愛しい香り   作:プロッター

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最終話:あなたが愛しい

 ブーツの紐を固く結び、訓練中に脱げるなんて失態を犯さないようにする。

 紅いタンクジャケットに袖を通し、鏡に映った自分を見て頷く。おかしいところはどこにもない。

 そして、ポケットに仕舞ってあるハンカチを取り出し、鼻に当てて香りを嗅ぐ。柔らかいヒノキの香りが、心を落ち着かせてくれた。

 

「……よし」

 

 鏡の前で気合を入れて、ポケットにハンカチを戻す。

 隊長専用の更衣室があるとは、やはりこれも格式と伝統を重んじ、また資金に困らない聖グロリアーナ女学院ならではのだろう。他の学校にもあるのかもしれないが、何であれ戦車道の前に1人で集中する時間を作らせてくれるのはありがたい。もしかしたら、ダージリンもここでだけ見せる仕草や表情があったのだろうか。

 そう考えつつも更衣室を後にし、訓練場へと足を向ける。

 ほどなくして、2人の隊員が出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました、オレンジペコ様」

「準備整っておりますわよ!」

 

 副隊長となったルクリリと、ローズヒップ。

 ルクリリは、前年度も戦車隊の中では自分を「様」付けだったが、年上からそう呼ばれてしまうのはいつまで経っても慣れない。

 そしてローズヒップ。聖グロリアーナにはない勇猛果敢な戦い方と臆さない性格を買い、オレンジペコは「仲間」に迎え入れた。言葉遣いはまだまだ改善の余地ありだが。

 それでも、ルクリリがローズヒップを窘める役割を一部買ってくれているので、オレンジペコの負担はそこまででもない。

 そんな2人にオレンジペコは頷きを返し、訓練場に向かう。

 外へ出ると、春の陽気も相まって、それなりに過ごしやすい気温だ。そんな天気の下、隊員たちは格納庫の前で整然と並んでいる。

 その中には、聖グロリアーナのタンクジャケットを着る島田愛里寿の姿もあった。

 大学選抜チームでも卓越した指揮能力を見せた彼女を、戦車隊の上層部に迎え入れるのはオレンジペコも考えた。が、最終的にそれはやめた。「天才少女」の肩書は健在だし、彼女が駆るセンチュリオンも見事な戦いぶりだ。だからこそ、安易に頼ってしまう可能性を排除しておきたかった。でなければ、以前自分が一番愛している人に誓った「ダージリンを越える戦車乗りになる」ことも果たせない。

 

「皆様、おはようございます」

 

 隊員たちの前にオレンジペコは立ち、挨拶をする。ルクリリとローズヒップは、自分の脇で待機の姿勢に入った。

 

「本日の訓練は、新しく入隊した方々の能力の確認を主に行います。2年生以上の方々は、1年生の皆様の気になる点などを遠慮なく指摘し、また1年生の方も分からないことや不安なことなどございましたら、遠慮なくお声がけください」

 

 聖グロリアーナ戦車隊には、1年生がまた多く入隊した。

 ここへ入学することを志す者の中には、最初から戦車隊に入ることを望んでの人も多い。

 それでも、訓練が厳しくて辞めてしまう人がいるのも現実だ。見学した時から入隊に至るまでその人数はそこまで変わらないが、これが数週間を過ぎれば減少が顕著になる。

 オレンジペコは、その状況を憂いはする。けれど、練習の手を緩めるつもりはない。冷酷と捉えられるかもしれないが、自分が新入隊員だった1年前も同じだ。ダージリンは、新たに入隊した人が何人も辞めていっても、訓練に手心を加えなかったものだ。オレンジペコも、隊長車に迎えられたプレッシャーもあって、実際に何度か挫けそうになったこともある。

 それでも姿勢を変えないのは、全て戦車道に対して真剣だからであり。 

 

「『いかなる時も優雅に』。これを忘れずに、戦車道に励みましょう」

『はい!』

 

 そして、聖グロリアーナの戦車道あってのこと。

 オレンジペコが告げると、隊員たちが元気よく返事をする。戦車道に背を向けられるのは残念だが、来るもの拒まず去るものは追わず、残る人たちは責任を持って導く。

 オレンジペコは、皆の姿を視界に収めつつ、自分も隊長車のチャーチルへ乗り込む。

 

 聖グロリアーナ戦車隊長にオレンジペコが就いてから、はや1か月が経とうとしていた。

 

◆ ◇ ◇ ◇

 

 港にある船舶ターミナルは、デザイン自体が洗練されているのに加え、屋上からは街の景色がよく見える。特に今日は晴れの日なので観光客が多い。

 そんな人混みを避けるように、蒼音は壁際に立っていた。ここにいる理由は物見遊山ではない、待ち合わせだ。

 相手からは、予定通り連絡船に乗ったとの連絡を受けている。ターミナルの電光表示板には、目的の船は既に入港したとの情報があった。あと少しすれば、待ち合わせている人は出てくるだろう。

 蒼音は壁から背を離し、下船口へ向かう。

 そして下船口の前に立つと、ほぼ同じタイミングでその人は姿を現した。

 

「蒼音さん、お待たせしました」

「全然、今来たところだよ」

 

 姿を見せたオレンジペコに、蒼音は微笑んで見せる。淡いグリーンのシアータックワンピースを着るその姿からは、春らしさと穏やかさを感じられた。

 しかし今日は、服以外にも違うところがある。

 

「それより、髪型……」

「たまには気分を変えようかと……変ではありませんか?」

 

 オレンジペコの髪は、解かれていた。ややウェーブがかかった明るい茶髪が、肩に触れるか触れないかの長さで下ろされている。今まで見てきたのは髪を結ってある姿だったので新鮮だ。

 そして何より。

 

「……全然、変じゃない。すごく可愛い」

「あ、ありがとうございます」

 

 純度100%の正直な感想を伝える。普段の髪型もそうだが、今の髪を下ろした姿は別角度の可愛さがある。言うなら、優雅さの色が異なっているような感じだ。

 蒼音の言葉に満足したのか、オレンジペコは微笑み、少しだけ頬を紅くする。

 

「それじゃ、行こう」

「はい」

 

 そして互いに歩み寄り、手をつなぐ。前と比べたら、そうするまでの緊張も間もなかった。

 こうして陸でデートをするのは初めてではないが、オレンジペコが2年生になってからは初めてだ。

 

「新しく入った人たちの指導は、やっぱり大変?」

「はい。ですが、聖グロリアーナの大切な仲間ですから、丁寧に育て上げたいと思います」

 

 オレンジペコはやはり隊長に就任し、1年生の時から培ってきた辣腕を振るっている。これまで交わしてきた電話やメールで、それは聞いていた。

 戦車道の勉強を通じて、蒼音もそれ関係の話をすることはたまにある。あくまで部外者なので、仕入れた情報の裏の裏まではわからずとも、有益かも知れない情報は提携していた。

 

「近いうちに、大洗女子学園との練習試合も組まれているんです」

「大洗って、去年優勝したあそこ?」

「ええ。あちらも、3年生が卒業して新しい体制になったので、恐らくは実力を試すためかと」

 

 ターミナルを出て、街へ足を向ける。青い空が出迎えてくれた。

 練習試合の件は、やはり戦車道の強豪校ともなれば何度も経験するものなのだろう。そして、聖グロリアーナの「受けた勝負は断らない」主義も受け継がれているらしい。

 

「1人で抱え込んだりはしていない?」

「ルクリリさんとローズヒップさんで、できることは分担しているので、今のところそうはなっていないですね」

 

 ルクリリもローズヒップも、オレンジペコにはない果敢さと勢いを持っているらしい。それが仲間を率いる一声となり、士気を高める要素となっている。また、戦車隊で方針や作戦を立てる際には、2人の意見も求めているのだそうだ。後でその2人の話も聞いてみよう。

 

「朱那さんに教わったアドバイスのおかげです。自分ひとりで全てをしようとするのではなく、周りを頼るという言葉……。そのおかげで、今は何とか」

「……姉さんが聞いたら泣いて喜びそうだ」

 

 思えば、姉を交えて3人で話してから月数はかなり過ぎた。オレンジペコとここまでの関係になるとは、蒼音自身思っていなかったものだ。

 すると赤信号に引っかかり、大型トレーラーが前を横切る。

 その荷台には。

 

「クロムウェル巡航戦車だ」

 

 どこかのチームに配備される予定なのか、その戦車の側面にはシンボルマークのようなものがあった。

 そのトレーラーに運ばれているクロムウェルを見届けると、オレンジペコが感心したような顔を向けている。

 

「……もう、見たらすぐ戦車の種類が分かるようになったんですね」

「いやあ……有名どころのものだけなんだけどね」

 

 昨年受験した戦車道検定だが、どうにか合格できた。合格ラインスレスレだったため、余裕でとはいかなかったが。

 その結果はすぐにオレンジペコに電話で報告した。その時は、電話越しでも半泣きで喜んでくれたものだ。こうして人の良い結果に、感情を露にしてくれるというのはとても嬉しい。

 

「戦車道も奥が深いって前に言ったけど、いくら勉強しても知らないことばかりだなって」

「たしかに、実際戦車に乗って勉強していても、その真髄は見える気配がないというか……」

「戦車道に限っては、俺はずっと半人前かな……」

 

 戦車に乗れて、勉強を続けて、隊長にまでなったオレンジペコは一人前と評価していい。そんな彼女でさえ、戦車道のそこには辿り着けていない。なら、どれだけ勉強しても戦車に乗れない蒼音がそれを目にするのは、困難を極める。戦車道だけで言えば、オレンジペコに追いつくなんて不可能だ。そういう意味では、蒼音は半人前の枠を超えられない。

 そう告げると、オレンジペコが握る手にほんの少しだけ力が籠もったのを感じた。

 

「蒼音さんなりに努力し続けているのであれば、それは決して恥じることでもなく、劣等感を抱くものでもありませんよ」

「そうかな……?」

「はい。私は、そうして戦車道に向き合うのを諦めないでいることが、とても嬉しいですから」

 

 温かい笑みに、温かい言葉。春の陽気も相まって心が満たされていく感覚になる。

 

「でも、無理はなさらないでくださいね。応援してくださるのは嬉しいですけど、蒼音さんがそれで体調を崩されたら……」

「ああ、それについては大丈夫。休める時は休んでるし」

 

 蒼音が勉強をする際は、時間を決めて休むのではなく、集中力が完全に切れた時や、体が疲労を訴えてきた時に休む。だから、「休める時に休んでる」のだ。場合によっては何時間も通しで勉強することがあるけれど、それは口にすまい。

 

「それに、これから先オレンジペコを支えていくためには、知識は積んでおいて損はないし、それぐらいしないと胸を張って隣には立てないと思ってるから」

 

 オレンジペコは戦車道に励み、未来の夢も戦車道に据えられている。だったら、そんな彼女の恋人である男の自分にできることは、オレンジペコがいる戦車道の世界を知ることだ。それができないと支えることなんてできやしない。だから、そのために勉強することに、蒼音はなんの迷いも忌避もなかった。

 するとオレンジペコは。

 

「……プロポーズ、ととっても?」

 

 片目を瞑って、大胆な言葉を投げてきた。

 その意図はなかったのだが、蒼音は一度口を閉ざしてから、視線を赤信号に向けなおして続ける。車両用の信号が変わり始めていた。

 

「……できれば、それはちゃんとした時と場所と言葉で伝えたい」

「……楽しみにしていますね」

 

 実を言うと、オレンジペコと付き合った後、これ以上の出会いがあるかと問われれば、それには首を横に振って答えられる。それに今後、オレンジペコと別れてしまうと考えるのは、頭を過るだけで心に刃物を突き立てられたように苦しくなる。

 だからつまり、オレンジペコとは将来的に()()なりたい。

 けれど、言った通りそれを伝えるには適切な時間と場所が要る。今の言葉は、永遠を誓うにしては個人的に赤点をつけたい。だからこそ、それを告げるのはまだだ。

 青信号になり、再び前へ歩みだす。

 デートで向かう最初の場所は、自然と決まっていた。港沿いの公園の脇を通り、通りに面したお洒落なカフェを横目に歩き、ショッピングストリートにやってくる。北欧家具店やアパレル店、コーヒーショップや猫カフェなどを素通りして、辿り着いたそこは。

 

「お、いらっしゃい。2人とも」

 

 「Graceful」に入ると、品出しをしていた槐がこちらを振り向く。そして、笑って挨拶をしてくれた。蒼音は「どうも」と返事をし、オレンジペコは「こんにちは」と礼儀正しく挨拶をする。

 これまでは、オレンジペコが本土に来る日は基本休日で、蒼音は大体ここでアルバイトの日だった。けれど、付き合うようになった今となっては、オレンジペコが本土に来る休日=蒼音のデートの日となっている。当然ながらシフトを入れるわけにはいかない。オフの日に、しかもデートで自分が働いている店に来るのは妙な感覚だが。

 

「オレンジペコさん、今日は髪下ろしてるんだ~。いいじゃない、印象すごく変わるね」

「ふふ、ありがとうございます」

「で、香戸クンには褒めてもらえた?」

「ええ、『すごく可愛い』って」

 

 槐が愉快そうな笑顔を向けてきた。オレンジペコもこちらを笑ってみているが、蒼音は肩を竦めるだけだ。恥ずかしいが、できる限り面には出さない。

 

「今日も仲が良さそうだねぇ」

「おかげさまで」

 

 そして槐は、そんな蒼音の真意を見透かしてか面白がっている。オレンジペコも、否定しなかった。

 かつてアドバイスをもらった縁もあってか、オレンジペコと槐はこうして気さくに話を交わすぐらいの間柄になっている。そして、こういう場で女性が手を組むと男に勝ち目はないので、迂闊なことは言えないしできない。

 しかし、本当にオレンジペコがここに初めて来たときは、まさかこうして恋人同士になれるとは思っていなかったものだ。今こうして、自分がオレンジペコと並んでここに入るのは付き合う前に一度だけあったが。

 

「今日も聖グロ宛てで?」

「はい」

 

 そんなオレンジペコは今、アロマを誰の手にも頼らず自分で買っていた。

 「紅茶の園」に使ったアロマフラワーが、在校生にも新入生にも好評だったため、常設するようになったらしい。元々、半分はオレンジペコへの気遣いのために贈ったアロマが、聖グロリアーナに気に入られるとは嬉しいものだ。槐も前に、「まさか本当にお得意様になってくれるなんて」と、意外そうに呟いていた。

 そんなオレンジペコは、今日はユズの香りのエッセンシャルオイルを手にしている。

 

「新入生の皆さん、かなり緊張されておりますし、不安を取り除く効果があるものが良いかと思いまして」

「へぇ~……流石、隊長さんだね」

 

 槐はにこやかに笑い、蒼音も頷く。アロマの効果がどこまで効くかは個人による。けれど、それはオレンジペコだって理解しているはずだし、気遣うのは優しさからくるものだ。何とかしてあげたい、という気持ちがあるのだろう。

 槐は頷いて、アロマフラワーとユズのエッセンシャルオイル受け取り、オレンジペコが代金を支払う。すると、槐は発送用の梱包を始めた。

 

「じゃあ、香戸クン。よろしくね」

「はい」

 

 槐が何かを促すように笑うと、蒼音は前へ出てオレンジペコの横に立つ。お決まりのパターンだ。

 

「今日はどうする?」

「最近、またちょっと眠れない時がたまにあるので……」

「だったら、まずは安眠効果があるのにするとして、他に気になるところは?」

「それは、ええと……やっぱり、時折不安になることがあるといいますか……」

 

 デートの際、聖グロリアーナに置くアロマはオレンジペコが買っている。けれど、オレンジペコが個人で使うものに関しては、これまでのように蒼音が意見を聞いて選んでいた。

 最初こそ、オレンジペコは聖グロリアーナに置く用のものを買うついでに、槐にお勧めを聞いていた。

 けれど槐は。

 

――個人向けのアロマは香戸クンの方が詳しいからねえ

 

と、訳知り顔で蒼音を示したのだ。個人向けも何もないが、槐なりの気遣いといち早く察した蒼音は、オレンジペコ用のアロマを選んだ。結果として、オレンジペコの分は蒼音と選ぶ流れができあがっている。

 

「だったら、ラベンダーはどうだろう? 今言った気になるところへの効果は一通りあるし、リラックス効果もあるから」

「でしたら……そうですね。それにします」

 

 蒼音が勧めたその香りに、オレンジペコは迷うことなく決める。

 続いてどのタイプにするか考えようとしたところで、オレンジペコが商品棚の一点を見つめているのに気づく。見ているのは、アロマのマッチだ。

 

「そういえば、最初に蒼音さんから勧められたのも、ラベンダーでしたね」

「……そうだね」

 

 ここに初めてオレンジペコが来た際に勧めたのは、初心者も手軽に、という理由でアロマのマッチだった。そしてその香りの種類はラベンダーだったのを、蒼音も覚えている。

 

「あの時は、こうなるとは思いませんでした」

「……俺もだよ。最初は、オレンジペコとの縁はあれっきりだと思ってた」

「それで、蒼音さんを通じて、朱那さんともお話しして」

「……ああ」

 

 あの時は、槐に諌められたのもあり、随分と軽率な行動に出てしまったと後悔した。それでオレンジペコが来なくても仕方ないと思っていたのだが、それでも来てくれた。

 そして、緊張と不安、恐怖で押しつぶされそうになった「相談」を持ち掛けて、今の自分たちがある。

 

「あの時は、本当につらかった。あんな、知り合って間もないのにあんな相談して」

「もう、気にしないでください。あの時は本当に嬉しかったんですし、その上こうしてあなたとの縁が結ばれたのですから」

 

 オレンジペコの言う通りで、あの時自分が、胃が痛みだすほどの申し出をしなければ、こうはならなかった。結果オーライと片付けることもできなくはないが、蒼音はそれができない。

 だが、オレンジペコはそんな蒼音の不安を見通したのか、蒼音の空く右手を両手で包み込むように握る。

 

「むしろ私は、あの時あなたが話しかけてくれなければ、今がないと思うと……寂しいです」

 

 表情が翳るオレンジペコ。

 何をやってるんだと、蒼音は自分を恥じた。

 

「……それならこれから先、あの時の出会いを『良い思い出』にできるよう、色んなことをしよう」

「……はい」

「それで……幸せになろう」

「……はいっ」

 

 今はまだ、そうとしか言えない。あの時のことは、今を思えばよい結果につながったとはいえ、まだ申し訳なさは残っている。それを自信をもって「良い思い出」と言えるようになるためには、これから先、オレンジペコとたくさんの思い出を作って、幸せになることだ。

 宣言する。

 オレンジペコは、笑ってくれた。

 そしてここが、店の中だということに気づく。

 

「……あ」

 

 気づけば、カウンターで梱包作業をしていたはずの槐がいない。なんとなく嫌な予感がして、小声でオレンジペコにどのタイプのアロマにするかを尋ねる。意図を察したオレンジペコが、マッチと精油を指さし、蒼音は手早くそれらを手に取ってカウンターへ向かう。

 カウンターの陰に槐は隠れて、いなかった。

 

「……店長」

「はいはい」

 

 恥を忍んで声をかけると、バックヤードから槐が出てきた。

 

「いやぁごめんごめん。急に旦那から電話があってね。大丈夫、2人の話は聞こえていないよ。んもー、仕事中にかけてくるのは勘弁してほしいよねえ」

 

 満面の笑みで言う。絶対に聞かれていた。

 恥ずかしさで消えてなくなりたい気分だが、それではオレンジペコを幸せにできない。だから、顔が赤くなるのを抑えられないままに商品の会計を頼む。

 

「バイトだから2割引き……いや、3割引きにしちゃおうかなあ」

「正規料金で、お願いします」

 

 オレンジペコへのプレゼントだから、割引なのは気が引けた。それに、3割引きには福利厚生だけでない他意が込められている気がしてならない。商品を渡される時に小声で「頑張れ」と言われたのは、絶対に忘れないと思う。

 

「……それじゃ、次へ行こう」

「……はい」

 

 オレンジペコも、顔が赤かった。

 槐は暢気なもので、「今後ともご贔屓に〜」なんて爽やかに告げるのだ。

 

◇ ◆ ◇ ◇

 

 続いて向かったのは、折角だからと言う理由で、紅茶の専門店だった。そこは欧風の見た目とアンティーク調の内装が良い雰囲気を醸し出す、蒼音とオレンジペコが本当に最初に出会った店だ。

 

「いらっしゃいませ」

 

 白い口髭を蓄えた初老の店主が、温かく出迎える。蒼音は笑みを浮かべて頭を下げる。オレンジペコも、「こんにちは」と挨拶をした。

 

「紅茶、また新しく挑戦してみようかな」

「でしたら、またご紹介しましょうか」

「……そうだね。頼むよ」

 

 今もコーヒーの方が飲む機会が多いが、最近では紅茶も飲むことが増えている。例の聖グロリアーナ謹製カフェインレス紅茶だけでなく、スーパーで見かけるティーバッグ式のものも蒼音は嗜むようになった。

 理由は、隣にいるオレンジペコの存在が大きい。

 

「今度は、茶葉から淹れてみようかな」

「確か、コーヒーをよく飲まれるんですよね?」

「そうだね……だからまあ、甘めのやつよりちょっと苦めのがいいかも」

「でしたら、そうですね……」

 

 オレンジペコが店の中を見回す。蒼音がここに来たのはまだ2度目だが、いい雰囲気だ。ほのかに香る紅茶の香りは芳ばしいし、木製の棚や床、テーブルなどが温かい印象を与えてくれる。

 そんな店の中を、オレンジペコはぐるっと回ってから、棚に置かれている茶葉の入った缶を指さした。

 

「ヌワラエリヤやディンブラなどが、少し渋みを感じられるものでして。特にディンブラは、ミルクティーやアイスティーに適していますね」

「それじゃあ……そっちにしようかな」

 

 紅茶に関しては一家言ある聖グロリアーナの隊長の言葉に、間違いはないだろう。自分のアロマの知識をオレンジペコが信用してくれるように、自分も紅茶の知識を持つオレンジペコを信用して、ディンブラの茶葉50グラム入りの袋を手に取る。

 オレンジペコはそれから、自分の分の紅茶を――店のオリジナルブレンド――を選び、蒼音の持つ茶葉と一緒にレジへと持っていく。せめて自分の分は払おうと思ったのだが、オレンジペコはやんわりとそれを留めた。アロマのお返しのつもりだろうが、後で昼食はご馳走しようと決意する。

 

「お願いします」

「はい、ありがとうございますね」

 

 店主はにこやかにレジを打ち始める。年季の入ったレジがやや苦し気な音を出しているが、どうにか会計は済みそうだ。

 そこで蒼音は、店主の姿を見て思い出す。最初に来た時は、まごついていた自分を見かねて声をかけてきてくれたなと。しかし今日は、レジから動かなかった。オレンジペコが紅茶について色々教えてくれたからか、それとも自分たちを見て邪魔すまいと思ってのことだったのか。どちらにせよ、空気を読んで邪魔しないでくれていたようだったので、それに内心で感謝する。

 

「またよろしければ、どうぞ」

「はい。それではまた」

 

 挨拶をして、2人で店を出る。

 春の陽気がお互いを迎え入れてくれた。

 

「もうすぐお昼ですけど、どうしましょうか?」

「じゃあ……歩きながら、よさげなお店があったらそこで」

 

 そうして、蒼音とオレンジペコは港とは反対の方向へ向かう。この先には大きな公園がある。

 歩き始めてからほどなくして、ひっそりと居を構える喫茶店があったので、そこに入ることにした。

 一軒家をリノベーションしたそのお店は、少しお昼には早いためか客はあまりいない。老年の女性が水とおしぼり、そしてメニューを持ってきてくれた。老年、と言っても背筋はしゃんとしているし、品のある佇まいである。なんとなくだが、信用できる気がした。

 ただし、決めるまでに時間をかけるのも申し訳なかったので、ランチセットを2人分注文する。ワンプレートの料理で、その日によってどんな料理が出されるのかは変わるのだそうだ。期待感を高めつつ、蒼音はセットでコーヒーを、オレンジペコは紅茶を頼む。

 

「思えば、本当に私たちが最初に会ったのは、あのお店でしたね」

 

 オレンジペコが告げる。蒼音は、そちらを見て頷いた。会った、と言ってもあのお店で蒼音はオレンジペコの顔をほとんど見ることができなかったが、財布をあの時オレンジペコが落とさなければ何も始まらなかっただろう。

 

「……あなたに会うまで、私にとっての身近な『香り』とは、紅茶の香りと、戦車道で浴びる硝煙や鉄の香りでした」

 

 無骨な戦車に乗るうえで、香りというものは強く感じるものだろう。そして、ティータイム制度を設けていることを含め、聖グロリアーナを語るうえで紅茶は欠かせない。それらの香りが身近なものというのも、頷けた。

 

「けれど今、私にとって一番身近な香りとは、アロマの香りです」

 

 その言葉に、蒼音は頷く。それだけオレンジペコがアロマを気に入ってくれたということ、使ってくれているということは、勧めた蒼音にとっても嬉しいことだ。

 

「蒼音さんは、元々は眠りを改善するためにアロマを始めたって、仰ってましたよね」

「うん、そうだね」

「それから勉強するために『Graceful』で働いているとのことでしたが、将来はどうされるのですか?」

 

 問われる。それは決して蒼音を試すような、値踏みするような質問ではないと、蒼音は理解している。

 けれど、将来のことはそろそろ明確に考えなければならない。こうしてオレンジペコという大切な人もできたのだから、自由気ままにその日その日を気楽に生きればいい、なんて生ぬるい考えは許されないだろう。そもそも、蒼音はそんな風に暮らせるほど図太くもない。

 大学に行くことを選んだのは、将来どうしたいかをはっきりさせるために、という理由が大きい。しかし、入学当初から少し前まではまだ、どうなりたいとかそういうビジョンは見えなかった。

 しかし今は、オレンジペコと出会った今は違う。

 

「……将来、俺は何になろうとかそういうのが、まだ決まっていなかった。だけど、オレンジペコが、一番身近に感じる香りがアロマなら、香りに関係する仕事に就いてみたい、と思っている」

 

 蒼音にとってのアロマとは、心身の助けになってくれるものという印象が強かった。それに関する資格も取ったが、アロマに関する仕事に就くというのは、あくまでも選択肢の一つとしてキープし、他に色々な仕事を加味して決めようと思っていた。

 だが、それほどまでに、オレンジペコにとってのアロマの香りが身近で、重きを置くものになっているのであれば、それを極めるのもいいかもしれない。いや、そうしたいのだ。

 

「オレンジペコの目指すのがプロの戦車道、ってすごいものだから、比べるのも何だけど……オレンジペコを支えるためにも、そうなりたい」

 

 アロマテラピーの検定を一番最初に受けたのは、正解だったかもしれない。

 アロマは科学的な根拠に基づいた治療方法のひとつでもある。だから、その資格とこれまでの経験を活かして職にして、戦車道の知識だけでなくそちらの面でもオレンジペコを支えていきたい。

 

「……そう、ですか」

 

 やっと見えた、将来のビジョン。

 それを伝えると、オレンジペコは嬉しそうに微笑んだ。どころか、むしろ何に照れているのか腕をもじもじとさせている。

 

「あなたの将来に私がちゃんといるというのは……こう、嬉しいやら恥ずかしいやらですね」

 

 指摘されて気づいた。

 明確に「結婚する」とは言っていないものの、これから先の自分の人生で「オレンジペコを支える」と告げた以上、捉えようによってはそうとも考えられてしまう。先ほどと比べればプロポーズの言葉としては幾分マシかもしれないが、まだ駄目だと蒼音は思っている。

 するとそこで、タイミングよく(と言っていいかは疑問だが)店主の女性が料理を運んできてくれた。

 

「はい、おまちどおさま」

 

 ニコニコと嬉しそうに笑っている女性が運んできたプレートには、キーマカレー、小松菜とベーコンのバター炒め、プチトマトとレタスのサラダと、レンコンのはさみ揚げがバランスよく載せられていた。

 

「そこのお嬢さん。さっき戦車道って言葉が聞こえたんだけどねぇ……」

 

 続けて紅茶とコーヒーを持ってきた女性が、オレンジペコに話しかけてくる。オレンジペコは、紅茶を受け取りながらそちらに視線を向けた。

 

「お嬢さんは、今も戦車道をしているのかい?」

「あ、はい。聖グロリアーナという学校で……」

「へえ、聖グロ?」

 

 流石に隊長を務めていることまでは言わないが、聖グロの名を出すと女性は心底驚いたように声を上げる。やはり、このあたりでその名前は伊達ではないのだろうと思ったが。

 

「いや、懐かしいねぇ。私も聖グロ出身なんだ」

「「え?」」

 

 笑って明かす女性に対し、蒼音もオレンジペコも声をそろえて驚きの声を上げた。

 女性の年齢を聞くのは憚られるが、恐らくはだいぶ前に在籍していたのだろう。けれど、聖グロ出身ということを考えると、この女性の第一印象でもある上品さには納得がいく気がする。

 

「戦車道はやってなかったんだけどねぇ……性に合わない、というかで」

「そうなんですか……」

「でも、すごい偶然だよ。ここで長いこと店をやっているけど、聖グロの子が来たことはなかったからねぇ。いや、来ても気づかなかったのかな」

 

 すごい偶然なのはこちらの方だ。蒼音にしてみれば、初めてやってきた店の主人がオレンジペコと同じ聖グロリアーナの出身だったなど。

 

「そうか、今も戦車道は続いているんだね」

「ええ」

「いかなる時も優雅に、かい?」

「はい」

 

 時が経っても、聖グロリアーナのモットーは忘れていないらしい。

 オレンジペコが頷くと、女性もまた安心したように微笑む。

 

「お嬢さんを見てると、私がいた頃からのそれは続いているんだなって感じるよ」

 

 驚いたように、オレンジペコは口を小さく開ける。

 蒼音にも、女性の言った言葉の意味は理解できた。つまりオレンジペコは、他人から見ても優雅であると、蒼音と話している間も、そう思われているのだと。

 蒼音は、自分がそう言われたわけではないにも関わらず、嬉しさが溢れてきそうになった。自分の好きな人が褒められるのは、認められるのは、我がことのようにそう思える。

 そして当の本人も。

 

「……ありがとうございますっ」

 

 嬉しそうに、笑ってお礼を告げていた。

 

◇ ◇ ◆ ◇

 

 美味しい料理と飲み物だけでなく、非常に珍しい縁に巡り合えたからか、清々しい気持ちで店を出られた。

 

「本当、すごい偶然だったね」

「ええ。まさか、こんなところで出会えるなんて」

 

 蒼音とオレンジペコは、「ごちそうさまでした」と告げて店を出る。女性は「またよろしければどうぞ」と朗らかに言ってくれた。多分、間違いなくここにはまた来ることになると思う。

 ちなみに、昼食代は先ほどの紅茶専門店で心に誓った通り、蒼音が支払った。オレンジペコは何かを言いたそうにしていたが、今回ばかりは無視を決め込む。おかげで、店主の女性からは「可愛い彼女さんなんだから、大事にしてあげなさい」と言われた。無論、言われなくてもそのつもりである。

 

「それじゃ、次へ行こうか」

「そうですね」

 

 そして、丘の上にある公園を目指す。ここからなら歩いて15分程度だし、腹ごなしにもなる。

 

「次はあちらに、ローズヒップさんやルクリリさんと一緒に行きたいですね」

「副隊長の2人と?」

「ええ。もしもお時間があれば、あの方と聖グロリアーナのことについてもっと話してみたいです」

 

 確かに、まだオレンジペコが生まれてもいない頃の聖グロリアーナがどうだったか、という話は興味深い。とはいえ、今の聖グロリアーナ戦車隊の上層部の2人も一緒に行くのであれば、蒼音は留守番だろう。であれば、今度個人的に訪れることにしてみようか。

 そこで、蒼音のポケットの中の携帯が震える。回数的にメールだったので、誰からのか確認すると朱那だった。

 

「あっと……ちょっとごめんね」

 

 昔から、朱那相手だとどうしても何かしら反応を示さなければ悪いことになる気がしてならない。なのでメールを開いてみると。

 

「……」

 

 感情が引き潮のように、心の奥へと引っ込んでいく。

 異変に気付いたオレンジペコがこちらの様子を窺ってきたので、蒼音は苦笑いを浮かべて携帯の画面を見せる。するとオレンジペコも、「えっ!?」と先ほどの店での衝撃的な出会いを彷彿とさせる声を上げた。

 蒼音は、改めて携帯の画面を見る。

 

『結婚することになりました』

 

 朱那が社内の男性と付き合っているのは聞いていた。だが、それは随分しれっと告げられたもので、蒼音もあの時は一瞬反応に困ったものだ。

 そして今回のことも、また注意しなければそのまま流してしまいそうなほどに、非常に自然な流れで、何の前触れもなく発表された。本当にあの姉には驚かされてばかりだ。

 

「……朱那さん、お付き合いされている方がいらっしゃったんですね」

「俺も知った時は驚いた。何せ2年も付き合ってたらしくて」

「2年……へぇ……」

 

 オレンジペコは、既に恋愛している身であれど、他人の恋愛ごとは別腹という感じで興味を示していた。とりあえず、朱那のメールには無難なお祝いのメッセージを返しておく。あとでオレンジペコも何かしらお祝いの言葉を贈るとのことだ。多分、この朱那の話を聞いたら両親の血圧はまた上がってしまうことだろう。

 ちなみに、オレンジペコと付き合っていることを知っているのは、蒼音の周りでは槐だけだ。朱那にも隠しているが、自分だって親にすら2年も話していないのだから、お互いさまという奴だ。と言っても朱那に隠しごとを隠しおおせた実績はないため、いずれバレるだろう。遅いか早いかの違いだ。

 

「……なんだか、蒼音さんと出会ってからは、驚く事ばかりです」

 

 気を取り直して再び歩き始めると、オレンジペコは今の状況を整理しようと努めているようにやおら口を開く。

 

「朱那さんや、槐さん、そして今日立ち寄ったお店の主人も……珍しい縁に巡り会うことが多くて、驚いてしまいます」

「……そうかな」

「ええ。何より、蒼音さんという唯一無二の方とも出会えましたから」

 

 やがて、丘の上にある公園に辿り着いた。春の陽気は、なおも自分たちを歓迎してくれているらしい。英国式庭園には春の花ばなが咲き誇っており、そこかしこから花の優しい香りが漂ってきていた。天気がいいのもあって、家族連れやカップル、観光客らしき外国人も見える。

 どこへ行く、というでもなく、蒼音とオレンジペコは公園内を進む。

 

「あなたに出会えたからこそ、今の私があって、他の方との縁ができて、聖グロリアーナの戦車隊長という自分に自信を持つことができています」

「……それは買い被りすぎだよ」

 

 花壇を横目に歩いて、港町を一望できる展望台に立つ。穏やかな小春日和に海はよく映えた。遠くにある橋も綺麗に見える。

 オレンジペコの言葉を、蒼音は優しく訂正した。

 

「確かに、オレンジペコの悩みを聞いて、俺はアロマを贈ったし、色々と話しもした。それでオレンジペコが変われたのは知ってるし、嬉しくも思う。だけどそれは、オレンジペコの中に最初からあった自信や勇気を後押ししたに過ぎない。それをどう活かすかを決めたのは、オレンジペコ自身だから」

「そうかもしれません。けれど、私に親身に寄り添ってくれたのは蒼音さんだけです」

 

 オレンジペコは、蒼音に身体を向ける。

 

「私は蒼音さんに出会えたからこそ、自信をもって隊長になって、戦車道を続けられて、そしてあなたの隣にいられる」

 

 これまでの自分とオレンジペコとの間で起きたことは、覚えている限りでも何か一つでも違えば今はなかったのかもしれない。そもそも、最初にあの紅茶専門店で財布を拾わなければ、降雨はならなかっただろう。

 そしてオレンジペコは、自分よりもまだ若いのに、その身に様々なものを背負っている。考えもまた非常に秀でている。蒼音より優れている面が多いのに、数少ない蒼音の長所を大切に思い、そして必要不可欠なものとしてくれていた。

 

「そして貴方は、そんな私のことをこれから先支えると言って下さって……。そんな貴方が傍にいない未来というものは、考えられない。考えたくはない」

 

 一度うつむき、再び視線を上げてくる。

 だが、何を言おうとしているのかはすぐに理解できた。

 

「だから、蒼音さん――」

「待って」

 

 肩に手を置く。それでオレンジペコの言葉は止まった。

 

「……俺の方から言わせてほしい」

 

 気づいたように、オレンジペコは口を閉ざして、そして頷く。多分オレンジペコは、今日の出来事や言葉で、感情を抑えるのが難しくなったのだろう。それは分かる。だって蒼音も、同じようなものだから。

 だが、最初の告白のように、二度も先を越されてしまうと流石に立つ瀬がない。

 

「……オレンジペコ」

「……はい」

「まずは、君と出会えたことに本当に感謝したい。オレンジペコに会えなかったら、俺は戦車道の知識も中途半端で、将来の夢もまだ定まらないままで、何を目指してどこへ行こうとかそういうのが決められなかったから」

 

 毎日を無為に過ごしていたつもりはない。それでも、自分の人生の終着点や大きな目標というものがなくて、何かが欠けているような感じだった。

 それでも、オレンジペコと出会えたことで、将来の道も、為すべきことも、学ぶべき知識も見つけられた。

 

「そして、オレンジペコのことを好きになった」

「……」

 

 微笑むオレンジペコ。

 何よりも、人に恋をするという初めての感情を得られたのが、一番だ。

 

「戦車道にひたむきで、真剣なオレンジペコが好きだよ。そして、これから先もプロを目指すっていう、大きくもすごく誇らしい夢を持ってるオレンジペコのことを、この先ずっと応援したい」

「……ありがとうございます」

「そしてもし許されるのなら、俺はこの先、君のすぐそばでそんな君のことを応援していきたい。持っているアロマと戦車道の知識で、支えたい」

 

 オレンジペコの手を取る。

 抵抗はなく、期待に満ちているような輝きが瞳にあった。

 多分、オレンジペコも同じことを願っているのだろう。だけれど、それはちゃんと自分の口で伝えたい。

 

「だから、よければ俺と……結婚してください」

 

 風が吹き、花の香りが漂ってくる。

 木の葉がひらひらと舞い散る。

 けれど、それでも。

 

「……はい」

 

 オレンジペコが、微笑んで、涙を一筋流したのは、はっきりと見えた。

 

◇ ◇ ◇ ◆

 

「こうしてみると、久しぶりね」

 

 ダージリン様が告げる。私は紅茶のポットをテーブルに戻してそちらを見ると、紅茶のカップから口を離して静かに微笑んでいた。

 

「そうですね。私たちが3人揃うなんて、聖グロを卒業する前の最後のティータイムかしら?」

 

 アッサム様は、スコーンを上品に半分に割ってクリームとジャムを塗ると一口だけ齧る。確かに、私たちが一つの場に集まる機会は、2人が卒業してからはなかったと思う。

 

「でも私は、オレンジペコと何度か会っていたわ」

「ええ、そうでしたね。一緒にショッピングへ行ったり、聖グロリアーナのお話もしましたね」

 

 アッサム様の視線に、私は頷き返してから紅茶を飲む。確かに、私が聖グロリアーナで隊長を務めていた2年から3年の間に、個人的に会って話をしていた。

 するとダージリン様が、肩を竦める。

 

「私もあってはいたけれど、アッサムに比べたら回数は少なかったかしら」

「まあ、イギリスにいたんですから仕方ないかと……」

 

 ダージリン様は、私が2年生になった年からイギリスへ留学していた。その合間――夏休みや年末などの長期休暇――に日本へ戻ってきて、私と会って話をしていたのを覚えている。隊長としてのプレッシャーについて話した時は、とても深く共感もしてくれた。

 

「でも、イギリスにいた時は驚いたわ。だって、バニラが急に私の大学に来てくれたんだもの」

「ああ、あれには私も驚きました……」

「クルセイダーの子たちには、驚かされるものよね……」

 

 そう。私が聖グロリアーナを卒業してから少しして、バニラさんから「イギリスでダージリン様にお会いしましたわ!」と写真付きのメールを送ってくれたのだ。1年生の頃から「将来は留学を……」と話していたバニラさんだったけれど、実際にそうした上にダージリン様に突撃したのは驚いた。そして同時に、向上心と、クルセイダーに乗っていたが故の行動力もあってのことなんだろうなと、納得もした。

 アッサム様も、そのメールは受け取っていたようで、思い出したかのように額を押さえている。

 

「でもまあ、驚きと言えば……」

 

 するとダージリン様は、何故か私の方を見た。

 

「オレンジペコが一番早く結婚したことかしら」

 

 ダージリン様の言葉を聞き終えてから、紅茶を飲めばよかったと思う。咽てしまいそうになって、変な声が出た。

 

「ああ、それは確かにあるかも」

 

 アッサム様まで同調してきた。このままなのは少し危ないと、かつての聖グロリアーナの隊長、そして今のプロ戦車道チームのいち車長としての状況判断能力が発動する。けれど、出遅れてしまった。

 

「だって、そんな素振りは……いえ、確かあったわね。無限軌道杯の前だったかしら」

「ええ。私がオレンジペコに無視されてしまったあの日ね」

「無視というかあれはダージリン様が……」

 

 ダージリン様を越えるための第一歩、として初めてダージリン様に少しばかり意地悪をしたあの日。だけど、かなりダージリン様は根に持っていたみたいだ。

 

「だって私、アッサムが一番最初に結婚するものと思ってたのよ」

「それは私も思っていましたが……」

「そう。だからこそ、私自身驚いたの」

 

 アッサム様に付き合っている方がいるのは知っていた。それに私も、出会いがあるまではアッサム様が一番最初に結婚すると思っていた。あるいは、ダージリン様にも突然の出会いがあるとも予想していた。

 けれど実際、この3人の中で一番最初に結婚したのは、私だ。だからこそ、そのアッサム様も驚き半分興味半分でこちらを見ている。

 

「思えば、あなたがアロマに興味を持ち始めたのも、その片鱗だったのかしら」

「私は何かあったとは思っていたけれど、それが殿方との付き合いの始まりだったとまでは思わなかったわ」

「あら、ダージリンの予想を超えるなんて」

 

 ダージリン様はくすくす笑って、アッサム様も面白そうに微笑んでいる。2人とも、生涯を共にする人と結ばれてからか、一層笑顔に輝きが増しているような気がした。

 

「いい機会だし、聞かせてもらえるかしら。その人との出会いを」

「そうね、私も知りたいわ」

 

 2人に寄られてしまうと、後輩の私ひとりにはもう防ぐ術はない。

 聖グロリアーナでこの3人で「ノーブルシスターズ」と呼ばれていた時から何年経っても、私は2人にとって可愛い後輩に違いはないらしい。

 観念して、私は口を開いた。

 


 

 恥ずかしさに耐え切れなくて、私はページを閉じた。

 

「あ、やっぱり駄目?」

「ええ、ちょっと……」

 

 隣で読んでいた蒼音さんが残念そうにするけれど、今の私にはもう一度ページを開く勇気がない。プロになっても、できないものはできないのだ。テーブルに置いていた紅茶を一口飲んで、何とか冷静さを取り戻す。

 

「何というか、お恥ずかしいことになってしまって……」

「いや、でもこういう肩ひじ張らない雰囲気のインタビューもいいと思うよ」

 

 私と蒼音さんが読んでいたのは、月刊戦車道の記事。「聖グロリアーナの元ノーブルシスターズ座談会」というタイトルで、内容は今の戦車道についての意見を交わし合ったり、聖グロリアーナにいた頃の思い出話をしたりというものだ。意見交換はともかくとして、後半についてはほとんどが私が色々な思い出をカミングアウトする羽目になってしまったけれど。その時の恥ずかしさや照れくささ、そしてまた2人と一緒に話ができた時の嬉しさを、読んでいるうちに思い出した。

 とはいえ、2人が卒業した後も、ダージリン様やアッサム様とお会いする機会はあったものの、こうして3人が一堂に会するのはあまりなかった。そして、昔に戻のように紅茶とお茶菓子を横に話をする機会はとても楽しかったものだ。

 

「じゃあ、これは後で読ませてもらうね」

「はい……」

 

 私が取材を受けたことを蒼音さんは知っているし、蒼音さんとの思い出話も色々話してしまったことは取材を受けた日に話していた。だから、発行されたら読ませてあげると約束した以上、それに反するわけにもいかない。

 とはいえ、私の恥ずかしさや、赤裸々に話してしまった後ろめたさを察してか、蒼音さんは私の髪を優しく撫でてくれる。

 

「大丈夫、俺も恥ずかしいけど、ちゃんと話してくれたってことは分かるから。気にしないでいいよ」

 

 労わるように撫でてくれる。

 その行為自体は嬉しいし安らぎを感じるけれど、私と蒼音さんとの身長の差も感じてしまうものだから、ちょっとだけ不満だ。聖グロリアーナにいた頃と比べたら多少背は伸びたものの、蒼音さんとの身長差は中々で、結婚式でも簡単に抱きかかえられてしまったぐらいだし。

 

「とはいえ、姉さんと母さん、槐さんには絶対にいじられるだろうけど」

「何というか……本当に、ごめんなさい」

 

 結婚した朱那さんやお義母さんが面白がるのは、申し訳ないけれど簡単に予想ができた。挨拶に行った時も、お義母さんはひょうきんな方だった印象があったから。そして槐さんも、「Graceful」で蒼音さんが働いていた時のことを思えば、やはり似たようにいじってくるだろう。きっと間違いなく。もしそれで蒼音さんが恥ずかしい思いをしたら、今度は私が労わるとしよう。

 その時、テーブルに置いてある私のスマートフォンがメールを受信した。見てみると、ローズヒップさんからだ。何となく、どういう内容のメールかが分かる気がする。

 

「……月刊戦車道のお話でした」

「やっぱり?」

 

 やはり予想通りのメールだった。3人で取材を受けたことが羨ましいということもそうだし、私の出会いについてコメントしてくれたのも、ある意味分かっていた。何せ、ローズヒップさんとは一時期聖グロリアーナ戦車隊を共に率いていたのだから。

 そしてローズヒップさんは、私の出会いを「ロマンチック」と評してくれていた。ローズヒップさんも良き出会いに恵まれたようだから、その言葉はそのままお返ししたい。 

 今にしてみれば、あの時の出会いは少し恥ずかしいものだった。

 お嬢様らしくなく初めてのことに焦って、恥ずかしさのあまり逃げ出して、聖グロリアーナの「ノーブルシスターズ」の名が泣くようなものだったと思う。

 けれど、あの出会いがあったからこそ、今の私の幸せがある。

 後悔なんてしてないし、良い思い出でもある。

 

「戦車道の話も、大分広がっていたみたいだね」

「ええ。近いうちにはフランス代表との親善試合がありますし……とても有意義でした」

 

 ダージリン様もアッサム様もプロリーガーとなり、聖グロリアーナで見た時とほとんど変わらないか、むしろ強くなった。私を含め全員が別のチーム属している以上、時には砲火を交えることがあったけれど、次のフランス代表との親善試合は3人一緒のチームで戦うことになる。だからこそ、この座談会は聖グロリアーナの時のことを思い出せたし、また3人で戦えるんだと思うと、嬉しくなった。

 そして、2人もプロとして戦車道の情報は積極的に集めていて、私も知りえなかった情報を持っていたりしたものだ。

 

「……俺ももうちょっと、戦車道の勉強を進めないと」

「私も、もっと情報を集めないといけませんね」

 

 蒼音さんが私を見て頷く。私も頷き返して、情報を集めないとと決心する。

 かつて誓ってくれた通り、蒼音さんは調香師として働きながらも戦車道のことを勉強して、私にアドバイスをしてくれることもあるし、その確かな知識で応援もしてくれる。そんな蒼音さんが支えてくれているから、今私はプロの選手として挫けないで戦うことができていた。

 

「でもその前に、まずはこちらの紅茶を飲み終えないと」

「ああ、それは確かに」

 

 蒼音さんは、紅茶についても勉強してくれた。おかげで、家で紅茶を淹れる頻度は私も蒼音さんもそう変わらない。また、蒼音さんに影響されて私もコーヒーを飲むことがある。けれど、やはり紅茶も好きだった。

 空いたカップに紅茶を注ぐ蒼音さんを見て。

 

「……蒼音さん」

「?」

「いつも、ありがとうございます」

 

 そう言わずにはいられない。

 これまでのことも、今も、これからのことも。それに向けて、蒼音さんにその言葉を伝えたかった。

 

「……ありがとう」

 

 蒼音さんは、笑ってそう言ってくれた。

 そうして紅茶を淹れなおすと、2人でティータイムを再開する。話題は、戦車道の話や調香師の仕事の話、そしてそこから色々と、枝葉のように話題は広がっていく。

 そんな私たちの暮らす家には、いつも紅茶とアロマの香りが漂っているのだ。




これにて、オレンジペコの物語は完結でございます。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
以下、あとがきでございます。

当初、オレンジペコをヒロインに据えての物語はいまいち構想が練られなかったのですが、最終章第4話にて「次期隊長」と明言され、そこに至るまでの悩みなどにクローズアップして書いてみたいと思い、今回の物語を書き上げた次第でございます。

今回の物語では、「年の差」「主人公の兄弟姉妹」要素を初めて起用しました。
オレンジペコはどんな恋をするだろう、と考えた際、同い年よりも年上との恋愛がしっくり来たため、相手を大学生としました。さらに、主人公を諫め、オレンジペコにアドバイスに恋愛についてアドバイスをする役として、「大人」の槐も登場させました。
なので今回は、これまでの作品と比べてかなり毛色が違うものになっているかもしれません。お楽しみいただけたようであれば、幸いでございます。

最終章第4話で新たに登場したクルセイダー車長の3人は、本編での出番が少なめなため、こちらでの出番はちょい役となりました。バニラに関しては、オレンジペコと同じ1年生だったため、少しだけ出番を増やさせてもらいました。本編の彼女たちの今後の出番にも期待です。

聖グロリアーナを舞台とするのは、1作目のアッサム編以来となり、その時とは筆者の書き方も、ガルパンという作品の趨勢及び判明した情報も変わったため、過去作との整合性に若干のズレが生じていているかと思いますが、ご容赦いただければ幸いです。

次回作に関しましては、今回が歳の差+遠距離恋愛だったため、継続高校(次回こそは)を舞台に距離感近めの恋愛を書けたらと思います。

重ねて申し上げますが、ここまで読んで下さり本当にありがとうございます。この場を借りて、感想、評価を送ってくださった方々に、心からの感謝をいたします。

それではまた、次の作品でお会いしましょう。
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