愛しい香り   作:プロッター

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第10話:逞しい貴女

「おばん~」

「んー……」

 

 例のごとく、朱那が勝手知ったる様子で部屋に上がり込んでくる。蒼音は生返事を返すだけだ。

 

「戦車道の本置かせて~。ついでに差し入れ持ってきたわよ〜」

「んー……」

 

 またしても戦車道関係の書籍が詰まった紙袋を、朱那が悪びれもせずに掲げる。差し入れが「ついで」扱いなあたり、彼女にとってどちらが重要なのかは明らかだ。

 とはいえ、戦車道の本は勉強になるし、差し入れも一人暮らしの学生的にはありがたいので、生返事でありがたく受け取ることにする。

 

「……あんたの本棚、こんな戦車道の本多かったっけ?」

「んー……」

 

 本棚を目にしたらしき朱那が、驚きの声を上げる。

 戦車道検定を受けるに当たりテキストを最初に買ったのだが、結局知識量が不安になって戦車道関係の本を色々買ってしまった。お陰で本棚はキャパオーバーしかけている。

 すると、紙袋と差し入れの入っているであろうビニール袋を床に置き、朱那が蒼音に近づいてきた。

 

「どうした、何かあった?」

「……別に」

「何かあった人の答え方よ、それ」

 

 朱那が冷静に返したので、蒼音は息を吐く。

 確かに、何かはあった。けれどそれが何なのかは言いたくない。姉弟でも家族でも話せないことなんて山ほどあるし、しかも今蒼音が考えていることは男として女の朱那には話したくなかった。

 黙秘権を行使する蒼音を見て、朱那は「ふーん」とだけ言って、机に広げられている戦車道検定のテキストを覗き見る。

 

「勉強どんな感じ?」

「……行き詰まりを感じてる」

「どれどれ~?」

 

 返事も聞かずに、机に広げていたテキストを朱那が拾い上げる。行き詰まっているのは確かだし、集中も途切れてきていた。オーケストラを聴いても、逆に無音にしても、アロマを焚いても全然なので、こうして朱那が介入してきてもさほど影響はない。

 

「あー、なるほどねえ。確かにちょっと難しいね、これ」

「うん。特に戦術論がさ……」

「まー、これ私からしても結構アレよ?」

 

 今までこのテキストを朱那に見せたことはなかったが、やはり長い経験を積んでいても難しいものは難しいらしい。

 

「じゃあオレンジペコさんに誘ってもらってよかったじゃない。これで少しでも勉強になればいいわね」

「……うん」

 

 にぱっと笑う朱那。

 聖グロリアーナと黒森峰の練習試合に誘われたことは、オレンジペコとは薄からぬ縁がある朱那にも話してある。

 練習試合は一般公開はされど、日程に関してはあまり大々的に告知されないため、よほど熱心に情報を集めていなければ難しいらしい。朱那も戦車道に関する情報には敏感だが、社会人なのもあってそう簡単には行けないとのことだ。しかしながら、今回蒼音から話したところ、オレンジペコとはかかわりがあったからか「有給取ってでも行くわ」と二つ返事で頷いていた。

 そして蒼音としても、勉強になるのと、戦車道の試合を生で見るのは初めてなため、楽しみでもあり良い機会だとも思っている。

 

「……んん」

 

 だが、そこまで考えたところで、気持ちが妙にふわふわしだす。それは決して、練習試合を見るのが楽しみだとか、そういう理由ではない。そしてその原因こそ、蒼音の勉強を邪魔する感情でもあった。

 

「……オレンジペコさんと何かあった?」

 

 戦車道履修生は、やはり人を見る目があるらしい。蒼音が何について悩み、考えているのかを、ピンポイントで当ててきた。昔から、姉に対して隠し事はできなかったなと蒼音は思いつつ、息を吐いて見上げる。

 

「まあ、ちょっとね」

「何、惚れでもしたの?」

「それはない、と思う」

 

 朱那の挙げた疑問を否定するが、完全に否定しきれていない。それだけで蒼音は優柔不断と自覚しているし、そんな答え方をした蒼音の真意を朱那も気づいたように笑っている。

 その通りで、今蒼音が本調子でないのは、主にオレンジペコのことについて考えることが多すぎたからだ。

 先日、オレンジペコの誘いで一緒に昼食を共にした際に、彼女が自分にとってどういう存在かを改めて考えることになった。ひょんなことで蒼音の好みのタイプをカミングアウトしてしまったが、そこで改めて、オレンジペコが蒼音の好みのタイプに合致していると気づいてしまったわけである。

 それまでは、蒼音もオレンジペコのことは尊敬の対象であり、応援する対象としても見ていた。それに、向こうの「繋がっていたい」という願いもあってメールや電話を重ね、友人のような関係を構築してきたと思う。

 では、蒼音自身はオレンジペコをどう思っているのか。

 まず第一に、尊敬はしている。最初にオレンジペコに話した通り、やはり戦車道という男の自分にはもちろん、女であったとしても自信と勇気がなくて実際にやることはなかっただろう。だからこそ、戦車道の世界に自ら進み、今なお挫けず戦う彼女を尊敬しているし、逞しいとも思っている。

 そしてほかにどんな感情を抱いているかを考えると、言葉に詰まる。先日見せた、オレンジペコの笑顔が頭にちらつき、顔の芯が熱くなる。

 好ましいと思っているのは確かだ。しかし、だからと言って朱那の言う通り「惚れている」とは言い切れない。

 そう、()()()()()()のだ。

 

「ま、惚れたんなら応援するわよ」

「だから惚れてないって」

 

 けらけら笑う朱那に対し、ムキにならない程度に言い返す。

 

「そもそも、大学生が高校生に恋するって少し問題じゃない?」

「いいんじゃないの? 学生同士なんだし、年齢差も4年なら許容範囲でしょ」

 

 仮に自分がオレンジペコに惚れているとして、すべてが上手く行って付き合えたとしても、蒼音はその点が引っ掛かっていた。

 最初から忘れていないが、自分たちはお互いに同じ「学生」であれど、年齢に差がある。しかも相手は、何かとデリケートな女子高生だ。何となく、喜び勇んでアタックすることを理性が抑止する。

 けれど、女性の朱那からすれば、年齢差はさして重要ではないらしい。あくまで朱那個人の感想でしかないので、参考程度に止めようと思う。

 

「私だって彼氏とは5歳差だし」

「ふーん……」

 

 テキストを朱那から返してもらった蒼音は、何かとても重要なことを耳にした気がして、そしてぎょっとする。

 

「……彼氏いたの?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いてない」

 

 しれっとしている朱那だが、そんな情報は口頭、電話、メール、メッセージアプリ、どの手段でも聞いた覚えはない。多分、この世に生を受けてからトップ5に入るレベルの驚きだ。

 

「誰と付き合ってんの……?」

「会社の先輩、私が告られたの」

「なんで?」

「……戦車に乗ってるのがカッコよかったって」

 

 意外と単純な理由だった。とはいえ、その名前も知らない朱那の彼氏は、きっと一目惚れみたいな感じだったのだろう。

 

「……なんで付き合おうと思ったの」

「まあ、その先輩のことは同じ部署だから知っていたのよ。私も結構分からないこととかあると聞いて世話になったりするし、その人がどういう人かもある程度知ってて……まあ、嫌いじゃなかったし」

 

 自分の髪を指先でいじる朱那。まさか、自分に対しぞんざいな扱いをする姉が、社会に出て恋をしていたとは予想できなかった。

 

「まあ……ひとまず付き合ってみて、ダメそうだったら別れようかな、的なノリで付き合い始めたの。そしてそれから、2年」

「2年!?」

「何よ? でもまあ、私も正直ここまで長続きするとは思ってなかったかな。ちょっとした口論はあるにはあったけど、最後には水に流しちゃえるし」

「ええ……?」

 

 オレンジペコのことで悶々と考えていた自分が、ちっぽけに思えてくる。そんな朱那の前であんな反応を見せたら、自分の気持ちを見透かされるのは時間の問題だっただろう。軽い自己嫌悪に陥りかけた。

 

「まあとにかく、歳の差についてはあまり考えないで、本当に好きなら好きって言った方がいいと私は思うわね」

「……」

「でないと、聖グロに入れるぐらいいいとこのお嬢様なんて引く手数多だろうし」

 

 もう反論ができない。しかも恐ろしい可能性まで示してくる。

 ただ、いまいち蒼音は自分が本当にオレンジペコに対して恋をしているのかは確証が持てなかった。何せこれまで生きてきても恋など知らないし、女性と接しても良くて友人どまり、友情を越えた感情で繋がる人は、本当にオレンジペコが初めてだから。

 一息ついて、思考を程よく切り上げる。

 

「……彼氏いるって、母さんに話したりした?」

「……機会を見て話そうかなと」

「早めに言った方がいいよ。すごく喜ぶだろうし」

 

 生意気、と軽く背中を蹴られた。

 本当、こんな姉にも彼氏ができているというのだから、世の中よく分からないものだ。

 けれど、朱那と話したことで少し気持ちは晴れた。

 何だかんだで、朱那も良い姉だと思う。絶対口にする気はないが。

 

◆ ◇ ◇ ◇

 

 聖グロリアーナ女学院と黒森峰女学園の練習試合は、県内にある演習場で行われることになった。山と林がメインの演習場で、観戦席は林から少し離れた場所に設けられている。

 蒼音と朱那は、電車とバスを乗り継いで試合開始の30分ほど前に到着した。今日は平日なのだが、それでもかなりの人が観に来ており、キッチンカーもそこそこ数がある。

 

「人多いね」

「四強校同士が練習試合だからじゃない?」

 

 辺りを見回しながら蒼音が言う。朱那によれば、高校戦車道の四強校は大学戦車道や社会人戦車道でも注目されているらしく、しかもその四校とも個性的な校風と面子なので、気になる人は多いのだそうだ。確かに蒼音から見ても、定年後と思しき男性や、どこかの学校の制服を着た女子高生、クマのぬいぐるみを抱えた少女など、老若男女問わず多くの人がいる。注目を集めているのは確かなようだ。

 

「あ、もう戦車は並んでいるのね」

 

 観戦席に移り、特設モニターが目の前に鎮座している。中央には待機状態の戦車たちの中継が、その両脇には今日の試合内容が流れていた。

 ルールはフラッグ戦、お互いの車両数は15両。黒森峰は複数種類の戦車を用意しているのに対し、聖グロリアーナは3種類だけだ。オレンジペコ曰く、聖グロリアーナはいずれセンチュリオンを導入するとのことだが、間に合わなかったらしい。

 待機中の戦車に意識を向ける。両チームとも戦車が整然と並んでおり、戦いの時を今か今かと待っているようだ。そして、お互いのチームのメンバーがそれぞれ戦車の最終調整を行っているのも映っている。

 

「……姉さんは、どっちが勝つと思う?」

 

 試合が始まりつつあるのを、生観戦特有の緊張感を肌で感じながら、尋ねてみる。朱那は少し考え込む仕草を取ってから、口を開いた。

 

「……黒森峰かしら。オレンジペコさんには申し訳ないけれど……」

 

 眉を下げて答える朱那。

 黒森峰は火力と装甲がいずれも優れており、隊長は西住流という由緒ある流派の後継者・西住まほ。厚い装甲と秀でた統率をもって前進し、敵を討つ彼女たちを「最強」と称する人も少なくない。現に、高校戦車道の全国大会で黒森峰は9連覇を成したこともある。

 一方の聖グロリアーナは、統率力なら負けていないし、機動力も黒森峰には若干優っている。ただし火力と装甲は若干劣っているため、そのあたりが不安だ。

 しかも黒森峰は、今年の全国大会準決勝で聖グロリアーナと対決し、そして勝利している。車両数はその準決勝と同じお互い15両。車両の内訳は若干違うらしいが、それでも前例というものはイメージを引きずりやすい。

 

「で、あんたはどっちだと思う?」

 

 同じ質問を朱那がしてくる。

 大型モニターに、聖グロリアーナ陣営の隊員たちが映った。

 その中には、オレンジペコの姿もある。隊長・ダージリンと参謀・アッサムのすぐ脇に控え、タブレットを見て何かを話し合っている。

 やはり試合の前だけあって、表情は真剣だ。以前会った時に見せた柔和な表情とは違う。蒼音に向けてくれた笑みも、今は鳴りを潜めていた。

 

「……俺は、聖グロリアーナに勝ってほしいな」

 

 ここにセンチュリオンがあれば、と思ったところで「もしも」の話には何の価値もない。

 冷静に考えてみれば、黒森峰に分があると思ってしまうだろう。蒼音の冷静な理性はそうなると結論付けていた。

 だが、フラッグ戦は戦力差をもひっくり返しかねないものだということも知っている。だから、希望を語ってもいいだろう。戦力差を考慮した現実的な結果より、理想論を優先してもいいだろう。

 試合はもうすぐ始まる。

 

◇ ◆ ◇ ◇

 

 試合開始時刻が目前になり、特設モニターの前に両チームが並んで礼をする。

 

「今回は練習試合を了承してくれたことに感謝する」

「構いませんことよ。これも、私たちにとってはよい機会ですもの」

 

 ダージリンは、黒森峰の隊長であるまほと話をしている。

 ダージリンがオレンジペコにとって理想の「淑女」であるのに対して、西住まほは「武人」というイメージが強い。

 接する機会は全くと言っていいほどないが、高校戦車道においては何かと注目される黒森峰の戦車隊を率いる隊長であり、冷静かつ勇猛果敢と評されるまほは、戦車道の申し子と言っても過言ではないかもしれない。戦場でキューポラから身を乗り出して戦うその姿は、恐ろしさにも似た勇ましさがあった。

 

「そう言ってもらえるとありがたい。私も間もなく卒業し、ドイツに発ってしまう。隊の皆には、私がいる間に経験と戦いをできる限り学んでほしいと思っていたからな」

「ああ……それは確かに、そうですわね」

 

 2人の会話にオレンジペコも口をキュッと噤む。

 西住まほも3年生だから、年が明けて少し経てば黒森峰を卒業する。それ以前に、ドイツ留学の準備期間として年内には日本を発ってしまうのだ。それまでに、自分のノウハウを試合をもって後進に伝えるために、この練習試合を申し込んだというわけか。

 だとすれば、聖グロリアーナ女学院をその相手に選んだのは、それを後輩たちに教える相手として不足はないということだろう。それを直接まほに聞く勇気は、今のオレンジペコにはなかった。

 

「では私も、今回は仲間の活躍を期待するとしましょうか」

 

 そう言ってダージリンは、後ろを振り向く。

 確実ではないが、オレンジペコとも視線が交差した。

 まほがそうするように、ダージリンも自分の戦い方をオレンジペコに、そして他の後輩たちに学ばせる機会とする。そのつもりなのは理解できた。

 

「改めて、よろしく頼む」

「こちらこそ。健闘を祈っているわ」

「お互いにな」

 

 そう言って、ダージリンとまほは握手を交わし、まほは自分の隊の仲間たちの下へ向かう。

 その隣にいた黒森峰の副隊長・逸見エリカが終始押し黙っていたのが、オレンジペコは少しだけ気になった。しかし、それはひとまず置いておき、オレンジペコもチャーチルに戻って自分のポジションにつく。

 

「……」

 

 装填用のグローブを嵌めるが、まだ時間もそれほど経っていないにもかかわらず中はが蒸れ始めた。無意識に、手汗をかいてしまっている。

 緊張しているのは否定しない。何せ相手は「最強」黒森峰で、かの有名な西住流の後継者だ。今年の全国大会の準決勝で敗北を喫した相手でもある。自分は「ノーブルシスターズ」で次期隊長という自負があってもなお緊張が拭えない。

 深呼吸をひとつし、どうにか心の中の不安を抑えようとするが、効果はいまひとつだ。腿の上でグローブに包まれた手を握る。

 その時、スカートのポケットに収まっていた何かの感触が手に伝わる。そこに入れたものを思い出したオレンジペコは、一度右手のグローブを外してポケットに手を入れ、中身を取り出す。

 出てきたのは、一見何の変哲もないハンカチだ。

 しかしオレンジペコは、それを自分の顔に近づけ、その香りを確かめるために鼻で息を吸う。花のように穏やかで、甘い香りが自分の中へと流れ込んできた。

 このハンカチには、アロマの精油を一滴垂らしてある。香りの種類は、以前買い求めたカモミール。朱那と話の場を作る、ということで蒼音と話をした日に買っていたものだ。

 

「……ふぅ」

 

 気持ちがリラックスしていくのを感じる。アロマの効果も多少あるだろうが、蒼音のことを考えると、気持ちは穏やかで温かいものへと変わっていた。

 蒼音に対する恋心は既に自覚している。後はどちらに転ぼうと、想いを告げる以外ない。だがその前に、まずは目の前のやるべきこと……この練習試合をやり遂げる。この試合は蒼音だけでなく、朱那も観に来ているらしい。自分のことを応援してくれている2人がいるのだから、恥ずかしい姿を見せたくはない。できることなら、勝ちたい。

 

「……気合、入っているみたいね」

「……はい」

 

 砲手席で待機していたアッサムが、こちらを見て微笑んでいた。自分が何を考えているのかなどお見通しらしい。もともと頭脳明晰なのに加えて、アッサムも似たような経験をしたから分かるのだろう。

 そしてダージリンが、キューポラから身を滑り込ませてきた。

 

「それでは、行きましょうか」

 

 ダージリンの言葉に、操縦手のルフナがエンジンを始動させる。

 やがて、青空に試合開始を告げる号砲が打ち上がった。

 

◇ ◆ ◇ ◇

 

 秋晴れの下で、強豪校同士の戦いの火蓋が切って落とされた。

 とはいえ、試合開始直後は両チームとも距離が離れているため、聞こえるのは微かな戦車の駆動音ぐらいだ。それでも、試合が始まった緊張感は観客席にも伝わっており、誰もが口数を減らして特設モニターの戦略マップを見届けている。

 

「……」

 

 蒼音は、戦略マップを観つつ手の中にあるメモ帳に、試合の流れを簡単に書き留める。今日の目的の一つは、試合を実際に見て勉強することだ。こうして全体の流れを書いても損にはならないだろう。

 そして試合開始から少しして、黒森峰側に動きがあった。

 

「あら、珍しい動きだね」

 

 隣でレモネードを啜っていた朱那が声を上げた。周りの観客も気づいたように、わずかながら感嘆の声が上がる。

 西からスタートした黒森峰戦車隊が小隊を2つ編成し、それぞれ南北に分かれ始めた。本隊は東へ進んでいる。

 

「珍しいの?」

「そうねえ。簡単に言うと、黒森峰って火力と装甲で攻め込むのが得意だから、基本隊がまとまって行動するのよ。偵察とかは出したりするけど、ああして小隊を組むのはあまり――って、あら?」

 

 モニターを眺めていた朱那が、再び声を上げる。蒼音もそちらを見ると、それは確かに驚くべきものが映っていた。

 東から進んでいた聖グロリアーナもまた、黒森峰のように小隊を2つ編成して、また南北に向かわせている。黒森峰の動きを鏡で映しているかのようだ。

 

「聖グロは別動隊を組むことがよくあったんだけど、こうしてかち合うことはそうないんじゃないかしら? なんか面白いことになりそう」

 

 言って朱那はまた、レモネードを啜る。

 蒼音もエスプレッソを一口飲み、メモ帳にペンを走らせる。朱那の言い方からして、今回の試合は想定外の出来事が起こりうるのかもしれない。

 細大漏らさず、目に焼き付けておこうと蒼音は思った。

 

 

『第1小隊、敵小隊と遭遇! 応戦します!』

『こちら第2小隊、敵小隊と交戦中!』

 

 味方からの通信に、エリカがはっとしたようにまほを見る。銀の長い髪が翻った。

 

「こちらの動きを読まれた……?」

「ダージリンは沈着だ。簡単に後ろは取れない」

 

 しかしながら、まほは狼狽えることなく地図に視線を落として今の状況を整理する。

 全国大会で大洗女子学園に敗北して以来、西住流の基本的なスタンスを崩さず、もう少し臨機応変に事に対処できる方法はないかと、まほは考えていた。

 その結果として落ち着いたのが、高火力・重装甲の車両で攻めつつ、小隊を編成して多方面から攻撃を仕掛ける、というものだ。今回の聖グロリアーナとの練習試合は、そのやり方でどこまでやれるかを確かめる目的もある。

 試合開始地点である西側からしばらく進んだのち、パンター3両とⅢ号戦車1両の計4両の小隊を2つ編成、山の南北からそれぞれ東側に回るよう指示し、東側から攻めてくる聖グロリアーナの後ろを取ろうと考えた。

 しかし結果は、相手も同じことを考えていたのか、互いの小隊同士が山の南北で遭遇、見逃せるわけもなく戦闘が始まってしまった。敵の編成は、南北いずれもクルセイダー1両とマチルダ3両。

 小隊限定でも戦車の性能はややこちらのほうが上だが、相手は四強校の一角で練度は相当。突破するにはかなりの時間がかかるだろう。

 

「少しでも増援を小隊に向かわせますか? 何なら私が――」

「いや、このままだ」

 

 エリカが意見具申をするが、まほは首を横に振る。

 まほは懐中時計を取り出して時刻を確認し、咽頭マイクに手を添える。まだ通信は始めない。

 

「小隊の増援に向かわせると、本隊の戦力を割いたことを相手に知らせる。そうなれば相手に攻め込まれるきっかけを与えることになってしまう」

「……」

「練度はともかく、戦力はこちらの方が優勢だ。相手の小隊を足止めすれば、あちらの戦力を分散させられる」

 

 まほはそう言って、懐中時計の蓋を閉じる。

 そして、とまほはエリカを見て続けた。

 

「今日のエリカはフラッグ車だ。迂闊に移動させるのはリスクが伴う」

 

 今回の練習試合では、エリカの乗るティーガーⅡがフラッグ車になっている。通常は、隊長であるまほの乗るティーガーⅠがフラッグ車になることが多いが、今回ティーガーⅡがフラッグ車になっているのには理由があった。

 それは、まほが黒森峰女学園を去った後で隊長となるエリカに、フラッグ車の立ち回りの仕方を教えるためだ。

 西住流に逃げるという道はないが、リスクを考慮して戦略を立てるのはまず戦いにおける大前提だ。だから今、フラッグ車のエリカを小隊の増援に向かわせるのは承服できない。何せ、向こうの動きはまだ完全には分からないのだ。

 そしてエリカは直情型の気があり、前へ前へ出るという意欲が強い。黒森峰においてその意欲は素晴らしいが、それは弱さでもあり弱点であるとまほは考えている。なので、フラッグ車になった今は自分を抑えて本隊で指揮を執ることに慣れてほしい。

 

「……わかりました」

 

 こちらの意図を察し、また自分の役割を理解して、エリカは不承不承ながらも頷いた。まほはエリカに対して頷き返し咽頭マイクのスイッチを入れる。

 

 小隊同士で戦闘に入ってしまったのを驚いたのは、聖グロリアーナも同じだった。

 

「こちらの戦略が読まれてしまったのでしょうか……」

「向こうも、戦い方を変えたみたいね」

 

 オレンジペコが呟くと、ダージリンは紅茶を啜って答える。だが、その口ぶりはあまり意外そうに思っていない風だ。

 

「何せまほさんたちは、全国大会で直にみほさんたちと戦ったんだもの。そうしてもおかしくはないわ」

「でも、黒森峰の戦い方は……」

「『打てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し』。けれど、まほさんたち黒森峰はその枠の中で戦い方を変えるでしょう」

 

 ダージリンは、ゆっくりとオレンジペコに視線を移す。

 

「あなたが前にOG会に言ったように、戦車道の時代はこれから変わっていくでしょう。黒森峰も、かつての戦い方に囚われていては、いずれ取り残されていくと気づいたのよ」

 

 確かにOG会との会合で自分はそう言った。移ろいゆく戦車道の時代で現状維持に甘んじていては、たとえ四強校であったとしても置いて行かれかねない。だからこそ、新しい戦車を増やしたり、新しい戦術を練る必要がある。黒森峰は新しい戦術を取った。

 

「では、どうしますか?」

「ひとまずは、このまま前進しましょう。足を止めると、あちらに攻め込むチャンスを与えてしまうし」

「そのあとは……?」

「状況に応じて臨機応変に」

 

 ダージリンの下した判断はひとまず現状維持。戦域の中央にある山を目指して前進を続けることだ。

 小隊からの報告だと、現在交戦している敵の小隊は、南北ともにパンター3両とⅢ号戦車1両の計4両。こちらのマチルダⅡ3両とクルセイダー1両の4両が相手だと、戦力はよくて五分五分だ。かといって、撤退を命じてしまうと相手の小隊がこちらに接近するのを許してしまう。そして向こうも撤退するつもりはないだろうから、できる限り踏みとどまってもらうほかない。

 ただ、このまま山を目指し、黒森峰の本隊と戦闘が始まると、勝ち目は薄くなる。であれば、何か別の策を用意する必要があるだろう。

 オレンジペコは、地図を見る。頭に叩き込んだ黒森峰のデータは、まだ錆びついていない。この先、黒森峰はどう出るのか。そして、どうすれば勝利に少しでも近づけるのか。それを考えなくては。

 ダージリンの視線を感じつつも、オレンジペコは作戦を頭で考えた。

 

 

「さーて、どう出るかしらね」

 

 言いながら、朱那はキッチンカーで買ってきたパニーニをかじる。蒼音はエスプレッソを飲み干して、今の状況を手早くメモに書き込んだ。

 特設モニターは、小隊同士の戦闘をワイプで映しつつ、メインの戦場となるであろう山にクローズアップしていた。

 会場の中央にある山には、7合目付近に山を囲むような道がある。しかし舗装はほとんどされていない砂利道で、しかも北側は道と呼ぶのも難しいほど勾配が激しく、戦車でも通るのがかなり難しい状態だ。

 黒森峰と聖グロリアーナは、ゆっくりとその山へ向かって前進している。けれど、わずかに一歩黒森峰の方が山道を登り始めるのが早かった。このままのペースで行くと、恐らく先手を取るのは黒森峰となるだろう。けれど、黒森峰側の戦車の不整地の走破能力はやや劣っているため、速度は落ちていた。

 一方の聖グロリアーナ側も、本隊が間もなく山道を登り始める。このままいけば、ぶつかり合うのはまさにその7合目の道だ。

 それは、当然お互いに分かっているはず。であれば、どう出るのか。

 蒼音はこの先の展開から目が離せなかった。

 

◇ ◇ ◆ ◇

 

「北側の道を行くのはどうでしょう」

 

 山道を登り始めてから間もなく、オレンジペコがそう提案した。

 アッサムは、照準器から目を離してそちらを見る。ダージリンも、オレンジペコの言葉に視線で応じていた。しかし微笑みはない。

 

「どういうことかしら?」

「黒森峰は、過去の試合から見てもいち早く敵チームとの接触を心がけています。恐らく今も、黒森峰の本隊は山道を通って7合目の南ルートを目指しているかと思います」

 

 ダージリンに代わって尋ねると、オレンジペコは地図を指さしながら答える。

 確かに、アッサムがこれまで集めた試合のデータから振り返ってみても、黒森峰は迅速な行動をもって相手チームと接触、すぐさま交戦に移る。その通りであれば、西側からのルートの中で、一番聖グロリアーナがいる東側へ辿り着くルートは、山道を通るルートだ。

 

「けれど黒森峰は、不整地走破が不得手ですので、7合目のルートでも比較的通りやすい南側のルートを通ると思われます。なので、悪路を走るのに適した我々は北側のルートを通り、黒森峰を後ろから狙ってみてはいかがでしょうか」

 

 頭の中でイメージをしてみる。確かに、北側のルートは歩くのがやっとなほど通るのが難しい。黒森峰は重戦車を主に起用しているため、そちらを選ぶことはまずないだろう。走行能力なら優っているこちらがそこを通れば、黒森峰を後ろから叩ける。

 

「そして黒森峰は、陣形を組む時フラッグ車を後方に配備する傾向があります。なので――」

「よりフラッグ車を撃破できる確率も高まる、と」

「はい」

 

 オレンジペコの言葉に続けるようにダージリンが言うと、オレンジペコは頷く。

 アッサムは、試合中だが感慨深い気持ちになる。

 最初にダージリンが「宿題」を出してからすぐに、オレンジペコは他校のデータを見せてほしいと頼んできた。可愛い後輩の力になるのはアッサムも吝かではなかったため、情報管理に十分注意するよう念を押した上でデータを渡した。そしてオレンジペコは、そのデータを生かしてOG会との会合で見事にこの先の未来を拓いて見せたのだ。

 しかもそれだけにとどまらず、この練習試合でも蓄積したそのデータを無駄にせず、こうして意見を申し出てきた。ちゃんと自分の渡したデータを無駄にしていないのが分かると、渡した甲斐があるというものだ。

 なんというか、最初に彼女が聖グロリアーナ戦車隊に入ってきた時と比べて、本当に逞しくなったと思う。自分もダージリンと話をした上で、オレンジペコに素質を見出し隊長車に乗るのを認めた口である。そして今、その姿を目の当たりにして、嬉しさを越えて胸が熱くなるのは、何だか子供の巣立ちを見る母親みたいな気分だ。

 

「そして――」

 

 さらにオレンジペコは、作戦を告げる。

 それにはアッサムも驚いたが、すぐさま持ち込んだノートパソコンでシミュレーションをしていく。だが、弾き出された結果を見てアッサムは表情を苦くした。

 

「……その作戦だとフラッグ車のリスクは最小37%から最大61%増加する。中央値は49%、正直言ってこのリスクはあまり見過ごせるものではないわ」

 

 撃破率がほぼ50%というのは、少々厳しいものだ。全国大会で成功率40%前後の作戦を提言した自分が言うのも何だったが。

 けれどアッサムは隊長ではなく、あくまで聖グロリアーナの頭脳役だ。実際にどうするかを決めて指揮を下すのは、隊長であるダージリンの役割である。

 オレンジペコがそうするように、アッサムもダージリンに視線を移す。

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 この状況でそのフレーズが出てくるとは。まったくもってダージリンの肝の据わり具合には驚かされる。

 

「『臆病者は逃げ去るが、勇気のある者は、危険な選択をあえてする』」

「エウリピデスですね」

 

 オレンジペコが即座に返し、ダージリンは満足げに頷く。この2人のやり取りも見慣れたものと思うと同時、もう少しで見れなくなるのか、と妙な寂しさを感じた。

 しかしダージリンは、オレンジペコに向けて笑みを向けたのを見て、どうするのかを理解する。

 

「その作戦で行きましょう」

 

 ダージリンは通信機を手に取りながら続けた。

 

「危険にあまり注意しすぎると、多くの場合は危険に落ち込んでしまうものね」

「ジャン・ド・ラ・フォンテーヌですね」

「……もう」

 

 どうやら、ダージリンからしてみれば不意打ちのつもりだったらしい。それをオレンジペコはあっさりと躱し、ダージリンは肩を竦めて味方への指示を飛ばす。

 オレンジペコは、本当に頼もしい後輩だ。

 

 北側に展開していた聖グロリアーナの小隊が、後退を始めた。

 今回、まほから小隊長を仰せつかった黒森峰のパンター1号車の車長・赤星小梅は、その状況に眉を顰める。

 

『敵小隊、後退します。追撃しますか?』

 

 同じ小隊のパンター車長が尋ねてくるが、小梅は少し判断に迷う。

 ここで木の陰に隠れつつ、撃ち合いを続けて数十分。お互いに1両も撃破されず、かといって前に進むこともないままの膠着状態だったが、向こうがそれを破ってきた。しかも、後退という形で。

 火力的に対処しきれない、という理由であればそうするのも頷ける。だが、撤退すれば自分たち小隊が本隊に近づくリスクが増えるだけだ。わざわざそうするのは少し納得いかない。何せ、敵の隊長はあのダージリンだ。

 とはいえ、このまま動かないでいるのも時間の無駄だし、罠であるとしても少しでも進めば突破する糸口が見えてくるかもしれない。小梅はそう結論付けて、咽頭マイクのスイッチを入れる。

 

「小隊、周囲の状況に注意しつつ微速前進」

『『『了解!』』』

 

 各車から応答が来て、小梅のパンターも前進を始める。

 ただ、相手チームもただ逃げているだけではないらしく、こちらに砲塔を向けて牽制射撃を続けている。小梅たちは、木々の合間を縫って走りつつその射撃を躱す。

 やがて林の切れ目が見えたところで。

 

「煙幕……?」

 

 敵のマチルダⅡ2両が、煙幕を発生させた。広い所へ出て狙われるのを少しでも抑えるためだろうか。今年の全国大会の決勝戦で、大洗女子学園も取った方法だ。小隊の一部もそれに気づいたらしく、別のパンターが位置を特定するために機銃掃射を始める。

 しかしそこで、小梅に嫌な予感が走った。

 

「全車停止!」

 

 小梅の合図で、Ⅲ号戦車とパンター1両が停止する。しかし、先頭を行くパンターだけはわずかにそれに応じるのが遅れ、履帯を止めつつも煙幕の中へ突っ込んだ。

 そして、砲声がいくつも響き渡る。パンターのそれではない。

 

『3号車行動不能、すみません!』

 

 パンターの車長から悲痛な報告が聞こえる。小梅は唇を嚙むが、その砲撃のおかげか煙幕がわずかに晴れた。

 その先にいたのは、黒煙を上げて白旗が揺れるパンター1両と、その両脇から挟み込むように停止するマチルダⅡ2両。そしてそのさらに向こう側に、クルセイダー1両とマチルダⅡが2両いる。マチルダⅡが増えていた。そして全ての車両が、こちらに砲を向け始めている。

 

「後退、木の陰に隠れて!」

 

 状況を把握した小梅がすぐに指示を飛ばすと、味方の2両は迅速に後退して木の陰に隠れる。聖グロリアーナ側からの砲撃が始まり、何発も車体を掠めた。

 まさか、小隊に増援を寄こしてくるとは思わなかった。しかも、煙幕を使って目くらましなど、以前の聖グロリアーナは見せなかった戦い方だ。

 戦力差は向こうが優った。しかし、このままここで逃げるわけにもいかないので、少しでも戦力を削ごうと木の陰から狙いつつ、隠れる。

 

「敵小隊、戦力上昇! 3号車撃破されました、すみません!」

 

 小梅は謝りながら本隊に報告し、無理なく応戦するよう小隊のメンバーにも伝える。

 そこでもう1両のパンターが、相手のマチルダⅡを1両撃破した。

 

 

「敵小隊にマチルダⅡが1両ずつ追加されたようです」

 

 エリカの報告を聞いて、まほは少しばかり考える。

 戦力的にはこちらがやや優っていた小隊同士の戦闘だが、相手がマチルダⅡを1両ずつ増援に向かわせたのは少し予想外だった。2つの小隊に増援が向かったということは、それだけ本隊の車両も減ったことになる。本隊の護衛を減らすとは、何か勝負を急ぐ理由でもあるのだろうか。

 だが、相手はあのダージリンだ。焦って戦力配備を誤る真似は間違っても犯さない。とすれば、理由がある。

 とにかく、これ以上時間をかけるのは得策ではなかった。

 

「各車増速、敵本隊への接触を急ぐ」

「了解!」

 

 

 聖グロリアーナが見せた動きに、観客席もどよめいた。

 何かしらの策があってのことだとは思うが、これはリスクが大きすぎると蒼音にも分かる。黒森峰も同じような動きを見せたが、それぐらいの行動だ。

 7合目に先に到達したのは聖グロリアーナ戦車隊。マチルダⅡとクルセイダーの2両ずつが南のルートに進む一方、フラッグ車のチャーチル1両だけが北側の険しいルートに向かった。

 

「フラッグ車を隠すつもりかしら」

 

 朱那がレモネードを啜って言うが、蒼音は多分違うと思った。

 空撮ドローンが、その北側のルートを行くチャーチルを映し出す。キューポラから、隊長のダージリンと、自分にとっては随分と見知った顔であるオレンジペコが、背中合わせでそれぞれ戦車の前後を見ている。その手には、紅茶のカップがあった。

 やがてチャーチルが、道というより登山道と言えるほどきつい傾斜の部分に辿り着く。チャーチルは、何度車軸が振れようと、地面が削れて落ちかけようと、前へ進んでいる。

 無意識に、ペンを握る力が強くなる。

 

「……頑張れ」

 

 口が勝手に、その言葉を告げていた。

 

 ルクリリはマチルダⅡに乗りながら、少しばかり緊張していた。

 誇り高き聖グロリアーナ戦車隊、そのマチルダⅡの部隊長を務めている故、取り乱したり緊張したりすることは()()()()ない。けれど、ダージリンから告げられた作戦は正直な話、成功するかどうかかなり微妙ものだった。失敗してしまえば、為すすべなく攻め込まれる。そんなものだ。

 けれど、ダージリンは。

 

――未来の隊長さんの判断を信じましょう

 

 その言葉で、作戦はあのオレンジペコが立てたものだと理解した。だから信用ならないとかそうは思わないし、むしろダージリンやこれまでの隊長からは考えもつかなかった作戦だと思う。

 であれば、あのダージリンさえ考えつかなかったその作戦とやらをやってみたいと思ったのだ。自分はやはり、血気盛んなところがあるらしい。成功するかどうかは分からない、けれど新しいものにはついチャレンジしたくなってしまう。

 ルクリリは小さく笑い、通信機を手に取った。

 

「ローズヒップ、私の合図で始めなさい」

『了解ですわ! バニラも待機させますの』

 

 頼もしい後輩の返事にルクリリは唇を緩める。

 自分の後ろにいるのは、マチルダⅡ1両とクルセイダーが2両。今走っている場所は山の七合目にある南ルートの山道。まず間違いなく、黒森峰の本隊はこのルートを通ってくる。

 ルクリリは道の先に視線を全て集中させて、どんな異音も聞き逃すまいと耳を澄ませる。左手側にある林では、小隊同士の撃ち合いによる砲声が聞こえてきたが、できる限りシャットアウトさせた。あちらのことはあちらに任せる。

 その時、戦車の駆動音が聞こえてきた。それはマチルダやクルセイダーのものではない。

 

「全車停止」

 

 ルクリリの指示で、後ろにいた車両と、ルクリリ自身が乗る戦車が止まる。だが、先走ったのか1両のクルセイダーが、アイドリング状態でエンジンをふかし始めた。今はこちらから待ち伏せしているのだから、下手に音を立ててほしくない。

 

『バニラ、まだ待てでございますわよ!』

『ごめんあそばせ』

 

 聞いてはいたが、ローズヒップが宥める辺り、クルセイダーに乗る時のバニラの落ち着きのなさは筋金入りだ。時折、彼女たちが3年生になった時が不安になる。主にオレンジペコの心労的な意味で。

 だが、余計なことは考えず前方に意識を向ける。

 道は右にカーブしており、見通しはあまりよくない。

 だが、山の斜面から長い砲身が姿を見せた。あの長さとカラーリングからして。

 

「撃ちなさい!」

 

 ルクリリが声を発し、砲手は事前に打ち合わせていた通りに、姿を見せた戦車……ヤークトティーガーの履帯を狙撃した。

 

 7合目の山道の南ルートを、黒森峰戦車隊は1列縦隊で前進していた。山道や不整地はどうしても速度が落ちてしまうため、思うように前に進むことができない。

 小島エミが搭乗するヤークトパンターは、先頭から2番目の位置でのろのろと走っていた。先頭はヤークトティーガーであり、装甲と火力が中々だがそれと反比例して機動力はあまりよくない。前方からの正面衝突で押し勝てるのがまだ救いだ。

 だが、元々遅かったヤークトティーガーが輪をかけて遅くなった。

 

『先頭ヤークトティーガー、履帯破損! 前方にマチルダです!』

「あちゃー……」

 

 ヤークトティーガー車長の報告に、エミは額を掻く。自分も愛機の履帯を切られた時はひどいものだったが、ヤークトティーガーもその洗礼を受けたらしい。気持ちはよくわかる。

 この山道は、戦車1両が通るには余裕だが、追い越すのは不可能だ。右手側の斜面は、普通に下るのならあまり問題ないものの、重量的に山肌に沿って進めば斜面を転げ落ちる。Ⅲ号戦車やⅡ号戦車ならまだ何とかなるかもしれないが、前者は現在小隊として別行動中だし、後者はそもそも黒森峰が長いこと起用していない。

 どうしたものか、後ろにいるまほやエリカに指示を仰ごうとしたその時。何か妙に小うるさいエンジンの駆動音が聞こえてきた。それは黒森峰では聞くことのないもの。

 

『2時の方向、クルセイダーが激走中!』

「えっ!?」

 

 ヤークトティーガー車長が焦ったような通信を入れてきた。弾かれたようにエミもキューポラから上体を出す。

 すると、まさにそのクルセイダーが2両、山道の右脇の斜面を、土煙を上げながらドリフトしている。しかも、その砲はこちらを向いていた。

 

「わ、わ、わ、わ!」

 

 あわてふためくエミだが、すぐさま後続のクルセイダーが発砲してきた。その狙いはエミのヤークトパンターの車体ではなくて、履帯。被弾すると同時に車体が右に傾き、しかも撃たれた転輪がコロコロと山の斜面を転がっていってしまったではないか。

 

「あーっ、私の転輪ーっ!」

 

 叫んだところで転輪は戻って来やしない。しかも、今なおクルセイダーは自分たちの後方へと向かっている。そこにはまほのティーガーⅠと、エリカのティーガーⅡが、フラッグ車がいるのだ。

 

 報告を聞いたエリカはギリギリと歯ぎしりをしてクルセイダーの様子を伺う。まほのティーガーⅠもクルセイダーを止めようと発砲したが、俯角が足りず掠めることもできない。

 

「こんの……足が速いだけで褒められんのは小学生までよ!」

 

 頭に血が上ってわけのわからないことまで口走ってしまうが、今は気にしている場合ではない。装填手が笑いを堪えているが、エリカは「砲塔回しなさい!」と指示を下す。

 ティーガーⅡの砲塔を12時の方向に回転させる。クルセイダーがティーガーⅡの真横(?)を通過する際、こちらを狙って発砲してきたが、ドリフトしながら、しかも仰角がかなりついているためか狙いは外れた。

 そして、通り過ぎてからおよそ100メートル弱のところで、クルセイダーが勢いのままに山道に乗り上げてくる。そこでエリカは。

 

「てーっ!!」

 

 発砲させた。狙いは2両目のクルセイダー、1両目の後を追って山道に乗ろうとしたところを側面から撃ち、命中して白旗が上がったクルセイダーは山道をゴロゴロと転がり落ちていった。中はとんでもないことになっているだろうが、特殊カーボンで守られているため死にはしない。

 だが、それと同時にもう1両のクルセイダーが、後ろにいたティーガーⅠに突っ込んできた。

 クルセイダーがティーガーⅠを撃破するには、ゼロ距離でターレットリングを狙うしかない。それを防ぐために、ティーガーⅠは砲塔を何とか動かして狙いをずらしている。それでもクルセイダーは発砲してきたが、ティーガーⅠの砲塔を掠めた砲弾はあらぬ方向へ飛んで行った。

 しかしクルセイダーは、しつこく履帯を回転させてティーガーⅠを押してきた。そのせいで、ティーガーⅡとティーガーⅠの車間が詰まる。

 エリカも、尊敬するまほのティーガーⅠに強引なまでに肉薄するクルセイダーに腹が立ち、こちらから狙おうとする。だが、車間が詰まっているせいで砲身をクルセイダーの方まで向けられない。ティーガーⅠの砲塔に当たってしまう。毒づいた。

 だが、そこで、エリカは。

 

「……あ」

 

 クルセイダーのさらに後方から、チャーチルが姿を見せたのに気づいた。

 どうやってここまで来た。北の道を通ってきたのか。

 チャーチルが接近してきている。相手の有効射程に入る前に、まずはティーガーⅠとがっぷり四つ状態のクルセイダーを何とか始末しないと。けれど、車間が詰まり砲身も向けられないこの状態では撃ち抜けない。その後ろから迫るチャーチルなど撃てるはずもない。

 これが、あちらの立てた作戦か。戦車をぶつけて動けなくして後ろを取るなんて、()()()が考えそうな作戦ではないか。

 いや、そんな事を考えている場合ではない。

 小隊を呼び戻す指示は出したが、展開している場所からして間に合わない。

 やばい、とエリカは察した。

 そこで、砲声が2つ、鳴り響く。

 自分の頭上を、砲弾が通り過ぎていくのを熱風で感じ取った。

 チャーチルの弾は外れたのか。

 よく見ると、チャーチルの向きが斜めになっていて、後ろから煙が上がっている。

 何があった?

 よく目を凝らしてみると、チャーチルの後方にパンターがいた。

 分隊の車両だろうが、合流の指示を聞いてからにしては駆けつけるのが早すぎる。

 

 黒森峰本隊がマチルダⅡと接敵するほんの少し前。

 北側に展開していた小隊の小梅は、どうにも腑に落ちなかった。

 マチルダⅡを増やしてこちらの小隊を撃破するというのは、非効率に思える。確かに火力や装甲ではこちらが優っているものの、わざわざ戦車を1両追加してまで突破したいものだろうか。時間的に、そろそろ本隊同士が位置を捕捉してもおかしくない。その1両を本隊の護衛に回してもいいだろうに。

 適宜応戦を指示しつつ、小梅は地図を見下ろす。

 こちらは既に、敵小隊のマチルダⅡを2両撃破している。南側の小隊も、今のところ押し返しかけているそうだ。

 注目すべきは、今本隊が進軍している中央の山、七合目の山道だ。南ルートと北ルートに分かれており、本隊は南ルートを進む手筈になっている。北側のルートは、等高線からかなり傾斜がきつく、黒森峰の戦車で踏破するのは非常に困難だ。この試合に出ていてそれが可能な戦車と言えば、ギリギリⅢ号戦車か、チャーチルぐらいしか――

 

「……!」

 

 頭に火花のような直感が走る。即座に今いる場所からそこまでの道のりを計算し、通信機を手に取る。それと同時に、同じ小隊のもう1両のパンターがマチルダⅡに撃破された。これで、こちらの小隊の残りはⅢ号戦車1両だけだ。

 

「アンナちゃん、4時の方向へ転進、全速力!」

『えっ、逃げるの!?』

「フラッグ車が狙われてる!」

 

 言うが早いか、操縦手がパンターの向きを変えてそちらへ向かう。Ⅲ号戦車の車長・入間アンナも、若干困惑しているようだったが後ろをついてきてくれた。

 それでも、マチルダⅡとクルセイダーの追撃は止まず、止むなくⅢ号戦車に露払いを任せ全速力で山へと向かう。山の北ートは確かに道が険しいが、7合目までの山の斜面はそれと比べれば少し緩やかだ。パンターとⅢ号戦車の登坂性能なら問題ない。

 マチルダⅡは鈍足故に、難なく引き離せた。しかしクルセイダーはしつこく追ってくる。Ⅲ号戦車の砲撃が命中し、スピンさせたが時間稼ぎにしかならないだろう。

 

『全小隊、本隊と合流! 座標――』

 

 エリカから、明らかに焦った指示が出る。きっと、フラッグ車周辺の状況は今まさに危ういのだ。

 間に合わなかったら、と思うと手が震える。けれど、もう片方の手で何とか押さえる。以前、自分にとって大切な人が握ってくれたことを思い出し、心を落ち着かせる。

 やがて、見えた。

 7合目の南ルートで、クルセイダーがティーガーⅠに食らいついている。その後方から、チャーチルがティーガーⅠとティーガーⅡを狙っていた。

 

「撃て!」

 

 指示を出すと、パンターの砲撃はチャーチルの後部装甲に命中した。

 

 手筈通りに、ローズヒップのクルセイダーがティーガーⅠの動きを止め、ティーガーⅡもこちらを狙えない状況を作り出した時、オレンジペコは勝利を確信した。この距離ならアッサムはウィークポイントを外さないと、信用しているから。

 けれど衝撃が車内に走った瞬間、オレンジペコは自分の心臓が止まったかと錯覚する。

 どこからか狙撃されたのは瞬時に理解したが、「撃破されてしまったのか」と一瞬焦る。

 けれど、白旗は揚がっていない。

 

「……あちらにも、勘のいい人はいるみたいね」

 

 紅茶を一口飲んだダージリンは、無線機を手に取った。

 

「ローズヒップ、3時の方向。山を下りるわよ」

『合点承知の助でございますわ!』

 

 ローズヒップの古臭い言い回しに、ダージリンはくすりと笑い、アッサムはため息をついて紅茶を飲む。そしてダージリンは続けた。

 

「各小隊はWS方面へ。接敵した場合は適宜応戦を」

『了解しました』

 

 ダージリンの指示を聞きながら、オレンジペコは砲弾を手に取る。

 ここまでは、オレンジペコが意見具申をしそれが通って奇襲には成功した。しかし、黒森峰側が一歩先を行ったために失敗に終わり、仕切り直しとなる。しかも今、チャーチルの近くにいる味方はローズヒップのクルセイダー1両だけだ。状況が悪い。ここに来て、自分の作戦は一発勝負だったと再認識させられる。聖グロリアーナらしいとは、少し思えない。

 しかしながら、ダージリンはこちらを見て頷くと。

 

「よくやったわ、オレンジペコ」

 

 頭に手を置いて、木漏れ日のような柔らかい笑みで、そう告げてくれる。

 とても、頼もしい言葉だった。

 自分は聖グロリアーナの隊長として、次の世代を引っ張る必要があるのに。

 ダージリンがずっと隊長だったら、と思ってしまうのだ。

 

 観客席は大いに沸きだっていた。聖グロリアーナがリスキーな作戦に出て、それが成功しかけたのだ。ティーガー2両の動きを止めて、チャーチルが背後を取った時、蒼音だって「勝った」と思ったものだ。

 けれど、黒森峰の北側小隊のパンターが急行して、チャーチルを後ろから撃って軌道をずらした。そこで戦いを続けるのは危険と判断して、全ての車両が山を下りていく。構図的には、チャーチルとクルセイダー、そしてティーガーが山を下りながら撃ち合いをしており、さらにチャーチルはティーガーとパンター、そして重駆逐戦車エレファントの計5両からも追われている状態。チャーチルの護衛はクルセイダー1両だけだ。けれど、戦域にいる()()()戦車が山の南西側へと集まりつつある。

 無意識に、蒼音は両手を組んでいた。メモなんて、取れたものではない。

 今や蒼音は、聖グロリアーナの勝利を切望していた。

 

 山を下りながら撃ち合いを続ける。だが、斜面を下りながら後方から迫る戦車を的確に撃ち抜くのは、相当に難しいようで、アッサムの狙撃は車体を掠めるのがやっとだった。

 やがて麓にある林に突入する。斜面で速度をつけたティーガーⅠがほぼ真横に並ぶ。

 オレンジペコは揺れる車内で砲弾を装填し、空の薬莢が排出されたらまた装填、これを繰り返した。

 相手チームのフラッグ車は、ティーガーⅠの向こう側にいる。試合中の今なら眼の前と行っていい場所だが、まほのティーガーⅠがいる以上突破は簡単ではない。

 そして、その逆もまたしかりだ。このチャーチルはフラッグ車で、ティーガーに加えて、パンターからも追われている状態である。

 するとその時、左手の奥側からクルセイダーが2両駆けつけてきた。速度的にリミッターを外している。

 

『クランベリー、ピーチ! クルセイダーアタックを仕掛けますのよ!』

『御意ですわ!』

『はぁい』

 

 ローズヒップの呼びかけにクランベリーとピーチが答える。クルセイダー部隊は、林の木々と黒森峰の戦車たちの砲撃を避けつつ、ティーガーⅠとティーガーⅡに果敢にも攻撃を仕掛ける。以前の大学選抜チームとの試合で相手が見せた、パーシング3両の連携攻撃を彷彿とさせなくもない。

 けれど、木々が乱立する中でも、黒森峰側はクルセイダーの動きを的確に見切り、攻撃を回避したうえで狙ってくる。

 だが、その隙を突いてチャーチルがわずかに距離を寄せてティーガーを狙った。けれど、右後方のパンターがチャーチルの角を撃って狙いを逸らさせる。

 

『まだまだ行きますわ! 三人寄れば文殊の知恵、トリオ・イズ・グッドアイディアですわ!』

 

 かなり飛躍したローズヒップの和訳に、この状況にもかかわらずダージリンはくすくす笑った。オレンジペコは、装填の合間に一息つき、周囲の状況に気を配る。

 果敢にも3両でティーガーを狙うクルセイダーだが、すばしっこい動きに痺れを切らしたのか、ティーガーⅡが1両に車体をぶつけて横転させ、それを別のパンターに撃破させた。そこで生じた隙を、もう1両のクルセイダーが狙うものの、後方から迫る黒森峰のエレファントがそれを撃破。クルセイダーは1両だけになってしまった。しかし、さらに後ろから追ってきたマチルダⅡが、エレファントの薬莢を捨てる後部を撃って撃破する。

 

『隊長車が手薄になっているわ、急ぎなさい!』

 

 すべてのマチルダⅡに速度を上げるようルクリリは指示するが、マチルダⅡは聖グロリアーナでも鈍足だ。どうあがいても、追いつくのが難しい。

 やがて、林の切れ目が見えてきた。その先は開けており、遮蔽物がほとんどない。この混戦状態だと、撃破される確率が高まる。

 だからチャーチルは、少しでもティーガーから距離を置こうと進路を右に切る。

 そして、林を抜けたと同時に砲声が鳴り響き、チャーチルの車体を激しい衝撃が侵した。

 

 黒森峰チームの本隊を山を登り始めた時、黒森峰は本隊後方にいた2両を山の麓に待機させていた。なので、4両小隊2つを除き、山を登った黒森峰の戦車は5両だけである。

 そして、本隊とチャーチル、クルセイダーが山を下りはじめた時、麓にいたその2両は林を引き返し、チャーチルをはじめとしたすべての戦車が向かう場所へと先回りをしていた。

 その2両……Ⅳ号駆逐戦車とパンター1両が、林を抜けたチャーチルに向けて発砲し。

 

『聖グロリアーナ女学院フラッグ車、走行不能。よって、黒森峰女学園の勝利!!』

 

 試合の結果が明らかとなる。観客席からは歓喜と落胆の混じった声が上がった。隣に座る朱那も、結果が半ば予想で来ていたとはいえ残念そうに溜息をついている。

 そして蒼音は、唸った。

 戦力や性能の差があったし、現実的な可能性を考慮した上でのこの結果予想していたものだ。

 それでも正直、聖グロリアーナに勝ってほしかった。それはやはり、聖グロリアーナを応援していたから、オレンジペコがいるから、勝ってほしいという蒼音の個人的な願望にある。

 だからこそ、この結果は非常に残念だ。試合に参加していないにもかかわらず、人生で一、二を争うほどの悔しさでもある。

 

「……惜しかったねぇ」

「……うん」

 

 朱那が残念そうに言い、蒼音も頷く。黒森峰は、確かに強かった。

 だが、いち観客の悔しさなど関係なしに、粛々と閉会式の準備は進められる。戦域で擱座した戦車は戦車道連盟の回収車によって牽引され、両戦車隊のメンバーたちは閉会式を行う場所へと移動する。撃破を免れた戦車の乗員は少し疲れた様子が見えたが、そうでない戦車の乗員は服や肌に煤がついているし、髪も少し乱れてしまっていた。車内は特殊カーボンで守られているが、怪我はせずとも綺麗なままでいるのは無理らしい。

 

「一同、礼!」

『ありがとうございました!』

 

 お互いの選手たちが頭を下げて、「戦車道は礼に始まり礼で終わる」を体で表す。観客たちは、果敢に戦った選手たちに向けて、惜しみない拍手を送る。もちろん蒼音も、朱那も聖グロリアーナと黒森峰の両チームに向けて拍手を送った。

 そして礼が終わると、両チームとも撤収が始まる。それを察してか、観客たちも席を立ち始めていた。

 

「オレンジペコちゃんと話していく?」

「……いや、多分今日は無理だよ」

 

 朱那はゴミをまとめて席を立とうとする。蒼音としては、大事な試合が終わったことでオレンジペコに何か言葉をかけたかったものの、この状況では直接会うことはできまい。あとでメールか電話で言葉を送ることにしよう。

 なので蒼音も、自分で出したゴミを回収して立ち上がる。そういえば終盤はメモを取ることができなかったな、と思いながら特設モニターを振り返ると。

 カメラが、ダージリンとオレンジペコに寄っていた。

 

 

「今日はありがとう。とても有意義な試合になりましたわ」

「こちらとしても、学びの多い試合だった」

 

 閉会の挨拶を終え、ダージリンがまほと話をしている。

 オレンジペコは、ダージリンの後ろに控えつつ、今日の試合のことを自分の中で振り返る。

 最初に聖グロリアーナと黒森峰の小隊同士がぶつかり合い、途中で自分が提案した作戦で黒森峰をあと一歩のところまで追いつめて、最後には山の斜面を下りながらの砲撃戦。オレンジペコが今まで経験した中でも、中々に濃い内容だった。

 そして、まさに大洗女子学園が全国大会で優勝したことで、聖グロリアーナだけでなく他の学校も戦い方を変え始めているのを目の当たりにした。もしかしたら、本当に戦車道の歴史は転換点にあるのかもしれない。

 だが、それでもやはり、あと少しで勝利することができたのに、自分の作戦が最後に阻まれたのは惜しかった。

 あまつさえ、敗北してしまったのだ。もしかしたら、自分があの作戦を立てたから聖グロリアーナは敗北してしまったのかもしれない、とさえ思う。アッサムの言っていたフラッグ車のリスクは、ある意味間違ってはいなかった。

 

「しかし今回は、そちらにも驚かされた。まさか、フラッグ車が単独で後方から攻めてくるとはな」

「ああ、それは私の優秀な仲間が立てた作戦だったのよ」

 

 ダージリンがそう言いながら、視線をオレンジペコに向ける。

 「優秀な」という部分が皮肉ではないのは分かっている。ダージリンの眼差しに、気遣いや嬉しさ、感慨深さが混じっているのも理解できた。

 そして、まほもまたこちらを見ている。凛々しい表情が、夕陽と相まってまぶしく見える。試合中に見た、冷厳かつ凛々しい姿と比べると、ほんの少しだけ柔らかさが混じっているように感じる。

 そしてオレンジペコは、まほが自分の言葉を待っているのではないかと、察した。

 

「……本日は、ありがとうございます。やはり、黒森峰はお強いです」

 

 一礼して、オレンジペコは続ける。

 

「今回、フラッグ車が単騎で黒森峰の後ろを取る作戦は、私が考案したものでした。けれど、こうしたことは初めてだったために拙いところが多く、結果として失敗してしまい、恥ずかしい限りです……」

 

 戦車道の勉強は怠らなかったし、装填手としても、未来の車長としても訓練は積んできた。しかし、実戦でそれらの成果が100%発揮できると言うわけでもない。今までもそうだったし、今回もそうだった。きっと、この先もそうだろう。

 けれど、自分が立てた作戦が上手くいかなかったというのは、相応に堪えるものがある。この感覚は、それが根付く悔しさは、初めて感じるものだ。全国大会で、今目の前にいる黒森峰に負けた時以上の悔しさ。身体の芯が震え、熱を帯びるほどに。

 けれどそれを表には出さない。それは、「ノーブルシスターズ」に相応しくないから。

 視線が、下がってしまう。

 

「私の立てた作戦が通用しなかったというのは、私自身の実力に他なりません。やはり、私のような若輩者はまだまだですね」

「……そうとも限らない」

 

 だがまほは、オレンジペコの自嘲気味な言葉を、否定してきた。

 思わず顔を上げると、まほの口元は笑っている。

 

「私たちは、チャーチルが後ろから迫ってきたのを見た時、敗北も覚悟していた。結果として、私たちのチームのひとりがそれを察知して早く行動したからそれは避けられたが、でなければ私たちは危うかった」

 

 まほの後ろに控えるエリカも、不本意という感じで頷いている。そんな彼女の視線の先には、『クルセイダーアタック、うまくいきませんでしたの……』としょぼくれているローズヒップがいる。

 

「あの瞬間だけでも、貴女の立てた作戦は黒森峰を上回った」

 

 びくっと、オレンジペコの肩が震える。

 ほんのわずかな一瞬だけでも、自分の作戦が黒森峰よりも先を行っていた。当たり前だがそれは初めてのことであり、自分の実力を認められたということだろう。思い上がりでなければ。

 そしてまほは、一歩前へ、オレンジペコの前に歩み出る。

 

「そのおかげで、我々もこれから先、やるべきこと、考えることが増えた。つまり、貴女の作戦を通してお互いにとっても良い作用を及ぼしたものと言える。決して、作戦が誤りだったわけではない」

 

 そして、まほは右手を差し出してくる。

 

「ありがとう。いい試合だった」

 

 まほの姿が、歪んだ。

 自分が立てた綱渡りのような作戦が、「最強」たる相手に評価されて、そのうえで「いい試合」と褒められるなんて、嬉しくないはずがない。

 オレンジペコは、おずおずと右手を差し出して、まほと握手をする。同じ高校生で、同じ女性のはずなのに、その手は大きくて温かい。

 自分の課題はまだまだ山積みだけど、もっと学ぶべきことは多いけれど、淑女としてこんな場所で泣くわけにはいかないけれど。

 

「……ありがとう、ございますっ……!」

 

 オレンジペコは、涙を浮かべつつも、できる限りの笑顔を浮かべて、まほの手を強く握った。

 そんな自分の肩に、ダージリンがそっと手を添えてくれる。

 瞼で押さえきれない涙が、頬を伝って地面に滴り落ちる。けれど、それを咎める者はここに1人としていなかった。

 

 その瞬間は、特設モニターに映されていた。音声こそ入っていないものの、どんな会話が交わされていたのかは2人の表情で何となく分かる。オレンジペコも、学ぶべき多くのものがあって、感極まるほどの何かを感じたのだろう。

 それを見ていた観客席の誰かが1人、また1人と拍手をし始める。その波はやがて全体に広がっていき、今や閉会式と同じぐらいの拍手が観客席から贈られた。それが聞こえたのか、画面の中のオレンジペコとまほはやがて握手を解く。

 もちろん、その一部始終は蒼音も見ていたし、拍手も贈った。

 そして、オレンジペコに見惚れていた。

 試合が終わって、美しく明るい茶髪は少し乱れ、陶磁器のような綺麗な肌に煤が付き、赤いパンツァージャケットにも解れが少しある。

 けれど、涙を零して微笑み、まほと握手をするその姿に、蒼音は胸を強く揺さぶられてしまった。

 

「……カッコよかったね、オレンジペコちゃん」

「……ああ」

 

 拍手をしながら、朱那が話しかけてくる。蒼音は、呆けたように答えた。

 それを感じ取った朱那が、にやにやと笑ってこちらを見る。

 

「まさか、惚れちゃった?」

 

 その質問に、蒼音は失笑をもって答える。

 素直に答えたら、何と茶化されるか分かったものではないから。

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