「ついに、この時が来てしまった………」
Afterglowの皆さんがリハーサルを終えた後、私たちも無事リハーサルを終え一安心していた。
しかし、それも束の間。少し休んだ後にもう本番の時間だというのだ。時間が経つのが早すぎる。ザ・ワールドで時間を止められればどれほど楽だろうか。まあ時間を止めたところでライブ自体は無くならないんですけどね。
ライブが始まるのは午前10時。30分前には会場が一般開放され、今まで何度も練習場所としていたスタジオ内が多くの人で埋め尽くされる。
それと同時に、色とりどりのスポットライトがステージを照らす。リハーサルとは違う異色な光景に、とうとう本番なんだという実感がヒシヒシと込み上げてきていた。
私は舞台袖からそーっと客席の方を見た。本番までは控え室で待っていてもいいみたいだが、どうにも落ち着かずここで待機している。思った以上に集まっている観客の多さに、私はギュッと胸を抑える。手のひらは汗ばんでいるのに、指先だけが氷のように冷たい。今から数十分後にはこの人たちの前でライブをするんだ。そう思うと緊張で喉が乾いてくる。
私の隣ではAfterglowの先輩たちが同じように出番を待っているが、全員ワクワクした表情をしている。これが経験者の余裕というやつか。羨ましい。
「杏ちゃん、やっぱり緊張してる?」
と、皐月ちゃんが背後から囁いた。
「してない……と言ったら嘘になる」
「ふふ、私も。私だけじゃなくて、ここにいるみんなも同じだよ」
彼女はそう言って私の肩にそっと触れた。実際、皐月ちゃんの手は少し震えていた。経験者でも緊張が込み上げてくるんだなとちょっと安心した。でも、それと同時にその手の重さが私を現実に引き戻す。本当にこれから始まるんだ、と。
やがてスタジオ内の照明が全て消え、スポットライトの明かりだけがステージに光の柱を作る。それこそ、始まりの合図だった。
「それじゃ、行ってくるね」
トップバッターは皐月ちゃん率いるArcaNight。先頭を歩く皐月ちゃんの後ろに彼女のバンドメンバーであろう人達が続々とステージに上がる。
彼女たちがステージに立つと、客席から割れんばかりの歓声が響いた。
いつまでも緊張していても仕方がない。まずは目の前のArcaNightのライブに集中しなければ。同じステージに立つ者として、彼女たちの全力をちゃんとこの目に焼き付けたい。
皐月ちゃんがマイクスタンドの前に立つと、それだけで空気が変わった。会場の喧騒がすっと引いて、観客の呼吸がひとつに揃う瞬間がある。それを感じ取ると、彼女は軽く目を閉じて最初の一音を紡いだ。
その声はどこまでも澄んでいて、それでいて芯が強かった。
ArcaNightの演奏は、一言で言えば圧巻だった。皐月ちゃんの歌声を中心に、ギターとキーボードの音が絡み、それをベースが強く支え、ドラムが呼吸のようにリズムを刻む。五人の音がひとつの生き物みたいに融合して、会場全体を包み込んでいく。
一曲目が終わると、客席からは地鳴りのような拍手と歓声が上がった。私は舞台袖で自分の中の何かが熱くなっていくのを感じていた。
「すごい……」
隣で同じく出番を待っていた星川さんが小さく呟いた。あれだけのパフォーマンスを見せられたら、私たちも中途半端な気持ちではステージに立てない。自然と背筋が伸びる。
皐月ちゃんが客席に向かって手を振る。その笑顔はリハーサルの時とはまるで違う。多くの観客を前にして、彼女は完全に“ArcaNightのボーカル”になっていた。
「みなさん、こんにちは。ArcaNightボーカルの滝ノ宮皐月です。今日は来てくれてありがとうございます」
MCパートに入ると、皐月ちゃんはいつも通り丁寧な口調で話し出す。力強い歌声とは裏腹に、ふわふわした口調でお客さんに話しかける。このギャップも一つの魅力なのだろう。
「まず初めて来てくれた方達のために、軽くメンバー紹介をしますね。まずは、ギターの天城ステラちゃん」
「イェーイ!!」
と天城さんが手を振る。前会った時と変わりなく元気いっぱいだ。
ちなみにだが、天城さんは本番直前まで迷子になっていた。発見されたのはここから数百メートル離れたコンビニだったとか。皐月ちゃんを探しに行って迷子になったと聞いたが、なぜライブハウスの外にいると思ったのか。
「続いて、ベースの“
「こんにちは」
皐月ちゃんの紹介を受け客先に手を振るベース担当の倉科さん。黒髪のショートボブにメガネと、見るからに真面目な優等生といった感じの人だ。
「そしてドラム、“
「よろしく!」
ドラムは先程皐月ちゃんを引っ張っていった亜燐さん。さっきのライブから見るに、ドラムは相当の腕前みたいだ。
「最後に、キーボードの“
「よろしくお願いします」
キーボードの西条さんは腰まであるであろう艶やかな茶髪のロングヘアで、どこか気品のある落ち着いた女性といった感じだ。
「そしてボーカルの私、滝ノ宮皐月です。みなさん、最後まで楽しんでくださいね!それじゃ二曲目、いきます!」
客席から大きな拍手が沸く中、二曲目が始まった。一曲目より激しい曲調に、客席がさらに盛り上がる。演奏が進むにつれて、フロアにいた観客が自然と身体を揺らし始める。二曲目にして早くも会場全体が一つになったようだった。
隣の星川さんを見る。彼女も同じように真剣な眼差しでステージに集中していた。同じステージに立つ以上、彼女たちに負けないものを届けたい。そんな気持ちが自然と湧いているのだろう。
「ありがとうございます。今の曲は私たちが初めて5人で作詞作曲した曲です。実は私のいちばんのお気に入りでもあるんですよ」
皐月ちゃんやArcaNightのメンバーがどんな経緯を辿って今に至るのか、それはまだ知らない。でも、ここまで人気になるまで相当な苦労をしてきたのは分かる。それは彼女たちの演奏技術と客席の盛り上がりを見たら一目瞭然だ。
「ちなみに、今日私たちを初めて知ったって人はいますかー?」
突然、天城さんが客席にそう問いかける。というか、マイク使ってないのにスタジオの端まで声が響き渡るって、どれだけ声が大きいんだ?
「………あー、ちらほら手が挙がってますね」
「ま、そんなもんでしょ。ていうかステラ、勝手にアドリブ入れないで。皐月が困っちゃうでしょ」
亜燐さんに叱られて「すみませーん」と皐月ちゃんに謝る天城さん。さっきから思ってたけど、亜燐さんって皐月ちゃんに対してちょっと過保護すぎる気がする。気のせいか?
「ふふっ、大丈夫だよステラちゃん。初めての方もそうでない方も、今日は本当にありがとうございます。私たちの音楽で少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです」
皐月ちゃんの言葉に会場から温かい拍手が返る。彼女は照れくさそうに髪を耳にかけると、メンバーに目を向けて合図を送る。
「それでは、続いての曲です。聞いてください」
亜燐さんのカウントに合わせて、天城さんのギターが静かに響き始める。先ほどまでの激しい曲調から一転、切ないメロディが会場を包み込んだ。そこに西条さんのキーボードが優しく重なり、倉科さんのベースが芯の通った低音で支える。亜燐さんのドラムは繊細なタッチで、まるで雨粒が窓を打つようなリズムを刻んでいた。
星川さんや岸峰さんが小さく息を呑むのがわかった。さっきまであんなに激しく演奏していた人たちが、今はこんなにも繊細な音を紡いでいる。その振れ幅の大きさに、このバンドの技術の高さを感じずにはいられない。
皐月ちゃんの歌声がサビに向かって少しずつ熱を帯びていく。透明なのに力強い、不思議な声だった。歌詞の一言一言を大切に紡ぐように歌う姿に、客席から自然と手拍子が起こる。誰かに促されたわけでもない、自発的な手拍子。それだけこの曲が会場の心を掴んだということだろう。
曲が終わるとしばらくの間、拍手が鳴り止まなかった。皐月ちゃんが少し驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに笑う。
「……ありがとうございます」
皐月ちゃんの声が、少し震えていた。
「名残惜しいですが、次で最後の曲になります」
会場から惜しむような声が上がる。
「私たちもまだまだライブをしていたいですが、今日はここまでです。来てくれたみなさん、私たちと一緒に最後まで楽しみましょう。今日のために作った新曲、いきます!」
ラストの曲は、アップテンポで明るいナンバーだった。会場全体がジャンプし、手を振り声を合わせる。ステージ上の五人も、本当に楽しそうに演奏している。
皐月ちゃんは時折メンバーとアイコンタクトを交わしていた。その表情は、本当に音楽が好きなんだということが伝わってくる、まっすぐな笑顔だった。
曲が終わると会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。皐月ちゃんの目には、光るものがあった。
「今日は本当にありがとうございました!私たち、これからも頑張ります!」
そう叫ぶ彼女の声は、ライブが始まった時よりもずっとずっと力強かった。ステージを後にする五人の背中を、いつまでも拍手が送り続けていた。
ArcaNightのステージは圧巻だった。30分程のライブが一瞬にして終わったように感じた。それだけ彼女たちのライブに引き込まれてしまったという事だろう。
まだ余韻が残っている私の肩をガッと掴んで、星川さんが満面の笑みを浮かべる。
「すっごくカッコよかった!!」
「そ、そうですね……」
私の言葉に、星川さんは力強く頷いた。星川さんは興奮冷めやらぬといった状態で、私の肩を掴んでブンブン揺らしながら先程のArcaNightのステージを熱く語っている。そんなに揺らさないでもらえないでしょうか?ライブの前にグロッキー状態になったら元も子もないですから。
今日の皐月ちゃん達の演奏は、きっと忘れない。そして私たちもいつか、あんなふうに誰かの心を動かせるようになりたい。そう強く思った。
ステージ袖に帰ってきたArcaNightのメンバーを見ると、抱き合って喜んでいるのが見えた。天城さんが皐月ちゃんに飛びつき、亜燐さんがそれを窘め西条さんが笑っている。倉科さんはそんな四人を見守るように、穏やかな笑顔で立っていた。その光景は、今日のライブがどれほど彼女たちにとって特別なものだったかを物語っているようだった。
ふと皐月ちゃんと目が合う。その瞳には高揚と達成感が入り混じっていた。
「お疲れさま。すごくよかった」
私がそう言うと、彼女は汗を拭いながら微笑んだ。
「ありがとう。杏ちゃん達も頑張ってね」
その言葉に力をもらった気がした。私たちの出番はもうすぐそこまで来ている。
ArcaNightはトップバッターとして最高の仕事をしてくれた。彼女たちが作ってくれたこの熱を、最後まで絶やさないようにしなければ。
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「さて、今度は私たちの番だね!」
15分ほどの休憩を経て、次の出番であるAfterglowの先輩方が楽器を持って舞台袖にスタンバイしている。先輩方は今までにないほど気合が入っているように見える。これが数多のステージを乗り越えた猛者の貫禄というものか。
「みなさん、頑張ってください!」
星川さんが声をかけると、上原先輩が振り返って笑った。
「ありがとう!皐月ちゃん達があんなにいいライブをしたんだもん。私たちも後輩にいいところを見せないとね!」
そう言って先輩たちはステージへと歩いていく。その後ろ姿はとても頼もしく見えた。
Afterglowの演奏はArcaNightとはまた違った魅力があった。大人っぽくて、でもどこか切なさもあって聴いていると自然と目を閉じてしまいそうになる。美竹さんの歌声はまるで魂に語りかけてくるようで、聴く者の心に染み入るようだった。
一曲目の演奏が終わると、会場は大きな拍手で包まれた。先輩たちは額に汗をかきながらも満足げな笑みを浮かべていた。
「今日は来てくれてありがとう。このライブは私たちの後輩が主催したライブです。こうして招待されたことはとても嬉しく思います」
美竹先輩がそう言ってくれる。なんと気遣いのできる優しい先輩だろうか。もう一生着いて行きます!
「そんな後輩たちにも負けないように、私たちもいつも通り最高のライブを届けます。それでは二曲目、聞いてください」
と美竹先輩が叫ぶと、会場は一際大きな歓声に包まれた。
それからもしばらく先輩たちの熱い演奏は続いた。汗を光らせながらも、誰一人として手を抜かない。この人たちの真剣さがひしひしと伝わってくるようだった。
そしてAfterglowのライブは順調に進み、最後の曲が終わる。
「ありがとうございました!」
会場からは大きな拍手が起こる。その様子に私たちも自然と笑顔になった。
「すごいな……やっぱりAfterglowの先輩たちは桁違いだ」
星川さんが呟いた。その横でリラさんも「こんなにスゴい先輩方と一緒にライブがデキルなんて、ワタシたちは幸せ者デス!」と目を輝かせている。その言葉に岸峰さんも頷いていた。
「私たちもいつかはあんな風にならないとね!」
と星川さんは私たちに声をかける。リラさんは興奮した様子で飛び跳ねていた。彼女もやる気に満ち溢れているようだ。
「ハイ!先輩たちのようにカッコいい演奏を目指しマショウ!」
さて、ここからさらに15分の休憩を挟む。私たちはステージから戻ってきたAfterglowの先輩たちと一緒に控え室に行く。この休憩が終わると、ついに本番を迎える。
そう実感すると心臓の鼓動が早くなる。何度も覚悟してきたというのに、この感覚にはまだ慣れない。あれだけ練習したのに、まだステージに立つことに少し恐怖を感じている。うまく歌えるだろうか。失敗しないだろうか。そんな不安がぐるぐると渦巻いている。
「ねぇ」
そんな中、美竹先輩が私にそっと声をかける。その声で私はハッと我にかえる。
美竹先輩は優しい眼差しで私に語りかける。
「大丈夫。いつも通り歌うことを意識して。そうしたら上手くいくから」
その言葉に、なぜだか胸の奥がすっと軽くなる。美竹先輩も微笑んで、私の頭をポンっと叩いた。
「緊張するのはそれだけ本気だということ。ダメなことじゃない」
美竹先輩の言葉が、乾いたスポンジに水が染み込むように、ゆっくりと私の胸の内側に広がっていく。そうか、そういうことか。
この震えは、この胸の高鳴りは、私がこのステージをこの瞬間を心から大切に思っている証なのだ。それだけ私がこのライブに真剣に向き合ってきた証拠だったんだ。
「…ありがとうございます、先輩」
私は小さく頭を下げた。声が少しだけ震えていたけれど、さっきまでのような不安は無かった。
控え室の時計が容赦なく時を刻んでいく。15分という短いようで長い時間が、あっという間に過ぎ去ろうとしていた。
「そろそろ時間だね」
星川さんがベースを手に立ち上がる。その表情は穏やかで、でもその瞳の奥には確かな決意の火が灯っている。
「よし、行くか」
岸峰さんも立ち上がる。リラさんは大きく深呼吸をして、それから満面の笑みを浮かべた。
「ダイジョーブ!ワタシたちは、ワタシたちの音楽をやるだけデス!」
その言葉に、私たちは自然と顔を見合わせて笑った。そうだ。ArcaNightはArcaNight。AfterglowはAfterglow。他のバンドのように格好よくなくてもいい。ただ、私たちにしかできない音楽を届ければいい。
控え室の入口で、皐月ちゃんや美竹先輩たちが私たちを見送ってくれる。
「楽しんできてね」
皐月ちゃんがそう言って、私たちの背中を軽く押した。
舞台袖に着くとスタッフの人が「時間になったらステージに上がってください」と言い残して去っていった。暗い袖の向こうに、まばゆいほどの照明に照らされたステージが見える。さっきまでArcaNightや Afterglowの先輩たちが立っていた場所。今度は私たちがあそこに立つ。
「花村さん!」
星川さんが私を呼ぶ。声の方に目を向けると、私以外の3人がいつの間にか円陣を組んでいた。状況を理解した私は星川さんとリラさんの間にスッと入る。4人で肩を寄せ合うと、彼女はいつもの明るい声を少しだけ落として言った。
「とうとう本番だね。今日のライブ、ArcaNightとAfterglowのみんなが本当にいい空気を作ってくれた。だから楽しもう!上手くやろうとしなくていい。私たちの音を、ちゃんと出そう」
「ハイ!ワタシ、緊張で指が震えてマスけど、頑張りマス!」
リラさんが小さく拳を握る。
「だな。私もこの日が来るのをすっごく楽しみにしてた。何があっても、悔いが残らないようにしよう。な、杏」
岸峰さんが私に振る。私は大きく深呼吸をした。
「はい。もうここまで来たら、最後まで付き合いますよ」
最初は訳の分からないままバンドに強引に引き入れられた。人前で歌を歌うことに抵抗があった私を、何がなんでもボーカルとして入れたくてあの手この手で絡んできた日々が、今では悪くないと思っている自分がいる。
「それじゃ、行くよ!えいえいおー!」
「それ、上原先輩のセリフです」
今ここにいるのは私たち4人だけだ。ArcaNightやAfterglowの皆さんは私たちの初ライブを見届けようということで客席の方に移動した。そんな正面から見られたらさらに緊張するが、それでも頑張らないといけない。
スタッフさんからの合図が出たのを確認して、私たちはステージに移動する。
いよいよだ。私たちの音楽を、今日来てくれた観客に届ける。私たち4人での初めてのライブが、とうとう始まるんだ。
そんな決意を胸に、スポットライトが照らすステージに上がる。リハーサルとは違い逆光が眩しくて、フロアが見えにくい。
しばらく経つと目が慣れてきたのか、フロアの端まで鮮明に見えるようになる。それと同時に私たちは、
現実を、目の当たりにした。
「え…………?」
思わず声が漏れた。それもそのはずだ。
星川さん達も客席の様子に私と同じ反応を示していた。
「なんで………」
星川さんが隣で小さく呟く。その声はいつも元気な彼女からは想像もつかないほど、震えていた。
私も同じ言葉を喉の奥で飲み込んでいた。目の前の状況がいまだに理解できず、うまく頭が回っていないからだ。
ステージから見える景色。客席の最前列には、ArcaNightとAfterglowの先輩たちが並んでいる。皆さんがこうして見てくれる事はとても嬉しい気持ちだ。
けれど、気になるのはその奥。本来なら一般の観客がいるであろうスペース。
さっきまで観客でいっぱいだったスタジオに、
誰一人として、いなかったのだから。