流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて- 作:Anacletus
巨大な山岳部の最中。
カサカサと歩く足音がする。
その図体に反比例するように小蟲のような足音を立てるのは数mはある大蜘蛛だった。
彼女はチラリと周囲をその複眼で確認してから、ルビーのように丸く輝く瞳で遠方を観測し、シトシトと濡れるように自分から染み出す猛毒で足場を僅かに濡らしてコソコソと山の高い位置に張り付くと穴を掘って内部に身を隠し、掘った穴の土を糸で固めたものを土で再び塗装してベッタリと山肌に張り付ける。
そうして穴の中でジッと待つ事数分。
蜘蛛は自分があちこちに張り巡らせていた地面の下の糸が鳴るのを感知し、樹木一つ無い岩山の道を歩く得物を確認した。
ソレは蛭を人型にした化け物達であった。
その体は隅から隅まで黒焦げになっており、やっと動いているような状況。
だが、ようやく再生が始まっているのか。
焦げた表層が剥離してボトボトと落ちながら、彼は新たな滑る肌を露出させて、襤褸切れのような衣服を着込んだままに行軍を続ける。
「(ー_ー)」
まるで敗残兵。
いや、実際敗北した軍の慣れ果てが彼らである事は間違いない。
ニアステラへの奇襲作戦が実行に移され、一気呵成に軍の精鋭を送り込んだ蛭の怪物達は……何を言うまでもなく敗北したのだ。
彼らが持ち寄った兵力凡そ12万5000に対し、精鋭の奇襲時に開いたゲートより飛び込んだニアステラの戦略兵器たる灼撃矢に使う薬液を用いた大規模破壊弾はゲートを開いた複数個所の軍拠点を消滅させた。
猛烈な爆風と衝撃によって壊滅的な被害を受けた怪物達は本国へと帰還する為、本来なら使わないだろう山脈の細道。
つまり、裏道をイソイソと移動しているのである。
彼らの故郷は群雄割拠。
無数の蟲の王達が君臨し、その容赦なき洗礼に会えば、崩壊した軍の敗残兵なんてのは一溜まりも無く消え去る運命である。
剰え、自分達の拠点に戻った時には敵に卵を見付けられて内部から侵食されて食い破られるという形で奇襲を受ける事もある。
つまり、彼ら蛭の怪物達には逃げて隠れて帰るという選択肢しか無かったのである。
その数は数百にも満たない。
自慢の武器の多くは拠点崩壊時に紛失。
残されたのは五体のみ。
というのが如何にも怪物達にも悲哀を漂わせている。
此処で襲われれば、即終了。
挙動不審な者達が怯えているのは間違いなく。
その恐怖は正しい事が蜘蛛によって証明される。
土を糸で固め、偽装した罠は糸で吊られた状態であったが、その根元が蜘蛛脚で斬られる。
途端、土色をした実際には莫大な量の土砂が転がりながら加速を付けて小道の蛭達を直撃。
ついでにぶちまけられた土砂に埋まった者達に向けて蜘蛛が音速を遥かに超えて突撃し、瞬時に動揺で身動きが取れなかった敗残兵達の首を刈り取っていく。
その鮮やかな手並みは凡そ10秒で相手を全滅させるに至った。
倒れ伏した肉体を振り返った大蜘蛛が蛭達を糸で吊りのように土砂から引っ張り出すと大口を開けて、口に放り込み始める。
「(∴◎ω◎∴)」
複数の複眼でギョロギョロと周囲を観測しながら、その大蜘蛛は最後の蛭を腹に収めると。
タプタプした腹部もそのままに高速で山脈の奥へと向かっていく。
「………」
彼女が辿り着いたのは山脈の中にある蛭の領域であった。
巨大な都市だ。
石造りの家々が山脈の山間に延々と立ち並び。
岩肌までも刳り貫いて蛭の怪物達が人のように社会を形成して蠢いている。
だが、その数は幾分か少ないようにも見える。
理由は言うまでも無く軍の敗北による人員の喪失であった。
襤褸を着込む者達の多くが何処か活力に欠けている。
彼女は知らなかったが、遥か別地方の監視に付いていた英雄が死んだと共に全ての送られた軍の壊滅の報は蛭の怪物達を極めて窮地に立たせていた。
食料を生産する者、衣を繕う者、商売をする者。
数多くの怪物達にとって必要な人材の喪失は食糧難どころか。
物資不足を引き起こし、社会全体を機能不全にしていたのだ。
故に今や都市は嘗てのような防衛力も無く。
僅かに残る衛兵達だけが都市の全てを護る最後の砦であった。
「(∴◎ω◎)……」
岩壁の上に張り付いて保護色で体の色合いを変化させながら、彼女は戦える者が少ない様子に周囲の観測を終えて夜を待つ。
だが、そんな彼女がハッと気付いた時にはソレが横にいた。
「―――」
蜘蛛脚が相手を貫く寸前で止められる。
『ほう? 分かるのか。魔蟲ウルガンダ……あの女神の愛玩蟲にしては賢しいな』
そう呟いたのは半裸の毛の無い男だった。
腰巻を一つを纏う男の姿は嘗て冥領において亡者の王を名乗っていた男にそっくりであったが、男の体は彼女にも分かる程に希薄な糸で作られていた。
グギョンッと蜘蛛の口が僅かに横へと開く。
『―――亡者の王は我が子に還りて消えたはず』
『くくく、そうか。貴様は喋れたのか。なるほど、あの新たな体が喋るわけだ』
『……まだ残渣が残っていたか……エンシャク』
『生憎としぶといのが信条だ。どうやら神樹も崩壊した今、救世神を殺す手札は全て、あの遠征隊とやらに集められたようだな。貴様もその類だろう? その体、本体とは程遠い能力ではないか』
『……減らず口を……此処で砕かれたいか?』
『ウェラクリアは貴様から乗り換えたのだな? 分かるぞ……今の貴様はもはやあの頃の力すら無い。我ら東部方面遠征団が会敵した時、貴様をフェクラールに押しやるのに半数が死力を尽くして消えた。その時のお前には女神に準じる力があった……』
『………(∵◎_Д_◎∵)』
口を開こうとしたウルガンダが僅かに逡巡して閉ざす。
『当時、東部に残っていた亜神を総動員したにも関わらず、我以外はほぼ討ち死に……ニアステラから東部に船で落ち延びて、貴様を討つ為に最初は滅び掛けていたグリモッドに向かったのだがな。因果なものだ……救世神はもはや抑え切れぬ程に膨れ上がり、唯一殺せるはずの手札は新しき者達に破壊され、最後に残された我が身が出会うのは始まりの動機たる貴様。しかも、同じように今や力無く衰えたりという姿……随分とお互いに落ちぶれたな?』
『……此処で何をしている』
『最後の足掻きというヤツだ。グリモッドが滅んだ日、誓ったのだ。全ての元凶たる救世神を斃し、全ての死者への報いを受けさせると』
『……無駄なことを……』
『フン。あの緋隷王が教会の封印を甘んじて受けた時、まだ時間が掛かるのは分かった。故にこそ北部へと逃げ延びた者達もあの地で朽ちていった全ての死者達にも報いがあって然るべきだろう』
『人は所詮人か……』
『正しく死ねぬ世界に苦しんだのは貴様とて同じはずだ』
『……高が若い亜神に何が分かる……我はこの10万の月日に老いた事も無い。ただ、あのお方は……旧き者達が去った後、希望としてアレを生み出した』
『希望だと? アレがか? 冗談にしても笑えんな』
『モナスの聖域から続くこの中央山岳地は本来このような荒地では無かった。緑は青々と茂り、全ての種族と生物が調和する世界だった』
『何?』
『……神世が終わる頃、ノクロシアをこの島の土台としたのは大神共の無法と英雄神の嘆きに我が主が応えた為だった。そして、竜神は結果が分かっていながら最後まで英雄神との争いに明け暮れるのと引き換えに己の力をあの方に渡したのだ』
『旧き神話か……』
『あの方は考えこそ違えど、人を愛した妖精神の亡骸を新たな苗床として、世界の調和を願った。今度は争いではなく。共に在れるようにと……楽園を創ったのだ……』
『この島が楽園? 笑えん冗談だ』
『あの頃、ノクロシアは未だ栄えていた。旧き者の遺児達はやがて全ての大陸へと散っていった。雛が巣立つのは必然。しかし、新たなる住人……大陸の中心地たるモナスへとやってきた流刑者達が全てを変えてしまった』
『何?』
『……妖精神は何処までも妖精神だった。例え、魂すら無くなろうとも……やはり、運命は変わらなかった。このゼート大陸はただ人の情と愛の為に破滅した……輪廻蝶グラキルシアの破綻に始まり、時空間の不全によって全ての地域が連絡の多くを絶たれた。全ての王が狂い、全ての者達が魂に傷を負った……輪廻の輪はまたしても神にも人にも亜人にも牙を剥いた。ソレが妖精神の意志であった故に……』
『妖精神……まさか、“アレ”の中身は―――』
『この世に正しき生死を与えようとした王よ。教えよう』
『………』
『輪廻を拒絶した世界は破滅する。そして、輪廻を続ける世界もまた同じく破滅する』
『―――何?』
『だから、神々はあの呪紋を創った……輪廻を破壊し、再生する。輪ではなく。螺旋の円環を紡ぐ呪紋を……我ら住人は島の調和を取り戻し、妖精神の遺骸を葬り去る為に窯へ幾度と無く投げ込まれる贄に過ぎない』
蜘蛛は語る。
小さく小さく密やかな秘密を。
『大神共は新たなる名を得た破滅の起りを恐れたが、その時にはもはやこの島は奴らの思惑を超えて、外界からの如何なる干渉も受けぬ場所と化していた。此処では神は己の力の殆どを出す事が出来ない。舞台の上に上がり、無限の死と生と真なる終わりを覚悟する者達以外は……』
それはとても世に残らない声に違いなく。
『お前はまだ知らない……この世全ての悪意を集めても、この世全てを救う善意の前には無為だという事を……人の感情は神の謀など児戯に等しく砕いてしまう事を……この世を滅ぼすのは決して力ある者ではなく……全てを愛し、抱き締める弱き人の想いだと……』
蜘蛛は語る。
小さな小さな密やかな秘密を。
それはとても世に残せるものではない真実に違いなく。
『その悍ましさと残酷さの前には神々すらも等しく狂える歌劇の役者と成り果てるだろう。あの悪戯好きの愛らしい妖精神がそうであったように……』
蜘蛛は囁く。
いつかの何処かで誰かが知った話を。
もう神々が誰にも語らぬ理の真実を。
世界は陳腐なものにこそ真価が宿る。
精粋たる力には物語が映る。
『全ては……小さな妖精と彼女を愛した少年の終局の余韻に過ぎぬのだ』
蜘蛛は遠く遠く遥か遠く。
旧き時代を語り始める。
もう戻らぬ日々を懐かしむように慈しむように……悲しむが如く。