流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第81話「ニアステラの災厄Ⅷ」

 

 ニアステラが常夜の邦。

 

 否、常星の邦となったのを聞き齧ったニアステラの飛び地(元人馬の邦)はこれなら反乱しようかなという半端過ぎる人々の希望も空しく。

 

 ニアステラからの客を壊れた王城で出迎え。

 

 引き攣った愛想笑いの人馬の一般人やら商工組合の元奴隷商人やらが絶望的な自分達の頭の悪さに絶望するという具合に気絶して、大量に王城で蜘蛛達の御世話になっていた。

 

 というのも、一部の人馬達がニアステラ壊滅の報に色めき立って、今の力無きニアステラ相手ならば、自分達でも反乱で十分に独立可能なんじゃとか考えたのだ。

 

 蜘蛛達は基本的に文官と少数の憲兵隊が組織化されて、あちこちで監督役として人馬達を見張っていたのだが、基本的には労働力として働いていた。

 

 彼らは暴力を用いないまま無言で必要な事だけしていた為、「あれ? こいつら弱いんじゃね?」とか思われていたのだ。

 

 勿論、そんなわけがない。

 

 人馬の邦の兵隊の質はかなり低いし、事実上貴族階級が解体されて、民は皆平等だけど、人馬は今まで奴隷にしていた分、自分達で労働してねというのがスタンダードに社会制度として導入されている最中だ。

 

 今までなら奴隷を死ぬまで働かせれば良かったのが、今は一番キツイ第一次産業を全て嘗て仕事に携わっていた人馬に強制的にさせているので半奴隷労働みたいなものである。

 

 しかし、自分達がやっていた事を味合わされた人馬達の多くは反抗的ではあったが、自分達が如何に理不尽な事をしていたのかは理解した。

 

 蔑んだ目で元奴隷達から見られるようになって自覚はしたらしく。

 

 元奴隷達が自分達と同じように労働しながらも、蜘蛛達から労われている様子を見て、今度は蜘蛛の奴隷になったのかと揶揄するだけの空しい日々を送っている。

 

 肉体労働や諸々の労働には対価と制限が設けられ、ちゃんと寝床と三食飯が付いて、傷は呪紋で治して貰えて、今日食べるものに困らず、娯楽として今まで使えなかった様々な物が買えて、色々な施設まで開放された。

 

 真っ当な生活。

 

 これ程に彼らの胸を打つ政策も無かったのだ。

 

 人馬の混血種族の多くも新しい支配者たるニアステラの一々全う過ぎる政策に異を唱える者は無かったし、自分達を顎でこき使っていた層が全部自分達と同じ労働で四苦八苦しているのを嗤っていられるのだから、随分と溜飲が下がった。

 

 その上、彼らの大半にとって意外だったのはニアステラが搾取どころか。

 

 危ない労働自体を彼らから取り上げ、一部流入してきた蜘蛛達やアドミサリス、アドミサリアと呼ばれるようになった馬蜘蛛達が主体となってやり始めた事だ。

 

『(*´Д`)(今日もお仕事えんやーこーらーという顔)』

 

『(≧◇≦)(さっさとお仕事を終えて趣味の畑に行きたいという顔)』

 

『((+_+))(今日もお仕事が終わったら、呪紋で人体実……病院で副業しようという顔)』

 

 蜘蛛達は勤勉な上に嘗て腐った人馬貴族だったとは思えないような働きぶりであり、進んで危険な仕事に付いて、彼ら人馬の邦を立て直す為に尽力していた。

 

 まぁ、単純に少年から邦立て直しておいてと言われたからしているわけだが、近頃は自分達の趣味なども交えて副業もしており、色々な職場で呪紋込み込みで技能を習得しつつある。

 

 彼らが楽し気……に見える人馬達は自分達はこんなにも楽しく働いていた事があっただろうかと思わず考え込むくらいには蜘蛛達が眩く見えた。

 

 そして、彼らは金などにはまるで興味が無く。

 

 疲れた労働者達が集う酒場などにやってくると吟遊詩人に物語をねだっておひねりを山のように投げ付けたり、褒められると労働者達に豪勢に有り金で酒を振舞ったり、子供達とも人懐っこく遊んでオカシをあげたり、良くない事は良くないと人々を正して回る有様であった。

 

 黒蜘蛛の巣が無い人馬の邦は魔力供給の為の竜骨塊が各地の都市や地域に複数個所置かれており、それらから蜘蛛達は魔力を吸えば、問題なく活動可能。

 

 もうそれだけで人馬の邦の人々は奴隷階層もそれ以外も誰も彼もが考えるしかなかった。

 

 自分達の邦の何もかもが嫌になったのだ。

 

 高が蟲と蔑んでも良さそうな相手の楽しそうな様子があまりにも衝撃的で、自分達こそが自分達の邦を酷く醜くしていた事に気付いた。

 

 人気者になっていく蜘蛛達を前にして、妬みや嫉みに塗れた彼らは……邪見にして尚優しくされて、思わず自分のみすぼらしい人生に泣きたくなったのだ。

 

 多くの人馬は思った。

 

 ああ、自分達は、自分達の邦は、何処まで愚かだったのだろうと。

 

 それは正しく今の邦の長となった白銀の人馬も例外ではない。

 

「……来ましたか。また、我が邦の危機を救ってもらい何と言えばいいのか」

 

「?」

 

 少年はやたら自分の気配に怯えていた人馬達の事を思い出して、そんなに危ない気配出してだろうかと首を傾げる。

 

「こちらの話です。随分と気配が強まったようですね。アルティエ殿」

 

「人馬は気配に敏感?」

 

「ああ、済みません。先日の革命の時も極短い期間だった為、我らの事で教えていない事が多かったようです」

 

 少年に頭を下げたのは崩れた王座に座り、周囲に大量の机を円形に並べて、器用に両手で書類を決裁している元人馬の邦の騎士。

 

 人馬ポーゼブの新たなる首班。

 

 ヨルヘームの王もしくは議会の議長予定の彼女。

 

 エムルト・ファスノーチカであった。

 

「我ら人馬は特に大きな気配に敏感なのです。これは元々、古き時代の亜神が持っていた素養だとか。あの女が言っていました」

 

「ダスカなんちゃら?」

 

「ええ、そのなんちゃらです。あの女が言うには我ら人馬の祖先達は最も神を人を分け隔てる力、感じる力に優れた種だったのだとか」

 

「……(獣と人がハッキリと別れた存在……外界から遣わされた人馬は恐らく大神……あの話から想像するにエル大陸の監視者をポーゼブの祖先が骨抜きにして気付かれないように工作でもしてた?)」

 

「何か? 他にも知りたい事でも?」

 

「ある。人馬の神の事とか」

 

「あの女の受け売りになるのですが、人馬の神は今は眠っているのだそうです」

 

「眠って?」

 

「神世の時代。人馬の亜神となった古き者達は人馬の神ペガソス。神馬、神獣と呼ばれたソレを色恋の手練手管で墜とし、自らの奴隷に変えて眠らせたのだとか」

 

「ふむ?」

 

「あの女の講義ではそう教わりました。人馬はそれ故に神からの権能を与えられる使徒がいないし、これからも人馬の神が目覚めない限りは出来ないだろうと」

 

「……妖精から聞いた話がある。ちょっと情報を摺り合わせたい」

 

 少年が何を言い出すのかと聞いていたエムルトの顔がゆっくりと青褪めていく。

 

「色々と疑問はありますが、つまりはこうでしょうか? 我らのいるこの島は神々が創った。そして、捨てられた者達にすら棄てられた流刑者の島であり船。人馬の神はこの島を監視する目的で送られて来た外界の大神の遣いであったもの。古き者達がこれを篭絡して眠らせ、人馬の民は神を眠らせておく為に諸々の儀式をしていたかもしれない?」

 

「奴隷を買い集めて捧げてたのが、もしもエル大陸とこの島の異常の発覚を遅らせ、大神の治める大陸からの干渉を誘発しない為の偽装だった。みたいな可能性がかなりある」

 

「あの時、王は言っていました。外界とエル大陸を隔てるのがこの島だと。もしかしたら、エル大陸への大規模な揚陸が出来ないよう、この島を基点として堰のように呪紋などが機能しているのかもしれませんね……」

 

「まだ分からない。でも、可能性は十分にある。エル大陸の詳しい話は聞いた事がある。外界の大陸から来るのは難破船ばかりで殆ど偶然や奇跡の類だとか。数の多い船団のようなものは大体通れない海域が多過ぎるとか。外界の大陸と繋がる航路は未だ発見されてないのに外界と呼べるだけ遠い海域にある諸島群……つまり、この周囲までは航路が安定してるとか」

 

 エムルトが考え込む。

 

「もしかして、まだ見つかっていないだけで、この極東にあると言われる島が唯一エル大陸に直接向かえる航路の中央地帯になっている可能性は?」

 

「ある。呪紋である程度の能力や存在の大きさは識別出来る。ソレらを大陸に近付けない呪紋が大陸に掛かっているとしても、穴を完全に塞ぐのはたぶん無理。常時掛けておくなら、簡単なのは穴を開けて、穴そのものが何処にあるのか分からないように隠す方が現実的」

 

「この島がその航路の要所にある?」

 

 エムルトがそう核心らしき予想を付ける。

 

「可能性が高い。今までの情報を総合すれば、教会の主神は此処に島を作った時に反対しなかった事になる。もし、それを見逃す理由があるとすれば……」

 

「エル大陸を外界から守る為の入り口として、この島の存在を許容した?」

 

「このままだと遠からず外界からの大神達が治める大陸からの侵攻が在り得るかもしれない」

 

「……どうやら、王とダスカ老は……悪辣なりに考えはあったようです」

 

「問題ない。今はいない相手の事は考えても仕方ない。必要なのは今を生きる者がどうするか……」

 

 エムルトが息を吐いた。

 

「結局、何をどうしようとも、我らには業が付いて回るのかもしれません」

 

「それならそれで全てどうにかすればいい」

 

「そう言える貴方が羨ましいと言うのは貴方に失礼なのでしょうね。話は分かりました。ニアステラも問題ないとすれば、この邦には何を目的に?」

 

「人豚の邦を種族連合やニアステラの勢力に加えなきゃならなくなった」

 

「え?」

 

 少年がヘルメースが持ってきた情報を映像付きで解説する。

 

「……まさか、人豚の邦の正体がそのようなものだとは……あの女からは人豚の邦には常に注意しているよう言われていましたが、そういう……」

 

「奴隷達は恐らく開放しても開放しなくても自由に生きられる。問題は人豚の持っている技術や知識。この島の秘密を動かせるだけの能力があるなら、早めに引き入れて、その知見を使って状況を打開したい」

 

「五大災厄。聖域の王群。教会本隊……全て難敵ですね……」

 

 少年が頷く。

 

「教会の本隊が来る前まで出来る限り、敵を減らしておきたい。ノクロシア内部と聖域近隣への大遠征に同行して欲しい」

 

「私が、ですか?」

 

「たぶん、今の話からして人馬の存在そのものが必要になる可能性もある。今、人馬で信用出来るのはエムルト・ファスノーチカしかいない」

 

「……本来ならば、お断りするところですが、島そのものが無くなってしまっては愚痴も言えませんね。分かりました。ただ、そちらから決済や諸々の政治が出来る人員を工面して頂けませんか?」

 

「勿論、そうする。人馬の邦でも活躍出来そうで今丁度大仕事が終わったばかりの相手がいる」

 

「では、その方が来てから此処を離れるという事で?」

 

「構わない。ちょっと連れて来る。準備もあるから、明日から」

 

「分かりました」

 

 こうして崩壊し、今はまだ民間が先だと木の板で補修されただけの王城から少年が出立し、数時間もせずに戻って来た時には夜になっていた。

 

 彼の傍らには如何にも不機嫌そうな複数の瞳を持つ者が一人。

 

『ろ、六眼王ヘクトラス!?』

 

 城の者達がまた泡を吹いて倒れ伏し、蜘蛛達に看病されたのは言うまでも無く。

 

 顔が引き攣った人馬の革命者は自分の遥か格上であろう男の眼光に愛想笑いしか出来なかった。

 

『話は聞いた。仕事はさせて貰おう。だが、決して暇ではない事だけは伝えておく。若き革命者……お前の代わりは誰にも務まらない。誰にもな』

 

『ッ―――はい!! 必ず、全てを終えて此処に戻ってきます。それまでどうか我が邦をお願い致します。六眼王閣下』

 

 こうしてエムルトは人馬の旅装束に軽装の鎧を身に着けて少年と共に転移で朝一番に人豚の邦オーデルブルグに向かうのだった。

 

 *

 

―――人豚の邦オーデルブルグ。

 

 多くの種族が共に暮らす人豚達の国家。

 

 この奴隷が奴隷を止めた場所において最も栄誉な事は邦の地下に案内され、そこに住まう事だとされている。

 

 それは正しく彼らにとって本当に国家の一員として認められた、秘密を共有しても良いと思われたという事に他ならないからだ。

 

 人豚の邦に少年が白銀の人馬と共に現れた時、その関所では既に複数の者達が外套姿で彼らを待っていた。

 

 誰も彼もが軍人なのは一目で分かる程に優秀。

 

 その肩に掛かる兵器は少年が映像で見て、現在フェクラールに連れて来たヴァルハイルの技術者とウリヤノフに頼んで再現して貰っている“銃”というものらしい。

 

 嘗て、ウリヤノフが開発していた呪紋兵器にも似ていた。

 

「ニアステラの使者とお見受けします。我らにどうかご同行を。そちらの方は人馬の邦の使者でしょうか。ならば、我が邦での奴隷の開放に関して諸々の説明を受けられるよう役所の方で準備してあります」

 

 エムルトが自分を見たので少年が頷く。

 

 少年が指を弾くと数匹の馬蜘蛛達が転移で現れ、エムルトの背後に付き従う。

 

「護衛は?」

 

「勿論、ご同行可能です。兵器の類も武装解除は必要ありません。女王陛下から言い渡されておりますので」

 

「分かった。後はエムルトをよろしく」

 

『(/|ω|)/(オゥケェイ主というイケメン馬顔)』

 

 こうしてやって来た途端に少年達はオーデルブルグ内で分かれる事になった。

 

 蜘蛛達が付いていれば、万が一にも大丈夫だろうと案内された街の公会堂らしき場所まで来ると少年が自分の周囲を固める数人に尋ねる。

 

「どうして来るのが分かった?」

 

「申し訳ありません。女王陛下のご命令で来たに過ぎず。そのような事は分かりかねます」

 

 嘘は言っていない事が分かった少年は未来を見る第三神眼に妖精瞳を発動させながら、自分のすぐ先の未来が不用意に分岐が揺らいでいく事に目を細めた。

 

 恐らくは同じ類の能力で未来が予測されて、誰かの意図が働く事で分岐が潰れたり、現れたりしているのだ。

 

 公会堂の最奥。

 

 議長席らしき場所に老齢の女性を見付けて、入り口から入って真っ直ぐに向かった少年は護衛達がもう付いてこないのにも構わず。

 

 相手の前で片膝を負った。

 

「お初にお目に掛かります。アルティエ・ソーシャ……ニアステラの代理人として罷り越した者です」

 

「そう……貴方がニアステラの英雄ですか。礼は必要ありません。互いに同等ではない事くらいは矮小な我が身にも分かります。我ら人豚は真の意味で強者の無い種族。単一性能において貴方は我らを滅ぼし得る程の者なのは一目で分かりました」

 

 少年が再び立ち上がる。

 

 その様子を見て、女王が何処か諦観を込めた瞳で苦笑を零した。

 

「何人倒したのかしら? この地の神を……」

 

「合計2神。神に近しい領域のものを更に少し……」

 

「古の神殺しの流儀ならば、もう神になっていてもおかしくない。でも、そうはならない。つまり、神々は貴方を神ではなく神を超える者として迎えたいのでしょうね」

 

「神の思惑は関係ありません。それは最終的にこちらに不都合でなければ、問題ないというだけで問題があれば、潰します」

 

「ふふふ、出来てしまいそうね。本当に……」

 

 神を決して特別扱いもせず。

 

 ただ、一つの要素として語る相手に彼女はもうその段階の存在がこの世の中にいるのかとやれやれと言いたげに首を横に振った。

 

「人豚の邦オーデルブルグに種族連合への参加と同時に聖域踏破への協力を要請します」

 

「……こちらの利益は?」

 

「この一連の戦で種族連合とニアステラの庇護を受けられる事。具体的には戦力の貸し出し。もしくは全人員の避難先としての開放と居住区の提供。そして、呪いの除去を約束しましょう」

 

「こちらから要請しようと思っていた事ばかりね。そちらの利益は聖域関連の事に我らの知識や技能を活用したいという事でいいのね?」

 

 少年が頷く。

 

「構わないわ。率直に言って、貴方が怖いもの。此処でご機嫌を損ねたら、神に立てつくより酷い事になりそうだし、了承するしかないわね。それで呪の除去は本当に可能なのかしら?」

 

 少年が腰にしていた剣を引き抜き、剣身を横にして女王に見せる。

 

 思わず護衛者達が動き出そうとしたが、女王が一睨みして黙らせた。

 

「これが……妖精剣【グラディエラ】」

 

「?」

 

「ああ、名前は知らなかったのね。この剣はね。神世の頃にそう呼ばれていたのよ。名前はその時のものだから、新しい銘でも構わないのだろうけれど」

 

 特異な剣身の見た目は吸い込まれそうな星空を思わせる虚空。

 

 しかし、女王はこれがこの世界の始まりを拓いた剣かと繁々と見やる。

 

「どれくらいの時間で終わるのかしら?」

 

「今すぐにでも」

 

「ほほほ、さすがにそれは……」

 

「取引で嘘は言いません。現物を即金で、というのは鉄則ですので」

 

「ふむ。なるほど……見せて頂けるかしら?」

 

「無論」

 

 少年が女王から離れた後、議場の中央の壇上に上がり、妖精剣を一振りした。

 

 途端、その剣身が消え失せる。

 

「一つ確認を」

 

「何かしら?」

 

「神の力を全て消した場合、有用なものも消える可能性があります。それに同意しますか? 切り分けるという類の事は出来ないので」

 

「ふむ。どの道、神々からの加護なんて頭が良くなることくらいよ。加護無き世界でも呪紋の研究さえあれば、知能の低下くらいは最低限で済むでしょう」

 

「分かりました。口約束ではなく。契約書でサインを」

 

「ええ、持ってきた契約書があるから、魔力でサインを頂戴な」

 

 女王がすぐに契約書のスクロールを浮かばせて呪紋でサインし、少年もまたサインした。

 

 そこにはしっかりと加護が消えても絶対文句は言いませんとダラダラ長く書き記されている。

 

「では、お願いね」

 

「……【無尽斬】」

 

 少年を見ていた全ての人豚の民が一瞬、自分の見る世界が色褪せたような錯覚に陥る。

 

 ただ、それは少年を見ていない全ての人豚の邦の内部にいる者達に共通していた。

 

 一瞬で元に戻った視界。

 

 しかし、何か怖ろしい事が起ったのではないかと肌身で感じた彼らはざわめき。

 

「終わったのかしら。ブヒ」

 

「恙なく」

 

「ふぅむ……でも、子供が作れるかどうかまで確認しないと如何とも言い難いブヒね」

 

「………これで契約は完了したと考えて良いでしょうか?」

 

 少年が変化した事にも突っ込まず。

 

 人豚の女王は自分達の何が変わったのかまだ気付かない様子で兵達に頷いた。

 

「分かりましたブヒ。これで全ての契約は完了。では、まず我が方から聖域関連の知識を持つ者をニアステラへ派遣しましょうブヒ」

 

 兵士達も女王の語尾がおかしい事に気付かないまま。

 

 控室からフード付きの外套を被った者を連れて来る。

 

「その子はわたくしの家系の中で一番頭が良かった子よ。ブヒ」

 

 やってきた外套の内部から少女の驚く声が響く。

 

「―――じょ、じょ、じょじょ女王陛下!? そ、その語尾は何ですか!?」

 

「え? どうかしたのかしらブヒ?」

 

「今まで……その、ブヒとか言った事は無かったのではないでしょうか……」

 

 女王がちょっとだけ考えて、外見は変わらぬままに頭痛を抑えるように色々と記憶を確認したが、一筋汗を流してニコリと微笑む。

 

「今日からはこれが我が国の伝統的語尾という事で……ブヒ」

 

「貴方、我が邦に何したのよぉおおおおおおおおおお!!?」

 

 思わず叫んだ外套から飛び出したのは年頃の10代後半の少女だった。

 

 高身長でモデルのようにスラリとした体躯。

 

 桜色の髪と垂れ耳と尻尾が付いた彼女は軍用にも見えるスーツらしきものを着込んでいる。

 

 その顔は女王の若い頃ならば似ているのだろうという事が分かるくらいには血筋の影響が見られて、何処か威厳と凄みが感じられる。

 

 だが、今の彼女は思わずブヒとか言い出した祖母の様子に涙目で少年を揺さぶる機械と化し。

 

「姫様!? そのお方はお客人ですぞブヒ」

 

「ひぇ!? その語尾流行ってないよ!? やめよ!? ブヒって!? 馬鹿にされるよ!?」

 

 兵達がブヒブヒ言いながら自分を止めようとしてくるのを見て、絶望したようにガクリと項垂れた。

 

「ま、まさか、神の加護で色々なところを補ってたって事? ブヒって……ブヒッて……うぅ、また、他の邦に馬鹿にされちゃう」

 

「まぁ、この程度で子孫繁栄が叶うなら安いものブヒよ」

 

「そういう事じゃありません!? 女王陛下!? 絶対、地下の人達も混乱してますよ!?」

 

「そう? そうかしら? そうね。分かったわ。じゃあ、地下の人員の確認をよろしくお願いブヒね」

 

「は!! お任せをブヒ!!」

 

 兵達と女王のやり取りに絶望しかない彼女がギロリと少年を睨む。

 

「……契約書があるから、文句は無しで」

 

「うぐぅ……そもそもどうして私はそのままなの!?」

 

「………ちょっと髪の毛を一本」

 

「へ?」

 

「調べてみる」

 

「分かったわ!? はい!! 元に戻せたら戻してよね!? 貴方!? ニアステラの英雄とか言うの!?」

 

 少年がイソイソと桜色の髪の毛を一本少女から貰って、脳裏でナクアの書の写本を起動し、掌に握って色々と解析を実行する。

 

「………遺伝形質解析……神の呪の消失……加護の消失……モザイク・コード? 人馬に似てる。でも、これは……神の加護の正体が底上げじゃなくて分離? ああ、そういう……」

 

 少年が納得したようにふむふむと解析結果を脳裏で整理していく。

 

「何か分かったの!?」

 

「人豚の亜人は人の脳髄と豚の肉体を持つ人種。本来、豚の形質遺伝が発生するところを脳に限って神の加護で豚の方の遺伝子の発現を抑えてたっぽい」

 

「つまり、どういう事!?」

 

「今まで頭の中身は人のままだった。これからは頭も半分くらい豚になる。神の加護を再び得るか。もしくは単純に何かしらの薬で脳の豚の因子の発現を抑えないとずっとこのまま。勿論、子孫もそうなる」

 

 サァァァァッと彼女の顔が青ざめる。

 

「まぁ、問題ありませんブヒ」

 

「問題しかないよ!? お婆様はそれでいいの!?」

 

 思わず涙目な少女が叫ぶ。

 

「ちょっと頭が弱くなるくらいでしょうブヒ。それに亜神の資質がある者はその限りではない。そうではないかしら? ブヒ」

 

「そういう事になる。それに外にいる人豚の血筋もいる。亜人の混血時の人豚化率も恐らく下がってる。呪は遺伝する。でも、一度解呪されてる力への耐性が付いてる。一度戻った血筋と戻ってない血筋が交われば、再度血筋に呪が発現する事はたぶん無い。これからは他の亜人と混血しても人豚の資質がちょっと高くなる程度で他の亜人を血統で駆逐したりもしなくなる。たぶん」

 

「お婆様?! どういう事ですか!? 亜神?!」

 

「ほほほ、我らの氏族は亜神のような強者が生まれない性質なのは知っているブヒね。それで前々から次の世代に神世の頃から引き継いでいた血を使って亜神が生まれないか実験していたブヒよ。まぁ、殆どは優秀な子になるだけだったのだけれど……これからはニアステラで頑張りなさいブヒ。祖国はいつでも貴方の帰って来る場所ブヒよ。メレディーナ。ブヒブヒ」

 

 ニコヤカにブヒブヒ言い出す祖母の様子に絶望すればいいんだか、自分の出生の秘密に愕然とすればいいんだか分からない彼女。

 

 メレディーナ・オーデルブルグはこうして少年とエムルトと共に帰還する事となるのだった。

 

『お前がぁあああ!? 戻してよぉ!? 薬でも何でもいいからぁ!? そうしないと絶対知識とか渡さないんだからぁあああ!!?』

 

 一つ確かなのは人豚の邦の奴隷達以外の99%以上がブヒブヒ言い出した事であり、彼ら自身が左程その異常な情況を気にせず。

 

 子どもが出来難い呪いが解けたという話に沸いて、盛大にお祭りでもしようかという話になった事。

 

 そして、涙目な新たなニアステラの住人が一人増えたという事。

 

 ブヒブヒ言い始めたオーデルブルグの住人達がニアステラに到来するのは少し先の話。

 

 こうして地盤固めを終えた少年はイソイソとノクロシア内部へと向かう準備を終えるのだった。

 

 *

 

 世界が残酷である事を知る時、人は常に嘆くものだろう。

 

 病、貧困、親しい者の死。

 

 世界は絶望に溢れている。

 

 事故や偶然で左右されてしまう人生。

 

 だから、人は正しく生きねばならないと教会の者達は正道を説く。

 

 けれど、それに従えないのが多くの者達の生き方であり、同時に世界の終わりを齎す者達もまた同じ感慨の先に生きている。

 

『クェー……』

 

【迫虐の狂鳥グルッド】

 

 教会の説話においては狂える鳥の話として有名な彼の鳥は実に8つの国家を滅ぼし、倍の小国を地獄に変え、更に倍の国々を混乱に陥れた。

 

 嘴から続く笑み。

 

 その鳥は元々人間だったとされる。

 

 だが、教会の亜人狩りの折。

 

 その自分を人間だったと思っていた鳥は全てを失った。

 

 嘗て、空を飛んだ古き峰々にある隠れ里は一夜の襲撃に朽ち。

 

 砕けた赤子と老人の血潮に最愛の人の腸が混じる。

 

 鏖殺であったとされる。

 

 教会の説話では邪悪な鳥の一族は空を脅かし、世界を支配する為に神を起こそうとしていたとされ、その祭司こそ狂える鳥だったと伝わる。

 

 しかし、それは一面でしかない。

 

 鳥の人はただ己の里の神の目覚めが近いと近隣でその寝床を作る為、希少な材料を採取していただけなのだ。

 

 それでも逸早く気付いた教会は神の目覚めを許さず。

 

 里は蹂躙され、神は熾きた。

 

 使徒となった者の感情の激流を受けて暴走する受肉神は使徒そのものを取り込み。

 

 いや、使徒に取り込まれて一体となり、滅びぬ不死の存在と化した。

 

 叫ぶ鳥の声は本当なら人を癒すはずが、聴く者を即死させる死の戦慄と成り果て。

 

 その舞い落ちる羽は祝福の風を起こすはずが、国そのものを巻き上げる嵐を産んだ。

 

 空に舞い上がった狂える鳥は空そのものと同化し、空を破壊しない限り、滅ぼせない。

 

 故に神殺しの秘儀を以てしても朽ちさせる事が出来ず。

 

 教会の封印により、その本体たる大気を……国毎封じて押し込めた。

 

 やがて、数か国の大気そのものを箱に収めた教会はこの箱を霊廟に封じ。

 

 この世の終わりまで開けるなかれと説話を残した。

 

 迫虐の狂鳥の声を少しでも遠方から聞いた者達は狂乱し、何かに攻め立てられるように人を虐して回った事から、多くの国々は永遠の狂気に陥り、教会にとばっちりで滅ぼされたのだ。

 

 それ以来、“彼”は箱の中で世界の終わりを待っている。

 

 己の全てを掛けて、この世の何もかもに自分と同じ気持ちを味合わせる為に。

 

『もうすぐだよ……』

 

 そう声が聞こえる。

 

 狂える鳥に話し掛けて来るのは決まって2人。

 

 女か子供か。

 

 だが、それは女でも子供でも無かった。

 

 何処か悪戯好きな悪意の気配。

 

 子どものような声。

 

 精霊の気配にも似たソレの声が残滓のように鳥の耳に残る。

 

『もうすぐ、君は自由さ。だって、君はまだ諦めてないから』

 

『―――』

 

『君が自由であるからこそ、君の全ては消えてしまった』

 

『―――ッ』

 

『でも、君は暗い箱の中ですら諦めたりはしなかった』

 

『―――ッッ』

 

『だって、君は未だ怒っているから』

 

『―――ッッッ』

 

『『『『全てを滅ぼし、君の気持を味合わせるまで、君の復讐は止まらない』』』』

 

『―――ッッッッ』

 

 ギギギッと僅かに……ほんの僅かに……島に近付く帆船の内部。

 

 海流に流されたソレの最中、箱の一部が捻じ曲がる。

 

 それは小さな小さな隙間かもしれない。

 

 だが、ゆっくりと風が吹き始めた。

 

『『『『さぁ、復讐の時だ。神代の時代に祝福の風を起こした原初の神よ』』』』

 

 ゆっくりと帆船が解けていく。

 

 大気のような何かの巨大な圧力に拉げて、砕けていく。

 

『『『『汝、旧き者達に生み出されし、始まりの風を紡ぐものなり』』』』

 

 帆船が砕ける最中。

 

 ゆっくりと浮かび上がる鈍い鋲で打ち付けられた鋼色の箱だけが輝き。

 

『『『『流転せし、人を生かす風は今や怨嗟の雄叫びと成りて、世を覆わん』』』』

 

 ボンッと箱が爆ぜた。

 

『『『『新たなる名は迫虐の狂鳥グルッド!!!! 世の終わり、朽ちる大空に坐せ!!!!』』』』

 

 雄叫びが世界に響き渡った時。

 

 その場所は“偶然にも”東部バラジモール沿岸部。

 

 揚陸するはずの教会勢力4万3000の人員を乗せた本体に先行した一部の部隊が乗る増援は―――古き説話の鳥の狂気に毒され、瘴気の最中に戦い始めた。

 

 滅ぼせぬ相手を滅ぼす為にどれだけの人員が消耗する事か。

 

 それはまだ誰も知らない。

 

 未だ最後に残る妖精以外は………。

 

『アンタらの前世も大概ね。こんな事で瞳を使う事になるなんて……まぁ、教会の敵なのだから、一番厄介なのは押し付けておきましょう。こっちの蜘蛛は全部引き上げた後だしね♪』

 

 四つの声と同じような嘲る声は暗闇の最中。

 

 暖かな空気に満たされたニアステラの空を見上げる。

 

『『『『………(・∀・)(でも、狂った教会騎士や例のグリモッドの緋王の配下やバラジモールの連中、逆に強化されるんじゃないかなという顔)』』』』

 

 運命を操る瞳。

 

【妖精瞳】

 

 その力の最たるものは見る事にあり、見られるという事は干渉出来るという事。

 

 運命を見やる者はその運命を……確率という概念にて僅かに弄る事が出来る。

 

 嘗て、妖精達がしていた事を少しだけ真似た最後の妖精は……偶然を味方に付けるニアステラの夜を楽しみ、今日も穏やかに世界は進んでいく。

 

 嘗ての自分達が仕込んでいた事件の一つが教会勢力に押し付けられたのを見た空飛ぶ妖精蜘蛛達はパタパタと翅をはためかせながら、人豚の国から帰って来て、ようやく自室で目を閉じて横になる少年の様子に思う。

 

 どうか、今日一日、明日一日が穏やかでありますように。

 

 主の時間はこんな過去に使われるべきではない。

 

 そう確かに己の使命を彼らは己に任じる。

 

 この少年が築き上げ、僅か眠る楽土の為に出来る事を……。

 

 それが支える者の使命であると妖精蜘蛛達は遥か巨大な敵に向かっていく背中を幻視して、その未来に至る時間を稼ぎ始める。

 

 バラジモールに端を発した巨大な災禍。

 

 その騒乱がどれだけの存在を狂わせるか。

 

 それは後々の話。

 

 一つ確かなのは……東部で狂気に陥った者達は狂気そのものたる大気を身の内に溜め込んで膨れ上がり、己の穴という穴から熱量として火の粉を吐き出し始めたという事。

 

 死なずとも、狂気は伝播し、それを力と変えた者達の総力戦が始まろうとしていた……世界が変質し、歪みながら、音を立てて割れ始めた事をまだ誰も知らない。

 

 *

 

「アルティエ~~」

 

 メレディーナ・オーデルブルグをニアステラに連れて来た翌日。

 

 少年はイソイソと西部フェクラールの海岸線沿いに向かう用意をしていた。

 

 アマンザから持たされた弁当を袋に下げて、今日は護衛という名目で帝国の船。

 

 否、帝国が連れて来た五大災厄の1人に会いに行く為、お供にはイージスを連れていた。

 

 相棒ポジションになっているヘリオースは現在、各種の少年が出会ってきた相手と戦い勝利する為に記憶を集中的に学習中で少年の部屋で座禅蜘蛛ならぬ置物蜘蛛としてデンと寝台に鎮座している為、来ていない。

 

「あ、レザリア」

 

「あ、じゃないよ!? また、一人で行こうとして!? 連れてってよ!!?」

 

「今日は帝国の五大災厄を見に行く。相手が約束が守れそうなら放置。出来なそうなら討伐」

 

「討伐って……他の子達は?」

 

「今日はイージスだけ。他は先日みたいに山が降って来るみたいな面倒な事があっても対処出来るように地域から動かしてない」

 

「そ、それは分かるけど……昨日連れて来た2人がアルティエは何処だーって騒いでるんだけど」

 

「適当に秘薬を飲ませておくといい。ノクロシアに連れて行く為に呼んで来た。すぐに死なれても困る。部屋の10番の棚においてある粉の袋にある程度水を入れてから全部飲ませてくれれば、たぶん問題ない」

 

「アレ、他の人にも飲ませるの?」

 

「飲ませる。死なせない為に必要最低限度の備え。一時間で起きるように調合しておいた。起きたら、続けて水だと言ってあるだけ連続で飲ませるといい」

 

「それ、前にボク達にもやったよね?」

 

「問題ない……」

 

 ジト目の少女に少年がシレッと野営地の横で視線を逸らした。

 

 レザリアが溜息を吐く。

 

 まだ、朝の早い時間帯。

 

 少年は遠方で自分を探す声がボソボソと探索しながら、呪紋を使い始めたのを察して、イソイソと黒蜘蛛の巣の外に向かう。

 

 外と言っても、星空にしか見えない天井が延々続く世界である。

 

 竜骨の明かりを必要な道に灯してはいるが、未だ外界の光を取り込む為の仕掛けは蜘蛛達が工事中であった。

 

「フィーゼが今日は一緒なんだよね?」

 

「そう。姉と一緒に一度ウート村長の代理として皇帝に会いに行く」

 

「……いいのかなぁ。フィーゼ、怒っちゃうんじゃない?」

 

「過去の話は聞いてる。帝国が帰還してもいいと許可を出してくれたとも」

 

「でも、帝国の騒乱のせいでフィーゼ、お母さん亡くしてるって言ってたし……」

 

「何が大切な事か。フィーゼは知ってる。問題ない」

 

「本当に?」

 

「本当……」

 

「言い切っちゃうんだ。そんなの殆どしないのにアルティエって……」

 

「……もしも苦し気だったら話を聞いて欲しい」

 

「自分で聞かないの?」

 

「どんなに親しい関係でも聞かせたくない事はある。それが親しいからこそ聞かせたくない事も……違う?」

 

「う……アルティエの癖に乙女心に鋭いんだから……うん。分かった。じゃあ、帰ってきたらそれとなくね?」

 

「助かる……」

 

「ねぇ、アルティエ」

 

「?」

 

「もし、この島を出て大陸に行けるってなったら、大陸に行きたい?」

 

「この島のニアステラとフェクラールの安全を完全に確保し終えたら考えてもいい」

 

「難しい事をサラッと言っちゃうんだから……」

 

「それが分かってるならいい。みんなを頼む……」

 

 少女は朝日の昇らぬ夜天の下。

 

 その何処か真摯どころではない。

 

 大きな感情を誰にも悟らせずに僅かだけ自分を頼ってくれる想い人に頷く。

 

 頷くしかなかった。

 

 もっと、自分に話して欲しいと思う事は多くある。

 

 しかし、それがされないという事は今必要な話ではないと少年が思っているという事なのだ。

 

「……アルティエ。頼っていいんだからね? みんなみんな……アルティエを助けたくて、今は遠征隊にいるんだよ?」

 

「そう?」

 

「あったり前でしょ? 私達、これでも死ぬ覚悟で戦ってるんだから……ボクだって……」

 

「死なれたら困る。ただ、その気持ちは受け取っておく」

 

 少年がゴソゴソと腰に履いていた剣を幾つかレザリアに差し出す。

 

「これって? 蜘蛛脚といつもの黒い剣?」

 

「今日の敵の情報は取得済み。問題が出そうな剣は置いていく」

 

「いいの? 困らない?」

 

「相手との相性が悪い」

 

「相性?」

 

「リケイの情報と幾つかの観測結果から言って、持って行かない方がもしもの時に勝てる確率が高い。だから、戻って来るまで持ってて欲しい」

 

「……ぅん。ちゃんと、帰って来てね? フィーゼと一緒にさ……」

 

「リケイも一緒」

 

「そこはほら。リケイじーちゃんは自分の事は自分でしそうな感じだし……」

 

「確かに……殺されても何食わぬ顔で普通に亡霊か呪霊になって野営地で仕事してそう」

 

 少年の言葉に思わずレザリアが吹き出した。

 

 その光景が本当に在り得そうだと想像してしまって。

 

「さて、そこの恋人崩れな若人達も準備は出来ましたかな?」

 

「あ……ボクはこれで。じゃあ、帰って来る頃までには色々用意しておくからね」

 

「任せる」

 

 レザリアが老爺の呆れた視線に気付いて、ちょっと頬を赤らめた後、すぐにバイバイと手を振って野営地の中心部へと戻っていく。

 

 フィーゼとリケイ他。

 

 帝国の術師達に合流した少年がすぐに転移の準備に入ろうとして、ジト目のフィーゼが自分を見て来るのにシレッと視線を逸らした。

 

「~~~ッ、もぉ……アルティエったら、帰ったら何話してたのか教えて貰いますからね?」

 

「世間話」

 

 少年が差し障り無い答えで受け流すのを見ていたフィーゼの横の実姉。

 

 リセリアが少年を僅かに見詰め。

 

 すぐに近寄って来る。

 

「貴方がニアステラの英雄様。アルティエ・ソーシャ殿ですね?」

 

「そう。何て呼べばいい?」

 

「リセリアとお呼び下さい。この子が命を懸けても構わないと決意した方です。家族も同然ですから……」

 

「なら、そうさせて貰う。リセリア嬢」

 

「はい」

 

「一つ訊ねても?」

 

「構いません。わたくしが答えられる事であれば」

 

「帝国と妹、今天秤に掛けたなら、どっちが重い?」

 

『―――』

 

 思わず周囲の人々の体感温度が10度は下がった。

 

 ついでに何て事聞くんだという顔の宮廷術師達はともかく。

 

 切れそうな帝国の官僚達が数名。

 

 誰かが声を上げようとしたが、リセリアの微笑みを見て、グッとその言葉を待つ事にした。

 

「帝国です。わたくしはもう嫁いだ身。お父様にそう育てられました。そして、今の伴侶を支える事に誇りを持っております」

 

「ならいい。もしもの時も安心」

 

「そうですか……貴方にとって帝国は取るに足らないものなのですね」

 

「交渉相手が邪魔なら排除しなきゃならない。もしも、必要なら海に沈めるだけじゃ済まなくなる。もしもとなれば、帝国そのものも滅ぼす可能性も捨て切れない。今、あの白い大地を敷いてるヤツを持ち出したという事はそれくらい重いものだと知っていて欲しい」

 

「左様ですか。分かりました。わたくしには力の大小を計る事は出来ませんが、そう心得ておきましょう。ふふ……本当に貴方はこの地の守護者なのですね。少し安心しました」

 

「これからしばらくはよろしく」

 

「はい」

 

 2人が握手すると何とも言えない顔になってジト目で推移を見守っていたフィーゼが溜息を吐く。

 

「そうでした……リセ姉様は……何処かアルティエに似ていましたね。そう言えば……」

 

「これでも気丈に振舞っているのですよ。フィーゼ……この方の振舞を見ていれば、実直というのは分かります。嘘偽りが通用しない戦場の方にわたくしのような一介の女が出来る事は意見する事くらいです」

 

 こうして最初から官僚達は相手が尋常ならざる存在である事を理解しつつ、フェクラール内部の浜辺に転移で移動し、そこから遠浅の砂浜から複数の小舟に揺られて、白い大地が広がる西部の海へと漕ぎ出す。

 

 彼らが案内する少年は姉と妹の時間を邪魔する事もなく。

 

 静かに地平の彼方の白い世界の中心に目を細めていた。

 

 恐らく、戦う相手として黒征卿にも劣らない気配。

 

 五大災厄に対し、自然体で観察するのだった。

 

―――2時間後。

 

 白い海に浮かぶ大地に上陸した一向が船を降りて、帝国の船へとやってくるまで凡そ歩きで2時間程の距離であった。

 

 その船の上空には未だ浮かぶ玉座があり、骸骨が一体頬杖を付いてやってくる客を見下ろしているが、船から降りた一向を出迎えたのは帝国の皇帝と騎士隊であった。

 

「リセリア!! 戻ったね!!」

 

「はい。陛下。リセリア……無事、務めを果たして参りました」

 

 すぐに皇帝の元へと駆けていったリセリアが抱き留められ、皇帝が少年と少女を見やる。

 

「そちらがリセリアの妹さんとニアステラの英雄殿か?」

 

「はい。陛下。我が妹フィーゼ。それとアルティエ・ソーシャ殿です」

 

「お初にお目に掛かる。私は帝国で皇帝を務めている者。アルエルと申す者です。アルティエ殿」

 

 少年が軽く頭を下げる。

 

「此処には帝国の真意とこの大地を敷く者の意志を確認しに来た。王ならば、謁見の許可を出すのは従者のはず」

 

 そのあまりの物言いに顔を引き攣らせた官僚達だったが、皇帝の手前何も言わず。

 

「はっはっはっ♪ 確かに今の我が身はあの不動の骸骨の従者に相違ない。ゼーダズ!! ゼーダズ王よ!! 貴方を滅ぼせる者の謁見だ!! 戦士としてこれを受けねば恥でありましょう!!」

 

 仰々しく言って見せた皇帝の声に溜息でも吐いていそうな様子で気怠げな骸骨が浮遊して降りてくるとカチャカチャと音をさせて少年の前までやってくる。

 

『不遜を通り越して傲慢ですらない。なるほど、確かに言うだけはある。神代の時代でもそなたならば、一騎当千の兵と呼ばれるだろう。あの主神連中程ではないにしても……』

 

 ゼーダズの第一声はそんな何処か人間臭い返答だった。

 

「ゼーダズ王。此処には何用かと一応聞いておく」

 

『我が領土を得る為に……』

 

「領土を得たら何をする?」

 

『邦盗りか。はたまた戦争か。平和に治めても良いし、圧政や悪行を成しても構わない』

 

「領土を広げ続ける意志は?」

 

『無い。我が力が示す領土は四方で決まった距離以上には広がらぬ。領有地は別だがな。そして、領土と領有地の外に政治的な影響と気配以外に何かしらの効果があるわけでもない』

 

「領土に国民が欲しいと思った事は?」

 

『住まう者には責務を課す。だが、国民を自ら得よう等と烏滸がましい話はした事もない』

 

「邦を成したらならば、隣国との関係はどうする?」

 

『無論、国の教義に則るとも。条約も結べば破棄もする」

 

「……自分を滅ぼせる者の挑戦は?」

 

『無論受けよう。若き亜神よ……あの最も悍ましき蟲の王のみならず。あらゆる神々の力を宿した貴様は古き王に挑戦する権利を有する。天地開闢以来、旧きは駆逐され、新しき者によって淘汰されて来た。我が力が未だ世に及べば、此処は古き世界となりて、島に集う者達の一角となるであろう』

 

「じゃあ、それでいい。その時は上に付け。ゼーダズ王」

 

『上? くくく、頓智は露知らぬ身なれど、いいだろう。その挑戦受けるぞ!! 新たなる者!! 旧きを駆逐してみせよ!!』

 

 少年が指を弾く。

 

 途端だった。

 

 その海域に存在する全ての帝国の船以外の船体がいきなり消え失せると同時にフェクラールの白い領域から出た海岸線沿いに出現し、その上に殆どの船員も載っていた。

 

 残されたのはリケイと術者達。

 

 それと皇帝が一人。

 

 他は誰も彼もが消え失せた世界でクツクツと骸骨の王は笑う。

 

「ゼーダズ。喧嘩を売られて、勝てるか?」

 

『貴様よりも余程に長けておるわ。此処に貴様を置いているのは単なる余興以上に我が全力を出させようという相手側の傲慢よ』

 

「……はぁ、後でリセリアに怒られるな。死なせるにしても殺されるにしても……」

 

 皇帝が何処かぼやき気味に肩を竦める。

 

 だが、その様子はゼーダズと確かに方を並べる風格があった。

 

「おやおや、そうなりましたか。では、我らはこの方を連れて後方で観覧していましょう」

 

 リケイが弟子達と共に皇帝の横に立つ。

 

『新たな王よ。我が力を欲すか?』

 

「ああ、いいだろう。持っていけ。我が国土の無人の荒野を100年間だ。そこはお前の領有地となる」

 

 その皇帝の声と共にゼーダズがゆっくりと魔力を帯びていく。

 

 それは血となり、肉となり、骸骨をゆっくりと質量のある存在へと変貌させていく。

 

「……これが【歩まぬ王躯ゼーダズ】」

 

『左様。我が神【公正神マーナム】の加護の下、我は捧げられし領土によって王の力を成す。嘗て、神世の乱世に在った我が最大領土とて、此処まで広くは無かった。今の時代は平和なのだな。まったく……どれだけの不平等が罷り通っているものか。人は相変わらず虐げる』

 

 ゼーダズが遂に姿を取り戻す。

 

 そこには確かに王が有った。

 

 浅黒い肌の彫りの深い顔立ち。

 

 王冠の代わりに戦兜ならぬ鉄の輪を冠り、勇壮なる男の姿は凡そ30代後半程。

 

 髭面に獣皮の外套を引っ提げ。

 

 巨大な鉄剣を背中に全ての指には様々な指輪が嵌められている。

 

 関節部には金の輪が嵌り、装具は軽装で胸元と腕と脚の装甲のみ。

 

「さぁ、戦ってみせろ。吠えた以上は」

 

 少年が剣を握ったまま。

 

 情報通り、自分の肉体に掛かる負荷を振り切って瞬時にゼーダズへと妖精剣を向ける。

 

 だが、同時にその肉体のあちこちからには肉が割れ、骨が砕けていく音。

 

 少年の肉体から血は一滴も零れてはいなかったが、それでも普通の人間ならば、瞬時に絶命するだろう負荷で肉体が破壊され始めていた。

 

「(干渉力? 物質そのものへの? いや、これは物質じゃなくて……つまり、この干渉は精神を構成する最小構成単位の物理量への直接干渉? 大脳辺縁系を捜索……この情報……つまり、本来干渉不能の領域へ干渉を届かせていたのは通常観測情報からの情報汚染……これなら……)」

 

 少年はさっそく自分の顎を自分の拳で打ち抜く。

 

 途端、妖精剣の剣身が消えた。

 

 それと同時に周囲が僅かに薄暗くなる。

 

 それを開戦の合図と捉えた老爺が皇帝を引き連れて空へと飛び下がり高速で遠ざかっていく。

 

「ほう? 面白い排除方法だ。我が支配は人を殺す程度ならまだしも己から干渉を遠ざけようとする行動も抑止するのだが……」

 

 王が半身をゴッソリと見えない剣先で抉られて脱落させながらも立ったままに少年を見やる。

 

「白い大地。情報汚染の源は光波。観測行為そのものが必要な知的生物には大半効く。でも、この世界の物質干渉の類にしか過ぎない。この剣は切りたいものが切れる。なら、最初に切るのは……」

 

 ゼーダズがクツクツと笑う。

 

 相手の剣が一番最初に切ったのは彼の能力による干渉が働いた光。

 

 光を妖精剣が今も切り裂き続けているのだ。

 

 まるで天蓋のように内部の光という光を少年の瞳に入る前に無害化している。

 

「確かに我が領土における支配は定理を超えぬ。精々、知的生命を操る程度のもの。そもそも物質への依存が低い生命体、知性体には効きも鈍い。だが、それを生身で打ち破ったのは貴様が初めてになるだろう」

 

「………」

 

「我ら五大災厄と呼ばれし、原初の力を宿す者達の多くは我が力を筆頭に、多くが領域そのものを支配するものだが……その支配の方法と質でいけば、我が力は最弱。定理を超えず。物質に頼り、依存する以上はどうやっても護り切られる。まぁ、支配力が及ぶ領域の広さはあの狂える鳥に次ぐ程度ではあるが……」

 

 王が己の半身が開かれるのも構わず。

 

 再生させながら、久方ぶりの敵だと笑みを深くした。

 

 片手に剣を引き抜いて楽し気に笑う。

 

「久方ぶりの生死を掛けた戦いだ。愉しませて貰おう」

 

「……っ」

 

 少年とゼーダズが瞬時に消えた。

 

 途端、巨大な帝国の船から広がる白い大地の殆どが粉砕して破片となって遥か上空まで到達する程に爆砕する。

 

「はははははは!!! 神力招来!! 神力招来!! 良いぞ!! あの島の地形程度割れるようで無いとつまらん!!」

 

 虚空でゼーダズが振り被った大剣を真正面に打ち付ける。

 

 それに対し、現れた少年が妖精剣で相手の刃を弾き返した。

 

 少年の腕が虚空で爆砕しそうになりながらも逆戻しのように糸が修復し、引き締めて形を保つ。

 

 その背後の海底が爆発的な衝撃に吹き飛び、海底そのものがクレーターと化して露出し、猛烈な衝撃波と共に海を消し飛ばす。

 

 再び流れ込む海水にあらゆる海の内部のものが掻き混ぜられながら吸い寄せられる様子は海の生物という生物を死滅させているだろう。

 

 だが、幸いにして白い大地の下にあった海からは移動出来る生物は消え失せていた為、被害を受けたのは海藻やら動けないサンゴのような生物ばかりだった。

 

「受肉神を超える膂力? 支配力を自分に使っても自身の肉体以上の膂力は出せないはず。普通の血肉を魔力から生成しているだけなのにどうして威力が出せる?」

 

「ほう? 気付くか。魔力で増速したとも考えぬとは第三神眼をよく使っているな。何とも物覚えの良い生徒だ。教えてやろう。我が支配は定理を超えぬ。だが、我が支配で定理を超える生物を従属させれば?」

 

「なるほど……」

 

 少年がゼーダスとの正面激突で粉砕された巨大な白い大地の破片に対して第三神瞳から光を放つ。

 

 それは神の力を宿した光。

 

「イゼクスの息吹か!?」

 

 ゼーダスの顔に笑みが浮く。

 

 光が瞬時に360°にある破片を一回転で全て薙ぎ終えた次の刹那。

 

 彼らを中心にして猛烈な燃焼によって虚空がプラズマ化し、白い破片という破片が塵も残らず蒸発していく。

 

「あの白いのは特殊な知性体……鉱物というよりは光を糧にする金属の生物。最小単位のゴーレムみたいなのに見えた。空間が歪む程に重量が変化してる」

 

「御名答。古き時代、神々の都を作る為に使われていた建材だ!! ゴーレムとは本来、この資材を用いて作られた無限に再生する人型の人形を言ったのだ。この島にあるノクロシアの建材はその模倣だが、想像通りに神の力でなければ、ロクに最小単位まで分解出来ぬ」

 

 ゼーダスの体が白く白く鎧われていく。

 

 その背中には鎧と同じ硬質の翼が生え、同時に男の生身が完全に鎧内部に飲まれるとギチギチと鎧そのものが肉体に食い込んだ様子で一体化した。

 

『常に傅かれ、常に運ばれる。それが嘗ての王であった。我らは神輿なのだ。故に歩まぬと呼ばれた。さて、貴様はどれだけの臣下……いや、自らを支える同胞を持っているものかな?」

 

 ゼーダスの剣が見えない妖精剣を連続で切り払う。

 

「……剣が定理を超える? 観測してないのに反応する……つまり、王躯は―――」

 

 少年が見えない程に細くして超高速で振るう妖精剣を悉く受けられて、相手が一筋縄ではいかない実力なのを確認する。

 

「考えている暇があるかな?」

 

「もう分かった。支配領域を維持する光波の出所は関係ない。最初に生まれた光の波が支配した生物の体外体内での細胞発光で増幅、あらゆる物質内部へ浸透して、増幅可能な場所で際限なく増殖して自己を形成する」

 

「叡智でも授かったような言いぐさだな!!」

 

 翼がはためき。

 

 遥か上空まで上昇したゼーダスの翼から放たれた羽が無数に散逸し、更に見えなくなるまで細分化されて降り注ぐ。

 

「でも、光は本来弱いもの。物質そのものを動かす因果関係に組み込まれる場合、熱量への変換が必要。夜には弱体化する。それに人格を再形成する程の強度になる光ともなれば、増幅中核が必要になる。ソレが無い状態で人格の崩壊が起きた場合、恐らく再形成には中核の選定、侵入、支配、改変、増幅機構の生成までがかなり長いと見た。そうでないなら、この世を自分のものにしてないとおかしい」

 

「ッ―――フン。賢しいがそれを生かせるかは別だ」

 

 それを全て糸状の剣を周回させて並べた壁で切り払った少年は白い建材となっている知性体の解析を進める。

 

(妖精剣から魔力を抜けば、相手の物理量に関わらず両断出来る。でも、魔力を注がないと相手の攻撃が防御出来ない……この羽……分子単位以下になっても動いてる……光の極小の増幅装置であると同時に最小単位の原子構造レベルで光の情報を保つとすると、破壊は必須。そうしないと延々とこっちに……領土、領有地……臣下が治める土地……この場合の最適解は)

 

「(≧Д≦)」

 

 イージスが準備の完了を少し遠くの海で合図する。

 

「分かった。戦い方がそもそも間違ってる。なら、こう」

 

 少年が妖精剣を手放した。

 

「?」

 

 それにゼーダスが首を傾げている間にも殺到した羽が少年を襤褸クズのように分解し、突き刺し、更に太くなりながら肉体に埋め込まれていく。

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「……完了。お前に負ける要素はもう無い」

 

「何?」

 

 少年が四肢を両断するべく打ち込まれた白い羽を敢えて受ける。

 

 だが、両断されなかった。

 

 肉体のあちこちに埋め込まれた羽の分子は正しく少年を破壊する為に動いているはずだが、王がその幾ら攻撃しても破壊されない少年の肉体に何か奇妙なものを見たと言いたげに不可解だと思案して。

 

「……我が支配が届いていない?」

 

「支配が届いていないわけじゃない。より強い支配を受けてるだけ」

 

「ッ―――」

 

 少年の肉体がゆっくりと白化し、額に縦に入った亀裂の周囲に白い枠のようなものが滲み出ると同時に次々に肉体の関節や他の部位に明らかに白い硬質な部位が骨に沿って装甲のように滲んで浮かび上がっていく。

 

 それはまるでスーツのように少年を包み込み。

 

 最後には背後から突き出た黒鉄の甲殻。

 

 ヒルドニア達の翼と混ざるようにして白黒の鋼の骨組みだけのようなものと化し、ギチギチと蠢きながら禍々しく花開く。

 

 その翼の骨格に無数の羽が連なっていく。

 

 だが、その羽を見た事がある者の顔は引き攣っただろう。

 

 グラングラの大槍によく似たソレは明らかに攻撃用の呪紋の集合体だった。

 

「く、ふ、ふふ、あはははは!! そうだな!! 今や神世の先に我らはいるのだった。嘗ての神秘、嘗ての常識は……ああ、旧くなっていたのか」

 

 少年が後方から手放した妖精剣を受け取る。

 

 イージスは現在、全ての戦域情報を観測し、少年の肉体再編の補佐を遠隔で呪紋によって行い続けていた。

 

 その全開にされた複眼にはあらゆる情報が流れ込み。

 

 必要な情報以外は取捨選択されて、ゼーダスの支配も乗り越えている。

 

「妖精剣。お前は新しい剣となれ。旧き者を、旧き神を、旧き法を、旧き因果を、絶つ為に……」

 

 妖精剣の剣身が白く白く形成されていく。

 

「神越属性妖精呪紋【フェムの契約】』

 

 白い剣が罅割れながら、系統樹を逆向きにしたような無数の根の如く鋭い剣身を分かれさせ、伸びて少年の三倍程までも延長した。

 

「神越? 抗神でも系神でもないだと?」

 

「契約内容を策定。白き群れ……【白碩鋼プラチナル】……お前達が契約を履行する限り、我が領土に蔓延り、調和する事を許す。定理を超え、新たな命の灯火となれ!!!」

 

 少年の肉体浮かび上がっていたソレらがゆっくりと少年の肉体に沈み込んでいく。

 

 そして、少年が剣をおもむろに海へ振り下ろした。

 

 何も起きない。

 

 いや、何も起きないのは明らかにオカシイと理解するからこそ、ゼーダスは己の本体に罅が入った事を確認し、唇を歪めた。

 

「なるほど、情報から推測されるのはよくある事だが、お前の視点は神々すら及ばぬ境地にあるようだ。正解だとも、我が今の本体はあの椅子だ。歩まぬのは道理だろう?」

 

 ゼーダスの額から一本の罅割れが体に奔る。

 

 少年が振った剣の威力が剣の直線状ではなく。

 

 そのゼーダスの骸骨が座っていた椅子に集中したのだ。

 

 捻じ曲がった威力の行き先であるゼーダズ本体もまた白い硬質の床と同じ材質であった。

 

「生前に己の魂を喰わせた?」

 

「お察しの通り。故に唯一神々が楽に滅ぼせる五大災厄と有難くない言葉を教会の連中から賜っている。それはそうだろう。死なずとも人格を維持出来なければ、死んだのと同じだ」

 

「まだやる?」

 

「はぁぁ、興が削がれた。自分が舞台役者にも成れぬほどに落ちぶれていると分かったらな。荒事は貴様ら新しい世代に譲るとしよう。契約、だったな?」

 

「そう」

 

 嘗て王と呼ばれた怪物は自分よりも怪物な少年の力を見て、これは勝てないと早々に諦めた。

 

 幾ら彼が不死身に近いとしても、本体たる椅子を破壊されれば、活動時間は大きく減少する。

 

 その状態でも再生する事は可能であったが、再生する暇もなく翼に集められた破滅の数の暴力で蒸発してしまえば、何千年、何万年掛かるか分かったものではない。

 

 つまりはそれまでなのだ。

 

「その呪紋……世界に顕現した事で他大陸の神々の動きを誘発するぞ」

 

「構わない。敵は全て斃す」

 

「そうだったな。圧倒的優位を見せ付けるよりも、自らの力を高め、前に……いや、高みに向かう。旧き時代の神々が持ち、今の時代に忘れ去った心だ。己を高め続ける事を忘れた我らが貴様のような若輩に負けるのも道理か」

 

 少年の前にゼーダズがやって来て向かい合う。

 

「いいだろう。小僧……あの皇帝はこの地での護衛を我が力に所望した。貴様は我が力をどうすると言うのだ?」

 

「上に付け……領土はちゃんとある」

 

「分かった。それがあの男の契約に違反せぬ限りな」

 

 少年がゼーダズの頭に手を触れる。

 

 途端、その手の甲に新たな刻印が浮かび上がる。

 

 それこそが少年の得た呪紋。

 

 神越属性妖精呪紋【フェムの契約】。

 

 あらゆる存在と契約を交わす力。

 

 ソレは正しく神の力を超える真なる脅威だろう。

 

 存在であるならば、契約が可能なのだ。

 

「契約内容は三つ。与えるものも三つ。後は好きにするといい」

 

「さて、ご同輩と呼ぶべき連中とどれだけ戦う事になるのか。五大災厄同士の激突となれば、それこそ与えられた領土が滅ぶかもしれんな」

 

「そうはならない。そうはさせない。それが仕事……」

 

「賜ろう。新たなる契約者よ……」

 

 光を発する三神の印から溢れた輝きが天に昇る光の柱を生み出し、帝国の白い船体がゆっくりと元の帆船へと戻っていく横で少年はチラリと自分を遠方から見ている皇帝を確認した。

 

 その顔には笑みこそ浮いていないが、仕方なさそうな様子であった。

 

「契約完了。操神召喚【歩まぬ王躯ゼーダズ】を獲得」

 

 ゼーダズにご苦労様とでも言いたげな顔はまるで自分の手駒が減った事に頓着するようでは無かった。

 

「陛下。よろしいのですか?」

 

「ああ、彼が幸せそうで何よりだよ。彼を奪われた事より、彼をあそこまで笑顔にしてしまうあの少年の方が今は気に掛かるかな」

 

「左様ですか。ほっほっほっ、さすが帝国の長……器どころか懐まで大きいようだ」

 

「リケイ老。貴殿はあの怪物すら圧倒する彼を育てたと言うが、実際何処まで強くなるのかな? 我が帝国の切り札よりも強い。もしかしたら、神々よりも……あの強さは何の為にあるんだ?」

 

「さて、それはあの少年の心一つでありましょう。必要だから、高め使う。必要無いならば、捨てて忘れ去る。それが出来るお人です。アルティエ殿は……」

 

「………どうやら帝国もまた腹を括る日が来たらしい」

 

 皇帝は新たなる世界に到来して初めて、己が届かぬ高みを目指す存在を目にして、自分達の置かれた立場を再確認した。

 

 全ては変革期という一言に集約される。

 

 新たな時代が動き出した。

 

 それは如実に帝国にも表れている。

 

 教会の大規模遠征、王家連合の発足、外大陸からの使者。

 

 それらは明らかに破滅と未来を車輪として回り続ける次なる時代の到来。

 

 それを最も実感する男は故に遥か極東の孤島までやって来たのだ。

 

 新たな時代に必要なものが此処にあるのではないかと考えて。

 

「ならば、他大陸とやらの使者の話を教えて戴けませぬか? きっと、お役に立てると思いますよ。皇帝陛下……」

 

「そうだな。まぁ、教会も王家連合も好き勝手してるんだ。帝国の皇帝もその例に倣うとしようか。貴殿が普遍的に呪紋の存在する世界を望むのならば、我が帝国が大陸の発展に資すると考える限りは協力してもいい」

 

「教会が滅びた後に、ですかな?」

 

「そういう事だ。言わなくてもいい事を理解出来る人間がいてくれると何かと助かる。無論、互いの利益を損なわない限りで、だがな」

 

「教会の支配に嫌気でも差しましたか?」

 

「此処最近は彼らも政治に煩くなって来ていてね。もう教会は……時代遅れとなりつつある事を彼ら自身に知って貰わねばならないと考えていたんだ。だが、その為の力が帝国には無かった……」

 

「ならば、此処は一時互いの手が必要な場面かと」

 

「君達の陰謀も民を苦しめぬよう手加減して頂けるかな?」

 

「ええ、教会が無くなったのならば、それこそ全て傘下として帝国に組み込まれても文句はありませぬ。我らの最終目的は呪紋が蔓延る世を創る事であって、我らが呪紋を用いて成り上がる事や呪紋の為に大量の生贄を確保するというような前時代的なものではないのですよ」

 

「ほう? あの魔の布教者の言葉とは思えない話だ」

 

「何なら取り締まる方に回っても何も問題ありませぬ。我ら程に呪紋に詳しい者も教会を除けばおりませんからな」

 

「ふ……考えておこう。少なからず口約束ではないと伝えておく」

 

 皇帝と老爺がそう虚空で喋る様子を更に後方の海辺から見ていた伴侶は溜息一つ。

 

「陛下……」

 

「アルティエ……」

 

 妹が何の心配も無さそうに虚空で王を下した少年を誇らしそうにしているのを見て……リセリアは妹は大きくなったのだなと少し寂しい気持ちになるのだった。

 

 その日、五大災厄の一角は崩され、その本体となる白い椅子はニアステラとフェクラールの中間地点である洞穴の直上付近にある巨大な岩盤の頭上、山脈の中腹、分厚い岩壁に掘られた神殿に安置される事が決まった。

 

『上に付け……嘘ではない、か。くくくく』

 

 そこから山脈の中心部は全て白く白く白化し、【白山(ホワイト・ピーク)】の名で両地域の者達に呼ばれる事になるが、それはまだ先の話。

 

 その白き領域に置かれた無数の巨大な橋の如き長さの竜骨弩と防衛陣地らしきものに囲まれて、領土と領有地が広がった王は空を見上げ、大地を見やるだろう。

 

 島に来たばかりの“新入り”の王の下へ産物を持ってくるやら、彼の周囲の世話をする蜘蛛達が防衛陣地の造営の為に出入りする周囲施設は帝国の者達の一部が逗留する場所としても使われ、急速に山脈の開発は進んでいく事となる。

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