愛しい香り   作:プロッター

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第2話:珍しい縁

 「アロマショップ Graceful」の広さは、外観通りでそこまで広くはない。床と壁は白で統一されている。両側の壁は陳列棚になっており、ざっと見ただけでもアロマのディフューザーやボトルが綺麗に並べられていて、テスター用の小瓶も置かれていた。正面の壁には、アンティーク調の小さな時計が掛けられており、ちくたくと規則正しいリズムを奏でている。

 だが、そんな店の特徴など今のオレンジペコにとっては非常に些末な要素だ。何せ偶然入った店の人が、先日財布を拾って届けてくれた青年だったのだから。驚くなというのは無理難題すぎる。

 その青年の胸元には「(こう)()」とネームプレートがつけられており、面食らっているオレンジペコに向けて営業スマイルを浮かべている。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 香戸というらしい青年が、壁にある陳列棚を手で示す。どうやらあちらは、この間自分と遭遇したことを覚えていないようだ。あるいは、オレンジペコの勘違いで、あの時の人とは別人なのかもしれない

 そうなると、自分ひとりで無駄に慌てふためいている風に思い、気持ちを切り替えて商品に意識を向けることにした。

 どれがいいんだろう。

 並ぶ商品を見るオレンジペコは、その種類の多さに驚いた。決して種類は多くないとは思っていなかったが、逆に種類が多すぎてどれがいいのか分からない。アロマがどういうものかは概念的に知っていても、どの種類がどう作用するのかまでは埒外だ。紅茶だったらこんなことはないのに。

 香りの種類もさることながら、タイプも色々ある。部屋に置くタイプのディフューザー、風呂やハンカチに垂らすタイプの精油、布団に吹きかけるスプレー。初心者のオレンジペコにはどれが一番いいのかが分からない。流石は専門店というべきか。

 

「お手伝いしましょうか?」

 

 すると、自分の近くで声が響いた。心の中で情けない声が出るが、そちらを見ればすぐ近くに香戸が立っている。下心のない、純粋な親切心から来る柔和な笑みを浮かべていた。

 

「もしよろしければ、お客様に合わせた商品も紹介いたしますが、如何でしょうか?」

 

 物腰低く、オレンジペコに極力不安を与えないような口調で話しかけてくる。先日の紅茶専門店でもあった、親切心での案内だ。オレンジペコの中の衝撃が引いていく。

 ここが紅茶やアパレルなどのお店だったら丁重に断るところだが、オレンジペコはアロマに関する知識がほとんどない。ここで変なものを買って損するよりも、この店員の厚意に甘んじた方がいいだろう。

 

「ええと……実は私、アロマって買ったことがなくて」

「なるほど」

「でも、最近ちょっと眠れないことが多くて……使ってみようかな、と」

「そうでしたか、ふむ……」

 

 初心者のオレンジペコの言葉に、香戸は適度に頷いて相槌を打つ。話を聞いた香戸は、「それでしたら」と呟きながら、商品の棚を見渡していくつかを手で示す。

 

「ストレスを感じているようでしたらこちらのラベンダー、気持ちを落ち着かせたい時はオレンジなどが良ろしいかと」

 

 示したのは精油の小瓶だ。いずれも瓶自体の色が茶色いので中身が何色かは分からない。けれどテスターが近くにあるので、匂いを嗅いでみるといいだろう。

 

「今申し上げたアロマは、主に精油とディフューザーが皆様よく使われますね」

「大体どれぐらいの時間使えるんですか?」

「そうですね……精油でしたら量と保存さえちゃんとすれば長い期間、ディフューザーは6~8週間というところでしょうか」

 

 説明されて、オレンジペコは少し悩む。長い期間使えるとしても、もし合わなかったらそれを無駄にしてしまうことになる。ディフューザーはきっと途中で止めるのは難しいだろうし、精油も保存したところで忘れてしまう可能性が高い。

 オレンジペコが悩んでいるのを察したように、香戸は反対側の棚を見る。

 

「あるいはこちらの……」

 

 香戸がそちらへ行ったので、オレンジペコもついていく。そちらには、アロマだけでなく線香やお香といった和風のものも置いてある。香りに関するものは一通り揃えているらしい。その中で香戸が手に取ったのは、見た目はマッチ箱にしか見えない小さな箱だ。

 

「この、マッチタイプのアロマは如何でしょう?」

「これがアロマなんですか?」

「アロマというか、お香というか……なんですけどね」

 

 オレンジペコが驚きの目で見る前で、香戸はその箱を開ける。どうやらそれは試供品のようで、中には本当に見た目がマッチにしか見えない木の棒が数本収まっている。その中の1本を香戸は取り出した。よく見ると、火が点く部分がマッチ棒ではよくある赤色ではなく紫色だ。

 そして香戸は、その棒の頭を普通のマッチのように箱の側面にある側薬に擦ると、小気味よい音とともに火がつく。灯った火の色は、普通の火と同じで赤っぽい。

 

「使い方はこんな感じで、普通のマッチのように火をつけるんですが…」

 

 香戸が説明する傍で、マッチの火が燃え尽きる。だが、普通のマッチと違い、柄の部分から細い煙が立ち始める。それでいて柄は燃えたりせず、しかも普通の煙とは違う良い香りが漂ってきた。

 

「柄の部分がアロマになっておりまして、10分ほど楽しめるようになってるんです。アロマというより、お香に近いんですが」

「へぇ……こんなタイプもあるんですね」

「手軽に使えますので、これもお勧めです」

「なるほど……ありがとうございます」

 

 説明をしてから、香戸はマッチアロマを専用の小さなさらに横たえる。

 1本につき10分であれば、確かに手軽に使うことができる。使い方もシンプルだから、最初に手にするのは確かにいいかもしれない。値段もそこまでではなかった。

 それに、香戸の説明の仕方が分かりやすいのもありがたかった。話し方が丁度良く、矢継ぎ早に色々と話して情報の洪水で押し流されることもない。

 

「……ところで、なんですけど」

「はい?」

 

 すると、香戸が先ほどより声のトーンを落として話しかけてくる。どうしたのだろうか、と思いながらもオレンジペコは耳を傾けることにした。

 

「もしかして、聖グロリアーナのオレンジペコさんだったりします……? 先週お会いした……」

 

 その質問に、オレンジペコの中でだけ時が止まったように錯覚する。

 それから三拍後。

 

「え、えぇ……!?」

 

 ようやく、反応できた。淑やかとは程遠いものだったが。

 すると慌てて、香戸が手を振って謝罪する。

 

「す、すみません。勘違いのようでしたら――」

「あ、いえ……私は確かに、オレンジペコですけど……ご存じだったんですか……?」

 

 やはり、オレンジペコの思い過ごしではなく、彼は本当に先週財布を拾ってくれた青年だった。

 それでもなお驚いたのは、自分が何者なのかをいきなり見抜いたこと。何者なのかをこの香戸という()が知っていたことだ。

 勘違いではなかったのを確認した香戸は、安心したのかほっとしている。

 

「先日別れた後で、どこかで見た覚えがあったなあと思い、帰って調べてみたら……」

「そう、でしたか……」

 

 どこで自分を知ったのかは知らないが、きっとテレビの戦車道のニュースか何かだろう。

 そしてオレンジペコは、この香戸は自分のことをちゃんと覚えてくれていた事を再認識する。あんな、まともに顔を合わせた時間なんて数分もなかったのに、わざわざ調べて思い留めていたとは。

 だが、それについて色々思うより先に、罪悪感がオレンジペコの中に蘇ってくる。

 

「あの日は本当に失礼いたしました。私もちょっと、急なことで動転していて…」

「いえいえ。こちらこそ申し訳ないと言いますか…」

 

 淑女として言い訳するのはよくないと自負しているが、あの時はオレンジペコの方に落ち度があった。全ては自分の不注意がきっかけなのだから。

 だからこそ、あの日のことで香戸まで謝る必要はない。香戸は、頬を掻きながら面目なさげに目を伏せる。

 

「思い返してみれば、いくら財布を届けるためとはいえ、()()に全速力で近づくなんて不安を与えるに決まっていますから……」

「へ……?」

「あなたも驚いていたようですし、怖がらせてしまっていたようであれば、本当に申し訳ありません」

「……そんな」

 

 あの時は驚きこそすれど、恐怖したり不安を抱いたりはしなかった。それは香戸があの時左手に持っていた財布を見たことによる安心感もあったが、その上で自分のためにわざわざ届けてくれたという点を把握していたから。

 そしてこの香戸は、オレンジペコのことを「女の子」ではなく「女性」と表現した。それは、彼がここの従業員であるために丁寧な表現を使った可能性もある。けれど、それでも自分のことを「子供という意味での女の子」ではなく「女性」として扱ってくれたことが、嬉しく思う。何せ、自分はこの容姿だから。

 

「改めて、あの時はありがとうございます」

 

 だからオレンジペコは、今度こそちゃんとお礼をする。あの時はろくにお礼も言えてなかったから。

 一方の香戸は、本当に自分は大したことはしていないという感じで「いえいえ」と照れ臭そうに笑っている。これで恨みっこなしだろう。

 そんな彼に、オレンジペコは尋ねてみた。

 

「私をご存じということは、その……香戸さんは戦車道にご興味が?」

 

 名前を呼ばれたことに香戸は少し驚いたようだったが、すぐにネームプレートをつけているのを思い出したらしい。香戸は「そうですね」と遠慮気味に答える。

 

「実は、姉が戦車道をやってまして」

「お姉さまがですか?」

「はい。なので、その……成り行きで知識だけ。興味に関しては、ものすごいあるとかそんなではないですが」

 

 興味がない分野であれば、知識もそれなりだろうとオレンジペコも理解する。特に戦車道は、華道や書道と違って、男の入り込む余地がほとんどない乙女の武芸というイメージがより強い。香戸も、家族が戦車道をやっているから出涸らしみたいに知識が入ってくるだけなのだろう。

 

「それでまぁ、姉が読んでいた戦車道の雑誌を読んでいたら、聖グロリアーナの特集が組まれていたんです。そこにオレンジペコさんの写真が載っていたのを思い出しました」

「なるほど……」

 

 そういえば、確かに以前戦車道連盟経由で取材を受けたことがある。その時はやはり「ノーブルシスターズ」の括りでダージリンとアッサムも同席していたが、実質あのインタビューの主役はダージリンだった。取材を受けたことがなかったオレンジペコは、当初内心で緊張と興奮を感じていたが、今のところ取材される側に立ったのはあれが最初で最後だ。

 

「けれど、よく覚えておいででしたね……。確かその取材を受けたの、夏休みの前だったはずなんですが……」

 

 あれから時間はそれなりに経っている。香戸は熱心な戦車道ファンというわけではなさそうだし、少し齧った程度でありながら覚えているのは、記憶力が相当なのだろうか。それとも、オレンジペコの悩みのひとつである背丈の低さが奇異に映ったのか。

 

「それは……印象に残っていたんですよ」

 

 香戸は、やはりそれらしい感想を告げようとする。オレンジペコにとってのこの身体はコンプレックスがあるのだが、かといって自分の都合で香戸の話を遮ってしまうのは憚られた。

 

「ただただ、皆さんすごいなあって」

「……すごい?」

「ええ。だって、あんな大きな戦車を協力して動かして、戦うなんて。自分にはとてもできません」

 

 香戸は、純粋に戦車道を嗜んでいるオレンジペコに対して尊敬の念を抱いていた。そんな彼の言葉に、自分のコンプレックスを真っ先に思い浮かべてしまった自分が恥ずかしく思えてくる。

 

「自分にはできないことができる人は、素直に尊敬するんです。だから、聖グロリアーナだけでなくて、戦車に乗っている皆さんは、すごい人たちなんだなって」

「……」

「だから、オレンジペコさんもすごい方なんだって、思っています」

 

 店の中に漂っていた仄かなアロマの香りが、今だけは感じられない。

 店のスピーカーから聞こえていた穏やかな有線の音楽が、今だけは聞こえない。

 それほどまでに、自分が改まって褒められたことが新鮮で、胸に響いた。

 だが二の句が継げずにいると、香戸の表情がはっと驚き、そして恥じらいに変わる。

 

「すみません、知ったような口を利いてしまって」

「……いえ、ありがとうございます」

 

 どうにか、褒められたことに対するお礼を告げると、香戸は改めて頭を下げる。

 

「長々と失礼いたしました。よろしければ、ご自由にご覧下さい。何かございましたら、遠慮なくお声がけを」

 

 店員と客との適切な距離感を思い出したらしく、香戸はすぐにカウンターへと戻る。遠目に見る限り、贈答用の品をラッピングするらしい。

 一方のオレンジペコは、再びひとりとなった。先ほどまで感じなかったアロマの香りや、聞こえなかったBGMを再び認識できるようになり、現実が戻ってきた感じがする。

 オレンジペコは、極力平静を装って陳列棚を再び眺める。先ほど香戸が点けたマッチアロマは、まだ消えておらず、今なおほんのり甘い香りを漂わせている。棚の左右を見てみると、線香やお香の他に、アロマのオイルバーナーや、洗剤として使えるアロマなんてものもあった。どうやら本当に、アロマに関するものは一通り揃えていると見える。

 それから少し考えた末、オレンジペコはひとつ商品を手に取ってカウンターへ向かう。

 

「お願いします」

「かしこまりました」

 

 ラベンダーの香りがするマッチアロマを差し出すが、香戸は特に反応を示さない。先ほど出すぎた真似をしてしまったことを深く受け止めているようだ。それでも会計は素早く、袋詰めも静かで丁寧だった。

 先程は少しだけでも話が盛り上がったのだが、こうして互いの距離感を再認識すると、少々寂しくも思う。

 そして、紙袋をオレンジペコに恭しく差し出してきた。

 

「ありがとうございました。よろしければ、またどうぞ」

 

 香戸の笑顔に、オレンジペコは一礼して店を出る。

 アロマの香りはしなくなり、代わりに漂ってくるのは日常の匂いだ。人々の喧騒は、自分が背にしている店の中で起きた数奇な再会など一切知らないように、至って何事もなく続いている。

 

「ふぅ……」

 

 オレンジペコは、息をひとつ吐く。溜息などの憂鬱な気持ちはない、自分の中の熱を抑えるための行為である。

 購入したのは、香戸が勧めてくれたマッチアロマだ。

 それを買い求めた理由は、最初に抱いた「こんなものがあるなんて」という物珍しさもある。

 しかし、理由はそれだけではない。折角実演してくれたのだから、という義務などによるものでもない。

 オレンジペコにとっては、今や自然に取り組むものとなった戦車道。それを自分が歩んでいることを、香戸は純粋に尊敬し、称賛してくれた。

 以前、自分が聖グロリアーナ戦車隊の隊長車への搭乗が決まった際。自分をここまで育て、自分を見てくれていた両親はそれを聞いて喜んでくれた。戦車隊の仲間たちは、そんな自分を褒め称えてくれた。

 けれど香戸のように、実力ではなく戦車道を嗜んでいることそのものを評価されることは、近頃はとんとなかった。

 確かに、戦車道に触れない人――かつての同級生や知人、親族、戦車隊に属さないクラスメイトなど――に戦車道を嗜んでいることを話すと、最初こそ「すごい」とは言ってくれる。しかし、たとえオレンジペコがどれだけ苦労していても、どれだけ努力を重ねても、2回目以降に話せば「そうなんだ」や「大変そうですね」で済まされる。褒められることに飢えてはないが、評価されることがなくなるとそれまでの努力や苦労が全て「できて当然のこと」と自分で思うようになる。実際、オレンジペコ自身は今、戦車道をやっていることに関しては当然のことと考えるようになっていた。

 だからこそ、改めて香戸からそれを評価されたことに、久しく抱いてなかった高揚感と、嬉しさを抱いたのだ。

 そんな香戸は、自分にはできないことができる人を尊敬する、と言っていた。

 その純粋で、真っ当な理由で人を尊敬する香戸が勧めるこのアロマがどんな代物なのか。それが気になった。

 というよりも、そんな彼が勧めたものを信じてみようという気持ちがあったから、これを買ったのだ。

 

「……ふふっ」

 

 自然と笑みが顔に出る。近くを大きな犬と一緒に散歩していた女性が、そんなオレンジペコを見て、微笑ましそうにした。

 無性に恥ずかしくなり、けれど焦りも後悔もなく、オレンジペコは足をショッピングストリートの先へ向ける。

 今、自分はとてもいい気分だ。

 この気分のまま、ティータイムを楽しむとしよう。

 

 オレンジペコが店を出た後、香戸はラッピング作業に戻る。

 だが、ほどなくして後ろから声を掛けられた。

 

「香戸クン、ちょっといい?」

「はい。」

 

 ラッピング作業の手を止めてそちらを見る。立っていたのは、店長の(えんじゅ)だ。

 

「さっきのお客さん、知り合い?」

「いえ、先日財布を拾って届けた方で、知り合いとまではいかないですが……」

「そっか」

 

 槐に尋ねられて答える。オレンジペコは顔見知りの関係だが、知り合いとまではいかない。

 だが、どうやら叱られるようだと香戸は気づく。槐は頷きつつも、「いいかい?」と人差し指を立てる。

 

「偶然会えたのが嬉しいのは分かるけど、話しかけられることがあまり好きじゃない人だっているんだよね。中には、あんな感じで話しかけられたのが気まずくて二度と来なくなるなんて人もいるし、その辺の距離感は大切にね?」

「……承知しました。すみません」

 

 香戸がここでアルバイトを始めてから1年以上経つが、住まいがここからほど近いにもかかわらず、知り合いが来店することは奇跡的に今までなかった。

 なので、先ほどのオレンジペコのように、自分の知っている人が来るということ自体初めてだった。だから、つい話しかけた、というところは否定できない。客と店員の距離感を大事にするように、という槐の意見も正しいので、素直に謝罪する。

 頭を下げると、槐はお冠ではなかったらしく「次からは気をつけてね」と最後に優しく注意してから、バックヤードに戻る。香戸もラッピング作業を再開した。

 

「……二度と来なくなる、ね」

 

 槐の言葉が頭の中にとどまり続けている。

 言いすぎとは言わないし、そうなるかもしれない原因を作ったのは香戸自身だからこそ否定もできない。

 だが、オレンジペコはここに二度と来ないかもしれない、という可能性を考えると寂しさを感じた。

 先週、偶然財布を拾った相手がかの有名な聖グロリアーナの「ノーブルシスターズ」が1人で、その人が今日ここを訪れたというのはものすごい偶然と言える。その上、ここのアロマを気に入ってリピーターとなるのは限りなく低い確率だろう。その最後の可能性を、自分は潰してしまったのかもしれない。

 しかし可能性云々の話ではなく、こうした偶然の出会いと再会は、大事にしたいとも香戸は考えていた。時にそういう流れでできた縁とは、いずれ馬鹿にならないつながりになり得るような気がしてならないから。運命の出会い、とまでは言わないが。

 

「……で、さっきのカワイ子ちゃん誰?」

 

 バックヤードでの作業が一区切りついたらしい槐が、再び顔を出して聞いてくる。香戸は、ラッピング用のリボンをハサミで切りつつ、答えた。

 

「聖グロリアーナの生徒ですよ。戦車道で、副隊長だとか」

「聖グロ……戦車道かぁ……」

 

 槐は、何か思い当たる節があるように呟く。香戸は、一旦手を止めて後ろを振り向いた。

 

「店長って、もしかして聖グロ出身でした?」

「まさか。聖グロはここらじゃ有名だし、今は学園艦が近くの港に停泊しているから。それに、戦車道は私も昔やっていたから、ちょこっとだけね」

 

 聖グロが有名という話は同意する。香戸は正真正銘の男だから、何をどうしても入学などできない。けれど、国内有数のお嬢様校として地元では名を馳せている。加えて戦車道の四大強豪校の一角に数えられているのだから、知名度はそれなりだ。

 それよりも気になったのは。

 

「……初耳です。店長が戦車道経験者なんて」

「言わなかったし。それに習い事でやってただけで、鳴かず飛ばずだったからさ。自慢するほどのことでもないよ」

 

 微笑む槐の言葉に頷きながら、香戸はラッピングを終えた包みを手渡す。槐は「ありがとうね」と言いながら受け取り、外見を確認する。

 

「聖グロってことは高校でしょ? あの子、あんな小っちゃいのに副隊長なんて逞しいなぁ」

「まぁ、そうですけど……やっぱりベテラン校は実力主義が普通なんじゃないですかね。それだけあの人も、すごい才能があるのかも」

 

 小さいかどうかはさておいて、戦車道がどれほどのものかは、聖グロリアーナがどんな学校かは、香戸も多少知っている。だから、可憐な見た目なあのオレンジペコも戦車道の実力はそれ相応のものなのだろう。人は外見ではわからないものだし、そもそも香戸は人を見た目で判断しない主義だ。だからこそ、彼女のことは尊敬に値する。

 

「……釣り落とした魚は大きかったかもねぇ」

「?」

 

 意味ありげに呟く槐を振り向く。

 言葉とは裏腹に、槐は愉快そうな笑みを浮かべていた。

 

「聖グロの子がお得意様になってくれたら、『あの聖グロリアーナ御用達!』って宣伝できたのになぁ」

「向こうから怒られそうですけどね……」

 

 下心満載の槐の言葉に、香戸も苦笑とともに忠告しておく。

 「アロマショップGraceful」の店長とその従業員の関係は、こんな感じで軽かった。

 

◆ ◇

 

 聖グロリアーナで夜を過ごす際に欠かせないのは、カフェインレスの紅茶だ。

 普通の紅茶はカフェインが含まれているため、夜に飲むと睡眠の妨げになるとされている。そのためにカフェインレスの紅茶があるわけだが、一般のものは味の質が幾分落ちるという話だ。

 しかしながら、ここは紅茶に関して妥協しない聖グロリアーナの学園艦。カフェインレスでも風味が損なわれない紅茶はすでに開発済みだし、その出来は学園艦内だけでなく陸でも流通するほどだ。

 オレンジペコもまた、寝る前のカフェインレス紅茶が習慣となっている。学校でも戦車道でも紅茶を飲む機会が多いが、こうして一人でゆっくり飲む機会はそうない。その日にあった学校や戦車道での出来事など、1日の振り返りの時間も兼ねた安らぎの時間となっていた。

 そうして紅茶を飲み終え体を温めた後は、詩集を読みながら眠気が訪れるのを待ち、眠りに就く。それがオレンジペコの睡眠前のサイクルだった。

 しかしこの日、そんなサイクルに新しい動作が加わる。

 

「ええと……」

 

 昼に購入したマッチのアロマを紙袋から取り出す。使い方は付属の用紙に書いてあり、置き皿も付属されているので良心的だ。

 オレンジペコは使い方を読みながら、置き皿をベッド脇のナイトテーブルに置く。そして、昼に香戸が実演してくれたように、アロマのマッチを側薬で擦って火をつける。部屋の中で火をつけるというのは、実に不思議な感覚だ。何せ、部屋にあるミニキッチンはIHヒーターだし、ガスランプを使う趣味もない。なので、必然的に部屋の中で「火を点ける」という行為をしなくなる。部屋の中でそんなことをするなんて、なんだか悪いことをしている気分だった。

 目の前で、アロマのマッチに火が灯り、ただの煙とも少し違う匂いがオレンジペコの嗅覚を刺激する。説明書に従ってそれを水平よりやや下向きに持っていると、やがて柄に燃え移った火が消えて細い煙が上がり始める。その煙の臭いは、それまでのものとは違う、明らかに質が違っていた。

 

「……いい香り」

 

 自然と言葉が漏れる。

 オレンジペコが購入したラベンダーのアロマにはリラックス効果があるらしく、そのおかげか気持ちが徐々に落ち着いてくるのを感じられた。

 その香りを少し楽しんでから、オレンジペコはアロマを置き皿に横たえ、詩集を手にしベッドに入る。このアロマは10分程度で自然と消えるらしいので、後は放置すればよい。

 そうして詩集を開けば、先人たちがそれぞれの気持ちを好きなように綴った文章が、オレンジペコの中へと流れ込んでくる。

 詩集を好む理由のひとつが、人によって違う気持ちや感情の表現の仕方を読むのが楽しい、というところだ。情景が事細かに表現されているものから、抽象的にしか表現されていないものまで、詩には幅広い書き方のものがある。それを理解し、そのうえで自分の中にある感性を刺激されるのが、オレンジペコは好きだった。

 そうして詩集を読む間、オレンジペコの気持ちはいつも穏やかなものになる。

 しかしながら今日は、いつにもましてより落ち着いた気分で詩集を読むことができていた。

 ちらっと、良い香りを今なお漂わせるアロマのマッチを見やる。柄の部分は半分ほど灰になっているが、燃え尽きるまでまだ少し時間はかかるだろう。

 この香りのおかげで、リラックスできている。だからこそより穏やかな気持ちで詩と向き合える。そして、自分の体内で眠気が徐々に生成されてきているのが感じられる。

 

「はぁ……」

 

 息を漏らす。詩集を閉じる。

 お嬢様校の聖グロリアーナで、周りに気遣って、優雅であれと自分を律して、気を揉むことが多くて、緊張は無意識のうちに溜まる。それを落ち着かせるために、寝る前のサイクルを崩したことはほとんどない。

 だがここに、新しいひとつの動作が加わったことで、一層自分の気持ちは安らいで、落ち着いて、そして満たされていた。

 アロマはまだ点いているが、オレンジペコは部屋の明かりを消す。

 ここまでリラックスした気分で眠りに就けるのは随分と久しぶりのことだ。

 

「そういえば……」

 

 眠気にほんの少し抗って、天井を見る。

 今漂っているラベンダーのアロマとは違うが、最初に香戸に会った時に感じた香り。あれも、アロマだったのだろう。

 オレンジペコは、このアロマを勧めてくれた香戸に礼を言いながら、目を閉じて夢の世界に足を踏み入れた。

 

◇ ◆

 

 部屋の中は、オーケストラの音楽とローズマリーのアロマの香りで満たされていた。

 音楽が流れているのは、単なる雰囲気づくりのためではなく、勉強に集中するためであり、同時に居眠りをしないためでもある。環境音や穏やかな旋律の音楽では、ふとした瞬間に眠りに就いてしまうかもしれないからだ。

 そうして、集中力を高める効能のあるローズマリーの香りと、オーケストラの音楽の中で勉強を進めていると、玄関の鍵が開く音が突然乱入してきた。溜息交じりに、リモコンでスピーカーの演奏を止める。

 

(あお)()いる~?」

 

 そして無遠慮にドアを開け、挨拶もなしに家主を呼び出す来訪者。彼女がこんな風に不躾な訪問をするのは今に始まったことではないが、蒼音と呼ばれた青年は勉強用のノートを閉じる。

 

「姉さんさあ、来るときはインターホン鳴らしてって何度も言ってるでしょ?」

「いいじゃん別に、姉弟なんだからさぁ。それとも何、急に来られちゃマズいことでもしてたとか?」

 

 靴を脱ぎ、にやにや笑いながら探ってくる姉の(こう)()(あか)()に対し、今度はひときわ強めの溜息を漏らす。

 この姉は、血のつながった姉弟だからと言い張って、何かと蒼音のことを顎で使ってくる。今のように事前連絡もなく、インターホンも鳴らさず勝手に鍵を開けて上がりこむこともしばしばだ。

 

「あんたの部屋、相変わらずいい匂いするわねぇ」

「どうも」

 

 手を洗い、ずかずかと部屋に入ってきた朱那は、大学生の一人暮らしの部屋を感慨深そうに見渡す。

 蒼音は部屋でアロマのディフューザーや、オイルバーナーを使っている。香りの種類は変えることが多いが、おかげで部屋の中はいつも柔らかい香りにいつも包まれている。以前自宅を訪ねた大学の友人は「女の部屋にいるみたいだ」と評したし、「女々しい」なんて評価を下されたこともある。

 だが蒼音は、朱那の評価よりも気になるものがある。彼女が手に提げている紙袋だ。それも中身は、それなりに多い。

 

「で、それ何?」

「戦車道の本。また置かせてくれない?」

 

 聞くまでもないことだったが、あえて聞いておいた。そして予想通りの答えである。

 姉は高校の時から戦車道を続けており、社会人になった今でも戦車道を続けている。さらに一家の血筋かかなりの勉強家で、戦車道に関する書籍を買い漁ることが多い。そして読まなくなった本はどこへ行くのかというと、よりにもよって弟の蒼音の家に押し付けられるのだ。戦車道を続ける朱那の姿勢に関しては評価しているが、これが実に悩みものだった。

 

「捨てればいいのに」

「バカ言ってんじゃないわよ。後で急に読み直したくなったときとかどうすんのよ」

「じゃ手元に置いとけばいいでしょうが」

「私の部屋が狭いのを知っての物言いかしら」

 

 自分の部屋も大概なんだけどな、と蒼音は反論したくてたまらないが、これ以上は水掛け論になりそうだったので飲み下す。

 

「それに……あんただって読んでるみたいじゃない」

 

 何のことか、と思ったらそれは蒼音がベッドの上に置いたままの雑誌「月刊戦車道」だ。「片づけておけばよかった」と後悔するがもう遅い。

 朱那が拾い上げたその雑誌は、先日蒼音がオレンジペコに財布を届けたことをきっかけに引っ張り出したものだ。前に最初に流し読みした際、雑誌で目にしたオレンジペコの姿を思い出し、それが本当かを確かめるために読み返した。そこで蒼音は間違っていなかったことを理解し、さらにそこから雑誌を改めて読んでいたのだ。

 

「しかもこれ、聖グロの特集回じゃない。何、興味できたの?」

「いや、まぁ……偶然会って」

「え?」

 

 軽く話したら、朱那の食指が動いた。

 

「あんたのお店に来たの?」

「ええと、うん……。それからちょっとだけ話もできたし」

 

 朱那は蒼音がどこでアルバイトをしているかを把握している。故に「アロマショップ Graceful」に来たのを心底驚いているようだ。蒼音もあの時は内心驚いていたが。

 すると朱那は、何を思いついたのか、にこにこと急に愛想笑いを浮かべた。

 

「ねぇ、可愛い弟よ。一生のお願いなんだけどね?」

 

 そのフレーズを聞いたのは果たして何度目だったか、蒼音は考えるのも愚かに思えたのでやめる。

 そして朱那の告げた願い事は。

 

「本気で言ってるの?」

「何卒お願い、頼みます蒼音大明神様ー!」

 

 珍しく一生モノだったが故に、蒼音は頭を抱えたくなった。

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