘蛛達の居住地区が新設されていた。
お客様である全ての船舶に対して様々なサービスを蜘蛛達は超格安で提供し、小型艇で迷路染みた海上桟橋を渡ったり、あちこちの竜骨橋を歩く人々相手に商売までしている。
大陸から逃げ出して来たり、あるいは単純に難民化して辿り着いた者達にはニアステラの住民になるか、もしくは外来人として働く場まで提供し始めている。
嘗て砂浜から見えていた巨大なノクロシアの隣が海上都市のような様相を呈し始めた事でニアステラの亜人や元奴隷だった者達は新たな市場の開拓に余念が無い。
「さーいらはいいらはい。ニアステラの特産品は実際格別!! あらゆる匂いを吸い取るこの押し花!! 本を読む貴族の女性にこれを一本渡したら、まったくお近づきになれる事間違いない商品だよぉ~~~」
「実際安い!! ニアステラ特産の粉砂糖だぁ~~原材料2割の爆華果汁が使われた甘味の爆弾だぁ~~おぉおっと!! 勿論、爆発はしないように普通の澱粉も混ぜてるからね!! 舐めて舌が爆発したりはしないよ!! 甘さとトロみを付けるなら、これ一袋!!」
「爆華のエールだぁ!! キンキンに冷えた冷たくて甘い爆華のエールだよぉ!! ああ、酒精を抜いた子供用もあるからねぇぇ!! 毎日飲んだら実際太る!! だが、時々の息抜きや少し奮発したお祝い事には丁度良いお値段だよぉ~~子供達にも大人気!! 1月1回飲ませれば、あっという間に遠征隊並みの健康そのものだよぉ~~~」
「水気を吸収するならコレ一本!! 年中家はカラリの晴れ日和!! 湿気が多い船舶生活!! コレが一本あれば!! ジメジメともおさらばだ!! コレがジメッとしてくるようになったら、火で焼いて蒸発させてねぇ!! 石が赤くなったら水を全て吐き出した証拠だ!! さぁ、家を快適に!!」
「ぇ~~実際安い!! 遠征隊が飲んでいる秘伝の秘薬!! 中身は何と何と何とぉ~~~若返りどころか肌の張り艶が戻る女性垂涎の美容薬でもある!! これを毎日一滴肌に塗り込めば、貴方の肌も若返るよぉ~~勿論!! 使い過ぎには注意してねぇ~~使い過ぎると肌荒れの原因になっちゃうからねぇ~~過ぎたるは及ばざるが如しだよぉ~~」
道端では既にニアステラ公認の市場が出来ており、様々な品がやり取りされて、多くの来訪者達を驚かせていた。
あらゆる病に対しての薬品がニアステラ特産品として売りに出され、古傷から四肢欠損まで幅広く治る。
どころか。
歯や爪、指、変形した関節や諸々の遺伝病に至るまで一時的に改善したり、すっかり治す事すら可能なものがズラリと並ぶ。
島の原産植物主軸とした品は薬品に限らず。
香辛料や諸々の植物性の食材や海産物にまで及び。
見た事も聞いた事も無いような生物資源が安価で大量に降ろされている。
近頃の一番人気は少しお高い魚肉だ。
魚のようなのに動物性の牛や豚のような味がする食材は絶品。
現在、島の北部から特産品として船上生活中の来訪者達の胃袋を大いに満足させていた。
南部でも出回り始めたソレは一体どんな魚なのかと詳しく聞いた者以外は美味しく食べられる事だろう。
ソレは島に攻め込んで来た大神の血肉から生まれた魚神竜……一匹で沿岸国一つ程度ならば破壊しそうな巨大海獣なのであり、そんなのが大量に今も攻めて来るので乱獲して食卓に並べ、消費している。
なんて事は多くの者が知らなくても良い事だろう。
少年仕込みの調理技術と島特産の香辛料(悪魔の血肉畑産)が合わさり、最強に見える格安路上屋台の焼き串や巨大小麦の衣を付けて肉畑から摂れる油脂でサクッと揚げ物にした串揚げは大人気ファストフードとして何処でも食べられている。
『(^o^)丿(蜘蛛特製!! 高たんぱく高カロリーで癖になる揚げ串だよ~~と麻薬よりヤバそうな悪魔的(比喩ではない)香辛料を串焼きに振り掛けている屋台の店主系蜘蛛の顔)』
『お、おやっさん!! 注文54串入りました!! すぐに包みやす!!』
『(/ロ゜)/||||||||||||(ヘイお待ち!!! デデドンと大量の串焼きを瞬時に超絶技巧な多脚で焼き上げる呪紋と料理に詳しい調理技能高い系蜘蛛の顔)』
蜘蛛達の露店で働く多数の元奴隷達や傭兵。
つまり、王家連合の敗残者と犠牲者達は現在、土木業から飲食業まで幅広く仕事に従事しており、劣悪環境で仕事させられていたり、人間爆弾にされていた時とは打って変わって生き生き働いていた。
何せ1日8時間労働残業無しである。
休みは朝昼夕の3回20分トイレ時間含まず。
それで儲けが少ないかと言えば、殆ど丸々屋台の儲けは彼らに入っており、原材料費以外は基本的に蜘蛛達は受け取るどころか。
接客や調理の技術指導してる店員達に還元。
元奴隷や傭兵になるような超貧困層で過酷な人生を送って来た者程にこの待遇に涙を流して喜ぶ状況であり、今や蜘蛛達の評判は鰻登りであった。
他の蜘蛛達と戦う為にやって来て、手酷くやられて幼女にされたり、もしくは単純に悪党な同僚や仲間を蜘蛛にされた者達もいた。
だが、彼らの流儀は強いものには巻かれておけである。
そもそも悪意と人格的に矯正不可能な連中は最初の蜘蛛達との交戦で一律蜘蛛になっているか。
もしくは幼女にされているので残るのは案外善良と蜘蛛達が太鼓判を押した一般人に戦闘技能がある程度の者達のみだ。
彼らは顔を引き攣らせつつも蜘蛛達の一般人になる為の教養講座とか。
あるいは職業訓練を蜘蛛達がやっている店で学ばされ、否応なく“適正がある”とその道に進まされていた。
勿論、そういう人類のあらゆる遺伝形質と後天的な性格を完全把握した蜘蛛達が社会的に暴走しない層として彼らが全うに生きていける地位と職種を選んで誘導し、やらせている。
というのが実情であるが、元襲撃者達とて奴隷達と悲惨さなら殆ど変わらないような人生を送って来ているのであって、平穏が必要なのは変わらない。
性格もある程度歪んだ者が大半であり、正義や仁義や感情で飯が食えない事をしみじみ知っている為、自分の“気分”は飲み込まれた。
普通に生活して働ける場所とやりがいさえあれば、蜘蛛への恐怖は変わらずとも、何とか自立して過去の戦場や蜘蛛達との戦いのトラウマに魘されながらも生活する事は出来ていた。
「すげー!!? 此処が伝説のノクロシアかー。はは♪ でっけ―黒い塔だなー!!?」
「ひっ、やっぱり蜘蛛がた、沢山!!?」
「あ、あっちには亜人? ウチの大陸にはいなかった感じのが沢山……」
「あっちは蜥蜴、こっちは角?」
「(>_<)/(はーい。こどもたちー。ニアステラの孤児院は英雄邸の傍だよーと引率する養育蜘蛛の顔)」
ちなみに各地の大陸から月に掛かる緋色の塔を目指した者は国家単位ではかなりの数に昇るが、それ以上に無謀な民間人の航海も多い。
理由は単純明快であり、蜘蛛達が今や殆ど平定し終えた滅び掛けた大陸からの脱出先として選ばれたからだ。
事実上、各大陸間の距離的には可能とはいえ、誰も彼もが最新の船で向かうわけではない。
「ああ、お前……此処は……スゴイな……」
「ええ、おじいさん……亜人の方や蟲の方は多いけれど……こんなに賑やかな通りなんてウチの国の王都でもありませんよ……」
「スゴイとこに……来たんだなぁ……」
「はい……本当に……」
「(●´ω`●)(あ、こんなところにいた。おじーちゃん、おばーちゃん、住む場所はあっちだよと老年夫婦を案内する蜘蛛の顔)」
それこそオンボロの小型帆船や小舟一艘で出るなんて、明らかに自殺に近い者達も昨今の世界崩壊事案であった隕石落下に端を発した大混乱で多かった。
そして、そういうのを蜘蛛達は塵も積もれば山となる方式で各海域から餓死しないようにお急ぎでチマチマ島に招いていた為、殆どの海の藻屑になるはずだった者達は鬼難島……ゼート大陸という極限環境へと飛び込む事となったのである。
中には子供や幼年者だけで逃げた者。
老年で大陸で殺されるよりは海洋で干上がって死ぬ事を望んだ者達という類の航行者もおり、今や亜人も人も無く。
巨大なニアステラというコミュニティーに事実上取り込まれつつあった。
「っ、はぁ~~~すげーな!! 知らねーうちにニアステラも賑やかになったなー!!」
「はい。オーダム船長……何かオレらが北部であの魚共を狩ってる間に外から大量に民間人が来たとか何とか」
「本当に邦に化けやがったか……此処がオレ達が来た時には単なる砂浜と密林しかねぇ場所だったって誰が信じるんだろーな」
「……信じなくったっていいでしょーよ。オレらはまだ生きてるんすから」
「ええ、そうっすよ。生きてるだけで儲けもんでしょ。あの馬鹿デカイ岩に潰され掛けただけで箔も付きましたしね」
「お前らも言うようになったな!!? よし!! 北部からの凱旋祝いだ!! 行くぞ!!」
「あ、船長!!? 女共から声がデケェって言われてるんですから、行く時は静かにしやしょうぜ? 赤子がいるってんで女共が近頃はこっち来るだけで睨むんですから」
「そうだな。テメェら!! 行儀よくしろよぉ!! 英雄の家でどんちゃん騒ぎなんぞしてみろ!!? オレがアマンザにぶっ飛ばされちまう!!? ははははは!!」
「オーダム船長の声が一番デケェっすよ。いや、ホント……」
船が粗末な者達は国家規模で出向いた者達とは違って、一時定住者扱いで蜘蛛達の生活支援を受けながら老年ならば、養老院行き……子供ならば孤児院行きとなった。
ソレらの外界からの航海者達はそもそものコミュニティーがある亜人達とは違って全てニアステラ預かり。
事実上の人口増加はそうして数週間で10万を超える規模となっている。
今までに流入した人間が次々に蜘蛛達の支援で各地の黒蜘蛛の巣や地下に居を構えるようになると治安の悪化が心配されていたが、それを見逃す蜘蛛達ではない。
男だろうと女だろうと子供だろうと老人だろうと蜘蛛達はあらゆる犯罪を表面下で看過せずに阻止行動を行っているとは一部の者達以外は誰も知らない。
それは外大陸でも行われている事である。
大量の蜘蛛による犯罪阻止は正しく必要ならば、音速を超えて半径4km圏内で瞬時に到着し行われる。
「お前がぁ!!? 浮気なんてするからぁああああ!!?」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ?!!? 悪かったぁあ!!? こ、今度こそ浮気しないからぁ!!? お、お助けぇええええええええええええええ!!!?」
『(´・ω・`)(この夫、いつも刺殺されそうな浮気してんな。どうして2人とも別れないの? と、妻の足先を糸で引っ掛けて転ばせる作業×48回目な犯罪防止系蜘蛛の顔)』
犯罪行為の抑止は犯罪の起る寸前に行われ、特に殺人や詐欺、恫喝、恐喝や人間関係の不和から来る暴力事件は現在進行形で0であった。
他の家庭内暴力に属するモノも同じである。
蜘蛛達の手管は基本的に不可糸で行われている為、蜘蛛達の介入があった事を人々の多くは知らないし、知覚もしていない。
偶然、偶々、奇跡のような確率で犯罪が抑止されたという体で糸による精密作業によって各種の犯罪はあらゆる手で無かった事にされるのだ。
「くくく、此処が超高額ゾティークが無造作に積まれてる家か。大陸から逃亡して来たとはいえ、オレはこれでも怪盗と言われた男。ちょちょいのちょいってね」
『(≧▽≦)(かいとー!! それは華麗に軽やかに厳重な住宅に侵入し、義賊的な窃盗を繰り返すという幻の職業なのでは!!? と、外大陸の読み物に詳しい文系蜘蛛の顔)』
「ふふふ、こんな鍵はちょちょいのちょ……何だよコレぇ!? ま、魔力の封印が硬過ぎだろ!? こんな魔力式の封印なんざ、ウチの大陸じゃ大金庫にしか使われてねぇぞ!!? だ、だが、この程度オレの超絶技巧に掛かればぁああああ!!?」
―――3時間経過後。
『(・∀・)/~~(………どうやらこの自称怪盗はダメみたいですねと男の横で透明化して探偵モノの単行本を読みながら、ニアステラの呪紋+超絶機構による施錠を前に涙目退散したのをハンカチ片手で見送る夢から覚めた蜘蛛の顔)』
「クソゥ!!? どうなってやがる!? 此処の鍵ぃ……うぅ……やっぱ、真面目に働こう……ふぐぅぅぅぅ……お、おぼえてろよぉ……いつか、いつか、必ず開錠してやるんだからな?!!」
『( ̄д ̄)(あ、彼まだやってたの? 名誉ちちの人の家に窃盗とか……内縁の妻の人がいたら、全殺しだったなコレは……という蜘蛛の顔)』
窃盗ならば、盗もうとした瞬間に脚を縺れさせて転んだり、殺人ならば、攻撃しようとした者の武器が懐から消えていたり、ソレが拳ならいきなり具合が悪くなって蹲ったり、間諜のような外大陸の者達は見逃されてはいるが、一定以上の犯罪行為はNGとして蜘蛛達からの抗議が各国の大使や船を預かる意思決定者達に本人の身柄と共に遺憾の意として伝えられるので最初期に生贄となった国々は今や大人しい。
「【シュヴァリア・レクス】の搬入急げぇ!! カダス地方への増派用に地獄門経由なんだから、此処で止まってちゃ、どやされるぞぉ!!」
「【ウル・リカーム】3万機!! 地獄門接続済みの“大門”行きのレーンに乗りましたぁ!! カダス12番大陸に送ります!!」
「【エルダイバー】の各黒蜘蛛の巣への搬入遅れてるぞぉ!! 蜘蛛達の試験部隊用だぁ!! さっさと情報取って貰わなきゃ本格配備出来ないだろぉ!! 気合い入れて仕事しろぉ!!」
「【ドラグリア・ロゼ】の全機納入完了しましたぁ!! 今、サイン済みの書類全部集めてますんで!! 纏まったら、すぐにぃ!!」
「おう!! 急げよぉ!! 誰かがちょろまかしたりしたら事なんだからぁ!! 此処は銀行だと思え!! 数字が全部合うまで帰れねぇぞぉ!!」
内政が何とか回っているという事は同時に軍事は更に今の内だとブン回されているという事だ。
平時にこそ軍事の増強は行われるべきだが、この島における平時とは戦争中の小康状態というのが事実的なところである。
ソレが島内全亜人による共同作業……救世神や王群による破滅を回避する為というお題目が掲げられ、神も邪神もあるものか。
と、一致した見解として共に戦う事となった結果。
初めて島内では亜人国家同士の戦闘が無い日々が続いており、北東部にある巨大な瓦斯と溶岩に覆われた竜山と呼ばれるようになった使徒の成り上がった小神そのものたる“地域”と聖域外延からの蟲の王達の大群だけが島内由来の敵となった。
これによって各地では大神達の勢力とソレらに対抗する為、戦力の急速な拡充を実行し続け、島内の全黒蜘蛛の巣に必要数の機体と予備部品と予備機合わせて50万機以上が納入されていた。
更にカダスへの外征に出たシェナニガン配下の部隊への納品が迫っており、各大陸でこっそり収奪された大量の金属資源が魔王蜘蛛達によって納入されると次々に各地のラインが全力稼働状態となって延々と量産が続いている。
殆どの機体は使用と運用上の戦術戦略を詳しく詰める段階にあり、蜘蛛達のガワとしてだけではなく。
亜人や人間が載る戦力としても各地の蜘蛛以外の守備隊に充足。
あちこちで蜘蛛達は高度な運用情報の取得、人や亜人達は連携訓練と実戦形式の模擬戦で操縦技術を磨かされていた。
「マズイ……奴ら、本格的に複数種類のゴーレムの開発と運用に乗り出して……このままでは……いつまでこの場所を維持し続けられるか……」
「監視お疲れ様です。今やアーク軍は風前の灯と専ら故郷で噂ですよ。少尉殿……」
「く、今更に停戦論など!? 多数の兵をもう我らは此処で失っているのだぞ!? 本国の戦争も知らない奴らに何が分かる!!」
「ですが、あれほどにいた大量の外大陸の支援部隊も今や半減……半数近くが蜘蛛によって捕虜にされるか。蜘蛛にされてしまった今、どうやって我らがこの大地で覇を唱えると?」
「ッ……そんな事は分かっている!! このままでは我ら遠征軍も……未だ浸透した間諜達の情報からも戦力の増強は続いているとの報告しかない。奪えないか? いや、ダメだ……連中にはサイキック・コマンドが絶対の優位性ではない。だが、それ以外に……」
「末端の兵から見ても、この戦争……もう負けてると思いますよ? そもそもあの英雄も上層部が今は殆ど前線に出さなくなりました」
「ッ、最新鋭の機体をどうして前線に出ない者に送るのだ!!? 数が出ないのなら、最前線で兵の盾にしたとて構わんだろうにっ、クソッ!!?」
「……参謀総局からの敵の戦術概論が先日届きました。ですが、奴らの戦術は我らには似ているが、明らかに異質であると結論されています。先進装備があっても、恐らく意味は無いでしょう」
「どういう事だ?」
「嘗て、我々は外大陸との数少ない戦いでも質と量を兼ね備える事で犠牲は最小限にしながらも何とか撃退しました。ですが、蜘蛛達の戦術や戦略を分析した結果……連中の戦術や戦略は極めて高度な物量戦である事が判明しています」
「極めて高度な? 物量に高度もクソもあるのか?」
「あるんですよ。これは最新鋭の知見、特に英雄の証言や諸々の状況証拠からのものですが、連中が極めて高度な知性を有している上で強力な能力と肉体で狡猾に立ち回っているというのは正しいです。ですが、詳しく見ていくと奴らの戦術、戦略は数学的な意味合いが極めて大きいと結論されています」
「数学的な意味合い?」
「我らの常識では兵站を数学的に表現し、それを元に効率化する事は意味がある事でした。実際、多くの面で高効率です。ですが、連中は命が用いる事象の表現化、表示化、効率化を、数学でやっていると研究員達は結論しています」
「効率化?」
「より詳しく言えば、可能性、機会そのものをとにかく倍増させ、激増させ、圧倒する戦略です」
「可能性、機会……つまり、どういう事だ?」
「明らかになっている蜘蛛達の早さと精密さ。この全てが様々な機会の数、暗数となる表には現れない圧倒によって、あらゆる戦場において有用であるという事です。例えば……」
「?」
「蜘蛛達の攻撃回数。防御回数。支援回数。集団戦にける異常な強さの秘訣は機会を常に持てるように保持しておく事が肝要らしいです」
「つまり、あらゆる戦闘行動の回数が我らと根本的に違うと?」
「ええ、今までの戦場は互いに100回攻撃する機会があったとしても、それを成功させるには莫大な機会損失……つまり、外れを引かなければならなかった。要は機会の損失が兵量の損耗に比例する」
「ふむ……確かにそうだな」
「しかし、蜘蛛達は兵員となる個体の機会を増やす事で対応した。本来は出来ないだろうレベルまで兵員個々を強化し、機会を確実なものにする為のあらゆる準備を行っている」
「準備……」
「兵員の損失、つまりは機会損失を限界低減し、同時にあの異常な早さと精密さであらゆる機会を補い合う事で損失を最小限度のリソースで回避する。我らが集団で100回攻撃する間に奴らは攻撃を阻止する為の行動を200回、更に反撃する行動を200回、また支援する行動を200回行っているという事です」
「―――」
「戦場における物量を代数として置き換えて表現した場合、今までの常識は兵員の数や部隊の数、兵站における物資の数でした。ですが、連中の代数は違う。奴らの物量の代数は兵員や物資ではなく。より数学的な機会そのものなのです。行動可能で干渉する為の行為が行える回数。その圧倒的な増加、圧倒的な保持、圧倒的な減衰の阻止、これらが最終的には奴らを限りなく減らない数字に近付けていく」
「減らない数字……」
「我らのような生命体は感情や不安定な生体によって、己の力を常に100は出せない。無論、それが必ず定量、定数で出せるようになれば、一番良いですが、それは機械の仕事です。ですが、柔軟な有機体であるはずの連中が必ず100に限りなく近い数字を己で表現し得る。機械よりも余程に複雑な活動を正確に行い得ると見た場合……」
「何だと言うんだ……そんな……そんな……」
「機会の回数で計上するとアーク兵単体が1の行動を行う間に連中は600回以上の何かしらの機会を得ていると……」
「ろ―――」
「頑強な肉体と精密さと早さ。異様な手札の数。これらを瞬時に決断し、自分がカバー出来ない部分を他の蜘蛛に任せて自己は自身の機会を全うする。これをカバーする仲間が機会損失を防ぎ。同時に試行回数を増やす事で新手の戦術や兵器に対しても回答を瞬時に戦場の現場で出してしまう。分かりますか?」
「……攻略の機会を無数に注ぎ込める?」
「ええ……それを担保する為の数なのです。考えが逆なのですよ。我らは兵隊を勝利させる為に数字を使う。しかし、奴らは己を限りなくマシンのような数字を出す為のものとして精密さや能力を用いる。同じ勝利という回答すらも連中の方が具体的で合理的な絵を描いているかもしれません」
「むぅ……」
「連中が攻められている時には攻撃機会はそのままに相手の攻撃を阻止する為の機会を常に持てるように増加させているというのが戦術、戦略単位で群体的に見て取れるらしいです。つまり、強さはそのままに防御力だけ上げる。その代わり、支援機会を減らす。そういう行動パターンが検出されたと」
「そんなのどうやって―――」
「まず何よりも蜘蛛達の生命体としての力が我らアークを上回り、更にはその力が上がり続けていると参謀総局で結論されたのが問題でしょう。未だに蜘蛛達は変わらぬように見えて、内包する魔力やエネルギーの類が上がり続けているようだと微細な力の加減が僅かに緩んだ際に確認されるとか」
「だとすれば、この戦争は……」
「とにかく。まずは生き延びましょう。家に帰るまでが戦争です。そして、家に帰っても心まで無事とは限らない。余裕を以て、いつでも帰れるようにしましょう。末端に出来る事なんて無いんですから……」
「ああ、そう、だな……」
『(´・ω・)(ばれてーら……さすが観測能力に長けたアーク軍……でも、確かこれって上司の人のプロパガンダなんだよなー……過小評価させて実際は更に実情は上だから、絶望し易くなるとか何とか。自分より格上の真正神相手でも粘れるように練った戦術や戦略だから、あの女神みたいなのには通用しても完全でも万全でもないという……と偵察中アーク軍の分隊横でお休み中な諜報系蜘蛛の顔)』
ニアステラは今や魔女の鍋。
グツグツと煮込まれた者達は否応なく最も大きな具材である蜘蛛を前にして自己主張出来る程の“味”は出せていなかった。
それは正しく蜘蛛達によって捕虜にされたアーク軍及び支援部隊の様々な種類の知性体も同じだっただろう。
「たいちょー……今日のはいたつにいってきました」
「そうか。ごくろうだった。われらミスリスも随分と増えたな……」
「ほくぶせんせんでは状況がこーちゃく状態のままにかくちで潜んでいた部隊が次々にかり出されているようです」
「支援部隊もいまやどれだけ残っているものか……」
「もんだいは……あのくもが増えている事です」
「我らのヘンイタイか」
「はい。蜘蛛達にたずねました。恐らくですが、しえん部隊の2割ほどがもうくもにされたのではないかと」
「……いたましいことだ。だが、かみのぶきたるミスリス。じゃあくなるものをげきめつせんと……そう慈悲なきこころでてきちのおんなこどももふくめてころせとのめいれい……いたしかたない、だろうな……」
「恐らくですが、精兵はのこっていないかと」
「だろうな……オレみたいな甘い男ではつとまらないしごとだった……」
「そんな!!? たいちょーがいてくれたから、われらはまだ生きてこうして恥をさらせているのです!! あの時、どげざしてまでもたすけてくれたこと……かんしゃしています」
「っ……今はできることをしよう。どうほうがくもになろうとよーじょになろうと……ここに生きる限りは……」
「はい……こんかいのさんせんはおそらく邪神とのだいせんそーいご、さいだいのひがいになったでしょうね。ほんごくのものたちもからだを曇らせていることでしょう。かみがみのせいで我らは……」
「止めろ。誰をうらむこともない。かみはかみの思惑があり、ミスリスもしゅぞくとして、上層部が決定したことだ。くもたちがわれらをいかして利用するように……あるいははめつに立ち向かうように……立場の違いはあれど、なにもわれらとやつらにせんじょーでの道徳や倫理で然したる差は無い」
「ですが……」
「奴らはしまのものを理不尽に殺し損ねた敵をこーして利用しながらも生かし、我らもその気がかわらないうちはどーほーをたすけられる。それだけでいい」
「たいちょー……」
「ほう? 分かっているではないか。貴様」
「何者だ!?」
「こ、これは……たいちょー殿……恥ずかしい話を聞かせましたな。忘れて下さい……捕虜のたわごとです」
今回の神々の立場で北部に参戦したアークの支援部隊となった種族の殆どが数を半減させられ、あらゆる種族が幼女型生命体として今も数を増していた。
特に蜘蛛達によってアマテラス討伐後に念入りに捜索が行われ、各地で潜伏して事を起こそうとしていた多種多様な種族達は半数が意図的に本国への休戦圧力として期待されて逃げるのを見逃され、半数は幼女と蜘蛛にされた。
ほぼ狩り出し終えた事で北部では安全に再び黒蜘蛛の巣の外にも亜人達が出掛けられるようになり、各地での産業振興、軍事振興、工業振興が進んでいる。
「くっくっくっ、良いでは無いか!! 我らはいつだって単なる捕虜でしかなかった。今も変わりはしない。だが、それでもこの場所で生きている!!」
「たいちょー殿……」
「気にし過ぎるな。愉しめ!! どの道、我らにニアステラと共に生きる以外の道は無いのだ!!」
「……本国への帰還のノゾミは無いと?」
「蜘蛛達は常に賢しく立ち回る!! そして、約束してない事まで雰囲気で許したりはしない。お前達とて北部の者達を“密に殺して成り代わる”のが任務だったのだろう?」
「「………」」
「そういう事だ。やられたらやり返される。そして、それでもまだ五体満足で生きている。心が変わろうと変わらぬモノもある。違うか?」
「それは……」
「教会も同じだ。ヴァルハイルも同じだ。単なる敗者でなければ、此処の蜘蛛達やニアステラの者達よりも余程に厳しい敗残者への処置をしていた。冷酷な者達に過ぎぬだろう」
「かも、しれません……」
「此処に囚われてもう何年にもなるような気がする。此処で学んだ事は多い。我らよりも余程に合理的で他人の感情を理知的に管理しようとする連中は実際問題、我らよりも余程に余裕が有り、善良な面も多いだろう」
「善良といいきってもいいと?」
「切り捨てる事が常の軍人から見てどうだ? 我らの心を弄びながらも、こうして安らかに生かされている気分は? それ以外は我らの方が倫理も道徳も誇れると、そう断言出来るか?」
「………蜘蛛にされるよりも残酷なことがあると?」
「ふ、教会の出だから、分かるのだ。分かってしまうというのが正しいか。人の残酷さを蜘蛛達は真似ているが、アレは正反対だろう」
「正反対?」
「連中は人の悍ましさを知っている。軍隊の悍ましさを知っている。人が人にする事に限界など無い。それは……本当に人の“底”を見て来た者にしか分からないだろう」
「底……」
「教会の異端審問なぞは生温い方だ。大抵、悪党よりも善人が醜悪に手を染めている方が多い。民間人の方が余程に悪辣な事もある。倫理や道徳が崩壊し、全ての悪徳を煮詰めても足りぬような狂気はいつでも誰の手にも転がっている。ソレらを異端として狩った教会もまた狂ってはいただろう」
「そのような経験が?」
「たいちょー。貴様は自分で産んだ子を喜々として村の食糧としていた屠殺人がその母親本人だった時、咎められるか?」
「な―――」
「金属の化身たるお前達には分からないかもしれない。得体の知れない血肉の塊の言う事だと畏れてくれてもいい。だが、異端狩りに加わった時、私は……咎められはしなかった……」
「そ、そんな事が……」
「その村では飢饉が余りにも酷く。己の手足を齧るならまだ良い方……笑顔でしか、その子を村人達に供する事も出来ず。壊れた女一人が最後に生き残った異端だった……魂の削れた異端はな? 死など恐れないのだ」
「死を?」
「我らを死んだ村人達への贄にしようと今にも折れそうな手で刃物を持ち、我らすら至らぬかもしれない鬼気迫る顔で死んだ子供の腐り掛けた頭だけを胸に抱いて襲って来た時、その女は歪な笑みで言っていた。この子にようやく食べさせてやれる!! お願いだから、食べさせて!! 食べさせて下さい!!」
「ひ―――」
「たいちょー殿……部下が……こわがりますので」
「済まない。だが、教会の部隊の者の耳から声はしばらく離れなかった。誰も哀れにすら思えなかった。人という種の本質がソレならば、単に運よく暴力に訴えられるだけでしかない我らに慈悲など無いとあの時、思った事は今も思い出せる」
「………」
「だが、そんなのが教会の往く手には山詰みだった。程度の問題だとしても、多い事はあろうと少なくはない者が異端として教会によって狩られた。教会はその狂気こそを伝播させぬよう、己からその狂気を取り込み……己の一部として大陸の者達を護る為の組織としてずっとずっと戦って来たのだ」
「……蜘蛛達が我らと同じではないと?」
「ふふ、あの毎日のように美食をモシャっていながら、心の底から“旨い”としか言えない様子を見れば分かりもする……」
「どういう?」
「連中は人の業をよくよく知っているから、己の心の底から愉しむ事を忘れない。蟲と人では資質も違うだろう。しかし、知性という同じものを共有していながら、我らと奴らの最大の違いはハッキリしている」
「それは?」
「奴らは絶望しない。全てを知り、全てを理解して尚、その何もかもを通り越して、今を愉しみ、今に生きている。だから、どんな戦場もどんな状況でも奴らは旨いものは旨いと言いながら喰うだろう。きっと、あのご主人様が死んですら、その葬式ですら……旨いものは旨いと泣いてもいつも通りに食べているはずだ」
「そんな……」
「その上で感情表現も豊ならば、ケロリと人を殺しも救いもする。しかし、一度とて連中の感覚は自分の犠牲者から逸れてはいない。正常なままに殺すし、救う。奴らは狂わない歯車そのものだ。それこそが最大の違いであり、我らがどんなに抗おうと敵わない違いだ」
「存在自体が狂っているのでは?」
「ならば、世界が狂っているのだろう……連中の瞳には感情と理性が載っている。割り切り過ぎてしまった奴らは死ぬ間際であろうと笑って後を仲間に託すだろう。奴らが狂っているのならば、人生の何もかもを割り切れもせず、理不尽を他者に働き、懺悔し、後悔し、自己否定し、胡麻化す人は、我らのような戦う者は……不条理では無いと、狂っていないと、そう思うか? たいちょー」
「………」
「さて、無駄話はこれくらいにしよう。お呼びが掛かったのでな」
「もしや?」
「聖域外延に動き在り。討伐任務だ……ニアステラに被害はほぼ出ないはずだが、黒蜘蛛の巣にいる事だ。お仲間を死なせたくないのならばな。無論、我ら幼女防衛隊が全て斃してくれるとも!! 蟲は畑の餌だ!! フハハハハハハッ!!!」
「あ……行ってしまわれました……どうして、こんなところに任務が有ったのに来たのでしょうか。彼女……いえ、彼は……」
「分からないか?」
「その……はい……」
「余計なお世話が好きな統率者殿と先達の捕虜達の評価。本当のようだな……フン……いっそ、羨ましい……極限の合理性が狂気だと言うなら、我らの感情など……お粗末でしかない、か……」
「たいちょー?」
「何でもない。すぐに集めて今の情報をでんたつしろ。今の我らはよーじょだ……かよわき体にかざあながあいたら、8回程度でもろく崩れる体なのを忘れるな……」
「は、はい!! すぐに!!?」
「………せんだつづらされるとは……まったく、毒気を抜かれてしまったな……反乱など狂気にしか過ぎない、か……紙切れ一つで死ねと命令されるのは慣れているが……コレも貴方にとっては狂気なのか? たいちょー殿……」
捕虜の一部には極低い確率で今も何とか活動し続ける部隊からの反乱要請……内部からニアステラの統治体勢を揺るがす為の捨て駒になれという命令が届く事すらあったが、その全ては無視された。
蜘蛛達も知ってはいたが、素知らぬ顔でいつも通りだった。
捕虜になった者達にも分かっていた。
狂気合戦なら、悪辣な命令ばかり飛ばしてくる上層部の方がよっぽどに蜘蛛達よりも現実的な自分達への脅威であり、狂気だと。
絶対死ぬ。
絶対殺される。
そう知っていながら、ソレを求めるのだ。
ソレは合理的ですらない。
ニアステラの実情に照らし合わせれば、事実上の命令は『自殺しろ兵隊!!』と言っているのとまるで違わない。
蜘蛛達の手間を3秒取らせて意味が無い事は此処の誰もが知っている。
反乱など起こった瞬間には全て終わっている。
それで何かが変わるかと言えば、絶対に自分達が消え失せる以外の変化はないと彼らは理解し断言出来てしまう。
此処はニアステラ。
あらゆる種族が“諦めた”灰色の地獄。
しかし、その地獄では……何故か自分の実家よりも安心感のある灰色の毎日が繰り返され、蜘蛛付き、同胞付きで楽しく回っているのだ。
生憎と蜘蛛達の物資生産能力と社会体制における“健全な生活”という規範が確立されたニアステラとフェクラール及び北部地域では微温湯のような生活実態と地獄のような精神疲弊と無限のような薬物治療及び遺伝治療による知性の限界を試すような労働が日常と化している。
“病む事すら叶わない不健全さ”だけが独り歩きしているが、それは本当の地獄を見て来た者達からすれば、呑み込めてしまう程度の代物だ。
だから、捕虜達は今や自分達がニアステラの一部に組み込まれて不満を抱えながらも嘗ての故郷、所属する共同体では叶わなかった快適で穏やかな暮らしの最中、罪悪感や嘗ての社会への不満を燻らせ、少しずつ本当の意味でニアステラの住人へと変化していく途中であった。
その例外は正しく島内で安定したコミュニティーを築いていた者達とヴァルハイルだけだろう。
いつか、亜人の中でも少数派な人々や外界の酷さを知る層が帰還を諦めた時、本当のニアステラの住民が産まれるに違いなかった。
そう、此処で生まれた者以外の“住人”が水面下では少しずつ増え始めていた。
そうして此処にようやく少年が描き、蜘蛛達が実現した統治体勢は完成に至る。
去る者は追わず。
来る者は拒まず。
されど、地獄を征く覚悟と蜘蛛を共にする勇気を持たぬ者には安住の地ではない。
それこそがニアステラ……ノクロシアの再来と謳われ始めた島の追放者達の楽園であった。
*
―――???
『本年度の帝国予算の実に約三割以上が敗戦国の開発に当てられています。これは事実上の国庫の持ち出しであり、その初期投資の莫大さは何とか各国からの地下資源の収支で補われておりますが、予算としては過大過ぎ―――』
『本予算案は正式な手続きを踏まれて会議にて審議終了しております。此処で予算に疑義を付けるのは不誠実では? そもそもの話として現在、リセル・フロスティーナ発足が事実上終了しているとはいえ、それでも開発が不十分な地域が―――』
『そもそも敗戦国からの借款が莫大な額に達していると言っても、大陸経済の中心が帝国である事は変わりませんし、事実上の統一を果たした現在、帝国通貨は“あのお方”の家臣団が担保した貨幣の不変性によって世界通貨として完全に安定しており、事実上は各国の国外との取引における外貨、外国債の9割を占めてい―――』
『国際商業通路となった大陸中央部への移民も続いておりますし、増えている人口の抑制も大陸規模でしっかりと行われております。事実上、何処かの民族主義者が数を大義に大法螺を唱える事に意味はありません。そもそも数としては“あのお方”の統治された時代以来、帝国民化された全ての民及び帝国民が渡航後に現地民となった者の方が多く。民族、主義、主張のほぼ全てが一色になった以上、無駄に自分達は帝国以外の色があると想起させる必要も―――』
『多様性のパラドクスという話です。現行、このような思想集団は確認されておりませんが、科学的な見地においても、ほぼ半世紀前に書かれた“あのお方”の書籍の情報が正しい事は事実です。現在の大陸は最高ではありませんが、最低限の水準はクリアしており、今後も危険思想として“善の社会通念”に偽装した危険思想、現実にそぐわない理念を持ち出す輩のリスト登録と社会防衛は引き続き―――』
『静粛に!! 静粛に!! 議長権限で、会議の静穏が保たれるまでの一時休止を―――』
『何か帝国議会も荒れてんな(-"-)』
『そりゃそうだ。何せ“あのお方”が戻って来たって言うんだ。今まで以上にそわそわして当然でしょ。ちょっとでも良く思われたいじゃん(^o^)丿』
『だが、それをこそ“あの方”の書籍は戒めてたような?(-_-;)』
『だからでしょ。荒れてるのは……暗数として民族主義者や過激思想主義者が蔓延らないように帝国陸軍情報部様は今もこうして電子空間上でお働きになっているわけだし。あ、お疲れ様でーす( ̄▽ ̄)www』
『BAN-ERROR』
『ひぇ……いきなり、ゼド語の文字出て来た((/o\)((((;゜Д゜))))』
『あーこれは情報部様も結構、今は覗いてんのね。一々、煽るような事言うから……しばらく、触らない方がいいよ(´・ω・)』
『ま、仕方ないよね。そもそも電子掲示板群が帝国技研の内部作業用に造られたヤツの大陸版だし、ほぼ全ての国が帝国製の情報通信システム使ってて超低価格でシステム共用して貰ってるだけで御の字。そこを管理するのが軍部な以上、契約内容通りに問題発言したり不用意に煽ったら落ちるよね。そりゃ(-_-メ)』
『そういや、新しい電子ネットワーク網の話ってどうなったの(´ρ`)?』
『はは!! 確か一企業が呼び掛けて賛同した殆どの企業が事業撤退してたよ。そりゃそうでしょ。だって、ほぼタダみたいな使用料で使ってるのと数千倍、下手したら数万倍以上の値段で使うのじゃ。そもそも大陸にある物理線の99.999949%が敗戦国間で帝国が敷いたものだから、そこを経由しないで線引いたり、電波用の塔立てたりするのは一企業には負担がデカ過ぎる。しかも、良い場所は全部抑えられてるし、技術はあっても1から構築してたんじゃ100万年掛かるよ。国家規模でやろうとしても協定違反になるし。小型の個人用で電波飛ばすにしても大陸規制で限界在るし(;´・ω・)』
『今にして考えてみれば、ほぼ半世紀前の敗戦国に電子のでの字も無い頃から1000年先を見越して現行の大陸の重要インフラの9割を通す為の契約を結ばせてたとか。悪意を通り越して神すら驚く所業でしょ?(´-ω-`)』
『でも、空の超規模輸送船団と陸の大陸間鉄道網に第三の電子情報網の構築と管理維持で毎年帝国はかなりの赤字を出してるはずなんだよなー(;・∀・)』
『でも、それが帝国の大陸支配を支えてもいるよね。世界が便利になったのも、世界が平和になったのも、世界から本当の死ぬ程の貧困が殆ど消えて、紛争も戦争も消えたのも、全部帝国のおかげだしね(^ω^)』
『お前!! 情報部の回し者だな?(´・ω・`)』
『くくく!! バレてしまったか。でも、事実じゃーん( `ー´)ノ』
『ぐぬぬ?!! 帝国式帝国式はいはい帝国式(´;ω;`)』
『“帝国式”は合理主義の代名詞じゃねーんだがな(*´Д`)』
『帝国式を修めようとするのが帝国人であって、帝国式を修めようとしないのならば、それは帝国人ではない。というのが、帝国人のほぼ総意ですハイ(´▽`)』
『うわ、出たよ。似非帝国人……帝国人はそんな事言わないぞ(`・ω・´)』
『ほう? なら、何と言うんですか? 教えてもらえませんか(^ω^)』
『そもそも貴族だろうと元奴隷だろうと帝国式は修められる。逆説的に言えば、例え国家や主義主張民族が違おうとも帝国式を体現する者は帝国人である。帝国人じゃないと積極的に主張する事もまた過激主義の一部にならないよう戒めなければならない。証明終了(>_<)』
『……でも、それほぼ一般論なんだよな。帝国人内だと……(=_=)』
『ウチに1人元帝国人が務めてるけど。そもそも優秀なヤツ以外は大体、成人したら帝国の首都を出るしかないし、事実上首都住まいは帝国人になるより困難だと主張してたぞ(^_-)』
『じゃ、国外に出てる帝国人は無能なの?(・へ・)』
『本人曰く競争に勝てなかったか。帝国人に疲れた連中しかいないそうだ。ちなみに無能の自虐を添えられたが、そいつのおかげで今年上場したよ( ̄д ̄)』
『超有能じゃないっすかヤダー……(´|ω|`)』
『でも、各国で活躍した帝国人の偉人扱いされてるヤツって軒並み大体自虐入るよね? どの伝記見ても、どの手記見てもほぼ同じ“自分は有能では無かった”“負け犬になったので新しい生き方を模索してみた”“帝国人を止められてホッとしているが、有能と持ち上げられると騙しているようで周囲に謝りたくなる”がデフォとかどうなってんだか( ^∀^)』
『帝国首都はどんな魔窟なんだよ。いや、ホントに度々言われるけどさ(ToT)』
『そいつの実家が帝国の首都なんだ。ただ、競争が激しいし、お前は首都向きの能力も持ってないから、地方住むといいって親に言われたらしいぞ。ちなみに首都の一般人は一般人じゃねーから、マジで気を付けておくといい(◎ω◎)』
『一般人が一般人じゃないって何さ?(´・ω・`)』
『比喩や差別とかじゃなくて、マジで一般人は一般人じゃない。時々、帝国の首都に遊びに行くんだけど、在野の一般人が何か一般人じゃない。職能における神技能持ってたり、専業主婦ですら何故か遥か未来に生きている( 一一)』
『何故、其処で専業主婦(?_?)』
『それはね。例の部下の家に泊めて貰った時に普通の好青年と直球好みのおねーさんが両親て言われた挙句、父はしがない一般タイタン社員で母はしがない特級調理技師免許持ちって夕食出されて食って倒れた後に言われたからさ( ^ω^ )』
『タイタンて……あのタイタン? あのゼド機関造ってるタイタン? 人材派遣業で初めて派遣首相出したタイタン? 無限機関の主力業績が鰻登りの癖に内燃機関にまで投資してるタイタン? 馬鹿みたいな出力の機関で馬鹿みたいな質量の船を空に上げてる主要航空戦艦建造業のタイタン? (現地支社に挑戦して5年連続堕ちた者並み感)(´Д⊂ヽ』
『ちなみに倒れたの旨過ぎて倒れたって事でいいの? (´・ω・)』
『無論……生まれて初めてウチの母が作った家庭料理より旨い家庭料理食ったよ……たぶん、死んでたら死因は“旨死”だな。脳内麻薬出過ぎて死ぬって何だよみたいな顔になってる画面の前の諸君には悪いが、地方諸国の100万掛かる美食より帝国一般家庭の家庭料理の方が100倍旨い事は確定だと伝えよう(・∀・)』
『タイタンと言えば、今帝国内で調整が終わった新型の端末が新しく地方でも発売されるんだよなー。愉しみ(^▽^;)』
『その家のおとーさんがソレ売る人だった。ちなみに現行の演算機の1000万倍以上の処理能力がある汎用機だけど、価格は据え置きらしい(´-ω-`)』
『どうやって、そんな処理能力使い切るんだよという顔(´▽`)』
『1000万倍処理が必要なプログラムと実行装置が入るんだよという顔(^口^)/』
『それって貴方の妄想ですよね? と、主要端末カタログ見直す顔(^◇^)』
『明日発表だよ。と、予告ついでに娯楽あぷーりをおしえてやってもいいという顔( ^ω^ )』
『ちなみにどんなの(。-∀-)』
『主要コンシューマーゲームがほぼ切り替わるっぽい。試遊もさせて貰ったよ。意識だけ電子空間に飛ばして遊ぶヤツ(*^-^*)』
『は?! ソレって例の技研が開発してた意識定着型の【蒼力】の再現型インターフェースの試験機だろ!? もう量子OS込みで実用化されるのか!? マンマシンインターフェースの開発最終フェーズだぞ!? まだ帝国の一部公務員にしか支給されてなかったはず……人類の知覚が物理的に増えるって種族単位のだいじおrlj』
『顔文字忘れてますよ。初心者さん(;・∀・)』
『んなのはいいんだよ!? それよりも今のがホントだとすれば、帝国の技研は遂に一般人に場を操るあの化け物みたいな力を持たせる気なのか!!? 正気か!? 正気なのか!?』
『君、大陸を護ってくれてる“聖女の子供達”に失礼ですよ(^o^)』
『アウトナンバーと戦ってる連中を傍で見た事が無いから、そんな事が言えるんだよ!!? あんなのが同じ人間だって!? 冗談だろ!!? 何で人間がkm級の物体を相手に体を両断したり、攻撃を相殺したり、殴って吹き飛ばすんだよ!? 山を吹き飛ばす巨体を山脈に吹き飛ばして一緒に肉塊にする連中だぞ!!?』
『あ、それ違うよ。聖女の子供達は都市部や人口密集地での市街地戦用調整だから、たぶん蒼力持ってるだけの一般ドラクーンじゃない?(´・ω・`)』
『ソレたぶん一般じゃないですよ。さすがに普通のドラクーンだとkm級や準km級は単独では不可能かと。恐らくですが、ナンバー持ってる円卓の方じゃないかな(^o^)』
『ドラクーン残置処分中の地域じゃなかったっけ?(。-∀-)』
『ああ、あの事件か。どうやら初心者さんは情報部の方に本当に連れてかれたみたいだな。いやぁ、初心者さんには申し訳ない事したなぁ……彼の今後に幸在れと祈っておく顔(´;ω;`)』
『それにしてもあの手のOSようやく出来たんですかね? 技研にしては遅かったですね( ^ω^ )』
『技研も万能じゃないからな。というか、技研だって生きて所属してる人材次第では出来ない事もあるだろうさ(@_@)』
『十中八九、量子OSの開発は市販する以上成功してるはずだが、技研はこれでまたパテント料だけで国家予算稼ぎ出すのかな( ̄▽ ̄)』
『これからのシステムの機関部となるコア技術ですし、恐らくパテント料の徴収期間を軍事技術に関しての協定で無限延長しとけば、人類が分派でもしない限りは永遠に稼ぐんじゃないですか?( ^ω^ )』
『羨ましい話だ。ウチはアウトナンバー被害で明日にも潰れそうだってのに……そんな技術者がウチにもいればなーという顔(;ω;`)』
『………』
『お、―――君。久しぶりだな。近頃、来てなかったが、大仕事は終わったのかい?( ^ω^ )』
『管理人さん。一体誰に話しかけてるのさ(´・ω・)』
『ああ、このシステム組んでくれてる帝国の人。此処が半ば治外法権で色々な情報を他の板と違って先だって見られるのは彼が帝国陸軍の人と掛け合ってくれたからなんだよね(´・ω・`)』
『し、知らんかった(゜Д゜)』
『………』
『そっか。たぶん、もう此処には来れないと。分かったよ。此処は可能な限り残しておくから、もし戻って来たらまたよろしくね。じゃ、またいつか(*´ω`*)』
『………』
『……もしかしたら、彼みたいなのが帝技研みたいなところには一杯いるのかもね……本当の天才は次の舞台に上がると……近い内に僕らも此処を卒業する事になるのかもしれないな……(-ω-)』
―――大陸標準時刻午前10時32分23秒。
『貴方が―――さんでしょうか?』
『………』
『ふむ……そういう……では、まず簡易的に見てわたくしから言える結論を先に申し上げます』
『?』
『貴方のその症状はこの世界の定理自体を崩壊でもさせない限りは改善しません』
『………』
『理由は単純です。ソレは物理事象ではないからです。わたくしの片手から頬に延びる“コレ”と同質の代物です。ただし、力でしか無い為に侵食はしても、契約や意思疎通は出来ない。つまり、同じような力で干渉を撥ね退けるのが最も効率的なのですが……』
『?』
『残念ながら手遅れです。魂の情報しか残されていません。非物理次元からの干渉で崩壊は最終段階に移行しています……後3年程、早ければ……間に合ったかもしれませんが……済みません』
『………』
『魂の問題です。その状態で意識を保てている事を素直に賞賛させて下さい。
その上で一つ……貴方にして欲しい仕事があるのです』
『?』
『この星を……いえ、この世界の人々に出来る限りの事をする為に……恐らく、一人では間に合わない。帝国最高の頭脳達には彼らの仕事がある。これを成せるのは貴方しかいない。だから、わたくしは貴方を紹介して貰いました』
『………』
『わたくしは言語学を齧ってはいましたが、プログラムの専門家ではありません。そして、これから先……この世界が未来に進むには……“コレ”の運用が必要なのです』
『?』
『名前は【エメラルド・タブレット】……この世界に侵食した者達……无の領域から邪悪なる神々の手によって齎された超重元素の塊です』
『………』
『ふふ、そうかもしれませんね。ですが、一つだけ……たった一つだけ貴方の魂を救う方法がある、と言ったら?』
『?』
『コレに書き込んで欲しいコードと仕様は決まっています』
『?』
『シミュレーションの為の基礎情報は既にあるのです。殆ど、今のわたくしでも解析しようがない情報ばかりですが……それでも何もせずに滅びるよりは良いでしょう。貴方とて、死ぬのを待つだけの時間を無為に過ごす恐怖を知っているのでは?』
『………』
『生憎とわたくしもまた単なる人に過ぎません。力無くば、自分の大切な何かが壊れていくのを見ているしかない。そんな、ありふれた現実に圧し潰されてしまうような小娘です』
『?』
『開発コード名は要りません。これはわたくしと貴方の共同作業という事でいいでしょう。指南をよろしくお願いします。エンジニアリング面で入力はわたくしの方で行い。そちらは基礎設計通りにソースコードを……』
『?』
『敵という程の敵ではありませんよ。ちょっと、宇宙の3分の2を物理的に占有している高じ過ぎた人々と殴り合うのに必要というだけです』
『………』
『……分かりました。では、シミュレート能力の実証実験と実働情報の収集に一般人を使うというのは安全性が確保されるのならば、許可しましょう。どの道、わたくし自身も入って検証せねばならない事がありますから』
『?』
『ならば、今技研で造っているらしい端末を置き換えて、全てこちらで用意しましょう。その為の資材とラインの設計が出来そうな人材達には心当たりがあります。彼らの力があれば、恐らくですが、早い内に全人類に渡す事が可能な数は揃えられるはずです』
『………』
『―――クロノ・ダイブ・システムです』
『?』
『ク、クロ、ロrシス―――』
虚空をキラキラと一枚の板が堕ちていく。
『ああ、言い忘れていました。わたくしの名前は―――』
煌めきを零しながら、煌々と翡翠色の輝きを零して永遠を墜ちていく。
『フィティシラ・ラス・エスト・アルローゼン・ブラスタと申します』
静かなノイズに埋もれていくようにソレは長方形の端末は墜ちていった。