流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第79話「ニアステラの災厄Ⅵ」

 

―――ヴァルハイル旧首都【高都】。

 

 イルイテ・オルセルの人生は基本的に付いてないという言葉に尽きる。

 

 彼女は竜頭も尻尾も鱗も持っていない。

 

 僅かに髪の下から覗く赤黒い角があるだけの人間。

 

 というのが彼女の容姿として正しい。

 

 黒髪だけれど、黒い角も爪も持たない彼女にとって、そんな明らかに差別対象な自分を子供の時から支えてくれたのは友達であった。

 

 家族ですら彼女に左程優しいわけでは無かったのだ。

 

 とにかく学業がそこそこ出来る秀才という事実は幾らか彼女を救ったが、やはり外見と中身が揃わない子供は揃った子供よりもヴァルハイルでは構われない。

 

 そんな子供時代に彼女には二人の友人がいた。

 

 1人は同じ女子であるナイテ。

 

 もう一人は男子であるザーナ。

 

 しかし、現在……女友達とは同じ学校ではなく。

 

 男子に限って言えば、一緒の学校に入ったものの、付き合いに進展は無い。

 

「………」

 

「何か言いなさいよ。ザーナ」

 

「明日は晴れればいいな」

 

「……それが昼食に誘われて食べてる時に言うセリフなの?」

 

「違うのか?」

 

「もうちょっとどうにかならないわけ?」

 

 気の効かない幼馴染な蒼い男子は何処か上の空でいつもよりも無口であった。

 

 ついでに今日食べている食事はそれなりに美味しいのに顔も何処か冴えない。

 

「どうにかと言われてもな……」

 

 彼女が通う高都一の学校では特大の異変が起きていた。

 

 いや、高都にだろうか。

 

 全ての原因は敗戦。

 

 いつの間にか。

 

 ヴァルハイルは首都を別の場所に強奪されて敗北したのだ。

 

(気持ちは分からなくもないけどさ……)

 

 その影響は如実に出ており、都市内部で今や闊歩しているのは蜘蛛達だ。

 

 ついでにおまけのように元兵隊の人々が幼女にされて都市の警邏をしていたり、元の姿のままで武器一つ無く歩哨に立っていたりする。

 

 今や高都を出歩くのは致し方ない理由で出ている者ばかり。

 

 逆に路地裏にいたような裏側の人材が闊歩し始めたので不安に思う者は多い。

 

 が、治安が悪くなる様子でもなく。

 

 何故か、社会貢献活動よろしく。

 

 高都全域の流通と食料の配給。

 

 更には今までやっていた商業活動の再開に向けて各団体と協議している。

 

 曇り空の高都の下町は今や深く埋まったような有様であり、坂道の先は奈落の如きオクロシアの地下へと続く魔窟。

 

 ついでにそこからは大量の食糧が蜘蛛達によって運び出され、再開されつつある魔力と電力の供給から蒸気が再び地獄の窯の底から湧き出したかのように俄かに白く煙り始めていた。

 

「ザーナ」

 

「何だ?」

 

「何が有ったの?」

 

「………知らなくていい」

 

「何よソレ……」

 

「世の中には何も知らずに生きられる事が幸せって事もあるだろう」

 

「それじゃ嫌って言ったら?」

 

「どうにもならない現実を知るだけだ」

 

 幼馴染の言葉に重みを感じて、彼女は……イルイテは静かに溜息を吐く。

 

 こんな時、この無口なる隣人が絶対に自分を曲げない事を彼女は知っていた。

 

「はぁ~~どうせ、あの序列一位の生徒会長様が関わってるんでしょ?」

 

「さてな」

 

「フン。いきなり止めるとか。下は混乱しっぱなしじゃない。此処が再開されたと思えば、聖姫殿下が生徒会長になってるし、今も何か上層階でオクロシアの連中とガヤガヤしてるってみんな噂してるわ……」

 

「じゃあ、そうなんだろう」

 

「あのねぇ……ザーナ。そんなに暗い顔する程の事なの?」

 

「逆に尋ねるが敗戦国がどのように扱われるか分からないか? お前が……」

 

「色々話が下りて来てるけど、民間人の反乱が無い限りはって事で話は付いたんでしょ?」

 

「あぁ、そうだ」

 

「……フン。ならいいじゃない」

 

「肝が太いな」

 

「太くないわよ!?」

 

 蒼い髪の少年ザーナは肩を竦める。

 

 竜角は僅か額に少し出る程度の少年。

 

 人間の顔に僅か竜頭の特徴が見える彼は鱗が肌には見えないが、剣を構えている姿はしっかりといていると評判な影のあるイケメンである。

 

 だが、そんないつもならば、ちょっと告白の対象にされそうな彼も学校が再開してからは彼女に構ってくれる様子もなく。

 

 毎日、剣を振る以外の事をしている姿はイルイテも見ていなかった。

 

 こんな時だからこそ強くあろうというのは分かるのだが、それにしても鬼気迫るものを感じていた。

 

「ねぇ、ザーナ……これからどうするの?」

 

「どうもしない。いつも通りだ。いつも通りに出来る限りは……」

 

「四卿の人達負けちゃったもんね……」

 

「敵が強過ぎた」

 

「うん……」

 

 聖姫エレオールによる降伏受諾後、四卿の全滅が国民に報告され、ポッキリと折られたヴァルハイルは今や種族連合の復讐に怯える子羊と化している。

 

 だからこそ、軍が未だ残っている安心感は民の安定剤として寄与していた。

 

 だが、同時に軍の敗北は彼らの責任を今現在の状況では追及出来ないという点で不満の種にもなっている。

 

『2年12組ザーナ・クライドさん。2年4組イルイテ・オルセルさん。生徒会室にお越し下さい。聖姫エレオール様がお呼びです』

 

「「は?」」

 

 2人が思わず同時にハモる。

 

 だが、まったく身に覚えの無い少年少女は互いに顔を見合わせるも訳が分からず。

 

 とにかく、出頭要請には従わねばとイソイソと最上階付近の階層へ向かう昇降機へと早足に向かうのだった。

 

 *

 

「貴方達がザーナさんとイルイテさんですか? 初めまして。エレオールと申します」

 

「せ、せせ、聖姫殿下!? ご、ご尊顔を拝する事が出来て恐悦至極でで、です」

 

「ザーナです」

 

 生徒会室。

 

 今はエレオールと文官達が働く一角にある小さな談話室で二人はエレオールに呼び出され、お茶を出されて対面して座る事になっていた。

 

「それで、どのようなご用件でしょうか? 聖姫殿下」

 

「ザ、ザーナ。あ、あの、あのね? アンタこ―――」

 

「大丈夫ですよ。楽にして下さって。何も罰するような事で呼んだわけではありませんから。イルイテさん……」

 

「は、はぃ……」

 

 イルイテが小さくなった。

 

「用件ですが……お二人にヴァルハイルの未来の一部を託さねばならなくなりました」

 

「ヴァルハイルの……」

 

「未来?」

 

 少年と少女が思わず首を傾げる。

 

「正確には今後の為に断れないニアステラからの要請がありました。それで現在、ヴァルハイルでは6名の人員をニアステラに送る事になったのです」

 

「どういう、事でしょうか?」

 

「先日、元生徒会長。あの方が敗北した時、貴方は見ていたでしょう?」

 

「ええ」

 

「え? ザーナ? どういう事」

 

「後で説明する。今は話を聞こう」

 

「う、うん」

 

 イルイテが幼馴染が真剣な様子なのを見て押し黙る。

 

「“彼”からの要請でニアステラの主力戦闘部隊である遠征隊にヴァルハイルからの人員を補充する事になりました。わたくしとアーカ家当主エル・レクスル・アーカ。そして、貴方達。最後にこの学校から1人、他学校の生徒からも1人。この6名をヴァルハイルの人員として遠征隊に派遣し、我らが神カルトレルムと幾つかの存在達相手に戦う。これが相手側の要求です」

 

「「―――」」

 

「良く分からないという顔ですね。詳しい事情はあちらに行ってから話す事になりますが、取り合えず過酷な戦場に向かうと覚えておいて下さい」

 

「ど、どういう事なんですか!? 聖姫殿下!? ザ、ザーナは強いですけど、アタシそんな神様とか、倒せたりしませんよ!? そ、それにカルトレルム神を倒すって一体どういう事なのですか!?」

 

 思わずイルイテが立ち上がって叫ぶ。

 

「イルイテ」

 

 それをザーナが両肩に手を置いて諌めた。

 

「分かっています……貴方達に無理難題を言っている事は……ですが、これがニアステラの決定なのです。この条件が呑めたならば、ヴァルハイルの今後に大きく資する事は間違いない」

 

「ッ―――」

 

 イルイテが思わず力が抜けたように座り込む。

 

 それを気に掛けながらザーナがエレオールを見つめた。

 

「オレならば、まだ分かります。どうして、イルイテを?」

 

「……あちらの要望です」

 

「要望?」

 

「力は後から付いて来る。問題は何ものにも負けぬ心であると」

 

「心……」

 

「わたくしも尋ねました。何故、実力者は他にもいるのに単なる学生等を使うのかと」

 

「答えは?」

 

「志、度胸、決意、呼び方は何でもいいそうです。自分が認めた相手にはソレがある。そして、ソレが無いならば、例え神を殺せる力があっても必要など無いのだとか」

 

「……分かりました。その招集謹んでお受けします」

 

「ありがとう。ザーナさん……イルイテさんは如何でしょうか?」

 

「その……それって聞く意味はありますか?」

 

 半ば強制なのだ。

 

 イルイテの言葉は最もであった。

 

「あります。ヴァルハイルの未来に対する責任を貴方は勝手に背負わされた。それをやらないと言うのであれば、それはそれで構いません。ただし、その決意には相応の罰が……貴方にではなくヴァルハイルに下される事になる」

 

「―――」

 

「済みません。不甲斐ない王族で……今のヴァルハイルにはニアステラに意見する力が無いのです。ただ共に行ってくれるのならば、出来る限りの支援をお約束します」

 

「分かりました……色々聞きたい事はありますけど、今は敗戦国なんですよね……ヴァルハイルは……」

 

「はい。では、決まりという事でお願いします。招集された六名の長はわたくしとして副官としてアーカ家当主。更に下の隊員という形で皆さんはニアステラの遠征隊指揮下に入って頂きます」

 

「分かりました。でも、その……どうして、アタシなんですか? 学業成績は此処でもそこそこですけど、本当に技能とか能力とか無いのに……」

 

「何でも自分を殴ろうとした時の姿が良さげだったからだとか」

 

「は? 殴る?」

 

「いえ、あちらの話です。さて、それではわたくしは他にも遠征隊に同行する支援部隊の候補者にも声を掛けねばなりませんのでこれで……明日までに身支度を整えて長期の旅行に行くとでも思って準備しておいて下されば……荷物はご自分で持つ分しか持っていけないので必要なものを今日中にどうか揃えておいて下さい」

 

 2人がエレオールに頷いてから、立ち上がって頭を下げた。

 

 彼らが退室すると背後で呪紋で消えていた角の騎士レメトロが姿を現す。

 

 鎧姿の男は何処か口惜し気であった。

 

「本当に不甲斐なく。あの男も我らを……この身と敗北したとはいえ、あやつを隊員に迎えれば良いものを……どうして学生を……」

 

「彼には彼の考えがある。そして、貴方と彼はきっと不適格と見なされたのでしょう。強さではなく在り方の問題として……」

 

「カルトレルムまでの露払いくらいにはなるでしょう。恐らく」

 

「だからこそ、別に連れて来る者に制限は設けていないのでしょう。そういう事ですよ」

 

「……では、次の者達を連れて来ます。それと……どうかお気をつけ下さい。神の影響下にないヴァルハイルの人員というのは……」

 

「分かっています。書類を見れば、大抵の事は……ヴァルハイルを憎むヴァルハイル。彼らには今まで我らがしてきた事を憎むだけの理由と権利がある」

 

「それが分かっているのならば問題ありません。引き続き面会していきましょう。あやつには今、反抗用として用意させていた装備と資材の点検と輸送前の準備をさせています」

 

「あの方にはしばらく頭が上がらなそうですね……」

 

「ヴァルハイル最古の亜神……今はもう3人しかいない内の1人ともなれば、幾ら年経ていようとも働かせる事は真っ当な命令の範疇です」

 

「これから忙しくなりそうです」

 

 彼女はチラリとテーブルに整理していた書類の一枚を思い出す。

 

 そこに書かれていた学生身分で遠征隊に招集された最後の1人。

 

 その三日月角を持つ男の肩書にはマートン商会代表とあった。

 

 *

 

「……そ、その」

 

「?」

 

「何で、全ての元凶のアンタが「何こいつ?」みたいな顔してんのよ!? アンタのせいでしょ全部!?」

 

「はい。これ」

 

 少年が今までの事もまるで意に介さず。

 

 海辺のいつもの砂浜でアミアルに革袋を渡していた。

 

「な、何コレ!? それよりも!? お、お父様達を元に戻しなさいよ!? お母様やお姉様にどう説明すればいいのよ!?」

 

 夕暮れ時。

 

 少年はようやく父兄との面談を終えてから野営地の少年の家で塞ぎ込んでいた侍従が出て来たのでいつものを渡していた。

 

「幼女化はしばらく戻さない。服従の呪紋を1年くらいしたら解いてもいい」

 

「ど、どういう事よ!?」

 

「ヴァルハイルはその頃には無くなってる。反抗する理由も全て消え失せてる。だから、問題ない」

 

「いや、えと、その―――」

 

「どの道、ヴァルハイルには殆ど道が残されてない。一緒に戦って、島で生き残るか。種族連合やニアステラに見捨てられて滅ぶかの二択」

 

「ッ」

 

「今の状況で教会や教会勢力に勝てる理由が無いし、幾らヴァルハイルの皇太子が聖域まで王群を押し戻しても一時の事にしか過ぎない」

 

 少年が砂浜に座ってモクモクと爆華の果汁を沁み込ませたパンを齧って、秘薬の入った革袋をゴクゴクする。

 

「……アタシに言う事は無いわけ?」

 

「あるわけない。アミアル・レンブラスは侍従として此処にいる。アル・アーカは未だにアーカ家の居候だし、ヴァルハイル内部では戸籍もある」

 

「……アンタ、それ本気で言ってる?」

 

「今のヴァルハイルに個人書類を正式に発行させる事は造作も無い」

 

「騙してたと認めるのね?」

 

「何も教えない事が騙してると言うならそう」

 

「何よソレ。少しは悪びれなさいよ……」

 

 アミアルがムッとした様子で少年を睨む。

 

「その必要は無い。そもそもヴァルハイルは本来、この島から退場させようかと思ってた」

 

「え?」

 

「でも、その必要が無くなったから、今も手伝ってもらってる」

 

「……必要があったら、どうするつもりだったのよ?」

 

「勿論、滅ぼす。必要がある限りは……」

 

 その言葉の何も感情が宿らない様子にアミアルが拳を握る。

 

「アンタにとって今のヴァルハイルは何なの?」

 

「必要な人材が揃った場所」

 

「必要なのがいなかったらどうするつもりだったの?」

 

「仮定に意味は無い。少なくとも……此処にアミアル・レンブラスがいて、ヴァルハイルの技術力は必要と判断されてる。他の人材もそう……必要なものは何でも使う。例え、それが敵だろうと味方だろうと殺したい程憎い相手でも守りたいような優しい人でも……」

 

 少年の言葉には実感が籠っていた。

 

「……ねぇ、アンタはこれからも戦うの?」

 

「勿論、戦う」

 

「何と?」

 

「教会や竜神、王群、救世神と呼ばれるものとか」

 

「ヴァルハイルだけじゃないのね。いつ終わるのよソレ……」

 

「別に終わるまでやればいい。出来るまで続ける。やらなければならない事を……」

 

「死んでも?」

 

「死ぬ覚悟は随分と昔にした。今は生きる覚悟をしてる」

 

「生きる覚悟?」

 

「何度でもどれだけ掛かっても生きて戦う。必要が無くなる時まで必ず」

 

「……必要、か。アンタらしいわね……アタシなんて必要なさそう」

 

「必要だから、此処に居て貰ってる」

 

「何に必要だってのよ……此処の連中、アンタに滅茶苦茶傅いてるじゃない。あのアルマーニアの女共とか。元呪霊女とか、妖精女とか、遠征隊とか言う部隊の女達もぜーんぶ。その内、結婚でもしそうな勢いよね」

 

 少年は少しだけ遠くを見た。

 

「昔、結婚はした。恋した事も愛した事もある。その人と愛し合った事もあった。でも、それは今必要じゃない。必要なのは……力と手伝ってくれる誰か」

 

 その言葉の何処か悲し気な響きに初めてアミアルは内心で狼狽える自分を理解したかもしれなかった。

 

 少年の口からそういう言葉が漏れるよりも、ただ……その悲し気な言葉の響きの方が彼女には衝撃に違いなかった。

 

 少年にも「そういう事」を思うだけの感情がある。

 

 そして、その感情は決して良いものではない。

 

 何処かでアミアルは思っていたのだ。

 

 目の前の少年はきっと完璧超人染みて、何も思わないんだろうな、と。

 

 でも、違う。

 

 目の前にいたのは傷付いた誰か。

 

 いや、傷つくと知りながらも、己の感情よりも優先するべき事を優先した誰か。

 

 それは……まるで、彼女が敬愛した嘗ての父や兄のように思えたのだ。

 

 誰もがそうではないかしれない。

 

 しかし、己の使命や宿命……そういうものと向き合い戦地に赴いた家族。

 

 家でならば、ちゃんと笑い合えた家族を少女は知っている。

 

 しかし、この野営地に来ても未だ少年は少年のまま。

 

 柔らかな表情を見せる事も無ければ、普段通りの顔で忙しそうに働いている様子なのだ。

 

 此処は少年にとっての家だと遠征隊の者達は彼女に説明した。

 

 だが、少年は笑顔一つ見せず。

 

「………いつ、アンタのその“やらなければならない事”や“必要な事”とやらが終わるわけ?」

 

 そのアミアルの言葉にふと少年は彼女を向いて。

 

「この魂が消えて無くなっても終わらない。この身一つ、この魂一つで全部解決したりしないと知ってる。だから、全てが終わるまで……自分の知る何もかもが消えてなくなるまでは……終わらない」

 

「………」

 

 それは死の覚悟よりも重き決意。

 

 目の前の相手が自分の死などまるで意に介せず。

 

 この世に在る限り、自分の知る全ての護るべき者が消えてしまうまで、こんな事を続けると宣う様子は悲壮でも無ければ、勇壮でもない。

 

 ただ、何処か寂しげなのだ。

 

 ああ、と彼女は思う。

 

 思ってしまう。

 

 野営地の女達。

 

 少年の傍にいる誰もが少年を認め、少年を気遣う。

 

 その何処か歪な様子の理由が……ようやく彼女には分かった。

 

「馬鹿ね。そんなだから、心配そうにされてるんじゃない?」

 

「……そう?」

 

「そうよ。馬鹿」

 

「……そう……」

 

 ちょっとだけ少年が何処か思案する様子になったのを見て、彼女は溜息を吐く。

 

 きっと、目の前のニアステラの英雄とか持ち上げられている少年には……休むという概念が無いのだろうと。

 

 それが何の為で、誰の為なのか。

 

 そんな事すら少年は誰にも言わず。

 

 己が必要だと感じた事を最後までやり抜くのだ。

 

 それがどれほどに残酷な運命であろうとも平然と踏破し、道端で襤褸クズのように倒れ伏そうとも、お構いなしに進むのだ。

 

 その痛ましさ……ソレをきっと理解出来ている少女達。

 

 その気持ちが分かるような気がして、頭を抱えたくなった。

 

 馬鹿馬鹿しい話だ。

 

(ああ、アタシはいつの間にか……ホント、馬鹿ね)

 

 アミアル・レンブラスは……今更、このやたら押しが強くて、自分の意見を曲げず、誰にも理解を求めない、それなのに何処か寂しげに誰かを背中に庇い守ろうとする馬鹿な男が好きなのだ。

 

(こいつが自分の事を何一つ顧みてないのは分かってたじゃない。何がどうなろうとも自分を曲げない。自分の幸せも未来もこいつは望んでない。コイツが望んでたのはきっと……此処にいて、戦争中だってのに笑っていられるあの女共の……)

 

 自分を見向きもしないのに、その背中に自分が庇われていると知ってしまった。

 

 だから、それを後ろから抱き締めてやれるのは気付いている者だけだ。

 

 その相手を彼女はもう此処で何人も見た。

 

 いや、この野営地そのものがそうなのだとすれば、彼女にとって、それは敗北ではなく……己もその輪に入る為の始まりなのだ。

 

 全てを投げ捨てて愛しているというわけでもないのに勘違いしてしまいそうなくらい……その背中を支えたいと思う。

 

「ねぇ、アンタ生きる愉しみとかあるわけ?」

 

「……趣味ならある」

 

「フン。無いって言うのよソレ」

 

「昔はあったかもしれない。でも、それは今必要無い」

 

「あ~~はいはい。分かった分かった。じゃあ、愉しみってのを教えてあげるわ。こっち向いて」

 

「?」

 

 少年が振り向いた時、不意打ち気味に彼女は唇を寄せた。

 

「―――」

 

「………ん……これが愉しみってヤツよ。憶えときなさい」

 

 少年は少しして離れた少女に思わず驚いた顔ではあったが、無言でちょっと視線を逸らした。

 

「何視線逸らしてるのよ。このこのっ♪」

 

 その顔が何処かおかしくて。

 

 あるいはちょっとだけ嬉しくて。

 

 彼女は笑顔で思わず少年の首筋を片腕で引き寄せて頭をクシャクシャに撫でる。

 

「………止めた方がいい」

 

「何よ意見する気? ご主人様♪」

 

「アレ……」

 

「アレ?」

 

 少年がジト目になって、横を指差した。

 

「?!!」

 

 すると、彼女は固まる。

 

 何故なら、複数の幼女達が「あわわわわ~~~!!?」とかやっている中に父と兄が思わずイケないものを見てしまったという様子で固まり、口元を片手で覆い。

 

 ワナワナして何か“羨ましい”と“けしからん”の狭間みたいな複雑極まる表情で悶絶していたからだ。

 

「~~~!!?」

 

 思わず離れた彼女が父と兄に何か言い訳しようとしたが、その背後から「あぁあああああ!!? ボクもまだちゅーしてないのに!?」だとか「は、ははは、破廉恥ですよ!? アルティエ!?」だとか「……アルティエ様には第一夫人としてちゃんとやはり躾を……」とか。

 

 とにかく何やら騒がしい女性陣が後方から近付いて来ていた。

 

「……取り合えず、そろそろ休憩終了。このまま一度高都に行ってエル達と合流してから、こっちに来て欲しい。あっちにいるオネイロスに頼めば、連れて来てくれる」

 

「え、あ、ちょ、何、速攻で逃げ―――」

 

「後、革袋の中身は絶対全部一気に飲むように」

 

 指を弾いた少年の前でアミアルの姿が消える。

 

 そして、少年もまた喧しい女性陣が来る前にフェクラールへと消え失せた。

 

 それを逃走と捉えた女性陣達が思わず膨れて、遠征隊の隊長に恨み節を吐く様子はまったく多くの人物達に目撃されており、野営地では遂にニアステラの英雄の正妻争いが始まったと亜人達に噂され始める事となる。

 

 そんな中、少年はようやく始まる王群との戦いを制する為、北部の沿岸沿いで訓練を終えた蜘蛛達を従えて、自身で出撃する事となった。

 

 やるべき事は山積み。

 

 そして、今、何処の天井蜘蛛も自分の仕事で手一杯である為、王群を殲滅出来るのは自分だけだと理解していたからである。

 

「で、どう戦う?」

 

 そう訊ねて来るアルマーニアの邦長に対して少年はポリポリと頬を掻いて、僅かに目を閉じてから、そっと山岳部の岸壁を遠方に見上げた。

 

「……ちょっと地形を変えて、相手の狩場を作る」

 

 イーレイは背後に控える数千人の部隊の前で肩を竦めた。

 

「出来るだけ、お手柔らかに指南して貰おう」

 

「問題ない。もう殆ど出来てる。明日には全部可能」

 

「知らない合間に何でも進み過ぎだろう。あいつの言っていた通りだな」

 

 そんな少年の言葉によってフェクラール最大の集団戦闘が始まろうとしていた。

 

 五大災厄の来訪直前と思われる次期に始まる王群の漸減計画はこうして実行段階へと移ったのだった。

 

 *

 

 フェクラール北東部岩壁。

 

 本来、付近に存在する大規模転移用のオクロシア直通の遺跡は今や解体され、場所を移されていた。

 

 巨大な呪紋が刻まれた場所を岩盤毎刳り貫いて平地に持っていくという荒業をやってのけた穴掘り蜘蛛達。

 

 更に周辺にある最大の軍事拠点として巨人族の住処が軍事要塞化され、周辺地域は王群の襲来に備えた巨大な“殺し間”として整備され、周囲に存在していた建造物も殆どが民間人は黒蜘蛛の巣に移転し、残された場所は要塞の一部として取り込まれ、巨大な壁で囲うように岩壁周辺区画を覆う壁として機能している。

 

 そんな場所に集った数千のアルマーニア軍の大半は神格復権派と呼ばれる彼らの神ウルテスの信仰厚き層という事になっていた。

 

 前線帰りの男達は少年とイーレイを見やり、未だ感情を整理し切れない様子で何処か不満を内側に押し隠している風情であった。

 

 しかし、それも束の間の事にしか過ぎない。

 

 命令が下れば、軍として動かなければならない事は理解していた彼らはすぐにイーレイの指示によって数百台以上壁際に接地された巨大な可動式バリスタへと配置に付いていく。

 

『これより、外部から来る災厄に備え、予備的な措置として此処に陣を張る!! 北部王群の胎動によってヴァルハイルは既に灰となったが、それも一部に過ぎない。今後、此処に攻め込んでくる王群を撃ち滅ぼす為、周辺を要塞化した蜘蛛達には感謝せねばならないだろう』

 

 風属性の呪紋によって響いた声。

 

 今後、自分達がその王群からの護りに入るのだとゴクリと唾を飲み込んだ彼らだった。

 

『襲撃が来るまでは持ち回りでバリスタと仕掛けを稼働させる者達は詰めて貰う事になる。蜘蛛達の一部隊も常駐するが、基本的に戦力が足りない。王群が進出した際にはお前達は蜘蛛達と要塞の助けを借りて共に戦―――』

 

 その演説の途中、突如として岸壁が爆砕された。

 

―――な、何だぁ!?!

 

『く、想定より早いだと!? 総員構えろ!! 王群の襲来前に我らが此処にいた事を行幸と思え!! 我らの後ろには民と貴様らの家族がいる!! 絶対に一匹足りとも通すな!! 訓練通りだ!! 敵進出予定地点への敵軍の到達までに準備を終えろ!! 急げぇええええええええええ!!!』

 

 イーレイの言葉に男達が思ってもみなかった展開に度肝を抜かれながらも、予め用意されていた自分の役割を全うするべく。

 

 建造物内部に奔っていく者やバリスタに張り付いて、いつでも防御用の呪文を用意出来る者達が盾を構えて流れる汗も拭わず土埃と落石に砕けた岸壁の先を凝視する。

 

 ギィ。

 

 その時、彼らは確かに耳にした。

 

 声だ。

 

 ガサガサという音が増しながらゆっくりと近付いてくる。

 

 そして、土煙が晴れようとした時だった。

 

 ボッとその岸壁の巨大な溝となった箇所からまるで噴水の如く猛烈な勢いで悍ましい蟲型の3mはあろうとかという怪物と大型昆虫の群れが吹き出した。

 

 その濁流の内部にはムカデ、サソリ、カメムシ、他様々な甲殻類が混ざっており、拡散しようと広がり始めたところで何かに阻まれたように止まる。

 

『第一進出予定線に接敵!! 撃てぇええええええええええ!!!』

 

 ボボボボッとバリスタが連射式で一気に数発の矢弾を射出した。

 

 ソレらが見えない蜘蛛糸によって押し留められた巨大昆虫達へ一斉に襲い掛かる。

 

 凡そ2kmも飛んだソレは風属性呪紋と数の少ない精霊使役の術者達のおかげで狙い違わず相手の最前列と行列内部にブチ辺り、猛烈な閃光と爆風に土煙が更に周囲を覆っていく。

 

 遠方にいる彼らにも微風のように衝撃が流れて来るのだから相当な爆発なはずだが、問題は王群がその爆風と土煙の中から悠々と後続が高速でやってくるというところにあった。

 

 瞬時に喉が干上がった彼らであったが、事前にイーレイの元で教練された時の事を思い出して、相手の進出が一定時間止まる蜘蛛糸の見えない壁に引っ掛かったところで更に必要な分だけ灼撃矢が大量に打ち込まれ、猛烈な爆発の連鎖が激音を戦場と化した一帯に響かせる。

 

 相手は犠牲などお構いなしで攻める事しか考えていない。

 

 後続から次々に蟲の死骸を踏み越えて巨大な蟲達がやってくる。

 

 砕け散った体が未だに動き。

 

 少しでも仲間達の最中から頭部が半壊、全壊しても動く蟲達の体は不死染みて大地を敷く道となっていく。

 

 そのあまりにも怖ろしい光景に正気が削れたアルマーニア達だったが、無暗に攻撃しても死ぬだけだと口を酸っぱくして言われていた為に規律を何とか守り。

 

 必要な火力を必要な場所に打ち込んで止まる蟲を逐一殲滅。

 

 自分達に近付いてくる死の行軍を前にしても何とか立ち向かう。

 

『装填急げ!! 近接弩弓隊!! 敵軍の蟲は何処を吹き飛ばされても進軍してくるぞ!! 面を制圧するのだ!! 予定射撃地点を外すなよぉ!!』

 

『こ、これが王群!!? こんなのに勝てるのか!? オレ達!!?』

 

『あのウルとかドラクとかはどうしたんだよぉ!? 出て来ないのかぁ!?』

 

『言われただろ!? 四卿並みの大陸からのお客さんが来たら、アレ全部でも太刀打ち出来ねぇって!! 此処でオレ達が食い止めるしかねぇんだ!?』

 

『クソォ!? やってやらぁ!!? あんな蜘蛛なんぞよりもオレ達の方が正しいって証明してやんよぉお!!』

 

 兵隊達が何とか自分達を鼓舞しながら、恐怖に怯えつつも、的確に必要な量の火力を戦域全体に降り注がせ、次々に襲ってくる蟲の怪物達を破壊し尽くしていく。

 

 だが、それも土煙が収まりつつある岸壁が更に崩れて、先程の数倍の量の蟲の噴出を見るまでの事であった。

 

『うわぁあああああああ!!? さっきの倍以上溢れて来てるぞおおおおおおおおおお!!?』

 

『ほ、本当にオレ達は勝てるのか!? 守り切れるのかぁ!?』

 

 大量の蟲の洪水に対して灼撃矢による面制圧は確かに効果を上げていたが、それでも蟲の死骸達は蠢きながら少しずつ彼らの方向へと向かってきていた。

 

 包囲する形で陣を敷いた彼らだが、岩壁の巨大な大穴から遂に新しいお客さんがやってくる。

 

『な、何だぁ!? あの大きさはぁ!!?』

 

 彼らが遠方を観測する呪紋を持つ者達によって中継された映像には巨大な溝を抜ける30mクラスのナメクジのような肌の質感をした蛇のように細長い何かが見えていた。

 

『こ、こんなデカイ化け物までいやがるのか!!?』

 

 彼らが狼狽えるのも無理はない。

 

 明らかに毛色の違うソレがベジャアッと地面に落着した時、巨大な蟲の死骸達が次々にソレに集まっていき、消化されるように溶かされながら同化し、甲殻が装甲のように体表に浮かび上がって―――。

 

 ボンッとその肉体の半ば程が千切れて弾け、更に炎がその肉体を覆い尽くしていく。

 

『な、何だぁ!?』

 

『く、蜘蛛達の援軍だぁ!!』

 

 殺し間とした領域の外。

 

 嘗て、ウルガンダが張っていたような超広域の糸による領域は陽の光を照り返さないよう隠されているが、実際には嘗ての数百倍以上の密度でフェクラールやニアステラを覆い尽くしている。

 

 ただ、それを相手に逆利用されないよう的の進出地点の遠方に設定された虚空の足場には今、ゾロゾロと部隊を掩護する為に蜘蛛達の一部が終結しつつあった。

 

 その蜘蛛達の頭上に掲げられたのは巨大な水属性呪紋によるレンズを竜骨の枠で覆った代物であった。

 

 日光の収束温度は凡そ1万度以上。

 

 遥か天空の陽光は少なからずフェクラールにおいては蜘蛛達のものだ。

 

 黒蜘蛛の巣で呪紋による光の屈折と収束、散乱を学んだ呪紋大好き系蜘蛛達は低コストで高威力の呪紋開発に余念が無く。

 

 最終目標である救世神の打倒の為にあらゆる手札を用意していた。

 

 フェクラール中の黒蜘蛛の巣の上空に顕現した巨大な空気中の水分を凝結して作られた水のレンズは精霊属性呪紋を使える蜘蛛達によって制御され、屈折させられた収束光は次のレンズ、次のレンズという具合に収束しながら移動し、集められ、最終的には殺し間の端に展開する蜘蛛達のレンズへと向けられて、ソレが最終収束した光は地表に降り注ぎ続けていた。

 

『全部、焼けていく……』

 

 必要とされたのは水属性の呪紋を維持しながら光を完全に操る為の技術。

 

 殆どの蜘蛛達は水のレンズが熱量で沸騰する事を防ぐ為、熱量そのものを運動エネルギーに変える呪紋を用いている。

 

 収束地点にいる蜘蛛達に求められるのは莫大な光の熱量に耐える為の呪紋であり、虚空ではチリチリと焼け付く糸が次々に魔力を流されて張り直されていた。

 

 竜属性の【再生色】によって自身を持続的に回復させる竜骨製のレンズ外枠。

 

 これから伸びたフレーム内はほぼ空洞化しており、その内部からは伝導して抽出された熱量から運動エネルギーが生成されている。

 

 更には空気分子の運動を風属性呪紋で収束。

 

 こうしてレンズの歪みを限界まで削減しながら、水に入り込む熱を吸収し続け、風で運動エネルギーとして取り込んだ黒蜘蛛の巣はエネルギーを殆ど伝達出来るようになった糸の管を通してソレを新たに設置された地下の機関へと送り込んでいた。

 

 将来的には地下から汲まれる事になっている魔力と呪紋を封じ込めた呪具で自動化する水のレンズを用いた超大規模の熱量利用方法はこうして始まりを蜘蛛達の手によって迎えた。

 

『は、発電始まりました!!』

 

『このフェクラールに電力が……長よ。貴方は遂にヴァルハイルの機械の力すらも取り込んだのか』

 

 アルマーニアの技術者達の前で巨大な発電用タービンが回転し、次々にモーターから電力を生み出し、黒蜘蛛の巣の地下に敷設され始めた雷の力を通す送電網。

 

 新たな蜘蛛達の雷属性呪紋を宿す不可糸との集合呪紋に等しい呪具が起動する。

 

【送雷糸】

 

 送電中の電力ロス0という極めて優秀な送電網の先に繋がっているのは無論のようにヴァルハイルの技術者達によって制作された防衛設備だ。

 

 未だ石材を主要健在として使っているアルマーニアの要塞の壁内部から絶え間なく送られた電力が殺し間の地下に設置された呪具を起動。

 

 地下で稼働が開始された。

 

 進軍を続ける無限にも思える蟲達が焼かれながら地獄絵図でも関係なくアルマーニアの防衛隊に迫っていたが、その先端が彼らの数十メートル手前で止まる。

 

『な、何だ? む、蟲共が内部から沸騰してるのか!? 焼かれてるだけじゃねぇのか!?』

 

 パァンと甲殻の合間の間接部や他の穴という穴から噴き出したのは沸騰した血液や内臓であった。

 

 それらを吐き出しながら、甲殻の軍勢が静止した。

 

 理由は地下から地表に延ばされて、各地点に設置された呪具のせいだ。

 

 ソレは電磁波の発生装置。

 

 より具体的には磁界と電磁力を制御し、地表の各表出部分から莫大な超極単波の放射で相手の分子を揺らしまくっていた。

 

 これがもしもヴァルハイルの人々に見られたならば、ウチにある電磁波で物体を温めるオーブンを想起しただろう。

 

『フン。我が愛機の能力を殺し間に転用するとはご主人様め。やるではないか』

 

『―――!? あ、あのドラクは!!? まさか、ルートレット・ブラドヘイム辺境伯!? 鋼鉄騎士か!?』

 

 アルマーニアが壁際の上空に現れた空に浮かぶドラクを見て納得する。

 

 そうだ。

 

 敵軍を内部から沸騰させて焼き滅ぼす。

 

 それはとあるドラクが与えられた電磁力を操る力の一端。

 

 大軍殲滅と大規模戦闘に特化した最強と名高き老骨。

 

 鋼鉄騎士その人の戦場での力そのものであった。

 

『我がドラク能力とあの熱線があれば、確かに少人数でも大軍を殲滅出来るだろうとも……魔力消費もほぼ数十名分程度、残るは機材利用の為の人員と射爆用の人員だけ。数百人であの王群を受け止め切る……さすがご主人様』

 

 ドラクの内部で手足を接続したへんきょーはくは熱と電磁波でこんがりカリカリにされている王群の一部を見て、これなら自分は必要なさそうだと後方で待機状態になる。

 

『アルマーニアの勇士共!! 貴様らには見所がある!! だが、幾ら見所があったとて、力の差と真なる強者の前には無力と知れ。そして、強者とは常に油断なく準備を怠らない者だ。古き時代の古き理を手にした貴様らは確かに精強な軍だろう。だが、見よ……貴様らが1日も持たぬはずの戦力はこうして蜘蛛共と我が主ニアステラの英雄アルティエの前では無力にも等しい』

 

 その言葉に復権派の兵士達が押し黙る。

 

 言われずとも、そんな事は彼らが一番良く分かっていた。

 

『貴様らの事はニアステラの諜報部隊から聞いている。未だに受肉神を諦め切れぬ連中とな。だが、貴様らはよくよく考えるべきだ。今、此処に受肉神がいたとして、この莫大な量の蟲共を兵の被害無く殲滅出来るか? それが可能だと思うか? これを見ている老骨共よ。お前らは知っているはずだ。受肉神とは決して万能でも無限でもない』

 

 へんきょーはくの幼い声にそう言われて、呪紋で見ていた指導層の中でも復権派の老人達が苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

『貴様らが言う蟲に貴様ら自身は一度たりとも勝てる見込みが無い。今、貴様らを護ったのは蜘蛛共だ。そして、それらを準備したのはニアステラの英雄だ。お前達は順序を履き違えている!! 神だから崇められるのではない。神だから力があるのではない。神だから強いわけではない。貴族や王とてそうだ。単なる力以上の能力を持ち。大勢を纏め、己の武威を示し、全ての者達の為、戦い続け、生き残らせる為の努力を惜しまない。それが他者の上に立つ者の姿なのだ』

 

 へんきょーはくの言葉は逐一含蓄しかなかった。

 

 それが幼い声でなければ、もっと心を打ったかもしれない。

 

『貴様らが真にアルマーニアの未来を願うのならば、蜘蛛共に頭を下げてみろ。あの今滅びゆく蟲共よりも尚猛き真なる魔蟲達と対等に付き合ってみろ。そうして初めて貴様らは気付くだろう。己の力の無さに言い訳をする前にやるべき事があると。出来る事と出来ない事の限度くらい学べ。我は服従の呪紋を受けて変わった。だが、例え、そうでなくても一つだけは変わらず納得しただろう』

 

 へんきょーはくが溜息を吐く。

 

『神すら滅ぼすは我が主ニアステラの英雄だ。そして、今同じ神すら滅ぼす者達が此処には攻め寄せて来ている。お前達に選択肢は無いのだ。共に戦え。他者に助られるという事は他者を助けなければならないという事だ。貴様らが脚を引っ張るならば、我が主の裁きより先にこの腕で蒸発させてやる。胸に刻んでおくといい』

 

 言いたい事だけ言ってイソイソと機体が後方へと下がっていく。

 

 要塞付近で茫然としていたアルマーニア達の多くが項垂れるしかなかった。

 

 彼らの射爆が如何程に蟲を砕いてもこれ程までの量を捌けるものではない。

 

 そして、今、上空で熱線を放ち続けるレンズを制御している蜘蛛達も地下から噴き出す波で相手を焼く機構も彼らの頭脳では到底考え付くものでもなければ、扱い切れるものでも無かった。

 

「言いたい事を全部言われたぞ。アルクリッド」

 

「つまり、鋼鉄騎士くらいには追い付いたのでしょう。我が主も……」

 

「はぁ、口の減らないヤツだ。これでもういいだろう。連中を下がらせろ。爆華の矢弾だけは回収させろ。後は破壊されても構わん。弩に竜骨も使っていないしな」

 

「了解しました。それで……彼は?」

 

「足止めをしている間に聖域方面の岩壁の先へと向かっていった。ここに流入し続ける蟲共の供給源を絶つと言ってな」

 

「一人で?」

 

「他の蜘蛛達。今は仲間内からは天上蜘蛛と呼ばれているそうだが、何処も動かせないそうだ。ゴライアス殿はニアステラ、ルーエル殿はオクロシア、フレイ殿は冥領、オネイロス殿はヴァルハイル、先日加わったヘリオス殿とイージス殿はフェクラールで訓練中。最後に最近増えたらしいヘルメース殿は各地で情報収集をしているとか」

 

「多くなりましたね」

 

「嘗て七つの鱗を称してセブンス・ロアと呼んだが、咆哮せぬ蜘蛛達ならば何と呼ぶべきか」

 

「セブンス・ヤーン……嘗ての古き者達の言葉に直せば、七つの糸……いえ、綱と言うべきでしょうか? 彼らは糸というには聊か太過ぎます」

 

「ふふ、そうだな。【七綱】か……良いのではないか。このまま増やされれれば、変更になるだろうがな」

 

「それだけの大物が居れば、でしょう」

 

「もういないと?」

 

「神は蜘蛛に出来ないとの事です。ならば、後は蜘蛛に出来る程に力量に差がある者達ばかりとは思えません」

 

「蟲も蜘蛛には出来ぬと言っていたな。あちらは……此処からは実力勝負か」

 

「はい」

 

「さて、我らはあの英雄殿に何を貢ぐべきか」

 

「政治的に面倒事を潰しておく、くらいでしょうか」

 

「確かに……背後を気にされては我らとて滅ぶかもしれん。この機にフェクラールの内実を固めてしまおうか。古き知恵者には退場して貰う。今や此処は新たなる法と秩序が敷かれた。アルマーニアも他の亜人も無い。新たなる時代。ニアステラの栄光といつか呼ばれるだろう日々の到来だ……」

 

 イーレイの言葉に頷いたアルクリッドは本来粛清対象だった復権派を説き伏せるには簡単になっただろうと算段しながら、日中は延々と焼き潰し可能な蜘蛛達が大量の蟲焼きを作っている様子に自分達もあの劫火に投げ入れられないよう働こうと動き出すのだった。

 

 こうして、アルマーニアの内実がようやく一本化されようかという頃。

 

 アルマーニアの街区に一番近い黒蜘蛛の巣の地下に続く扉が開かれ、巨大なドラクが内部へと浮かんで入り込み。

 

「ふ~~疲れたぞ。やはり、この体では日に30分が限度か」

 

 へんきょーはくが乗って来た銘付のドラクが横たえられたハンガーが更なる地下へと続く通路へと精霊達に移動させられていき。

 

 降りたばかりの幼女が伸びをした。

 

 彼女が使っていた嘗てのドラクは今後、送電網の制御装置として使われる事になっており、ドラクもお役御免になるとは聞かされていたのだ。

 

「ふふふ、来たな。へんきょーはく」

 

「お、お前はたいちょー!? 何故、お前が此処にいる!! いつもの配達業務はどうした!?」

 

 彼を施設の暗がりから出迎えたのはたいちょーことリーエル・スタージェンであった。

 

「くっくっく、この体になってから、我が力は強まった!! あの腰痛とかに悩まされていた頃とは違うのだ!! 貴様ら人外が二歩三歩進歩したならば、我らは更にその先を行く!!」

 

「な、何をいきなり?! 貴様はあの二つの受肉神の遺体の管理でもしていれば良かろう!!」

 

「ははははは、愚かなり!! 機械蜥蜴よ!! 我が力はもはやそんな枠には収まらないのだぁ!!」

 

 嘗ての教会騎士だった頃の人格は何処へやら。

 

 目を爛々と光らせた彼女の背後でバーンと色付きの爆発が起きる。

 

「!?」

 

 よく見れば、蜘蛛達が『現在お仕事中』の腕章を付けて、色付きの爆発を呪紋で演出していたので、きっと何かしらの利益で仕事を押し付けたのだろうとへんきょーはくがジト目になった。

 

「貴様らヴァルハイルだけカッコイイのに乗りおって!! 我らだってカッコイイのに乗りたかったんだからなぁぁあああああ!!?」

 

 力説した彼女が両拳を握って本音をポロリしつつも演説モードに入る。

 

「だが、それも今日までだ!! ご主人様の戦力強化の一環で亜人や普通のヒトにも乗れるドラクが遂に完成っっっ、したのだぁあああああああ!!!」

 

 盛大に虚空で祝開発成功おめでとうの文字が不可糸で浮かび上がり、彼女の背後で不可糸の膜によって隠されていたものが糸を解かれて露わになっていく。

 

「ま、まさか!?」

 

「そうだ!! そのまさかだ!! 受肉神の遺骸取り扱いで功績を積み上げた我ら教会騎士派閥!! そう、我らは遂に手に入れたのだ!! 新たな力を!!」

 

 背後から露わになっていくのは6m程の通常のドラクよりも一回り小柄な人型シルエットの機体であった。

 

 流線形のフォルムをした装甲はドラクのように厚みは感じられなかったが、それにしても竜を象ったように見える。

 

 ディティールの所々は人体には無い部位。

 

 つまり尻尾だの翼だのが展開でもされるのだろうかという感じのスペースが存在しており、通常のドラクよりも複雑で細かなパーツで汲み上げられたようで関節部、稼働部位が糸で編まれたように柔軟な印象を受ける。

 

 少なからず鋼鉄の塊という感じとは聊か違う。

 

 巨人に鎧を着せたと言った方が良さそうであった。

 

 白い竜甲冑の騎士。

 

 印象的なのは両手両足の間接部が何処か護りを厚くされて装甲で少し隠れ気味である事だ。

 

「見よ!! エル・アーカとか言うヤツが試作品の端材とか、余りとか、残り物とか、強奪した部品とかを使って、最新技術とやらで建造したらしいカッコイイヤツを!!?」

 

 目がキラキラ輝くたいちょーは今や完全にその機体の虜と化していた。

 

「全部、廃材と盗品ではないか?!」

 

 語彙力が飛ぶくらいに嬉しいらしいたいちょーが喜色満面で振り返って恋する乙女並みに笑顔で胸を逸らしてふんぞり返る。

 

「フ、フン!! そんなの羨ましくも何ともないわい!!」

 

「ほほ~~貴様の愛機とやらはこれから此処の部品になるのだろう?」

 

 たいちょーがニヤニヤした。

 

「うっ!?」

 

「だが、いいんだぞ? 貴様が我らに頭を下げるなら、載せてやっても?」

 

「うぬぬ!? そ、そんな甘言に弄されるルートレット・ブラドヘイムではないわぁ!!?」

 

「ふふ、強がりさんめ。ならば、こいつの初乗りを堪能させてもらうとしよう」

 

 悪い顔でニンマリした幼女を脱した少女は蜘蛛達にちょっと開けてーと頼み。

 

 コックピットが開くと軽業師のようにヒョイヒョイと関節部や突起を用いて昇り、瞬時に内部へと入ろうとして止まった。

 

「ど、どういう事だ?! これは一体どういう事なんだぁああああああ!!?」

 

「何?」

 

 へんきょーはくが首を傾げる。

 

 すると、蜘蛛達の1人が『はい。どうぞ』と一枚の仕様書らしいものをたいちょーに渡した。

 

「ええと、何々? 最新式の思紋機関の利用には全身モルドだったり、モルド操作を長年している人員の協力が無いと操作に難があり、一般兵隊向け以外の精兵用は能力の巨大さに比例し、操縦に関しては火器管制を分けて扱い易くしてみました?」

 

 思わずたいちょーの毛が逆立つ。

 

「今、鍛冶場で作ってるのは一人用って言ってたじゃないですかやだー!!?」

 

 涙目なたいちょーが更に続きを読む。

 

「元々はヴァルハイルの最新鋭にするはずだった部品を用いているので数は300機くらいしか用意出来ませんので悪しからず。コレは量産用とは別に作った第一野営地防衛用の完全個人機。一点ものの隊長機です。そ、そういう?」

 

 そのたいちょーが汗を流す様子にへんきょーはくの唇の端が吊り上がっていく。

 

「……運用情報の送付を後日よろしくお願いします。注意点として呪紋の処理発動は常時発動型以外は息を合わせないと限界機構が働いて不発になるよ? は? え?」

 

 そこでようやくへんきょーはくが裏切者のアーカ家当主が何の為にその機体を造ったのかを理解したが、黙っている事にする。

 

 生憎と敵に塩を送る事は例え裏切者になっていようともヴァルハイルたる彼の流儀ではないのだ。

 

「強力過ぎるから、使う時は周辺戦力を巻き来ないようにしてね? え? え? 集団戦出来ないの!? 取り合えず、ヴァルハイルの捕虜と仲良く運用して下さい……エル・アーカより……」

 

「く、くく、ははっ、あはははははは!!? やりおったわ。あのアーカのメガネめ♪」

 

 思わずへんきょーはくが大笑いし始めた。

 

「う、ぐぐぐぐ!? つ、つまり、こ、こいつは二人乗り?!! それもヴァルハイルの連中と一緒にだとぉおおおおおおおおお!!?」

 

「はぁはぁはぁ、いやー笑わせて貰った。どうやら間抜けは見つかったようだな」

 

「う、うるしゃいわぁああああ!!?」

 

 思わずたいちょーが涙目で喚く。

 

「大道芸人より笑わせてくれるな。くく、確かにそうだ。呪紋だけでは処理し切れない複雑な機動は全てヴァルハイル個人の頭でやっていたのだ。それを呪紋が使えはするが、体の動かし方も知らんタダビト・モドキが簡単に操作出来るはずもない」

 

「や、やってみないと分からないだろー⁉」

 

「無理だな。神の力や緋霊の力まで用いた新型なら、猶更だ。ああ、まったく常人用はこれより随分と弱いのだろうな。中身の問題ならば、ウルよりもか?」

 

「ぐぬぬ!?」

 

「それもこの可及的速やかに戦力が必要な時に訓練せねば、ロクに使えない兵器よりは分担して威力を発揮する兵器にしたと……喜べ。扱いが簡単になった分、貴様一人よりも戦力は向上している事だろう」

 

「ぬぁあああああああああああ!!!?」

 

「良かったではないか。完全な個人用ドラクは銘在りと言って、多くの場合、与えられる事はヴァルハイルでは名誉なのだぞ?」

 

「うぬぬぬぬ?!! つ、続きはぁ!? え、ええと……隊長機はご主人様の機体を作る時の余り物で作ったから、他のヤツより性能が良い? でも、全身モルド運用者じゃないと火器管制はたぶん無理? 1人で運用する時は緊急時だけにし―――ふぎゅうううううううううううううう!!?」

 

 バリッとあまりに力の入った紙が破れた。

 

「で? 乗ってくれるのだったなぁ? さぁ、好きなだけ乗って無様を晒して構わんぞ?」

 

「……てくだ……ぃ」

 

「何だって?」

 

 余裕綽々の悪い笑みでへんきょーはくがニヤニヤ聞き返す。

 

「手伝って下さい!? うわぁあああああん!? こんなのあんまりだぁああああああああああ!?」

 

 こうしてヴァルハイル以外で初めてドラクは人の手に渡った。

 

『ほうほう? 銘は……【ビーメ】か。竜に人の頭と化け物の頭を持つ怪物だったか? 確かに我らは今、そのようなものかしれんな。おぉ、この機構は……浮かぶし、飛ぶし、水上もイケるな』

 

『こっちが試すより先にカッコイイ能力を解説するにゃんてぇえええええええ!!? この鬼、悪魔、ヴァルハイルゥウゥゥゥゥ!!?』

 

 背後のシートに手足を接続するヴァルハイル産幼女を載せて火器管制と機体制御をやらせ、メインシートに機体を動かす操縦者が乗るという二人羽織的な操縦システムは勿論のように互いの息が合わないとロクに戦えない代物に違いなかったのである。

 

 *

 

 幾度と無く終わりを迎える世界の最中。

 

 その蟲の軍勢は常に最後の時間にやってきた。

 

 巨大な岩壁を越えて雪崩て押し寄せて来る甲殻と無数の脚。

 

 正しく生物の大河。

 

 何度飲み込まれたか。

 

 そう知ればこそ、情報は常に収集していた。

 

 嘗て、3か月目の終わりにやってくる空どころか島を覆い尽くす何かの下。

 

 暗黒に煙る蟲達の雲霞は幾度と無く計も力も及ばなかった。

 

 だが、力を高め続けた先。

 

 仲間を護り切れない時にも最後の最後まで抗ったならば、ソレは見えた。

 

 山岳の遥か頂上に位置する場所にソレはいた。

 

 蟲ではない。

 

 ソレは卵の怪物。

 

 嘗て、鑑定した時、少年は名前しか知らなかった。

 

「ハンプティ・ダンプティ……」

 

 それが何語なのか少年は知らない。

 

 古き時代の人々の言葉。

 

 白き卵で構成された100m近い巨大な卵巣の怪物。

 

 集合する卵が無尽蔵に増え続け、孵化と同時に蟲達は成虫へと急速に成長し、次々に行軍を開始する。

 

 その最大の特徴は最前線で戦う蟲達が滅ぼされる度にその理由に対して対抗する力が次世代に与えられるという理不尽なものだ。

 

 無論、限度はある。

 

 絶対に溶かされてしまう溶解液に溶け難くなるとか。

 

 呪紋の現象に対して耐性を持ったせいで傷付き難くなるとか。

 

 だが、その次世代へと延々能力を付加され、嘗ての少年は負け続けた。

 

 最終的に勝った日の事は覚えている。

 

 速攻。

 

 あらゆる蟲を無視して相手の中枢を直撃し、破壊する

 

 それが最大限に強化された彼に出来る全てだった。

 

 結局、途中で飛行する為の手段を得て、とにかく最速で叩き潰す事になった敵。

 

 今ならば、恐らく超遠距離での呪紋攻撃で全て終わるだろう敵に対して少年が接近するには理由があった。

 

 巨大な岩壁の奥。

 

 無数の卵の怪物は凡そ120m程の山肌に蠢く巣のように見える。

 

 奥まった場所からは岩肌を下りるようにして蟲達が行軍していた。

 

 だが、その怪物達の母は一人ではないのだ。

 

 必ず、何処かに別の個体が存在していた。

 

 そして、何度潰しても短期間では潰し切れず。

 

 結局は数を減らす事しか出来なかった。

 

 時間も力も何もかも足りない少年の限界は其処だったのだ。

 

 しかし、今は違う。

 

 何よりも状況が違う。

 

 山岳の奥。

 

 聖域周辺から卵の集合体を何体も引っ張り出された怪物達はせっせと蟲達を生産し、大河として北部方面へと送っている。

 

「あの頃は分からなかった。ウルガンダと同じ。【飽殖神の礼賛】もしくは類似呪紋によって作られた被造物……」

 

 少年は天空から山岳部の一部。

 

 聖域に続くだろう明らかに島の内部とは思えない程に遥か果てまで見ても数百kmはあるだろう広大な領域の一部が大河の根源であると確定させる。

 

 恐らくはグリモッドと同じく。

 

 空間が歪んでいるのだ。

 

 同じ景色が延々と続いている様子なのも同じ理由だろう。

 

 遥か上空からの一撃。

 

 剣が卵の怪物達に突き刺さると同時に猛烈な射爆でも行われたかの如く。

 

 崩壊した卵達がクレーターと化した爆心地で吹き飛び消し炭になって虚空に溶けていく。

 

「お前を作ったヤツは誰だ」

 

 少年の剣が貫いた卵達の中核がビキビキと罅が入りながらも蠢く。

 

 小さな瞳が浮かぶ臙脂色の卵こそ、白い卵の群体の中枢であった。

 

 夜天の剣の先で貫通され、ビキビキと音をさせて傷を再生しながらも剣の周囲から抗い難い崩壊に直面するソレは目を見開いていた。

 

「その情報貰い受ける」

 

 少年の手が卵に向けて真菌の黒い糸を射出し、傷口から侵食、崩壊と再生を繰り返す卵内部の情報を吸い上げていく。

 

「ウェラクリアの呪紋の気配……鑑定……集合属性増殖呪紋? 【飽殖の掟】……生殖細胞の超回復と魔力による質量の補填……そして、卵自体は魔力の回復能力だけやたら高い……」

 

 遂に臙脂色の瞳が付いた卵が、あまりにも気色悪いソレが弾け散って蒸発する。

 

「魂も無い? 呪紋による蟲の製造装置……これは……元々、子孫繁栄の為の……」

 

 目を細めた少年は大量の卵の残骸の最中、衝撃に気付いて引き返してきた大量の蟲の大群を背にしても考え込んでいた。

 

「侵食し切れなかった? 魔力の回復力が高過ぎて、器質の崩壊以外で増殖力が低減されない? この細胞の初期化プロセスを組まないと情報も……霊薬で初期化したら内部情報も消えるから意味が無い。これを破壊せずに……」

 

 呟いている間にも迫る蟲の大河。

 

 鞘翅目、半翅目、直翅目、多足類のような甲虫、カメムシ、バッタ、ムカデに似た巨大蟲達が少年の背後で猛烈な勢いで分解されていく。

 

 大量の薄暗い緑や青や黄色などの血潮は磨り潰されていく蟲達の命そのもの。

 

「通常のプロセスだと情報取得が出来ない……」

 

 まるで球状の結界。

 

 そのようなものの中に少年はいた。

 

 だが、実際には何かの場、魔力そのものがソレからは殆ど感じられない。

 

「呪紋は二の次にしても、情報を取得する為には……」

 

 少年の瞳がギョロリと動き、まだ半壊して残っていた他の卵達の中核を真菌を伸ばした糸で複数手元に持ってくる。

 

 その合間にもソレらは次々に再生を始めていた。

 

「………」

 

 少年が瞳を細めて口を開き。

 

 ボリッとソレらを齧る。

 

 その途端、今まで瞳が見開かれていた卵が次々に怖気の奔るような造形の脚が浮き出た塊のようにして硬化する。

 

 だが、少年は意に介さず。

 

 ボリッボリッと卵を磨り潰すように齧り始めた。

 

「幾ら再生しようと遺伝装飾の初期化なら、お前らは元の形に戻る。まずは捕食、遺伝情報を磨り潰して体内の酵素で重要な装飾部位を分解。遺伝情報の分化作用を全てオフにしてこっちの生殖細胞で配列特異装飾を実行……遺伝情報と刻まれた魔力による全構成因子を解析……」

 

 ブツブツ呟いている合間にも少年の周囲はまるでミックスジュースの大河の如く。

 

 押し寄せる蟲達の体液の巨大な湖となっていた。

 

 それを可能にしているのは今も少年が片手に握っている夜天の剣だ。

 

 剣の刃が体積を単分子化しながら撓り、少年を球体状に囲っているのだ。

 

 込められた微量な魔力で物質を限界まで分解する超振動単分子被膜のようなものとなったソレは見えないが刃を外に向けているような状態。

 

 物質的に相手を接触面から分子レベルで斬るという理不尽な攻勢防御であった。

 

 鋸よりも遥かに鋭い剣は低魔力ながらも相手を体液のスープとして還元し、湖と化していたのである。

 

「……っ」

 

 少年の脳裏では解析した卵達の情報が流れ込んで来ていた。

 

(元は蟲の卵? 卵内部にある魔力回復用の疑似的な脳機能……瞳は魔力の呪紋形成に必要な情報を流す為の論理回路? この術は相当……)

 

 ザリッと少年が脳裏で蠢いた情報に目を細める。

 

 瞳は瞳ではないが、瞳のように光を疑似的な脳に送り込む為の仕掛けだ。

 

 つまり、光学情報が疑似脳に複数の魔力的な経路の残滓として残っている。

 

 ザリッと解析した情報が少年の脳裏に流れ込んでくる。

 

「………」

 

 ソレは擦り切れた長大なローブを纏った20m程の巨人だった。

 

 その顔は蟲の脚に巻かれて見えず。

 

 しかし、腐敗しつつある肉体を覆うローブは元々は立派だった様子で表面に無数の装飾。

 

 呪具らしき勲章のようなものが大量に付けられていた。

 

 枯れて罅割れた腕が伸びて指先が卵の瞳に触れようと近付いてくる。

 

 ソレで情報が途切れた。

 

 禍々しいムカデのような甲殻類のような悍ましい脚が飛び出した杖を持つ術者の姿は今まで見た事も無いものに違いなく。

 

「コイツが……聖域の?」

 

 少年が全ての中核の卵を健啖ぶりを発揮して粉々にしてゴクリし終えた時。

 

 蟲達は周囲から消えており、湖だけが其処には置かれていた。

 

『……ようやく来たか。聖域に』

 

「ッ」

 

 少年がその声に山岳の頂点を見上げる。

 

 そこには幻影らしき影が佇んでいた。

 

『あの妖精共も取り込んだか。その抗神化率……頃合いだな』

 

 幻影が少年の下まで虚空を降りて来る。

 

『我が名はアルジャンティーユ。救世神に仕えし僕の1人』

 

「………」

 

 今、情報に見た巨人そのものの姿の男。

 

『お前の事は見ていたぞ。新たなる神の下僕。貴様が幾度繰り返しても辿り着かぬ姿。正しく滑稽を通り越して喜劇であった』

 

「………」

 

 少年は静かな瞳で相手を見やる。

 

『挑発にも乗らぬか。神々は貴様を育て過ぎたと見える。だが、まぁいい。全ては我らが大いなる救世神ヴァナドゥの采配。それに従うまで』

 

「あの機械と肉の塊を崇めたいなら、そこらの機械と肉でも固めて拝んでればいい」

 

『……生憎と激高するような歳ではないが、覚えておけ。その言葉で今度は何人の仲間が死ぬ事になるのか』

 

「聖域をこれから消滅させる」

 

『その程度でどうにかなるのならば、貴様はとっくの昔に神々の呪縛から解放されている。そして、あの男が成し得なかった事を貴様のような数万回繰り返した程度の小僧がどうにか出来るはずもないだろう』

 

 少年はその言葉にようやく相手がボロを出したのを感じた。

 

『聖域は滅びぬ。決して滅びぬ。救世は必ずや成させしめられ、古き時代に幕は落ちるのだ。あの忌々しい妖精神の頚城さえなければ……ッ、我らが神よ!! 愚かなる愚者の隊列に裁きの力を』

 

 そう叫んだアルジャンティーユと名乗る巨人の幻影。

 

 その時、起こった事を記すならば、単純だ。

 

 フェクラールとニアステラ。

 

 彼らの頭上に巨大な大地が降って来た。

 

 それは文字通りのものであり、凡そ山脈二つ分の分厚い一枚岩の岩盤が広大なフェクラールとニアステラの全ての領域を呆気なく圧し潰したのだった。

 

『もう一度やり直しでもするのだな。フ……』

 

 幻影が少年に背を向けて消え去る。

 

 それを見ている少年の視線を彼が見なかった。

 

 それが恐らくは最初にして最後の過誤に違いなかった。

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