流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて- 作:Anacletus
フィーゼ・アルフリーデ・ルクセル。
ルクセル子爵の三女。
任された当地においては三姉妹と呼ばれた末の妹。
彼女にとって一族郎党が斬首されるよりは幾分かマシな現状。
それこそが極東への流刑であった。
流刑地は極東の果て。
役人は船に乗る前までは見守っていたが、後は見送るのみ。
そして、先に嫁いでいた2人の姉達は其々の家の力で護られ、残された彼女と父親だけが他の流刑者と共に“果て”へと送られた。
唯一の流刑地の海路を征く船。
イノス号は流刑役が初めてのものであったが、高額の契約金に目が眩んだ海賊紛いの水夫達と浮沈と称される船長が乗るままに地図に示された航路を行き。
最後には海の藻屑と消えた。
(でも、此処に我々は辿り着いた。辿り着いてしまった……)
しかし、此処に上陸した数十名。
島は確かに存在し、極めて広く。
その上で食料も水も殆ど無い。
父は病の薬も残り僅か。
水夫達は船長不在でいつ反乱が起きてもおかしくない。
何なら彼ら“荷物”を餓死させても生き残ろうとするだろう。
(わたくしが何とかしなければ……)
幸いにして流刑者には彼女の御付きの者が2名。
牧師と騎士がいる。
修道女や医者や芸妓の旅の老人もいる。
頼れる者達を取り纏めて、父の命を何とか繋ぐ算段もある。
後は水と食料さえ見つかったなら、最初に言う事はまるで無い。
だが、それこそが最も難事だと彼女は気付いていた。
島は鬱蒼とした森が砂浜との境界から続いており、全景は見渡せず。
少なからず数日で回れるような大きさではない事が解っている。
山奥には高い山岳が存在していて、火は少なからず登山をしなければ、確かめようもない果てだ。
そこまで向かうにも食料と水は必要であり、どう考えても食べ物が見付からなければ、どうにもならない状況であった。
空は嵐の後にもまだ雲が残り、薄暗がりの下で風は吹いているが、温い風は決して爽やかとも言えない。
(早く動けるようにしておかないと……)
そう内心で焦りながらも彼女は水夫達に切り倒させた生木を燃やして衣服を乾かしながら、言われた通りに煙に当たっていた。
外套に顔を引っ込めるようにしながら。
『あの姫さん。煙くないんか?』
『いやぁ、何でわざわざ窒息しそうな煙に当たりに行くんだかなぁ』
『案外、速く死にてぇのかもな。はは』
下品な水夫達の声を聞きながら、彼女は薪割や野営地の設営の為に樹木を何とか伐採した一帯に立つ天幕を見やる。
斧も無い状況。
だが、彼女の御付きは優秀だった。
ウリヤノフ・イステンバータ。
赤毛の騎士はとにかく役に立つ男と父に評される程の逸材だ。
剣を一つ潰して、ハンマーで叩く個所を拵えた彼は複数人であっと言う間にガンガンと木槌で背を叩いた剣で斧の如く樹木を切った。
周辺は大樹が少なく。
数刻もせずに切り出された樹木は全て薪にされて、残った切り株は椅子。
野営地の平たい場所にはさっそく煙で燻された革が敷かれて、何とか寝床までは作ってくれたのだ。
(父が言っていた通り、ウリヤノフがきっと助けてくれる……)
何度目かの煙を浴びた彼女は滴る汗を布で拭いながらも煙臭さにも我慢して、此処数時間で周辺を偵察してきた水夫達の話を聞く。
その為に相談用の幕屋の内部へと向かっていた。
しかし、そこでは既にまた問題が起こっている最中であった。
『なんだってんだよ!? もういっぺん言ってみろや?」
「だから、君に処方する薬は無いんだ」
「こっちは怪我してるんだぞ?! しかも、アンタが持って行くと言ったお荷物を抱えたせいでな!!」
天幕の内部で怒鳴っていたのは歳若い20代の男だった。
それに対応しているのは船に乗っていた“荷物”の一人。
先程彼女にも挨拶をしてくれた相手にして現在この島で最も知性の高いだろう40代の医者エッセーラ・エルガムだ。
灰色の髪の毛をやや長くし、何処か疲れにやつれた無精ひげが生え始めた彼。
少し煙で燻されて煤けた男の手には医療器具を束ねた革袋が持たれていた。
その背後には薬品の入った樽が幾つかある。
「どうしたのですか? エルガム様」
「おお、済みませんな。姫様」
「いえ、わたしは姫等と呼ばれるような立場ではありませんので。フィーゼと呼んで下さい。それでそちらの方は?」
「あん? アンタか。あの没落貴族の流刑者ってのは」
歯に衣着せぬ男は栗毛で上半身は裸で胸に長い刃傷が横一線。
その上、素足で靴も履いていない。
何なら下履きの白いズボンは濡れて完全に透けている有様であった。
青毛の男がガシガシと頭を掻く。
「っ……お名前は?」
「オレか? オレはガシンだ。ガシン・タラテント」
「タラテント様。どうして怒鳴っていたのですか? エルガム様はこの場で唯一のお医者様です。それに詰め寄る程に怒っていたようですが」
「そりゃアンタ。この藪医者が薬を処方しねぇからさ。見ろ!!」
男が脚を少し上げて横に広げる。
すると踵の辺りからふくらはぎに掛けて幾らか縫った様子が見て取れた。
「此処にある薬は全部体に塗るものではないんだ。その傷は外傷で薬を飲んだから大丈夫とはならない。そもそも、この薬は内臓を悪くした人の薬で君が呑んでも意味が無い」
「という事ですが?」
「だから、薬は薬だろ!! 痛み止めくらいねぇのかよ!?」
「薬は痛み止めだけじゃない。それとその樽は船の後部に積まれていた」
イライラした様子のガシンと名乗る男は樽に無理やり近付こうとする。
それをそっと彼女は圧し留めた。
「アンタもオレの邪魔をする気か?」
「痛みで気が立っているのは御察しします。無論、不安もある事でしょう。でも、此処で薬を無用に失えば、我らは全滅です」
「……ガシン君と言ったな。君に対する治療は先程ので全て終わりだが、安静にしているなら、遠征に出た部隊が持って来る薬草に痛み止めがあれば、一番先に使うと約束しよう」
その言葉にガシンが目を細める。
「本当だな?」
「君に殺されたくはないし、君は患者だ。死なせるのは医者の義務に反する」
「義務ってなんだよ」
「一度見た患者は死ぬまで見捨てない。死んだら葬儀屋の領分だからな」
「はッ!! 此処にゃ葬儀屋もいねぇだろ。チッ……解った!! 解ったよ!!? そこで寝かせて貰うぜ!!」
「ああ、君に樽を運んで貰った恩は返すとも」
そうして、誂えられた小さな毛皮を敷いた地面の上に彼が横に為って彼らに背を向けた。
「申し訳ありません。今は大変な時だと言うのにもめごとを起こしてしまい」
「いえ、お互いに無事なら問題はありません。それで医薬品についてなのですが……足りますか?」
「敢て言います。父君の薬以外は大半が化膿止めばかりで外傷に関してはある程度どうにかなりますが、それだけです」
「包帯は?」
「持って来れませんでした。一応、糸と針。簡単な外科用の刃物はありますが、それも使うとして10人程度が限界です。何より麻酔がありません」
「痺れ薬ですか?」
「はい。痛みを和らげる薬です。東部でもありふれたものなので幾らかは積んでいたのですが、探索部隊が戻って来るまではどうにも……」
「その……よくガシン様は耐えられましたね」
「ええ、我慢強い若者です。とにかく、まずは衣食住の確保が優先でしょう」
「はい。ですが、食料は取れるでしょうか……」
「他の者達には魚を釣らせていますので、長持ちするように干物にして何とか。密林であれば、食料になる果実も恐らくあるでしょう。水を貯め込む植物があれば、尚良いが……まずは纏まった食料源が必要です」
「そう言えば、釣り竿はあったのですか?」
「ええ、針も含めて40本程、あの時に持ち出させました。針は最悪無くしても木製で賄えます。剣を潰せば、簡易の炉でも針は作れます。ハンマーも揃っていますので」
「解りました。では、今度は海側に行って見ます」
「くれぐれも岸壁や海辺から落ちないよう注意して下さい。まだ荒れておりますので。救出は不可能に近いと覚えて置いくだされば」
「はい。では、行って参ります」
頷いた彼女が頭を下げて、現場を後にする。
「健気なお人だ」
「はっ、ただの没落貴族の娘だろ」
横に為って目を閉じたガシンが呟く。
「しばらく眠りたまえ。化膿止めは毎日朝に塗る。傷口を拭く布は水が確保出来れば、鍋で煮た漂着した連中の衣服を使う。普通ならば3ヵ月は安静にしていないとならない」
「生憎と丈夫なんでな。3日で治るさ」
「それなら化膿止めが減らずに嬉しいがね。人間、やせ我慢では死ぬぞ?」
「……オレは3日だ。他のヤツらと一緒にすんな……」
医療現場はそうして静まり返り、たった一人の医者は遠方から戻って来る水夫達を外に見ては歩き出すのだった。
*
さっそくの揉め事から遠ざかるようにして彼女が海に面した岩場に来ると数名の外套を着込んだ“荷物”達が一緒になって魚を釣っていた。
しかし、漂着して使っている桶には未だ魚は3匹程しかおらず。
大きなものは一匹のみ。
桶は他にも幾らか置かれていたが、其々に数匹入っていても、まったく数十人分の腹を満たすには足りないというのが解るだけであった。
「釣れていますか?」
「おや、お姫様かい」
外套姿の男女が4人。
声を上げたのは妙齢の女だった。
頬に碧い入れ墨が掘られていて、それが東部の現地部族のものであると薄っすら知識で知っていた彼女は頭を下げる。
「ご苦労様です。お魚も順調に連れているようで安心しました」
「はっ!! ご苦労なこった」
フードを脱いだ女はくすんだ赤毛を短く刈り込んだ鋭い目付きの猛獣。
あるいは生き様そのものから野生というものが感じられる気配であった。
小柄ながらも俊敏な身のこなしは明らかでフィーゼが少し気圧されて後ろに引き気味になる。
「ええと、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あたしはミランザ。ミランザ・ベルギウ。見ての通りだよ。こっちはレーズ、そっちはナーズ。あたしの弟達さ」
フードを脱いだ少年達が彼女に頭を下げる。
大人しそうな黒毛で少し怯えたような視線のレーズは背丈も低く。
逆に何処か姉に似ている赤毛のナーズは何処かおずおずと彼女を見定めるような視線で警戒していた。
「ええと……」
そこで彼女が1人未だ釣り糸を垂れている相手を見やる。
「ああ、そこの喋れねぇのは船長が拾ったのだよ。何かさせておこうと思ってねぇ」
「彼が……」
「弟達と歳も一緒くらいだし、10から12、3くらいかい?」
キロリと彼女をミランザが見やる。
「で? 没落貴族の姫様が何の用だい?」
「日没までどれくらい釣れるもなのだろうかと。捜索隊が持ち帰る食料と合わせても別ける程にあればよいのですが……」
「見ての通りだよ。数時間でそこそこだ。ここら辺は漁場もいいんだろうさ。でも、そこそこでしかない。まだ温かい内は釣れるけど、これがもしも冬になったりしたら、どうなるかは分からないね」
「解りました。では、捜索隊が返って来てから、食料の取り分は決めましょう。それまでに釣った小魚などは焼いて食べても問題ありません。子供達にどうか食べさせてやって下さい。もしも、文句を言う者がいれば、わたくしに」
「……すぐに寄越せと言って来ないのは評価してやってもいい。だが、アンタみたいな小娘。こいつらと同じような年齢のアンタにあの連中が取り纏められるかい?」
「……努力致します」
「それでどうにかなればいいけどねぇ」
肩を竦めたミランザが再び背中を向けて糸を垂らし始める。
それに倣って弟達も頭を下げてから続いた。
「………あの」
少し迷ってから、彼女が今まで反応しなかった拾われた少年に声を掛ける。
それに気付いた少年が振り返り、岩場から立ち上がった。
衣服は船長が与えたものなので水夫達のおさがりでボロボロだ。
外套も余っていた自分のものを船長が与えた為、少し背丈は足りていない。
「こ、こんにちわ」
「………」
頭を下げた彼女に向けてフードの内側から少年が視線を向けて、ペコリと頭を下げ返す。
「大丈夫ですか? 苦しくありませんか?」
だが、尋ねられても言葉が解らないのだったと彼女が少し考えてから自分の胸を摩るようにしてから、少年の胸を摩るような仕草をした。
「っ……」
そこでようやく大丈夫かと聞かれているのを察したのか。
少年が頷く。
ようやく通じ合ったと彼女が安堵した。
「ああ、その子の事だけど、頭は良いよ。魚を数えてたからね」
「そうなのですか?」
ミランザが続ける。
「それとその子が此処を教えてくれたんだ」
「教えてくれた?」
「釣り場だよ。何処で釣ろうかと思ってたら、その子が此処を見付けて来たのさ。目端は利く。後、生っ白い肌と黒い瞳をしてんだ。外套外してみな」
「は、はい。ちょっと外しますね」
外套のフードを剥がせば、確かに彼女の目にも白い肌に黒い瞳が見えた。
黒髪は少し長く。
跳ね乱れている。
だが、顔立ちは何処か子供っぽいのに美しいと言える程度には整っている。
少年のようには見えるが、少女のようでもあり、体付きは何処か平坦だ。
「どっかの貴族の子か。あるいは海神様に捧げられた生贄かって感じだろ?」
「そんな……失礼ですよ」
「解りゃしないよ。完全に言葉は解らないようだったからね。喋りはするんだ。名前を教えりゃね」
「そうなのですか? ええと、では……わたしはフィーゼ、フィーゼです」
身振り手振りで自分を指差して彼女が教え、人差し指で今度は少年を指す。
「名前は何? 名前。わたしはフィーゼ……あなたは?」
「―――Sosyあ」
「え?」
「そーしゃ。あーるてぃーえー・そーしゃ」
「アルティエ? アルティエ・ソーシャ?」
「あら? 名前なんて喋れるのね。名前って聞いても何も言わなかったのに……気に入られたんじゃないかい? お姫様」
揶揄うミランザに構わず。
少女は自分よりも背丈の低い少年に視線を合わせる。
「フィーゼで構いません。アルティエが貴方の名前なら、ちゃんと呼んであげるべきですね。これからよろしくお願いしますね。アルティエ」
「………」
少年は彼女の笑顔に頷いた後。
再び、釣り糸を垂れに戻る。
そして、彼女が去った後。
しばらく、空を見上て。
「アンタ……さっきから何数えてるんだい? アルティエ」
「………きた。これは……」
ヒットした釣り竿が跳ねた瞬間。
少年は何も言わず。
ただ、海辺で拾っていたダガーを腰から取り出して。
「は!? ちょ、アンタ!!? 一体、何や―――」
そのまま海へと飛び込むのだった。
*
少年は海の最中、残り20秒間の行動で出来る最善の事をした。
釣れた得物はすぐに深海へと逃げ込もうとしているが、その煌びやかな鱗は七色に輝いており、逃げようにも釣り竿は岸壁に固定化されていた。
その僅かな糸が切れる瞬間より先に彼の手に握られたダガーが2mはある魚影のエラに突き刺さり、そのまま頭部の骨を切断するように切り裂く。
同時にすぐ魚影を掲げて、顔が赤くなったままに少年が必死にバタ足で岸壁に向かって進み。
失神する寸前。
ザパッと海の得物を掴んだままに海中に伸びた細腕で外套を引き寄せられた。
知らぬ合間に釣り糸が外套に引っ掛かっていて、それをベルギウの弟達が引っ張っていた。
「何やってんの!? 死にたいの!?」
引き上げた細腕が少年を岸壁に放り出す。
だが、しっかりと頭を落した魚体は腕の中だった。
「おねーちゃん!! おっきいよ!!? コレ!!」
「ホントだ!! すげー!! お前これ一人で仕留めたのか!?」
弟達がはしゃぐ最中。
ミランザが思わず片手で相手の頬を叩こうとしたが、巨大な魚体を見て、仕方なさそうに溜息を吐いた。
「心配、掛けんじゃないよ。すぐに医者先生のところに行って、見て貰いな」
「………」
しかし、その言葉も耳に入っていない様子で片手にしていたダガーが振りかぶられ、腹が掻っ捌かれると内部からキラキラした小石のようなものが出て来た。
「何だそれ!?」
「ねーちゃん!! キラキラしてるぜ!?」
「……アンタ、それが欲しかったのかい?」
「あげる」
「え?」
七色の魚体が岩場に置かれたまま放置され、釣り竿をミランザに渡した少年は手に持った石を以てトテトテと医者のいる幕屋へと向かっていく。
「……解んない子だね。ありゃ」
「おねーちゃん!! これ美味そうだよ!!」
「だよなー。これ美味そう!! 自慢しようぜ。大人連中にさ」
弟達がはしゃぐ様子を横目に彼女は良く分からない少年の背中を視線で追うのだった。
そんな姉弟達を背後にして少年が歩く途中に魚の内臓から取り出した光る石のようなものを頬張って嚥下する。
すると、僅かに腹部が輝いて、その輝きが血管に乗ったかのように全身に瞬間的にブワリと広がってすぐに消える。
その瞬間を見ていた者は誰もいなかった。
「―――賢者の石(寄食)。知能キャップ開放。基礎レベル向上。最低値64固定……基礎知能型ステータスの向上ポイント乗算変更完了」
ブツブツと呟きながら少年がその脚で向かったのは森だった。
早足にあるきながら幕屋の横を通り過ぎた少年は濡れた外套もそのままに周囲を見回して、進行方向をすぐに定めて歩き出した。
歩きながら、横合の草や樹木の一部を刈り取りつつ、口に放り込んでいく。
「アルメイカ草。攻撃力1%上昇(再上昇不可)。ボレント果樹皮。防御力1%上昇(再上昇不可)。クラーブ小蟲(生食)。赤血球増殖率1%上昇(再上昇不可)―――」
ブツブツと呟きながら、少年は手当たり次第に樹木や草やそれに付いていた小さな蟲を噛み潰しながら、森の奥へと早足で進んで行く。
その方角は少なからず山岳ではなく。
より深い森の奥へと向かう道であった。