流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第58話「ヴァルハイルの鋼塊Ⅶ」

 

―――2日目。

 

 少年が目を覚ましたと同時に付けていた制服のままに起き上がって走り出した。

 

「おや、今日は学校は休―――」

 

 少年が瞬時に館の前から跳躍し、不可糸で体表を覆って生命属性変異呪紋【総色】によって周囲の風景を映し出して溶け込みつつ、背後のエルミとフェムを連れて建物の上を走り出す。

 

「どう?」

 

『1日前の記憶はあります。また、精霊に聞いてみましたが、昨日の記憶は無し。ただし、前に仕事を頼まれた事は覚えていましたよ』

 

「……直接接触以外でもこちらの依頼なんかで積み重ねた事はそのままで記憶は一部引き継ぐ?」

 

『恐らく。現在、昨日の段階で付けた傷の9割を確認。ただし、こちらが付けた生物への傷は確認出来ず』

 

 この周辺にいる蟲の一部にマーキングしたフェムが一部に目印となる生命に危険が及ばないような傷を付けていたのだが、報告された結果から少年は数多くの事実が浮かび上がるのを感じた。

 

「個体名称ナイテは?」

 

『どうやら最初から病院で傷が治った状態で運ばれていたようで今日退院すると。精霊によれば、殆ど能力に支障はなく。症状所見の記入にも最初から仮入院と記載があります』

 

 都市中の精霊達を前日行った場所に向かわせ観測結果を次々に報告を上げるフェムの言から現実の一部が書き換わっている事を少年は実感していた。

 

『本日の日時も昨日と同じ。ですが、変化させた事は変わらず。最初からそうなっている。もしくは変化後の状態が現行に持ち越されていると考えてよいかと』

 

「戦域の方面は?」

 

『………昨日の時点で計画が繰り上がり、アルヴィアによる作戦も成功。また、グラングラの大槍が既にオクロシアへと運び込まれています』

 

「……高都以外にも影響がある?」

 

『はい。どうやら高都以外でも我が契約者が指示して変化した事には積み重ね、蓄積が発生している様子です』

 

「……いきなり発生したじゃなくて、もう終わった。なら、その計画の期日に付いても昨日より前に終わってる扱いになる?」

 

『現在、オクロシアの精霊を掌握してみましたが、今の予想通りのようです』

 

「……マズイ」

 

『はい?』

 

「直ちにニアステラ方面で昨日準備を終えた遠征隊に遠征休止命令。代りに今から新しい訓練を追加で」

 

『ああ、そういう事ですのね。我が騎士の命令で誰か死人が出たら昨日に追いやられて強制固定されると』

 

 エルミが少年の言葉を理解して「なるほど~|と頷く。

 

「遠征隊が死んだ場合、遠征隊が死んだ状態で昨日に回されると復活が難しくなる」

 

『昨日の時点で準備が完了した旨が夜に報告されていましたわね。そう言えば』

 

「しばらく、訓練漬けにしておく」

 

 少年が空を跳びながら、再び空に向かって高く飛び上がり、不可糸の巣を通してあらゆる場所の音を収集した。

 

 しかし、今度は一切フラ付かずに地表の建造物の上に着地する。

 

『我が契約者。今のは?』

 

『頭が二つ無きゃ出来ないなら増やせばいい』

 

 フェムの言葉に少年が自分の頭を指差す。

 

『密度が問題なのではありませんか?』

 

『霊力による物質の半霊力化の要領で重量を減らして密度を増やした』

 

『つまり、頭部を常に?』

 

「昨日実行してみた。脳の質量の凝集と再編。寝てから起きるまでの6時間経過中に全て完了」

 

『随分と無茶をなさいましたね……』

 

「大脳の容積5021%上昇(再上昇可)。密度5802%上昇(再上昇不可)。重量5002%低下(再低下可)。霊力による物質の変質で頭蓋骨も補強した」

 

『相変わらず何か無茶ですのね。やれやれですわ』

 

 エルミが溜息を吐いて肩を竦める。

 

『昨日よりも増えて呪紋の同時並列処理数が今23万くらいになってる』

 

「もう笑うしかありませんわね。それ何に使えますの?」

 

『容量一杯まで呪紋を待機状態にしておける。魔力を込めた状態の呪紋を脳裏に置くだけだから、事実上予備動作無し、無詠唱、溜め無しで使った端から打ちっ放しに出来る』

 

『どんな呪紋も?』

 

「どんな呪紋も……オネイロスは呪紋を譜律で構成する手間がある。でも、最初から紡いで魔力を充填しておいたものを脳裏に置いておくだけなら手間が掛からない。呪紋を待機させておく呪紋が呪紋1つに付き1つ必要」

 

『つまり、事実上どんな呪紋も11万とちょっと連発出来ると?』

 

「各種の呪紋の予備。常駐型の予備。他諸々でそこまで連射出来ない。それと今、遺跡の転移呪紋と符札に込められた譜律の複製で大量に呪紋を紡いでる。この呪紋一つで他の100近い呪紋と同じ容量。これがあれば、もしもの時も安心」

 

『今サラッといつでも符札無しで戻れるって言いました?』

 

「そう言ってる。逃げる時にも使える」

 

 2人が自分達の少年はまだまだ強くなるのかという顔になった。

 

『我が契約者。それで今日は?』

 

「悪党成敗」

 

『悪党?』

 

「軍とか警察以外の面倒な呪紋を使ってる奴を全部狩る」

 

『ああ、高都攻略時の障害を排除するのですね』

 

「そう……高都の継続中の災害とか、特殊な殺人事件とか、まだ少し残ってる本当の裏組織の切り札みたいなのを数名墜とせば、後は妨害に為り得る相手が消える。それと害虫と覗きと蒙昧なのもどうにかする」

 

『では、参りましょうか……ふふ、正しく我が契約者は正義の味方ですね♪』

 

 僅かに微笑んで少年の後ろでフェムが翅となって擬態している妖精蜘蛛達を震わせる。

 

 こうして、本日のお仕事が開始されたのだった。

 

 *

 

 ヴァルハイルの闇が薄っぺらい絵の具になってもこびり付いた頑固な汚れ染みたモノは今も存在する。

 

 大抵は一匹狼だったり、アンタッチャブルな存在だったり、要は基本的に孤独で厄介な性質を持つ者達という事になる。

 

 何かしらの能力が大そう高い連中というのは何処にもいる為、軍が引き抜こうとするのだが、それ自体を回避出来てしまう階梯の者は余計な労力であると見逃されるのだ。

 

 無論、それに該当する事件や現場というのも放置され気味だ。

 

 そして、そんな案件が紛れ込んでいるのは下町の工場群。

 

 その中でも再開発地区に指定された廃工場地区だった。

 

 昔はヴァルハイルの技術開発に使われていた地域も今は昔。

 

「いた」

 

 少年が法衣姿を改めて、黒い外套を羽織ってやって来た廃工場の奥。

 

 小さな呪紋が刻まれた炉が一つ。

 

 それに近付くとゆっくりとしているようで早く日が落ちていく。

 

 いや、落ちるというよりは時空間に対して干渉していると言った方がいい。

 

 ソレの出現と同時に周辺の一部領域が“世界”を映し出していた。

 

 それは記憶、もしくは記録と言い換えてもいいかもしれない。

 

 廃炉された煙突が今も工場の上に伸びる炉の中心。

 

 チカチカと燃える火が内部から工場全体へと回り、周囲を囲った時。

 

 ソレは顕現する。

 

「器物の呪霊……思紋機関の試作品を用いた第一号炉」

 

『ああ、例の技術が使われているという事ですわね。というか、何故そんなものが此処に?』

 

 エルミが首を傾げる。

 

「屋敷で遊んでる蜘蛛が見た資料に書いてた。呪紋を生み出す既存の譜律の組み合わせを全て試す為の試作機関が暴走したって」

 

『暴走……』

 

「周辺の廃工場は全部その時の事故が原因。国家の調査に拠れば、機関暴走時に使われた炉の譜律の数は凡そ4232種類。既存のヴァルハイルが持つ呪紋の情報を紡ぐ9割以上。暴走時に譜律の過剰な再試行が繰り返された結果、周辺領域全土で空間が歪む程の呪紋の影響下に入って、巨大な災害に見舞われた云々」

 

『ああ、そういう事ですか。我が契約者。それは無謀です』

 

 得心がいったという顔のフェムがそう肩を竦める。

 

「無謀?」

 

『呪紋の譜律の殆どは自然界から神々によって抽出された真理。世界を形作る法則を顕しています。その法則は通常の情報量では1文字で表せるようなものではないのですが、それを無理に簡易化したものが呪紋を構成する譜律なのです』

 

「つまり?」

 

『神々が初めて呪紋を作った時、この世界の法則そのものから譜律を描き出すのではなく。“譜律を描き出す諸法則を造って”対応しました』

 

「つまり、呪紋の基礎を造る法則がある?」

 

『ええ、ですが、自然界に元々無い法則である為、神々が定着させるのはかなり難しく。壊れてしまわないように限界を儲けたとか』

 

「限界。それって……」

 

『譜律というのは大抵がその法則に依存しており、大量の譜律を高速で魔力を使って多重起動し続けると譜律を描く法則側から法則保全の為に接続が切れて内包されていた情報が自然界の諸法則からの簡易化されていないものに切り替わる。これで呪紋は爆発的に情報量が増大し暴走するのです』

 

「もしかして法則が切り替わった呪紋が今も一定の処理を繰り返し、暴走しながら歪んだ時空間内で魔力も消費されず、待機状態になってる?」

 

『さすが、我が契約者。呪紋原理の呑み込みが早くて嬉しいです』

 

 パチパチ拍手している間にも炎に囲まれた彼らは黄昏時の火災現場の最中。

 

 周囲が燃え盛るにも関わらず。

 

 暴走を食い止めようとする工員らしき者達が次々に焼け死んでいくのを目撃し、その多くが“炎に食われていく”のを見る。

 

『やはり、ですね。あの炎は暴走した譜律から溢れ出た情報の具現。言わば、呪紋の本来の姿、その一面ですね』

 

『うわぁ……霊力を感じはしますが、呪霊にもなれなさそうですわね』

 

『勿論。それどころか。暴走した情報に取り込まれたせいで物理的な枠に捕らわれず、呪紋の消失まで延々と現場の情報として保存されて焼き付く影になってしまっているようですね。カワイソ♪』

 

 面白いものを見たフェムの地が出る。

 

 言ってる傍から少年達の周囲には大量の炎の人型。

 

 工員達の成れの果てが立ち上がる。

 

―――家で子供が待ってるんだ!!

 

―――帰らなきゃ……友達と飲む約束が……。

 

―――母さん、父さん、お元気で。

 

「……通常の法則下の情報が莫大過ぎて、処理が未だに終わらないまま、時空間の歪んだ世界で待機状態のまま立ち往生……了解」

 

 少年がパンと両手を合わせて、今まで貯め込んでいた呪紋を全て解消して脳裏から消しつつ、同時に両手を広げた。

 

『な!? それはさすがにむ―――』

 

 驚いたフェムが止めるよりも先にエルミがその体を引きずって後ろに下がる。

 

『やっちゃいなさい!! それでこそわたくしの騎士ですわ!!』

 

『貴女分かってるの!? もし少しでも間違えてしまったら情報に食われて、我が契約者も―――』

 

『信じなさいな』

 

『ッ』

 

『それが全てを預けた者の道理でしてよ?』

 

 ウィンク一つ。

 

 エルミの言葉にフェムが深く溜息を吐いた。

 

『……ヒトというのはまったく……』

 

 2人がそんなやり取りをしている間にも大量の炎が少年目掛けて雪崩れ込み。

 

 しかし、その炎を少年は呑み込むようにして体で受け入れていた。

 

 熱くない。

 

 しかし、その情報の具現が齎すものは莫大な処理の押し付けだ。

 

 不完全で洗練されていない機関では到底処理出来ない諸法則の具現。

 

 それが少年の内側に雪崩れ込み、正しく処理される為に脳裏に浸透し、破壊的な量の呪紋のタスクを開始させる。

 

 だが、今の少年ですらギリギリの情報量が常時雪崩れ込み。

 

 脳細胞というよりは半分霊力化された煌めく銀河染みた内部は炎の赤が伝染したように死者達の無念の思考、物理世界には無い完全な精神の断末魔までも再現して処理させていく。

 

「―――」

 

 愛する者に言葉を残した者がいた。

 

 苦しいと嘆きながら事切れた者がいた。

 

 激痛の中でそれでも誰かを助けようとした者がいた。

 

 誰もが幸せに死んでいけないとしても、少年は思う。

 

 こんな死に方ですらも、それでも気高い人もいる。

 

 無念を抱えても終わりの近付いても、命の限りに抗う者がいる。

 

 それこそが生命ならば、それを繰り返して今や感情すら希薄化し、言葉すら短くなってしまった自分は……本当に命と呼べるのだろうかと。

 

 だが、それでも少年の脳裏にある者達は決して色褪せない。

 

 自分が擦り切れても、この記憶だけは真実だ。

 

 そう今は無い世界を前にして、少年は思う。

 

「必ず、約束は果たす」

 

 それは蟲になっても自分を好きだと言ってくれた少女の為。

 

 それは運命を見て絶望して尚、自分に前に向かえと笑ってくれたお姫様のような少女の為。

 

 あるいは彼の為に身を挺して命を救ってくれた友の為。

 

 そう……今まで経験してきた全ての世界で彼が背負ってきた多くの人々の願いは未だ滅びていない。

 

 それは今も少年と共にある。

 

―――『行って下さい。次の私達をお願いしますね。大好きですよ』

 

―――『あ、ズルイ!! ボクだって好きなんだからね?』

 

 後、数秒で死に至る時にも血まみれで笑顔だった少女達。

 

 そんなフラッシュバックに溺れながら、でも……それがあるからこそ、自分は自分なのだと少年は希薄化していく自己を反芻し、取り戻す。

 

 世界の諸法則がどれだけの情報だろうと少年には関係など無かった。

 

 何故なら、その胸にある記憶が失われる事は決してないのだから。

 

 それこそが少年が初めて得た呪紋より能力より尚希少な絆なのだから。

 

『……そうか。我々は死んでいたのか。ありがとう』

 

 最期に少年はそんな終わり行く人々が自分を押し上げてくれる夢を見た。

 

 これは貸しだ。

 

 それは少年が誓う生き方として確実に貸しだ。

 

 だから、少年も己にまた一つ制約を課して元の世界へと戻っていく。

 

「―――神聖属性祈祷呪紋【見えざる権能】を解体。譜律抽出。高密度情報塊の処理用基礎ロジック改修開始。新ロジックを新規譜律で上書き……シャニドの印をアクティベート……【ナーカル・ロジック】形成」

 

 少年の額。

 

 第三の瞳の内部でゆっくりと方陣が描き出される。

 

 それは無数に連なり、無数に重なり、無限の宇宙に広がり続ける三次元からすらも食み出て通常次元を超越し、更なる高見の世界にはみ出していく象形。

 

 嘗て、譜律だったソレは散逸しながら、新たな形を紡ぐ為に螺旋を描いた円となり、円は球となり、球は増えてあらゆる情報を集約、列なる情報そのものが情報を処理する為のロジックに組み込まれていく。

 

「サンドボックスに外部の全コードを隔離、定義処置し、暫定起動……一部解析を終了。解析終了した【真淵譜律(アビス・コード)】をロジックに挿入。再処理開始……再試行、再試行、再試行―――」

 

 少年が呟く度に少年の第三の瞳の内部で光が高まっていく。

 

 通常では処理し切れない本当の譜律。

 

 世界の諸法則を自らの内部で処理し切った少年はソレそのものを用いて処理用のロジックへと挿入を幾度となく繰り返し、再処理を幾度も幾度も試行し、莫大な量の情報の処理と共に速度までも上げていく。

 

【ナーカル・ロジック】

 

 そうシャニドの印が名付けたソレが組み上がりながら少年の内部で限りなく既存の呪紋では在り得ない量の情報処理を可能にしていく。

 

 やがて、脳内の認識時間で2049時間後。

 

 カチリと少年の意識にスイッチが入った。

 

「処理完了―――」

 

『『!!』』

 

 上半身を起こすと少年の前には自分に抱き着いていた二機の呪霊機がいて、ようやく目が覚めた自分を心配そうに見ていた。

 

 周囲は廃工場に変わりなく。

 

 しかし、工場の中心であった炉は跡形もなく燃え尽きた様子で溶けた鋼材だけが其処にはあった。

 

 しかし、その中心に小さな小粒なビー玉のようなものが一つ転がっている。

 

「……夕暮れ?」

 

『もう……まさか夕方になるまで目覚めないなんて、悪い騎士ですわね』

 

『我が契約者……今回はさすがに背筋が冷えました。どうか、あまり無茶をしないで下さい』

 

「そう?」

 

『運命が見えても、それは絶対ではないのですよ』

 

「うん……」

 

 少年が起き上がる。

 

 しかし、その脳裏にはもう新たな呪紋が組み上がっていた。

 

『抗神属性神造呪紋【ナーカル・ロジック】を獲得。呪紋処理量42万%上昇。呪紋処理速度10の15乗%上昇(再上昇可)』

 

 少年がブツブツ言いながらもまだ情報の濁流に揉まれた精神的な衝撃が抜け切っていないからか。

 

 フラッとしたのを見て、二機が今日はこれでお終いにしようと少年の肩を担ぐようにして館へと戻っていく。

 

『まったく、わたくし達がいないとダメですわね。ふふ』

 

『契約者……お疲れ様です』

 

 少年の手にはビー玉のようなものが一つ。

 

 死に掛けたにしては安そうな戦利品が不可糸で丸められて握り込まれたのだった。

 

 *

 

 ベクトーラ・ラクドは根本的に仁義の人だ。

 

 それは彼の生き方にあると多くの組織の直系構成員は知っている。

 

 彼が最初に組織に入ったのはまだ10歳にも満たない頃。

 

 最初の地位は“奴隷の子”であった。

 

 高都の歓楽街には大量の非合法奴隷として北部の各種族の内、攫われ、誘拐された者達がやってくる。

 

 それも種族毎の美男美女という奴が大量とされる。

 

 そんな最中に奴隷として売られて来た娼婦の子供。

 

 それがベクトーラであった。

 

 父親は高都の高官。

 

 母親は奴隷の蒼い髪の少女。

 

 しかし、母親は少年を愛さず。

 

 少年は母親を愛したが、数年で死別。

 

 結果として組織の鉄砲玉にされた彼はまず何よりも自分が先頭に立って全ての鉄砲玉よりも前に出た。

 

 死ななかったのは彼の運と努力の賜物で彼の味方が増えた頃に彼の上という上がゴッソリと国に徴兵されて消え失せた事で今の地位が転がり込んで来た。

 

 故に彼は嘗て鉄砲玉だった同列のはずだった部下達から祭り上げられても決して投げ出さず。

 

 同時に歓楽街の頭に成り上がっても奢る事なく。

 

 それどころか。

 

 改革と呼ぶべきだろう事に着手して、早々に成果と名声と歓楽街の女や男達から信頼を勝ち得た。

 

 それも売らせる方ではなく。

 

 売っていた当人達からだ。

 

 結果として嘗ての者達はベクトーラによって、暗闘で処分され、鉄砲玉達に金勘定しか出来ない者達が勝てるはずもなく。

 

 一気に統制は進んだ。

 

 今や歓楽街は彼の城であり、組織の肥大化と同時にスリム化まで達成した彼の下には唸る程の資金源と資金を使うに値する問題が山積していた。

 

「ベクトさん!! 例の廃工場に異変だって連絡が!!」

 

「ああん? あの10年前の奴か? ええと、資料は……」

 

 前任者達が遺したファイルの入った棚をようやく整理し終えた彼が中から見つけ出した資料をすぐに読み込む。

 

「はぁ? オイ、オレは呪紋がんな得意じゃねぇが、こりゃ高都が吹き飛ぶ案件だろ……で? 異変って?」

 

「そ、それが……呪紋が周辺でまともに使えるようになったらしい!!」

 

「いや、それは異変じゃなくて、今までの変なのが治ったって事だろ?」

 

 歓楽街の一番高い大規模店舗の最上階。

 

 元歓楽街のボスの部屋でラクドが溜息を吐く。

 

「いやぁ、今までそれが普通だったから、そう言えば、そうだな。うん」

 

「オレは決済待ちの書類の処理で34時間寝てないんだが……」

 

「す、済まねぇ!! 取り敢えず、調査させてから報告する!!」

 

「ああ、ちゃんとお前も寝ろよ?」

 

 部下のクマを気にしつつ、頭を下げて走っていく背中を見送った夜の帝王(新米)は未だ高都に燻ぶる火種の数に頭を抱えたくはなったが、昨日選んだ幹部候補生達が少しは使えるはずだと明日からの仕事の成果を期待する。

 

「……で? 何でまだオレのとこにいるんだ? 聴きたい事は訊いたろ?」

 

「だ、だって、アンタが一番あいつに詳しそうだから……」

 

 アミアル・レンブラス。

 

 少年の事を嗅ぎ回っていた少女はあまりにも少年が神出鬼没なせいで結局、一番相手を知ってそうな会えそうな人物に対してアプローチを開始していた。

 

 ちなみに妖しい奴としてしょっぴかれた彼女が歓楽街で連れて来られたというのが正しかったが、話を聞いてすぐに少年が護っていた少女だと気付いたベクトは内部へと呼びよせて応対。

 

 勿論、すぐに話しを聞き終わった彼女が退散するだろうと思っていたのだが、当ては外れて現在は夕方だというのに帰る様子もないという事実を以て、彼は溜息を吐くしかなかった。

 

「お前そもそもどうしてあいつに助けられてたんだ?」

 

「え?」

 

「聞いた話を総合するとお前はロクシャの園のクズ女であいつは虐められてた方にしか聞こえなかったんだが?」

 

「……それをアタシも知りたい」

 

 反抗的な瞳になるだろうかと予想していたのが外れ。

 

 ベクトがそう単純でもないらしいと少女を訝し気に見やる。

 

「はぁ?」

 

「あいつは普通じゃない。アタシを助けたりする意味なんて無い。なのに……」

 

「そういう事か。だが、生憎とアイツはいつも此処にいるわけじゃない。学校を停学中のお前が一番会えるのはロクシャの園だろうよ」

 

「……今日は?」

 

「来る予定はない。そもそもアイツは何かを約束しない限り、此処にはフラッと現れる程度だ」

 

 アミアルが何とも言えない表情で俯く。

 

「どうして捕まらないのよ!! クソ!!」

 

「癇癪を起してる暇があったら帰れ。それと此処にはもう二度と来るな。お前みたいなのは歓楽街でもお断りだ」

 

「ッ、そうね。そうするわ。二度と来ないんだから!!」

 

「そうしろそうしろ」

 

 アミアルが何を迷い戸惑うのか。

 

 それを本人すらも知らないのは見れば解ったベクトは彼女が去った後。

 

 彼女の背後にいた何かが自分に手を振ったのを確認し、あのクソ女の何処がそんなに気に入ったんだろうかと少年の律義さのようなものに困惑するしかなかった。

 

(ま、好みは其々って事でいい。今はこっちだ……)

 

 ベクトの前にある大量の案件。

 

 その中でも数枚の報告書は今すぐにどうにかしなければならないようなものが大半を占めていた。

 

 だが、彼に出来る事は多くない。

 

 未だ組織の再編成中。

 

 ついでに幹部候補は殆どが訓練中でロクに裏仕事をさせられるような状況ではなく。

 

 かと言って、街のチンピラを送っても無駄に命を散らすだけという状況では彼が動くか。

 

 あるいは彼と奇妙な付き合いとなった少年に頼むのが確実という有様。

 

「ダメだな。手札も駒もねぇ。あいつに頼むか……他はオレの仕事だ」

 

 切実に戦力は足りないし、今は荒事以外の問題を片付けるしかなく。

 

 そうしてマートンは歓楽街で次々に先進的な政策を推し進めていく事になる。

 

 一つ確かなのは歓楽街に女を買いに来るよりも遊びに来る連中の方が多く。

 

 彼の下で無法は働けなくなり、それを不満に思う層がその領域には殆どいないという事であった。

 

 *

 

―――3日目。

 

 少年が目を覚ましたと同時に付けていた制服のままに起き上がって走り出した。

 

「おや、今日は学校は休―――」

 

 ヒラヒラと手を振って外に出た少年は今日もまず初めにその場で糸を天空に伸ばして、オネイロスの巣に繋げて、あちこちの情報を音で取得。

 

 更にフェムの精霊から都市の状況を聞いて、本日は下町の更に端。

 

 下水処理施設付近へと向かった。

 

『昨日と外部との報告に差異無し。オクロシア側には動きがありませんが、ニアステラでは遠征を中止して、訓練が行われているようです』

 

 フェムが精霊を用いて遠隔地との通信を行いながら、しばし情報の整理を行う。

 

「つまり、一度関わった者は一日の蓄積の後は進行が停止。再び関わらないと動き出さない?」

 

『恐らく、我が契約者の言った通りかと。であるならば、遠征隊に毎日命令をする事で訓練の時間が稼げるのでは?』

 

「それはそう。合同葬が始まるまでに色々準備して強く為っておく。それと同時に例の計画も進めて、戦争も終わらせる」

 

『昨日も随分と強くなったような気が?』

 

 そう言われつつ、少年は符札で高都の外延に作っておいた霊殿に転移する。

 

 歓楽街の端だ。

 

 正門の周囲からグルリと歓楽街には高くは無いが、低くもない壁が存在する。

 

 歓楽街の壁は言わば、奴隷達を逃がさないというよりは奴隷達に此処以外に行くところはないと示すものであり、多くの奴隷達にとってはこの非合法な場所こそが自分の身柄を護る為のものだとして心理的に作用する。

 

 正門は正しく壁からの出口として機能しており、此処を潜って外に向かう者が歓楽街では多くの場合は客以外……本当の住人と言えた。

 

 今は元奴隷という輩も存在しない扱いとはいえ、警察にしょっ引かれるような事も出来ないような相手と見なされており、無害な犠牲者くらいに思われており、何ら彼らには戦争でも害は及んでいない。

 

 その最たる理由がベクトーラであり、彼は今や元奴隷な非合法人材達の王として祭り上げられていた。

 

「行く」

 

 正門横の路地裏から少年がすぐに透明化する呪紋を用いて跳躍。

 

 それから数分の疾走で現場に着く事になっていた。

 

 高都の端の端は建物が無いというよりは多くの場合は都市部の機能の中でもインフラが広がっている地域と言っていい。

 

 高い建造物が集まる都心より広がった高低差のある都市の先。

 

 下水処理施設は正しく工場群の汚水や生活排水を引き受ける都市の命綱の一つとされているが、それにも旧い新しいというものがある。

 

 現行で都市にある幾つかの上下水道管理施設。

 

 その中でも一際古く最も能力が低い最初期のインフラは現在封鎖されており、水害時の非常事態で少し使う程度。

 

 それ以外は基本的にはほったからしというのが現実であった。

 

 下水処理と言っても、多くは工場群の汚水と生活排水を浄化するのではなく。

 

 その汚水そのものから植物を育てるという類の遊水地に近い。

 

 特殊な北部の水根を有する【ラマーネルの喜樹】が大量に生え、黒い汚水の上で大規模な森を形成している為、都市の中でも比較的緑に溢れた外縁部と言える。

 

 入り口は封鎖されているが、定期的に見回りの者は来ているようで足跡などは新しくなくても彼らの入った正門付近には幾つか付いていた。

 

『今日はどうするんですの?』

 

 エルミが訊ねる。

 

「今日は害虫退治……北部の“王”の一匹が此処にいる」

 

『それって例の蟲の化け物の事ですの?』

 

「そう。そろそろ成虫になる頃。都市部が消し飛ぶ前に排除する」

 

『え……』

 

 エルミが思わずどういう事なのという顔になり、横のフェムが顎に手を当てる。

 

『幾つか思い当たる王はいますが、一体どれでしょうか? 北部の王達の殆どは今は隠れ住んでいると思いますが……』

 

「たぶん一番この都市でマズイ型のやつ」

 

『マズイ?』

 

「アレ」

 

 少年が汚水の上に根深く黒い樹木の上に裂く白い華を指し示す。

 

 花弁が尖っている樹の華は咲き乱れていたが、どれもこれも中央が煌々と光っており、チカチカと明滅していた。

 

『光ってますわね?』

 

「華が光ってるんじゃなくて小さな蟲が光ってる」

 

『見えない程小さいんですの?』

 

「そう。音を出してる。そのせいで周囲が熱されて光ってる」

 

『へぇ~~音でそんな事になるんですのね』

 

『―――害虫じゃないですか。我が主、逃げましょう』

 

『は?』

 

 何やらフェムがいつものように悪意全開でニンマリもせず。

 

 真面目にゲッソリした顔になっていた。

 

 それに驚いたエルミが何かマズイ蟲なのかと首を傾げる。

 

「名前は?」

 

『【モームの波蟲】……昔も問題になっていました』

 

 フェムが溜息を吐く。

 

「呪紋を使う蟲は知ってる。でも、群体規模の超高速詠唱で多重掛けしながら貯め込んでるのは見たこと無い」

 

『???』

 

 思わずエルミが何を言われたのかという顔になる。

 

「ちなみに詠唱してる呪紋は恐らく呪紋として成立する最小単位の譜律で出来るもので、それそのものはアレの本質に関係無い」

 

『つまり、何ですの?』

 

「呪紋が暴走して昨日みたいな情報の暴走で今まで貯め込まれてた呪紋が瞬時に魔力の衝撃として開放される」

 

『衝撃?』

 

「爆発する」

 

『はぁ!?』

 

「呪紋の暴走で連携して貯め込まれてた呪紋と魔力の構成が崩壊する」

 

『その通りです。ちなみにコレはあの蟲共の生態なのです。小型の働き蟻のようなもので、頑丈な樹木を住処としています。爆発する理由は樹木に穴を開けて巣にする為……ですが、生育環境さえ整えば、どんな場所のどんな堅い建造物も破壊して巣にしようとするので大規模に焼き払うのは恒例行事でした』

 

『スゴイ蟲がいるんですのね』

 

『そういう蠅なのです』

 

『は、ハエ?』

 

『ええ、あらゆる場所に入り込み、自身を爆発させる事で様々なものを自身の種族の苗床として柔らかく処理する。その大きさが髪の毛の切っ先程の事と種族の主たる女王が自在に操作する事を除けば、蠅そのもの。唯一の救いは大抵の種族の目には殆ど見えないという事くらいでしょう』

 

『ちなみに建物が破壊される以外にはどんな害がありますの?』

 

『餌を爆破して取るのですが、それが昔は病だと思われていましたね』

 

『病?』

 

『あまりにも小さい蠅が肉体の内部に突き刺さり、そこを極々小規模に破壊。肉体が炎症を起こして膨れ上がり、最後には血肉が完全に崩壊して死に至ります』

 

『………お近づきにはなりたくない蟲ですわね』

 

『増殖力は卵を産み付けられて孵るまでに凡そ1刻。そこから約400倍ずつ増えて、最終的には生物そのものを自身の種族の巣に作り替える。生育環境が二つ存在し、餌場のある温暖な硬い場所。もしくは温かい湿った食事が出来る寝床……お解り?』

 

 エルミが顔を引き攣らせる。

 

『でも、これが爆発しても問題無いのでは?』

 

『ええ、大抵は爆発で仲間も死ぬので左程増えないのですが、大規模な巣を形成した場合、こいつらは拡大の機会を逃さず。一斉拡散の為に女王からの命令で巨大な爆発を引き起こし、周囲の生命を苗床とするのです』

 

『つまり……』

 

「2日後に高都の殆どの建物が崩れて、爆発で生き残った種族が全部苗床になる」

 

『駆除ぉおおおおお!!?』

 

 言ってる傍から周囲の樹木の華が煌々と輝き始めた。

 

『どうやら女王の成虫化が進行しているようですわね。先に女王を片付けましょう。そうすれば、他の蟲は烏合の衆。駆除など炎属性呪紋でイチコロです』

 

 少年が走り出して、背後に二機が付いて行く。

 

 そうして走って30秒後。

 

 森のほぼ中心部。

 

 看板が置かれた浄水場の中央施設。

 

 広大な汚水の湧く人口の池の中央。

 

 4m程の繭が周囲の樹木から糸で張られた巣の中央に置かれていた。

 

『爆発する以外は単なる蠅なので燃やすのが一番手っ取り早いです。爆発を連鎖させなければ、どうという事もありません』

 

 フェムがさっさと燃やそうと少年に言った途端だった。

 

 黒いオイルと汚れの中から猛烈な勢いで水を巻き上げるようにして上空に黒い雲霞が吹き上がる。

 

『直衛の蠅です。女王を護る為の盾として、無限に爆破を仕掛けて来ます』

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 少年がそう呟いた途端、少年から360℃地面以外の全方位に彼らを護るように半透明な瓶が並べられ、更にその口が僅かに絞られた。

 

 ブワッと瓶から熱気が溢れ出し、その内部から光が放たれる。

 

 猛烈な炎の集束が次々に角度を変えながら周辺にある全ての物体を焼き滅ぼすべく白く白く温度を上げて何もかもを焼いて行く。

 

 一気に外気温が1000℃を突破し、樹木の多くが余波で蒸気を上げて焼き尽くされ、水が濛々と舞い上がりながら、怖ろしい速度で蒸発。

 

 その超高温蒸気によって蒸し焼きにされた蠅達が瞬時に全滅して乾いた蒸気の中で群れが崩壊していく。

 

 そうして、その最中で複数の炎瓶からの炎を直撃で受けていた繭が遂に内部までも焼き滅ぼされて、内部で蠢いていたモノすらも炎で炭化して蒸発していく。

 

「あ」

 

 少年が炎瓶を治めた時、森の中心部から外縁に掛けて猛烈な森林火災が発生し、炎と煙の中で蠅達が焼け死にながら爆ぜた。

 

 爆音が連鎖する森はもはや完全に地獄絵図であったが、少年はやり過ぎたとは思いつつも、新しい女王が産まれても困るからと森を焼き尽くす事にする。

 

 そして、蒸発する汚水そのものに手を伸ばした。

 

 瞬時に外縁部に拡散しようとしていた汚水の蒸気が急激に煌めき出したかと思えば、炎の中で逆戻りしていく。

 

『遂に此処まで出来るようになったのですね』

 

『霊力で外部の物質を半制御状態。呪紋を用いてゴライアスに変異しなくても良くなったんですの?』

 

「そう。汚水は全部固めておく」

 

 少年が漆黒に煌めくあらゆる産業廃棄物と猛毒の化合排水を霊力で体積を減らしながら凝集し、虚空で巨大な黒い円柱にしていく。

 

 それが汚水が完全に乾き切ろうとする頃。

 

 湖一つ分程もあるだろう水分だけが蒸気として都市に拡散した後。

 

 少年の手前で汚水の原因物質は限界まで圧縮した1m程の円筒形の棒となって虚空に浮かんでいた。

 

『汚れの塊ですか?』

 

「後で適当に劇毒として敵に撃ち込む用」

 

 少年が虚空のそれを体内の黒い真菌を放出して一回り大きくすると不可糸の糸で捲いて少し太くして振り回すのに丁度良さそうな得物にして手に持つ。

 

「このまま次の場所に行く」

 

 少年が符札を掲げて全員で瞬時に下町の歓楽街正門横に戻る。

 

 すると、都内にはアラームが鳴り響いており、大量の警察と消防が森の方へと向かって呪霊機の馬車やら空を飛ぶ輸送機やらで水を大量に持ち運んで消えていく様子が彼らの目に留まった。

 

『大事になりましたわね……』

 

「今の内に移動する。混乱している間に……」

 

 そうして、少年達はイソイソと次の目的へと向かう事になるのだった。

 

 *

 

―――高都皇帝城一室。

 

「馬鹿な。旧浄水施設で大規模火災だと?」

 

 エレオール。

 

 聖姫と呼ばれる彼女は休日の朝から入って来た情報に目を細めていた。

 

『は、はい。それがどうも人為的なものではないかと初動捜査を行っている者達から……ただ、周辺に危険度の極めて高い害虫の死骸を確認致しまして。それが爆発する類のものだった為、今現在消火活動は全身モルドの者だけで行っており―――』

 

「つまり、害虫による事故。もしくは人為的な放火か? だが、あの汚水貯蔵設備に使われた樹木はかなりの強度と耐火性があると聞いているぞ」

 

『はい。ですので、まだ断定は出来ません。人為的な工作である線は微妙な状況であるとご報告を……』

 

「解った。引き続き消火作業に当たれ。現場検証は全身モルドの者達のみで行う。それと害虫が巣食っていたという事実について、業務上の不備は検証させて貰うが、よろしいな?」

 

『は、はい。現在、使われていない事もあり、見回りの者も徴兵でかなり減ってしまっていたとはいえ、それは……ええ……』

 

 現場責任者からの報告を受け終えた少女が映像を切って、周囲の虚空に浮かべている呪霊機からの映像を見やる。

 

「この時期に都市内部での破壊工作? 在り得る。在り得るが、庁舎や生産施設を狙うならまだしも、使われていない汚水と森を焼く理由など……」

 

 他にも何か見落としが無いかと彼女はここ最近の上がって来ている情報を次々に確認していく。

 

「……これは例の廃工場群か? 昨日? 昨日から例の効果が消失? まさか、試作機関に何かあったのか……」

 

 すぐに彼女が担当部署に連絡して、調査を依頼する。

 

「我の知らない内に足元から崩されているような……敵の狙いが見えぬ。この合同葬を前にした嫌がらせか? いや、それならば、廃工場の方は技術窃取、なのか?」

 

 考えても事実は分からない。

 

 だからこそ、彼女はチラリとデスクの横に置かれた資料を確認する。

 

 ロクシャの園への入学願書だった。

 

「急がねばならぬな。あの方への四卿の復帰も角の奴から指示した。後は―――奪われたグラングラの大槍と大規模後退した戦線の整理、か」

 

 こちらの方が余程にマズイと少女は顔を歪める。

 

 昨日から寝ていない彼女の目元には薄らとクマが浮いている。

 

 それもそのはず。

 

 大規模な敵軍からの反転攻勢によって最前線が後退したのだ。

 

 前線近い拠点に置かれていた戦略呪紋兵器グラングラの大槍が全て奪取。

 

 ついでに嫌がらせ染みて後退中の部隊が塹壕を爆破しようとするも、大型のウルガンダの眷属らしき蜘蛛達の働きによって、爆破を無力化され、戦争が始まって以来の大規模後退によって各戦域の戦力が1割も削られていた。

 

(南東部の教会勢力の進出。加速度的に我が軍の置かれた状況は悪くなっている。後方から残ったグラングラの大槍を移動させ、即時教会の進出ルートを潰すのは指示したが、四卿2人を投入しての作戦。種族連合側がグラングラの大槍による四卿の殲滅に動くとすれば、次の局面の最重要地点は―――)

 

 まるで悪夢を見ているかのように戦況が悪化していく様子を知るのは一部の者達のみで実際の国内では未だ四卿が倒れたと噂され、鋼鉄騎士が裏切ったと厭戦気分が蔓延している以外、まだ致命的ではない。

 

 だが、戦略兵器の奪取や教会の参戦までもが大きく取り上げられれば、国内の統制に余力を割いている暇は無い以上、出来る事は限られ、崩壊していくのを遅々として遅らせる事しか出来ない。

 

 そう、彼女にも分かっていた。

 

「……予定よりも早くロクシャの園に出向かねばならぬかもしれぬな」

 

 こうして、ヴァルハイルは戦況の悪化を国民に知られるよりも先に追い詰められつつあったのだった。

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