ブルーアーカイブの百合の短短編   作:しゃけむすび

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カヨアコ1

 

 天雨アコ。

 言わずと知れた、ゲヘナ高等学校風気委員会───の、行政官。

 

 確か……そう、確か。彼女の隣には誰かがいた事がある。それは、相棒という意味なのか、恋人か、若しくはそれよりも浅く、友人や知人の仲だったのかも。

 ただ一つ、確と断言できるのは。

 彼女の隣には、今は誰もいないこと。

 前には音に聞こえる風紀委員長。

 後ろにはそれに追従する仲間たち。

 けれど隣には。あるいはその掌の内には、誰の姿も、温もりもありはしない。

 ただただ、誰かの引く手を求め、彷徨う指のあるのみである。

 

 *

 

 ある日。歩く度にガタピシと軋むボロのテナントでのことである。そこは最近、ゲヘナで悪名を馳せたある集団が塒を拵えたばかりであった。

 

「あら。カヨコ、そんな傷どこで作ってきたのよ」

「ん?あぁ、背中のやつ?」

「そうそう。……あれ、瘡蓋ってワケじゃないのね。元からあったのかしら。……もう二時も半ばじゃない。忙しないわ」

 

 傷───痕だった。弾痕や、刀疵ではない。そこまで物々しくはない。どちらかと言えば、近いのは擦り傷や紙による切り傷の方だ。大それたこともなく、指摘されなければ気づくこともないだろうと言える程度の。

 

 その程度の瑕。

 

「あー……。これね。昔ちょっとね。手癖の悪い犬ころにやられたの。なんか痕になってる」

「へぇ!ワンちゃんなんて飼ってたの。犬種は?ポメラニアン?」

 

 カヨコは大層な仕事着を幾つか取り出しては眺め、そしてやがて部屋着と呼んで差し支えない服を着ると、どかっとソファに腰を放った。

 

「はは。そこはハードボイルドにドーベルマンとかじゃないの」

「えっ。ま、まぁ……当たり前じゃない!今のはカヨコが好きそうなのを言ってみただけよ!っと、あれ。別口の口座に入金があるわ。何かしら」

「───まぁ、キャンキャン吠えるタイプではあったかな。……喜ばないんだ」

「いや、出所が不透明な内は迂闊に処理できない案件みたいなものだし。ワンちゃん、強ち間違いでも無かったのね。今はその子、どうしてるの?」

 

 言われてみればそうである。用途も意図も不明の、気味の悪い金。考え無しに手をつければ、死の危険も香しい。そこら辺の嗅覚は、伊達にゲヘナでアウトローの名を通してはいないと言うべきだろう。

 

「捨てた」

「……?」

「うざくてさ。捨てちゃった」

「───そ。あの二人、そろそろ帰って来そうね。その前に悪いんだけど、次の案件の見積もり書類がまだ荷解きできてないのよ。倉庫に段ボールがあるから今月分の写しと持ってきてくれないかしら」

「はいよ。……ありがと」

「?。何のことよ」

 

 そういうとこ。と、心の中で褒舌とも面罵とも似つかない言葉が巡った。

 今のは完全に私の落ち度だ。もう少し言い方があっただろうに。

 

「……はぁ」

 

 背中に出来た小さな傷跡。

 

 その傷を振り返って思い出すのは、思い起こされるのは────やはりあの言葉、なのだろう。

 

『もう、大丈夫ですから』

 

 もうちゃんと。好きじゃありませんから。

 

 *

 

 似合うのは雨だろう。こういうシチュエーションは。

 

 と、思いはしたが口に出さない思慮が、天雨アコにもあった。目先───でらでらと下品なネオンの光を放つ街道の、その脇の細道。に、一人の少女が座り込んでいた。

 夜分、月の上弦であることが一目にして分かるほど澄んだ空の下、彼女はその月明かりと喧騒から目を背けるような佇まいでそこに居た。

 淀んだ目を隠そうともせず、触れれば悪害を働くと言わんばかりに剣呑な雰囲気を纏っている。

 

 その少女に気がついたのは、普段、アコがそういう人間を気にかけていた節があったのと、一つ。

 

 燻る紫煙が、どこか好ましい匂いだったためでもある。

 

 而して天雨アコには、その少女がひどく朧げな存在に思えた。

 繋ぎ止めなければ、手を差し伸べなくては、今にも崩れてしまうのだろうと思った。

 

「……何してんの?お前」

 

 口では今にもその拳を振り抜くような風情で言ってみたものの、この時、鬼方カヨコはその言葉のそのもの以上に当惑していた。

 

 拭かれている。泥と血を。

 

「───あなた、名前は?私は風紀委員会の天雨アコです」

「じゃあ死ねよ」

 

 言うが早いか、カヨコは懐に忍ばせていた石で、アコの顳顬を殴りつけた。突飛と言えば突飛で、当然と言えば当然である。この場合、不躾なのはアコの方なのだ。わざわざカヨコは、発信していたではないか。その双眸で、纏う雰囲気で。

 

 ───触るべからず。そう言外のメッセージを込めていた。

 

「誰かの気遣いを無下にする理由は無いけど、風紀委員会に大人しく恵まれてやる理由はもっと無ぇよ」

「───前口上の問題であれば、訂正します」

 

 「あ?」とまるで芯から冷え込むような低音で、カヨコが言葉を返した。それはまるで、堪え性の無い赤子を嗜めるような、聞かん坊に言って聞かせるような声音だったのだ。舐められている、と思った。

 

 ぱた。ぽた。

 

 違う。舐めたのは私の方だ。

 何故……なんでこいつ

 

「逸らさないんだね。───眼」

「人として。今の貴方を放っておけません」

 

 風気委員会である前に。

 

「……そう」

「何年生ですか?近場に住居があるのなら送ります」

「一年生。……家は、まぁ、無い。根無草だよ」

 

 

 と、答えたのが誤りであったと鬼方カヨコが後悔するのは、その問答の少しだけあと、引きずられるようにしてアコの自宅へ連れ込まれてからである。

 

「深くは聞きません。これだけ教えてください。頼る大人、或いは知人か友人はいますか?」

「頭使えば?居たらあんたみたいのに出会してないでしょ」

「失言でした。傷を見せてください、それと着替え……まぁ、多少大きいですが、その汚らしいので彷徨かれるのは困ります。着替えなさい」

「テメーが連れて「着替えなさい」……畜牛女」

「なっ」

 

 沸騰したやかんのようになったアコを側目にして、いそいそとカヨコは着替え始めた。

 柔軟剤だろうか。その嗅ぎ慣れない芳香は、なるほど一般的には好かれるものなのだろうけれど、カヨコの好む匂いでは無かった。

 そして、そんな雑多な思考と同時に、一抹の憂いをカヨコはアコに対して抱いていた。

 

「あんたさ、これと似たようなこと何回やったことあんの」

「……?。別に、そこまで多くはないですが」

 

 鼻でせせら笑いながら、カヨコは二の句を告ぐ。

 

「バカだなぁ。浅すぎなんだよ、あんた」

「続けてください」

「宿貸して、飯やって、戸籍も無いならくれてやろう、居場所が無いなら作ってやろう。透けて見えるよ、現にあんたの仲立ちで風紀委員になったやつ居たりするだろ」

 

 この場合のこの雰囲気での無言は、即ち肯定の意味があった。

 

「世の中の大半は知恵をつけても賢しくなれないような馬鹿なんだ。そんで、知恵をつけることも無い馬鹿は、てめえの飯も食いっぱぐれる」

「私の出会った方たちが、そうであったと?」

「あんたがしたのは善行じゃない。真逆だ、真逆。悪行だよ。いい?ゲヘナといえども最下層のゴミは他のゴミとつるむ。もちろん中層なら似たような連中と、上辺のヤツらは何もしないでも人が寄る」

 

 アコは何も言わなかった。彼女が何を言おうとしているか察したからだ。そして、あんまりにも悲しそうな顔をしていたからだ。

 

「逆も然り。ゴミでも普通でも、溢れるヤツは溢れるんだ。そういうヤツはまず上辺にはなれない。仮にそういう連中を一纏めの集団にしても、出来上がるのはチームじゃない。当然だろ。歩み寄れる人間がいるところから弾かれるようなヤツが集まったって、何にも起きないよ」

 

 正しい、そう天雨アコは思った。

 自分がきっと知り得ることのない感情で、そして彼女はそれを体験したのだろうから、人から見てどうなのかとかではなく。そう生きてきたであろう彼女の言葉だから。

 

「そんな終わってるヤツを、寄りにもよって風紀委員?頭の病院言ってこいよ」

「……辛かったですか?弾かれたのは」

 

 聞くまでもないことである。そして、見透かした風なことを言われて、そこで初めて、カヨコは自分が思っている以上に熱くなっていたことを自覚した。

 

「……別に。むしろホッとしたよ。あんた、知ってる?自分だけが違うって気づいた時の、あの感覚。悪い方に、違うんだ。そんで、それが分かってて、そいつらと一緒に居なきゃいけない。世界で一人で居続けるような、自分以外の人間が丸っきり別の生き物みたいな感じだった」

 

 だから、一人で居られるのは安息だった。

 

「人がもっとも吐いてはいけない嘘を知っていますか」

「知らない。興味もない」

「自分につく嘘です」

 

 カヨコは反射的に顔を上げ、怒りのままに出ていこうとした。けれど、玄関へと続く廊下の、扉の前に、アコが立ち塞がった。

 

「何がしたいんだアンタ……。墓前に添える花でも言い遺しとく?」

「殺すも結構。私は後悔も恨みもしません」

 

 カヨコは立ち塞がったアコの下腹部に迷うことなく前蹴りを入れた。蹲る彼女の髪を掴み上げ、荒い呼吸を繰り返すアコに気炎を吐く。

 

「どこのどなた様なのさ。アンタの言い分だとアレか、誰かに迷惑かけながら関わり続けろって感じ?迷惑を掛けない人間はいないからみたいな」

 

 ぷっ。

 唾である。────心の底から失望したのだろう。曲がりなりにも気遣おうとした先の思考など霧散していたのだ。

 

「良いよね、助ける側だと。耳障りの良い言葉並べとけばまるで自分が神話の賢人みたいになったと思えるもんな」

「……────か、ら」

 

 ?。

 

「なんて?」

 

「あなたの心は、泣いていたから」

 

 ──────。

 

「………やめてよ」

「───っ、貴女が!自分を守らないのならっ、私が守ります!」

 

 言葉とは裏腹に、カヨコは今度、特段にアコを痛めつけるようなことはしなかった。その代わり、というワケでも無いけれど、圧倒されていた。

 

 その気迫に。

 

「他人がおそろしくて!人が離れていくことに怯えて!誰かに助けてほしくても声なんて出せなくてっ、その上差し伸べられた手には難癖をつけて踏み躙るような横暴でしか答えられない!────それが貴方です」

 

 再びの静止をしようとした喉は、視界と共に塞がった。抱きしめられているのだ。

 

「そして、っ……うっ、それが分かっ、ているから、……自分のことなんて愛せるワケなくて、自分を傷つけて、それを罰だと思い上がって、くるし……苦しんでる自分を眺めているだけの臆病者が、貴方なんです」

 

 カヨコにも無論、言い分はあったのだが、彼女の啜り泣く声と、深く絡みつく、離さないとでも言わんばかりに力のこもった腕のせいで、動くに動けなかった。

 

「私が、貴方の心を真に理解できる日は、きっと来ない。私の届かないような遠くに、貴方はいるから。……だからこそ、私は貴方が傷つき続けることに耐えられない。堪らなくもどかしくて、無駄なのかもしれないけど、眺めているなんて出来ない」

 

 ぎゅうっ、と。服越しに温かみを感じる。

 

「ただ会っただけの貴方に、こんな事を言う私を、きっと貴方は気味悪く思うのでしょうけど、────理由も無く他人のために頑張ってしまう人間がいます。心のどこかで笑われることをわかっていても、偉そうに恵んでしまう人間がいます」

 

 それが、私なんです

 普通が欠けた人間が、私と貴方なんです。

 

 何かを言おうと口をまごつかせ、恨めしげにアコを見上げ、言い淀み、苦悶の表情で噛み砕くように歯を軋らせて、そして凶猛な笑顔で、カヨコは口を開く。

 

「私がっ……」

「貴方が、変わることが出来たとしても、それで私をどうしようとも、抗弁をする事はありません」

 

「ですから、あなたの世界に、私の居場所をください」

 

 

 




一目惚れかぁ?
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