流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第十四章【暮れなずむノクロシア】編
第82話「暮れなずむノクロシアⅠ」


 

「……ごしゅじんさまぁ♪」

 

「ごしゅじ……しゃまぁ……」

 

 黒髪の小獅子が二匹。

 

 目覚めれば、少年の左右を占領していた。

 

「干渉次元キャップ開放。観測次元数10まで増加。物理強度323%上昇(再上昇可)。プラチナルの構成金属元素を確定。次元外魔法数核(6重魔法数核)を確認。定理内原子核魔法数Z=542、N=664……安定同位体と推定。核構造を解析……シェルモデルの構築完了まで932時間。構築完了と同時に形成を呪紋で試行開始」

 

 ついでに全裸よりは過激だろう下着姿だったりしたが、少年はムクリと起き上がるとすぐに蜘蛛達から積み上がる報告と情報を頭に入れて、それの解析を優先しつつ、ぼ~~~っとしているように見える姿でまだ馴染み切っていない白い砂のような鉱物知性体を微妙に体から零しながら、まだ明け方くらいの時間帯である外へと向かう。

 

 その姿は扉を潜る頃には転移で持ってきた竜骨とヴァルハイル製のフレームで造られた鍛冶場の最新装備になっていたが、顔は何処か眠そうに見えた。

 

 まだ誰も起き出していない時間帯。

 

 少年は農業区画がまだ薄暗いの確認して、夜の仕事を終えた蜘蛛達に横から挨拶されるのに片手で答えつつ、砂浜にやってくる。

 

「おや? 起きましたかな?」

 

「ちょっと、説得してた」

 

「ふむ? 説得、ですか?」

 

「この白いのに人間との付き合い方とか亜人との付き合い方とか蜘蛛との付き合い方とか。あの王が何も教えずに単なる意識を移す先くらいとしか考えてなかったせいでちょっと時間が掛かった……」

 

「ほほう? では、今は違うのですかな?」

 

「これでこの領域の生物は更に新しい力を得られるようになった。個体としての適性があれば」

 

「適性が無いと?」

 

「侵食されないだけで問題は特に無い」

 

「ふむふむ。ちなみにどんな能力が?」

 

「呪紋を無詠唱で使える。侵食された物質量に比例して処理量も増減する」

 

「それはまた……でも、今の遠征隊の方々ならば、そんな事しなくても無詠唱で呪紋の大半は使えますな」

 

「他には侵食部位の強度上昇。定理に寄らない物理法則無視の一定量の攻撃からの防護。後は侵食率で重量の増減の幅が増加する」

 

「重量の増減? 質量が減っているわけではないのですかな?」

 

「質量はそのまま。このプラチナルは質量を高次元に引き込んで物理現象の制約を一部迂回したり、無視する。干渉出来る軸が一つ増える形になる」

 

「軸?」

 

「此処は3次元。軸は3本。時間を足して4次元。更に此処へ別次元のベクトルが干渉可能になって加わる。本来、この世界に現れない虚数となる世界まで干渉が可能になる。今も一部の呪紋だけで可能な事が常時、ほぼ魔力の出力が最低値でも最大効率で出来る」

 

「ふぅむ。具体的には?」

 

「世界が滅ぶ魔力でも運用が可能になる。虚数次元への干渉で事実上不可能な出力の制御を可能にする。素粒子内の10次元の展開方法と虚数次元での存在方法が殆ど白いのに載ってた」

 

「つまり?」

 

「高次元に存在の構成を持つ真正神を殺せる」

 

「―――ッ、ははは!? 遂にその階梯まで来たのですか!? 何とめでたい!!」

 

 思わずリケイがアルカイック・スマイルになる。

 

「座標の確定さえ出来れば、存在を保存する本質的な定理側の構造を恐らく破壊出来る。距離そのものは関係無い。不変の定理は宇宙の諸法則に依る。でも、近傍宇宙内の領域では“大体不変”なだけで環境によっては完全な不変じゃない」

 

「よく分かりませんが、この世界の中という近しい場所ならば、何処でその方法を試しても一緒という事でしょうか?」

 

「呑み込みが早くて助かる」

 

「ははは、まさか、イエアドの信徒である我が身がまだ教授願う者が現れるとは……」

 

「今、全力で方法を編纂して呪紋に落とし込んでる。しばらく、呪紋はお預け。でも、これで……」

 

「竜神や救世神とやらを殺せると?」

 

「可能になった。間違いなく。後はこれをこの世界で実現出来る方式を確立するだけでいい」

 

「呪紋の先……因果律への干渉の段階ですな」

 

「今のこの世界の常識に照らせば、そう」

 

「未だそこまで至らない我が身では中々に難しそうだ」

 

「妖精瞳が元々あったのも大きい。この力は手に入れた叡智を使う一端、方法の構築にスゴく役に立ってる」

 

「それで我が身に何をお望みで?」

 

「しばらく、呪紋が使えなくなる。その間にこっちで呪具の製造に関して、特に武具の鍛造に力を貸して欲しい」

 

「妖精剣だけでは足りぬと?」

 

「今、銃とやらを試作してる。人豚の邦の旧き者の武装。ウリヤノフとエル・アーカにも頼んでる。でも、それだけじゃ足りない。蜘蛛達と遠征隊に持たせるなら、呪紋兵器として、神を殺せるものが必要になる」

 

「……呪紋を打ち出す装置としてならば、グラングラの大槍が今は一番強いですが、それを超える長距離射撃兵装という事でしょうか?」

 

「そう。フェム」

 

「我が契約者のご要望通りに……」

 

「おや? 妖精瞳の支援があるのですか? つまり、我が身と彼女の力で妖精剣とは違う兵器を?」

 

「頼める?」

 

「分かりました。具体的にはウリヤノフ殿達が作っている“一般的なもの”には出来ない能力が在ればよいのですかな?」

 

「構造材としてプラチナルと白霊石と真菌と思紋機関を提供する」

 

「ふぅむ。では、一つ試してみたい武装がありますじゃ。今まで提供された情報から、恐らく神が神である故に逆手に取れれば、相手を一時的に無力化して無防備に出来るかと」

 

「お願いする」

 

「承りましょう。ですが、それはそれとして早めに帰るのをお勧めしますな」

 

「早め?」

 

「眠っている時しか、一緒にいられないと女性陣は大そうお冠でしたぞ?」

 

「……朝食は摂る予定」

 

「ですか……それは良い事です。ただ、外界からの侵略が始まった今、大神達が次々に送ってきますぞ? 恐らく五大災厄と教会と王群で手一杯のところに……」

 

「問題ない。一つずつ解決していく。まずはノクロシアに潜る。蜘蛛達はほぼ置いていく」

 

「お早い御帰りをお待ちしておりますよ。北部に到着した例の大陸の船団はどのように?」

 

「ヘルメースに与えていい。北部の黒蜘蛛の巣を造るのにガシンが抜けた以外は問題ない。このままノクロシアに突っ込む。第一部隊と第二部隊は連れて行く。第三の教練をそっちでしておいて欲しい。内容はこれ」

 

 少年が不可糸で縫い上げた文字を入れたプラチナルの板を掌に構築し、そのままリケイに渡した。

 

「では、さっそく」

 

 少年は遠ざかっていく背中を見送って、イソイソと夜明け前の世界を歩く。

 

 第一野営地だけは朝日の光が少し遠間にある山脈の終わりから零れている為、明るさは他のところと比べてもそれなりにあった。

 

「あら? もういいのかい? アルティエ」

 

 少年が背後にやって来た声に振り返る。

 

 そこにいたのはアマンザだった。

 

「問題ない」

 

「そうかい。で? 今まで延々と訓練させた遠征隊であの黒い都に行くって聞いたよ」

 

「そう……少しレザリアを借りてく」

 

「ふふ、好きなだけ借りていきなよ。ナーズ。ナジムは近頃、実力差が付き過ぎて膨れてるけど、強くしてくれて安心してるしね」

 

「妹が強くなると嬉しい?」

 

「そんなもんさね。自分が強くないから猶更さ。心はともかく、蜘蛛さん一匹にだって勝てやしないのが現実だからね」

 

「今度、暇になったら強くしてもいい。かなり苦しい訓練になってもいいなら」

 

「ははは、あのナーズなら何だかんだ言いながらもやり遂げるかもね。ま、今はいいさ。本気で必要な事しかしないアンタだ。それはあの子も分かってる……」

 

「そう……」

 

 少年がアマンザの膨れた腹部を見やる。

 

「この子、もう少しで生まれるってリケイのじーさんが言ってたよ。あの子達もたぶん数日中にはって……本来ならアンタらが一緒になって祝福してくれると嬉しいけど、現実はそう上手く行かないって事もあるだろうし、今の内に挨拶しておくかい?」

 

「そうさせて貰う」

 

 少年がアマンザの腹部に片手でそっと触れる。

 

「安心して生まれて来るといい。優しい人が此処には沢山いる」

 

「……ふふ、優しいのか。それとも怖いのか。そんなのばっかじゃないかい?」

 

「誰もがそう。全て表裏に過ぎない。此処は必ず護る。でも、力はこれからも貸して欲しい」

 

「分かってるよ。アンタ一人で何もかもを出来る程じゃないんだろうさ。そんなに強くなってすら、アンタは心配性で何一つ信じちゃいないんだね……」

 

「……いつもアマンザは言わない事を知ってる」

 

「そうかい? 単なる当てずっぽうかもよ?」

 

 悪戯っぽく微笑む彼女は艶やかだった。

 

「“いつも”……ありがとう」

 

「―――」

 

 その何処か悲し気なのか。

 

 あるいは苦し気なのか。

 

 良く分からない……優しさよりも痛々しさが胸に突き刺さる笑顔をきっと彼女は生涯忘れないだろうと思う。

 

「いいのさ。アンタは自分の道を征きな。アルティエ……アンタが英雄になってくれてる内は此処があたし達の家で……楽園だ」

 

 こうして少年は腹部から手を離して頷くと家に戻っていく。

 

 それを追って後ろから付き添い歩くアマンザの瞳には慈しむような光が宿っていた。

 

「「「「………(´・ω・`)」」」」

 

 そんな様子をレザリア、フィーゼ、エルミ、ヒオネの四人がこっそりと小さな城塞染みた家の二階の窓から覗いていた。

 

 が、すぐに決まりが悪くなって首を引っ込めた。

 

 現在、彼女達の部屋は少年と向かい合う通路に並んでおり、今日に限っては少年が気を失っていたので四人でレザリアの部屋に毛布を敷き詰めて、少年が起きたら、サプライズ気味に色々と今までの不満をブチ撒けてやろうという算段だったのだ。

 

 だが、起きて見れば、少年は何やらリケイと話した後。

 

 アマンザ相手に他人が口出し出来なさそうな雰囲気で窓からちょっとだけ覗いた彼女達も今までの不満も何処へやら……口内にそれらは影も形もなく消えていた。

 

「アレがおねーちゃんの色気かもしれない……」

 

「アマンザさんは適齢期ですから。というか……たぶん、この中で一番大人ですしね。頭も上がりません……」

 

「ま、まぁ、あのアルマーニアの無駄おっぱいとか、人魚の無駄おっぱいとかと同じくらい大きいですから、アルティエもちょっとくらい浮気気味に惹かれるかもしれませんわね」

 

「一応、私が第一夫人なのですが……それと胸は関係無いと思います。胸は……」

 

 四人の意見は取り繕ってはいたが、少年に一番寄り添っていた者が誰かは明白という点で自分の事ばかりだったのを少し反省していた。

 

 よくよく考えてみれば、少年は一切必要な休息以外何一つ問題なく仕事をやり遂げ続けている。

 

 ついでに色恋に感けているどころか。

 

 必要な人材、必要な資材、必要な環境、必要なあらゆる物事をニアステラとフェクラールに集めた上で敵を叩き、相手を最適な手段で敗北させ、必要ならば己が傷付くのも構わず、力を高め続けているのだ。

 

 これで気を失っていてすら仕事をしているというのはエルミやフィーゼ、レザリアには分かっていた事だったが、それは疲れないという事では決してない。

 

 そう今更に気付かされた気分であった。

 

「アルティエ。疲れてるんだよ。きっと……でも、そんなの構わず色々してるから……」

 

「アマンザさんの気遣いは身に染みると思います……」

 

「まぁ、我が騎士も人の子。そうですわね……我々が自分の事ばかり押し付けていてはまた気疲れさせてしまうでしょう」

 

「第一夫人としては……あの方に敗北したと思います。今日は取り合えず、自分の事は横に置いて、アルティエ様が少しでも安らかに要られるよう計らいましょう」

 

 ヒオネが言うと全員が頷いた。

 

 そうこうしている内に少年が自分の部屋の扉を閉める。

 

 すると、今度は何処か幸せそうな声が彼女達に聞こえて来た。

 

『あ、かえってきたのじゃ~~いっしょにねるのじゃ~~わがきしぃ~~こやつらばっかりはずるいのじゃ~~んふふ~~このしたぎぃ~~? どーじゃ? いいじゃろ~~とくせーなのじゃぁ~~ふわぁ~♪』

 

「「「「(T_T)(空気を読まねぇ新入りドラグレおっぱいはNGという顔)」」」」

 

 彼女達が作り笑い全開ですぐに静かな暗殺者の如く少年の部屋に突入すると、寝ぼけて少年に寄り添いまくっていたリリムを猫の子を捕まえるようにして捕獲、口元を抑えた。

 

「むぐ?」

 

 そうして首根っこを掴み、イソイソと小獅子達も一緒に回収して少年におやすみと飛び切りの笑顔を向けてから部屋を出た彼女達は溜息一つ。

 

『むぐぅ?』

 

 なんなのじゃー?みたいな寝ぼけたリリムを見て、こういうのを自然に出来る方が実は女性として大らかに生きられるのかもしれないとちょっと羨ましくなった。

 

 こうして彼女達はイソイソとリリム達を割り当てられた部屋の寝台に戻すと少し早い朝に起き出す。

 

 朝食までもう少し。

 

 身重のアマンザだけに支度をさせず。

 

 少年に自分達も何か貢献しようと調理場へと彼女達は向かっていく。

 

 その朝、第二部隊の少女達は朝から何か料理が豪勢になったのを見て驚き。

 

 少年はやたら大きくなった家の長いテーブルに大勢の人間が揃って食事をしているのを見て、僅かに瞳を閉じ、その光景を忘れないようにと何食わぬ顔で肉を齧ったのだった。

 

 *

 

「は、はしたないわね。アンタら……」

 

 そう、ちょっとドン引きな様子の少女アミアル・レンブラスはノクロシア出立数日前という状況で最後の訓練の追い込みをした女性陣が過激を通り越した下着姿でシャワーを浴びるのに脱いでいる様子を見て、ヒトは進み過ぎじゃない!?という顔で人数分のタオルを持っていた。

 

「はしたないって何じゃ?」

 

 リリムは首を傾げ、それが分かるリーシャはちょっと赤くなった。

 

「そう言えば、アミアルさんは遠征隊に参加されるのですか?」

 

「聞いてないわ。別に言われても無いし」

 

「そうですか。たぶん、今呼び寄せているという第三部隊の方に回されると思っていたんですが」

 

「第三部隊?」

 

 温水シャワーが出るようになった砂浜に設置された十人程が入れる簡易浴場内部。

 

 砂と汗を洗い流しながら、彼女達は新入りであるアミアルに視線を向ける。

 

 フィーゼが代表して諸々女性陣の統括をしていた。

 

「今、アルティエがヴァルハイルから選抜した人達を遠征隊として組み入れる為に呼んでるって言ってました。恐らく、ノクロシア出立前には編成が終わるって」

 

「そ、そう……あたしは侍従として付いて来てるから、たぶん家で待ってる事になるわ。というか、戦えたりしないし」

 

「まぁ、そこはおいおい……」

 

 そのフィーゼの困ったような表情にアミアルがジト目になる。

 

「……アイツの何処がそんなにイイの?」

 

「そういうのは言わぬが華と帝国では言うので……」

 

「フン。好き勝手し過ぎでしょ。アイツ……何でやたら女が多いのよ。普通、こういうのは……」

 

 ブツブツと不満を零す彼女だったが、その背後から入って来る者が複数。

 

「ふぅ~~ようやく終わったな。くくく、これでご主人様も認める黒蜘蛛の巣の一大勢力として我ら教会騎士派閥は一躍みんしゅーの英雄に……くくく、は!? こ、これは失礼!?」

 

 女性陣がシャワーを浴びているのに驚いたたいちょーが思わず赤くなって顔を両手で隠すとアワアワとして出ていく。

 

「アレ……放っておいていいの?」

 

「あはは、たいちょーさんは良い人ですから」

 

「良い人?」

 

「潔いって事です。服従の呪紋の効果もあるのでしょうが、自分の大切な事を分かっている方ですよ。ヴァルハイルのへんきょーはくさんも……」

 

 フィーゼがそう言っている合間にも出て行った元幼女が何やら騒ぎを起こしたらしく。

 

『ほう? 婦女子を堂々と覗くとは良いご身分だな。たいちょー』

 

『へ、へんきょーはく!? こ、これはだなぁ!? 我が身がいつの間にか女子供になっていたせいであって、断じて見ようとして入っていったのでは!?』

 

 と、相変わらずな様子で喧々諤々していた。

 

「元敵が居過ぎでしょ。何よ。攻めて来た教会騎士とか。捕獲したヴァルハイルの辺境伯とか。それが今じゃ蜘蛛と一緒にとか」

 

「アミアルさんも何れ分かりますよ。アルティエは自分に出来ない事を過信しないって事です」

 

「……あんな神すら殺せそうな力を持ってるのに?」

 

「だからですよ。決して自分を信じていない。自分の力に幻想を持ったりしない。どうにもならない事をどうにか出来ると信じたりしない。その裏付けとして、あの力まで到達したんじゃないでしょうか」

 

「過保護って言われてない?」

 

「あはは……確かにそう見えるかもしれません。でも、アルティエの訓練をずっと受けてるから分かるんです。アルティエは自分に出来ない事を私達にして欲しくて……死なせたくなくて……信じないからこそ、自分が確信に至るまで私達の“もしも”を摘み取ってくれてたんです」

 

「もしも……ね」

 

「今じゃ、第一部隊の全員が真に強いと自分で言えます。どんな敵と戦っても勝てるとは言いませんが、戦場や戦いの場から逃げ延びて帰れる知識と技能を持ち、神相手にも対等以上の力を発揮出来ると断言出来ます」

 

「そう……」

 

「まぁ、勿論。限度はあるんでしょう。でも、ゴライアスやフレイを筆頭にして今も私達を護る為に背後でお仕事をしてくれている蜘蛛達がいる。だから、山脈が降って来たってへっちゃらだった」

 

 アミアルが薄暗さがゆっくりと和らいでいくニアステラの大地の毎日を思う。

 

 それは正しく奇跡としか思えない事ばかりが起きる日常だ。

 

「全てを尽くした後は信じるしかない。でも、尽くせると言える程、アルティエくらいに私達はまだ到達なんてしていない。だから、あの背中に追い付いて肩を並べる為に……あの背中の前に立って護れるように……訓練するんです」

 

「実戦ですぐ死にそうね」

 

「そうかもしれません。でも、後悔するとしても、沢山後悔したくないじゃないですか」

 

 ちょっと困った様子でそう笑うフィーゼにアミアルは思う。

 

 ああ、と思う。

 

 この少女達は年齢に似合わず。

 

 いや、女性としてすら珍しい。

 

 ちゃんと覚悟が出来ている。

 

 自分とは違って。

 

 それが彼女にはどうにも悔しく思えた。

 

「はぁ~~あ、そう……じゃ、その内にアタシも強くなってると思うから。そこまで到達したら、よろしくね……」

 

「へ?」

 

「侍従なんて堅苦しいのあんまり好きじゃないし、そもそも侍従連れて歩く事が殆ど無いアイツの傍にいるのは戦える人間なんでしょ。きっと……」

 

「そうかもしれません。でも、辛いですよ? 結構」

 

「ねぇ、さっきから話してるアタシ、どう見える?」

 

「へ?」

 

「戦えたりはしないけど、こういうのは自信あるのよね。案外……これでも首都一番の学校でちゃんと勉強してたんだから」

 

 フッとアミアルの姿が掻き消える。

 

 そして、その場所には一枚の鱗が落ちていた。

 

「鱗?」

 

『フフン。どう? これでも遠くに呪紋使うの得意なんだから……まぁ、実生活じゃ殆ど意味が無いけど……』

 

「つまり、今までのアミアルさんは呪紋で?」

 

『そうよ。面倒だから、殆ど使わないし、今までは魔力すぐ無くなっちゃうから使った事無かったけど、今はオクロシアの首都にいるわ』

 

「あ、そうなんですか。首都から転移で帰って来てたのかと」

 

『ホント、あいつに飲まされた薬どうなってんのよ……何か飲んでから起きたら記憶飛んでるし、起きたらあのおっさんにモルドの情報取られてるし、やたら呪紋の調子が良いし』

 

「が、頑張って下さいとしか……」

 

『家には連絡入れたけど、こんな事言えるわけないし……ただ、御父様とお兄様の生存だけしか言えなかったし、でも……うん。久しぶりにお母様とお姉様の安心した声を聴いた気がする……』

 

 アミアルの少しだけ安堵したような声。

 

 それに少年も色々と大変なのだろうが、もう少しだけ構ってあげて欲しいと彼女達は内心の意見を一致させた。

 

 こうして女性陣が互いに話に華を咲かせている頃。

 

 当の少年は呪紋が使えない状態という事でその間に出来る事をしていた。

 

 殆どの状況は天上蜘蛛達がやってくれるので内政で必要な事を可能な限りするべきだろうとエルガムの病院とマルクスの職場となった新築の学校、更にカラコムの守備隊の訓練所へと出向く事にしたのである。

 

「で? その新しい資源である白いプラチナル、だったか? それで何を?」

 

「薬に処方して欲しい」

 

「それはまた……生きた鉱物を喰わせるのか」

 

 思わず困惑したエルガムがいつもの診察室で溜息を吐く。

 

「これを自然侵食させてる時間が惜しい」

 

「大丈夫、なのだろうが、何がどうなるのかは教えて欲しいところだ」

 

「神の領域に干渉が可能になる」

 

「……つまり、戦闘要員に使う秘薬にでも入れておけばいいという事かな?」

 

「相手に干渉可能ならば、相手も干渉可能になる。でも、此処にいる殆どの神はこれを恐らく干渉しない。というか、干渉を弾くように動くはず」

 

「何故だ?」

 

「このプラチナルの特性が基本的には優先度や優先順位を持つから」

 

「優先順位?」

 

「プラチナルそのものは生物で意志を持ってる。でも、明らかに矛盾した思考をする場合は分割された群れのようなものになる」

 

「では、それを採取した例の五大災厄と君のプラチナルは違うのか?」

 

「そういう事。そして、このプラチナルは生物との共生と外部干渉の阻害や拒絶。生物の個体毎に細分化して意識を持つように言ってある」

 

「つまり、君が親株となって、分離したソレらは個体毎に別派閥みたいな事になるのかね?」

 

「そういう事。最初の派閥に対して派閥の量で序列が付いて個体の派閥を統制する形にしてる。これなら個人と共生しながら、独立した勢力として全てのプラチナルを統制可能」

 

「プラチナルそのものの意識としての形態を個人に近付けたという事かな?」

 

「そんな感じ。個体毎に色々な力を獲得しても、属する大きい派閥の意向は無視出来ないくらいの強制力がある」

 

「ふむ。投与対象は?」

 

「この地域の使徒と受肉神以外の全住人」

 

「……神と人の差を縮めるわけか?」

 

「そう。神に頼る必要が無くなれば、神の強制力や権力も低下する」

 

「それで神の力を削いでも個人を強固に出来れば、君達のように独立した存在として、この島で生きていけるかもしれんな」

 

「もう遠征隊と蜘蛛達には投与しておいた。後は一般人がこの間みたいに山脈が落ちて来ても死ななくなれば、次が来ても安心」

 

「本題はソレか。さすがに死ぬかと覚悟したが、次もあるのか?」

 

「何事も事前に備えておく越した事は無い」

 

「分かった。一般人向けだな。分量は?」

 

「処方箋は書いておいた。資質や所属で色々と投与する量も違う」

 

 少年がレシピを書き込んだ紙をエルガムに渡した。

 

「後は任せてくれていい。それと例の薬だ」

 

 エルガムが少年に小さな試験管に入った液体を手渡す。

 

 薄い黄色い液体は何処か黄金に輝いても見えた。

 

「これが……」

 

「二柱の血肉を培養したものに君が持ってきた全ての劇物と毒物を混合したものを打ち込んで落ち着いた後に搾り取った。抗体だったか。渡された手順で作ってみたが、やはり神はどんな物質を取っても細胞は死なないらしい」

 

「細胞を過剰に破壊する分量でもやっぱり死なない?」

 

「ああ、再生後、同じものを与えても効果が無くなっている事も確認済みだ」

 

「これ後何本ある?」

 

「抽出には魔力でやたら再生しようとする細胞塊を絞る必要がある。あまり大規模にやれない事もあって現在4本だ」

 

「第一部隊用に貰っていく」

 

「地下の保管庫の蜘蛛に言ってくれ。神の血肉を使う薬、か……それで何が出来るのか聞いても? 毒が効かなくなるのは分かるが……」

 

「神の細胞がどんな状況下でも死なないのは細胞がそれに対応して死滅を防ぐから。でも、物理現象で死なないのは定理、法則側の問題。つまり」

 

「つまり?」

 

「神の定理や法則の働かない細胞は神の分類じゃないにも関わらず死なない」

 

「ふむ。特殊な環境下で死なない状態の肉片を採取するのもやっているが、ソレが目的か」

 

「そう、これで死なない理由を細胞は持ってる事になる。瞬間凍結する呪紋を使わせてるのもその為……試験体とこの抗体があれば、恐らく神ではなくても 神の肉体には到達する」

 

「まぁ、好きにしてくれ。こんなの君以外には渡せないしな」

 

「さっそく」

 

 少年がゴクリと試験管の内部の液体を飲み干した。

 

 ついでにもう傍に凍結された小さな肉片数十個を持ってきた蜘蛛がいたので、ソレが解凍される前に口に一口チョコでも入れるように次々に口内に消していく。

 

 全てが口内に消えた後、僅かな間があった。

 

「……抗神抗体化率18%上昇(再上昇可)。抗体キャップ開放。【神格抗体】を獲得。これでほぼ全ての元素に対する抗体と極限環境時の神の血肉の機序を真似られる」

 

「何かもう笑うしかないな。君相手だと……普通の人間には試せんしな……」

 

「体内で複製完了。後はノクロシアに行く時に全員飲ませておく」

 

「ああ、分かった」

 

 エルガムが頷くと少年が蜘蛛にチラリと視線を向ける。

 

 スピィリアの一匹が周辺から人払いをするべく外に出ていく。

 

「ウリヤノフから聞いてる。例の装備は?」

 

「色々とエル卿とも詰めて造ったはいいが……制御出来るのか?」

 

「人馬なら問題ない」

 

「そうか。彼女の為のものだったわけだ。一応、そうだろうとは思っていたが……倉庫の方に置いてある。ただ、一つだけ言っておくが、あまりお勧め出来んな。あの方式だといきなり神に成りかねない。ああ、いや? そうか。それでプラチナルか?」

 

「そう。じゃあ、後で届けて欲しい」

 

「了解した。それと諸々造った方法で色々と薬剤を揃えた。このニアステラで病による死者は恐らくもう出ないとだけ教えておこう」

 

「それは良かった……」

 

 エルガムが去っていく少年の背中が何ら感慨も無い様子に苦笑する。

 

「本当に……神すら倒して、尚先に向かうのも軽やか、か。ふふ……言うまでも無く。もう君は神話なのだな。アルティエ……」

 

 医者が脱帽だとばかりに満足げな息を吐く。

 

 だが、彼の人生はまだまだ続く。

 

「(/・ω・)/(せんせーきゅーかーんという顔)」

 

「ああ、悪い。すぐに行く。患者の容体は?」

 

 こうしていつも満床なエルガム病院は蜘蛛達と共に増え続ける患者に対処する為、今日も忙しく、偉大な事を成し遂げた事なんて、まるで無かったの如く。

 

 いつもの様子で急患を受け入れたのだった。

 

 *

 

 少年がエルガム病院を後にして向かった第一野営地の学校。

 

 今現在は亜人の子供達を主体として教育している現場ではヴァルハイルも含めて一緒に学校で生活を送る事になっていた。

 

 勿論、肩身の狭い半ば首都から浚われて来たヴァルハイルであるが、野営地の遠征隊にはヴァルハイルもいるし、ドラグレもいるという事実を喧伝した結果として無視などはあれど、虐めらしい虐めというのは無くなっていた。

 

 暴力沙汰が0になったわけではないが、基本的にヴァルハイルは強い種族であるという事を学校で教えるよう少年が内政組にちゃんと徹底させたので肩身が狭い以上の境遇をヴァルハイルの子供達は受けていなかった。

 

 首都に比べれば、知識も技術も拙い教師陣。

 

 しかし、実践訓練から始まって、戦闘訓練や呪紋の訓練を筆頭に様々な知識のみではない技術職の技能訓練や諸々の避難訓練と知識を詰め込むより体で覚えさせるのを主体とした教育はヴァルハイルからも評価されていた。

 

 理由は純粋に生存率が上がるという一点に尽きる。

 

 そのついでに元おじさんな幼女達が学校の雑務をしてくれているので威圧感は無くても、実力はちゃんとある労働者な教会騎士やヴァルハイル兵達は子供をしっかり見守っていた。

 

 蜘蛛達もいる為、亜人達の空気は悪くない。

 

 イケない事をイケないと教える大人に子供は反発しがちだが、生憎と相手が幼女なので子供達も姿形から見ても反論したり、反抗したりするのは気が引けて、非行に奔る者も皆無だった。

 

「ああ、待たせましたね」

 

 マルクスが昼休みの校庭横にイソイソとやってくる。

 

 今まで労働者相手の布教……イゼクス神への帰依などを含まない道徳教育やらしていた彼は今や子供達相手の青空学校を飛び越えて、真実教育現場の主となっている。

 

「どう?」

 

「あまりにも端的過ぎて困りますよ。全部、どうと聞かれても色々在り過ぎます」

 

「……明かりはまだ足りてない?」

 

「間違いなく足りませんね。薄暗い場所で体を動かさせるのも事故が怖いので今は控えている最中……しばらくは光が届くまで校庭の整備も儘ならないかもしれないですね」

 

「……これからして欲しい事がある」

 

「生憎と軍事教練には詳しくありませんし、専門外なんですが……」

 

 苦笑交じりにマルクスが肩を竦める。

 

「子供達に追放された皆の事を教えて欲しい」

 

「我々の事を、ですか?」

 

「今後、此処は主に亜人と蜘蛛の邦になる。人間も少数で亜人以外は亜人でも人間でもない幼女が一杯」

 

「ならば、猶更必要無いのでは?」

 

「必要なのはヒトが愚かでも賢く、残酷でも優しいと教える事。流刑者で話していいって人材はちゃんと許可を取ってある。詳しい内容はこれ」

 

 少年が紙を数枚マルクスに手渡した。

 

「……亜人も人間も根本は変わらない。そう教えればいいわけですか……」

 

 ペラペラと紙を捲ってマルクスが目を細める。

 

「お願い出来る?」

 

「必ず、全ての子供達に教えましょう。人がどんなに残酷で愚かしいか。その先で優しさや労りに出会い、慈愛に涙したか。きっと……」

 

「よろしく。後はコレ」

 

 少年が指を弾くとマルクスの前にドンドンドンと複数の鞄が落ちて来る。

 

「え?」

 

「呪紋の訓練内容と蜘蛛達の総合軍事訓練の内容。出来る限りやっておいて損は無い。向かないのは芸術分野とかに回したり、技術職分野で徒弟として授業させるのでもいい。とにかく技能者とヴァルハイルの知識が扱える人材が足らないから、お願いする」

 

「子供はそんなに早く育ちませんよ?」

 

「分かってる。でも、絶対に必要。未来が来た時の為に……」

 

「未来が来た時……はぁぁ……このニアステラとフェクラールの未来を護ろうとしている張本人に言われては仕方ありません。此処は厳しい司教連中並みに子供達からは恨まれる事にしましょう……」

 

「助かる」

 

 少年がマルクスに頭を下げてから、そのまま再び歩き出した。

 

 その背中を見つめていた男は瞳を閉じて呟く。

 

「どうか、生きて帰って下さい。英雄の死なんてありふれた題材を扱わせないで下さいよ。アルティエ……」

 

 こうして、その日から戦いの資質や呪紋の資質がある者達の訓練量は二倍になって、ついでに秘薬の一部を薄めた物が給食に出る事となる。

 

 滅茶苦茶マルクスは恨まれる事になるが、それはまた別の話であった。

 

 *

 

「おう。ニアステラの英雄殿のご来訪か」

 

 カラコムがいた守備隊の詰所では次々に人員が出入りしていた。

 

 此処最近は新しい侵略者の類や異変が無いかと誰も彼もが気を張って警備や歩哨に着いて、各地の重要施設を持ち回りで確認しているのだ。

 

 今では第一野営地の守備隊のトップに付くカラコムはベスティンと共に二枚看板であり、実働部隊向きのカラコムに対して書類を片付ける内政組としてベスティンが活躍していた。

 

「で? 守備隊の増強計画は報告した通りなんだが……」

 

 カラコムが守備隊の詰所の一角。

 

 デスクの上から書類を取り上げて少年に手渡す。

 

「知ってる。シュバリアとウルの充足。新しい鉱脈から掘り出した金属で部品製造。各地の守備隊の装備充足。アルマーニア側からも報告は受けてる」

 

「それで此処に来たって事は更に何かあるのか?」

 

「(・∀・)(あ、ちちもお茶どーぞという顔)」

 

 蜘蛛が一人テーブルにお茶を運んできて頭を下げると部屋から出ていく。

 

「今足りないのはスピラスだな。個人用装備は亜人向けが殆どで鍛冶場の増産が大型兵器に取られたせいで今じゃ生身で出てる蜘蛛が多い」

 

「必要な装備は今度一括で卸す事になる。主に人豚の邦とヴァルハイルの首都で増産してくれる手筈になってる」

 

「ほうほう?」

 

「今後、恐らく両地域に侵入出来るのはかなりの高練度で使徒階梯の相手だけになる。その場合、必然的に投入戦力の大半は蜘蛛。亜人の大半はシュヴァリアを使うか。遠距離からの援護に徹して欲しい。連携用に都市機能に市街地での大規模な防御能力を加える予定」

 

「具体的には?」

 

「都市建材にコレが混ざって、助けてくれる」

 

 少年が白い粒子を零した。

 

「ああ、これが例の五大災厄が使ってたって言う?」

 

「そう。これをしばらく地域に散布する。大抵の外部からの使徒階梯の攻撃は受け切れるはず……後は蜘蛛達に任せて、もしもの時には避難誘導や避難所の警備に当たって欲しい」

 

「分かった。それで本題は?」

 

 少年が僅かに沈黙してから、指を弾いて虚空から出現させた短剣をコトリとカラコムの前に置く。

 

「短剣? 儀礼用か?」

 

 目の前に置かれた短剣の柄の入ったレリーフが丸い勾玉を合わせて円にしたような象形であるのに気付いてカラコムが首を傾げる。

 

「呪具。リケイに作って貰ったのを蜘蛛達に複製させた」

 

「ふむふむ。何か強力な武器って事でいいのか?」

 

「使い方によっては強力。ハウエスの呪紋を封じ込めたモノ」

 

「待て……その神の呪紋は確か……」

 

「抗魔特剣【太極の儀礼剣】……相手を幼女にする短剣。ただし、刀身に入れ込んである霊薬の量の関係で使用回数は1回」

 

「蜘蛛脚の幼女化版か?」

 

 驚いた様子のカラコムが目を見張る。

 

「そう。例え、使徒階梯の存在であろうとも、幼女に出来る。蜘蛛脚の能力を解析して、リケイの呪紋を効率化した。刃先がしっかり刺されば、幼女に出来る。服従の呪紋付きで……」

 

「確かに強力だな……」

 

 そっとカラコムが手に短剣を握る。

 

「これから教会騎士や外部から侵入する神の力を持つ者相手でも問題なく使える。神そのものから分裂したような怪物や神の力に準拠するような存在、蟲以外は……」

 

「数は?」

 

「人数分は揃えられる。ただし、一人一本。仕事中に携帯する時だけに限らせて貰う。詰所にいる時と非番の時以外は肌身離さず持って貰う事にもなる。今、北部の蜘蛛達に量産指示を出してる」

 

「……服従先は?」

 

 少年が自分を指差す。

 

「了解した。はは、これでベスティンみたいに魘されるわけか」

 

「魘される?」

 

「あいつは案外気にしてるって事だ」

 

「そう……」

 

「だが、分かった。お互い頑張ろうや。いつの間にか追い抜かされちまったが、これでも野営地の平和は護りたいんでな。任せておけ。お前らが居なくても連中丸ごと避難させて最後まで面倒みるさ」

 

「……よろしくお願いする」

 

 少年が頭を下げ、それに頭をガシガシと撫でたカラコムがニカリと笑って頭を上げさせた。

 

 少年の行脚は続く。

 

 まだまだやらねばならない事はあった。

 

 全てが終わるまで少年に安息という二文字は無い。

 

 *

 

 少年がニアステラとフェクラールの戦力強化に取り組んでいた頃。

 

 最前線に積めていた多くの蜘蛛達が南東部バラジモール付近に出来た巨大な蟲竜の山と呼ばれるようになった一帯からの蟲の怪物を延々と処理する為に戦力を移動させていたのは間違いなく合理的な判断であった。

 

『(´・ω・`)(やたら今日も数千体単位で来てるなーという顔)』

 

『(・∀・)(でも、ぶっちゃけ最前線入れ替えつつ練度上げる標的としては丁度いいくらいの相手じゃね?という顔)』

 

『(/・ω・)/(程よく即死する可能性のある攻撃で緊張感もある良敵ですよ奥さんという顔)』

 

『(;´|ω|)(でも、この階梯の敵で負傷者出なくなって来てるから、そろそろ物足りない感じな気がするという顔)』

 

『(;^ω^)(でも、齧ると案外神の魔力が吸えて美味しい。物理的な味はともかくという顔)』

 

 小神となった震える聖槍は今や生きた大地の如く怪物を延々と一定時間で生産する怖ろしい魔窟と化し、周辺は高温の腐食ガスと溶岩によって遮られ、怪物達を閉じ込めると同時に這い出て来た怪物達の数は日に日に多くなっていた。

 

 無論、少年が事態を知ってから、左程は増えていない。

 

 しかし、それでも各地の戦線にいた全ての蜘蛛達が今は封じ込めに殆ど割かれた事で未だ祖国に戻っていない多くの南東部近辺の国々は怪物の浸透が在り得る為に後方地帯にはほぼ戻らず。

 

 未だにオクロシア近辺に固まってニアステラとフェクラールへの移民の列に並んでいる。

 

『ようやくオクロシアに到達したか。あの蜘蛛達には感謝しとこう』

 

『というか。あの戦場から移民先まで蜘蛛しかいねぇ……あ、いや、後は亡霊と亡者共か……』

 

『遺体の管理も処理も出来てなかったからな』

 

『それは蜘蛛達が遺品を各地で保管して、地域毎に死人の名簿を造るそうだ。戦乱が収まった後に特定作業に入る事が決まっている』

 

『オレ達は移民の最終組……後には戦線維持を厳命された最精鋭連中しか残らんからな。蜘蛛達があの化け物共を駆逐して、再開発が終わったら、国土へ帰還する計画って事だ』

 

『いつになる事やら……蜘蛛達に半ば邦も取られたようなもんかもな』

 

『滅多な事を言うなよ? 今の我らは連中におんぶにだっこ……祖国の事を思うならば、そういう余計な事は言わずにおけ。いいな?』

 

『へ、へい。隊長殿……』

 

 こうして無人の荒野になった北部の東部地帯は今や亡霊と亡者が蔓延る場所となっており、人がいないせで荒れ放題となっていた。

 

 そう、正確にはなっていた、だ。

 

 何故ならば、海からやってきた黒き蜘蛛達。

 

 ペカトゥミアの群れが大量に流れ込み。

 

 最前線となった南東部の防衛ラインを支える為に移民の列に並ぶ国家からの許可を取って、国土を再開発し、将来的に返って来られる状態になるまで種族連合部隊への物資補給の為に黒蜘蛛の巣を筆頭にした大規模な生産地帯が造営される事になったからである。

 

『(/・ω・)/(あー忙しい忙しい黒蜘蛛の巣と例の外界の工場設備の設営に忙しいという顔)』

 

『(>_<)(誰か早く何とかして!! このままじゃ、始まったばかりの蜘蛛生がお仕事が出来る超蜘蛛労働者RTAになっちゃうという顔)』

 

『(T_T)(ペカトゥミアとして生まれて数日……先輩蜘蛛達の超蜘蛛的な作業量と仕事量には感服するけど、これはとても黒い労働環境なのでは?という顔)』

 

『(・∀・)(でも、忙しいのは今の時間が惜しいって状況だからであって、連続勤務1278時間くらいの先輩はゴロゴロいるみたいという顔)』

 

『(´Д`)(お仕事大好き系ワーカーホリック先輩蜘蛛が超蜘蛛過ぎるという先輩の偉大さにビビる顔)』

 

 各地の種族連合はこれを許容するしかなく。

 

 将来的には引き渡しを受ける確約があればと渋々承諾する以外に有効な使い方も思い付かず。

 

 こうして亡霊と呪霊の群れが次々に蜘蛛脚レプリカによって猛烈な速度で刈り取られ、200万人近いペカトゥミアの群れの8割が内陸部へと大移動。

 

 更に大規模に仲間達を増やしながら急速に膨れ上がり、彼らの食事処である黒蜘蛛の巣が続けて大量に必要とされた。

 

『( ^^) _U(>_<)/(おちゃどぞーされながら、亡者と亡霊を蜘蛛脚で1000人斬りして一仕事終えた後の熟練剣豪系労働蜘蛛の顔)』

 

 残った者達は大量の艦隊の船舶の停泊場所である海型の黒蜘蛛の巣の造営に走り回る青年に付いて回って、大規模工事の真っ最中。

 

 陸地ではその青年から引き抜いた霊力の詰まった白霊石の樽が大量に運び込まれ、黒蜘蛛の巣の製造に携わる蜘蛛達に回されていた。

 

 1日72時間くらい欲しい青年は朝から昼は海で働き、夜から明け方までは陸地で働くというブラック企業も真っ青な睡眠時間4時間の超時間労働を課されていた。

 

 だが、その甲斐はあって、今では青年が黒蜘蛛の巣を一つ造るのに30分。

 

 つまり、1日で40本の黒蜘蛛の巣が誕生していたのである。

 

『オレは樽オレは樽オレは樽オレは樽―――』

 

『(´;ω;`)(この働きはもう第二のちちとして認めてもいいレベルという顔)』

 

『(-ω-)(呪紋で巣を造りながら、片手で白霊石の板に霊力を流し込むとか、完全に人類を超えた所業だよねという顔)』

 

『( 一一)(でも、黒蜘蛛の巣の必要数。後、400本近くあるんだよなーという顔)』

 

『(;´・ω・)(あ、それ昨日時点だよ。北部中の亡霊と亡者をスピィリアとディミドィアにして掃討してるから、更に400本追加になるって、と報告する顔)』

 

 こうして無茶苦茶な量の工事と工期を押し付けられた青年は海と荒野を行ったり来たりしている。

 

 ヴァフクの所有する海域には島が点々と存在している為、無人島も有人島も等しく黒蜘蛛の巣が設営される事になっており、出来た途端に居住者となる蜘蛛達が部屋に入り込んで満室になる事もしばしば。

 

 ヴァフクへこれを承諾させた手口はこうだ。

 

 将来的にゾアクを島で最大の軍港と貿易港を要する海運国家にする。

 

 その為の設備として蜘蛛達を養うと同時に海洋基地の役目を果たす巣を大量に設置し、巨大な桟橋と港を建造しなければならない。

 

 外界からの侵略は既に始まっており、外界の侵略軍から奪取した船を解析し、新規建造する造船所と工廠を一早く整備しないと大変な事になるんだー(迫真)。

 

『王よ。黒蜘蛛の巣が凡そ3割の島に建ちました事をご報告申し上げます』

 

『その……何だ……あの子に無茶を押し付けた手前思うところはあるのだが、いくら何でも早過ぎないか?』

 

『何でもニアステラでは一日で巨大な塔が数十は建つとか?』

 

『……蜘蛛の巣が今後は我らの邦の命綱、か』

 

『まぁ、外観は変えられるそうですし、何なら邦旗の象形でも刻みましょう。新しい建造物がちょっと増えた程度に考えておけばよいかと』

 

『その建造物の管理人と住人も込みでか?  というか、島から島へと糸で橋が掛けられたと聞くが……正気か? あの長大な距離を……海が荒れたらアブナイだろう』

 

『問題ありません。海中橋梁が今ですら数百本、幅だけで馬車10台が横並びで楽々通れる蜘蛛の道です。それと今はこれが最善です。見せられた外界の映像……今の我らでは太刀打ちなど出来ませぬよ……人身御供となった使徒様には今後も頭が上がりませんな……』

 

『はぁ、あの子がせめて幸せな結婚であればよいが……』

 

 少年からの連絡で先頭に立った喋る翡翠色の蜘蛛。

 

 ヘルメースは主に外界の技術の数々を献上する為、現在は陣頭指揮を執りつつ、艦隊の収容と内容物の荷揚げを急がせていた。

 

 ついでにゾアクという邦で人々に外界はコワイトコと啓蒙する為に外の怖ろしい映像を流すのも忘れないという情報工作までしていた。

 

 巨大なビル群と今にも海に出ようとしていた堅牢な戦艦と軍隊の山に度肝を抜かれたヴァフクは「こんなのが攻めて来たら……」と蜘蛛達の御仕掛け女房的な巣の建造が北部防衛の為の要であると言われた手前、何一つ反論出来なくなったのだ。

 

 こうして降ろされた荷の大半はヴァフクの地を踏んだ蜘蛛達が大半内陸を生産地帯にする為の資材として南東部の後方に持ち去っていった。

 

 ついでに各島とは連絡通路として巨大な橋が黒蜘蛛の巣の間に掛けられ、海洋を渡る長大な橋の建設までもが流入したペカトゥミア達主体で進められている。

 

 外界のゴーレムと艦船に積まれた兵器類もこれによってあちこちに運び込まれ、黒蜘蛛の巣の保管庫に分散、研究職の蜘蛛達に解析され続けていた。

 

『( ^^) _U(おちゃどぞーという顔)』

 

『((+_+))(ありがたくという顔)』

 

『(?_?)(この“こんでんさー”とか“さんじくぎあ”とか“ひたいしょうだんぱー”とか……ゴーレムって複雑という顔)』

 

『(・ω・)(ま、全部理解するまで4日もあれば足りるでしょという天才の顔)』

 

 一連のゾアクという邦で起った“テコ入れ劇”は少年へ使徒アヴィラーシュを嫁がせてすぐの出来事だった為、ゾアクの民はもうコレは使徒様が上手くやったのだろうと最初こそ度肝を抜かれてガクブルしていたのが嘘のようにホクホク顔だ。

 

 種族連合からは今回の一件での諸々の予算としてゾティークも大量に転移で送られてきており、今後は蜘蛛達への諸々の支払いや蜘蛛達からの支払いにもこれを使ってくれというので経済圏にも取り込まれ、市場は空前の活況を迎えていた。

 

『そこの蜘蛛さーん。食料はともかくとして、この鍋買ってかない? 滅茶苦茶硬くて熱が通り易くて、お鍋としちゃ高級品よ!!』

 

『( ゜Д゜)(買います!!という明らかにほったらかしになる道具を買う顔)』

 

『お、そこの蜘蛛ちゃーん!! こっちでおねーさん達に体を揉み解されてみない?』

 

『( ^ω^ )(揉み解されてみたい!!と以後同じ場所に通い続けるカモの顔)』

 

『お支払いはゾティークで~~♪』

 

『(・ω・)(……人間も霊力とか魔力美味しいのかな?という顔)』

 

 蜘蛛達は基本的に娯楽に金を払う存在であり、一気に食料が枯渇するような事も無かったし、種族連合との大規模な転移を用いた貿易が始まった事でニアステラとフェクラールで製造された呪具から始まり、様々な工業製品や雑貨が流入。

 

 更にはとにかく海での働き手が欲しいからと大規模な資本が種族連合から纏まって入って来て、今や何処の港でも仕事は溢れていた。

 

 大量の艦船を一度陸揚げして、寿命を延ばして、将来使う為に保管。

 

 沿岸国に売却する事で利益も出しましょうとニアステラから打診され、保管料として船の現物が渡される手筈にもなっていたのも大きいだろう。

 

 大規模な資本、現物での支払い、労働力の大量流入による国土開発、外大陸技術のリバース・エンジニアリングは正しく半魚人の邦を島で最大の海洋貿易国家にし始めていたのである。

 

『此処は蜘蛛の街だったかもな……』

 

『オレら何か済し崩しで戦線行かなくても良くなりましたね……』

 

『混血者も今じゃ喰いっぱぐれない……何せ上司が蜘蛛だからな』

 

『これは……オレ達の勝利と言えるのか?』

 

 こうしてヴァフクの差別撤廃を掲げる組織は一気に押し寄せた『労働力なら誰だろうと構わないし、何なら蜘蛛の上司にすら成れる職場』へと飛び込み。

 

 最終的にそれなりに働いてそれなり以上の賃金と地位を手に入れる事となる。

 

 その成果は大型倉庫やら造船所やら黒蜘蛛の巣やら各種の建造物として出現し、強奪してきた外界のインフラやらが日に数百件規模で立つ魔境で彼らは血の滲むような管理業務に忙殺されても死ねないという事実を体感するだろう。

 

 ニアステラが自分達の関わる無茶な仕事の労働力に提供する薬はもはや過労死すら許さない最強の秘薬であった。

 

『この薬怖っ!? 昨日、20時間労働したのに体が軽過ぎる!? これ本当に飲んで大丈夫なヤツなの!? 問題ないの!? え? 本国だとこれの濃度12500倍増しのものを訓練で飲んでる?!』

 

『(>_<)(勿論、滋養強壮にも効きまくりでちょっと生物としての能力も上がっちゃうんですよコレが!! やったね同僚!! これでまたお仕事が捗るよ!! 今後は1日22時間働けるね!!という顔)』

 

『((((;゜Д゜))))(ガクガクブルブルと看板の内容を見て、恐ろしい仕事地獄を経験する事が確定した未来に恐怖する一般亜人の顔)』

 

 これに加え、ゾアクの内陸部は殆ど使われていなかった事も相まって、次々に建造物が建ち続けて、ヴァフクは置き去りに拡大し続けていた。

 

 遂には種族連合に参加する周辺国の許可を得て、今まで曖昧だった内陸部の領地も未使用だった部分に着いては大分ヴァフクに割譲されて国土も広がった。

 

 周辺国は元々かなりの田舎だった事もあり、種族連合への参加国が共同で運営する経済特区構想がアルマーニアの仲介で成立。

 

 以後、蜘蛛達の建造は戦乱の終了まで開発が続けられ、外界からの侵略を防ぐ壁と内陸の生産力を有する工業地帯として運用が開始される事が決まった。

 

『初めてウチの国境線沿いなんて来ましたよ』

 

『それは昨日までだ。此処からあの山の二つ向こうまでが今の領土だな』

 

『……オレら海に住んでるんですけど』

 

『その内、此処には種族連合の移民が来るそうだ。元々の国家の亜人達を主体とした移民団らしい。教会との最前線へ物資を送る場所となれば、蜘蛛達だけで労働力を賄い切れないとの判断らしいな』

 

『最前線は今、蟲の化け物と戦ってるって聞きますけど、教会が亜人殲滅を掲げて上陸……生き残れますかね』

 

『それは神のみぞ……いや、今は蜘蛛のみぞ知る、のかもしれん』

 

 祖国の大地が再び帰って来た時には国土がニアステラ持ちで開発され、将来的には食うのにも困らないように産業の中心地になる!!

 

 との上手い話に飛びつかない田舎者はいなかった。

 

 これで安全が確保された黒蜘蛛の巣を筆頭にした街区の開発が終われば、戦乱が終わる前に戻って来る事も出来ると言われて、誰からも文句は出ず。

 

 一部の監督者達を送り込むだけでヴァフクと周辺国は完全に蜘蛛の国への道を歩み出した。

 

 将来的に蜘蛛達が彼らの衣食住に対してある程度の保証を行ってくれるし、裕福な生活が送れるという上手い話は裏を返せば、定住済みな蜘蛛達が出て行かないという事に他ならないが、この死ぬか生きるか滅ぶかどうかのご時世。

 

 後の事に感けて死にたい国家の重鎮は誰もいなかったのである。

 

『(*´▽`*)(北部第三十一号塔構築完了という顔)』

 

『(・∀・)(区画も何も出来てねぇどころか、竜骨と基本機能しかないという顔)』

 

『( ̄ー ̄)(まぁ、しばらくは防衛力と生産力、技術力に重点でしょという顔)』

 

『(; ・`д・´)(部屋割決めんぞー早い者勝ちねーという顔)』

 

 国家に新しい種族が増えるというのは多かれ少なかれ何処の国も経験していたが、それにしても蜘蛛達が北部全土に散らばる勢いで再開発の請負人となれば、自然な形で彼らが各国家の重要種族として取り入れられる事は避けられず。

 

 ある意味で北部のニアステラの実質的な乗っ取りはこれで完了したに等しい状況であった。

 

『神々からのご神託が下った』

 

『おぉ!? 遂にか!?』

 

『あの蟲共をどうせよと!! 方々は仰っているのだ!?』

 

『………受け入れろ、と一言だけ……』

 

『( 一一)(もはや、これまでか)』×一杯の蜘蛛嫌い派閥支持者。

 

 これに危惧を表明した者達は勿論いた。

 

 いたのだが……結局、今もその危惧とやらは現実にならず。

 

 それどころか蜘蛛に養ってもらっている状況。

 

 この戦乱で労働人口が激減していた種族連合の知恵者達は現状の“問題無い”という評価を覆す事も出来ず。

 

 神々からすら、もう諦めろと言われて誰もが沈黙した。

 

 ヘクトラスとイーレイという今や種族連合の二枚看板と化した者達の説得という名の“覆し難い事実の列挙”によってトドメを刺された者達は膝を屈し、此処で遂に北部亜人国家の全ては蜘蛛達を新たな種族として本当の意味で認めたのである。

 

 正しく、世は大蜘蛛(だいくも)さん時代であった。

 

「お~お~スゴイな~。これがオクロシア、ね……」

 

 このような状況の最中。

 

 嘗て、糞尿と死体と死体寸前の兵隊達しかいなかったオクロシアの都は今やヴァルハイルの落着した高都から次々に運び込まれてくる呪具や雑貨が大量に店舗に並び。

 

 移民待ちの列が連なる大規模な人口が一時的に逗留する場所として活況であった。

 

 地下の軍事区画以外は大体何処も出入り出来る場所ではもうヴァロリアが兵隊以外殆どいないという事も相まって、地区毎に各地の移民希望の種族連合の者達が待機列に並んでおり、他にも負傷して手足を欠損した兵や明らかに重病人な兵が馬車で運び込まれてくる医療地域としても機能している。

 

『は~い。蜘蛛型焼きは如何かね~~ニアステラでも大好評蜘蛛型焼きだよ~』

 

『あら、美形なお兄さん。今なら綺麗な恋人に蜘蛛ちゃん人形が受けるわよ~』

 

『大丈夫大丈夫だよ~~ヴァルハイルでも買ってくれるなら大歓迎さ♪』

 

『ささ、今日の宿は此処でどうでしょう? 兵に借り受けた屋敷をちょっと綺麗にしてるんだ。ちょっとお高い部屋で恋人さんと一晩どうです?』

 

 白髪の青年が一人。

 

 一時的な逗留者達に雑貨と食料を供給する配給よりも高価なものが売買される市場で果実を一つ買って齧っていた。

 

 その横にいるのは巡回者の女。

 

 モルニア・クリタリス。

 

 オクロシアにとっての重要人材。

 

 彼女を連れて青年は黒二重城へと進んでいく。

 

 そこで彼の横の女性がツナギを取った相手。

 

 今や種族連合の影の支配者となった男。

 

 六眼王ヘクトラスが待っているのは自分がもう見られている事を知る青年には自明であり、何一つ事前の通告も無い来訪。

 

 本来ならば、これだけで戦う理由になるだろうが、生憎とヘクトラスの情報を集めてやってきた青年に死角は無く。

 

 丁度、彼の父親が亡くなった地点もほど近いので後で墓参りならぬ、最後の地の視察にも行こうという顔で彼は進む。

 

 その視線は勝者達の邦に対し、冷たくも無いが温かくも無い。

 

『む、あの男……』

 

『ヘクトラス様の通達通りにしろ。忘れたのか?』

 

『あ、ああ、そうだった。つい癖で……』

 

『ヴァルハイルの亜神だ。オレらなんぞ視線も合わせず瞬殺だよ……』

 

「……(全部、お見通しってわけね。やれやれ……)」

 

 結局、ヴァルハイルが負けた事に代わりは無いし、その方法が思ってもみなかったもので戦わずして高都が陥落したのだ。

 

 もはや、言うまでも無く決着は付いていて、彼が何かをしたところで大勢に影響はない。

 

 だが、それでもヴァルハイルの未来の為、彼は横の今も不満そうな女を連れて人気が少なくなっていく城への道を進み続け。

 

 兵達すらいない城の扉の鋼鉄製の大門を脚で蹴り破って、適当に入場。

 

 呆れた様子のモルニアに溜息を吐かれつつ、王城の謁見の間に入り込んだ。

 

 全てが黒で塗り潰された遠近感の狂う室内は広く。

 

 そこには王が仕方なさそうな顔で玉座に肘を着いて、拳で顎を支えて、男をジト目で見ていた。

 

「白鱗の息子か。もう親への反発は良いのか?」

 

「おう。ヘクトラス。アンタに会うのはこれで三度目だな」

 

「だから?」

 

「アンタともあろう存在が巡回者一人にご執心なのはどうしてかと思ったから、此処に来た。アンタに二度以上も会えるのは種族連合の会議くらいなもんだろうな」

 

「フン。それで? 用件は?」

 

「アンタがオレに用件があるはずなんだがな?」

 

「シラード・バルタザル。ウチの巡回者殿を返して貰おう」

 

「値段付けさせて貰っていいっすか~」

 

 ニィッとシラードと呼ばれた白い青年が笑みを浮かべる。

 

「吹っ掛けられると断らざるを得ないとだけ言っておく」

 

「オイオイ。肝っ玉が小さいな。アンタ王様だろ? 自分の部下にくらい、国一つくらいなら買ってやるよみたいな事言えないの?」

 

「生憎と我が国はこの通りだ。今や国民は皆ニアステラとフェクラールにいる」

 

「はは、御託はいいんだよ。どの道、アンタはこれを呑まざるを得ない。このアンタの巡回者殿は口こそ割らなかったが、本当に重要な情報は持ってた様子だ」

 

「フン……」

 

「アンタの瞳に見える聖域周辺の詳細な地図の補正情報。喉から手が出る程に欲しい現地の詳細な現状の数々。今、ニアステラが攻めるとすれば、それは聖域だ。遠征で欲しいよなぁ?」

 

「……国土、領土、国民、人材、それ以外なら大抵はどうにかしよう」

 

「ははは、大変よろしい。じゃあ、賠償額を今の半分にしろ。それが条件だ」

 

「まだ決まってすらいないが?」

 

「有情だろ? 決まる前に決めさせてやるなんて」

 

 青年の笑みにモルニアを見たヘクトラスだったが、巡回者が死にそうな青い顔で俯いているものだから、仕方なくサラサラ虚空に魔力で文字列を書く。

 

「分かった。生憎と時間が無いのでな。賠償額の半分を我が邦で背負おう。ニアステラとフェクラール内にいる兵役に付かない国民の大半から特別税を徴収する権利を今からニアステラに要求する。賠償額その総額に対して管理者としてヴァルハイルが暴発せぬよう肩代わりし、恩を売るという体裁でいいな? 後、恩自体は売られておけ。この業突く張りの亜神め……」

 

「ヘクトラス様!?」

 

 思わずモルニアが顔を上げた。

 

「良いのだ。今、お前の情報が必要だ。どの道、コイツ相手に腹芸なんて面倒な事に余力を割いている時間は無い。外界からの来訪者が遂に到達しようとしている。その数は不明……島そのものが無くなる瀬戸際だ」

 

「う、うぅぅ……申し訳、ありません……」

 

 言っている傍から通信用の呪紋を脳裏で展開した男がいつもは一方的に掛けてくる少年へと諸々を素直に話して事情を説明する。

 

「………話は付いた。まぁ、オクロシアの民からすれば、どうしてという疑問は拭えんだろうが、全体的には寛大なオクロシアにヴァルハイルは借りがあるという体で話を勧めよう」

 

「ご苦労さん。じゃ、オレはこれで……あ、此処で開放するから、それじゃ」

 

 シラードが用事が終わったとばかりにモルニアを置いて城から去っていく。

 

「何と申し開きすれば良いのか。我が王よ……」

 

「お前の罪悪感を聞いてやりたいところだが、今はそんな状況ではない。王群の暴走が始まっている。何とかヴァルハイルの皇太子とニアステラの英雄の力で無限の戦力は食い潰したが、控えている王の群れの大半は健在だ。次なる一手を打たれる前に聖域周辺をどうにか掃除せねば、我らに未来は無い」

 

「お命じ下さい!! この身に代えましても、必ず聖域を案内してみせます!!」

 

「情報を全て書き出した後、お前にはニアステラの遠征隊への随伴を認める。死んでも聖域までの道を拓け。それがオクロシアの民にとっても、この島の全ての者達にとっても必要だ」

 

「はい!!」

 

「まったく、もう少しあれば、あの男を始末する手札は出来ていたが、それも含めて見透かされているな……仕方ない。では、お前達もそろそろ本気で戦う出番が来たという事だな……」

 

 モルニアがハッと周囲を見やる。

 

 すると、其処には数名の黒征卿の鎧。

 

 首無しのデュラハン達が佇んでおり、その隊長格らしき首在りの呪霊が黒い巨大な人の腕を大量に束ねたようなモノに腰掛けていた。

 

「教会との最前線を経験し、ヴァルハイルの呪霊を打倒した貴様らならば、ニアステラの英雄の後背を護るに相応しい働きが出来るだろう」

 

 その一人と二匹がヘクトラスに視線を向ける。

 

「ヤツからの指令は届いているな? これから北部に侵入する全ての外界からの侵略者を狩れ。ニアステラやフェクラール程の防備が無い北部を護るのが貴様らの仕事だ」

 

 呪霊たる騎士と腕を束ねたらしき怪物はスゥッと虚空に溶けて消え、黒征卿のモルド達は次々に城の外へと消えていった。

 

「あ、あれは一帯……」

 

「ヤツの置き土産だ。今まではもしもの時にオクロシアを守護する為の戦力として色々と力を付けさせながら滞在させていたが、必要な力と練度に達したとかで今度は北部の守護者として投入される」

 

「あ、あれが、守護者……」

 

 モルニアの顔色が悪くなる。

 

「恐らく王群の無限の兵隊程度であれば、あいつら三体がいれば、他の戦力は要らぬな。だが、外界の本格侵攻の開始でそうも言っていられなくなったらしい。あちらはノクロシアと聖域外周踏破の為に強化した戦力を展開し、必要なお膳立てをようやく終える」

 

「遂に我が王が言われていた黄昏の時代が始まるのですか?」

 

「どうかな……逃げる選択肢は残しているが、黄昏とは少々異なる空気だ。もしかしたら、これは新たな時代に至る黎明なのかもしれん」

 

 六眼王は遥か先の聖域を見やる。

 

 無限にも思える蟲の王達の住処は今や犇めく有象無象と強大な個体達がゆっくりと動き出していた……この狂気の光景を見たならば、常人は実際正気が削れるだろう。

 

 あんなものに勝てるわけないと逃げ出すだろう。

 

 男も最初はそうしようかと思っていた。

 

 しかし、今やそれすらも上回るかもしれない者達が結集し、新たな時代へと向けて歩み出しているのを彼は知っている。

 

 彼はずっと見ていた。

 

 だからこそ、理解しか出来ない。

 

 その圧倒的なまでの周到さが発揮された時、真に絶望は屈するのだ。

 

 たった一人の少年の前に……それは正しく奇跡ではない。

 

 そう……奇跡ではなく人智を超えた合理の極みに違いなく。

 

(さて、あの蜘蛛共の見えない部分を見ておくとしようか。外界から直接船で乗り入れる者以外がこの島に来ないとも限らない……)

 

 こうして北部は速やかに状況を固められていくのだった。

 

 *

 

 神代の時代から魔力というものを用いて使う技能や技術は幾多もあった。

 

 魔力そのものも実際には大量に“魔力と定義されるもの”が存在した。

 

 しかし、事実上の魔力の利用は一つの定理に阻まれる。

 

『こちらエリア管制。第五一陸戦隊の準備状況を送れ』

 

『こちら第五十一陸戦隊。全ゴーレムの出撃準備良し』

 

 無から有は生まれない。

 

 故に誰もが魔力を用いる技能で何もないところから何かを出す事は出来ない。

 

 本来、魔力は定理、法則と言った世界を構成する物理的な因果に縛られておらず、大抵の場合は“物理量に転化可能な性質”を持っているが、それを魔力と定義していた多くの技能と技術は神世の時代から時が進むに連れて淘汰、収束、統合の果てに幾つかの系統のみが残った。

 

『こちらエリア管制。第二魔術大隊の準備状況を送れ』

 

『こちら第二魔術大隊。魔力炉の炉心安定。いつでも出撃可能です』

 

『了解。揚陸挺への乗船を開始せよ』

 

 一見して、何もないところから無限に力を引き出しているような【魔力定義物理量】というのも実際には定理に干渉している主体としての認識……つまり、知性が物理的に干渉している事が知られるようになる。

 

 その後、多くの技能と技術は人の経験智から得られる定理の探求を行う学問。

 

 科学によって代替されていき。

 

 最終的には物理量に定義される四つの力とその変形が世界の構成物質と状態を決定付けていると神の時代が終わった頃には理解されていた。

 

『こちらエリア管制。全部隊に通達。強襲偵察隊の発艦に伴い。全艦戦闘態勢へと入る。全部隊、所定位置に付かれたし。全艦戦闘態勢に入る。これより―――』

 

 しかし、此処で明らかに人が発現させる魔力の何割かがこのどれでもない事もある、と知った多くの技能者達は定理、法則に干渉する物理量……干渉力が人間にある事を発見する。

 

 知性が無い存在にも魔力と定義出来る力は宿っていたが、明らかに特異な無から有を生み出しているように一見して観測される魔力は明らかに普遍的な魔力定義物理量から逸脱した出力や干渉可能な物理法則の範囲が広がった事でその探求はずっと進められてきた。

 

『艦長。全部隊の所定配置完了致しました』

 

『よろしい。強襲偵察隊の発艦作業を伝達』

 

『はッ!! 強襲偵察隊発艦準備に掛かれ!!』

 

 特に最も弱き種。

 

 人とそれに類する亜人。

 

 彼らが探求した魔力の根幹は知性が世界に自然と干渉する物理事象を引き起こしている事を実際に観測し、その極々僅かな脳から発される物理干渉が未到達にして未発見の次元に新たな軸を持つ法則干渉の根幹を担う事が発覚。

 

 この解明の為に多くの者達が世界を揺るがすような研究結果を実生活に持ち込める現象として道具に落とし込んだ結果。

 

 彼らは破滅してしまった。

 

 そう……多くの現代の歴史家の一部は知っている。

 

【ノクロシア】

 

 神代の時代に現れた旧き者達の末裔。

 

 その都市の伝説は最後の旧き者達の退場で幕を下ろす。

 

 しかし、その内実の一端が実際には魔力の探求の果てに技能者達が破滅を招いたのだという事を知者達の一部は口伝や伝説として語り継いだ。

 

『ひゅー♪ コイツぁご機嫌だな。1発30億の化学弾頭が12発のクラスターだぁ?』

 

『はははは、これ一つで大国の半分は汚染出来るじゃねぇかよ!! 神経破壊して秒で死ぬなら苦しむのは一瞬だな』

 

『道理で連中がオレらに中身を教えたくねぇはずだわ。燃料タンクがやたらでけぇと思ったら、コレだよ……はぁ、やれやれだぜ』

 

『口を慎め。任務に戻るぞ。ゴミ共』

 

『はいはい。隊長さんはお優しいこって。これも勝手に外しちゃってまぁ……あの映像見てもまだ人道主義は止めねぇんですかい?』

 

『貴様の機体を真っ先に海に沈めてから発艦してもいいのだぞ?』

 

『おぉ~こえ~こえ~オレらなんぞ、単なるドローンと変わらんくらいにしか思ってない連中もいるってのに仲間に厳しい隊長さんだな♪』

 

『その口に鉛玉を詰め込まれる前に機体へ戻れ。これ以上は命令違反と見なす』

 

『はーい。もどりまーす♪ これで大陸一つを1000年人が住めない土地にしてきまーす。あははははっ!!?』

 

『これだから低ランカー共は嫌なんだ……』

 

 それは幾多の言語で幾多の大陸で幾多語り継がれ、人々は魔力の探求を恐れ……その多くが禁忌もしくは平和利用へと傾いていった。

 

 結果として力を人が貪欲に求めるようになっても、その方向性自体は左程変わらなかった。

 

 探求者達の多くは今や科学者と名乗り、伝説のノクロシアが消え去った後。

 

 彼らは未だ全容が解明されていない惑星の上にある無数の大陸の事を外界、外大陸と呼んで、発展した文明を築いて尚、先達のノクロシアのように破滅しないようゆっくりと解き明かしていった。

 

『こちら、特別強襲偵察隊イレギュラー1……機体トラブルは解決した。これより発艦作業に入る』

 

『何をしている狗共!!? 持ち場へ戻らんかぁ!!』

 

『は、申し訳ありません。中佐殿……直ちに甲板へ上がります』

 

『チッ、機体に余計な事はしておらんだろうなぁ?』

 

『問題は解決しました。予定距離に対して2倍の航続距離は問題無く飛べます』

 

 こうして彼ら多くの大陸は自己を破滅させる力を制御可能な形で道具に落とし込むという偉業を成し遂げた。

 

 誰もが常識的に知っているだろう魔力を動力源とする“根源的な利用に到達しない力”が機械による魔力制御という形で花開いた。

 

 知性が発生させる不安定な魔力ではなく。

 

 普遍的に存在する魔力を用いた機械による動力源は無限の稼働を約束した。

 

 世界から魔力が枯渇したという話も聞かない昨今。

 

 多くの大陸で【魔力炉】なる魔力を燃料にする動力炉がまるで最初から決められていたかのように発明され、文明の発展に拍車を掛け続けている。

 

 この数十年で明らかに数世代は進歩した文明を自称して人々は先進文明、先進大陸と呼称し、これを知っている大陸の多くは技術の導入と独自開発に追われ、時代は発展の為に加速したとされる程に日進月歩を記録する。

 

 巨大な高層建築の摩天楼。

 

 科学の精粋を集めて創造された兵器体系。

 

 人の身でありながら、空を飛ぶ機械の速度は常識的な生物を遥かに超える。

 

『……統合第一揚陸戦隊管制より各員へ。これよりオペレーション・ペネトレイターを発動する。神々の力により、我らの進路上には如何なる自然障害も発生しないと確約されている。ただし、ソレは自然の外的要因が無いという事でしかなく。明確な迎撃は在り得るものだ』

 

 洋上に集った5つの空母型艦艇には現在、そんな精粋であろう複数の機影が佇んでいた。

 

 ゴーレムが凡そ50機前後。

 

 その背後には巨大な燃料タンクと姿勢制御用のバーニア。

 

 更には荷重限界まで積まれた大量の“怪しい弾頭”を積んだ誘導弾がクラスター可されていた。

 

 そんなのが型押しのように同じ状況で合計5隻の母艦の上にいるのだ。

 

 ただし、船団を形成する最前の一隻には数機だけ毛色が違う機影が混ざっている。

 

 多くのゴーレムが大量の弾頭を積んでいるのに対し、その数機は背後に巨大なバック・パックらしき箱を複数積み込み。

 

 その背後には更に巨大な燃料タンクとクラスター可されたバーニアが多重に詰まれていた。

 

『こちらエリア管制。特別強襲偵察隊は直ちに発艦せよ。企業の走狗程度が我ら正規軍の露払いが出来るのだ。精々、その金額に見合う仕事をする事だ。行け!!』

 

 数機のゴーレムは背後の灰色の保護色を持つ機体とは違い。

 

 夫々が特徴的な部位や構造を持つモノばかりだ。

 

 機影の装甲が極端に薄いモノ。

 

 脚部が無限軌道なモノ。

 

 背部から巨大な翼や甲冑のような装甲を持つモノ。

 

 大量の火砲らしきものを両腕に付けたモノ。

 

 明らかに電子戦用らしきレドームを付けたモノ。

 

 巨大な箱のような片腕を持つモノ。

 

 色物にしか見えないソレらが背部のバーニアというよりはブースターと呼ぶべきだろう燃料タンク後方から噴き出す機械の雄叫びを響かせ、瞬時に音速を突破して斜め上方へと加速して消えていく。

 

 十分に離れていたゴーレム達が僅かに煤けていた。

 

『……アレがイレギュラーか』

 

『正確には違うらしい。が、それに近しいと言われているだけで十分な脅威だ。連中のせいで大陸が一つ命無き大地と化した。神々の戦争まで起こった……もはや、人智を超えた連中だ』

 

 それを見ていた甲板の整備員達が遥か昇っていく炎の航跡を空に見やる。

 

 彼ら不浄の大陸を焼き尽くすべく集った勇士達は出航し、その海域に到達するまでに見た巨大な光を忘れていない。

 

 遥か北方へと向けて放たれた破滅の光が何を齎したのか?

 

 先進文明を気取る多くの大陸では今や呪のように話題となっている。

 

 曰く、世界を焼く光。

 

 あれこそが世界を破滅させる力だと。

 

 その観測史上最大にして最強の物理事象が引き起こした電波障害が多くの大陸で機械に狂いを生じさせ、二次災害で多数の混乱と事故を発生させ、重軽傷者が多数出ていると艦隊の者達には知らされていた。

 

 故に彼らはまだ甘かったと言える。

 

 本当に世界が破滅するならば、その程度で済むわけがないという事実を彼らが知る由も無いとして、それでもやはりその力はあまりにも非力に違いなかった。

 

 偵察隊の発艦から凡そ43秒後。

 

 彼らは艦隊が何か大きな蟲の脚……凡そ直径8.4kmの振り下ろされた何かによって海域の生物達と共に海の藻屑と化したからだ。

 

 その巨大な水柱が何によって上がったのか被害者達は誰も知らず。

 

 しかし、それを水晶で見ていた少女が一人。

 

 寝台の上で頬杖を付いて溜息を吐いた。

 

「外界の者達も諦めが悪い……そして、方角まで悪い……まったく、何処の誰が悪戯したものか。これがニアステラやフェクラールへの進路であったならば、放置していたのですが」

 

「猊下……先遣隊からのご報告が上がってきました」

 

「よろしい。全てよしなに……それと……」

 

「はい。ご報告申し上げます。紅のサヴァン以下、死んだ者達の遺体の収容は出来ませんでした。ただ、幾つかの神の気配が死亡地点らしき場所には残留しており、解析を進めると枢機卿の方々から……それと“円卓”の方々が“鳥”を撃ち落とした後に墓でも立てたらどうかと言われており……」

 

「好きにさせなさい。彼らも弔いの気持ちが残っているようで何よりです」

 

 声の主が下がっていく。

 

 小さな大理石製の室内。

 

 天蓋付きの寝台の上で寝そべって水晶を見ていた少女がまた溜息を一つ。

 

「我が主神よ。貴方の望み通り、最後の舞台は整えましたよ。円卓を使い潰しても構わないなら、恐らく救世神にも対抗可能でしょう。どうします?」

 

 水晶玉に尋ねる少女の声。

 

 しかし、水晶玉は何も喋らず。

 

「……わざわざご自分で潰したのに残りものは放置? あの時の傷がようやく癒えたというのに貴方はまだ惰眠を貪るおつもりですか……いい加減、この繰り返しにも飽き飽きしているのですがね……我が半身がどれだけ頑張っているか少しは知って欲しいところです」

 

 コロコロと指で水晶玉を寝台の上で転がしながら、フカフカのシーツに顔を埋めた少女は自らの神が未だ動かないのを悟って、小さくまた溜息を吐く。

 

「仕方ありませんね。“聖杯”には上を通過させるように言っておきます。わざわざ迎撃態勢を取らせたのが無駄になりました。では、少し消えている事にしましょうか。これもまた貴方の思し召しなのでしょうから……」

 

 少女がパチンと指を弾く。

 

 その時、島が見える海域へと到達していた2300隻の木造船の船団は一瞬にして海域から姿を消したのだった。

 

 同時にまた強行偵察隊は何もない海の上を通過し、巨大な破壊痕に塗れる島の東部バラジモールに到達。

 

 巨大な生きた山や無人の荒野。

 

 怖ろしい魔力の残留する場所や無限に湧く霧に煙る沼地。

 

 そのような場所を上空から視認し、背後の燃料タンクが空になると同時に投棄。

 

 巨大な背負った四角い箱。

 

 ビーコンを中央の沼地と荒野の境目辺りに投下して、島を横断するべく。

 

 そのまま聖域方面へ岩壁を超えて慣性で飛行し続ける。

 

 到達地点が何処になるのか?

 

 それは分からずとも一つだけは確かだった。

 

 今、島に到達する為の楔が撃ち込まれ、外界からの道が開けた。

 

 道導は誘蛾灯のように外界からの来訪者を引き寄せるに違いない。

 

 勿論、無礼にも聖域周辺の空を飛んだ彼らに待ち受けるのは……悪夢であった。

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