寝不足だった頃も、オレンジペコは朝がつらいと思ったことはあまりない。朝日を浴びればセロトニンが分泌されて気分が上向きになるし、眠気に身を委ねて惰眠を貪ろうとするほど堕落した生活を送る気もなかった。だから、朝が来たら「頑張ろう」という気持ちでいつも起き上がっている。
「……はぁ」
しかしながら、この日に限っては朝から溜息しか出てこない。
それもそのはずで、今日はOG会がやってくる。その事実は幾度となくオレンジペコの思考を邪魔し、不安と緊張を無理やりにでも心に強いてきた。
ただの「いい先輩」だったらまだしも、あれやこれやと細かく口出しをしてくる上に、実りのない論議を自分たちの前で広げるのだ。「人は論じすぎて真実を見失う」というプブリリウス・シルスの言葉を想起させてくれる。
そして同時に、今日はダージリンの出した「宿題」の答え合わせの日でもあった。これに関しては、一応の答えを導き出すことはできたため、そこまで不安でもない。とはいえ、ダージリンが告げる答えが自分の答えと違っていた場合、そして自分よりも遥かに秀でたものの場合、またしてもオレンジペコはダージリンとのギャップに思い悩んでしまうことになる。そういう意味では不安だった。
しかし、嘆いたところで時の流れは止まらない。OG会はおそらく今学園艦に向かっている。もはや、連絡船が欠航ないし引き返さない限り、今日の会合は確定だ。
深呼吸をする。
柑橘系の香りが、オレンジペコの鼻腔を刺激した。
机に目を向ければ、そこには蒼音がプレゼントしてくれたグレープフルーツのアロマがある。
それを見て、オレンジペコは頷きカーテンを開ける。オレンジペコの気持ちの揺らぎなど露ほども知らない陽の光が身体に降り注ぎ、胸の奥からゆっくりと温まっていく。同時に、頭の中を占めていた不安が、少しずつではあるものの軽くなっていった。
「……よしっ」
胸の前でぐっと拳を握り、身支度を始める。
髪を結い、制服に着替えてから、最新の戦車道ニュースをスマートフォンで確認する。OG会との交渉で、使えるものは何でも使いたい。見れば、注目度ランキング1位には知波単学園が特二式内火艇――確か水陸両用の戦車だったはずだ――の導入に向けて整備を始めたとあった。恐らくこれも、戦車道の変遷によるものだろう。知波単学園がそれを意識していないとしても、今は意識しているということにしておく。
スマートフォンをポケットに入れて、食堂へ行く。英気を養うために。
ダージリン曰く、今回は少しだけだが進展が望めるらしい。ダージリンがいる内に聖グロリアーナの戦力が増強できれば良かったが、今回のことをきっかけに聖グロリアーナが変われることを、オレンジペコは切に願う。
◆ ◇ ◇
約束の13時丁度に、3人の女性が聖グロリアーナ女学院を訪ねてきた。
戦車道の訓練のためにタンクジャケットに着替えていたオレンジペコは、「ノーブルシスターズ」の一員としてダージリン、アッサムとともにその人たちを出迎える。
3人とも自分たちとは違う大人びた服装で(実際大人だが)、それでいてやや日本人離れした風貌であり、まさしく聖グロリアーナの卒業生であることが窺える。
「お待ちしておりましたわ、皆様」
「出迎えに感謝します、ダージリン」
ダージリンの挨拶に頷いて答えたのは、肩甲骨まで伸びる金髪と、剣を模したブレスレットを右腕につけた女性。在学中は「シッキム」の名でチャーチルに搭乗していた人だ。
「お久しぶりね、オレンジペコ。お会いしたのは、4月の頭ぐらいだったかしら?」
「ご無沙汰しております。おそらくは、そうだったかと」
オレンジペコに笑顔で挨拶をしたのは、ニュアンスボブの赤毛とリンゴを象ったネックレスをつけた女性。クルセイダーに搭乗していた「アップル」である。
「寒い中、わざわざ出迎えてくれてありがとう」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、ご心配には及びません」
アッサムと挨拶を交わすのは、ベージュのセミディヘアの女性だ。先ほど顔を見た時にクローバーの髪飾りをつけていたその人は、「ベルガモット」の名でマチルダに乗っていた。
この3人は、いずれもOG会における派閥の中で、自身が乗っていた戦車の派閥のトップだ。同時に、社会人として今なお戦車道を続け、社交界で活躍している身でもある。まさに人生の先輩と言っていい。
とはいえ、このような挨拶の場であれば、まだ彼女たちからは脅威を感じない。
問題は、挨拶を終えて、訓練を見学してもらってからだ。
「他の隊員は?」
「訓練の準備をしております」
アップルが聞くと、ダージリンが手で中へ入るよう促しつつ説明する。校門の前で立ち話も何だから、という形で3人を校内に迎え入れた。事前に警備の人には話をしていたので、オレンジペコは3人に関係者用のネームプレートを差し出し、「紅茶の園」まで先導する。
「今日はどういった訓練を?」
「行進間射撃と、陣形構築の訓練を予定しております」
シッキムの質問にはアッサムが答えた。戦車道の訓練スケジュールを組むのは、基本的にアッサムの仕事だ。以前は
シッキムはアッサムの言葉に頷き、正面を見据える。
「今の世代の子たちの成長が、とても楽しみだわ」
その言葉に、歩きながらベルガモットが「そうね」と頷く。
「皆さんが伝統をちゃんと受け継いでいるのか、見ものね」
くすくすと笑うベルガモットとシッキム、そしてアップル。
ちらっとオレンジペコは後ろを見るが、なんとなく怖い雰囲気がする。
彼女たちは聖グロリアーナの卒業生であり、大人として、社会人として社交界に進出している。故に、聖グロリアーナとは比べ物にならないほど裏表の激しい世界に身を投じ、ミルクレープのように建前と理性を幾つも重ねて人との付き合いをしているのだろう。
だからこそ、彼女たちの言葉には何か真意があるのではないかと考えてしまう。裏ではどう思っているのか、もしかしたら見下しているのか、と勘繰ってしまう。
「大丈夫よ、オレンジペコ」
だが、そばを歩くアッサムが静かに耳打ちをする。
「今はまだ、あなたを守ってあげられる。心配しないで」
片眼をつむって見せるアッサムに、オレンジペコはほんの少しだけ気分が軽くなる。
だが、2人がいなくなる来年からは自分がその役目を背負っていかなければならないのだと思うと、一層気持ちが沈んでしまうのだ。
◇ ◆ ◇
今日の訓練は隊長車も動かす必要があったため、OG会の案内は別の3年生に担当してもらい、オレンジペコたちはチャーチルに乗り込む。その3年生は気の毒としか言いようがないので、紅茶を淹れて労ってあげようと思った。
そして今日、OG会が来ることは、部隊長クラスの面々と一部の履修生には伝えてある。それは、隊員たちのありのままの姿を見せるのが目的だ。悔しいことに、OG会は戦車道を見る目は確かにあるので、反省点などはよく指摘してくれるし、アドバイスもすべてが余計というわけではない。それが皮肉にも厄介さに拍車を掛けているのだが、聖グロリアーナが強くなるための布石の一つとして、苦汁を飲んででも受け入れるべきだ。
そして今日は、話した通り陣形構築と行進間射撃の訓練。結果に関しては、クルセイダー部隊の足並みが若干乱れたことと、マチルダ部隊の砲撃に若干のムラがあったことを除けば、ほとんど問題はない。
だが、その小さなミスでさえ、OG会の格好の餌食になる。
「クルセイダーは、相変わらず落ち着きがないといいますか、ね」
訓練後の「紅茶の園」で、用意された紅茶を一口飲んだシッキムが告げる。実に嘆かわしそうなその言葉に、壁際に立つローズヒップがぐっと唇を真一文字に締める。クルセイダー部隊の統制は、彼女の役目のひとつだからだ。
「けれど、あの素早さはクルセイダーの利点のひとつなのよ? 隊列を乱さないのは重要だけど、時としてあの俊敏さは役に立つの」
アップルがフォローするのは、クルセイダーに乗っていたからこそだろう。同時に、クルセイダー派のトップでもあるからだ。それが善意100%のものならどれほどいいことか。
「それより、行進間射撃でマチルダは少しミスが目立ったわね」
「けれどすぐに修正して挽回はしたわ。及第点と言えましょう」
「実戦ではそのミスが命取りになるのよ、それぐらいは分かりますよね?」
アップルがベルガモットに不満を向けると、ベルガモットは素知らぬ顔でケーキスタンドのスコーンを手に取る。シッキムも厳しい言葉を向けるが、ベルガモットはつんとした。
そしてベルガモットは、齧ったスコーンを飲み込むとシッキムを見る。
「それで言えば、チャーチルも少し足が遅かったわね」
「チャーチルは隊長車として全体の統率が必要です。速度が他と比べて落ちてしまうのは仕方ないことでしょう」
「いついかなる時も優雅な聖グロリアーナの隊長車が、ね?」
「……御忠告ありがたく受け取りますわ」
ベルガモットとアップルの言葉に、シッキムは再び紅茶を一口飲むと笑みを深める。それは決して言葉通りお礼の意味などないだろう。
オレンジペコは、とりあえず3人の皮肉と明らかな敵意を取り除いた意見を頭の中でまとめる。クルセイダーは確かに足並みが乱れていたし、マチルダⅡも砲撃のタイミングや精度にムラがあったのは確かだ。そして、チャーチル自身の速度が落ち気味だったのは、オレンジペコは気づけなかった。指導役だから仕方ないとは思ったものの、アップルの言い分も完全に捨てきれない。何せ自分たちは、聖グロリアーナだ。指導役だからスピードが落ちてしまうというのは言い訳にしかならないだろう。
「けれど、今回の訓練にあったようなミスもなければ、全国大会で勝てたでしょうに」
シッキムが告げる。
オレンジペコは「始まった」と心の中で溜息をついた。横にいるアッサムの様子を見る。紅茶を飲む姿は凛々しいものの、眉間には若干の皺が寄っている。これまでのやり取りを見て既に苛立っているようだ。反対側のダージリンは、目を閉じて静かに微笑み紅茶を飲んでいる。
「今回の訓練で見えた改善点に目を瞑っても、聖グロリアーナの練度も戦力も十分と言えるでしょう。それでも全国大会では勝てない。なぜだと思いますか?」
「嫌味かしら」
「いいえ、シンプルなことです」
シッキムの質問にベルガモットが若干苛立たし気にこたえるが、シッキムは笑みを深めて首を横に振る。
「火力が劣っているからです。チャーチルを追加導入すべきでしょう」
「今一歩足りないのは生存性だわ。装甲の厚いマチルダⅡを入れるべきよ」
「ここの戦車はスピードが欠けている。クルセイダーを増やすことね」
シッキムの提案が、試合開始の号砲となった。
三者三様の意見がぶつかり合う。3人とも、表情こそ落ち着いているが、その心の内に灯っている火は激しく燃え盛っているのだろう。大の大人が大人気ないと思う。
とはいえ、3人の意見は、「この戦車を増やすべきだ」という類の言葉に耳を塞げば、いずれも参考にすべき意見ではある。火力がなければ試合では守りに入ってしまいがちだし、生存性がなければ戦うことはままならず、速攻性だって聖グロリアーナに足りていないのは確かだ。
実のところ、聖グロリアーナの戦車はどれも一長一短で、走攻守三拍子揃った戦車というものが存在しない。隊長車のチャーチルでさえ、聖グロリアーナ内であれば普通であるが、他校の戦車と比べれば鈍足の部類に入ってしまう。
今の聖グロリアーナに必要なのは、
「けれど、こちらとしては――」
「いいえ、それは――」
「だからと言って――」
しかし3人は、語調も表情も変わらないのに、段々と熱が入っていくのが伝わってくる。今の聖グロリアーナ戦車隊のメンバーなどそっちのけだ。その様子に、ルクリリが聞かれないように溜息を漏らして紅茶を一口飲む。ローズヒップは、シッキムたちがそちらを見ていないのをいいことに、実につまらなそうな表情を浮かべていた。
ちなみに以前、オレンジペコと一緒に3人の論議を初めて目にした際、「居酒屋かファミレスでやってほしいもんですわ」とローズヒップは零していた。ところどころ庶民的な感覚が見え隠れするローズヒップだが、それに関してはオレンジペコも大いに賛成である。普段は優雅で過ごしやすく穏やかな「紅茶の園」に、このような実りのない論議は似つかわしくない。
どうしたものか、とオレンジペコは一考する。
ダージリンは、昨今の戦車道の情勢もあって今回の会合はそこまで悲観することはない、と言っていた。であれば、何かしらのアプローチをこちらから仕掛けるべきだろう。
とはいえこのままでは、また前回同様に何の進展もなく、今の聖グロリアーナ戦車隊に疲労とストレスを与えただけで終わってしまう。どこかのタイミングで仕掛けるべきだろう。
「ふう……」
「……はぁ」
「んん……」
すると、3人が言葉を止めて息をつく。言いたいことを言って、それでいて進展がないことに疲れたらしい。
「お三方」
そこで、ダージリンが口を挟んだ。それも、3人がそれぞれのどが渇いて紅茶を飲んだ、ごくわずかなタイミングで。すさまじい判断力と行動力、そして度胸と言える。
「先輩方の意見はどれも参考になりましたし、尊重すべき意見ではございます」
「……では、あなたはどう考えているのですか? ダージリン」
シッキムが問うと、ダージリンもまた紅茶を一口飲む。
「確かに今の聖グロリアーナは、火力、装甲、スピード、そのいずれも少々心許ない状況にございます」
ダージリンが言葉を切ると、3人は頷く。
その真意は、「どの戦車を導入するのか言ってみろ」といったところだろう。ただ、どんな答えを言っても角が立つのは確かだし、選ばれなかった戦車の派閥は絶対に何かしら突いてくるのが目に見える。何を言ってもひと悶着起こってしまう答えなど、オレンジペコは気が気でなかった。
だが、ここで怯んでしまっては、聖グロリアーナの戦車道は停滞し続ける。
だからここは。
「ゆえに私たちは、新しい戦車を導入しようと考えているのです」
「……なんですって?」
ベルガモットが声を上げる。実に、信じられないという風だ。
横に座るアップルは、紅茶を一口飲んでダージリンを見る。
「その新しい戦車とは何かしら? 言ってごらんなさい」
「巡航戦車の、センチュリオンでございます」
場の空気が凍り付いたのを、オレンジペコも肌で理解する。
今まさにダージリンは、これまで続いてきた聖グロリアーナの伝統を叩き壊さんと、鎚を振り下ろしたのだ。
「……なぜ、センチュリオンを導入する必要があるのかしら?」
先に口を開いたのはアップルだ。
なぜ、と言われてもそれはたった今ダージリンが話した通りだ。聖グロリアーナに欠けている部分をカバーする戦車を導入する。それが理由だ。しかしながら、アップルがそういう意味でその質問をしたのではないと、オレンジペコは分かっている。
聖グロリアーナがチャーチル、マチルダⅡ、クルセイダーの3種類の戦車だけを運用してきたのは、伝統、習わしだ。それは連綿と受け継がれて今に至っており、今までそれはほとんど破られていない。
その伝統を今になって破るのはなぜか、という話だ。
「それに関しましては――」
ダージリンが口を開く。
ここでオレンジペコは、「答え合わせ」の時間かと思った。ダージリンから出された宿題である、大洗女子学園の全国大会優勝と、今回の問題の結びつき。その答えはオレンジペコの中で既に準備してある。後は、ダージリンの告げる答えが、それと相違ないかを確かめるだけだ。
無論、後で質されても嘘をつく気はない。違っていれば、自分はまだまだダージリンには遠く及ばないということで、今後も勉強を続けるだけだ。
「――オレンジペコの方から説明してもらいましょう」
「……へ?」
続いたダージリンの言葉に、オレンジペコはカップを落としそうになった。
なぜ自分が、このタイミングで名を呼ばれるのか。
ここで自分の考えを述べなければならないのか。
アッサムもこれは予期していなかったらしく、釣り目が見開かれていた。よくよく見てみると、カップを持つ手が小刻みに震えている。
ローズヒップも想定外だったようで、口がぽかんと空いている。紅茶を零していないのが成長したポイントと言えよう。
ルクリリも思ってもみなかったことだったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だ。おまけに視線はオレンジペコとOG会とを往復している。
そしてダージリンは、微笑みながらオレンジペコを見て頷く。
そういうことですか、ダージリン様。
全ての意図を理解する。
ダージリンは最初から、宿題を出した時から、オレンジペコに説明させるつもりだったのだ。
それは決して揶揄いでも気まぐれでも責任逃れでもない、至極真っ当な理由。
オレンジペコが、次の聖グロリアーナ戦車隊を率いるに相応しいかを見極めるため。先を見る力を持ち、壁でもある先人のOG会を相手にできるかを確かめるため。
全てを理解したからこそ、オレンジペコは前に出る。紅茶を空いているテーブルに置き、OG会の3人の前に立つ。
「……」
「……」
「……」
その3人とも、何も言わない。微笑さえもなく、表情は真剣だ。オレンジペコがどんな意見を言うかに、意識を注いでいる。侮っているのではないのだけが確かだ。
そんな彼女たちを前にすると、自分の中で導き出した答えが誤っているのではないかと、不安になってくる。アッサムから各校のデータを見せてもらって、戦車道のニュースについても仔細を注意深く見てきて、自分の頭脳を酷使した末に答えを見つけたのに。
視界がぐらついてきて、鼓動が自分の体を壊してしまいそうなほどに強くなっていくのを知覚する。
落ち着いて、深呼吸をすることにした。こんな状態ではろくに言葉も紡げないし、意見だってまとまらない。
そうして鼻で息を吸うと、甘い香りが伝わってきた。それは、紅茶や茶菓子の香りではない。
正体は、テーブルに置かれている、バラの花に似た何か。
蒼音が送ってくれた、アロマフラワーだ。届いたときは無色だったそれは、プルメリアの精油を垂らしたことで薄いピンク色に染まっている。そういえば、同封されていたアロマの説明書に、プルメリアはリラックス効果と集中力アップの効果があったはずだ。
そのアロマを認識すると、そこに蒼音がいてくれているように錯覚する。
大丈夫、落ち着いて。
そう言ってくれたような気がした。
そうしてオレンジペコの思考は平衡を保つようになり、口が開く。
「……私たちが敗北した今年の全国大会、優勝したのは大洗女子学園であることはご存じかとは思います」
「ええ、私たちも中継を見させていただきました。正直、予想外ではありましたが」
シッキムが答えると、他の2人も頷く。やはり、戦車道を歩んでいた者として、試合の趨勢は最後まで見届けたかったのだろう。
「大洗に勝つためにセンチュリオンを導入する、という理由であれば承服はできないわ」
ところが、そこでアップルが割って入ってきた。オレンジペコは、口答えせず話を伺うことにする。
「確かに、大洗女子学園の勝利は私たちにとっても予想外のことだったし、その力も認めるところはあります。けれど、だからと言って私たちがそれに合わせてセンチュリオンを導入する必要はないでしょう」
「……それは、なぜでしょうか」
「私たちはセンチュリオンに頼らずとも、総合的な戦力の面で大洗を上回っている。わざわざ導入するまでもないでしょう」
アップルはそう言って、紅茶を一口飲む。それ飲み込むのを見届けてから、オレンジペコは口を開いた。
「私たちは、大洗に勝つためだけにセンチュリオンを導入したいと考えているのではありません」
「ほう」
「それに私たちは、大洗に戦車の能力値では優っておりますが、それ以外の点ではそうとも言い切れないのです」
「……?」
ベルガモットが不信そうな目を向ける。オレンジペコが続けようとしたところで、そこで後ろから足音が聞こえてくる。アッサムが、オレンジペコの横に出てきた。
「我々が集めた情報では、確かに聖グロリアーナは大洗と比べてみても、車両数はもとより、火力や装甲、機動力などの平均的な値は大洗を上回っています」
アッサムがタブレットを取り出し、グラフやレーダーチャートを使った資料を表示させる。だが、そのぐらいの情報はOG会も知っているようで、当然だとばかりに3人は目を伏せている。
そしてオレンジペコは、そのアッサムの臨機応変な対応に舌を巻く。本来なら自分が説明するところだったが、資料を併せて説明してくれたのは予想外で、それでもありがたかった。
「ですが……作戦の意外性や柔軟性に関しては、聖グロリアーナは大洗に及びません」
「……」
「決められたマニュアルや定石というものが存在しないため、戦況に応じて流動的に作戦を変えることができ、ゆえに対策をとるのが非常に難しい相手です」
アッサムの言葉に、ベルガモットは「ふむ」と頷く。
オレンジペコは、アッサムに目でお礼を告げて続けた。
「これまで聖グロリアーナは、大洗と二度戦い、二度とも勝利はしています。けれど、一戦目はまだ大洗が戦車道を再開したばかりで練度が低く、二度目は私たちがプラウダ高校と組み、大洗は知波単と組んでいたため、いずれも万全の大洗と戦ったわけではありません」
「……」
「そして、今の状態で大洗と聖グロリアーナが戦った場合、勝利する確率は不明瞭です。むしろ、戦い方が知られている私たちの方が少々不利かと」
アッサムは頷いている。データ主義の彼女から見ても、大洗のポテンシャルはもはや未知数となってしまっているようだ。
オレンジペコも、これまでの大洗の試合は直に観戦してきたし、戦車やメンバーのデータもアッサムからもらったデータを見させてもらった。そのうえで、今の聖グロリアーナと戦ったらそうなると判断したのだ。アッサムが同意しているあたり、少しは彼女に近づけているのかもしれない。
ただ、今重要なのは大洗と聖グロリアーナの差ではない。
「少し話が逸れてしまいましたが、大洗女子学園が全国大会で優勝し、さらに夏の終わりには大学選抜チームにも勝利したことで、戦車道の注目度は高まりつつあります」
「…それは、確かにそうね」
同意して見せたのはベルガモットだった。
「あれ以来、戦車道について世間で取り上げられる機会は増え、戦車道を履修しようとする人々は各地で増えつつある。だからこそ、プロリーグの設立も年度内になったと聞くわ」
ベルガモットも戦車道についてのパイプは持っているらしく、その手の情報は早かった。シッキムもアップルもそうなのかもしれない。ただ、それを知っているなら話は幾分早い。
「そして、戦車道連盟に加入しようとする学校も増えつつあります。特に高校戦車道では加入申請が増え、加入の意向を示す学校はそれ以上にあり、大洗が戦車道の流れを変えたといっても過言ではありません」
「その点に関しては、認めましょう」
シッキムが紅茶を一口飲む。そこで紅茶が切れたので、傍に控えていたルクリリがすかさず紅茶を注いだ。
「けれどまだ、それでは聖グロリアーナにセンチュリオンを導入する理由としては足りません」
「はい、ですが……」
オレンジペコはシッキムの言葉を受け流す。話は最後まで聞いてほしいものだ。大人なら。
「今もまた、私たちのあずかり知らぬ場所で、新たに戦車道を始める学校は確実に生まれつつあります。そしてその中には、大洗を越えるような存在がいるかもしれない」
「……」
「大洗どころか、聖グロリアーナをはじめとした四強校すら凌ぐほどのポテンシャルを持つ学校が、あるかもしれない」
誰もが、紅茶を飲もうとしない。お茶菓子に手を伸ばそうとしない。オレンジペコの言葉を理解することに集中している。
ダージリンは、こういう感じで人を導いているのだろうか。その話を聞くすべての人が、「話を聞く」以外の動作すらできないほどの弁舌を振るっているのか。
「もちろん、そう考えているのは私たちだけではないでしょう。私のような者がそう考えているのであれば、ほかの学校が同じことを考えていても何ら不思議ではありません」
「……」
「そして、今の戦車道の時代の変わり様を考えれば、各校も戦い方や戦車の使い方を変えることだってあり得ますし、戦車を新たに導入することだって十分に考えられる」
今朝見た、知波単学園の特二式内火艇の整備を始めたニュースを、思い出す。アンツィオ高校のP-40の修復完了のニュースが、頭に過る。
知波単学園は突撃に固執しているが、新しい戦車を導入すれば戦い方が変わっていくだろう。
アンツィオ高校も、大洗女子学園と一度戦ったからこそ戦略の幅が広がるかもしれない。
オレンジペコは、紅茶で口を湿らせて話を続ける。
「そうなった時。今まで通りに新たな戦車を増やさず、戦い方もこれまでのままに、
OG会の3人は、反論しない。
伝統とは守るべきものであり、尊重すべきものなのはオレンジペコも理解している。とはいえ、OG会が介入することで守らざるを得ない状況にあるこの伝統は、最早「因習」だ。そしてそのせいで――新しい戦車が導入できないせいで――、聖グロリアーナは個々の練度を向上させても、戦略が卓越していても、限界をすぐに迎える。今までもそうして敗北してきた。
大洗女子学園が全国大会で優勝したことで、戦車道の世界は大きく変わり始めている。新しく戦車道を始める学校も増えていくことだろう。その中には、自分たちが予想しえないほどの強さを持っている学校があるかもしれない。確実にいるとは言えないが、「いない」と言い切ることもできない。
「大洗女子学園の軌跡は多くの戦車道履修者たちに鮮烈な印象を残しました。それに影響を受け、他の学校が新たな戦略を生み出すことは十分考えられます。その流れが広がり続けることは、日本の戦車道全体の底上げに繋がります」
「……」
「もちろん私達も日々精進を重ねていますが、今ある戦車だけでは限界も早くに訪れてしまうでしょう」
今の戦車道が変わりつつある以上、他の学校もまた変わっていくかもしれない。いや、この国を巻き込んで戦車道は既に変わり始めている。さすがに一日二日で劇的に変わりはしないが、いずれはこの流れが大きなものとなり、変化していくはずだ。そんな中で
「だからこそ、私たちは新たな戦車を――センチュリオンを導入したいと、考えております」
それが、オレンジペコが出した、ダージリンからの「宿題」の答えだ。
隣に立つアッサムは、頷いてこちらを見つめる。
ローズヒップが、感激したと言う風な視線を向けている。
ルクリリが、真剣なまなざしでオレンジペコを見ている。
「……一理、ありますかね」
シッキムが、重々しく告げる。アップルも、ベルガモットも、小さく頷いていた。
一理ある。
そんな言葉をOG会から引っ張り出せただけ、1年生としては十分と言えるだろうか。
「先輩方」
そこで、今まで沈黙を保っていたダージリンが前へ出てきて、オレンジペコの横に立つ。
その時ダージリンは、そっとオレンジペコの背中に手を添えてくれた。それだけで緊張の糸が切れて床に座り込みそうになってしまうが、OG会がいる間は我慢だ。
「この学校に戦車道が生まれてから今日に至るまで、伝統が受け継がれてきたことは、重々承知しております。先輩たちが創り、守ってきた聖グロリアーナの戦車道である『いかなる時も優雅』という精神も、今なお私たちの中に受け継がれております」
自分の胸に手を当てるダージリン。目を細めるその姿は、昔に思いを馳せているかのようだ。この学園が創立されてから今に至るまでのことを、脳裏に浮かべているのだろうか。
「そして、確実に次の代へと受け継がれているのは目に見えています」
そう言って、ダージリンはオレンジペコを見た。
オレンジペコは、微笑んで見せる。
「伝統とは守るべきものであり、尊重すべきものであることも、理解しております。このオレンジペコも、同じでしょう」
ダージリンの瞳がこちらを見据える。オレンジペコは静かに頷く。それに関してははき違えていないし、ずっと思っている。
「けれど伝統とは、『守っていくもの』『尊ぶもの』でありますが、『固執するもの』とはまた違うのではないかと考えています」
「……」
押し黙るOG会。思い当たる節は、やはりあったようだ。
「そして、移ろいゆく時代の変化に合わせて、柔軟にあるべきものとも、考えています。無論、私たちが掲げ、先輩方が守り続けてきた『いかなる時も優雅』であることを変えるつもりはございませんが」
だからこそ、オレンジペコの考えが正しいことをダージリンが告げる。
無意識に、息を呑む。口の中は渇いているが、今ばかりは紅茶に手を伸ばすわけにもいかない。
「私たちは多くのことを、これまでの聖グロリアーナの方から学び、受け継がれ、そしてこれから先も教え、受け継いでいきましょう」
「……」
「けれど私は……私たちは、新たな伝統も作っていきたい」
そこで、紅茶に視線を落としていたベルガモットがダージリンを見る。けれど、先ほどまでのような厳しさや、刺々しさはそこにない。
「それが……センチュリオンであると」
「それだけではありません」
「……それは、何かしら?」
ベルガモットの問いに、ダージリンは一度瞳を閉じる。
そして次に、瞳を開いた際には、微笑みは失せて「それ」を切望しているかのように真剣な表情を浮かべた。
「栄光を」
端的だが、その場にいる全員が心の奥底で望んでいるものを示していると、オレンジペコは強く確信した。現に自分でさえ、それを望んでいる。
「私たちはこれまで、戦車道における試合では勝利したことは確かにあります。けれどそれは、勝つべくして勝ったというものであり、強敵を相手にするとそれはどうしても脆くなる」
全国大会での聖グロリアーナの戦績は、最高成績でも準優勝だ。そしてここ最近は、準決勝がいっぱいいっぱいという現状である。
優勝した経験が、ない。
「けれど、新しい伝統を作った暁には、栄光を手にしたいのです」
戦いに勝つ。
強敵を相手に背をつけない。
優勝し、頂点に立つ。
それらすべてを総括した「栄光」。
「センチュリオンを導入することは終点ではなく、通過点にすぎません。私たちはこの先も、勝利するための研鑽を怠らず、勝利を追求し、強くなりましょう」
「……」
「そして目指すのはただ一点、頂に立つこと。それは……栄光を掴むことは、戦うものとして望むのは何らおかしくはありませんから」
ダージリンがにこりと笑う。先ほどまでの真剣さを残しつつも、柔らかさを抱かせるもの。
最後の言葉は、OG会に向けた言葉でもあっただろう。何せ3人とも、ここに通っていた時は戦車道の履修生であり、また勝利を目指してひたむきだっただろうから。
だからこそ、そのダージリンの言葉を聞いたOG会の3人は、小さく頷くだけであれこれと反論をしない。
どころか3人は、実に実に嬉しそうに、ほんの少しだけ笑っていた。
◇ ◇ ◆ ◇
「はふぇ……」
OG会が帰った直後、オレンジペコは緊張の糸がぷつりと切れて椅子に座り込む。お嬢様らしくない安堵の息だろうと、座り方だろうと、知ったことではない。今だけは許されるだろう。現に、ルクリリもアッサムも困ったような笑みを浮かべるだけで、とやかく言ってこなかった。
「オレンジペコさん、すごかったですわ! マジこう、痺れましたの、すごく!」
そんなオレンジペコの頭上から、拙いながらもなぜか気持ちが伝わる称賛の言葉を投げかけてくるのはローズヒップ。アッサムは、そのちぐはぐなお嬢様言葉にあきれたように肩を竦める。
「もう本当に素晴らしいお言葉に涙が零れそうになりましたわ! なのでお労いに肩をもませていただきますの!」
「いえ、流石にそこまでしなくても――あ、気持ちいい……」
オレンジペコに反論の余地を与えずローズヒップが肩を揉んでくる。粗雑な言葉遣いとは裏腹に、その技は中々のものだ。余計身体から力が抜けてきてしまい、表情を何とか保とうとするので精いっぱいになる。そんな自分を、微笑ましいものを見る目でルクリリは見てくるが、何も言わずに紅茶を注いでくれた。状況的にやむを得ないとはいえ、後でちゃんと尽くさなければ。
「でも、確かにすごかったわ。あの3人を相手に、あれだけのプレゼンができるなんて1年生とは思えないもの」
「いいえ……アッサム様も、サポートしてくださってありがとうございます」
アッサムが労わるように笑みを向けてくれる。とはいえ、途中でアッサムが資料を提示したりしてくれたおかげで、話がスムーズに運んだのも事実だった。たった1人で相手にしていたら、しどろもどろになっていたことだろう。
「でも、すぐにああした資料をお見せできたのは、元々用意していらしたのですか?」
資料の用意がいいと、オレンジペコは思っていた。アッサムも、センチュリオン導入の話を切り出すのはダージリンと思っていただろうに、あんな資料をあの場ですぐ作成できるとは思えない。あるいは、聖グロリアーナの頭脳だけあって最初からこういう場面を想定していた可能性の方が高いが。
「……実は、ダージリンから事前にそういうデータを用意するよう言われていたのよ。OG会との交渉で使えるし、オレンジペコも使うだろうからって」
「……やはり、ダージリン様はさすがですね」
やはり自分は、どうしてもダージリンには追い付けないらしい。オレンジペコが考えてきた答えも、ダージリンの想定の範囲内だったようだ。
「けれどそれは、あなたもダージリンに近い頭脳を持っている、と言い換えられるわ」
アッサムの発言に、オレンジペコは少しだけ笑う。見方を変えれば確かにそうだが、やはり自分はまだダージリンに及ばないと思う。
そのダージリンだが、今は1人でOG会の3人の見送りに行っている。本来ならオレンジペコとアッサムも行くべきだっただろうが、ダージリンは1人で引き受けてくれた。
「……」
オレンジペコは、ローズヒップが肩を揉み、ルクリリが淹れてくれた紅茶を飲むという、VIP待遇みたいな扱いを享受していた。そんな中で、視線がテーブルの上に置かれているアロマフラワーに向けられる。
ダージリンから不意打ちで説明するよう促された時、オレンジペコはどうすればいいのか分からなくなっていた。けれどそんな時、深呼吸をして、このアロマフラワーの香りを認識して、気持ちが穏やかになった。
それはやはり、アロマの効能もあるが、蒼音が見守ってくれているという感じがしたからでもある。不思議と、蒼音のことを思い浮かべると、気持ちが落ち着いたのだ。本当に、感謝してもしきれない。
そして今、こうしてOG会との会合を終えて、厄介事が片付いた今はまた、蒼音に会いたいと思うようになっていた。先週は都合がつかなくて叶わなかったせいもあるが、次こそは会いたい。そして話をしたい。ともすれば聖グロリアーナに新しい戦車を導入したいという願望よりも、それは強かった。
「あらまあ、中々面白いことになっているわね」
そこへ、ダージリンが戻ってきた。今のオレンジペコの様子を見て、可笑しそうに口元に手を当てて笑っている。
そこでオレンジペコは「ちゃんとしなければ」と今更に意識が覚醒する。
「お見送り、ありがとうございます」
「いいのよ。オレンジペコにはサプライズをしてしまったし」
「本当、心臓に悪いサプライズでしたよ……」
冗談を言いながらダージリンは、オレンジペコの隣の席に着く。ルクリリがすかさず紅茶を注いだ。ローズヒップは、流石にこの状況で肩もみを続けるのは違うと理解したようで、オレンジペコの脇に控える。
「さて、ここからね」
ダージリンが切り出し、オレンジペコもアッサムも姿勢を正す。
今日をもって、OG会の介入もそこまで露骨ではなくなるだろう。そして、新しい戦車を……センチュリオンを導入することができる。
ダージリンが言った通り、新しい伝統が始まるのだ。
「とはいえ、黒森峰との練習試合には間に合わないでしょうね」
「恐らくは……」
先日申し込みがあった黒森峰女学園との練習試合だが、試合の日程は来月の初頭に決まっている。流石に今日や明日にセンチュリオンの導入を戦車道連盟に申し込んだところで、1日2日はおろか数週間でも戦車は来ない。戦車とは、導入するのにも本当に時間がかかるのだ。
「これで少しは、後輩たちに残せるものができたかしら」
ダージリンが、しんみりとそう告げる。
そうだ、ダージリンは3年生だからもうセンチュリオンとともに公式戦に出ることはない。その戦う様子を見るのは、どうしても客観的になってしまう。
その事実にオレンジペコは、寂しさを抱く。
「けれどオレンジペコが、あそこまでOG会を相手取ることができたのは、少し予想外だったわ」
ダージリンが紅茶を飲むのを、オレンジペコは眺める。
「だからこそ、貴女がこの先聖グロリアーナを率いるのに相応しいと確信もできた」
ハッとする。
ダージリンは紅茶のカップをテーブルに置き、オレンジペコに向けて優しいまなざしを向けた。
「本当に、頑張ったわね」
そしてダージリンは、オレンジペコの髪に手を添える。
涙腺が緩んで、視界が潤んでしまうのを止められないが、許してほしい。
「……しんみりしているところを申し訳ないですが、まだ諦観するには早いみたいですよ。ダージリン」
そこへ割って入ってきたのは、アッサムの言葉だ。彼女はなぜか嬉しそうな笑みを浮かべて、ノートパソコンの画面をこちらに向ける。
表示されているのは戦車道ニュースの画面で、ダージリンはそれを見て「あら」と声を上げる。オレンジペコも、目に浮かんだ涙をハンカチで拭ってから、それを見た。
『冬季無限軌道杯、20年ぶりに開催。戦車道の注目度上昇を受けてか』
全国大会とはまた違う公式戦。詳細はまだ未確定だが、全国大会と同じトーナメント戦のようだ。
「本当、みほさんたちが起こした奇跡は、どこまでも広がっていくみたいね」
愉快そうに笑うダージリンだが、オレンジペコはなんとなく今のダージリンの心情を察する。
きっと、嬉しいのだ。また聖グロリアーナの仲間たちと強敵に挑む機会に恵まれたことが。そして、また強敵と戦える機会を得られることが。
オレンジペコだって、嬉しくないはずがない。もう一度、ダージリンやアッサムと、仲間たちと一緒に戦えるのだから。
だが、懸念もある。
「センチュリオン、この大会に間に合えばよいのですけれど……」
やっと導入にまでこぎつけたセンチュリオンがこの大会に間に合えば、もしかしたら優勝できるかもしれない。そうすれば、ダージリンたちに最後に花を持たせることができるだろう。
するとアッサムは、今度は封筒を取り出してきた。
「そこで、こういうものが出てくるわ」
封は既に切られてある。恐らくアッサムは、中身を読んだのだ。
だが、ダージリンを見る限り彼女もそれを読んだのではないらしく、オレンジペコは一緒に中を見ようと思い、封筒の中に入っていた数枚の紙を取り出す。
そして、目を見張った。
「……島田、愛里寿さん?」
入っていたのは、見学希望届。その文字通り、聖グロリアーナ学院を見学させてほしいという旨の書類。
しかも、大学選抜チームの天才少女・島田愛里寿の顔写真と、大学戦車道連盟のハンコ付きの紛うことなき本物だ。
そして驚いたことに、まだハンコが押されていないが愛里寿とその保護者・島田千代のサインが書かれた入学希望届まで同封されている。
オレンジペコは困惑するが、ダージリンはやはり動揺せずにアッサムに尋ねる。
「いつ届いたのかしら?」
「先週です。丁度、こちらのアロマフラワーが届いたのと同じ日に」
そう言ったところで、ローズヒップが「あっ!」と声を上げた。確か、アロマフラワーの箱とあの封筒を持ってきたのはローズヒップだった。そしてその封筒は、アッサムが回収した覚えがある。
「今まで黙っていたなんて、アッサムも人が悪いわね」
「失礼いたしました。けれど、これを見せてしまってはOG会との交渉に少なからず影響が出るかと思いましたので」
ダージリンの皮肉をアッサムは涼しい顔で受け流す。
けれど確かに、愛里寿が入学するかもしれないという話を聞いてしまったら、是が非でもセンチュリオンを導入しなければと躍起になっていた可能性が、オレンジペコは自分で考えられる。この情報を伏せていたことには、まさに感謝だ。
「確か、愛里寿さんは今サンダースを見学中だったかしら?」
「ええ。過去には大洗、アンツィオも見学していたようですが……」
その情報は確かにオレンジペコも聞いている。中学から飛び級して大学に入ったため、高校生活を学ぶと同時に高校戦車道も経験してみたいという話だったはずだ。そして大洗は、西住みほとはライバルでありたいという理由でキャンセル。アンツィオ高校はなぜ見学しようとしたのかは知らないが、校風が合わないという理由でこれも辞退したという。とはいえ、大洗はもちろんアンツィオに万が一入学されては、まさにパワーバランスは予測不可能になったことだろう。
「アッサム、もし愛里寿さんに連絡がつくのなら……」
するとダージリンは、にこりと笑ってそう切り出す。
なんとなく、恐ろしさを感じるような、挑発的な笑みだった。
「『あなたを受け入れる準備はできている』と伝えてもらえるかしら」
◇ ◇ ◇ ◆
聖グロリアーナの歴史が変わり始めた。
そう言っても過言ではない1日から一週間後、オレンジペコは本土を訪れていた。今日は天候にも恵まれて、連絡船は遅れることなく港に到着する。
目的はやはり、蒼音に会うためだ。前回果たすことができなかった、「会って話をする」という至ってシンプルな目的のために。
OG会を説得し、センチュリオンの導入も認められ、ダージリンから直接褒められたことで、オレンジペコの心の負担は大分軽くなった。元からOG会は厄介な存在だったが、今回の件もあることだし、これから先の態度は多少軟化するだろう。しかも、その説得には自分も多少なりとも貢献したという自負があるので、自分が隊長になってOG会と対峙することになったとしても、少しは気が楽になる。
そして次は黒森峰との練習試合。さらに島田愛里寿が転校してくるかもしれない。本当に、状況はめまぐるしく変わっていた。
それらもあって、少しオレンジペコは気分転換がしたい気分だ。さらに、また新しいアロマに挑戦してみたい。そういう理由も含めて、本土の蒼音と会って話をしようと思った。
そして何より、今日までの間に蒼音に会いたいという気持ちは自分の中で大きくなっていた。それは、OG会との会合でアロマフラワーに蒼音の姿を重ねて見て以来、強まっている。
今回はニアミスが起きないよう、事前に待ち合わせ場所は聞いておいた。急な話であり、かつ今日は蒼音がアルバイトだったため、待ち合わせの時間は昼過ぎ、場所は「Graceful」ということになっている。
連絡船が本土の港についたのは、その待ち合わせ時間の1時間前だ。蒼音の時間の都合と、連絡船の時刻表だけはどうしても噛み合わなかった。学園艦は基本海上を移動しているため、本土までかかる時間は変動しがちになる。
だが、オレンジペコにとってそんな問題は、聖グロリアーナが抱えていた問題に比べたら取るに足りないものだし、蒼音に会えるのであればそれで良い。
(どうしてなんだろう……)
向かう道中で、オレンジペコはふと思う。
蒼音のことは尊敬しているし、聖グロリアーナに属さない気の置けない友人として、色々と話をしてきた。かなり踏み込んだことも言った記憶もある。
ただし、ただの友人だからと言って、無性に会いたい衝動に駆られたり、落ち込んだり寂しいときに声を聞きたくなるだろうか。他の友人に対して、そういう気持ちになることは皆無ではないけれど、頻度は蒼音の方が上だ。
今もまた、その理由がわからないままに蒼音に会おうとしている。会えばその理由が分かるような気がするのだが、確信は持てなかった。
そして、こうして「Graceful」に向かっている今も、嬉しさと緊張と、よくわからない不安に苛まれている。ここまで自分の感情がないまぜになり、またどうしてそうなるのかもわからない状況とは、自分でもあまりなかったはすまだ。
それでも何とか、「Graceful」が近づいてきた。約束の時間に1時間ほど早いが、顔だけ出して後で再び合流すればいいだろう。
そうして「Graceful」に足を踏み入れようとして。
「……あ」
ドアの窓から、蒼音が誰かと談笑している姿が見えた。
その人は、背丈からして蒼音と同い年ぐらいに見える女性だ。髪型からして、以前ちらっと見た店員ではない。カジュアルなスタイルのコーディネートでまとめたその女性は、アロマの棚を前にして何かを話している。
会話の内容は聞こえない。蒼音は接客中だろうが、表情からして相手の女性は知人と見える。
何より、蒼音は楽しそうにしていた。
「……っ」
それを見て、不安が心の中に噴出する。「よく分からない」ではない、明確な苦しさが胸の中に出現する。
それに耐えかねて、オレンジペコはその場を去った。
去ってしまった。
これにて中編終了でございます。
次回から後編に入ります。