流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第66話「モナスの万障Ⅲ」

 

 何故か毎日第一野営地に大量の古の戦船が増えるようになって数日。

 

 黒蜘蛛の巣を海側に迫出させて、新しい港の桟橋が大量に新設された。

 

 それもどれもが超巨大な代物だ。

 

 桟橋というが殆ど巨大な道に等しいものが放射状に沖合3km付近まで複数広がっているのだから、明らかにヤバイというのが分かるだろう。

 

 設計はウリヤノフ達が率いる鍛冶場で作は大量の建築系スピィリア達である。

 

 冥領から運び込まれてくる大量の資材と爆華と竜骨があれば、大抵の建造物は建築可能でソレを海でやれば、それこそ巨大な埠頭が、桟橋が、数日で出現するのだ。

 

 遠浅の海に複数広がる道に大量の巨大軍艦が停泊したりするのもさもありなん。

 

 更には北部に輸出される大量の物資の流通で今や第一野営地にはアルマーニアのみならず数多くの北部勢力の者達が逗留、居住し始めており、その情景を多くが自身の一族に土産話として持ち帰る。

 

 正しく、影でニアステラはノクロシアを継ぐ者達とすら囁かれていた。

 

『アレがニアステラの発掘した戦船か。ノクロシアの軍艦。神話に語られる黒鉄の……』

 

『本来ならば、諸手を上げて空を飛ぶとの神話を確かめつつ、戦線までご案内したいところだが……無理なのだろうな』

 

『それ以前にこれ以上ニアステラに借りを造るのは……』

 

『お歴々も分かっているだろう。今のままならば、あちらが音を上げて講和に踏み切って来るまで秒読みとの話もある』

 

『これ以上、戦争を激化させられぬならば、停戦も視野に入る、か』

 

『それにしてもニアステラへの入植は必須だ。いつ戦争が再開されるか分かったものではないし、一族達が全滅するのを避けるならな』

 

『蜘蛛達が今のところは良い隣人として付き合っていけるのなら、移住も悪く無い、か……』

 

 彼ら北部勢力にしてみれば、次々に何処からか発掘されて持って来られる古の戦船は喉から手が出る程に欲しいものであったが、ニアステラ側に北部戦線で借りを作り続ける意味を理解している者は口を噤み。

 

 同時にこれ以上の戦争の激化を望んでいない層はあくまでも自分達で戦う事を主張して、その艦隊が整備されていくのを見ている事しか出来なかった。

 

 黒蜘蛛の巣の様子はニアステラの躍進を印象付けたのである。

 

 頼り切りになるのは危険だと思うには十分過ぎる異様な情景は次から次へと湧いていた。

 

「はっはー!! こいつぁご機嫌だな!! お前らぁ!! 遂にオレ達もヤバイ船を持つ船乗りだ!! ついでに艦隊も付けてくれるとよぉ!!」

 

「かーっ、オーダム船長男前ですぜ!! 似合ってますよ!! その帽子!! まるで貴族の提督みてぇだ!! よ!! ニアステラの大提督!!」

 

「おうとも!! もう大陸戻らなくてもいいかもなぁ!! マルクスのやつはもう此処に骨を埋めるっつってたしなぁ。カラコムの旦那は船ダメらしいから、オレとウリヤノフの旦那くらいか? 提督出来そうなのは」

 

 オーダムが野営地の女性陣達に縫って貰った船乗りの戦装束。

 

 群青色のロングコートに制帽を肌に付けてニヤリとする。

 

「近頃は亞人でもねーちゃんが結構此処にも来てますし、大陸の港にいた時みたいに騒げる場所も出来つつある。北部の連中が健全過ぎる蜘蛛達の酒場だけじゃなくて、歓楽街造らせて欲しいってお願いもしてるそうっすよ?」

 

「提督と一緒に艦隊のお偉いさん。ぐふ……も、もてそうっすね!!」

 

「おう。じゃあ、酒場にねーちゃんが今後はいっつもいてくれるようになるなら、もういっそ此処に骨埋めるか。がはははは」

 

『(・ω・)?(おねーちゃんがいると何故嬉しいのだろうという顔で艦内の片付けを行うスピィリアの一体)』

 

 殆どの船は入港というよりは突如現れては係留されており、船に詳しい者も多くなかった関係でスピィリア達に宿のようにして開放されている。

 

 理由は新しいお部屋スポットとして海が好きな個体達に占拠して貰って、警備兼警報装置代わりに使われているからだ。

 

 係留用の綱は全て不可糸で代用されており、周辺には岸壁に部屋を拵える者達まで出始めていて、ある意味で海に住もうブームの真っ最中。

 

 埠頭や桟橋の後方には蜘蛛達の居住区と物資輸送用の倉庫が早くも建造されつつあった。

 

『……アルティエは此処を帝国にでもするつもりか?』

 

『それならばよいのですが、何も本人が考えてなさそうなのがまた』

 

『どの道、此処まで来ては官僚機構や政治をやる者が必要だ。スピィリア達が良い子過ぎて問題が少なく、我らで回せているというだけでな』

 

『確かに……亜人同士の揉め事も殆ど無く。北部勢力の方の文官を借りるだけで済んでいるのは助かりますが……』

 

『難破船の者達にこちら側の文官の役目を押し付けるのは忍びない。が、やらねばな。マルクス殿にも宗教者としてだけではなく、教育者や筆頭書記として活躍して頂こう』

 

『ええ。それにしても艦隊、か……』

 

『不満か? ウリヤノフ』

 

『いえ、嘗ての我らにも無縁のモノが転がり込んで来る。まだ此処に来て一年も経たないというのに……まるで数百年も邦を見守って来たような気分だと』

 

『ははは、此処での数か月は確かに数百年に勝る経験かもしれん』

 

 ニアステラは艦隊を整備しなければならない。

 

 という英雄様がざっくり発掘して降って湧いた話を前にしてウートもウリヤノフも顔を引き攣らせたのは無理も無い事だろう。

 

 が、経験者であるカリスマも結構なオーダムに艦隊に所属する事になるスピィリア達の教育を丸投げしたのはナイスな判断だっただろう。

 

 守備隊の多くが船乗り達と共に新しく遠征隊のトップが発掘してきた船を乗りこなすべく、元教会騎士も総出で船の操舵方法やら諸々を確認していた。

 

 内部の探索から始まって遺跡そのものに等しい艦の訓練内容や諸々の話を詰めるべく集った有識者達の中には当然のように発掘責任者なる肩書を付けられて、転移で送り込まれた人魚が下半身を竜骨製の水槽に入れて参加している。

 

「え~ゾアクのアヴィラーシュだよ。この船の事はたぶん、ボクが一番知ってると思う。使徒として種族連合に参加するからよろしく」

 

 北部の者達も少数ながら参加していた。

 

 彼らにとってノクロシアの戦船は喉から手が出る程に欲しい戦力。

 

 だが、ウートが貸し出せると判断出来るくらいに教練が終わるまでは戦力として貸与しない旨の制約を付けて、艦隊の建造……乗組員の教育と組織構築に関わって貰う事になったのである。

 

「ニアステラの英雄とか言われてる人に頼まれて此処にいる。船の動かし方やら諸々は一応知ってるから、動かすだけなら問題はそんなに無いかな」

 

 こうしてオーダムを筆頭にして海の事に詳しくない者や将来の艦長候補に推されている頭の出来がよろしい層、スピィリア達を前にして彼女は色々と教える事になっていた。

 

 最初、普通に蜘蛛達から挨拶され『いや、蜘蛛に操船教えるって何?』とか思ったが、蜘蛛達が普通の人間よりも聡明で賢い様子を見て、あの貝蜘蛛達と同じなのだろうとすぐにそんな疑問は消えたのだ。

 

「えっとね。つまり、この船は魔力が動力源なんだけど、魔力そのものは動力源となる機関を始動させる時だけ使うものなんだ」

 

 一応、商会や王家もノクロシア時代の船を使っている為、部外秘である艦の秘密なども彼女は知っていた。

 

 少年に色々聞いた後。

 

 王家を説得したのは彼女であり、商会の力が強くなり過ぎるのを嫌っていた王家の後押しもあって、来訪してからの彼女は一種の賓客として野営地に逗留している。

 

 現在、そんな彼女は真っ暗な船の内部に入り込み。

 

 艦橋となる場所に呪紋の灯りを宿して諸々の説明をしていた。

 

「その機関自体はかなり長持ちで動力に最初の魔力を入れれば、それからはほぼ年単位で魔力の供給が要らなくなる。だから、魔力さえ最初にあれば、後は風が無くても帆が無くても進むんだ」

 

 彼女がノクロシア時代の船の内部構造やら必要な人員の概略を教え始めてすぐに多くの者達はノクロシアが如何に強大だったのか理解せざるを得なかった。

 

 今の時代においてもまったく追い付かない技術力に呪紋の力を持つ文明。

 

 正しく、過剰とも思える能力は人力で今までやっていた事を全て呪紋と呪紋で動く機械で代用しているに等しいと言うのだ。

 

 帆の上げ下げも要らなければ、錨を引き上げる手間すら指示一つ。

 

 ついでに呪紋が使える者であれば、殆ど問題無く簡単に操作可能。

 

「ただし、この船に付いてる兵器の殆どが魔力を馬鹿食いする。ゾアクでは廃棄されちゃったけど、一発撃つだけで常人数人分の魔力が空になる。ついでに言えば、主砲なんて魔力が幾らあっても足りなくて撃てないんじゃないかな」

 

「おう。おっぱいでけーねーちゃん」

 

 オーダムが何の気無しにそう呼んでビキッとアヴィの顔が引き攣る。

 

「じゃあ、昔の連中はどうしてたんだよ?」

 

「分からないよ。昔の旧き者達とか神々の時代の話だもん。魔力そのものがその頃は使ってる人達が皆桁外れで普通に使ってたのかもしれないし」

 

「はっはー。中々そう上手い話はねーわけだな」

 

 最初にニアステラにやってきた船の内部。

 

 艦橋と呼ぶべきだろう場所でオーダムが何が何やら分からない操舵輪がある以外は呪紋の譜律が書き込まれたコンソールの群れに『何に使うんだ?』という顔になる。

 

「この船は空を飛ぶってノクロシアの伝説にはあるけどさ。実際に飛んだところを見た事は無いし、そういう風に飛ばせる理屈も分からなければ、機能をどうやって使うのかもボクらは知らない。あくまで海の上を奔らせる事だけは出来るスゴク頑丈な船って事なんだ。ゾアクにとってはね」

 

「ほっほっほっ。そして、この老体の出番と」

 

 リケイが集まった蜘蛛や人々の中から出て来る。

 

「誰? おじいちゃん」

 

「おやおや、おじいちゃんとはカワイイ呼び方ですな。いやぁ、若い方にそう言われて悪い気はしません。では、失礼して」

 

 リケイが船内の全般を動かすコンソールに触れる。

 

 そして、僅かに魔力を流して精査し始めた。

 

「はぁ~~なるほどなるほど……これは何かとヴァルハイルが参考にしていた技術なわけですな」

 

「え?」

 

「ドラクの基本設計とよく似ている。要は呪紋で必要な事象を複雑に絡めて使う代物のようですが、呪紋そのものよりも動力で動くのが肝要、と。しかも、動力そのものが雷……聖域の遺跡や遺産を参考にしてドラクを作り上げたならば、こちらが先駆者となる。ならば、左程問題はありますまいな」

 

 リケイがちょっとこっちにとむんずと両手で一匹の海が大好き系スピィリアを捕まえてコンソールの上に置く。

 

「確かそちらはドラクの改良の時にいて、今はドラクの改造係だったかと思いますが、あの要領で鍵を壊して掌握出来るかやってみて下され」

 

「(>_<)/」

 

 はーいと片手を上げてやる気満々なスピィリアが今日は蜘蛛形態で参加していて、カサカサとコンソールのあちこちを撫で回した後。

 

 『(・ω・)じ~~~っ』と眺めて数秒後。

 

 シュコンと前脚をコンソールの一部に突き刺した。

 

「ちょ!?」

 

 思わず止めようとしたアヴィをリケイが止める。

 

「まぁまぁ、見ていて下され」

 

 すると、そのスピィリアの蜘蛛脚が魔力で明滅し始め、数秒後には前脚を突き刺した場所が一瞬だけグズグズに溶けてから脚を丁度入れる穴のように変質して固定化された。

 

「~~~(´ω`)」

 

 何やらチーンと音がする。

 

 すると、コンソールが次々に明滅しながら明かりを宿していく。

 

 奥の壁に船らしき図形が幾つかの部分に分割されつつ表示。

 

 ソレが紅かった部分から次々に緑色に変化していく。

 

 しかし、艦の中央部分。

 

 船体の居住区下辺りの赤い表示は緑にならず。

 

 首を傾げたスピィリアが脚を引っこ抜いてポンと打った後、扉から通路へと消えていった。

 

「な、何なの?」

 

 思わずアヴィが目を細める。

 

 そうして、待つ事3分後。

 

 物凄い勢いで戻って来たスピィリアが再び前脚を入れると再びコンソールの明滅が激しくなり、ずっと赤かった場所が緑色になった。

 

 途端。

 

 艦内の通路と部屋に呪紋以外の灯りが大量に付いて室内を完全に昼間の如く照らし出した。

 

「こ、これって動いてる?!」

 

「どうやら掌握は完了したようですな。ふむ……先程のは魔力を動力炉に入れに行っていたようで」

 

「あ、あのさ!? 魔力入れにって商船ですら300人くらいの魔力を充填してようやく動くものなんだけど!?」

 

 スピィリアが首に下げていた袋から緋色の粉をちょっと出して見せる。

 

 何ソレとアヴィがジッと見て、とんでもなく高密度の霊力を感じ取って顔を引き攣らせた。

 

「ま、魔力なら唸る程あります。いや、霊力ですが、そこは置いておきましょうか。これでこの艦は動かせるようになったはずですじゃ」

 

 言ってる傍から艦の外360°が壁に映し出され、まるで室内が全面ガラス張りになったように見渡せて、誰もが目を見張った。

 

「おぉ~~~こりゃいい!! 便利だなぁ」

 

 オーダムがこれで外が見えるとウンウン頷く。

 

「動かせるようになったら、どう動かすかですな。そこらへんは素人が口を出すモノでもないでしょう」

 

「ま、だろうな」

 

「ですが、艦を動かすのを此処だけでやるとすれば、動かすのに人員は少なくて済みそうだ。スピィリア達はまだまだいますので全員に此処の方々が教えれば、しばらくの訓練で動かせはするようになるでしょう」

 

 リケイがそう言うと(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウンとゾロゾロ扉の背後から覗いていた複眼の群れが頷いた。

 

「ひ!? く、蜘蛛居過ぎでしょ此処!?」

 

 アヴィが顔を引き攣らせる。

 

 スピィリアを筆頭にした蜘蛛達は基本的に昼間は蜘蛛形態が必要な作業をしていなければ、あるいは寝込んでいない限りは大抵人型なのだが、昼間の仕事現場では蜘蛛率100%である。

 

「ははは、此処は蜘蛛の邦と呼ばれても仕方ないニアステラですからな♪」

 

 リケイは最優秀者の後ろに続く優秀なスピィリア達の好奇心旺盛な様子に笑いながら中に入れて、今後の艦隊整備に付いて、詰め始めるのだった。

 

 *

 

 ニアステラで艦隊整備が開始されていた頃。

 

 少年は人馬の邦へとやって来ていた。

 

 亞人ポーゼブ。

 

 その邦ヨルヘーム。

 

 北部最大の奴隷市場が置かれた地域は海岸線沿いにはあるが、山間の開けた盆地に造られた連合国家だ。

 

 各地には人馬の氏族が纏める集落。

 

 いや、それなりに大きな邦が幾つかあり、その氏族達が議会を開く事で国家として成立している。

 

 何故、彼らのいる盆地が奴隷市場になったかと言えば、それが最も輸送効率が良い場所だったから、という事になるだろうか。

 

 旧くから北部では戦乱は必ず何処かで起きていて、奴隷となった者達が人馬の輸送業者によって運ばれる事か多かった事から、その本拠地に奴隷市場が他の種族によって誘致され、彼らはその場所での商売を手伝う代わりに彼らの上前を輸送業で撥ねて儲けて来たのである。

 

 故に人馬の奴隷商人が増えて行き。

 

 今や奴隷商人と言えば、人馬であった。

 

 ただ、ここ最近彼らは不興に喘いでいる。

 

 種族連合の勃興によって、各氏族、種族の者達が自分達の一族の奴隷を開放する事を人馬の商人達に要求。

 

 これを拒否した彼らは種族連合に睨まれたが、人は出さずに金は出す事で何とか種族連合の爪弾き……要は信用出来ない金だけ出す連中として見られ、今や戦争の相手がヴァルハイルである為に殆ど奴隷というだけの奴隷も確保出来ず。

 

 唯々、種族連合にお金を払う貯金箱扱いされており、困窮した奴隷商人達は次々に廃業……今はまだ存在している奴隷達に働かせて何とか食い扶持を稼いでいた。

 

 それですら種族連合から奴隷の扱いをしくじれば、その種族から攻められる可能性を考慮してくれたまえとの話で今までのような扱いが出来ず。

 

 もう反乱が起こるまで秒読みでは?

 

 と、囁かれている。

 

「……活気が無い?」

 

 ヨルヘームは国家の名前であると同時に首都の名前でもある。

 

 議会が置かれた街は最も開けた河が近くにある平地の上に築かれている。

 

 巨大な輸送路はヨルヘームから樹木の幹の如く北部各地に引かれた石畳の通路。

 

 通称【奴隷街道】として数多くの奴隷達を北部であちこちに分配した。

 

 だが、今や種族連合の建前は全ての北部の勢力を糾合した統一戦力を造るというものであり、各種族が問題視していた自分達の一族の奴隷の廃止を種族連合は議決。

 

 今まで道の所有権で権勢を誇っていたポーゼブはやり玉に挙げられて、奴隷を開放しないならば、道を無償で使わせ、同時に奴隷をもう売るなという話に頷くしかなかった。

 

「……あ」

 

 少年が見る前で街の大通りの広場を通り掛った鉄格子付きの馬車が人馬以外の如何にも奴隷ですという身なりの者達によって襲撃され、次々に鉄格子が破壊されると内部から奴隷達が次々に襲撃者達の手によって救出され、その場を離脱。

 

 馬車を引いていた人馬達が脚をこん棒で叩き折られ、ボコボコにされて撃ち捨てられて馬車が燃やされた。

 

 しかし、それに衛兵らしい者達は殆ど干渉する事もなく。

 

 何処か暗い顔で知らぬ存ぜぬを通している。

 

 周囲の奴隷商だったのだろう閉まった店の内部。

 

 木戸の内部からチラ見していた者達。

 

 恐らくは奴隷なのだろう者達が喝采を上げた声が漏れているが、誰も咎める雰囲気が無い。

 

 脚を折られた人馬の男達は何とか這うようにして馬車から逃げ出し、焼け死ねぇーという声にビクビクしながらも路地裏へと逃げ込んでいく。

 

 火の付いた馬車が飛び火しない内にと衛兵がそこでようやく重い腰を上げて、呪紋で水を放水し、消火活動に従事し始めた。

 

「滅茶苦茶荒れてる」

 

 少年がイソイソと情報にあった場所に向かおうとすると。

 

 通りの先から何かが駆けて来るのを見付ける。

 

「貴様らぁ!! 何をしている!! 救助者は何処だ!! 火を消し止めたならば、ボサッとしている暇があるのか!!」

 

「―――!?」

 

 思わずなのか。

 

 背筋を伸ばした衛兵がすぐに路地裏を指差しつつ、再び火に呪紋で水を掛け始めたのを確認し、通りの先からやって来た人馬。

 

 全身フルプレートで兜のみ使わぬ如何にも女騎士と呼べそうな二十代前半か十代後半くらいだろう銀髪の彼女が血の跡を追って路地裏へと走る。

 

 そして、路地裏で何とか自分で手足しようとしていた2人の馬の胴体を片方ずつ腕で抱えて持ち上げると有無を言わさず通りの先へと奔り抜けて行った。

 

「……元気なのもいる?」

 

 よく分からない話である。

 

 あるいはそういう相手もいるというだけなのかもしれず。

 

 少年はイソイソと大通りを後にして城下町の先へと向かう。

 

―――5分後。

 

 人馬達の城は基本的に人馬用である為、根本的に広く造られている。

 

 通常の通用門ですらかなりの大きさであり、鎧を付けた人馬の通行を想定している為か。

 

 蹄鉄を付けた人馬達の通行で石畳の方が擦り減っているのが年季の入った様子からは見て取れた。

 

 城は高くではなく。低く広い。

 

 塔のようなものは無く。

 

 高台や壁の上を通れる広い通路を持つ城壁が用いられて、物資の輸送も楽そうな坂道を多用していた。

 

 そんな城のすぐ傍は貴族のような階級を持つ者達が住まう場所ばかりだ。

 

 一番多いのは騎士階級。

 

 次に多いのは文官。

 

 そして、最後に商人。

 

 こういう人々が多いからか。

 

 周囲には軽装の鎧を着込んだ人馬が歩哨として巡回していた。

 

 そんな最中、少年はイソイソと人馬の中でも氏族階級の上位者。

 

 つまり、ヴァルハイルと繋ぎが取れるような相手の館に来ていた。

 

 先の二件の仕事と違って、人馬に関しては婚約解消を秘密裏に言い渡して契約書を回収するだけで問題無いとの話であり、一番簡単に仕事が終わるだろうとベクトーラが言っていたのである。

 

 正面の門の内部に壁の上から乗り超えて入り込んだ少年がスタスタと玄関先に向かった。

 

 屋敷は左程広くないが平屋建てなので庭が良く見える。

 

 本来ならば草花が植えられていそうな場所には作物が植えられており。

 

「ニンジン?」

 

 農業にも詳しい。

 

 というか、随分前からニアステラとフェクラールの植生にある全ての植物に対して深い見識を持つ少年にしてみれば、庭に植えられた人参は少なからず、その土で植えるには不適格なものであった。

 

 実際、ニンジンの大きさはあまり良いとは言えない。

 

 玄関先でベルを鳴らすと十秒程して、扉が開かれ、アルマーニアの亞人らしい初老の男が少年を見て、何か名状し難い顔をしていた。

 

「ヴァルハイルからの使い」

 

「ッ―――只今、御当主をお呼びしてまいります。しばし、お待ち下されば」

 

 上等なコートを着込んでいる男が頭を下げてから扉を閉めて、すぐにドタドタと内部からは走っていく音。

 

 そうして数分間は館が騒がしくなり。

 

 次々に人が何処かへと移動しているのが少年にも分かった。

 

 そうして、すっかり人の声と足音が途絶えた後。

 

 同じ男が再び扉を開けて、少年を招き入れ。

 

 応接室へと通してくれた。

 

 お茶が出されたので静かに嗜みつつ、待っているとまた何やら館の奥。

 

 裏門らしい通用勝手口付近で何やらゴタゴタし始めたらしく。

 

 ドッタンバッタン走り回る足音があちこちでして、少年がお茶を飲み干した頃に応接室へと一人の歳若い女性人馬がワンピースタイプらしい馬の馬体を包む蒼いドレス姿でやって来た。

 

 その髪の毛は白銀で僅か額には汗が浮いている。

 

「お待たせ致しました。御客人……実は知らせを聞いて戻って来たばかりでして、何処か粗相がありましたらご容赦を」

 

「問題無い。こちらは外交部の名代で来てる」

 

「そうですか。では、失礼して」

 

 馬体が人馬専用のソファー。

 

 縦長の上から跨って座る形のソレに収まる。

 

「此処がファスノーチカ家で相違ないか確認したい」

 

「はい。当家がファスノーチカ家で間違いありません」

 

「そちらは御当主?」

 

「はい。現在、前代の当主であったマスメリト・ファスノーチカは諸事情により、当主の座を降りて王城に隠居しておりまして。現在の当主は長女である私エムルト・ファスノーチカとなります」

 

「婚約に付いての詳細は?」

 

「全て承っています。ヴァルハイルからの使者という事はファスノーチカ家との婚約の話において進展があったと思ってもよろしいのでしょうか?」

 

「外交部から通達。ヴァルハイルは本婚約を認めず。以上」

 

「―――それがヴァルハイルからの正式な。いえ、非公式な回答であると?」

 

「そう聞いてる。証文の破棄もしくは回収が任務」

 

「……左様ですか。では、仕方ありません」

 

 白銀の彼女。

 

 エムルトが証文らしいスクロールを脚に括り付けていた筒から取り出した。

 

「対ヴァルハイルたる種族連合に人馬はヴァルハイル側で勝手に参戦させて頂きます」

 

 少年が思わず首を傾げた。

 

「ただの使いでしかない貴方にはお解りにならぬ事でしょうが、此処で貴方には死んで頂きます。申し訳なく思いますが……」

 

 少年に向けて彼女が手を出して呪紋を無詠唱でぶっ放した。

 

 それと同時にあちこちの動く壁などに潜んでいた亞人の恐らくは奴隷なのだろう身なりの良さそうな者達が呪具らしい得物を持って襲い掛かって来る。

 

 馬体がまるで鳥のように軽やかに背後へと跳びながら、前脚でソファーを少年に滑らせて、次撃の呪紋を用意する。

 

 最初に少年が喰らったのは少年を中心に細胞を氷結させて破壊する氷属性の壊死系呪紋だった。

 

 少年の肉体と外套に霜が付いており、効果があれば、戦闘中に次々に肉体の不調で不利になっていく事だろう。

 

「お覚悟!!」

 

 だが、数名の男達が呪具たる剣や槍で四方八方から突き刺してくるのを少年は平然と眺めつつ、男達が一撃で下がるのを見越した呪紋を放つ寸前の相手に向けて脚を一度前に踏み込んだ。

 

 途端、部屋が罅割れると同時に爆風によって内部のものが粗方吹き飛びながら部屋の外まで壁を貫通して男達が背中から突っ込んで血を吐いて止まる。

 

 同時に震脚に絶えた人馬の呪紋と同時に放たれる暗器らしい小さな投げナイフが三連同時に少年の外套に殺到。

 

 呪紋は殺傷力が高い気圧操作系の呪紋で風属性。

 

 少年の周囲から空気を輩出する呪紋の刻印が魔力で吹き飛んだ床やあちこちに歪ながら浮かび上がる。

 

 だが、少年はその内部を適当に歩いて彼女の前に進み。

 

 毒の塗られたナイフも外套の上で落ちた後は何事も無いように背後の残った壁まで後退した彼女の前に立つ。

 

「どうやら、ヴァルハイルを見縊っていたのは我々だったようです。殺しなさい」

 

 何やら諦めた様子の彼女はずっと相手を観察していたが、纏った外套内部の鎧すら使わず。

 

 ただ、自らの常識的に持っている魔力の圧力だけで攻撃を防ぎ止めた相手に賞賛を送って目を閉じる。

 

「どうして通りで部下を叱った?」

 

「え?」

 

 思わず目を見開いた彼女が少年の瞳を前に固まる。

 

「奴隷の革命が秒読みの段階と言われる邦の兵士が奴隷達を畏れてロクに同じ種族も助けずにいる。もう末期的な状況なのが分かってるなら、襲われた相手も助けなくていいはず」

 

「おかしな事を聞くのですね。使い殿」

 

 彼女が溜息を吐く。

 

「見過ごせないものは見過ごせない。それだけでしょう」

 

「………こちらは証文さえ破壊出来ればそれでいいと言われてる。死んでも証文は渡せない理由は?」

 

「貴方は我らを殺した後、ゆっくり探せば良いのでは?」

 

「ヴァルハイルはこんな小国の事を気にしてない。それこそ、証文が見付からないなら邦を崩壊させてもいいとすら思ってる」

 

「―――」

 

「何も話す気が無いのなら、証文が出て来ないように邦そのものを破壊する事になる。それでも渡せない?」

 

「そんな事が、あんな証文一つが我ら人馬の未来と引き換えだと言うのですか!?」

 

「外交部にとって、国力が数万分の1にも満たない人馬の邦なんてそれこそ、実力者を数名送って滅ぼす価値すら無い。だから、裏家業の人間が送られて来た」

 

「ッ、単独で我が国を滅ぼせるとでも言うのか!?」

 

「可能」

 

 ゾッとする程に彼女エムルトは軽く言ってのけた相手の実力の底の知れなさに背筋を強張らせた。

 

「この程度の兵が数百から3000くらいまでならドラク1機で首都が壊滅。3機編成の分隊が10日も全土で破壊活動をすれば、邦の殆どの街を壊滅、軍が出て来れば、半数は殲滅可能」

 

「―――ッ」

 

「さっき、ヴァルハイル側で参戦すると言った事やあの左程の価値も無さそうな証文一つで有能な人材一人と交換してもいいと考える誰か。少なくとも何かしらの理由を聞かないと納得は出来ない」

 

「……おかしな方だ。それを貴方が知る意味は?」

 

「種族連合の間諜として働いてる。もし、そちらが何も話さないなら、この事は種族連合の上層部の耳に入る。勿論、最大勢力を誇る西部で立て直しつつあるアルマーニアにも」

 

「ッッッ!!?」

 

 さすがにエムルトの顔が固まった。

 

「何かそちらにとって不利益そうなのは解った。命までは取らない。何も話す気が無いのなら、このまま報告に向かわせて貰う」

 

「ま、待った!? 待って欲しい!? ほ、本当に貴方は―――」

 

「ヴァルハイルの裏組織にいるのは種族連合の意向。今、種族連合は膠着したヴァルハイルとの戦線を維持したまま。大規模攻勢を掛ける準備が終わり掛けてる」

 

「ま、まさか、ほ、本当にあのヴァルハイル相手に種族連合は―――」

 

 彼女とて知っている。

 

 ヴァルハイルは四卿を落とされて、現在苦戦しているのだ。

 

 頼みの綱の大規模戦略呪紋兵器たるグラングラの大槍すらも奪取されて、戦線は大規模反転攻勢も間直とすら囁かれている。

 

「戦略目標は高都。四卿の一角が落ちて他が教会勢力相手に出払ってる今、後方で動いてる計画が成功すれば、高都を主要戦力が直撃する。そうすれば、他の都市を落とさずとも挟撃、籠城戦にしてお終い」

 

「―――ッ、証拠は!?」

 

 エムルトの声に少年が通信用の呪紋を脳裏で起動して、オクロシアに掛ける。

 

『何だ? 今忙しいのだが、どうかしたのか?』

 

「今、オクロシアのヘクトラスに直通の呪紋を使ってる」

 

「な!?」

 

『オイ。こっちは忙しいのだが? それから何処から繋げている? この方角でこの距離……人馬の邦か? あの奴隷商共の邦で何をしている? そちらには高都陥落の計を動かす仕事があるだろう』

 

「切ってくれ!?」

 

 エムルトの懇願のような悲鳴に少年が外部に聞こえるようにしていた音声と共に通信を切った。

 

『一体、何なんだ……はぁぁ、あのニアステラの英雄殿にも困ったものだ』

 

 オクロシアの地下で通信をガチャ切りされ、溜息が吐かれているだろうと思いつつ、少年が再び白銀の人馬娘に向かい合う。

 

「疑うなら、今度は……」

 

「解った!! 解ったから種族連合に対しての通信は……止めて欲しい」

 

「話す気になったなら、落ち着いて話が出来るところに」

 

 その時、破壊された部屋からも庭先に人馬の足音が聞こえ始めた。

 

「解った。どうやら警邏が聞き付けて来たようだ。お前達!! まだ動けるな!! 動ける者は私が疲れて訓練中に呪紋を暴発させたと警邏に言っておけ!! 今から、私はこの御仁と地下で話してくる!!」

 

 ノソノソと血を拭いてフラフラしつつ、奴隷だろう男達が呪紋で互いに肉体を回復させながら、着替えを取りに壊れた部屋の横から通路の奥に向かう。

 

 すると、そちらの方から女性陣の悲鳴らしきものが僅かに上がり、騒がしく後片付けが開始されたようだった。

 

 *

 

―――ヨルヘーム王城。

 

「まぁ、どうやら失敗したようね。あの子は……あの子の奴隷達も不甲斐ない。やはり、二足はダメね。使える手札が欲しいけれど、もう手に入らなくなってしまったのも痛い……わざわざ、“大事に使う”事になるなんて……」

 

 何処か感情を吐露した言葉とは思えない響きで老婆が呟く。

 

 その手前には姿見が一つ置かれていて、大きな鏡面には黒い何者かと銀色の人馬が移り込んでいた。

 

「……さすがにヴァルハイルの加護は大きいのね。けれど、ようやく我が一族の悲願を果たす事が出来る」

 

「ダ、ダスカ老!!? 来たのか!? ヴァルハイルが来たのか!!?」

 

「ええ、陛下。来ましたよ。我らの道を塞ぎし蜥蜴共の使者が……エムルトは破れました。席より抹消し、戻った場合は処刑すべきですね。どうやらヴァルハイルの使者に敵わぬと見て、こちらの情報を漏らしたようですから」

 

「ああ、まさかエムルトが!? ダスカ老!? どうすればいい!? どうすれば!?」

 

「今すぐに計画を次の段階へ移行させましょう。各地の儀式場に集めた奴隷達を使って、即座に儀式を開始し、早急に周辺国との決着を付けるのです」

 

「う、うむ!? うむ!? わ、分かった!? ああ、怖ろしい!! ヴァルハイルめ!? あの蜥蜴共め!? 種族連合の者共と共倒れになればいいものを!!」

 

 老婆の背後。

 

 木製の椅子に座り込んでいる頬のこけた鈍色の銀冠を被る60代の男がボタボタと口から唾液を垂らしながら血走った目で震えながら頭を掻き毟る。

 

 その側頭部の髪に隠れた場所には鉄の鋲のようなものが撃ち込まれていた。

 

「あの山羊人の王も失敗したとなれば、ヴァルハイルからの襲撃者は怖ろしく強い。使徒の階梯に近いものを何人も送り込んで来ているのでしょう」

 

「な、何!? それは誠か!!? ああ、ああぁあぁ!!?」

 

「四卿に劣っていても蜥蜴共の強者は狡猾です。それ以外の手札も多い。早めに対処するのが良いでしょう。全権はわたくしに……」

 

「うむ!! ダスカ老!! 任せたぞ!? 任せたからな!? 我が国を!? どうか、救ってくれ……うぅ……ヴァルハイルめ。あの婚約の何処に不満があったと言うのだ。クソクソクソ―――」

 

 黒い丸メガネを掛けた老婆は杖を突きつつ、歩き出し、部屋の内部には老婆が消えた事にも気付かない様子の男だけがブツブツと呟きを吐き出し続けていた。

 

「……アレも、もうダメかしらね。新しいのを見付けなくては……それにしても山羊人の王もダメだったとなると、ヴァフクの連中をどうにか引き込まないと」

 

 意志の通路を歩く老婆の背後に数名の者達が幾つかの道で合流し、付き従って歩き始める。

 

「御当主。ゾアクからの連絡が届きました。現在、例の使徒は邦を留守にしている様子でどうやら対ヴァルハイル戦に投入された様子であると」

 

「此処がダメになったら、あちらに移りましょうか。それで? あのヴァルキの使えない坊やの城は?」

 

「地下を呪紋で探索しましたが、ドラクの残骸以外は何も発見出来ませんでした」

 

「神の遺骸は?」

 

「それが一切の痕跡が無く……」

 

「ヴァルハイルの連中も業突く張りねぇ……」

 

「申し訳ありません」

 

「いいわ。あそこにもう用は無い。儀式の方に掛かりなさい。“王”からもそうするように言われたわ。各地の儀式場がこれで7つ。さすがに今の種族連合でもコレを止められるものではないでしょう」

 

「では、明日中にでも」

 

「よろしくね。それと使っている奴隷共も全て儀式に投げ入れておきなさい。もう必要無いわ」

 

 老婆が歩きながら王城の玉座のある場所までやってくる。

 

「人馬の真なる王亡き今、あのボンボンには荷が重かったかしら。ま、いいわ。我が家は生存を是とする。“王”がようやく目覚めつつある今、儀式の遂行は必須。仕事に掛からないと……」

 

 老婆は玉座に座り込む。

 

「さて、知恵比べね。ヴァルハイルの蜥蜴共……どちらが先に足場を固めるか」

 

 小柄な老婆。

 

 人馬の彼女。

 

 その瞳が閉じられると同時に王城の床にはゆっくりと呪紋が迫出して、浸透するかのように肥大化し、城を覆い尽していくのだった。

 

 *

 

―――ファスノーチカ家地下。

 

 少年が案内されたのは大きなワインセラーの一角だった。

 

 葡萄酒の香りよりも石畳の臭いの方が強い一角は今やガランと中身がほぼ無いような状態で明かりと椅子だけが置かれた場所となっている。

 

「……まず、疑問に答える前に貴殿はこの邦の事を何処まで知っているか確認してもいいだろうか?」

 

「人馬の邦、奴隷の市場。奴隷革命前夜。運送業は休業中。種族連合を死ぬほど憎んでる」

 

「大まかには全て事実だ。けれど、それでは足りないのだ」

 

「足りない?」

 

 エムルトが頷く。

 

「我が邦は基本的に人馬が最も上にいる。同時に多くの国民が奴隷達に死ぬほど憎まれている。理由は単純だ。嘗て100年程前までの奴隷達への扱いと現在の扱いは天地の差がある」

 

「どうして?」

 

「……我が国に一つの家が台頭した」

 

「家?」

 

「ゲムルト家と言う。家は代々、王家に使える摂政役だ。議会に議席は持たないが、王家直参の家で呪紋に長けた家だ」

 

「ふむ……」

 

「その家が100年前に台頭した時、彼らは人馬こそが奴隷達を束ねる一番優秀な種族であり、奴隷達の王であると説いた。そして、此処100年で奴隷達の地位と扱いは怖ろしく劣悪になった」

 

「それで?」

 

「現在の王はゲムルト家の現当主の言いなりだ。元々、私の上の世代では奴隷達の扱いを見直そうとした者達がいたが、ゲムルトによって謀殺され、謀略で殆どの動きが潰された」

 

「今のところ、よく在りそうな話で済む」

 

「だろうな」

 

 エムルトが溜息を吐く。

 

「ゲムルトの家は謀殺した家々の者達の保護者。いや、管理者としてまだ生きていた反対勢力の子供を養子に取ったり、養育したりして反対勢力次代の芽を摘んだのだ。それがここ最近までの話」

 

「で?」

 

「この前提で話を聞いて欲しい。ヴァルハイルが戦争に突入した頃、奴隷達が呼応した動きを始めていた。理由は種族連合が助けに来てくれるかもしれないという話しが広がったからだ」

 

「殆どその通り」

 

「ああ、そうだ。我が国は種族連合には敵わない。故に種族連合に表向きの成果として奴隷達に対して今までのような無体を働かない事を約束した」

 

「聞いた通り」

 

「だが……それはゲムルトの家にとっては想定内の話だった」

 

「何か対策してた?」

 

「その一つがヴァルハイルの王族との婚約という話だ。勿論、後ろから刺す準備をしているから、時期が来れば、ヴァルハイル側で参戦するという密約をした」

 

「婚姻は参戦事由。大義名分?」

 

「その通りだ。だが、実際にはヴァルハイル側で参戦するというのは口実に過ぎない……本当のゲムルト家の目的は生き残る事だからだ」

 

「生き残る?」

 

「ゲムルトの家もこの邦が限界に来ている事を自覚していたという事だ」

 

「………」

 

「単純に言えば、ゲムルト家はわざと内紛を起こして、ヴァルハイル側に付いた生贄にする勢力と種族連合側に付いた奴隷達の構図で八百長をする気だった」

 

「自作自演?」

 

「そうだ。ゲムルトの家の者達の多くはその為に動いている。ヴァルハイルと種族連合の戦争でどちらが勝っても自分達は勝った側になる為にな」

 

「可能?」

 

「ああ、可能だ。奴隷達から情報は出ない。後は国内の事情を知っている連中を粛清すれば誰も事実を知る者は無くなるだろう。奴隷達の頭には釘状の呪具を打ち込んである。そういう制御可能な国内奴隷が20万人近い。彼らを犠牲にしてゲムルト家が旗頭となり、どちらが勝っても勝ち馬に乗る気なのだ。殆どの者達は……」

 

「勝敗次第ではあっても、種族連合と戦わずに面倒な国内の敵だけ破壊して邦の内部を完全に統制するって事?」

 

「ああ。でも、それでは恐らく奴隷達は殆ど救われない」

 

「犠牲の仕方に問題がある?」

 

「それもある……だが、一番の問題はさっき言ったようにヴァルハイルがこちらを切り捨てるのをゲムルト家が理解していたからだ」

 

「大義名分が失われると分かってた?」

 

「そうだ。ゲムルト家の当主は契約後に戦争が起こった後、情報収集に勤しみ。それをすぐ予見していた。故に種族連合を本気で切り崩しに掛かった。奴隷達の命を使って……」

 

「呪紋の生贄にでもする?」

 

「現ゲムルト家の当主ダスカ・ゲムルトはこちらに条件を出した。もしも、ヴァルハイルがこちらを見限ったとしても、その事実が公にされる前に、あるいはその事実を有耶無耶にしている間に既成事実として大義名分の下に革命が起こって、内戦が起こるならば、問題無いと」

 

「……こちら?」

 

「そうだ。そうすれば、奴隷達を使い潰さないと彼女は言った。追い落とした我が家に国家の存亡と奴隷達の命をどちらも護りたいならば、と」

 

「さっきの追い落とされた家は此処?」

 

「そうだ。ファスノーチカは奴隷擁護の家だった。だから、ヴァルハイルに今の状況を報告されては困るのだ。もし、そうなれば」

 

「どうなる?」

 

「奴隷達は……革命が起きたから、反乱で鎮圧された……そういう理屈で密かに生贄とされて……大規模な呪紋が発動される。親ヴァルハイル派が生贄にしたと喧伝しつつ、周辺国への攻撃へ使われる手筈になっている」

 

「八百長で奴隷を生贄にして、自分達は奴隷の擁護者の仮面を被る。見掛け上の敵は自分達が用意した替え玉でヴァルハイルに罪を着せるのにヴァルハイルと縁を切られちゃ困る?」

 

「……ああ」

 

「そして、奴隷を救うにはヴァルハイルに縁を切らせずに早急に革命を始めさせる必要がある?」

 

「ああ、要は生存を担保出来ればいいゲムルトとしては種族連合にヴァルハイルが大打撃を与えたという事実で周辺国に我が国は面倒事だと教えられればいい」

 

「戦力が送られてこない限りは問題無いって事?」

 

「そうだ。“内部抗争中の邦の諍いに参加したくない”と思わせられれば、戦略的な目標は達成したに等しい。奴隷達の命を無暗に散らせる事無く事を治めたいなら、奴隷贔屓の戦力が新ヴァルハイル派を粛清したという話しに持って行けばいいわけで……その匙加減はあちらが握っている」

 

「ファスノーチカ家の最終目標は?」

 

「出来れば、奴隷達の多くが命を失わずに革命が終わる事だ」

 

「……もしかしてゲムルト家に養育された?」

 

 少年の言葉に深い息が吐かれる。

 

「怖ろしい彼女の事を好きな人間はいない。野垂れ死にさせない代わりに赤子の頃から忠誠を誓わせようとする女だ。畏れ、崇めている者もいるだろう。でも、好きではないはずだ。家の誰もが……」

 

「……この邦は少なくとも良い所には見えない」

 

「―――今や追い詰められていると噂のヴァルハイルに言われる程とは。我が国も亡国だな。遂に……」

 

 エムルトが溜息を吐く。

 

「ヴァルハイルにファスノーチカ家は何を提示出来る?」

 

「ヴァルハイルは我らとの秘密同盟の話を無かった事にしたい。そちらはその使い。だが、それを遅らせてもいい状況だろうか?」

 

「外交の人間からこの依頼が来た。表沙汰になる前に破棄して欲しいと」

 

「……ダメか。どちらにしてもヴァルハイルに罪を着せられなければ、周辺国への侵攻で種族連合が此処を攻め滅ぼすのは確定的。だが、そんなのを迎え討てる戦力など……生贄を使っても出来る事には限度がある。それをあの女が分からないはずもないと思っていたが……」

 

 少年が銀色の髪の彼女がシナッと干乾びたように見えた。

 

「ヴァルハイルを利用する気でいる現当主にヴァルハイルともう一度交渉する気は無い。ファスノーチカが出せるのは猫の額程の領地と僅かな蓄えくらいだ」

 

「奴隷は?」

 

「どんな奴隷ならヴァルハイルの人間が納得する? そんな者は此処にはいない。この邦の殆どの人馬達は……我が同胞はゲムルト家の思想に染まり切り、奴隷達の反乱に怯えながらも今更態度を改めようとする気もない者ばかりだ」

 

「………」

 

 何処か鬱々として彼女は疲労の色が濃い瞳で少年を見やる。

 

「それどころか。特権階級以外は同じ人馬ですらも階級で区別する。王族、貴族、役人、商人、平民……男が女を殴り、服従させるのが当たり前のような邦だ」

 

「それでも奴隷に今更反抗されると知っても手が出せない?」

 

「国民とて知っているんだ。自分達が外の亞人達とは価値観が違う事くらい。でも、赤子の時から染み付いた常識は消えたりしない……」

 

 それは確かに真理に違いない。

 

 社会の常識が外部の非常識だとしても、それを改めようとする者は何処だろうと決して多くない。

 

 それが傅く奴隷という存在をずっと前にして養われていた文化として定着してしまっているのならば、改善するにはそれが根付いたのと同じだけの時間が必要なのは間違いないだろう。

 

「そのせいで奴隷女を男が1家に1人持つような状況だ。今や3割近くの人馬が他種族との混血。それも下層民で固定。奴隷と大差無い扱いをされた彼らが奴隷達と争っている姿を娯楽にする文化すらある」

 

 その言葉は正しく呪いのように彼女の背中に背負われているのが少年にも分かる程に重いものだった。

 

「高貴を気風とするヴァルハイル軍は少なからず敵の勇姿を賞賛するくらいの度量があると聞いている。だが、我が国の民の人格はそちらと比べても未開……そもそもの根本、教育からして腐っている。我が国の多くの民は奴隷を、種族連合を畏れながらも、蔑む対象が消える事を何より畏れて今に至っている……」

 

 少年を見る瞳はもはや汚泥に沈み込んで消えていく人間も斯くや。

 

 深い失望と諦観が浮いていた。

 

「……どうしてそこまで分かっていて、邦を出ない?」

 

「出て行けるならそうしている。だが、私を育ててくれたのはあの女が虐げ、投げやりに殺していた奴隷達だ」

 

「奴隷に?」

 

「奴隷にも色々いる。そして、彼らにしてみれば、私のような子供を哀れに思いつつも、同じ人馬として復讐の対象物として……正常に育てようというところだったんだろう。沢山の事を教えてくれた……」

 

「悲劇でも気取る?」

 

「はは、気取れたらどれだけ良かったか。彼らの復讐は真っ当で、真っ当過ぎて……この苦しみも含めて、私なんだ……彼らは外の価値観を、本当の愛を……そして、人馬への復讐をちゃんと果たして死んでいった」

 

 だから、と。

 

 彼女は少年を前にして真っすぐに見やる。

 

「私はどうなろうとも決して目を逸らしてはいけないんだ。多くの奴隷達は目を逸らす暇もなく死んだ。絶望と諦観を感じながら死んだ。どうにもならない事をどうにもならないままに死ぬしかなかった。償いには為らないとしても、少なからず同じ目に合う人馬が必要だろう」

 

「………」

 

 少年が話しを聞き終えて、色々と準備を確認する。

 

「奴隷はどういう風に使う? 生贄と言っても、生贄にしてどんな呪紋を使うのか。それも聞いてない?」

 

「聞いてない。いや、調べたが、分からなかった。殆どの者達も同じはずだ。呪紋の得意な家と言っただろう? 現当主はそれこそ他の邦の王族に呪紋の師として雇われるくらいの実力だった。彼女は用心深くもある」

 

「他に情報は?」

 

「年老いたとはいえ、その深淵を覗く叡智は恐らく周辺国でも並ぶ者は無い……先日は山羊人ラグズの王に呪紋を教えたとお茶の席で言っていた……」

 

 少年が脳裏で幾つかの可能性を考慮に入れる。

 

「奴隷達の位置は?」

 

「今は七か所に分けられているというが場所は分からない。呪具を頭に埋め込まれて、いつでも操れるようにされた状態で誘導されていて……」

 

 少年が脳裏で先日に山羊人の王の陰謀を暴いた最初の一匹の視界を見やる。

 

 すると、どうやら今日に限って人馬の邦の外延をウロウロしているようだったが、その瞳には大量の奴隷達が集められた広場らしきものが見えていた。

 

 もう動き出しているらしく。

 

 奴隷達を観察し、少しだけ捕獲し、頭部に鋲のようなものを埋め込まれたのを発見し、呪具の解析に掛かっている。

 

「………今から、種族連合の名前で人馬の邦を滅ぼせば解決」

 

「は!?」

 

 思わず彼女が立ち上がる。

 

「何を言って!?」

 

「これから各地の集められた奴隷達を生きたまま制圧して、人馬の邦を滅ぼす。勿論、ゲムルト家を全て処分する」

 

「な!?」

 

「今、種族連合には此処を迅速に今日中に制圧出来る戦力がある」

 

「きょ、今日中?!」

 

「もしも、奴隷達を生きたまま開放したいなら、人馬の邦を滅ぼしていいという許可が欲しい」

 

「わ、私は一介の!?」

 

「問題無い。許可が出なくても結果は変わらない。でも、許可が出ていたという事実があれば、恨まれもすれば、ありがとうと感謝されもする」

 

 エムルトが少年を見やる。

 

「責任を取れと言うのか」

 

「そうしたかったなら、そうすればいいだけ」

 

「はは、急な話過ぎる。それに今日中にこんな僻地に戦力が来るなんて信じられるはずがない。ないのに……どうしてだろう。そちらが嘘を言っているようには見えない……」

 

「ただの事実」

 

 少年が周囲を見やると瞬間転移してきたスピィリア達が続々とワインセラーの奥から集まって来ていた。

 

「ッ」

 

 その青白い体に複眼を赤光に輝かせ、少年の背後に列を為していく蜘蛛達を見て、ようやく彼女は風邪の噂に聞いた話を思い出す。

 

「そうか。蜘蛛、蜘蛛か……我らの祖先を追い出した西部の魔蟲ウルガンダ。彼の地の蜘蛛の母を打倒し、自らの配下に加えた新興地域……ニアステラ……」

 

「人馬の邦が無くなって、人馬達が現実を知れば、どれだけ奴隷達にしていた事が理不尽だったか理解出来る。それでも改めないなら死ねばいいだけ」

 

「死ねばいいだけ、か」

 

「丁度、北部にニアステラ領が欲しかった。活動拠点にして、人馬の意識を変える誰かを上に付けて、適当に統治して貰う」

 

「まるで御伽噺だ……」

 

 苦笑も零れないのに彼女は目の前の少年の言う話がすぐにでも現実になる気がしていた。

 

「今まで奴隷にやらせていた事を今度は人馬が自分達でやり始めればいい。強制的にやっていれば、その内絶望して勝手に悟る」

 

「単なる間諜がそんな戦力を投入出来るはずがない。そう思うのにどうしてかな。簡単そうに聞こえる……」

 

「(-ω-)/」

 

 蜘蛛達が何やら少年の背後にやってきて、少年を中心にして「この方こそ、僕らのちちー」と腕を広げて賑やかした。

 

「ニアステラ第一野営地遠征隊、隊長アルティエ」

 

「そうか。貴殿があの吟遊詩人共が歌うニアステラの英雄、か」

 

「取り敢えず。全て諦めて同胞を奴隷のようにこき使う仕事をする覚悟があるなら、奴隷達をこちらで可能な限りは救ってもいい」

 

「私は同胞達から死すら温い程に恨まれるだろうな……」

 

「今更、気にする?」

 

 その言葉でエムルトが苦笑する事しか出来ない自分に気付いて、深く深く溜息を吐いた。

 

「……そうだな。今更だ……どうか、我が邦の未来を……奴隷達の命を……救って頂きたい」

 

 立ち上がり、彼女が伏して頭を下げる。

 

「覚悟があるならいい。報酬はこの邦。ヴァルハイルの大義名分が消えるなら、種族連合が同じ大義名分を掲げれば、風当たりも少なくなるはず」

 

「王族との婚約は……」

 

 エムルトがさすがに僅か難しい顔になる。

 

「違う。此処を統治する者は種族連合との密約で最初から裏で繋がっていた。という嘘が罷り通ればいい」

 

「解った」

 

「勿論、婚約を主軸にしたとしても表向きの話で生涯独身で貫いて貰う事になる。人馬達も今までの自分達の無体な行動を理解してるなら、種族連合と前から繋がっていた重要人物を責め難くなる」

 

「(・ω・)……」

 

 蜘蛛達は『いや、それまたニアステラで問題になりそう。主に遠征隊女性陣の中だけで……』とか思ったが気にせず再び隊列を組み直した。

 

「取り敢えず、話しは後にしてさっそく各地の奴隷達の救出に向かう」

 

「解った。こちらで地図を」

 

 エムルトが懐から地図を取り出した。

 

「……ルーエル」

 

「はーい!!」

 

 ワインセラーの奥から蜘蛛達の統括者として転移してきたルーエルが人の姿となって遠征隊の外套を身に付けてやってくる。

 

 少女にエムルトから貰った地図を少年が渡した。

 

「フレイと一緒に各地に蜘蛛達を派遣して、儀式場を潰して生贄を生きたまま確保。呪具を安全に外せそうなら、解除して来るように」

 

「りょーかいだよ!! みんな~行くよ~」

 

「(≧▽≦)/」

 

 はーいと遠足気分でやって来た蜘蛛達が片手を上げ、ルーエルに頭を撫でられながら、その体を上に載せて神輿のように担ぐと瞬間転移で遠方へと消えていく。

 

 それを見ていた銀の人馬は思う。

 

 悪魔の契約を交わした相手はどうやら思っていた以上に危ない相手のようだと。

 

 集団を瞬間転移させる程の呪紋の使い手。

 

 それも出現しただけで息の詰まりそうな気配のする相手を手懐けている様子はもはや一国の王など意に介さない力を示していた。

 

「これから我々はどうするべきだろうか?」

 

「王城に行く。そのダスカなんちゃらを倒して、王と現在の上で奴隷に不寛容そうなのを消し飛ばす。残ったあちら側を全滅させて、関係無いのは放逐」

 

「簡単に言ってくれる。城の警備は―――」

 

「関係無い。今、首都の人間を制圧し終えた。後は呪紋で護られた王城だけ」

 

「ど、どういう?!」

 

「こういう?」

 

 少年がずっと片手に握っていた不可糸の束を彼女に見せる。

 

 ソレが部屋の外へと大量に伸びており、正しくエムルトの家を中心として広がって、巨大な蜘蛛の巣のように首都を覆い尽し、王城周囲の城下町を完全に包囲していた。

 

 

 奴隷達以外の人馬。

 

 特に女子供以外は全て見えない何かに絡め取られていた。

 

 白く糸が顕現した事で悲鳴があちこちで上がり始めており、恐慌状態の城下町はそれでも動く者も外出しようとする者もいない場所へと変貌していく。

 

 *

 

「一体、何が起きたのです?」

 

「解りません!! いきなり、王城の外部へ続く扉が開かなくなり!? 呪紋で封鎖されたとしか考えられず!!」

 

(種族連合? いえ、それにしては迅速過ぎる。ヴァルハイルはこの地に直接の利害を有していない以上、連絡役以上の高階梯な術者や戦闘力を持つ者が来るはずもない。とすれば……)

 

 王城ではいきなり王城の外に出る全ての扉が開かくなった事で軽い恐慌状態に陥った兵や王城に務める者達がざわついていた。

 

「報告!! 監視室から城下町が白く染まっていると報告が!!」

 

「報告は正確になさい。白くとは何です? 季節外れの雪でも降りましたか?」

 

「い、いえ!? それがどうやら糸のようなもので城下町が雁字搦めにされて、多くの住民が外出出来ず、外にいた者達の大半が捕らえられているようであると!!」

 

 その報告に嫌な予感を感じて、ダスカ老と呼ばれた老婆がイソイソと執務室から立ち上がり、城下を見下ろせる城の城壁へと向かう。

 

 途中、何度も報告が上がって来たのを随時聞き流しながら彼女が城壁まで上がる。

 

「これは……」

 

 中央に立った彼女がすぐに瞳を細めて、無詠唱で呪紋を起動。

 

 瞬時に近場の白い糸のようなソレを確認する。

 

「呪紋ね。糸を出す呪紋? まさか、種族連合が使い出した? こちらの内情を? どちらにしても早くせねばならないようね」

 

 彼女が呪紋を切ろうとした時。

 

 瞬時に危険への反射で上半身を左に倒れ込ませる。

 

 次の刹那、彼女が城に張った見えない結界。

 

 呪紋を掻き消す呪紋たるソレが一撃で破壊され、罅割れた透明な結界が周囲に燐光を散らして消えていく。

 

 そんな領域の中。

 

(―――意識を加速。ダメね。これは避けられない)

 

 彼女は常駐させている呪紋の一部で認識力と思考能力を加速するが、瞬時に被弾を悟って、未だ見えない攻撃の本体を確認するのを諦めて、自らの被弾個所に防御用の呪紋を追加で施す。

 

 精霊による詠唱代替を用いた高速詠唱は思考で行われる。

 

 そこに目を付けた彼女は今や同じ事を脳裏で行う事で多重詠唱を可能にしていた。

 

(神聖属性変異呪紋【ラキアの金剛】神聖属性防御呪紋【デラールの精製】暗黒属性攻囲呪紋【マクサレスの炎塀】)

 

 嘗て北部で歌われた英雄達の名が付いた三つの呪紋が瞬時に重ねられた防御が完成する。

 

 変異呪紋によって肉体の強度を飛躍的に揚げ、防御呪紋によって体表に呪紋の魔力を吸収する魔力層を形成し、攻囲呪紋による位置指定の範囲攻撃を防御陣地代りにした彼女の周囲に暗い色の炎が分厚く5m近い領域として展開された。

 

 しかし、その結界を破った攻撃らしいものが炎の内部で消滅せず。

 

 彼女の心臓を狙い穿とうとして、魔力を減らされて減速。

 

 反射で避けた彼女の左肩辺りを吹き飛ばした。

 

(―――五体が千切れ飛ばないだけマシね。止血用の回復呪紋を、第二撃が来る前に城壁内部に)

 

 咄嗟に彼女が回復用の呪紋を詠唱しつつ、呪紋で城壁の床材を流動させて、肉体を高速で坂道へと移動させていく。

 

 その後を追うように二射、三射と何かしらの攻撃が城壁をブチ抜きながら崩落させ、周辺の兵士達が吹き飛んだ様子で倒れ伏した。

 

「止血を完了。回復用の薬が手元にないのが困ったわ。はぁ、仕方ありませんか。種族連合と類推して、敵の攻撃を解析……映像はダメね。デラールの精製で受けた魔力の波長を確認……」

 

 波打つ床に運ばれながら、彼女が王城内部の奥へ奥へと向かう。

 

 部下達は全滅しているだろうが、問題ではない。

 

 城の兵士達が城門に向かって全滅するかもしれないが、それも構いはしない。

 

 彼女にとって重要なのは生き残る事だ。

 

「この波長は……亞神? はは、何の冗談なのだか。大昔の遺物にしか残ってないような残滓ではない……先祖返り? ヴァルハイルにしても種族連合にしても大物を出して来たようね。それも蜘蛛……もしかしたら、ニアステラ、かしら?」

 

 老婆が通路を下りて下りて、地下へと向かう。

 

 その合間にも王城では次々にあちこちで悲鳴が上がっており、大量の糸が彼女にも見えていた。

 

 結界が破壊された事で糸の侵入を拒絶出来なくなっているのだ。

 

 恐らくは他の侵入者撃退用の呪紋も破られているだろう。

 

 猶予は無かった。

 

(この際、何故バレたかは置いておきましょう。問題は間に合っていない事。呪紋による通信は現場の位置が特定される可能性もある。こんな速攻を仕掛けて来る連中が諜報に長けていないわけがない。仕方ないわね。襲撃者が格上な以上、切り札は此処で切るべきね。抱え落ちは避けなければ……)

 

 彼女が地下に入ったと同時に地下周辺の結界が予め条件付けして設定しておいた通りに起動し、糸の侵入を防ぐと同時に多重に結界を生成し始める。

 

 その合間にも彼女はラグズの王が最後にいたのと同じような地下空間へと入り込んで、その中心へとやって来ていた。

 

「抗魔特剣【ガラサージュ】……コレを抜くのが我が一族の危機にとは……」

 

 彼女がようやく地面から起き上がり、中央に突き立つ錆び付いた何の変哲もないように見える長剣を引き抜く。

 

「対呪紋兵装。旧き者達の始剣……我ら人馬の神【ペガソス】の剣……人と亜人を切り分けし力」

 

 彼女が周囲を見回した時。

 

 巨大な空洞内部に魔力の灯りが灯る。

 

 ソレは白く白く。

 

 地面から円環の方陣が、呪紋の譜律で織られた陣が光を立ち昇らせ、ゆっくりと加速を初めて白い円そのものへと変貌していく。

 

「まぁ、良いでしょう。準備は万端。彼の王の実験でほぼ完全に呪紋自体は仕上がっている。贄もこの百年で十分過ぎる程に捧げ終わった後、これが成功せぬならば、芽は無かったという事でしょう」

 

 彼女が爆発的な外部からの圧力に結界が罅割れて吹き飛び。

 

 扉が外側から爆ぜて突入してくる相手が煙から出るよりも先に呪紋を完了させる。

 

「覚えておきなさい。新たなる亞神よ。神すらも全能ではない。そして、だからこそ、有限なる者の業は決して神に劣るモノではない」

 

 白い円環が吹き上がり、彼女を包み込んだと同時に黒い斬撃が大剣によって跳ぶ。

 

 しかし、ソレが白い光の円柱に弾かれた。

 

 だが、それで少年は諦める事なく。

 

 白い円柱の内部に向けて6発の超高密度の魔力の槍を全方位から当て、射角を空に向けるように呪紋を組み上げる。

 

「系神属性攻囲呪紋【グラングラの槍陣】に【劫滅】を付与」

 

 相手が何をしようとしているのか瞬時に理解した故の速攻が光の円柱を串刺しにするように6発のグラングラの大槍……その黄金の小型凝集版によって撃ち貫かれる。

 

 その槍は留まるところを知らず。

 

 瞬時に地下から周囲の岩盤を貫いて空へと飛び去っていく。

 

 そして、遥か上空で六発の巨大な爆音が鳴り響き。

 

 それが人馬の邦の崩壊を告げる鐘の音となった。

 

『―――ッッッ』

 

 光が割れて、内部から何かが上空へと向かって飛び出した。

 

 そのあまりの速度と威力に頭上の岩盤が破壊され、王城の中庭が吹き飛ぶ。

 

 更に上空へと血を零しながら上がったのは3m程の若い女の裸体。

 

 だが、その下半身は完全に失われており、内臓が零れながらも浮遊する女の吐血は正しく死が近い事を示す。

 

「ふ、ふふ……変態中にまさか伝説の系神呪紋を無詠唱とは……神の肉体すらも……半馬を持って行かれましたか」

 

 本来、神の肉体は再生や復元の能力を備えている。

 

 しかし、予め少年は神樹を殺した際に使った呪紋【劫滅】によって再生能力を不全にする能力を付随させていた事でそれも殆ど叶わず。

 

 辛うじて残った人の上半身部分のみで女神の肉体を得た女はそれですらも死に直面し、笑っていた。

 

 彼女の通った道を通り抜けた少年が周囲の糸に魔力を通して弾力を維持し、彼女のすぐ目の前まで糸に押し上げられてくる。

 

「我が神の肉体すらも殺す貴方。お名前は?」

 

「これから死ぬ相手に名乗る名前は無い」

 

 少年が油断なく夜天の剣を構えた。

 

「ふ、ふふ……半馬も再生を封じられて縫い留められている。これ以上は時間稼ぎも意味は無い、ですか」

 

 地下では罅割れた光の柱の内部に貫かれて破断された馬の下半身が再生しようとして蠢きながら倒れ込んでおり、そこには黒い大剣が突き刺さって縫い留めていた。

 

「一つ聞く。何がしたかった?」

 

「これはおかしな事を……我らの事を調べていたはず。我らは生き残りたかっただけですよ」

 

「何から?」

 

「……救世神」

 

「ッ」

 

「あら? 知っているのね。そういう事よ。我らゲムルトは亞人たる最奥に位置する種族。人と神、いえ……正確には旧き者達と神の混血者の最たる者。半分に別れるというのは特別な事なのよ?」

 

 少年の妖精剣がペガソスと嘗て呼ばれていた神の肉体に変貌中で破壊された彼女を瞬時に両断しようとしたが、その浮かんだ彼女の背後から生えた白い翼によって弾かれる。

 

「古の妖精剣。妖精騎士様かしら? 滅びた種族の力。確かに強力でしょう。ですが、干渉されるという事は干渉出来るという事。それが一方的なのは神の力を自らで操らぬ相手にのみ」

 

 翼から瞬時に抜けた翅が両手に落ちると槍へと変じる。

 

 黄金の翼を模したハルバードの類か。

 

「口惜しい。変態の中核たる剣まで砕かれてしまうなんて……アレを砕く呪紋なんてあったかしら? 剣を取り込んだ完全体でならば、呪紋の大半も効かなくなっていたのに……面白いくらいにこちらの殺し方を心得ていますね。貴方」

 

 槍による攻め手は単純な突撃だった。

 

 いや、そうするしか無かったというのが事実だろう。

 

 彼女の機動力は最初に奪われてしまっており、相手に抗する手札はあれど、それは相手を殺す手札ではないのだ。

 

 少年が妖精剣を普通の剣の長剣状態にまで戻して刹那の突撃が終わるより先に剣を振り被った。

 

 剣身がブレる。

 

 少年の肉体が雷の如く輝いて周囲がプラズマ化した空気による猛烈な激音を響かせた。

 

「―――閃剣【死王斬(しおうざん)】」

 

 妖精剣の変幻自在さは繋がっている限り、何処までも伸ばせる射程にある。

 

 射程を伸ばしても威力が変わらないという点は極めて重要だが、射程を敢て短くするのにもメリットがあった。

 

 それは従来の人の技を完全な状態で繰り出せて威力を乗せられるという事だ。

 

 人の剣術は人の間合いにおいて威力を発揮する。

 

 それこそ突撃して来た相手を切り伏せる技など人の世に幾らもあるだろう。

 

 だが、彼女はその威力を間違いなく今世紀最大に浴びたと言えた。

 

 ヴァルハイルの剣聖が編み出した間合いを制する斬撃術は呪紋を用いる事と威力を集約する方法、型、あらゆる剣技に関する速度の制御という複合技により、必殺の間合いにおいてはほぼ少年が知る殆どの攻撃よりも優位だ。

 

 それこそ上回るのは少年が必ず殺されて来た最後の相手くらいだろう。

 

 故に斬撃はまったく威力において神すらも断つ。

 

「………?」

 

 彼女は最後まで自分を剣が攻撃したのが見えていなかった。

 

 神の五感ですらも感じ取れてはいなかった。

 

 その斬撃は普通の大振りな振り下ろし。

 

 そして、彼女は自分の槍の方が早く到達する事を確信して、輝いた少年の周囲に気を取られている合間に……いつの間にか斬られていたのだ。

 

「神聖属性祝福呪紋【エヘルダインの契体】……初めて役に立った」

 

 墜落していく彼女は知る。

 

 体を真っ二つにされて、意識が消えるその時までに知る。

 

(ぁあ、剣速が途中から受肉神の手にすら負えない速度、だったと)

 

 相手の肉体に込められた力から類推する常識的な観測とは反比例して刃を振り下ろされる速度はその数百倍。

 

 音速どころか。

 

 雷の速度を超えていた。

 

 それを体現した肉体は勿論のように無傷だ。

 

 最初から肉体に保護用の呪紋が掛かっていて、同時に剣そのものに加速する仕掛けが、呪紋が予め待機状態で込められていた。

 

 攻撃威力や速度を肉体から計算し類推した彼女は旧き戦の理しか知らず。

 

 剣技によって形作られた型の効力をそのままに肉体が絶対に出せない威力を剣の速度だけで出すという戦い方に翻弄された形であった。

 

「―――呪紋『   』を獲得。やっぱり、能力不足で開放されない……」

 

 上位の戦巧者程に陥り易い罠。

 

 相手を見切ったと思わせて、相手を見切ったからこそ、武器や呪紋の見掛け上の観測では予測不可能な程の威力や能力で押し切る。

 

 攻撃の工程や呪紋の処理を極短化する事で実際にはそんな威力と速度ではないという罠は明らかに少年が黒征卿との命懸けの戦闘で強くなっている事を見る者がいたならば感じさせるだろう。

 

 正しく……古から連綿と続く戦いの手練れを殺す為の真向から不意打ちする暗殺剣であった。

 

(妖精剣でなければ、この首都が剣一つの質量の破砕で吹き飛ぶ程の威力。これでまだ“手加減”している、とは……ですが、甘い。我が魂割かれようとも我が魂の断片は既に―――)

 

 彼女の意識が消滅した時。

 

 その神に成り掛けていた肉体の悉くが攻撃の威力に耐え切れずに散逸。

 

 残された馬体のみが上半身も無く。

 

 未だビクビクとしていた。

 

『討伐完了。そちらの状況は?』

 

 少年がすぐに腰元のポーチから緋色の白霊石の粉をザラザラと自分の口に突っ込み、飲み干しながら虚空に訊ねる。

 

 それと同時に少年を虚空で支えていた糸が衝撃を受け切ったところまでは良かったもののすぐに放散して空中に消えた。

 

 それとほぼ同時に激震が王城どころか城下町に奔る。

 

 ワンクッション置いての深度6相当の衝撃が周辺地域を物理的に震わせた。

 

 神の肉体を叩き切った妖精剣が残した威力の残余を糸を通して、街全体の地下で吸収させたのだ。

 

 糸の内部に衝撃を一時的に貯め込んで僅かに衝撃を和らげたのだが、それでも地震によって王城のあちこちが地下に崩落。

 

 ペガソスの馬体が黒い大剣から溢れる粘液に包まれて瞬時に転移でニアステラのゴライアスの下へと送られた。

 

『―――こちらフレイ。儀式陣を破壊。奴隷の開放と治療、敵性存在の排除中』

 

『こちらルーエルだよー。儀式陣は破壊したから、今は奴隷の人達かいほーちゅうだけど、そーじゅーが一杯来てる』

 

『ギィ(-ω-)/』

 

 スピィリア第一号の方は何やら陣を破壊したのは良いのだが、奴隷達の開放までは出来ておらず。

 

 他の蜘蛛達と共にやってくる人馬の正規軍らしい兵隊を蹴散らして無力化しつつ、慎重に治療を開始したところらしかった。

 

 他のところを覗いてみるも似たり寄ったりの状況。

 

 全ての儀式陣の停止を最優先で行わせた結果。

 

 生贄にされる寸前で奴隷達は助かった様子であったが、すぐに鋲を引き抜かれていなかった奴隷達に異変が起き始める。

 

「Σ(・ω・ノ)ノ」

 

 ビックリしたスピィリア達の前で他種族の奴隷だった亞人達が次々に姿を変貌させていく。

 

「これは……」

 

 蜘蛛達の視界を借りて見ていた少年が破壊された儀式場に異常が無い事を確認しつつ、何かを仕掛けられていた奴隷達の方へと瞬時に転移で跳んだ。

 

「フレイ」

 

 変貌している者達は全体の4割弱。

 

 苦しみながら肉体が蠢き、内部から変貌し始めている奴隷達の多くが内部からの圧力であちこちをボコボコと膨れさせていく。

 

「どうやら蜘蛛脚に近い効果のようです。魂の変質はありますが、情報の初期化を確認出来ず。恐らくは存在を変貌させる変異呪紋が遅効性で鋲に仕掛けられていたものと思われます」

 

「変容先は?」

 

「新しい生命ではありません。脳髄に達している鋲は今全ての同胞に引き抜かせました。治療は後になりますが……」

 

『ご主人様。何かこの人達人馬になってるっぽいよー』

 

 ルーエルからの声に少年が今正に肉体が変容していく者達が貧相な馬体を下半身に生やしていくのを確認し、死ぬ前に転移用のニアステラの陣に置いておいた大量の爆華の希釈液……要はジュースを各地の蜘蛛達のいる儀式場に送る。

 

「何処からでもいいから胃に注入開始」

 

「(・ω・)ゞ」

 

 蜘蛛達が上空から大量に落ちて来る樽を受け止める不可糸の大地を口から吐き出して上空に生み出しながら、その糸を次々に奴隷達の肉体の何処かに突き刺して糸に沁み込ませた薬液を点滴のように体表から胃に直接注入していく。

 

 急激に痩せ細っていた奴隷達が頭部の鋲を引き抜かれると同時に意識を失って変容に苦しんでいる様子は正しく地獄絵図。

 

 亡者一歩手前の彼らが薬液が胃液に混ざり合うと僅かに容体が安定し始める。

 

「人馬にする呪紋?」

 

 その言葉にフレイが目を細めて、複眼の瞳孔を絞る。

 

「いえ、これは―――人馬化ではありません。受肉神化です!!」

 

 咄嗟にフレイが全蜘蛛に退避命令を出した。

 

 途端、痩せ細った人馬と化した奴隷達が猛烈な勢いで吠え猛り、次々に馬体と背中から白翼を噴出させる。

 

「受肉神? 儀式場は―――」

 

「いえ、これは儀式場に由来しない、一種の霊魂による同化現象に近しいかと」

 

「同化現象。ガシンみたいな?」

 

 上空へと地表に突き刺した弾力のある糸で退避した一人と一匹が次々に現場から受肉神化していない奴隷達を連れて退避していく。

 

 グルグル巻きにされた奴隷達は繭にされていたが、それにしても残った数万単位の人馬達が頭を抱えて呻きながら叫び続けていた。

 

「恐らくは最初に受肉神となった者の魂を混在させられていたのでは? それを鋲を通して受信させ、魂を強制的に存在毎変質させる呪紋としているのではないかと」

 

「同じ魂による同化。黒霊菌と同じ?」

 

「はい。ですが、恐らく。不完全なのでしょう。この蟲畜が見ましたところ。呪肉神化を引き起こした霊魂はそのまま消滅。ですが、急激に変容が起こった彼らは肉体と魂の変貌で呆然自失の上に本来の資質が無い為にどちらも崩壊寸前の苦しみ……完全に暴走したら、周辺国が全て消し飛ぶでしょう」

 

「もしかして、あの鋲や儀式陣って……」

 

「恐らくは暴走抑制用のものでもあったかと」

 

「仕方ない。此処で処―――」

 

 そう言い掛けて、少年が銀色の人馬を思い浮かべた。

 

「しばらく蜘蛛達に実践訓練ついでに抑制させておいて欲しい。苦しい場所には2人で対処。今から少しやる事がある」

 

『解りました。存分に御働きを。愚妹……共にやるぞ』

 

『はーい(≧▽≦)♪』

 

『(・ω・)/ギィ』

 

 蜘蛛達が手分けして次々に臨戦態勢で周囲の陣形を調えていく。

 

 大量の不可糸が儀式場を封鎖し、内部の受肉神モドキと化した奴隷達を拘束すべく糸の檻が編み上げられ、次々に本能的なのだろう受肉神モドキの攻撃呪紋による炎が炉の如く儀式場を燃やし始めた。

 

 幸いなのは余りの苦しみに釘付けになっている人馬達が動こうとしても動けない事だが、数万体にも及ぶ数に対して対処の為に転移で連れて来られたのは精々が2000弱。

 

 その半数は受肉神モドキにすらなる事が出来ずに倒れ伏していた者達を安全地帯まで繭にして引き摺っており、一人で十人以上運ぶ者もいて、容易には戻って来られない。

 

 ついでに主は殺すのではなく。

 

 しばらく、適当に相手をして生かしておくよう言われた蜘蛛達は防戦と遅滞戦闘を行う関係上、持久戦となった為、容易には魔力も呪紋の殺傷能力が高いものも使えないという状態。

 

「(;・∀・)/・/・/」

 

 蜘蛛達は残った手足で顔を扇ぎながら、暑い暑いと汗を拭う。

 

 膠着した繭の中で炎に炙られて我慢比べとなったのだ。

 

 彼らは早めに終わらないかなーと自らの主人のいる場所を脳裏で確認するのだった。

 

 だが、まだ動き出すには時間が掛かると見て、全てのスピィリア達が効率を投げ捨てて糸を吐き出し続ける。

 

 ローテーションしながら、大量の緋色の粉が入った袋をドカ食いする蜘蛛達はまったくガシンにこれからも頭は上がらない事だろう。

 

 それでも暴走を始めた一部の神馬モドキが糸を引き千切り、肉体を引き千切られ、ゆっくりと動き出し、次々にスピィリア達に突撃して襲い掛かっていく。

 

 蹄、腕の爪先、翼。

 

「!!!」

 

 どれを取っても今のスピィリア達には脅威だ。

 

 糸でいなして後退しつつ、その鋭い攻撃の多くは避けられた。

 

 が、一部は命中し、頭部は元よりあちこちがボコボコに凹まされていた。

 

 通常の生物であれば、致命傷だろう打撃痕や傷口に見えたが、スピィリア達はまったく意に介さず。

 

 傷を復元するというよりは元通りに“膨れさせて”治していく。

 

 元々、スピィリア達は変幻自在に体積を減らす事が出来る。

 

「(>_<)」

 

 デコボコにされちゃうーという顔で彼らは肉体を瞬時に凹ませる事で攻撃を直近で完全回避しながらあしらい続けていた。

 

 招集される彼らの多くは戦闘経験豊富で何よりも戦術や戦闘技術体系の創造を行う蜘蛛達の中でもトップの能力を持つエリート集団。

 

 自身の能力を用いた呪紋ですらない防御方法は彼らの発案で少年が許可した技能の一つであり、相手の攻撃の威力が通る領域を凹ませる事で極めて自然にダメージを偽装、もしくはダメージそのものを無力化する。

 

「(≧◇≦)/」

 

 蜘蛛だって剣で脚を両断されたり、燃やされたりするだけの雑魚敵じゃないんですと彼らは証明出来てしまう貴重な個体だ。

 

 そんな技能を持っていても、余波がある攻撃の大半は防げないし、残余の威力や近接攻撃で紙一重で回避出来ない類の攻撃には意味が無い。

 

 が、技巧や武器の威力そのものの威力に頼るような近接戦闘ならば彼らに攻撃を当てる方が難しい。

 

 特に打撃は元より格闘に近い攻撃の殆どに不死身の防御力を誇っている。

 

 当たっていてすら、回復を真菌による細胞制御と呪紋と霊薬で行う事により、頭部が半壊してすら瞬時に再生するのだ。

 

 これがゴライアスやオネイロス辺りならば頭部が潰されてすら常用される呪紋や能力の類で超速の復元速度を出してしまうのだから、彼らは控え目と言える。

 

 武器よりも呪紋の威力が本体のような攻撃にすら、自身の魔力や呪紋による肉体の耐久力や直接纏う障壁の類で軽減可能。

 

 蜘蛛達は大抵の相手には極めて即死させ難いのに即死させるしか無力化方法が無い怖ろしい敵という事になる。

 

 まぁ、もはや殺すには使徒クラスの大技の直撃が必要という時点で小兵と称するにはあまりにも戦う為に必要なリソース消費が激しく。

 

 実際にこんなのに粘り強く消耗戦なんてされたら、ヴァルハイル軍ですら物凄く渋い顔で撤退し、まともに相手をする事は無いだろう。

 

「(>_<)/\(>_<)」

 

 『攻撃もへっちゃら♪』という顔の蜘蛛達は狂乱する相手の乱打乱撃。

 

 一発で家すら倒壊させるだろう打撃をその身に受けたように見せ掛けながら傷に見える部分を次々に膨らませて無傷をアピールしつつ、誰が一番防御が上手いか選手権まで開催する始末。

 

「(・ω・)………」

 

 後でこいつら再教育という顔の蟲畜の鑑であるフレイだったが、受肉神モドキとはいえ、それでもまだ余裕がある部下達の様子にこれならば、今後の軍事行動も大丈夫そうだと頷き。

 

 神馬一山幾らの者達を適当に千切っては投げ千切っては投げ。

 

 逆に相手を器用に複数本の脚で体勢を崩させながら投げ飛ばしていた。

 

「―――」

 

 その合間にも少年が虚空に糸で浮かびながら静かに瞳を閉じて呪紋の編纂を始めている。

 

 七つの儀式場の一つ。

 

 その上空。

 

「ナーカル・ロジック。処理量を増加……基本骨子として【不可糸】を設定。譜律解体。新規譜律による改修開始。シャニドの印をアクティベート……スタッグ中の全眷属の呪紋より譜律抽出。生命属性変異呪紋【総色】、竜属性変異呪紋【再生色】、精神属性変異呪紋【生命付与】、生命属性変異呪紋【共視】を解体……構成譜律を挿入。基部再構築」

 

 少年の手にあるシャニドの印から猛烈な勢いで燐光が溢れ出し、世界に渦巻く嵐の如き速度で上空に渦巻いて天を貫く竜巻のように伸びた。

 

「ソースコード構築完了。偽装拡張子使用。全インポート用【真淵譜律(アビス・コード)】を開放、エミュレーション・スタート!!!」

 

 少年の周囲に複数の呪紋の譜律が輝く印字として次々に現れて重ねられながら大量に積み重ねられて塔の如くせり上がり、ソレそのものが統合されて厚みを減らされながら、少年の手にあるシャニドの印に激音と猛烈な爆光と共に焼き付く。

 

 煙を上げる印に新たに増えた文字と消えた文字が幾つか。

 

 それと同時に少年がその印が刻まれた手を握りしめ、顔の前に置いて詠唱する。

 

「エルコードの名において、新たなる呪紋を認めん。我が意に応えて、大界三世を貫く世の因果となれ」

 

 その時、少年の手に焼き付いたモノが薄紫色と白色の入り混じる景色の如く蠢いて飛び出し、世を駆け抜けていく。

 

「系神属性攻界呪紋【ヨルムガンド】!!!」

 

 ふと……今まで炎極の繭の中で戦い続けていた全ての呪肉神モドキが顔を空に向けた時、その側頭部を細い細い薄明の如き色合いすらも曖昧な糸が貫いて。

 

「( ゜д゜)」

 

 ポカーンとしている蜘蛛達の前で相手を行動不能にしていく。

 

 その糸は長く長く長く。

 

 音速の数倍の速度で吹き伸びながら一本の糸のままに少年の握られた手から伸びて、人馬の邦を十数秒で一周して戻って来る。

 

 その一本に貫かれた全ての神馬モドキ達がペガソスの肉体に近しいという特性故に辛うじて頭部を貫通されていながらも動く。

 

 だが、瞬時に後悔した。

 

 理由は単純である。

 

 神経を直に触られたような衝撃が奔って強化されていた意識そのものが消し飛んだからだ。

 

(同化? いや、浸食か)

 

 ブクブクと泡を吹いて倒れ伏していく彼ら。

 

 その側頭部を貫く糸は脳髄の一部に侵入し、神経に自らを同化させるかのように侵食し、彼らの肉体に根を張っていたのだ。

 

 その肉体内部から糸が何かを吸い上げていく。

 

 何かと表現するのは主に蜘蛛達だったが、少なからずソレは変貌した彼らを神馬モドキとして生成し直した因子であった。

 

 人馬モドキ達の体表に樹木の根のようなものが大量に浮き上がり、側頭部を抜けて、ズキュンズキュンと何かが糸本体の内部へと吸われて消し去られていく。

 

(我らの不可糸とは根本的に違う。相手の肉体と霊体を同時に侵食し、当該部位の支配と同時に必要な因子のみを糸自体が思考して収奪。選択して相手から微細な要素を制御して奪う。この糸自体がもはや生物に近しい―――)

 

 蜘蛛達は糸が絡まるのが単なる肉体のみならず。

 

 霊体にすらも及ぶものだと理解する。

 

 通常の不可糸もその類なのだが、その糸の力は明らかに更に高度な制御が必要な事を多重でこなしていた。

 

 これならば、亡霊や呪霊の類にすら存在を保ったまま変質させる事が可能だろう。

 

 通常生物は細胞の一つ一つにすらも及ぶ支配から逃れる事は出来ない。

 

 喰らわれていくものが少なからず神の残滓。

 

 遺伝情報や霊魂によって混ざってしまった最小単位からの構成。

 

 神の形であると彼らが感じたのも束の間。

 

 人馬達が内部から浮き出た根によって絡め取られて、肉体はそのままに皮の内部で繭のように変貌させられていく。

 

 そうして、生物の皮の中に出来た硬質な繭のようなソレがペッと吐き出すかのように粘液毎、肉体を放出。

 

 割れた場所から亞人達はバタバタと倒れ伏していく。

 

 その姿は一律子供に戻っていたが、亞人の特質は其々に異なっており、肉体にも損傷らしき損傷が見て取れない。

 

 ただ、その首筋には刻印が為されており、服従の呪紋だと解っただろう。

 

(神の因子を集めて排除しながら、肉体を再構成? これは……ある種の生まれ変わりか? 下位互換の亞人に転生させる代りに全ての因子を儀式術の燃料として焼べた? いや、主がそもそも転生の呪紋を用いていない。ならば、これは、この糸自身が眷属のように組み込まれた呪紋を? いや、何処で思考し―――)

 

 フレイがさすがに驚いた様子になる。

 

 その考えに辿り着いた時、どうして浸食部位が側頭部なのかが分かったからだ。

 

 つまるところ。

 

(まさか、浸食部位そのもので呪紋を紡いでいる? 自身で呪紋処理を行わず他者へ処理を押し付けて更に規模を拡大。これならば、自身の成立すら他者に委ねる事で侵食速度と規模拡大だけに注力出来るはず。つまり、相手が存在する限り、この呪紋のような何かは……)

 

 少年の圧倒的な魔力が無ければ、成立しない呪紋であった。

 

 転生に近い事をヨルムガンドと呼ばれた呪紋によって全ての相手を繋ぐ事で相手の脳で一括処理したのだ。

 

 残された糸と人馬の皮がカサカサと虚空で痩せ細りながら消滅していく。

 

 その刹那、一本の糸の端が目の如く光ったように見えたフレイは初めて肉体を得た時に感じた少年への畏怖。

 

 記憶を覗いた時以来だろう背筋への強張りを感じていた。

 

 果して、自分でソレに勝てるだろうか、と。

 

 *

 

 彼女は思う。

 

 何もかもがまるで悪夢なのか。

 

 あるいは全てが舞台の上で起こる劇なのか。

 

「―――」

 

 王城へと共に駆けて行った少年がいきなりぶっ放した槍のような光の呪紋が次々に城壁を打ち崩し。

 

『うぁああああああああああ!!?』

 

 糸が濁流のように流れ込む最中に糸そのものに引っ張られて消えていった後。

 

 彼女は大量の死者が出ただろう王城の最中に倒れ伏す人馬の数に顔を蒼褪めさせながらも、震えそうな脚で奥へと向かった。

 

 砕かれた城門の先。

 

 糸によって蹂躙された場内は街と同じような有様であったが、槍のような呪紋の威力が高過ぎて、あちこちが崩落し、兵士の詰め所や通路で兵士達が的確に瓦礫の下敷きにされて、何とか死んでいないものもいるが息も絶え絶えという有様。

 

 故にその部屋まで来る事は造作も無かった。

 

 破壊された扉の先。

 

 王冠を被った男は瓦礫に押し潰されて、もう長くないのが分かる。

 

 いや、そもそもの話として生きていられたら困るというのは彼女にとって確定的であったが、嘗て表向きだけとはいえ、仕えた主を前にして彼女は臣下の礼くらいは取ろう。

 

 そう思考し、片膝を着こうした。

 

 が、その様子を青白い顔で血反吐を吐いていた王は鼻で笑う。

 

「何を……傅く事がある……エムルト」

 

「王よ。貴方達はやり過ぎました」

 

「奴隷の子か。所詮……」

 

「はい。彼らは少なくとも復讐者ではあったが、親として彼女が教えてくれない事を教えてくれた。それだけが真実です」

 

「くく、真実……真実か……」

 

「何がオカシイのですか?」

 

 王と呼ばれていた男はゴリッと側頭部から鋲を抜き取って、片手で捨てる。

 

「ッ」

 

「あの女の人形だと思っていたか? いや、半ば正しいか。どの道これではなぁ」

 

「ッ―――正気でありながら、彼女の言いなりだったのか!? 貴方は!?」

 

「はは、何を怒る? 誰だとて……自分の力量以上にはやれぬよ」

 

「!!」

 

 銀色の人馬。

 

 彼女が歯噛みする。

 

 そんなのは言われなくても彼女が一番分かっていた。

 

 いきなり、自分の下にワイルドカードが転がり込んで来て、勝手に自分の意見を通す力として大義名分まで押し付けて来なければ、彼女は今も鬱々とした時間を送っていたはずなのだから。

 

「まぁ……貴様も騎士という柄ではなかったのだろう……やはり、エムの血筋という事か……」

 

「エム?」

 

「我ら人馬は外海とエル大陸を阻むこの島に自らやって来た一族。エム大陸からの使者、だった」

 

「―――何を!? 他の大陸!? 我々がそこの一族とはどういう……」

 

 王が半身を潰されても尚、激痛すら無いかのように唇を歪める。

 

「貴様は……何も知るまい。人馬の邦は滅びてはならなかったのに……あの女は悪辣だが、真実の一部を知り……真に生き残りを掛けて戦っていたのに……」

 

「何を言いたいのかは分かりませんが、どの道、生き残れはしなかったでしょう。奴隷達の開放。それを貴方と彼女は蹴り続けた。いつか、奴隷達の感情が爆発した時、全てがひっくり返る事を知りながら……それは自業自得と言うのです。王よ」

 

「ふ、ふふふ……無智とは罪、だなぁ……」

 

 口から更に赤い液体はボタボタと落ちていく。

 

「無智?」

 

「奴隷は……捧げられねばならなかったのだ……」

 

「一体、何を……捧げねば? 今回のような一件以外にもまさか同じような事が?」

 

「……ペガソスは外界の神……我らが“飼い慣らした神”……その反応に異常があれば……もはや、エル大陸は滅びるだろう。いや、その前に此処が、か」

 

「大陸が、滅びる? 何の話を……」

 

「……箱舟……いや、この島……捨てられた者達の……ゆりかごと共にな……」

 

「揺り籠?」

 

 王が蒼褪めた瞳を見開いてエムルトを見やる。

 

 その瞳には鬼気迫るモノが宿っていた。

 

「お前のせいだぞ。お前の……エムルトよ……神々の秘密。我ら“棄てられたエル”は決して……そう、決して……新たなる文明を築いてはならないのだ……」

 

「捨てられた? 文明? 本当に、一体何の話なのですか……貴方は今死に掛けているのに奴隷の事も邦の事もまるで……」

 

「くく、何れ知るがいい……ペガソスはこの島を曳く神……その為に外界の神々が遣わした最後の神……救世神め……お前のせいで……我らは……我らエルは……クソゥ……」

 

 遂に男の顔から表情が抜け落ちていく。

 

「この島を……動かせ……貴様が……責任を……取れ……このゼート……大陸を……」

 

「ゼート……この島は大陸、だと?」

 

「………神を、信用……するな―――」

 

 カタンッと男の手が落ちた。

 

 光の消えた瞳はもう男が肉の塊になってしまった事を彼女に教える。

 

「王よ……貴方の言葉をまだ私は理解出来るものではないようです。されど、何れ分かるよう努力は致します。そして、これだけは約束しましょう。人馬が再興する時、そこに奴隷は消えていると」

 

 男の瞳を手で閉じさせて、彼女が一礼する。

 

「では、まだ仕事がありますので。しばらく、お休み下さい」

 

 彼女は歩き出す。

 

 その肩は諸悪の根源と呼べる者が一人消え去って尚、軽くなる事は無かったのだった。

 

 次の日、人馬の邦が強襲を受け、崩壊した事をヴァルハイルは知る。

 

 しかし、それは種族連合による強襲作戦であり、王都陥落と同時に奴隷達の一斉蜂起により、呆気ない幕切れであった事もまた知らされるだろう。

 

 種族連合は正式に奴隷革命の旗手となった女騎士との交渉に入り、彼女を筆頭とした強襲作戦を決行したニアステラに領土併合を快諾。

 

『また仕事が増えたな。邦長』

 

『アルマーニアで手一杯だ。これ以上、英雄殿に付き合ってられるか。この案件北部は関わらん。あちらに一任する』

 

『了解した……それにしても今度は邦盗りか』

 

『もう、驚いてやるものかと思っていたのだがな。ヒオネも寝耳に水らしい』

 

『そう言えば、姫様はどうやら我らよりもこの短期間で強くなっているようだ。先日、呪紋で映像が届いたが、もう庇護は必要無いだろう』

 

『そうか。遠征隊の強さを曲りなりにも得られた、か』

 

『これで企み通り。もうお前の妹殿はアルマーニアの老人共の手ではどうにもならなくなった。連中は後、大人しく余生を過ごすだけになったな』

 

『何の話か。さっぱりだ。こちらはただ重要な地位の者を派遣しているだけだからな。後は子供なり何なり作って、見せに来てくれれば……いや、それすら要らんな』

 

『お前は良く出来た兄だとも。イーレイ』

 

『アルクリッド。そんな言葉を吐いている余裕があるなら、この書類を関係各所に届けて来てくれ』

 

『おっと、仕事場だったな。此処は……口には気を付けよう』

 

 各地に残る全ての兵と旧来勢力の残党は蜘蛛達によって狩り出され、一人残らず“死なずに殺された”事だけが事実であった。

 

 奴隷達はその様子を見て、自らの支配者が代った事を悟り、同時に彼らが少なからず理不尽でもなければ、奴隷を必要としているような者達でない事を知った。

 

『ひ!? な、何だぁ!? あのイケすかねぇ連中がく、蜘蛛になってやがる!? こ、これがニアステラ!? 西部のウルガンダを下した連中の力か!!?』

 

 ただ、彼らの新たな支配者が人馬などとは比較にならない程の脅威であり、自分達は奴隷どころか……単なる一般人として扱う事も知っただろう。

 

 奴隷達は奴隷の邦を造る事は無かったが、人馬の邦の領土は蜘蛛の国……ニアステラの領土として組み入れられ、彼らは戦乱が終わるまで現地で仕事をしながら、普通の衣食住を供給される事になった。

 

 今は奴隷の子孫が7割であり、3割が新規奴隷というヤツで……事実上、奴隷達の大半は人馬の邦が祖国であったからだ。

 

 そこに奴隷時代と一つだけ彼らが違う事を上げるとすれば、色々と在りはするが、最も大きいのは人馬の約1割……成人した旧来勢力の王侯貴族と兵隊、彼らと繋がりが深い奴隷商が殆ど別の生物になった事だけだ。

 

 それは間違いなく恐怖と畏怖の光景。

 

 彼ら奴隷の戦士階級が蜘蛛達に渡された蜘蛛脚のレプリカで次々に子供と女性以外……奴隷の開放を認めぬ貴族連中を全て処断。

 

 死ぬ事も許されず。

 

 彼らは新たなニアステラの住人となる資格ある蜘蛛となった。

 

『ひ、ひぃいいいいいいい!!?』

 

『いやだぁ!? 蜘蛛になりたくない!? なりたくない!?』

 

『だずげでぇええ!? おがぁざぁあああん!?』

 

『ああ、あああぁああぁあ!? おっどをがえじでぇ!?』

 

『どれいもういらないがらぁ!? だがらぁ!? あぁああ!?』

 

 それを見た多くの貴族達が地位を全て返上し、資産を邦に返還し、一般人として暮らしていく事に同意するかと訊ねられ、頷かない事は遂に一人すらも無かった。

 

 その後のニアステラの前途は多難。

 

 ニアステラからやってきた文仕事も出来る文官系蜘蛛達は後に色々と苦労する事になる。

 

 だが、彼らも喜ぶ事は幾つかあった。

 

「//^(|ω|)^\\~」

 

 下半身のシルエットが馬のような蹄の四本足。

 

 その新たな蜘蛛達はフサフサした尾を持つ初めての種族。

 

 馬のように長い首こそ持ち合わせていないが、蟲としては少し太く長い脚を持っており、走破性抜群な下半身を持つ彼らは最新の蜘蛛の一族として仲間達に迎えられたのである。

 

 人を載せるのに適していそうな背中と硬質な馬のような耳を持ち。

 

 複眼が黒く甲殻の色が様々という……明らかにキメラ的な姿をしていたが、それを気にするのはニアステラやフェクラールの外にいる者くらいだろう。

 

 彼らが後にニアステラへ早い時期から流入。

 

 いつものようにレザリアに名付けられ。

 

【アドミサリア】もしくは【アドミサリス】と。

 

 そう呼ばれる事となるのはまた後の話。

 

 そして、少年は例えどれだけ疲れた後でも夕暮れ時の日課には向かい。

 

 今日も致命傷を受けながら剣を学んで高都に帰還する。

 

 しかし、まだ人馬と奴隷と少年の話は終わらない。

 

 何故なら、奴隷革命を主導した銀の戦乙女に頼まれたからだ。

 

『話しがある。ニアステラの英雄殿』

 

 様々な情報と現地の物資や拠点化を引き換えに現在の奴隷達の家族を集めて来て欲しいと言う依頼であった。

 

 種族連合内の奴隷達は開放されたが、未だ種族連合に加わらない辺境の種族達の小さな邦はそれなりの数存在しており、そこは中央に近い種族達が文明化されているのとは裏腹に“蛮族の地”と呼ばれる程に未開だとされていた。

 

 そこに最後の奴隷達がいるのだと。

 

『どうか、彼らを助けて頂けないだろうか。最後の商売で国外に売られた者達が今頃、到着しているはずなのだ。奴隷達の墓場……人豚の邦『オーデルブルグ』に……無論、時間は掛かってもいい。今の戦争が終わってからでも遅くは無いはずだ。奴隷達が帰還を望めばだが……』

 

 それはお使いからお使いが始まるRPGのお約束染みたタライ回し。

 

 それでも仕事は受ける流儀の少年は承諾した。

 

 翌日には一日で立てた第三の黒蜘蛛の巣から蜘蛛馬達に見送られて、少年は北部を駆け抜けていく事となる。

 

 そして、近頃毎日いない少年に頬を膨らませた侍従の少女は『今日もいないのか!?』と怒りながら作った朝食を自分で食べる嵌めになったのである。

 

 何だか沢山気配があるような気がする静かな館の内部。

 

『もぉおおおおおおおおお!!!? あいつ何処行ったのよぉおおおお!!?』

 

『(((*>_<*)))』

『(((*´・ω・`*)))』

『(/*|ω|*)/』

 

 もっちゃもっちゃと頬に朝食を詰め込んで咀嚼する見えない蜘蛛達の無数の瞳に見守られながら、彼女は昨日の休日のように今日の休日もまた主人を延々と待ち続けるのだった。

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