流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて- 作:Anacletus
「あふ……もう朝か」
大欠伸をした半魚人の男がムクリと起き出して、その野営地の水夫達が使っている守備隊の寝所から朝の水浴びに向かった。
野営地は昨日のお祭り騒ぎが嘘のように静まり返っている。
船長が半分魚の姿で戻って来てビビった水夫達であったが、中身がまったく変わっていない事を理解してからは泣くやら感動するやらして忙しく。
最後にはアマンザに酒を出させて宴会となった。
その最中で船長とウリヤノフは必要な事を全て話合い。
折り合いが付いた後は飲み明かしたのだ。
「ん~~半魚人ねぇ。此処が化け物の宝庫ってんなら、人間は一番の化け物じゃないかと思うんだが……」
男が自分の手に見えるシャニドの印を見やる。
「ま、いいか。とにかく船が無きゃどうにもならねぇし、こいつらを仕切るのもオレの仕事と……後は港の整備に……遠征隊、か」
バシャバシャと川を引き込んだ水場で全身を洗った男が酒気を吹き飛ばすように布を肩に張り付けて蒼空を見上げる。
「愉しくなりそうじゃねぇか♪」
男はそうニヤリとして、眩しそうに朝焼けの見える海岸線に目を細めたのだった。
―――野営地東部鍛冶場。
「了解した。つまり、蜘蛛で足りない仕事の人手を補い。人の行けない場所を回って来ようという事だな」
「鳥を蜘蛛に出来れば、空飛ぶ蜘蛛になるかもしれない」
「……呪紋で更にその景色を覗ければ、島の全体像が見えるかもしれんな。良い案だが、あまり使い過ぎないように忠告はしておこう」
「解ってる」
「海側の蜘蛛の事は通達しておく。海の見張りは今おざなりになっているから有難い話だ。船長の話も聞いたが、やはり呪紋を得たせいで生き延びたと考えるべきだな。もしも、北部に人がいるなら、呪紋は案外多くが持っているのかもしれん」
ウリヤノフとの情報交換を終えて、少年が今日も西部に向かうからと集めて置いた遠征隊の下に戻る。
手を振ったフィーゼを横に彼らが全員で向かったのは浜辺だった。
「おぉ、これが貝蜘蛛」
レザリアがツンツンと一匹の手のひらサイズの蜘蛛を突く。
蜘蛛はすぐに少女の手から昇って頭の上に乗った。
「あの蜘蛛の眷属とか考えるアレですけど、小さければ……カワイイ? う~~ん。どうでしょうか?」
フィーゼがじっくりと蜘蛛を見つめて目を細める。
「オレ達にとって害じゃなけりゃいいさ。後、その蜘蛛脚とか言う物騒な剣の取扱いだけは慎重にして欲しいもんだが……」
「でも、ソレ蟲には効果が無いのですよね?」
フィーゼの言葉に少年が頷く。
「蜘蛛以外の敵。人型の敵、ですか……」
「その大喝オジサンとか言うのもそうだけど、こっちを殺そうとしてくる人って北部じゃ気を付けないとダメそう」
レザリアがそう結論した。
「人間の敵は所詮人間だ。元奴隷拳闘出のオレから言わせればな」
「ガシンさんはそう言えば、拳闘をしていたのでしたか?」
「まぁな。興行主をぶっ飛ばして流刑だ」
「どうして殴ったのですか?」
「オレが贔屓にしてた女を無理やり泣かそうとしてたから、もう二度とモノが使えないようにしてやっただけだ」
「「うわぁ……」」
レザリアとフィーゼがその言葉に思わず同じ言葉を呟く。
その時だった。
貝蜘蛛の一つから視界が送られてくるのを少年が即座に受けて、海側の空に黒い塊がやってくるのを確認する。
「敵が来た」
全員が顔を引き締める。
「何ですか? 蟲ですか?」
「これは……鳥類に見える。でも、鳥じゃない」
少年が目を細める。
それは彼が知る最初の襲撃者では無かった。
「鳥じゃない?」
少年が貝蜘蛛の一部でウリヤノフに敵が来た事を文字を書いて知らせる。
「数百匹くらいる。飛ぶ蛭みたいなの」
「飛ぶ、蛭?」
言っている傍から浜辺の空に黒いものが見えるようになっていた。
今まで塊で移動していた為、分からなかったが40m程の空間に密集した何かが甲高い奇声のようなものを上げながら上から相手を狙って急降下してくる。
それを少年が蜘蛛脚を鞘から引き抜いて切った。
すると、すぐにビチビチと跳ねた一部のソレが黒い翼を持った蜘蛛のようなものに変貌していく。
「蟲じゃない。これなら行ける。クナイ投擲!!」
少年が言っている傍からガンガンと鐘楼が鳴らされた。
鍛冶場で造られていた緊急を知らせるものだ。
「こ、この黒いの口が丸くてギザギザしてる!!?」
「オラァ!!」
次々に飛来する翼持つ黒い蛭を軽く傷付けるようにして切りながら、少年がその最たる怖ろしい能力を一部遠方に見た。
水夫の一人が噛み付かれた瞬間に麻痺したように動けなくなり、それに群がろうとした化け物の群れが猛烈な横殴りのこん棒で薄黄色の血飛沫になった。
「オイ!! 立てるか!! 立てねぇなら下がってろ!! 食われるぞ!!」
半魚人。
船長が襲い掛かって来る鷲程の大きさの翼持つ蛭を次々にこん棒で薙ぎ払う。
こん棒というよりは削り出す前の丸太と言えばいいだろうか。
少し細い木は撓りながら振り回した船長の周囲から敵を吹き飛ばし、ソレが血飛沫を上げてグチャッとした肉塊として落ちていく。
「す、すげぇ……あの人、本当に規格外だな。船の中でも思ってたが」
「感心してる場合じゃないですよ!!」
次々に襲い掛かる蛭達をクナイで爆破して落としながら、フィーゼが叫ぶ。
「【不可糸】」
少年の言葉と同時に周囲から大量の糸が野営地各地で貝蜘蛛達の手によっても吐き出されて、見えない糸に引っ掛かった蛭達がバタバタと数秒羽ばたいて逃げようとしてクテッと生命力を吸われてボタボタと地面に落ちていく。
蜘蛛糸は使った後から蜘蛛達が手足を器用に使って回収し、球のようにして背中にくっ付け、次々に蛭達を迎撃していた。
その頃には少年達の周囲には大量の蛭の死骸と同時に羽搏き始めた翼持つ蜘蛛が十匹近く対空する。
ソレは蛭だったとは思えぬ程に黒い甲殻と甲殻で出来た翼を持っていた。
だが、脚の付け根がグチャァッと開くと内部には蛭の口らしきものが存在しており、乱杭歯が凶悪そうだ。
「……やっぱり可愛くない」
レザリアがボソッと呟く。
「【不可糸】の使用を許可。全ての飛び蛭を糸で狩るように」
少年の言葉を受けて、飛び立った蜘蛛達が、虚空で糸を吐き出しながら、今さっきまで同族だった敵を糸に絡めて生命力を窮して駆除しながら、それをクルクルと脚で撒いて回収するという地道な作業に入る。
野営地のあちこちで上がっていた悲鳴はその合間にも少なくなり、数分もせずに人の声だけが上がるようになっていた。
「大丈夫かぁ!!」
水夫達の一人が野営地の中心部からやってくると少年達に状況を説明する。
「何人か噛み付かれたが、命に別状はないって医者先生が今は怪我人を見てる!! 全部倒したかどうか守備隊が見て回ってる!! あいつら次々にボトボト落ちてたのが確認されてる!!」
水夫が再び野営地のあちこちに連絡する為に走り去っていく。
「おう!! 坊主。どうやら無事みてぇだなぁ!!」
「船長。怪我無い?」
「ははは、この程度で怪我なんぞするかよ。見た事ねぇ鳥だったなぁ」
半魚人が大笑いする。
「オーダム船長。恐らく、野営地の上に立つ人達が集められます。診療所の方に行きましょう」
その部下達の言葉に頷いて巨体が会議の現場へと向かっていった。
「あんま、そういうのは興味ねぇが、仕方ねぇ。ウチの連中も被害受けてっからな」
それを見ていた遠征隊も共に診療所に向かう。
すると、エルガムが忙しそうに修道女のヨハンナと怪我をした水夫の守備隊の傷口へ薬を塗るやら包帯を巻くやらしていた。
「済まんが、まだ行けそうにない。奥でウート殿やウリヤノフ殿が待っている。そちらで話して来てくれ」
奥の部屋にあるテーブルの周囲には全員が集まっていた。
「おお、来たか。フィーゼ。ケガはないな?」
「はい。父上」
「それと船長。活躍していたと聞いている。ご苦労だった」
「そりゃあいいがよぉ。何でこのバケモンをテーブルの上に?」
「ああ、ウリヤノフの旦那が気に為る事があると言っててな」
カラコムが襲って来たソレを難しい目で見やる。
空を飛ぶ黒い蛭の死骸がテーブルの上のトレイには載せられていた。
「今、守備隊に生き残りがいないか確認させて、死骸を浜辺に集めさせていますが、戦った時に妙な事に気付いたのでこうして」
ウリヤノフが外科用のナイフを握って蛭に突き立てて、内部を露出させるように開いていく。
「あん? 何だこりゃぁ……」
「何もねぇ」
「内臓が無い?」
オーダムにガシンが驚いた様子になる。
「ええ、生物なのに内臓が無いのは不自然。その上、痺れ薬のような効果のある口なのに攻撃力は左程ではなく。一度噛み付かれた程度では致命傷にも程遠い。それから、翼を見て下さい」
ウリヤノフが翼をナイフで開く。
「こりゃ金属か?」
「ええ、翼を両断した時の感触から見て鉄の類でしょう」
ズルリとウリヤノフの手が手袋越しに翼の骨格を引き抜く。
「こんな事が出来る力を今のところ我々は呪紋以外に知らない」
すると、内部からは金属の細い針金のようなものが出て来た。
「何らかの呪紋で生物を変質させ、空飛ぶ戦力に仕立てる。正しく、彼が持つ蜘蛛脚のような事をしている者が存在すると考えます」
少年が鞘に収まった剣を見やる。
「つまり、人為的なものであると言う事ですか?」
フィーゼにウリヤノフが頷く。
「解った。つまり、これは自然に動物が飛来したのではなく。何者かが野営地を狙ったと考えていいのだな? ウリヤノフ」
「はい。主の仰る通りです」
ウートの言葉に肯定が返った。
「そうか。流刑者を襲うのが化け物だけではなく人間もとは……いや、在る意味では自然かもしれんな」
ウートがそう息を吐いた。
「解った。この事実は皆に知らせておこう。幸いにして北部には人がいるという事も分かっている。ニアステラや西部フェクラールにも人気は無いとなれば、何処かの地方の何者かが野営地を狙っている。と、言えば説明は付くな?」
「はい。それが一番良いかと。まだ余計な事は考えさせるべき時ではありませんが、危機は周知しておくべきでしょう」
その言葉に2人の内心では犯人がもう解っていそうだと感じて、少年が蛭の構造を見つめつつ目を細めた。
「呪紋持ってる身内を疑ったら結束が崩れる。それでいいんじゃないかとオレも思いますよ。ウリヤノフ殿」
カラコムの言葉にレザリアが何を相談しているのか分からないという顔であった。
「レザリア。呪紋を使う人ではなく。他の地方の人が狙っていると言わないと、わたくし達が疑われたり、疑惑の目で見られてしまいます」
フィーゼの言葉になるほどーという顔になる少女である。
「ああ、そういう……ボクそういうのは詳しく無いから……」
こうして外部からの人為的な悪意ある襲撃という事で今回の件は片付けられ、死骸は集められた先から希少である金属を抜かれて浜辺の深い穴に埋められる事になるのだった。
*
色々と片付いた夕暮れ時。
穴を掘るのを手伝ったり、襲われた人間に薬を投与したり、少し壊された一部の施設の補修や修繕、死体処理後の掃除に野営地の全ての人員が駆り出され、一日でほぼ全てが終了していた。
今日は疲れたと言わんばかりの水夫達は半魚人な船長オーダムに労われて、今日は程々にしておけと言われつつ、酒を煽っている最中。
他の者達も疲れた者はもう家屋内部に入って、いつもならば散歩している者もいる浜辺には夕暮れ時というのに人気は無かった。
「で、どうするの? アルティエ」
バッサバッサと羽搏いて、彼らの前に着陸したのは10匹の空飛ぶ蜘蛛である。
甲殻は黒く。
翼も硬く。
ついでに浮かんでいる様子なのに羽搏きは見合わない程に小さく。
「空飛べる?」
〇。
「自分で魚とかの食糧捕まえられる?」
〇。
「海に潜れる?」
×。
「何か特技ある?」
空飛ぶ黒い蛭蜘蛛達が顔を見合わせるようにしてから、地面に降り立ち。
岩に向けてフシュッと軽い霧吹きのように液体を噴霧する。
すると、その岩に張り付いていた小さな蟲がポテッと岩肌から落ちた。
「麻痺させられると」
〇。
「じゃあ、半分は此処の貝蜘蛛と一緒に三交替制で野営地周囲の監視と同時に今日みたいな事があったら、みんなで護るように」
半分が傍にいた貝蜘蛛達に合流して何やらコミュニケーションを取り始め、もう半分が少年の前にやってくる。
「後の半分は遠征隊と一緒に遠出で。集まるまでは貝蜘蛛達と一緒に休んでいい」
「「「「「(`・ω・´)ゞ」」」」」
蜘蛛達は律儀に敬礼して貝蜘蛛達に混ざっていく。
そして、イソイソと遠征隊の前から消えていくのだった。
それを遠くの浜辺で見ていたリケイが埋められた化け物達の大穴を足元に見やる。
(外界から来たにしてはあまりにも一直線に此処を目指していた。それにこの島の風もまた島を封鎖しているはず……ならば、これを用いたのは島の外部からの来訪予定者。先遣隊が傍まで近付いて来ているかもしれませんな)
彼が茫洋とした空の先を見る。
まだ見えぬ何者かを見据えるように。
そして、その先の先の先。
未だ島に辿り着かない一隻の船があった。
その異様な巨船には教会の紋章が描き込まれている。
木造だと言うのならば200mを超える船体には山一つ分の樹木を使っても足りないだろう事は間違いない。
しかし、何処か潮風に色褪せた船体には風格があり、海賊が消えて久しい海には国家同士の大海戦でも無ければ、不釣り合いな代物であった。
「サヴァン司教。ご報告が」
白い制服に薄い灰色の外套を着込んだ男達の最中。
甲板で訓練に励んで木剣を振るう教会騎士見習い達を眺めていた男が背を預けていた壁から離れて、小さな伝達用の紙片を確認する。
男の顔は剥がれており、鼻が無いし、肌も無い。
ただ、カサブタのように薄い被膜の張ったノッペリとした顔は夜ならば、虚空を思わせて赤黒いだろう。
「………呪紋の効力消失。つまり、操獣が破壊されたと?」
「恐らくは……今回の遠征におきましては大司教閣下から入念に物資を受け取りましたので通常の一個中隊程度ならば全滅させる量を送ったのですが……」
「秘匿されていた流刑者処刑用の獣では足りないわけですか……」
「はい。帝国の司教連からは念入りに全滅させるようにと伺っており、周辺海域にも通達を出して、余計な船が物資を持って難破というのも考え難く」
「消えたのは海岸線沿いという事ですが」
「間違いありません。我々も島の内部に立ち行った事はない為、多くは解りませんが、南部一帯のニアステラで流刑者が生き残って力を付けているとすれば……」
「呪紋を用いる術者が欠かせない?」
「左様です」
連絡役の男が頭を下げる。
「次を送る時は上陸直前にしましょう。我らの使命は教会に仇為す流刑者達の殲滅だけではない。教皇猊下からの秘達もあり、上陸を失敗出来ない。最初期の排除は……」
サヴァンと呼ばれたスキンヘッドの色白な男は白い制服姿のまま甲板の端を指差した。
「彼らに任せましょう」
「ッ―――神聖騎士様のいる部隊をですか!? い、聊か過剰では?」
「過剰であればいいと祈るばかりだ。後6日で到達する位置……船を沖に停泊させた後、島への上陸は慎重に行って下さい。周辺の浅い場所にある岩礁などはこちらで対処します」
「了解致しました」
「我ら先遣隊がもしもしくじれば、合流しつつある後方本隊の揚陸にも支障が出る。出来る限りの事はせねば……」
頷いた伝令役がすぐに甲板の方へと去っていく。
「さて、情報では彼の御仁が流刑者に紛れているとの報告もありますが、本当にいるのかもしれませんね」
男が神聖騎士達の間で出回る手配書を確認する。
そこには老爺の顔が掛かれていた。
「前科5493犯。術師を増やす無法の徒【魔の布教者リケイ】……次は逃がしませんよ。この貌の貸しもありますしね」
男が手配書を折り畳んで懐に入れる。
そして、自分も鈍らないようにと横に置いていた木剣を握って甲板の新米である教会騎士達の間に混ざっていく。
『サ、サヴァン司教がお越しになられたぞ!? け、稽古をお願い致します!!』
「ああ、硬くならないで。どの道、稽古という程のものは付けてあげられません。君達のような新人を使い潰したい任務でもあるまいし、君達は取り敢えず―――」
木剣が振られて3分後。
221人程の新米騎士達は倒れ伏して血反吐を吐いて、急いでやってきた術師達の呪紋による治療を受けながら船内の病床へと運ばれていった。
「これで一応、死ぬ恐ろしさくらいは解って頂けたでしょうかね。ルラン君」
顔の無い男が汗を手拭で拭きながらニコヤカに微笑む。
それが分かるのは昔からの馴染みくらいだろう。
甲板の縁で新米達を眺めていた部隊の中から20代程の青年がやってくる。
金髪碧眼。
ついでに言えば、美形が僻むような絵に描いた王子様のような男であった。
「サヴァン司教。無暗に戦力を傷付けないで頂きたい」
「これから死ねと言われる可哀そうな新米教会騎士の卵を護って上げたつもりなのですがね。ルラン・フレイズ隊長」
「はぁぁ、鬼難島。それほどですか?」
男ルランが溜息を吐いた。
「こっそり行った部隊の最後の呪紋での連絡では『此処は地獄だ。蟲の地獄……アレはなんだ!? 蜥蜴、いや、アレは!!?』みたいな会話があったそうで」
サヴァンの肩が竦められる。
「蜥蜴? まさか、竜ですか? あの頃の生き残りが? 当時の事は未だ知らされていませんが……」
「可能性はあります。あの島へ数百年前に流刑された竜皇の一族の顛末は未だに分っていません。当時の上が何一つ残さず逝きましたからね。一緒に送られた角の騎士の事も不明です……」
「なるほど。紅の元大司教が派遣されるわけだ。【大移住】の頃の事もこちらは知りませんが、またロクでもない秘密ばかりなのでしょうね」
ルランが胡散臭げな顔になる。
「まぁ、よくある事です。それに今は私も一から出直している最中。ああ、大司教の時の特権は良かった。毎晩、美女と美酒に酔いしれて、適当な権力者を懐柔してればいい日々だったというのに♪」
呆れた視線がサヴァンを見やる。
「生臭坊主と本国の司教連で噂にされる程度には俗物なのも貴方の良いところだと思いますよ。ええ、昔のように切った張っただけでは大陸も回せないのも分かりますから……」
「それ褒めてます?」
「勿論」
その返しにサヴァンがクツクツと笑う。
「この数百年で神蟲の加護を受けた者も大陸連中との戦いで50人を切っている。この人の世が進む時代にあの頃のような暗さはもう要らないというのに……それが分からない連中が多過ぎる」
「ならば、我らもソレに手を出すべきではない。とは考えないのが教会の性ですか?」
「まぁ、五大災厄を幾つかを討伐したとはいえ。結局は時間稼ぎ。我ら人の技術が奴らを駆逐するのが先か。それとも我らがあの暗黒の時代そのものである呪紋や奴らに駆逐されるのが先か。そういう盤上遊戯なのですよ。世界は……」
「相変わらず教皇猊下に睨まれそうな事を……」
「まぁ、あの位を押し付けた手前。我々に何かを言う資格はありません。本隊到着前にニアステラを確保。それが不可能と判断したならば、別の揚陸地点を選定せねばなりません」
「……失敗すると?」
「勘のようなものです」
「解りました。現場は預かりましょう。独自の判断で後退や撤退指示は出させて貰います」
「では、失礼。今日も修道女達との教書の朗読会がありまして」
「羨ましい程の精力、是非とも加護に与りたいものだ」
甲板で二人切りで話す男達。
その親密さは正しく堅き友誼の徒と見える。
『あの2人が出来てるって噂知ってる?』
『こら、聞こえるぞ。あのお二方は昔からの馴染みだそうだ』
『おぉ、肉欲に溺れた大司教と美しい少年の物語。というのはよくよく近頃聞かれる噂なんだがな』
こうして静かに物事は進んで行く。
船はゆらりゆらりと揺れながら進む。
ニアステラに鉄血の雨が降るのは左程遠い日の事ではないに違いなかった。