愛しい香り   作:プロッター

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第9話:親しい貴方

 分からない。

 なんでこんな気持ちになるのか。

 なんでこんなことをしているのか。

 

「……はぁ」

 

 「Graceful」から100メートルほど離れたところで、オレンジペコは早歩きを止める。周りを歩いていた観光客や買い物客はこちらを意に留めない。

 道の脇に設えてあるベンチに腰を下ろして、深呼吸をひとつした。そして自分の気持ちと頭の中を、できる限り整えようとする。

 自分が今さっき見たのは何か。蒼音が客らしき女性と親し気に話しているところだ。ほかには何も見ていない、それだけだ。

 ただそれだけなのに、今オレンジペコの中にあるのは不安と苦しさだけだった。会う前に感じていた期待とか、やっと会えることへの嬉しさとか、そういったプラスの感情は見つからない。あるのはマイナスな感情だけだ。

 なぜ、こんな気持ちになってしまうのか。

 それがオレンジペコの頭の中で渦巻いている。初めてのことだらけで、分からない。ここまでの不安に押しつぶされそうになるなんて、OG会と話すときでさえなかったのに。

 視線を上げる。眼の前にある北欧家具店のショーウィンドウに飾られている大きな熊のぬいぐるみが、円らな瞳でこちらを見ていた。普段なら色々思うことはあるはずなのに、今は何の助けにもならない。

 自分の胸に手を置く。鼓動が強く伝わる。

 これまでは、心臓が痛いほど跳ねることが様々な状況であった。けれど、今はこれまでにない状況であり、一層どうしてこうなるのか分からない。頭の中で答えを導き出そうとしても、できなかった。

 

「あれ、オレンジペコさん?」

 

 そんな時、頭の上から声をかけられた。知らない内に、項垂れてしまっていたらしい。

 聞いた覚えがあまりないその声に、思わずがばりと頭を上げる。すぐそこでこちらを不安そうに見ていたのは、長い黒髪の女性だ。オレンジペコはもちろん、蒼音よりも年上に見えるその女性は、オレンジペコも少しだけ見覚えがあるが、名前が思い出せない。

 

「ええと……」

「ああ、ごめんなさい。自己紹介も碌にしてなくて。『Graceful』店長の槐よ」

 

 そうだ、思い出した。直接話をしたことはほとんどないが、前に「Graceful」を訪れた際に少しだけ会話を交わした覚えがある。

 そしてそういう時は、決まって蒼音と一緒だった時だ。蒼音のことを考えると、また気持ちが沈んでしまう。槐が名刺を差し出してくるが、オレンジペコはその気持ちが抑えきれなくて震える手で名刺を受け取った。

 

「どうしたの、何か調子が悪そうだけど……」

「いいえ、ちょっと、その……」

「体調が悪いとか?」

「そういうわけでは、ないんですが……」

 

 そんな自分を気遣うように、槐が膝を曲げてオレンジペコに視線を合わせてくれる。その気遣いがありがたいうえ、自分でそうなる原因は自分でも分からないという状態なのだから、申し訳なさが一層強まった。

 満足に答えも出せないでいると、槐は何を思ったのか「よし」と言って。

 

「ね、オレンジペコさん。ちょっと付き合ってもらえるかしら?」

「え……?」

 

 優しい笑顔で、槐が提案した。時間的に、昼食か何かだろう。

 オレンジペコは、気遣われているのが明確だったので、正直な話あまりそれに甘えたくはなかった。けれど、今のまま時間を無駄に過ごしても、約束の時間に蒼音と会って平静を保てる気がしない。

 だから、槐の提案に頷いて、彼女の後についていった。

 

◆ ◇ ◇ ◇

 

 槐が先導してやってきたのは、ショッピングストリート内にあるカフェだった。しかし、以前蒼音と入った場所ではなく、よりカジュアル層向けと見る。客層も家族連れやカップル、学生らしきグループなどがいた。

 槐はこの店の常連らしい。カウンターに立っているマスターと思しき男性と「こんにちは~」「お、いらっしゃい」と、随分と砕けた挨拶をしている。そしてその流れで、窓際にあるボックス席に通された。

 そうしてメニューを見て、槐はアイスコーヒーとナポリタン、オレンジペコはアールグレイティーを注文する。とにかく気持ちを落ち着けたかったので紅茶は必然だったし、元々は蒼音と昼食を摂る予定だったので、ここで何か食べるのは避けたい。

 

「すみません、気を遣わせてしまって……」

「いいのいいの、大人は悩んでいる若者に手を差し伸べたくなるものなんだし」

 

 ここでようやっと、オレンジペコは気を遣わせてしまったことを詫びた。だが、槐は全く気にしていないように、笑って手を横に振る。

 

「で、何かあったのかしら? あんなところで」

「……」

 

 槐がテーブルの上で手を組み、オレンジペコに話しかける。とても柔らかい印象だ。

 けれどオレンジペコは、まだその悩みを全部口にすることができない。それは槐に気を遣わせてしまったのもあるし、何より彼女とはまだほとんど話をしたことがないため、多くを話すのに若干の壁というものがあった。

 それは槐も理解しているようで、店員が持ってきたお冷を一口飲んで口を開く。

 

「貴女のことは、まあ聖グロのことを調べたり、香戸クンと話をして、ある程度知っているよ」

 

 蒼音の名前が出て、オレンジペコは肩が震える。

 

「それに、うちの店に何度も来てくれてるから、嬉しくも思う。あなたは常連さんってイメージが、私の中にはあるんだ」

「……」

「前に香戸クンに、いくら有名人が来たからって、軽々しく話しかけない方がいいって私は注意したんだけどね」

 

 それはきっと、最初にオレンジペコが「Graceful」を訪れた時のことだろう。思えば、あの時から実に2か月が経とうとしている。時の流れはとても速かった。

 

「今日は、オレンジペコさんから放っておけない雰囲気がしたから、勝手ながら声をかけさせてもらったのよ」

「……」

「良ければ、聞かせてくれないかな。もちろん、このことは誰にも言わないし、オレンジペコちゃんの都合が悪ければ無理に聞きもしない。純粋にお茶を楽しみましょう」

 

 にこりと、槐は笑う。

 ダージリンたち学校の先輩とも、朱那とも違う、余裕のある優しい笑顔。オレンジペコは、それに絆されたように、胸の中にある不安が少しだけ薄れた気がした。

 

「……変な話になってしまうんですが、よろしいでしょうか?」

「もちろん」

 

 前置いて、オレンジペコは話し出した。

 先ほど「Graceful」の前を通りがかった時、蒼音が女性と話しているのを見つけたこと。その時の蒼音の表情が、楽しそうだったこと。そしてそれを見て、途端にオレンジペコは妙な不安に駆られ、平静を保てなくなってその場を去ってしまったこと。どうしてこんな気持ちになってしまうのか、自分で分からないこと。

 

「私は、蒼音さんと交流を持つようになってから、蒼音さんと話すのをとても楽しく思っていましたし、会うことを楽しみにもしていました」

「……そうなんだ」

「だというのに、蒼音さんがその、そうしているのを見た途端に……怖くなってしまって」

 

 話し終えた。お冷に口もつけずに、ボロボロの心をどうにか奮い立たせてありのままの気持ちを伝えた。

 言葉にしてようやく理解できたが、オレンジペコは怖いのだ。あの瞬間を見てなぜそう思うのかは未だ謎だが、怖かった。だから、逃げてしまった。

 槐はどう思っているだろう。急にこんな感情の話を持ち出されて迷惑と思っていないだろうか。

 その槐は、「なるほどね」と言うと。

 

「それは確かに……難しい話だね」

「……はい」

「香戸クンが人と話してるのを見ただけで怖いだなんて……どうしてなんだろうね? 私にも、ちょっと答えは出しにくいかな……」

 

 やはり、こんなことになってしまう理由は、大人であってもそう簡単には分からないらしい。答えが見つけられないのはオレンジペコとしても残念だが、悩みに向き合おうとしてくれたその姿勢だけで感謝しきれない。

 であれば、自分は蒼音にどんな顔をして会えばいいのだろうか。

 飲み物を店員が運んできた。オレンジペコはアールグレイティーをティースプーンで軽くかき混ぜてから口に含む。温かい紅茶が、震えている心を落ち着かせるかのようだ。一方の槐は、テーブルに置いてあった砂糖とフレッシュミルクを1つずつ、アイスコーヒーに混ぜる。

 

「ただしそれは」

 

 そして槐は、アイスコーヒーを一口啜ると。

 

「オレンジペコさんが香戸クンのことを、()()()()()()()()()()()の話だけどね」

 

 ティーカップから、唇が離れる。けれど、オレンジペコの口は空いたままだ。

 自分が蒼音のことを何とも思っていなければ。

 それは逆に、オレンジペコ自身が蒼音に対して、何らかの明確な気持ちを抱いていれば、ごく自然なことだと。

 

「……何とも、と言うのは」

 

 オレンジペコは、その答えが首元まで出かかったような感覚になった。自分の中で噴出した感情が、その答えを理解するのを邪魔していたように、頭の中の靄が晴れてくる。

 自分が蒼音に対してどんな気持ちを抱いているのか、まったく心当たりがないわけではない。むしろ、「そう」思っていたのならば、今日の行動も、今までの自分の感情についても、すべて説明がつく。

 オレンジペコとしてはもう反論できない。首元まで出かけていた答えが、示されたも同然だ。

 

 つまりは、オレンジペコが蒼音のことを「好き」だということ。

 

 

「え、ええっ……!?」

 

 紅茶を飲んでもいないのに、身体に熱が籠ってくる。声が僅かに上ずってしまい、カウンターにいた店員がこちらをちらっと見るが、気にしてられない。

 その感情を認識することで、オレンジペコの中で今までにないほどの熱が渦を巻き始める。自分の身体と心の境目が見えなくなるような感覚に陥り、そんな自分を落ち着かせるために、もう一度紅茶を飲む。

 少しだけ、落ち着いた。

 

「……」

 

 槐の顔を見るが、オレンジペコの気づきを察したのか、微笑んだまま何も言わない。槐は、オレンジペコが自分の感情に自分で気付けるように、そして落ち着けるように何も言わなかった。

 今までの感情の変遷を顧みる。

 蒼音と話がしたいと思ったことも、繋がっていたいと願ったことも、会いたいと切に感じたことも、そして彼が他の女性と話しているのを見て不安に駆られ、怖くなったのも。

 すべては、オレンジペコが蒼音のことを好きだとするのならば、確かに何もおかしくない。人を好きになったのであれば、その人のことを近くに感じたいと思うことは、至極当たり前のことだろう。その人が、別の人に靡いてしまうのではと恐れるのは、おかしくないだろう。

 しかしながらオレンジペコは、一つ引っかかるところがある。

 

「……確かに、私は蒼音さんのことが、その……好き、なのかもしれません」

「うん?」

「でもそれは、どういう『好き』なのかが分からないんです」

 

 槐は小首を傾げて、アイスコーヒーを一口飲んだ。

 「好き」という言葉は、ただ口にするだけなのにこんなにも勇気が必要で、顔を熱くさせるものだっただろうか。

 

「私は兄弟姉妹がいなくて、蒼音さんのように年の離れた男の人と知り合う機会がほとんどなく……。ましてや、こうして長いこと自分に付き添うような――と言うのも変かもしれませんが――そういう人もいなかったもので……」

「なるほどね」

「だから、私は蒼音さんのことを『好き』と言っても、それは『親しい人として』なのか、それとも……『異性として』なのかが、分からないんです」

 

 実のところ、オレンジペコの蒼音に対する「好き」がどちらなのかは、8割方分かっている。残りの2割は、槐に話した通りで分からない。決して見栄を張ったわけではなかった。

 オレンジペコは、確かに蒼音のことを好意的に思っているし、声やメールで言葉を交わすたびに気持ちは温まった。蒼音が勧めてくれたアロマのおかげで、オレンジペコの生活は変わったし、戦車道でも頑張ることができるようになって、OG会との交渉でも勇気づけられた。

 けれどそれが恋だとは、まだ断定できない。

 オレンジペコは、初恋もまだだ。いや、蒼音に対するこの気持ちがそうだとすれば今まさに初恋なのだが。兎に角、蒼音に対するそういった感情は、「恋している」と言う理由でなくとも抱けるものだ。親しい間柄なのは認めるが、単純に親友同士でもそういう気持ちにはなる。

 その気持ちがどちらなのか曖昧なまま先に進むのは、怖い。

 

「いやぁそれは……」

 

 槐は、オレンジペコの言い分を聞いて何かを言いかけた。だが、そこで店員が槐の分のナポリタンを運んでくる。トマトソースの香りがオレンジペコにも伝わってきて食欲を刺激してくるが、我慢しておく。そういえばアンツィオ高校は鉄板ナポリタンなるものが名物だったっけ、と別のことを考えた。

 

「……まぁ、悩むよね」

 

 槐はまだナポリタンに手をつけず、オレンジペコの言葉に頷いた。先ほどは何を言いかけたのだろうか。ただ、オレンジペコはそれを深く聞かないでおく。もしかしたら、槐の思い違いだったのかもしれない。

 

「オレンジペコちゃんはそう言う気持ちになったことがないから、分からなくなってるんだね」

「ええ、まあ……」

 

 頷く。槐は断りを入れてからナポリタンを食べ始める。

 そこでオレンジペコは、アイスコーヒーのグラスを持つ槐の左手を見て、ふと思った。

 

「……槐さんは、そう言った経験があったりしますか?」

「ん?」

 

 オレンジペコは、視線だけはそこに向けつつ、話しかける。

 槐の左手薬指には、銀色の指輪が嵌められている。無駄な装飾のない、シンプルなものだ。思わせぶりなファッションの類でなければ、結婚指輪にほかあるまい。

 

「初恋? あるにはあるけど……失恋だったからねえ」

「それは……すみません」

「いいっていいって。失恋も時間が経てば笑い話だもの」

 

 どうやら、訳アリのようだ。

 そう言って槐は、またナポリタンを一口食べる。

 

「でもまあ、失恋でもなんでも恋したことがあるからこそ、恋する人の悩みってのはよく分かる」

「?」

「私もオレンジペコちゃんと同じだったからさ。最初に人を好きになった時は」

 

 槐は、アイスコーヒーを一口啜ると息をひとつ吐く。ナポリタンのフォークには手を伸ばさない。

 

「その人に恋しているのか、それとも友達として好きなのか、分からなくてね。でも悩み抜いた末に、自分は恋してるんだって気づいたよ」

「……怖くは、なかったんですか? そういう気持ちになることが」

「いやいや。むしろ嬉しかったし、そうなんだってわかったら気持ちが清々しくなったよ」

 

 その時の気持ちを、感覚を覚えているのだろう。槐は笑っている。だが、その結末は砕けてしまったのだと思うと、オレンジペコとしては少し胸が痛い。

 

「……高校の時だったんだけどね、特別イケメンってわけじゃなかったけど、親しみやすい性格のクラスメイトがいてね。まあ同じクラスだから何度も話す機会はあったし、自然に惹かれた。それで戦車道やってた私は、尻込みしてうじうじ悩んでるのもなって思ったから、思い切って告白しようと決めたわ」

「戦車道をやってらしたんですか……?」

「ええ。と言っても、地元のクラブみたいな感じでね。聖グロと比べたら断然規模は小さいし、私自身才能はあまりなかったから……」

 

 まさか、蒼音だけでなくここでも戦車道経験者とつながりを持てるとは、人の縁とはよくわからないとオレンジペコはなお思う。けれど今の論点は、戦車道ではなかった。

 

「で、告白したの。そしたら、OKされたわ」

「それは、よかったですね……と言うべきでしょうか」

「それでいいのよ。それでまあ、その時はもう無茶苦茶嬉しかったわ。嬉しすぎて……」

 

 そこで初めて、槐の表情に憂いが生じる。いや、この場合は悔いだろうか。

 

「相手方の都合なんて考えないで、いろいろやっちゃったわ。一緒に帰りましょうとか、休みの日に陸でデートしましょうとか、ウチに来ないとか……最初は相手も喜んでたけど、私が押し付けすぎちゃったみたいでね……」

「……」

「それで、付き合い始めてから半年ぐらいで、言われちゃった。『ごめん、限界』って」

 

 槐は悔しそうに首を横に小さく振って、またアイスコーヒーを飲む。オレンジペコは、アールグレイティーに手を伸ばせない。とても与太話として片付けられない。

 

「まあ、フラれちゃった。押し付けすぎて、自分が負担になって」

「……」

「それでその日は、わんわん泣いたわ。もう一生分泣いたんじゃないかってぐらい、泣いた」

 

 その時の光景は、オレンジペコでも何故か想像がついてしまう。未だオレンジペコは、そうやって感情を露にして、ストッパーも取り払って感情のままに泣いたことはないが、それは同じ女性だからか想像できる。

 そしてそれは、この先の自分の人生で起き得ないとも言い切れない。だからこそ、他人事には思えないのだ。

 

「けど、過去のことでうじうじするのも何だったから、眠ってご飯食べて、戦車に乗って、1週間ぐらいで立ち直れたかな。流石に、その相手の人と話す機会は減っちゃったし、顔を見るのすら気まずかったけど」

 

 戦車道は、そうやって悲しい気持ちを払拭する何かがあるのだろうか。オレンジペコは、少しだけ興味深かった。

 

「でまあ……大人になって、こんな私でもいいって人に巡り会えたから、それでよかったんだけど……」

 

 どうやら、今の槐の相手は、向こうから告白してきたようだ。失恋は悲しいものだが、今こうして人並みの幸せを手にしているのであれば、いいのかもしれない。

 

「まあ、ここまで話して何が言いたいのかって言うとね」

 

 そしてオレンジペコを見て、槐は話しかける。

 

「今の気持ちに自信が持てないなら、持てるまで悩み抜けばいい。恋じゃなかったらそれでいいし、悩み抜いた末の恋ならずっとその気持ちが誇らしくなる。それだけ自分が、真剣にその気持ちについて考えてたってことだもの」

 

 槐が微笑む。

 オレンジペコは、口を閉ざして槐の……人生の先輩の言葉に意識を傾ける。

 

「そして、オレンジペコさんが香戸クンに恋をしていたとしても、押し付けすぎるのはダメってこと。アタックするなとは言わないし、何も望むなってわけじゃないけど、加減はちゃんと弁えないと」

 

 槐は口にしないが、でなければ同じような悲しい結果に終わると暗に言っていると、オレンジペコは理解する。愛情も度を越せば手枷足枷に代わり、関係にヒビが入ってしまう。

 

「そして、仮にフラれたとしても、次に活かせるチャンスと思えばいいってことかな」

 

 想いが実らなかったとしても、砕けてしまったとしても、次にもしそういう人と会えたのなら、その時のことを反省点にすればいい。

 槐は、それを自分の経験談をもって、教えてくれた。

 

「……肝に銘じます」

「ま、それは香戸クンのことを本当に好きだったらの話なんだけどね」

 

 そう言って、槐はナポリタンを食べるのを再開する。オレンジペコも、アールグレイティーを飲んだ。少しぬるくなってしまったが、まだ味は落ちていない。

 それからは、槐が戦車道を嗜んでいた頃の思い出話や、オレンジペコの所属する戦車道チームのことなどを話した。今までは交流のほとんどなかった槐でもオレンジペコが自分のことを話したりすることができたのは、槐自身が親しみやすい性格と雰囲気なのもある。2人で話していて、オレンジペコはそれを理解した。

 そのあと1時間足らずで、槐は食事を終えた。オレンジペコもそのころには、アールグレイティーを飲み終えている。

 

「さて、それじゃあ行こうかな。私はこれから出勤だけど、オレンジペコちゃんはどうする?」

「……私も、『Graceful』に行こうかなと」

「そっか。じゃあ一緒に行こう」

 

 元はといえば、オレンジペコは蒼音と会う約束だった。最初に来た時は約束の1時間前だったし、どんな顔をして会えばいいのか分からなかったが、今はその両方の問題をクリアできている。

 槐は、オレンジペコに有無を言わさず伝票を手にし、「奢るね」と無言で伝える。オレンジペコは、ありがたくご馳走になることにした。人生の経験談を聞かせてもらった身としては、こちらが払いたかったのだが。

 

「マスター、美味しかったよ」

「ありがとさん、またどうぞ」

 

 去り際に、槐はカウンターでコーヒーを淹れているマスターの男性に声をかけてレジへと向かう。そして会計を終えて、店に出ると。

 

「あ、ちなみにあのマスターね、私が高校の時フラレた人」

「ええっ!?」

 

 とんでもない秘密を暴露した。驚きを隠せなくて、お嬢様らしからぬ声が出てしまう。

 だが、自分をフッた人の店で普通に食事できて、あまつさえ常連になるだなんて、本当に考えにくい。過去にそんなことになったら、気まずい関係を引きずるはずだが。

 

「フラれても人によってはこうして普通に接することができるってことなの。別れたから絶縁、ってケースもあるっちゃあるけど、私の場合はお互い納得したからでもあるし……だからそこまで悲観しなくてもいいと思うわ」

「ええ……?」

「香戸クン、雇い主の私から見ても優しいし」

 

 ニコッと笑う槐。

 この人は肝が据わっているんだなと、オレンジペコはよく分かった。

 

◇ ◆ ◇ ◇

 

『次の休日にお会いしたいのですが、よろしいでしょうか?』

 

 このメールを受け取った時、蒼音はかなり驚いた。と言うより、どきっとした。

 オレンジペコとそれなりに電話やメールで話をし、打ち解けた(と思う)とはいえ、こうして「会いたい」とメールでも真っ向から言われたことはない。もっと言えば、オレンジペコの方からそういってもらえるとは思いもしなかった。

 とはいえ、そう言われたところで蒼音は断る気もなかった。これが顔も見たくない憎い相手だったら、迷うことなく「またの機会に」と断っていただろう。

 けれどオレンジペコはそんな人ではなく、むしろ蒼音から見てもとても信頼している。それに、以前は毎週のように会っていたため、久方ぶりに会いたいと思っていたのも確かだ。だから、そのメールにはちゃんと了承の返事をした。しかし、オレンジペコが提示した日はアルバイトの日でシフト変更の希望を出すのには遅すぎたため、途中の休憩時間でよければという形で。それでもオレンジペコは合意してくれた。

 そして途中で()()()()()()もあったが、オレンジペコと会う時間、つまり自分の休憩時間がやってくる。

 その時、「Graceful」のドアが開いた。

 

「いらっしゃ――あれ?」

 

 来客を温かく迎えようとして、疑問が口からついて出た。

 まず1人は、今まさに待っていたオレンジペコ。そしてそのすぐそばには、店長の槐がいたのだ。しかも、仲よさげにしている。

 

「どうしたんですか、お2人……」

「いやあ、出勤途中で偶然会ってね。折角だから一緒に来たわけ」

「ええ、そういうことなんです」

「はあ、なるほど……」

 

 槐がオレンジペコの肩をポンポンと叩き、オレンジペコも気を悪くしていない風に、槐を見て微笑んでいる。どうやら、自分の知らないうちに打ち解けたらしい。

 

「じゃあ、私は準備するから。終わったら休憩入っていいからね」

「はい」

 

 そう言って槐はバックヤードに引っ込む。そして店内に残されたのは、蒼音とオレンジペコだけだ。

 

「お久しぶりです、オレンジペコさん」

「こちらこそ。思えばもう最後に会ったのは1か月ぐらい前でしょうか」

「もうそんなに経ってたんですね……」

 

 改めて、オレンジペコに挨拶をする。オレンジペコが言う通り、最後に直接話したのは朱那を交えて話をした日だから、本当にそれぐらい経っている。時の流れは本当に速い。

 しかし、オレンジペコは変わっていないようでよかった。風邪をひいたと聞いたときは心配になったが、今はそれも不要らしい。

 そして蒼音自身、こうしてオレンジペコの姿を久しぶりに見たことで、高揚感のようなものを抱いている。

 

「すみません、店長が戻るまでお待ちいただけますか?」

「でしたら、アロマをまた買いたいんですが……」

「あ、はい。構いませんよ」

 

 午前中だけ槐が不在で蒼音が1人で店を回すことはたまにある。そして槐が出勤してからも5~10分は準備する時間があるため、それまで蒼音は店に立っていなければならない。その時間オレンジペコを待たせてしまうのは気まずかったが、その間にアロマを見たいというのであればありがたかった。

 

「それで、その……」

 

 だが、その時オレンジペコに照れが入ったのを蒼音は見逃さなかった。瞬時に自分の直前の発言などを顧みるが、そうさせた節は思い当たらない。

 

「一つ、お聞きしたいことがありまして」

「何でしょう?」

「蒼音さんのおすすめって、何かありますか?」

 

 意を決して、と言う風なオレンジペコの質問に、蒼音は戸惑う。

 店員さんのおすすめは、と客に聞かれることは今までも多くあったし、その際は当たり障りのない答えを返している。だから、オレンジペコが同じような質問をしてきたことは問題ない。

 気にしているのは、オレンジペコの顔がほんの少し紅くなっていたところだ。何故にそんな、一世一代の告白をするときみたいな表情をするのか。

 そしてその表情に、蒼音も少しばかり胸がどきりとする。

 

「……そう、ですね」

 

 ただ、そういった動揺は顔に出さず、冷静に自分のおすすめの品を探す。

 

「自分個人のおすすめは、オイルバーナーでしょうか」

 

 それは、ミニチュアサイズの竈ともいうべき、白い陶器だ。

 オレンジペコは、商品棚に置かれているそれを見て、小首を傾げる。

 

「これは、どうやって使うんですか……?」

「下にあるキャンドルに火をつけて、上の部分に水とエッセンシャルオイルを垂らすんです。30分ぐらい、香りが楽しめますよ」

「……蒼音さんも、お持ちなんですか?」

「はい。たまに家で使ってますね」

 

 時間が短いため、寝る前だったり短期的に集中したいときに、蒼音はそのオイルバーナーを使うことが多かった。

 

「それに、デザインが少し可愛らしいといいますか」

「ああ、なるほど……」

 

 アロマのオイルバーナーには真鍮製のものもあるのが、蒼音が欲しいと思ったのは白い陶器のタイプだ。洗練されたデザインが嫌いと言うわけでもないが、なんとなく柔らかい雰囲気がする。

 

「でしたら、これを買おうかと思います」

「……よろしいんですか?」

「はい、蒼音さんのお勧めでしたら、安心ですし」

 

 言われて、蒼音は少しばかり逆に不安になる。自分のことを信用してくれるのは嬉しいし、疑われるよりずっとマシだ。

 とはいえ、自分が勧める商品が相手の感性に合っているかどうかはまた別になる。もしも、オレンジペコが信頼してくれている自分が勧めたもので気を悪くしてしまったら、それは信頼を裏切ってしまうことになる。それは蒼音としても避けたい。

 

「蒼音さんが今まで紹介してくださったアロマのおかげで、私は変われましたから。それに、自分にとって苦しいことも乗り越えられましたし……だから、あなたの勧めたものに間違いはないって、私は思うんです」

 

 オレンジペコが、にこやかに告げる。

 自分がアロマを勧めたことをきっかけに、生活の質が変わったとオレンジペコは言っていた。そして、先日のメールにもあったが、聖グロリアーナの歴史が変わり始めたのだとも言った。

 それらがすべて、自分が勧めてくれたもののおかげだと、オレンジペコは言ってくれている。その事実を蒼音は感慨深く思い、またそれだけオレンジペコというひとりの少女のことを変えたのだと考えれば、喜びの気持ちを禁じ得ない。それに、そんな彼女が自分をそれだけ信用してくれているのだと思うと、それを無碍にはしたくなかった。

 

「……では、こちらになさいますか?」

「はい」

 

 改めて確認を取るが、やはりオレンジペコはニコッと笑う。

 可愛らしい、と頭の中で素直な感想が浮かんできたがそれは自分の心の中へ叩き落しておく。決して口に出してはならないものだ。世の中にはその場で言っていい感想とそうでない感想がある。

 その自分の変化から逃げるように、蒼音は丁寧にアロマのオイルバーナーを包装する。デザインは可愛いが実際は陶器、割れ物だから注意を払わなければならない。そうして無事に包装し終えてから紙袋に収め、会計を済ませる。

 

「お待たせ、それじゃ休憩入っていいよ」

 

 そこで、狙っていたかのようなタイミングで槐が姿を見せた。

 

「ありがとうございます。では……」

 

 一度バックヤードへ戻り、エプロンを外して最低限の準備を整えると、蒼音はオレンジペコの下へ向かう。

 

「行きましょうか」

「はい」

 

 以前、この店で偶然出会った際に話を切り出したときは、状況が状況なだけに遠慮する気持ちもあったし、気まずさも多少は感じていた。しかし今回は、事前に約束を取り付けていたのもあって、そこまで後ろめたくもない。

 それでもなぜか、蒼音は妙にそわそわしていた。

 

 蒼音とオレンジペコが出るのを見送った槐は、一息つく。

 青春してるなあ。

 学生の特権ともいえるそれは、オレンジペコに話した通り自分も経験したし、そのうえで砕け散った。完全に自業自得ではあるものの、今となってはその相手とも腐れ縁として切れてはいない。

 そして、オレンジペコと同じような心境に遭ったからこそ、槐はオレンジペコのことを応援していた。

 それと同時に、オレンジペコの気持ちにはもう槐は気づいている。それは先ほどの喫茶店で言いかけたことだったが、オレンジペコはきっと蒼音に――

 

◇ ◇ ◆ ◇

 

 蒼音とオレンジペコが訪れたのは、先日とはまた違うカフェだ。このショッピングストリートは、本当に喫茶店やカフェに困らないのでありがたい。

 

「ほとんど当たり前みたいにカフェにしてしまいましたが……大丈夫でした?」

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 多少打ち解けたとはいえ、相手はやはり聖グロリアーナのお嬢様だ。故にファミレスなどカジュアルな場所よりこうした店を選んでしまったが、よく考えてみればオレンジペコの意向を確認し忘れていた。ひどいミスをやらかしたと思って尋ねてみたが、受け入れてくれたので感謝する。

 2人掛けの席に通されて、蒼音とオレンジペコはそれぞれ飲み物と料理を注文する。

 

「……あの、蒼音さん」

「はい?」

 

 落ち着いたところで、オレンジペコが話しかけてくる。先ほど「Graceful」では見せなかった、やけに真剣そうな顔つきだ。ともすれば、戦車道でも大体そんな表情ではないかと思えるほどの。

 

「実は私……連絡船の時間の都合で、1時間ほど前にこの街についたんです」

「?」

「それで、偶然『Graceful』の前を通ったら……その、蒼音さんがどなたかとお話しされているのが見えて」

 

 その言葉に、「あ」と言いかける。

 

「あれは、その……どちら様だったんですか?」

「あー……あれ、大学の友人です」

 

 別段隠す事でもなかったため、普通に答えた。

 蒼音があの店で働いていることは、親族以外の友人知人――オレンジペコを除く――には話していない。というのも、働いているところを茶化されたりするのが好きではないからだ。

 だというのに、昼前にやってきた大学の女友達は、どこで嗅ぎつけたのかずかずかと入り込んで、あれやこれやと色々聞いてきたのだ。その人自体は嫌いではないのだが、仕事中に色々話しかけられるのは勘弁してほしかった。

 

「ご友人、でしたか……」

「ええ」

「……てっきり、お付き合いしている人かと」

「へ?」

 

 ぽつり、とオレンジペコが呟いた言葉に素っ頓狂な声が出る。

 それを受けてオレンジペコは、あたふたと手を横に振った。

 

「い、いえ。すみません、聖グロって女子校だから、恋愛とかそういう話がほとんどなくて。それで勝手にそう思い込んでしまったといいますか……」

 

 なるほど、女子校特有の空気という奴だろうか。それは蒼音は一生かかっても経験できないものだろう。蒼音は納得する。とはいえ、やはりオレンジペコも年頃の女の子なんだなと、妙にほっこりもした。

 そして、さっきのオレンジペコの疑問についても、話しておく。

 

「あの人は本当に友人ですよ。というか、自分はまだ誰ともお付き合いとかしていませんし」

 

 自分は女性にモテた試しがない。それでも、誰彼構わず侍らせたいとは思わないし、モテまくりたいとも考えていないため、今のところ人生に何ら影響はなかった。

 するとオレンジペコは、どういうわけか安心したような表情を浮かべる。いや、安心している風なのは蒼音の思い込みかもしれないが、なぜか先ほどより穏やかな表情だ。

 

「……これも、その……恋愛に興味がある故のことと思っていただければ幸いなんですが……」

「え?」

「蒼音さんには、好みのタイプなどあったりするのですか?」

 

 お冷を飲む。本当、今日は色々と驚かされる。

 実のところ、蒼音にも好みのタイプというものは存在する。それは、これまでの人生経験から導き出されたものだ。大学の友人から聞かれた際にも、答えることはできている。今日来た女友達にも同じ質問をされたことはあった。

 

「まあ、あるにはあります、けど……」

 

 なので、その時と同じ風に答えればいい。そう思っていたのに。

 オレンジペコの瞳が不安そうに揺れている。

 それを目にすると、答えようという意思はあるのに、答えも用意できているのに、言葉がうまく紡げない。

 

「……言っても、引きません?」

「とんでもございません」

 

 予防線を念のため引いておく。

 だが、オレンジペコは首を横に振ってくれた。とてもありがたい。

 

「……おとなしい感じの子、でしょうか」

 

 オレンジペコの目が見開かれた。

 そういう子が好みの理由には、姉の朱那の存在が大きい。戦車道を歩んでいる姿勢は確かに立派だが、プライベートだと蒼音にあれこれ口うるさい上、何かと顎で使ってくる。

 だからこそ、それとは逆のパターンの子が、淑やかな感じの子が好みだ。先ほど店を訪れた女友達も、どちらかと言えばにぎやかなタイプなので、友達として付き合うなら良いけれど、蒼音個人としては恋愛対象と見なせない。

 そして、そんな自分の好みに当てはまるタイプといえば。

 ちょうど目の前にいる、オレンジペコだった。

 

「……」

 

 答えたところで、それを認識したところで、蒼音の顔が熱くなってくる。

 今の答えは、暗に「オレンジペコが好みのタイプです」と捉えられてもおかしくない。何せ相手は、聖グロリアーナ戦車隊の次期隊長だ。それほどに聡明だ。明言せずとも気づかれる可能性は十分にある。

 現に、答えを聞いたオレンジペコの頬には僅かな朱色が混じっている。実にまずい。

 

「……と、すみません。全然面白味もない答えで」

「い、いえいえ。大変興味深かったですよ」

 

 何とか空気を正常に戻そうと、愛想笑いを浮かべて適当に切り上げることにする。オレンジペコもそこまで引きずりはしなかった。が、恐らくは気を遣わせてしまったであろう。

 そして互いに沈黙。しかもいたたまれない空気の沈黙だ。

 なにか話題を出さなければ、時間が無情に流れ続けてしまう。けれど、蒼音の頭では、この流れで切り出せる的確な話題を見つけられない。

 一番自然なのは「オレンジペコの好みのタイプ」だ。が、そんなことを聞けば雰囲気が停滞から崩壊に変わること請け合いだし、セクハラになりかねない。

 そして、そんな事情を抜きにしても、その答えを聞くのがなんとなく怖かった。

 

「あ、そういえば蒼音さん、戦車道検定のお勉強の方はいかがですか?」

「あ、あー……そうですね。ちょっとやっぱり、難しいといいますか」

 

 絶妙な話題を提供してくれたことに、蒼音は内心で最敬礼する。

 オレンジペコの質問に答えながら、蒼音はショルダーバッグから戦車道検定のテキストを取り出す。

 

「随分読み込んでいらっしゃるんですね。付箋がいっぱい……」

「中はマーカーだらけで汚いことになってますけどね」

 

 感心するかのようなオレンジペコ。蒼音は苦笑しながら、適当にページをぺらぺらとめくる。全体的にマーカーが引かれていたり付箋が張っており、何も手を付けていないページといえば目次と見出しのページぐらいだった。

 

「戦車道の歴史とか用語とかは、歴史の授業なんかの応用ですが、やっぱり戦術論はすごく難しいです」

「なるほど……」

 

 ページを開いて見せる。そこは自分でも、他と比べてかなり念入りに印をつけている自覚があった。行間もほとんどマーカーと赤字で埋まってしまっている。

 オレンジペコは、少し身を乗り出してそのテキストを覗き込んできた。

 今まではテーブルを挟んでの適切な距離感を保っていた。けれど、蒼音がテーブルにテキストを広げ、オレンジペコが身を乗り出してきたことでその距離が縮まる。

 テキストの内容をを読んでいるオレンジペコだが、蒼音は間近に感じるオレンジペコその人に意識を割かれてしまっていた。

 アロマとは違う、妙な甘い香りがまず第一に訴えかけてくる。そして今までは間近に見る機会のなかったオレンジペコの顔は、以前から思っていたがやはり可憐だった。正直に口にすると確実に咎められるので言わなかったが、可愛らしいと正直に思う。

 ここまで近づいたことがないだけで、これほどにオレンジペコの姿に夢中になってしまうものなのか。先程自分が答えた好みのタイプに合致してしまっているからなのか。

 そんな蒼音の気持ちのブレに気づかず、オレンジペコはテキストを真剣に読んでいる。顔立ちこそ可憐だが、目つきは真剣そのもの。戦車道は映像でしか見たことがないものの、戦う人の目だと直感する。

 

「確かに、これはちょっと難しいですね……」

「……経験者の目から見ても、ですか?」

「と言うより、蒼音さんのように戦車道にほとんど触れない人からすれば」

 

 元の姿勢に戻ったオレンジペコの言葉に、蒼音も頬を搔く。戦車道経験者がそう言うのだから、本当に自分が挑んでいるのは厳しい道なのだろう。

 

「まあ確かに……この状態では厳しいかもしれません、情けない話ですが……」

 

 だが、覚悟の上で受験を決めたのだから、向こう見ずと自覚はしつくした。オレンジペコの応援をすると言ったのに、これではどうしようもない。

 一方でオレンジペコは、少し考える仕草を取ってから水を飲む。

 

「蒼音さんは、戦車道の試合をご覧になったことはありますか?」

「あるにはあるんですが……戦車道サイトに載っているアーカイブしか」

 

 戦車道の公式サイトには、注目度が高かった試合や、強力なチーム同士の好カードなど一部の試合の映像が公開されていることがある。戦術論を学ぶ上で、実際に試合の映像を見なければよくは分からないと思って、それらは既に確認済だ。

 

「でしたら……」

 

 言いながら、オレンジペコは手帳を取り出し、スケジュール表を開いて見せる。

 

「来月の初旬に、聖グロリアーナと黒森峰で練習試合を行うんです。よろしければ、ご覧になってはいかがでしょうか?」

「練習試合?」

「はい。直接試合を観戦された方が、リアルタイムで変わる戦況を観て考える力が付くかと」

 

 オレンジペコの言葉に口から息が漏れる。

 実は、戦車道のサイトで見たアーカイブは、大半が試合の一部がカットされたハイライト版で、最初から最後まで何も省かれない映像というものは全くと言っていいほどなかった。

 だが、オレンジペコの言うように練習試合を終始観戦していれば、確かにより戦車道の試合を間近に感じることで、勉強につながるかもしれない。

 オレンジペコが見せたスケジュール帳に載る練習試合の日取りは、試験の日よりも前だ。間に合わないこともない。

 

「……よろしいんですか、観に行っても」

「練習試合は一般に公開されますし……」

 

 そしてオレンジペコは、少し言葉を区切ってから、続けた。

 

「私を……聖グロリアーナを応援すると言ってくださった蒼音さんに、私たちの戦いを見てほしくて」

 

 オレンジペコの頬が、またほのかに紅くなる。それは決して、天井から吊るされたランプのせいではないだろうし、わずかに胸がドキリとする。その感情は照れなのか、それとも別の何かか。

 けれど、蒼音は確かに自分で聖グロリアーナを、オレンジペコを応援すると口にした。そんな彼女の試合を観に行かずして、「応援」も何もない。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 蒼音は自然と、頭を下げていた。

 

「必ず、観に行きます」

 

 勉強のためであり、オレンジペコの応援のために。

 その答えにオレンジペコは。

 

「……ありがとうございます。試合、頑張りますね」

 

 微笑む。花が咲くかのように。

 本当に、可愛らしい。

 

◇ ◇ ◇ ◆

 

 聖グロリアーナ学園艦へ向かう連絡船のデッキで、オレンジペコは沈みゆく夕日を眺めていた。

 今日の昼の出来事、あれはオレンジペコの人生を本当に左右した。

 蒼音の友人という女性と蒼音が話をしていたのを見て恐ろしさを抱き、槐に自分の気持ちが何なのかを暗に示され、そして蒼音と話をして。

 戦車道の試合を見に来てほしい、という気持ちの真意は、蒼音に話した通りのことだ。蒼音の戦車道検定の勉強の手助けになれば幸いだと思ったし、自分たちのことを応援してくれる蒼音に試合を見てほしいという気持ちも確かにある。

 けれど。

 

――おとなしい子、でしょうか

 

 蒼音と話していた女性が誰かを知って、それから与太話の体で聞いたこと。

 聖グロリアーナはお嬢様校で、男女の交際に関してはオレンジペコも()()()()知らない。けれど、聖グロリアーナに属するのは自分も含め年頃の女子であり、恋愛に関しては平均並みの興味と知識がある。

 だから、蒼音に「あの女性は彼女だったのか」とか、「好みの女性のタイプは」とか聞いたのは、その好奇心から来る質問でもあった。

 

「……ふふ」

 

 太陽は間もなく水平線に沈む。比例して、空も暗くなっていく。デッキで感じる風は潮の香りが混じり、季節もあって少し冷たい。

 けれどオレンジペコの心の中は、とても温かい。思わず、笑みが漏れる。

 蒼音に聞いたのは、好みの女性についてだけであり、それが自分と名指しされたわけでもない。

 だけど、それだけでオレンジペコは、嬉しかった。それで自分の気持ちは分かった。槐と話していた時は自信が持てなかった残りの2割も、今は確信に変わっている。

 蒼音から応援すると言われて、そのために戦車道のことを勉強すると言われて、緊張する自分のことを思って贈り物を送ってくれて、ずっと自分に寄り添おうとしてくれたのだから、そんな気持ちを抱いても当然だった。

 今自分が蒼音に対し抱いている感情は、このひとつ。

 

 これが、人に恋をするということなんだ。

 

 目を閉じて、自分が想う相手となった蒼音との思い出で心を満たす。それだけで、こんなにも自分の身体は高揚し、温まるものなのか。

 けれど同時に、ひとつの懸念も頭の中に留まっている。

 それは、自分が蒼音と比べれば歳がまだ幼く、そして身体のスタイルも劣っているというハンデだ。

 蒼音は大学生だし、友達もそれなりにいるということは判明した。だからもしかしたら、蒼音と歳がほぼ同じで、自分よりもスタイルが良い「おとなしい感じの子」が現れたら、蒼音はそちらに靡いてしまうのではないか。

 それを考えると、冷たい風がオレンジペコの身体を割くように感じる。恐ろしいほどの冷たさが、五臓六腑を支配する。

 目を閉じて、首を横に振る。

 そうならないためには、そのハンデを乗り越えられるほどの何かを手にすること。

 それこそ、自分の取り柄のひとつである戦車道だ。

 だから、今度の黒森峰との練習試合では、勝ちたい。自分を応援しているという蒼音の前で、勝利して、自分のコンプレックスを上書きできるほどの自信を身につけて、胸を張れる自分でありたい。

 そして、蒼音に想いを告げたい。

 連絡船の汽笛を聞き、再び目を開けると太陽は既に水平線に沈んでいた。空は茜色から藍色に変わりつつある。聖グロリアーナ学園艦が近づいている。

 この学園艦を出て陸に向かう際は高揚していたが、蒼音に恋をしたと理解した今は、それ以上だ。




次回、戦車戦回です。
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