日差しが心地よい昼下がりの学校の屋上。
その片隅で、とある会議が開かれようとしていた。
「さて、今日みんなに集まってもらったのは他でもない…」
「いや、昼休みだから集まっただけですよ?」
私たちはいつも通り昼食を食べようと集まっただけである。星川さんは何を壮大に話を広げようとしているのか。
ちなみに、今日のお昼は趣向を変えて教室ではなく屋上で。たまにはこういう日もいいよねってことで。陰の者である私は当然の如く断ったのだが、私の意見なんて通らないよねってことで。自分で言ってて悲しくなる。
「さぁ始めようか。ラグナロクを………」
「帰っていいですか?」
「えぇ〜⁉︎もうちょっと付き合ってくれてもいいじゃーん!」
なぜかラグナロクを始めようとする声の主、星川さんは屋上のフェンスにもたれて両手を広げていた。ラグナロクって何だ?
「付き合うも何も、ただのバンド名を決める話し合いですよね?」
私は膝の上に置いた弁当箱から唐揚げをつまむ。うん、やっぱりお母さんの唐揚げは美味しい。
屋上にいるという事もあって、時折吹く心地よい風が髪を撫でる。のどかなものだ。のどかすぎて、ラグナロクという単語が妙に浮いている。
「伊月もなんとか言ってよ〜」
「ルルナの言う事に間違いはない、以上」
「つまりそう言う事だよ、花村さん」
「とりあえず、中身のない話を延々と続けるのやめませんか?」
星川さんは「むう」と頬を膨らませ、フェンスに背中を預け直した。錆びた網がぎしりと鳴る。
「中身のない話じゃないよ〜。バンド名は一生ものだよ? バンドが続けばだけど」
「続けば、って自分で言うんですね」
私は再び唐揚げをつまみながらぼそりと言う。
「だってぇ、私たちまだ一度も人前で演奏してないし〜。昨日やっと花村さんが入ってくれたし〜。だからこそ、名前くらいちゃんと決めたいんだけどさ〜」
そう言って星川さんは卵焼きを一口大に切って口に運んだ。
「とりあえず、ラグナロクは反応がイマイチだったから一旦却下として……」
「あ、それバンド名の候補だったんですね」
星川さんがスマホを取り出す。スマホのメモ帳には、すでに候補がずらりと並んでいた。
「えっと……『人類最後の希望』、『星月夜の擬人化』、『となりの陰キャ』、『猫はかわいい』………」
「マシなのが一つもないのが逆にすごいですね。あと、聞き捨てならないバンド名が聞こえたような気がしたがそれは?」
「えー、事実でしょ?」
「よし、卵焼きを一つ奪うとしますか」
そんな私と星川さんのやり取りを見て、リラさんと伊月さんが小さく笑う。
「じゃあ花村さんは、どんなのがいいの?」
「あー………」
と考えながら、私は星川さんの卵焼きを食べる。
「………この卵焼き美味しいですね。どうやって作ってるんですか?」
「話を逸らそうとしない」
星川さんが身を乗り出してくる。
「別に逸らしてませんよ。純粋な疑問です」
「純粋な疑問でバンド名の話を中断するかなー?」
「しますよ。世の中には優先順位ってものがあってですね」
私は残りの卵焼きを奪おうと星川さんの弁当箱に箸を伸ばす。星川さんはとっさに弁当箱をサッと引いた。案の定、星川さんは「渡さない」と言わんばかりに睨んできている。
「あげないよ」
「まだ何も言ってないですよ」
「目が言ってる」
「目は正直ですからね、私」
「開き直らないの」
そのやり取りに、リラさんが小さく噴き出す。
岸峰さんはというと、特に何も言う事なくただ黙々とパンを食べていた。何だか珍しい。前までなら私が星川さんのお弁当のおかずを奪おうものなら必死になって止めるところだ。
おそらく私が正式にバンドに加入して星川さんとの距離が縮まったからか、私と星川さんのやり取りにあまり口を出さなくなったのだろう。岸峰さん自身が星川さんと対等の関係を築くようになった事も大きいのかもしれない。
「……で、結局どうするんだ?」
そんなことを考えていると、岸峰さんが口を開いた。
「どうするって、バンド名?」
「ああ」
伊月さんは2個目のパンの袋を開ける。
「ここでずっと話していても進まないし、いっその事全員で一つずつ考えて、いいと思うものに投票したらいいんじゃないか?それなら公平に全員でバンド名を考える事になるだろ」
「えっと、それってやっぱり私も考えなければいけません?」
「当たり前だろ」
やっぱりそうなりますよね。
「ていうか、正直この中だと一番まともな意見出しそうなのは杏だよな」
「え⁉︎」
岸峰さんのこの言葉には心底ビックリした。あの星川さん信者がまさか星川さんを差し置いて私が一番まともだと言ったのだ。一体どういう事だろう。今から槍でも降るのだろうか。それこそラグナロクが起こるのではないだろうか。
「失礼だな。単純にそう思っただけだよ」
岸峰さんは表情を変えずに、ただ淡々と話す。
「ルルナには悪いけど、さっき挙げたバンド名候補は全部却下だしな」
「伊月が私と普通に喋れるようになったのは嬉しいけど、もっとオブラートに包んでよ〜」
「リラさん、大丈夫デス!ルルナさんの考えたバンド名は確かにダサいデスけど、どれも斬新でカッコイイと思うデス!」
「リラさん、それ全く褒めてないですよ」
私は思わず突っ込んだ。
「もー、分かったよ〜。じゃあ今日のバンド練で決めよっか。それまでに花村さんも良い案出しておいてね。あ、これ参考にしていいよ」
星川さんがスマホを私のほうに差し出してくる。画面にはまだ候補リストが表示されていた。どれもこれもバンド名としては絶望的なものばかりだが…。
「……えっと、『狼とシンデレラ』、『納豆ご飯に生卵』、『宇宙猫の逆襲』……」
「ほら、ロクなのがないんだよな」
「ひどいなぁ伊月〜。結構本気で考えたのに」
「……本気でこれですか」
「うん」
「……そうですか」
私はスマホを星川さんに返した。星川さんは少し名残惜しそうに画面を眺めてから、ポケットにしまった。そのタイミングで昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
「あ、もうこんな時間」
「戻らないとですね」
私は弁当箱を片付けながら立ち上がる。
膝についた埃を払うと、コンクリートの冷たさがまだ残っていた。
「じゃあ放課後、みんなでCiRCLEに集合ね。今日からは花村さんも本格的に練習に付き合ってもらうからね」
「はいはい、分かりましたよ」
星川さんは両手を伸ばして大きく伸びをする。上を見上げると、空はどこまでも青くて雲一つない。こんな日に屋上で昼食をとれたのは正解だったかもしれない。
ラグナロクだの人類最後の希望だのと騒いでいなければ、もっと最高だったのだが。
「花村さん」
「なんですか」
振り返ると、星川さんが少し真剣な顔をしていた。いつものふざけた表情ではない。
「バンド名、ちゃんと考えてきてね」
「……プレッシャーかけないでくださいよ」
「かけてないよ、ただ嬉しいだけ。花村さんと一緒にバンド活動できることが」
そう言って星川さんは笑う。その笑顔があまりにも自然で、私は何も言い返せなかった。
私はまだこのバンドに正式に入ったばかりで、星川さんたちと音楽をやってきた時間はない。それでも星川さんは私を対等なバンドメンバーとして見てくれている。それがちょっと嬉しくもあり、少しだけ怖くもあった。
「行きましょう、アンさん!」
リラさんが階段の入り口で手を振っている。岸峰さんはもう階段を降り始めていた。
「はい、今行きます」
「花村さーん、置いてくよー」
「はいはい、今行きますって」
昼休みはあと数分。教室に戻ったら午後の授業が始まる。
でも放課後にはまたこのメンバーで集まってバンド名を決める。そう思うと午後の授業が少しだけ退屈に感じられた。
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放課後のチャイムが鳴ると同時に、私は荷物をまとめて立ち上がった。
教室を出る途中、あこちゃんに「今日もバンド練習?」と聞かれて、一瞬言葉に詰まる。「うん、まあ」と曖昧に答えて廊下を歩く。
バンドという言葉がまだ自分の中にしっくりと馴染んでいない。でも、星川さんたちと一緒に音楽をやるという事実は、少しずつ私の中で形を持ち始めている。
CiRCLEに着き受付を済ませスタジオを一部屋借りる。ここまではいつもと変わらない。唯一変わったことと言えば、マイクの電源を入れた事だ。
今日から私もこのバンドで歌う事になる。そう思うとまだ緊張で震える。
そんな私の後ろでは、リラさんがギターのチューニングをしながらこっちを見て笑う。リラさんは裏表がない性格だ。それゆえに、心から私と一緒にバンド活動ができる事を嬉しく思っているんだろう。それが伝わってきて何だか恥ずかしくなる。
岸峰さんはドラムセットに座ってスティックを回していた。その手つきは滑らかで無駄がない。いつのまに習得したのだろうか。最初の頃は足と手をバラバラに動かすことすらままならなかったくせに、やっぱりこの人は星川さん絡みのことになるとガチになるからすごい。そういうところは尊敬できる。一応念を押しておく、そういうところだけは尊敬できる。それ以外はノーコメントで。
「で、バンド名考えてきた?」
星川さんはベースを置いて一人一人に目を配る。
「考えてきましたけど……」
私はリュックからノートを取り出す。びっしりと書き込まれた候補たち。でも、星川さんに見せる前にもう一度だけ見返して、一番マシだと思ったものに目をつけた。
「じゃあ、一人ずつ発表ね。花村さんから」
「え、私から?」
「うん。新入りだから」
なんとも理不尽な話だ。でも星川さんはもうスマホのメモ帳を開いていつでもどうぞといった感じである。私は観念して良いと思うものを口に出した。
「えっと……『スターボウブレイク』」
「お、いいじゃん」
「……デスがこれ、どこかで聞いたヨウナ?」
「なんか吸血鬼の妹が脳裏をよぎるんだが」
昨日、東◯をプレイしててカッコイイと思ったやつをそのまま言っただけだ。つまりパクリである。私にそんなカッコイイバンド名なんて思いつきませんよ。ちなみに、他にも『クランベリートラップ』や『フォーオブアカインド』なども候補にある。
とはいえ、星川さんはスマホにメモを取りながら「うんうん」と頷いている。リラさんも「でもカッコイイデス!」と声を上げた。岸峰さんは特に何も言わなかったが、スティックを回す手が止まらないので少なくとも却下ではないらしい。いや、自分で言っててなんだけど、これ採用されたら周りから結構イタイ目で見られると思いますけど。
「他には?」
「まだありますけど……正直これが一番マシなんで、あとは見せたくないです」
「見せて見せて」
星川さんが私のノートを覗き込もうとする。私は慌ててノートを胸に抱えた。
「ダメです。星川さんと同じレベルですから」
「それってつまり、私のもダメってこと?」
「今さら気づいたんですか」
その言葉に星川さんは「ひどい〜」と嘆いてみせた。リラさんが「ルルナさん、ドンマイデス」と慰めている。岸峰さんは小さく笑った。
「じゃあ次、私ね」
星川さんは立ち上がってスマホをスクロールする。そして大げさなジェスチャーでこう言った。
「『ラグナロク・オーバードライブ』」
「却下」
「即答⁉」
「当たり前です」
岸峰さんが「もっとマシなのないのか」と呟く。星川さんは頬を膨らませて、スマホを再びスクロールした。
「じゃあ……『ヤシマ作戦』」
「それも却下」
「なんで⁉ 結構いいと思うのに」
「星川さんのセンスが疑われるだけです」
何がヤシマ作戦ですか。私たちはこれから第6使徒と戦ったりするんですか?
そんな事を考えていると、リラさんが手を挙げた。
「ハイ! 私も考えてきたデス!」
「どうぞ」
「『きらきら星のワルツ』デス!」
「……」
全員が沈黙した。リラさんは自信満々の笑顔でこちらを見ている。その純粋な表情を見ると、あまり強いことは言えない。
「リラさん、それ、童謡みたい」
「え? そうデスか?」
「うん。でも……」
「でも?」
「……悪くないかも」
星川さんが意外そうな顔をした。岸峰さんも少し驚いたようだ。私も自分で言っておいてなんだが、リラさんの案は今まで出た中では一番バンド名らしい響きがあった。童謡っぽいけど、それはそれで覚えやすいし親しみやすい。とはいえ、これもよくよく考えればどうだろうという疑問が浮かぶ。
「じゃあ、とりあえず候補は……」
「ちょっと待って」
岸峰さんが立ち上がった。スティックを置いて、こちらに歩いてくる。
「私も考えた」
「え、岸峰さんも?」
「当たり前だろ。全員で決めるって言ったじゃないか」
「そうでした」
岸峰さんは私たちの前に立って、少し照れくさそうに言った。
「『ルルナ様親衛隊』」
「……」
「どうだ?」
全員が顔を見合わせた。星川さんが口を開く。
「伊月、ごめん。一番ないかも」
「うぇええええ⁉︎」
「うん。やると思ってた」
と私。
「そう言うと思ったデス」
とリラさん。
「え、ちょ、みんなひどくない⁉」
岸峰さんは心外だとばかりに抗議するが、その顔はどこか楽しそうだった。最初に会った頃は少し怖かった印象の岸峰さんと、こんな風にふざけるのがなんだか嬉しくも思う。
「じゃあ、今出た中から選ぼうか」
「ちょっと待ってください」
私は手を挙げた。
「もう一回全員の案を整理しましょう。適当に決めるのはよくないです」
星川さんが目を丸くした。
「花村さんにしては珍しく真面目だね」
「私はいつも真面目ですよ」
「それは言い過ぎじゃない?」
失礼な、私はいつでも真剣ですよ。心の中では。
「で、私の案は『スターボウブレイク』。星川さんは『ラグナロク・オーバードライブ』。リラさんが『きらきら星のワルツ』。岸峰さんが『ルルナ様親衛隊』」
「改めて並べるとひどいな」
「自覚あったんですね」
岸峰さんが苦笑いする。星川さんは「うーん」と腕を組んで考え込んだ。
「じゃあ、多数決で決める?」
「……正直、この中から決めるとなると……」
「うん。全部アレだな………」
「ワタシのが一番マシデス!」
バンド名についてみんながあれやこれや言い合っている、その時だった。
「こんにちは。練習捗ってますかー?」
「げ………」
スタジオのドアを開けて、一人の少女がひょっこりと顔を出してきた。私はその彼女の顔に見覚えがあった。
それと同時に思い出してしまった。あの日の事を……。
「久しぶり、花村さん。元気してた?」
「………なんでここにいるんですか?速水さん」
何があったか分からない人は10話を読んでね!
「お前、確か同じクラスの……えっと、名前なんだったっけ?」
どうやら岸峰さんと速水さんは同じクラスのようだ。
「速水悠。一応クラス委員長なんだけどね、岸峰さん」
「あれ?そうだったっけ……」
「岸峰さん、星川さんの事しか頭にないから……」
「うるさい。じゃあ杏、お前はクラスメイトの名前覚えてるのか?」
「もちろんですよ。星川さん、リラさん、あこちゃん、明日香ちゃん、六花ちゃん……………あれ?」
「お前も同類じゃねぇか」
私も人のこと言えませんでした。
「それにしても、速水さん。何しに来たんですか」
「家業のお手伝いだよ。ここのスタッフさんに出前を持ってきたんだ。ほら、これ」
そう言いながら速水さんは手に持ったオカモチを見せてくる。
「へぇ〜、速水の家ってラーメン屋か何かなのか?」
「ううん、洋食屋。パスタの出前を持ってきたの」
「パスタの出前⁉︎」
「これが結構人気なんだよね。パスタだけじゃなくてオムライスとかステーキも出前してるよ」
驚いている私たちをよそに、速水さんはどこからかチラシを出した。
「『洋食亭ハヤミ』。また食べに来てね」
「クーポンも付いてるから」と言ってチラシを私たちに配る。やはりこの人はどこか不思議な人だ。
そんな私たちをよそに、彼女はオカモチを置いて興味深そうにスタジオの中を見回している。そんな速水さんの様子を見ながら、私は内心ヒヤヒヤしていた。
何度も言うが、速水さんは羽丘内で私の正体を知っている唯一の人間。そのため、学校内ではあまり関わらないようにしてきた。星川さん達といる時に出会ったら、彼女からどんな言葉が飛び出すか分かったものではないからだ。それを避けてきたというのに、まさか彼女の方から近づいてくるとは、やはりこいつ刺客だったか(?)
「花村さん、バンド始めたんだ」
「ええ、まあ」
「へぇ……」
速水さんは何かを言いかけてやめた。その代わりに、星川さんの方に向き直る。
「で、何の話してたの? ドアの横を通ったら何やら楽しそうな声が聞こえちゃったんだけど」
「今ねー、バンド名を決めてたんだ」
「へぇ、バンド名……。いいね。それで、決まった?」
「全然。いい案が出なくて困ってるの」
星川さんがため息をつく。速水さんは少し考えてから、ぽんと手を打った。
「じゃあ、私がいいの考えてあげようか」
「え、速水さんが?」
「うん。実はさっき盗み聞き……じゃなくて、チラッと聞こえてきて、ちょっと思いついたのがあるんだ」
さらっと盗み聞き宣言しましたよこの人。やはりこの人は私の付きまといだったか。
「それは違うよ花村さん。私はただ花村さんの一挙手一投足が見てて面白いから観察してるだけ」
「それを世間ではストーカーというんですよ」
何を堂々とストーカー宣言しているのか。こんな私をストーカーしても特に面白いものなんて何もありませんよ。もっと他の人に付きまとってください。
そんな事を考えている私をよそに、速水さんは私たちの輪の中に入ってくると、私のノートを借りて何やら書き出した。そして、それを私たちの前で広げて少し得意げな顔で言った。
「『
「……『Blooming Star's!』?」
「そう。花村さんがバンド活動をしているって聞いて、思いついたんだ」
速水さんは私の顔を見て柔らかく微笑む。
「花村さん達はまだバンドを始めたばかりの星たち。その星がこれから暗い夜空を照らすくらい明るく咲きますようにって願いを込めて………」
速水さんが胸に手を当ててそう言葉を紡ぐ。その言葉を、私たちはただ静かに耳を傾けていた。
「えっと……、どうかな?」
スタジオがしんと静まり返った。誰も何も言わない。でも、その沈黙はさっきまでの“却下”の沈黙とはあきらかに違うものだった。
「……いいじゃん」
最初に口を開いたのは岸峰さんだった。
「うん、なんか、しっくりくる」
「ワタシも……なんか、好きデス」
星川さんがゆっくりと頷く。そして、私の方を向いた。
「花村さんは?」
私はしばらく考えた。
「……私も、いいと思います」
そう言った自分の声が、少しだけ震えていた。なぜだか分からないけど、この名前がすんなりと胸に落ちてきた。速水さんが考えたというのが少し悔しいけれど、それ以上にこの名前が私たちのバンドにふさわしい気がした。
「決まりだね」
星川さんが笑顔で言う。
「『Blooming Star's!』、これが私たちのバンド名」
リラさんが拍手をした。岸峰さんも小さく笑った。速水さんは「やった」と小さくガッツポーズをしている。
私はというとまだ少しだけ複雑な気持ちだった。でも、この名前がなんだか妙にしっくりきた。
もしかしたら、これが私たちのバンドが求めていた答えだったのかもしれない。
「よし!バンド名も無事決まったし、早速練習始めようか」
「そうですね」
岸峰さんがドラムセットに座る。リラさんはギターをアンプに繋げる。星川さんはベースを手に取って、チューニングを始める。私はマイクの前に立った。まだ慣れない場所だけど、前よりは自然に立てる気がする。
「杏、音出しから始めよう」
「はい」
星川さんがベースの音を鳴らす。低い音がスタジオの床を震わせた。岸峰さんがスティックを構える。リラさんが弦を弾く。速水さんは壁にもたれかかって優しい目で私たちを見ている。
「……で、速水さんはいつまでいるんですか?」
「えー、せっかくいい名前考えてあげたのに冷たいなぁ」
「いい名前考えてくれたのは感謝してます」
「まあ、花村さんがどんな感じで歌うのか見てみたいだけ」
速水さんはそう言って、壁にもたれたままニヤリと笑った。
「歌、聴かせてよ」
「まだ聴かせられるような歌じゃないです」
「じゃあ、上手くなったら聴かせてね」
その言葉がなぜか引っかかった。上手くなったら。その言葉にどんな意味が込められているのか、妙に気になってしまった。
「どうかした?」
星川さんの声で我に返る。
「なんでもないです」
私はマイクを握る。岸峰さんがスティックをカウントする。
そして、私の歌と星川さん達の演奏が初めて音が重なった。
まだぎこちない声。まだまとまらない音。それでも、確かに響いている。
スタジオの壁に、私たちの音が跳ね返る。速水さんが目を閉じて、リズムに合わせて小さく首を振っている。星川さんが時々こちらを見ては、小さく微笑む。岸峰さんは汗をかきながらドラムを叩いている。リラさんは目を輝かせギターを弾いている。
人前で歌を歌うのは、まだ怖い。
私に歌ってほしいなんて言葉を、まだ信じられない。
だけど、今この瞬間が……。
何故だか少しだけ、愛おしいと思った。
「花村さん、いい感じだよ」
「ありがとうございます」
私はそう答えてもう一度マイクに向かう。次の曲、次の音次の瞬間。まだ見ぬ未来が、この狭いスタジオの中に広がっている気がした。
「ラスト、もう一回だけ通そうか」
「はい」
岸峰さんがドラムを構える。星川さんがベースを強く弾く。リラさんがコードを押さえる。私が息を吸って、そして音が鳴る。今日の終わりと始まりが、この一音に込められている気がした。
ーーーーーーーーーー
ーーーーー
ーー
「お疲れ〜」
「お疲れ様でした」
練習が終わると、星川さんはベースを置いて大きく伸びをした。リラさんがギターをケースにしまう。岸峰さんがタオルで汗を拭う。私もマイクをスタンドに戻して深く息を吐いた。
「で、速水さんはまだ帰らないんですか?」
「あ、もう帰るよ。ちゃんと見届けたし」
「何をですか」
「花村さんが歌うところ」
それを聞いて私の顔が少し熱くなるのを感じた。そういえば、練習中は歌うことに必死で、速水さんが聞いていることなんて途中から忘れてしまっていた。心外だが、速水さんは私たちの初めての観客になってくれたのだ。
恥ずかしい気持ちが込み上げる中、速水さんはスタジオのドアを開けて出ようとしていた。そして最後に、一度だけ振り返る。
「またね、花村さん」
そう言って、彼女は出ていった。閉まるドアの音がスタジオに少しだけ余韻を残した。
「なんだか、速水さんって不思議な人だね」
「そうですね」
星川さんの言葉に私は曖昧に頷いた。
速水さんが私の秘密を知っていること。それはまだ星川さんたちには言えない。でも、いつか言わなければいけない日が来るのだろうか。そんなことを考えながら、私はリュックを肩にかけた。
練習後のミーティングは決まってCiRCLEのロビーで行われた。コンビニで買ってきたお菓子や飲み物を口にしながら、次回の練習メニューや本番までに何をしなければいけないかを話し合う。ちなみに今日は速水さんからの差し入れでポテトもある。
今日は初めて通した曲の録音をスマホで再生しながら、各自が気になった点を挙げていく。
「サビの入り、ちょっと早いかも」
「リラのギター、二番のとこもう少し自信持って弾いたほうがよくないか?」
「ワタシ、そこ自信なかったデス……」
「じゃあ次はそこを重点的にやろうか」
そんな会話がぽつぽつと続く。星川さんはいつもの調子で場を回しているが、時折見せる真剣な目つきがこのバンドが彼女にとってどれだけ大切かを物語っていた。
私はと言えば、まだ自分の声がバンドの音に馴染んでいるのかどうか、正直自信がなかった。でもさっき歌った時の感覚は悪くなかった。少なくとも、一人でカラオケで歌うよりはずっと楽しかった。
「ねぇ、ところでさ」
星川さんが突然、飲みかけのペットボトルを置いて言った。
「速水さんと花村さんって、どういう関係なの?」
心臓が跳ねた。一瞬言葉に詰まる。リラさんも岸峰さんもこちらを見ている。当然の疑問だ。速水さんは私たちの練習に突然現れて、バンド名まで考えてしかも私と親しげな様子だった。疑問に思うのも当然だろう。
「どういうって……ただの知り合いですよ」
「でも、あの人花村さんのこと結構知ってるみたいな感じだったよ?」
「そうデス。しかもアンさんが普通にお話できる人は珍しいデス」
「リラさん、それは私がコミュ症だと言いたいんですか?」
「違うデスか?」
「ぐ……」
ナチュラルに刺してくるなこの人は。もう慣れたけど。
「まぁ、前にちょっとだけ……」
私は言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。だが、私がVtuberだった事や速水さんがその事を知っている事は伏せてだ。ただ当たり障りのない話をしてうまく誤魔化した。
「それで、それからちょくちょく会うようになったと」
「うん……まあ、そんな感じ」
星川さんは腕を組んで、少し考え込むような顔をした。何か言いたそうだったが、結局は口を開かなかった。代わりに岸峰さんが口を挟む。
「まあ何にせよ、速水がバンド名を考えてくれたのは事実だ。それについては感謝してる」
「そうデスね。いい名前デス」
「うん。私も気に入ってる」
星川さんが笑顔で言う。その笑顔がこれ以上詮索しないという意思表示のように思えた。私は少しだけほっとした。星川さんはこういうところがある。踏み込むべきところとそうでないところを、ちゃんと分かっている。
「じゃあ、そろそろ解散しよっか」
「そうですね。明日もありますし」
私は立ち上がって、リュックを背負い直した。窓の外はもうすっかり暗くなっていて、街灯の明かりがぽつぽつと灯り始めていた。スタジオを出ると、ひんやりとした夜の空気が頬に触れた。夜はまだ冷える。
「じゃあ、また明日ね」
「はい。お疲れ様でした」
私以外のみんなは改札を抜けてそれぞれの帰路につく。
駅のホームに向かうみんなを見送った後、私はノートを取り出した。バンド名が書かれたページをめくり、じっと見つめる。
「『Blooming Star's!』……」
自宅への帰路につきながら、バンド名を小さく呟いては繰り返す。その度に、私がこのバンドの一員になったのだという事実を噛み締めていた。
家に着くと、私は部屋の電気もつけずにベッドに倒れ込んだ。天井を見上げながら、今日一日のことを思い出す。屋上での昼休み。バンド名を決めるまでの長い道のり。速水さんの突然の登場。そして、初めて通した曲。どれもこれも昨日までの私にはなかった出来事だ。
たった一日で、こんなにたくさんのことが変わった。でも変わらないものもある。
歌うことへの恐怖、不安。私自身の過去。それはまだ引きずっている。
それでも、今日歌った時の感覚は決して悪いものではなかった。
スマホが震えた。画面を見ると星川さんからのメッセージだった。
『今日はありがとう。花村さんの歌、すごくよかったよ。今から私ももっと練習して、明日はもっと上手くなるから!それじゃ、また明日』
そのメッセージを読んで私は思わず笑みがこぼれた。返信を打とうとして、やめる。明日直接言おう。そう決めた。
カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいる。今日は満月に近い。ぼんやりとした光が、部屋の中に柔らかな影を作っていた。私は目を閉じて、今日の音を思い出す。ベースの低音。ドラムのリズム。ギターの旋律。そして、自分の声。それらが重なった瞬間のあの感覚。まだつたないけど、確かに何かが生まれた瞬間。それを忘れないように、私は心の中で何度も繰り返した。
高校に入学した頃は、バンドなんて陽キャがするもので、私なんか縁がないものだと思っていた。最初はひっそりと日々を過ごして自分の好きなことだけをやって、陰キャライフをエンジョイしようと考えていた。
そんなある日、星川さんが私の前に現れたと思ったらいきなりバンドに誘われて。最初は断っていたけど、結局折れてとうとう一緒にライブをする事になってしまうなんて。
本当に、人生何があるか分からない。
明日もまた練習がある。バンド名が決まっただけで、まだ何も始まってはいない。でも、確かに始まろうとしている。その予感が今の私を前に進ませてくれる。眠りに落ちる前、私はもう一度だけ口に出してみた。
「『Blooming Star's!』………ふふっ」