人と、夢と。心とか。
全部、思い通りになればいいのにな。
*
聖園ミカは浅愚であった。
もう少し言うと、賢しくある必要がなかった。
解語の花とでも形容すべき佳人然とした容姿に才覚、聖書に擬えて言うところの“好き隣人”に恵まれ、それを享受するのみで満帆に歩んできた。
その事実を疑ることもなかった。拘っている時間は無かったのだ。
彼女のまるで思考を介さない軽薄な挙動は、それが日常に起こり得る、特段に意味のない物にばかり向けられていたので、それを面罵する人間は居なかった。
部下からすれば神輿は軽い方が都合が良いし。
同輩はそれを愛嬌だと捉えていた。
まさか、指導者の行うべき精神矯正を怠ったなどと、彼女らを糾弾する謂れもあるまい。
なので、彼女の素養はあれど単調な頭脳は、彼女の愚挙を誹る唯一の人間を、敵と見た。
実際のところ、大義的な思想や理念が、僅か一厘でも深層心理に内在していて、真に彼女の情動を突き動かしたかと言われれば、否である。
ただ何となく、鬱陶しいから。
到底、曲がりなりにも肩を並べる友人に対し襲撃を画策する動機にはならない。しかしそれは常識の話である。キヴォトスの───取り分け、自他に認識されるほどにも陰湿な権謀と悪意の跳梁跋扈するトリニティという環境は、彼女に……或いは彼女らに、可憐の一少女である事を許さなかった。「とでも言ってさ。幾らでも他人のせいに出来るんだろうけれど」
彼女───聖園ミカ。は、謹慎中である。
「それが、取り返しのつかない悪徳だってことくらい、分かるもん」
ので、少しだけ、メランコリックな気分だった。
「……なら、今の君の───言葉を借りるなら“愚挙”は、どういう括りのものなんだい」
「さあ……。教えてよ、セイアちゃん」
「君はつくづく、情の激しい子だ。悪い方にね。深慮───深く考えるというのは、向いていないと思うよ」
「何が、言いたいの」
「若しくは、私が半死の憂き目に遭う前の」
「やめて」
「───済まなかった。……ただ、不安を打ち明けるのが気恥ずかしくて押し倒してきた君に、多大な非があることは弁えてほしい」
「そうやって意地悪ばっかり」
「君の短気。最近は案外可愛いなって思わなくもないよ」
例えば感情に正当か否かの基準があるとして、これは全然、正しくない。負い目と、呵責と、後は……一種の、バイアスとか。そういう、全く色めき立つ要素の無いような、暗く鈍色の発色が、その澱のような感情が、端緒であったことは間違いない。
以前以後で分けられる事象の前、聖園ミカにとって百合園セイアは明確に嫌厭を抱く対象だったし、熱りの最中、心の奥の奥で、彼女に一連の責任を押し付けようとした浅ましさも、自覚するところである。
けれど、それでも。
落ちた恋に、嘘を吐きたくは無かった。
そうだ。私は殺そうとした、死にそうだった女の子を愛した。
私のせいで、死の怯懦に喘いだ子の、一人しか居ない大切になりたいと願っている。
呪っている。
自分の、稚拙で、傲慢な心を。
魔女だなんだと謗られることを、その実、疎ましく思っているのに。今の私は、その面罵を否定出来るだけの自信が無い。
この子の錦糸のような髪を梳く。私の手は震えていた。
彼女が私の手を己の頬に充てがった。喉が鳴った。
耳を突つけば跳ねる彼女に、胸の高鳴りは止まない。
あの日の悪夢で魘されると、彼女は私を部屋に呼んだ。
私だけを。呼ぶのだ。
狂いそうだった。
何故か。明瞭な答えは未だ分からない。
外野が彼女に対して、正気を疑ったとして、私は否定できるだろうか。
彼女の心は、私と通じている。臆面も無く、その面貌を朱に染めて。
なのに。にも関わらず。それだと言うのに。
私は私の……私と彼女の、恋を呪っている。
震える手を憎らしく思った。
下劣な獣欲を怨んだ。
恋人の風情で戯れることを悔いている。
そして無恥にも抱く優越感に、怒りさえ抱いた。
彼女は、その来歴から想像だにしないほど、真摯に私と向き合うのに、その事実を認めれば認めるだけ、私の首は重くなった。
私は、贖いを嘯いて、慕情を通わせた子にすら迷っている。
せめて。
ああ、せめて。
この心さえ、真に厚顔無恥の愚物であれば。
私は、ちゃんと、僅か毛先ほどの不義にも気づかず、彼女を抱きしめることが出来たのに。
「心が、思い通りになれば良かったのにな」
「ん?なんのことだい」
「───ほら。私、魔女って呼ばれてるからさ。もし、……もし、そうならさ。嫌がらせしてくる子も、皆の私を憎む心も、私の素敵な夢だって、全部、素敵な魔法で思い通りにできるじゃん☆」
「……ミカ?次にくだらない事を言えば相応の態度を取るよ」
「アハッ。傲慢かな、そんな事ないよね。私はお姫様だもん。全部好きにしていいの。好きにすればいいの。誰も咎めない。逆らわない。意味なんて無いから。全部全部全部、私の思い通りになるべきなの」
「ミカ」
「あれ。でも、そうしたら。魔女じゃないよ?魔女じゃなきゃ魔法が使えないじゃん。なんで。使えないと、私また、セイアちゃんを可哀想に思っちゃうよ。やだ、やだ。やだよ。そんなの。でもお姫様だから、思い通りにしたいのに、私はお姫様じゃないと、誰も救けてくれないよ。どうしよう。私、なんで生────ぅんっ⁈」
相応の態度。
恋人の。
或いは、恋情の。
「ね。ミカ、君はもしかして、後ろめたく思っているのかい?」
「なんっ、え……今の、」
「ミカ。私は聞いたよ」
「え、……と。うん」
「ははぁ。それで、そんな風に思うなら、私には相応しくないとか、ナーバスな考えをしたワケだ」
「だって。────違うの?」
「なら私は、錯乱して妄言を吐いて、君を死地に追いやった罪人ということになるが」
「……っなんてこと「違うのか」」
「違うよっ!全然ちがうッ、私のせいでおかしくなって、今だってセイアちゃんは苦しんでるじゃん!だから、私は」
「君は苦しむべきだ」
「……え?」
布団の裾を握りしめ、項垂れながらも絶え絶えに反論すれば、下を向いた視界の中に、金の、月明かりを綺麗に照り返す髪が写り込んだ。
そして、彼女は、セイアちゃんは、私の頭を左右から鷲掴みにして、私の耳元へその桃唇を近づけた。
混乱し、息すら止まりそうな私と、底知れない雰囲気で私を眺めているのであろう彼女との、二人だけの空間に、彼女の静かな息遣いだけが響く。
「君のそれは、なんらの不正でもないよ。私は死に掛けた。殺されかけたんだ。君の放った尖兵に。当然、君は苛まれるべきだ。その後悔に。そして、そんな相手に堕とされた、自分のちっぽけな心に」
「セ、イアちゃ、ん?」
「私は恐ろしいよ。弾丸に抉られる肉に、裂けた皮膚の痛み。内臓の焼けるような苦痛。思い返す度に、治った筈の身体が痛んでね。汗が滲むんだ」
「私は君を愛してる。過ちと、罪と。全てに一から向き合う君は、とても格好いいんだ。けれど、それと同じくらいには、憎んでいる。私の人生に、癒えぬ暗がりを齎したことを」
「じゃ、じゃあ」
「私はね。これで今怒っているんだ。無駄口を叩かないでほしいな」
「っ……」
耳に、コツコツとした硬質の感触と、艶かしく粘つく何かが触れる。
「私は、愛と、哀と。全部、情動を君に注いでいるのに。君は私は愛するのに、憎まない。その寂しげな悪い感情は、まるで己にばかり構っている。狡いよ。狡いさ。ふざけないでくれ、君はその負い目とやらにかまけて、心の一つすらくれないのか」
次いで、悩ましげにため息を吐きながら、私の額に擦り合わせるように、彼女はその額を触れさせた。
もはや私は、沸騰して霧散してしまいそうなほど、頭がメチャクチャに昂っている。
「憎んで、ミカ。恨んで。君の心がぐちゃぐちゃになった原因は、今、君の心すら欲張りにも奪ったよ。なんてことをするんだろう。非道いね。あんまりだ。君は死んじゃいそうなくらい悔やんだのに。まだまだ、一生、私が君の手を離さない限り、苦しむよ。───違うな。苦しめるんだ、私が」
「ハァ、ハッ……セイアちゃん、もう」
彼女が名残惜しそうに額を離し、その両手を弛緩させたのと同時に、私はがばっと彼女を見上げた。
煌めいていた。
美しい、美しい目が。
怪しげに。妖しげに。
その瞳は
「まだまだいっぱい。
月夜に在って、何よりも眩めいていた。
つよつよデコっぱちフォックス