流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

70 / 135
第65話「モナスの万障Ⅱ」

 

―――高都早朝アーカ邸。

 

 主である少年が不在なメイドが朝から膨れていた。

 

 アミアルである。

 

 早起きして朝食までちゃんと作ったというのに不在だったのだ。

 

 いたのはいつも少年の背後に付いているはずの妖精型呪霊機が一体。

 

 しかも、うんともすんとも喋らずに彼女の背後に付いている。

 

 それと女性型呪霊機に混じってエル・アーカの世話もしたのだが、欠伸をしたおっさんが身嗜みを調えてソファーに座ってお茶を啜りつつ、書類を見ているのを黙って待っているのも彼女には焦れるものでしかなかった。

 

「馬鹿ぁ、何処行ったのよぉ……」

 

 彼女がそう呟くと。

 

「ああ、今は里帰りしててね。しばらく返って来ないから、家に戻っててもいいし、休日だから、適当に買い出しにでも行って来ればいいんじゃないかな? あ、これお小遣い。いつも愛しい息子殿を世話してくれて助かるよ」

 

 気前の良いおっさんが何か見た事の無いような超高額な紙幣を彼女に握らせて、暇潰しに買い物行って来いと言うので彼女は仕方なく朝から外に出る事にした。

 

(まったく、あの新しい侍従扱いしてた子達とよろしくやってるんじゃないでしょうね!! どうして、こっちを連れてかないのよ!!)

 

 アミアルの不満は高い。

 

(それともまた裏の仕事!? ああ、もう!!)

 

 彼女がメイド服姿で外に出て市場で適当に夕飯や朝食用の一番良さそうな食材を買い込んで邸宅に届けるよう頼んで歓楽街へと向かう。

 

 その背後にはやる気無さげに何も喋らないフェムが欠伸をしながら浮かんでいた。

 

 そうして呪霊機の乗り合い船でいつものように歓楽街のトップがいる建物に堂々と入っていく少女は今日も書類仕事に忙殺されているベクトーラのいる部屋にドカッと腰を下ろすとジト目で見やった。

 

「ちょっと!! ウチの馬鹿どこやったのよ!!?」

 

「はぁ? 何でテメェに喋らなきゃならないんだよ。クズ女」

 

「せっかく、朝早くから朝食作ったのに部屋にいないのよ!! また、アンタがアイツに仕事頼んだんでしょ!?」

 

「はぁぁ、自分の侍従にくらい何か喋ってけよ。あいつ……」

 

「ほら、やっぱりぃ!?」

 

「ああ、はいはい。頼みました頼みました。今、あいつは北部の沿岸部にある邦でお仕事中だ」

 

「また、殺し!? いい加減、止めてよね!? この間だって化け物両断しまくりの光景が夢に出て来てこっちは魘されてんのよ!?」

 

「あのなぁ? これでもオレはかなり穏便な方だぜ? あいつにもわざわざ他種族殺せとか直接命令してねぇし。危ねぇのを排除させてるだけだ。つーか、本来ならオレ達が数か月から数年掛けてやるような仕事を一人でサクッと一日単位でやって来るアイツがオカシイんであって、オレらに八つ当たりすんな」

 

「むぐ……」

 

 アミアルも自分の主の非常識さは身に染みていた。

 

「ああ、それとテメェ用の着るモルドが届いたぜ。直接送ろうとしたんだが、こっちから送れって待ったが掛かった。取り敢えず、ええと」

 

 執務机の横にある幾つかのボタンの一つを推すとすぐにお水なお姉ちゃんというべきだろう20代くらいの女性が数名やって来る。

 

「例の着るモルドの所有者だ。試着させてやれ」

 

『はーい♪』

 

「あ、ちょ、何処触ってんのよ!? もぉ~!?」

 

 ズルズルとおねーちゃん達に引き摺られていくアミアルを見送って、ベクトーラはチラリと送られて来た手紙を見やる。

 

「山羊人の王は死亡。契約書は城の崩落に巻き込まれて部下連中も消えたか。相変わらず仕事が早ぇ……邦毎消して来てもいいっつー話はしたが、王城潰すのに一日要らねぇってどうなってんだホント」

 

 彼は異様な速度で仕事を消化する幹部候補何かよりよっぽどヤバイ男の適当にお茶を飲んでる時の顔を思い出して、あの顔の何処にこんな行動力が隠されているのだろうかと溜息を吐いた。

 

 そして、最新式のモルドやドラクの運搬先を確認しつつ、過保護だなと部屋の内部で未だ浮かんでいる妖精型呪霊機を見やる。

 

「で? 今は何してんだ。あいつ」

 

『……諸島で発掘作業中よ』

 

「はぁ?」

 

『船が欲しいんですって。個人用に』

 

「呪霊機の大家が呪霊機造らず船を発掘ねぇ……そりゃ、創るより安上がりだろうがな。旧き者の遺産つっても早々そんなの落ちてねぇだろうよ』

 

『見付けたそうよ? 黒曜石の都。ノクロシアの黒鉄の軍艦を』

 

 ブッホと思わずベクトーラが呑んでいたお茶を吹き出す。

 

『汚いわね。近寄らないでくれるかしら?』

 

「オイオイオイ。ノクロシアの軍艦て。おま、お前の主人どうなってんだよ!? 絶対、高都に持ってくんなよ!? これ以上の厄介はごめんだぞ!?」

 

『厄介事の種を持って来たのはそちらでしょうに』

 

 肩を竦めるフェムはまだお水のおねーちゃん達にモルドを着せられている少女の喚き声を聞きつつ、早く戻って来ないかしらと内心で溜息を吐く。

 

「それにしても何でもかんでも進み過ぎだろ。どんだけヴァルハイル滅びそうになってんだよ。どれもこれもあいつがいなきゃ、やべぇ事になってたじゃねぇか。四卿が死んだばっかだってのに……もういよいよ高都を離れるべきなのかもなぁ」

 

『何処に行くって言うの?』

 

「交渉すりゃ、何処にでも行けるさ。それこそ種族連合に頭下げたっていい。裏社会じゃ敵に頭を下げるなんぞよくある事だしな」

 

『……殺されなけりゃね』

 

「ははは、じゃあ、その時はあいつに頼むか? ちょっと種族連合の上層部絞めて、交渉の場に引き摺り出せってな♪」

 

 ベクトーラのジョークに笑う者は無く。

 

 しかし、彼は実際自分の手駒たる少年ならば、本当にそこまで出来るかもしれないと内心で呟きながら、決済に戻るのだった。

 

―――同刻/高都モナスの岸壁。

 

「う……っ」

 

 高都は南側の巨大な山岳の一部の壁に沿うように城が置かれ、山がちの傾斜に都市を築いた山城と城下町という側面がある。

 

 殆どの傾きは呪霊機を筆頭にする高度技術による建築群の前では生かされる事なく克服されており、普段の移動以外では傾斜を考える事は殆ど無い。

 

 しかし、山岳部と直接繋がる城の周囲から更に背後の岩山の連峰は極めて険しい上に殆どが王家の領有となっており、入る者は少ない。

 

「く……さすがに聖域の守護者達相手は辛い、ですね」

 

 一人の女が胸元を開けさせたボロボロの旅装姿で血を額や腕から流しながらヨロヨロと道無き岩山の道を小走りに走っていた。

 

「此処は一体何処なのか……」

 

 彼女がそう言いつつ、坂を上がり切った時、見えた景色は雄大というよりは壮大。

 

 広がる高き建造物の群れと長大な城。

 

「―――高都!!? まさか、あの道は」

 

 彼女が思わず立ち止まった時、その背後から矢が一本。

 

 彼女の左腕を貫き。

 

 そのまま彼女は山肌に削られるようにして転げ落ち。

 

 高都の城の裏手へと傾斜40°以上の壁の先に消えていった。

 

「………」

 

 それを確認したのは蛭のような顔を持つ人型の何かだった。

 

 古びれた厚い革製の戦装束は薄汚れていたが、その背中には嘗て少年が使っていた抗魔特剣が一本。

 

 そして、斑模様の肌色をした弓はキシキシと僅かに声を発している。

 

 ソレの背後には薄汚れた黒い粘液のようなスライム状の何かが数体控えており、赤い光を放つ目らしきものが複数浮かんでいる。

 

「“帰還せよ”」

 

 くぐもった声がそう蛭の口から吐き出され、瞳も見当たらないのにソレが番えていた弓を背中に戻して帰っていく。

 

 そうして、追撃者達が帰った後。

 

「ぅ……」

 

 気絶しながらも全身打撲で骨折だらけの女が一人。

 

 転がった岩壁に血の染みを付けて止まった場所で命尽きようとしていた。

 

「おやぁ? はは、どうなってるんだか。これでもオレ、女性には優しいと評判なんだけど、ん~~巡回者? お、この割符……オクロシアの奇眼か? 胸元の閉じてる傷も瞳? あ~~はいはい。解っちゃったよ。そゆこと……」

 

 白い髪の青年が1人。

 

 法衣姿でその薄い縮れた赤毛の女を両手で抱き上げ。

 

「これが敏腕と名高いモルニア・クリタリス。良い拾い物だったね。本家の連中には任せられないな。こりゃ……山が騒がしいと思って来てみれば、はぁ~~あの馬鹿皇太子の出番かぁ……ロクな事にならなそうだ」

 

 男はイソイソと回復用の呪紋をブツブツ詠唱しながら城の方へと落ちて来た拾い物を連れて行くのだった。

 

 *

 

―――早朝。

 

「本当に人足は要らねぇのか?」

 

「発掘は一人で行うよう言われてる。引く船も不要。ヴァルハイルの技術力は個人で全てを凌駕する」

 

「……その自信が何処から来るのか。オレには分からんが、あれほどのものを生み出すなら、もはや旧き者達と変わらんのかもな。お前らは……」

 

 入り江の砂浜に立てられた天幕の先。

 

 小さなボートすら無く。

 

 男達が拠点を構えた場所には数日分の食糧が置かれるのみであった。

 

「案内頼む」

 

「ああ」

 

 ヴァルハイルの名前で船を発掘する事にした少年は海域に来るまでに海中を泳いできたが、殆ど呪紋でスイスイだった為、ヴァフクと変わらぬだけの潜水技術があると認められており、遠浅の内海に埋まった船。

 

 否、遺跡に近いだろうソレの場所までやって来ていた。

 

 少年は男達に周辺海域の情報の隠蔽を頼むと一人で発掘すると彼らを人払いし、ようやく発掘へと取り掛かったのである。

 

 北部の海は見渡す限り遠浅だが、所々に海溝のような深い窪地がある。

 

 その窪地の一つに塔のように船首を突き刺して岸壁の如く同化した珊瑚の柱。

 

 否、巨大な楔にも見えるものがある。

 

 その海の生き物によって完全に隠れた地形にしか見えないソレの一部が剥がれており、深い3m程奥にはノクロシアの街区と同じような質感の装甲が見えていた。

 

「操獣召喚【アルメハニア】」

 

 少年の周囲に蜘蛛の一族の中でも少数で海を護って来た蜘蛛達が次々に転移でやって来る―――はずであった。

 

「?」

 

 少年が首を傾げていると海底からドドドドドッと何かが海水を貫くように岩山のようなものが上空に突き出してくる。

 

「……アルメハニア?」

 

『(≧▽≦)/』

 

 久しぶりご主人。

 

 と、言っているのかどうか。

 

 全長で400mくらいありそうなソレが海底に着いた長脚で立ち上がり、海中で前脚を上げて答えた。

 

 その行為のみで周辺海域の海流が激変し、荒れ狂う海中からあらゆる逃げられる動物達の大半が逃げていく。

 

「もっと小さかったような?」

 

 近頃、ずっと海からの異変に付いては空からの監視をヒルドニア達にして貰っていた為、海中監視は見ていなかった少年である。

 

 今やヤドカリのような巨大な亜麻色の殻を纏っている彼らは普段何処にいるのかも知らなかったわけだが、その疑問は氷解した。

 

 あまりにも大きくなり過ぎて沿岸部から少し離れていたのだろう。

 

(こっちが強くなった影響?)

 

 知らない内に何が起きていたのか。

 

 分からないものだと今度全ての蜘蛛達の視界などを確認しようと少年が決める。

 

「この船、引っ張り出してくれる?」

 

『(≧▽≦)ゞ』

 

 敬礼したアルメハニア達が少年に今度拾い集めた海のあれこれを見て欲しいと意識を繋げて映像を送りながら、その超大な殻を被った胴体部よりも更に長い前脚で海溝に突き刺さった巨大な船。

 

 彼らの前脚よりも太い塔の如きソレを中心にして円陣を組んで、ゆっくりと持ち上げ始めた。

 

 その激震が海中を震わせ、巨大なうねりとなって海中を荒れ狂う。

 

 だが、少年は問題無さそうに半透明の黒い真菌から色素を抜いた膜を展開して、激変の影響を和らげ、海中の大量の泥煙の如き澱の波の中にも泰然と発掘を見守る。

 

『(´・ω・`)?』

 

 そんな時だった。

 

 前脚を使って船を持ち上げていたアルメハニア達の一部が一部船体を放して方向転換し、何かに向き合う。

 

 すると、その方向から猛烈な速度で何か泳ぐモノが接近して来た。

 

 ソレがアルメハニア達の半分くらいの図体を持ったシャチのような生き物である事が少年には分かる。

 

 まるで獰猛な肉食獣。

 

 牙の一部を口から食み出させ、体表が鱗というよりは鋼の合金染みたもので覆われていた。

 

 少なくとも作り物めいた怪物的造形美だが、そのシャチのような何かのヒレはエイのように広く。

 

 更には甲殻類よりも堅そうな鱗がケバ立つと……いきなり膨大な水圧が彼らを潰すべく拘束してくる。

 

「呪紋? 使徒みたいな類?」

 

 アルメハニア達は「何だ? このカッチカチな魚?」くらいの感覚で1000気圧近い水圧を受け、多少鈍くなりながらも、幾つかある脚でソレを捕まえようと海中で振り回した。

 

 しかし、水など無いかのように高速で動くソレは脚の間を掻い潜るついでに少年へ狙いを定めて、牙を向き。

 

 同時に口内から呪紋らしき波動を発して、何かを打ち出す。

 

 ソレを少年が剣で受けずに回避した。

 

 その何かが海中を動いていたアルメハニア達の一匹の脚にぶち当たる。

 

「(>_<)?!」

 

『いったー!?』というジェスチャーをする巨大な蜘蛛脚の甲殻が一部罅割れていたが、貫通するまでには至っていない。

 

 よく見れば、そこに突き刺さっているのは巨大な銛のような圧で固めたらしき凝集された海水だった。

 

 つまり海水を圧縮し、波で加速する攻撃。

 

 普通の物理事象ではまずお目に掛かれないものだ。

 

 呪紋が開放された瞬間。

 

 巨大な海水の爆発がアルメハニアの一体を横倒しにする程の衝撃を産む。

 

 今度は圧縮した海水を爆弾のように弾けさせたらしい。

 

 ついでに魔力を帯びた波動が威力を倍加させていた。

 

「回復用の呪紋掛けといて」

 

 他の個体にそう命じつつ、高速で泳ぎ抜けて行ったシャチ?が再び旋回して戻って来るのを見た少年が此処で三枚降ろしにしたら、面倒な事になりそうという感想を抱いたのはそのシャチに神の力が宿っていたからだ。

 

 使徒。

 

 少なからず、獣が神の力を宿しているならば、神獣というカテゴリになるのか。

 

 少年が夜天の剣を瞬時に7度高速で振り切った。

 

 その剣先はあまりにも細い為か見えないが、その剣が確かに何かを斬り割いたのは事実だ。

 

 ―――!!?

 

 途端、高速で動いていたシャチが海中で体勢を崩して吹き飛ぶ。

 

 勢いのままにバランスを喪失したせいである。

 

 しかし、すぐに立て直したソレが今度は肉体を変形させ始めた。

 

 より大きく。

 

 より鋭く。

 

 より、戦闘向きに。

 

 グギョンッと骨格すらも変わっていくソレが翼はエイというよりはもはや翼のように幅広になり、胴体部が細くシャチというよりは鳥のようになった。

 

 顔を中心にして猛烈な勢いで鱗が集まり、生え変わり、凝集し、全身が高密度の鱗で覆われながらも連動してシャリシャリと金属音を鳴らす。

 

 その様子は少なからず海の生き物というよりは海の怪物……竜にも通じるような骨格へと変貌しているのが分かるだろう。

 

「神の力を斬ってもこれだけの……使徒の階梯ならこの程度は簡単?」

 

 少年が生物として不自然過ぎる変態を遂げたソレに向けて水中を泳ぎ。

 

 アルメハニア達の前に陣取る。

 

『!!!』

 

 口から水圧で固めた高圧海水弾がマシンガンの如く速射される。

 

 ソレが次々に夜天の剣に込められた魔力で現実のものを斬れるようになった刃……自在に撓る糸のような伸びる剣に両断されて途中で爆発する。

 

 それに加えて音波らしいものが少年に向けて音よりも早く到達。

 

 続けて、大量の鱗が実態弾の如く射出されて、少年に向けて誘導され、次々に連続して命中する。

 

 その攻撃の悉くが岩場やアルメハニア達の脚の間に張られた蜘蛛の巣。

 

 不可糸製の小さな糸蜘蛛達によって水中に張られた網に絡め取られていた。

 

 魔力を流せば、大抵のモノの動きは止められる。

 

 無論、相応の魔力が網に込められている必要があるが、問題は今のところ少年には起きていない。

 

―――!!!

 

 業を煮やした様子の怪物が高速で海中を飛翔するが如く駆け。

 

 音速を超える速度で海中内部にも関わらず猛烈な振動を巻き起こしながら、アルメハニアと少年達を囲うように回り始める。

 

 渦が起こり始めて少年は相手が今度は渦内部を極限環境にして内部の生物を破壊する気だと理解し、夜天の剣を地面に突き立てる。

 

 途端だった。

 

 怪物が彼らの周囲を回っていた距離よりも更に遠方から海が円形に抉れていく。

 

 抉れていくというのは文字通りであった。

 

 巨大な円の内部、水が次々に浮かび上がり、上空へと舞い上がっていく。

 

 ―――?!!

 

 怪物もそれは同じであった。

 

 いきなり、水が浮かび上がり、同時に自分の肉体までもが浮かび上がる。

 

 同時に海中を進む為に使っていた推力が、水を背後に押す出す為に最適化されていた鱗による高速での水流操作が、半減以下にまで減んじて。

 

 高速で回転していた勢いが失われながら藻掻くしかなくなっていく。

 

「夜天の剣は見えないものを斬る剣。重さを斬った」

 

 精確には重力や慣性力、引力と呼ばれるものが失われつつあった。

 

 海の一部がフワフワと上空へと浮き上がっていく怪奇現象は近隣の海域からでも観測出来る程の異常事態であったが、怪物はそれでもすぐに推力を空気を押し出す為に口内で歌らしきものを詠唱し直しながら鱗に用いて後方に風を起こして加速。

 

 地底に佇む少年に向けて突撃を決行した。

 

 無論、勝てないと分かった上でだ。

 

 アルメハニア達が多少鈍重になりながらもそのシャチを串焼きにしちゃおうかと脚で途中から銛のように一突きにしようとするも少年が片手で止めるように指示。

 

 そのまま突撃して来た相手の切っ先。

 

 鼻面の巨大な槍の如き切っ先に向けてガッチリ素手で相対し、自分の肉体を相手が突き刺して消し飛ばす前に両手で横腹。

 

 つまり、鏡面の如く煌めく白銀の部位を握り潰し、指の力で受け止め、海底の大地を巨大なクレーターにしながらも敵の突撃を留め切った。

 

―――???!

 

 僅か腕に筋肉を浮かばせ。

 

 驚愕に目を見開く怪物の鼻先の槍を圧し折りながら上空へと投げ返した。

 

 その勢いが収まるより先にクレーター内部から一直線に跳躍した少年の手には黒い刃が握り込まれており、大剣と化したソレが両手で掴まれて相手に接触する寸前に二度振られて、少年が上空へと通り過ぎる。

 

「【双連撃】」

 

 少年の下方。

 

 怪物の両腕の翼が完全に根本から両断され、同時に海水が再び重力を得て、海底に落下、その内部を巨大な図体の怪物もまた落ちていく。

 

 水しぶきというよりは水の柱が立ち昇る海域。

 

 その最中、再び姿を隠されたアルメハニア達は海底に落着した怪物が力無く横たわるのを見て、やっぱり主はスゴイなーとパチパチ拍手した。

 

 実際にはまるで巨大な岩山がぶつかるような激音の乱打で周辺海域の海の生き物達が死滅していたが、左程の事ではない。

 

 辛うじて海の中にいた半魚人達は気絶するだけで済んでいた。

 

「………やっぱり使徒? でも、これは……変異というよりも群体で一つに偽装する呪紋に……」

 

 少年が海底に沈んだ元シャチな怪物の頭部付近で話し掛ける。

 

 だが、ソレは答えず。

 

 スゥッと色を薄れさせると肉体を構成していたらしき大量の海産物。

 

 様々な海の生き物達がグッタリと海底にばらけながら横たわっていく。

 

 そして、その中心核になっていたらしき人型が起き上がろうとして気絶。

 

 少年は海を荒らした責任くらいは取るかと。

 

 両手をパンと目の前で合わせた。

 

「呪霊属性変異呪紋【魂の変容】……半中性子物質形成。原子番号零ニュートロニウム・テトラ。両腕置換開始、完了。全能力938%上昇(再上昇不可)。魔力投射。海水の物性制御開始。毎秒魔力0.013%を消費。生体反応に対しての伝播制御開始……」

 

 少年の両腕が灰色に染まった後、内部から輝き出し、それと同じ輝きが猛烈な勢いで周辺の海水へと伝播。

 

 キラキラし始めるとソレそのものが今までの戦いで命を失った生命達に宿りながら、その肉体を活性化していく。

 

 それはまるで生物そのものが輝くかのようにも見えて、バラけた海の生物達の多くや周辺海域で死んだはずの生命までもが煌めきを宿していく。

 

『(*´ω`*)……』

 

 お人好しだなぁというアルメハニア達の苦笑顔はきっと誰も見ていないだろうが、やれやれと脚が左右に揺すられていた。

 

 霊力置換によって次々に少年の支配下となっていく海域の生物達は煌めきを宿しながら生命活動を再開させ、その輝きが急激に失せていくと何事も無かったかのように再び海中での日常を謳歌し始めた。

 

 そして、逃げ散っていく海の動物達の最中。

 

 未だに気絶している人魚らしき女を担いだ少年はアルメハニア達に静かに先程の馬鹿騒ぎで全ての珊瑚や生物による堆積層が剥がれた黒鉄の軍艦らしきものを小島の浜辺に持って来るように言い渡すとイソイソと砂浜の幕屋へと引き上げ。

 

 途中、周辺海域の隠蔽に尽力していた組織の者達が気絶しているのを確認し、不可糸で曳航して砂浜に安置。

 

「ちょっと疲れた……」

 

 そう言って、砂浜に寝転がるのだった。

 

 その日、北部の海域で起こった特大の異常現象を周辺海域の地表。

 

 つまり、近くの島の上にいた者達だけが正しく認識出来た。

 

 天変地異。

 

 そうとしか言えない戦いの余波に遂に世界が終わる戦争が始まったのだ。

 

 と、多くの知識層は震えた。

 

 何ならヴァルハイルと繋がりがあると噂される商会にアレは何だと怒鳴り込む者達が大勢出る始末であった。

 

 彼らは本能的に知っていたのだ。

 

 誰も争いからは逃れられないと。

 

 北部にある全ての港に津波が押し寄せて来なかった事だけが彼らにとっての慰めに外ならなかった。

 

 *

 

「ん……」

 

 薄らと瞳を開けた彼女は自分が天幕の中にいる事に気付いて身を起こした。

 

 蒼い髪。

 

 蒼い鱗の魚類の下半身。

 

 そして、白い体。

 

 まだ20代後半くらいだろう彼女は薄ボンヤリした意識で自分を惑わす全てを振り切るように頭を横に振って、自分の体が両断されてもいなければ、三枚に卸されてもいない事を確認し、僅かに安堵の息を吐く。

 

 しかし、裸の自分の上に掛かった黒い外套を確認し、自分の相棒となる得物も無くなっている事を理解して、完全なる敗北を悟った。

 

 太い眉が八の字になる。

 

 負けん気の強そうな彼女の顔付きと瞳は戦士のソレであるが、胸元は豊満ではあるし、女性らしさが無いという事も無い。

 

 メソメソ出来るような状況では無いし、自慢の剛力も今は発揮出来ぬ程に衰えていると感じた彼女は這うようにして天幕の外に見える砂浜に向かう。

 

 しかし、砂は這うには熱過ぎて沈む体は泥のよう。

 

 が、それでも這った彼女は疲労に狭まる視界のままに海を目指し、途中で自分の横にギョッとする程に黒光りするものがあると気付く。

 

「―――ノクロシアの遺産!!? まさか、もうコレを!!?」

 

 彼女は愕然としていた。

 

 敵はあまりにも怖ろしい海の怪物が十体。

 

 そして、その主と思われる怖ろしき人型の何者か。

 

 受肉神とも思える程の驚愕の力を有し、剛力無双たる彼女の腕力が反映された一撃を受け止め、神の呪紋によって生み出した肉体すらも屠る何か。

 

 使徒である彼女にはもうそれだけで何もかもが悪夢だった。

 

「クソゥ!? 使命を護れず!? 海すら護れず?! 誓いすら―――」

 

 涙を堪えた彼女が震える腕で砂を叩き。

 

 それでも海に向かう。

 

 今、彼女に出来る事は無かった。

 

 逃げる事しか出来なかった。

 

 それすら、相手が手加減したからだと分かっていた。

 

(神の力を斬る劔……アレは……古の伝承に伝わる妖精の……あんなものまで復活させたのか!! ヴァルハイルめ!! あの蜥蜴共め!!? クソゥ!! 祖国には奴らを制止する力が無い!!?)

 

 彼女は悔し涙を流しながらも黒鉄の巨大な船。

 

 そう、剣のように鋭く、入り口らしいものも艦橋も無い厚みのある三角錐を流線形に加工したようなソレの横を這う。

 

(怖ろしき化け物!! 受肉神にすら迫る個人!! あんなものを揃えて尚、ノクロシアの遺産にまで手を出すとは―――)

 

 ようやく海に到達しようとした時。

 

 彼女の魚類の尻尾に縄が掛かった。

 

 ついでにフィーッシュとでも言うかの如く。

 

 ブラーンと釣り上げられた彼女が巨大な金属製の竿。

 

 というか、巨大な鉄の棒のようなものの先から鋼の糸を編み込んだ縄を垂らしていた相手に顔を引き攣らせる。

 

「は、離せぇ!? このクソ蜥蜴めぇ!?」

 

 少年が彼女を釣る縄を小島の大きな樹木に引っ掛け。

 

 ブランブランさせながら浜辺の方に脚で蹴り込んで固定する。

 

 そして、木製のやっつけで造られた仮面を付けた男達がイソイソと天幕から出て来ると海の中へと跳び込んでいく。

 

「あ、お前ら!? このぉ!? 裏切りものぉおおお!!?」

 

 彼女が叫ぶが、男達は何もせずに一目散に消えていく。

 

 その手には大量の旧き者達の時代の遺産らしき幾らかの道具が握られており、幾つか立てられた天幕の内部には大量の品々が置かれているのが見えた。

 

「こらぁ!? それはヴァフクの宝!! ゾアクのモノだぞぉ!? 裏切り者が持ってくなぁ!? 聴いてるのかぁ!?」

 

 しかし、そんな怒声は海の果てに吸い込まれて。

 

 彼女が入江の砂浜の先。

 

 ヌッと黄昏時の景色の一部が捲れたのを確認して喉を干上がらせる。

 

 それはまるで悪い冗談だった。

 

 黄昏時の世界の只中。

 

 瞳がいきなり、世界の只中に現れたのだ。

 

 その数mくらいありそうな巨大な複眼がピラッとまた何かを被せたかのように景色の中に消えてしまう。

 

「ま、まさか!? あの怪物はまだいるのか!!? く、クソぅ!?」

 

 脱出は絶望的。

 

 というか、最初からこの島の周囲が怪物が呪紋で偽装して逗留している事を理解した彼女は逆さ吊りにされながらも項垂れる。

 

 少年がようやく大人しくなった人魚の下に歩いて行く。

 

「な、何も喋らないぞ!? お前らに絶対情報は渡さないからな!!」

 

「何歳?」

 

「喋らないって言ってるだろぉ!?」

 

「ええと、27歳、と」

 

 少年が手帳を取り出して頁を開き、不可糸で相手の情報を書き込んでいく。

 

「な―――」

 

「性別は?」

 

「見て分からないの!? この盲目野郎!?」

 

「女性、と」

 

 少年の手帳にまた書き込みが増える。

 

「出産経験は?」

 

「しゅ?! ば、な、女性になんて事訊くんだこのガキィ!?」

 

「無し、と」

 

 少年は手帳に彼女へ問い掛けては情報を書き入れていく。

 

「男性経験は?」

 

「なぁ!? それが女性に聞く事!? このクソ蜥蜴野郎!?」

 

「無し、と」

 

「さ、さっきからどうして分かるんだ!? は!? 呪紋で心を読んで!? くぅ!? 卑怯者ぉ!?」

 

 盛り上がっている彼女に少年は次々に質問を浴びせる。

 

 家族はいるか?

 

 学校には行ったか?

 

 戦闘は誰かに習ったのか?

 

 ハイかイイエで答えられるような質問が大体終了した後。

 

 少年が釣り上げていた縄を手刀で切って、ベチャリと地面に落ちた彼女にハンカチを渡す。

 

「うぅ……コ、コイツ絶対許さないからなぁ」

 

 もう半分涙目な彼女はハンカチは受け取らずに土の着いた顔を拭う。

 

「名前は?」

 

「フン。言うもんか……心でも読めばいいじゃないか。このクソ蜥蜴野郎」

 

 少年がじぃ~~っと彼女を見てから。

 

「イキオクレ筋肉デカチチ処女でいい?」

 

「―――こ、殺す!? こ、このぉ!?」

 

「イキオクレ筋肉デカチチ処女は凶暴、と」

 

 思わずキレそうになった彼女が少年に下半身の発条を使って跳ぶ。

 

 だが、少年がヒラリと回避してベシャリと砂浜に頭から突っ込んだ。

 

「イキオクレ筋肉デカチチ処女は夕食、食べる?」

 

「く、くぅぅぅ!?」

 

 スゴイ形相で歯軋りした彼女がプルプル震えて涙を堪えながらも催促されている事は解ったので仕方なく屈辱的という顔で叫ぶ。

 

「名前はアヴィラーシュ!! アヴィラーシュだ!!」

 

「アヴィラーシュは長いからアヴィで」

 

「な、誰が親しい奴や恋人でもないのに愛称で呼ばせるかぁ!?」

 

「アヴィは魚と肉。どっちがいい?」

 

「う―――うぅぅぅぅぅ、肉!! 肉だよ。クソゥ……」

 

 完全に力関係を分からせられた彼女は悔しさにプルプルしながらも黒い外套を羽織ったまま。

 

 仕方なくそう言った。

 

 捕虜になろうともいつ逃げられるか分からない実力差という話なのだ。

 

 体力を無暗に擦り減らす事は出来ない。

 

 特に彼女は今、神の力すらも殆ど消え失せ。

 

 魔力が消耗し、霊力すらも擦り減り気味だ。

 

 自慢の体力は0に近く。

 

 筋力もまともに発揮出来ない。

 

 肉体は五体満足であったが疲労で過労死寸前。

 

 先程の戦いからも強敵に違いない相手を前にして彼女は屈辱にプライドが傷付いても反抗より体力の回復を選んだ。

 

(こ、こいつ消耗してるのか!? さっき戦ったばっかりなのに!? 消耗すら見て取れないとか!? 使徒のぼくだって今にも倒れ込みたいのに!?)

 

 少年が何でも無さそうに浜辺で焚火を初めて、天幕から出して来た肉を串焼きにして浜辺の焚火の端に刺していくのを見て、彼女アヴィは自分と相手の差というものを思い知った。

 

 少年が先程の質問攻めとは裏腹に焚火をジッと眺めているのを彼女が注意深く観察する。

 

(コイツ……外套を着込んでる? ぼくに渡したのを着ればいいのにどうして……)

 

 少年が空を見てから焚火から少し話して木の棒を立て、自分の羽織っていた外套を掛けた。

 

「―――何だ。その傷!?」

 

 少年がチラリと自分の袈裟斬りにされた鎧の傷を見やる。

 

 もう回復していたが、それにしても鎧の破壊された部分の下。

 

 肌が血の跡と共に見えていた。

 

「そんな傷、付けた覚えないぞ!?」

 

「ちょっと日課こなして来た」

 

「な―――日課って!? 致命傷受ける日課って何さ!?」

 

「単なる剣の修行」

 

「修行!? 修行相手を此処まで連れて来てるの!?」

 

 少年は肩を竦めてから2人分の串焼きの向きを変える。

 

(分からない。何も……コイツ一体何なんだ!?)

 

 こうして少年と彼女の夜は更けていく。

 

 そして、不本意な事に獣肉らしい串焼きは……彼女が今までの人生で食べたどんな肉より美味かったのだった。

 

 *

 

 少年は深夜イソイソと夜の海の最中に身を浸していた。

 

 砂浜から少し離れた浅瀬の内部。

 

 嘗ての自分では知り用も無かった事が調査出来るという事実を以て、彼は魔力で周辺地形を探査し、不可糸を海の果てから果てまで伸ばすつもりで海底までも全て探索していく。

 

「………この島の限界高度と同じ……球状の限界域……ノクロシアの外壁の最奥部までの距離と形でほぼ一致……この島自体がやっぱり……」

 

 ブツブツ呟きながらも、少年がスヤスヤ寝ているアルメハニア。

 

 不可糸の布地に周辺状況を描写しながら隠蔽する部下の上に跳躍して昇る。

 

 そして、遠方に見える島々。

 

 王族がいるらしい島の方角を見やった。

 

 此処もまた“繰り返し”の範囲内。

 

 そして、少年の繰り返す毎日には比較的変化が訪れている。

 

「こちらが干渉せずに動き出す事例が増加……力の獲得。もしくはあちら側からの力の増加方法の提示……」

 

 それは余りにも神々にとっては簡単な事なのだろう。

 

 少なからず、自分の手駒を使うのだから。

 

『(-ω-)……』

 

 眠る巨大な貝蜘蛛達の上で虚空に立っているかのような少年は砂浜まで歩いて戻ると寝転がる。

 

 今日の戦いで少数派な組織とやらの構成員の殆どが顔を完全に蒼褪めさせていたのは間違いなく。

 

 あまりの事に邦を裏切るどころか。

 

 こちらを裏切りそうな程に追い詰められてしまった感があった。

 

 しかし、あくまで少年は証文を破壊出来ればいいと強弁したので自分達が何とか破壊する為の方法を考えなければという顔にもなった。

 

 勝てないのは道理である。

 

 そして、彼らは裏切り者として祖国を滅ぼしたくなければ、やらねばならない事は間違いなく少年の暗殺では無いのだ。

 

 使徒を倒す程の相手。

 

 巨大な天変地異を起こす存在を前にして彼らはもはや進退窮まっており、ある意味では無理な仕事を急かされた現場の人間に等しい。

 

「どうしていきなり襲って来た?」

 

 少年の問いに天幕からこっそり覗いていた蒼い髪を後ろでポニーテールにしている彼女がチッと舌打ち後、逃走は不可能かと諦めた様子で砂浜に出て来る。

 

「お得意の呪紋で調べれば?」

 

「……明日、王族が住まう島に行く」

 

「だ、ダメだ!? どうして、行く必要があるんだ!?」

 

「仕事」

 

「ッ、あの船をヴァフクから奪うのじゃ足りないって言うのか!?」

 

「商会の大金庫を燃やしに来た」

 

「―――ッ」

 

「その船はついで」

 

「ついで……ついでで、この海を荒らしたのか!? この海眠る遺跡は危険だと知りながら!?」

 

「遺跡が危険なのは陸も変わらない」

 

「ッ、海に住むモノにとっては死活問題だぞ!? 幾らヴァルハイルが強いからって横暴過ぎる!! 君達ヴァルハイルはぼくらが滅びてもいいって言うのか!?」

 

「高が遺跡一つで滅びる理由は?」

 

「ッ―――」

 

 思わずアヴィが自分の失言に口を噤む。

 

「何も言えないなら、勝手にする。勿論、アヴィは何も出来ない」

 

「~~~ッッッ」

 

 彼女の顔が怒りに赤くなった後に今度は青くなる。

 

「………教えたら滅びるのが早くなるだけじゃないか。どうせ」

 

「滅びる理由は?」

 

「一つ取引だ」

 

「材料は?」

 

「君がもしもヴァフクを滅ぼさないなら、使徒であるぼくを連れ帰るといい。好きなだけ弄ればいいさ。君達お得意の機械とやらに組み込むのでもいいし、呪紋の実験体にしたって構わない」

 

「その前に前提となる情報が欲しい。欲しい情報は三つ。一つ、この邦に受肉神はいないはずなのにどうして使徒がいるのか。二つ、この邦のヴァフクの呪紋の体系は女性による歌に集約されるはずなのにそれを自身で使わないのは何故か。三つ、遺跡に眠るモノの情報を教えたくない理由は何か?」

 

「………」

 

 しばらく迷っていた彼女であったが、歌が喉から出て来ない時点で自らの神がそれを拒否している事を理解するしかなかった。

 

(コイツは……敵じゃない、のか?)

 

 自分がまだ五体満足である事。

 

 戦闘中、最後の突撃を正面から受け止めた相手の事を思い出して溜息を一つ。

 

「いいよ。教えてやる……」

 

 そうして、密やかに夜の語りが空に流れ。

 

「始りは旧い時代の事さ。君達、ヴァルハイルがこの島に来るよりも昔のね」

 

 使徒はさざめく波間に旧き歌を披露し始める。

 

 *

 

 嘗て、島がまだ旧き者達の手にあった頃。

 

 まだ、ノクロシアが存在していた頃。

 

 海に出て自らを獣のように変じる呪紋に長けた者達がいた。

 

 その頃、歌の神と出会った一族は姿を変じたままに子を儲け。

 

 その亞神はモナーティアと呼ばれ、地域を治める一族となった。

 

 やがて、一族はまた海の神と出会い。

 

 亞神の一族は半人半魚の神との間にヴァフクを儲けた。

 

 ヴァフクは瞬く間に増え、モナーティアはその内で同化されて、新たな現地の一族として君臨した。

 

 やがて、破滅の時代が訪れると海の神は何処かへと消えて、残された歌の神を信奉するヴァフクだけが残された。

 

「歌の神は普通の受肉神とは異なる性質があるんだ。だから、常に受肉しているとも言えるし、そうでないとも言える」

 

「……肉体に依存せずに顕現出来る?」

 

「……そうさ。それにヴァフクの歌は呪紋に聞こえないのに呪紋のような効果がある。でも、それは譜律を読んでるからじゃない」

 

「もしかして、歌そのものが肉体の代りに神の依り代になってる?」

 

「そういうのは勘がいいんだね。ああ、そうだよ。ぼくらの歌そのものが歌の神の血肉なんだ。だから、今も歌えば、歌の神が代りに呪紋を紡いでくれる。だから、僕らヴァフクは魔力を消耗せずに呪紋を紡げて、呪紋を維持するのに魔力を注げば、通常よりも強い力を発揮出来る。だから、この時代まで生きて来られた」

 

「神の呪紋……北部でも人魚の呪紋が有数と言われるだけ強力なのも頷ける……」

 

「海の神は消えても歌の神は今もぼくらの傍にある。そして、使徒は最も歌が上手い者か……モナーティアの先祖返りが選ばれるんだ」

 

「モナーティアがそもそも強かった?」

 

「そう。ヴァフクの血に混じるモナーティアの祖先は剛力無双の海獣となった旧き者達。その肉体は海で生きる為に強大な力を宿していた。でも、その代りに呪紋は苦手だったのさ」

 

「つまり、使徒はモナーティアの肉体と呪紋の代わりに歌で降ろした神の呪紋で自分を強化して戦う存在?」

 

「御明察だね。ぼくらは代々、他の種族にこの秘密を隠しながら、何時の時代にもこの地のヴァフクを護る為に存在して来た。ノクロシアが滅びた後の遺跡はあまりにも危険な事を知っていた祖先達は妖精達が支配する時代になっても表向きは服従しながら遺産を細々と発掘して贈り物にする事で難を逃れたんだ」

 

「……遺跡が危険だと言うなら、どんな風に危険か教えて欲しい」

 

「当時……半人半魚の神は神々の争いに巻き込まれて消えたと言われている。ノクロシアは島の全土に広がる巨大な都だったとも伝わっている。でも、“この地のノクロシア”は後方地帯で数多くの船が眠ってる」

 

「船……こっちが発掘してたみたいな?」

 

「戦船だよ。君が見付けたのはその一隻に過ぎない。でも、使える者が現れてしまえば、世界は再び戦火に見舞われる。神々の時代の戦船の力はこの時代のヴァルハイル相手でも赤子の手を捻るような差がある」

 

「それが秘密?」

 

「ぼくらは海から船を発掘しない。表向きは船が殆ど無くて、深い海溝に眠ってるからだって話をしてるよ。君みたいな過剰な能力を持つ個人が現れて、野望の為に利用させない為にね」

 

「商会のエライのが乗ってたのは?」

 

「あれは……王家が表向き海底に出て来た船を仕方なく与えただけで戦船じゃない。でも、そこに置かれてるのは違う。一隻でエル大陸の大国を蒸発させられるような武装が積まれてる」

 

「……どれくらいある?」

 

「そんなの知ってどうするのさ? 数百隻発掘すれば、エル大陸なんて軽く支配出来る力だよ。君は戦争がしたいの?」

 

「戦争はこれから必ず起こる。聖域が開放されれば、何もかも失う」

 

「―――聖域? それってモナスの聖域の事?」

 

「後一年くらいで封印されてた救世神が起きる。それを止める。もしくは討伐出来なければ、お終い」

 

「は、はは、救世神? まさか、海の神が付いて行ったって言う……」

 

「海の神が?」

 

 ハッと口を閉ざしたアヴィだったが、すぐに少年の瞳に仕方なさそうに続きを話し始めた。

 

「海の神は多くの海洋神達を束ねる立場にあった。そして、神々の戦いの折、この世を救う神に付いて消えたと伝承にはあるんだ」

 

 ようやく少年はこの地で神が使徒を嗾けて来た理由を理解する。

 

「どうして襲った?」

 

「……歌の神からのお告げがあったんだ。旧き遺跡の船を発掘しようとする者と戦えって……」

 

(つまり、神々はこっちの戦力強化にご執心……教会の神と同等の力があると言われたカルトレルムが妖精を使ってまで前任者の代りを育てようとしてるって事は……残された神々は……救世神そのものに敵わないか。敵対しても無駄な能力差があるか。根本的に何らかの相対する事が出来ない理由がある?)

 

 少年が神々の晩上遊戯の駒として自分が何処の位置にいるのかを何となく想像しながらアヴィを見やる。

 

「船は全て貰っていく。ただし、聖域と戦う力。ニアステラの力として」

 

「へ? ニ、ニアステラって南部の……ど、どういう事!?」

 

 少年が自分はヴァルハイルに潜入しているニアステラに流刑された人間側の存在、間諜である事を告げる。

 

「そ、それって……」

 

「聖域の開放前にヴァルハイルを落とさないとならない。他にも恐らく聖域の周囲にいる王達も退けないと聖域へ入れない。だから、戦力がいる」

 

「戦力って……君は……」

 

「世界最大の宗教勢力である教会の本隊が島に到着するまでに時間も殆ど無い。全てを退ける為に今、船が欲しい」

 

 そこまで聴いて彼女はようやく相手が何者なのかをある程度知った。

 

 故にすぐに脳裏で機転を働かせる。

 

「―――ヴァフクを巻き込まないって約束出来る?」

 

「ゾアクにニアステラの護りを置く事は出来る」

 

「護り?」

 

「この子達」

 

「ッ」

 

 少年がいつの間にか偽装を剥いで暗い小島の周囲を圧するように覗き込んでいるアルメハニア達に視線を向けた。

 

『(´・ω・`)?』

 

 しばらく、此処でお仕事するの?という顔の彼らの複眼に少年が頷く。

 

「常時必ず六体置いて行く。これだけあれば、少なくとも島々も沿岸部の人間も何かあれば逃げる程度の時間は稼げる」

 

「時間て……襲われるの前提じゃないか!?」

 

「どの道、襲われる」

 

「な―――」

 

「教会は甘くない。全ての亞人の根絶と呪紋の焼却。唯一神の教えを広げる為に本隊の到着後に大規模な北部での掃討作戦が開始される」

 

「そ、そんな……確かに教会の話は行商人がしていたけど、それが本隊じゃないの?」

 

「アレは単なる先遣隊。後から来る本隊は先遣隊の数千倍近い物量で殴り込んで来る。神聖騎士、神聖騎士見習いの精鋭、潤沢な物資、人材、大陸を牛耳った末に得た呪紋、技術の数々……襲われてからじゃ遅い。今、船が必要」

 

「……そうか。戦って来るようにって言うのは……」

 

「全て叩き潰さないと島が滅ぶ」

 

「解った……解ったよ……君はどうやらぼくなんかよりずっと過酷な運命にあるみたいだ。殺せでも発掘を阻止しろでもなく。戦えってそういう事なんだろ?」

 

「話が早くて助かる」

 

「……金庫燃やしたら帰るの?」

 

「発掘はこの子達に任せる。毎日発掘して貰う。発掘した船はニアステラに持っていく」

 

「どうやって持ってくのさ?」

 

「こうやって」

 

 少年が指を弾いた。

 

 船の下には少年が描いた呪紋が不可糸の布地で敷かれており、瞬時に黒鉄の戦船が消え去る。

 

「な―――転移の呪紋!? もう失われたはずじゃ!?」

 

「残るところには残ってる」

 

「君って奴は……解った。ヴァフクに手を出さずに船だけ持っていくって言うなら、それで構わない」

 

「それと……」

 

 少年は理解が得られた彼女に色々と話していく。

 

 ヴァフクが今直面している問題が如何に亡国の道であるのか。

 

 それを解消する為にどうすればいいのか。

 

「……出来る?」

 

「ぼくだって色々思うところはあるよ。彼らが差別されてるのも知ってる。ぼくが生きている内にどうにか出来ればとは思ってた。だから、分かったよ。その話はぼくから邦長、王に伝えよう」

 

「発掘が全て終わるまでアルメハニア達全員を此処に置いていく。食事は……」

 

 少年が自分の胸元の竜骨鎧の一部を握力だけで僅か欠けさせて、不可糸で編んだ布地に呪紋を書き込んで砂浜に置き、その上に欠片を落とす。

 

「全員、前脚一本島の周囲に撃ち込んで自切」

 

『(-ω-)/』

 

 はーいと十本の前脚が地鳴りを響かせて島の周囲に次々撃ち込まれた。

 

「な、何する気さ!?」

 

「此処にこの子達の食堂を造る」

 

「しょ、食堂!?」

 

「大丈夫、見えないように偽装はしておく。見えるのはそっちとそっちが教えた相手だけ」

 

 少年が砂浜を覆い尽す程に足元から大量の黒い真菌の被膜を広げていく。

 

「な、何か広がった!?」

 

「真菌の海水適応は前から完了してる。仕様はこれから教える。毎日夜に連絡を入れる。此処の管理は蜘蛛達に任せるから問題ない」

 

「あ、あのーぼくの意志は?」

 

「故郷を護りたいなら、協力一択」

 

「ぅ……」

 

 アヴィが渋い顔になる。

 

「じゃあ、始める。北部、黒蜘蛛の巣の第二号……港にして船の寄港地にすれば完璧……一応、400隻分くらいの港も用意する」

 

「今、サラッととんでもない事を言わなかった?」

 

「足りなかったら、巣を増やす方向で……」

 

 少年はジャラリと秘薬を取り出したのだった。

 

 翌日、天変地異の起きたゾアクはコレを神の吉兆であると宣伝し、北部に安寧を齎す為、種族連合に派兵する事を決定。

 

 これに今まで虐げられてきた他種族との混血者達を当てて、戻って来た場合には兵士としての地位と職、種族連合とのパイプ役として邦として重用する事を確約。

 

 同時に邦一番の商会の大金庫が焼失した事件もあったが、それは天変地異の話の影に隠れ、大損害を受けた商会は今までの権勢が鳴りを潜める事となった。

 

 ただ。

 

『オイ。誰が金庫燃やすのはともかく天変地異起こせって言った? ヴァルハイルとの密約がパーになったのはいいが、天変地異のせいで敵が増えたんだが? つーか、せめて天変地異の後じゃなくて前に事件起こせよ!? すっげぇ疑われてただろ絶対!?』

 

『要求を満たすとこうなる。自業自得』

 

 数日後、報告に来た少年の言葉に歓楽街のトップはまた溜息を吐く事になる。

 

 外交部関係の者達は秘密が表ざたにならなくても、自分達が余計な事をしたせいで敵が増えた事を察して顔を蒼褪めさせたが、敵になったゾアクには使徒までいたという特大の情報収集のミスを突き付けられて沈黙。

 

 裏組織であるマートンに自分達の秘密を握られているという事実によって表立って非難する事も出来ず。

 

 粛々と組織との間にズブズブの関係を得る事になるのだった。

 

 しかし、それと同時にニアステラでも異変は起きており。

 

「おーだむ!! アレがごしゅじんさまがもってきたふねかー!!? でかーい!! せつめいふよう!!」

 

「アレは―――古の、ヴァルハイルが血眼になって探していたものをどうやって。さ、さすがご主人様、か……」

 

「はっはー!! こいつぁ、乗りこなし甲斐がありそうだぜ!! おーう!! ウリヤノフとウートの旦那ぁ!! こいつはオレが動かしていいのかぁー!!」

 

 喜々として新しい船が大量に届くようになった港で元船長はスピィリア達に船乗りを募集する事になったのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。