王宮の地下に点在する隠し部屋の一つ。
そこには家具や装飾品はなく、蝋燭などの照明もない。ただ中央の机に置かれた水晶玉の放つ光が、部屋一面を青白く染め上げていた。
「クックククク……」
水晶玉を覗き込んでいた魔女が、不気味な忍び笑いを洩らす。
透き通った水晶の奥には、箒で床を掃く白雪姫と、目を剥いて何事かを叫ぶ狩人の姿が映っていた。
「やっぱり面白いわね、私の犬は。見ていて退屈しないわ」
魔女は一旦は笑いを収め、目元の涙を指先で拭う。しかしまた思い出したように苦笑しつつ、青白く眩い部屋を後にした。
彼女の使い魔たる悪霊が蠢く闇に包まれた回廊を、肩で風を切るように進む。古い石壁から洩れる隙間風が、微かな笛の音のような音を刻んだ。
「白雪姫の暗殺は失敗したようですね」
どこからともなく響く『鏡』の声に、魔女はむっとして眉をひそめる。
「わざと失敗したのよ。すぐに終わらせてはつまらないでしょう?」
「あまり小人たちを怒らせるものではありません。彼らは脅威です」
『鏡』の言葉に魔女はますますむっとするが、努めて冷静に振る舞った。
「本当に脅威と呼べるのは一人だけよ。どうってことはないわ」
「確かに。その一人も老境に至り、もはや戦いそのものに意義を見出せなくなっています」
「分かってるんじゃない。ならしばらくは口を閉じてなさい」
「かしこまりました」
「いつも返事だけはいいのよね」
魔女は肩をすくめたあと、暖炉の燃える暖かい部屋への扉を開く。いつもと代わり映えのない魔法の鏡の横を通り過ぎたとき、その中に映る黒い影が、微かに頭を揺らした。
「……王妃様」
「口を閉じてなさいと言わなかったかしら?」
「申し訳ありません。しかし、侵入者です」
「何ですって?」
魔女は訊き返しつつ、壁に掛けられた長剣に手を伸ばす。「何者だか分かる?」
「『照れ屋』です」
「……誰??」
魔女が首を傾げると、少し間を空けてから『鏡』が答える。「『七人の小人』の一人です。類い希なる隠密技術を持っています」
魔女は胡散臭そうに目を細める。
「『照れ屋』だから?」
「恐らく」
「いや、そうはならないでしょ」
「『魔の森』側の入り口から侵入したようです。こちらに真っ直ぐ向かってきています」
「まあ、ほとんど一本道だし。迷うことはないでしょうね」
「どうされますか」
『鏡』の問いに、魔女は気難しげに腕を組んだ。
「廊下には悪霊たちを潜ませていたはずだけど。そいつらは何してるの?」
「侵入者の姿を感知できていないようです」
「……役に立たない連中ね。飼ってるとその辺かび臭くなるし」
「『曇王』を使ってみては?」
「そうしましょう」
魔女がパチンと指を弾くと、部屋の隅で蹲っていた曇王が立ち上がり、のしのしと扉から出ていく。数分後、地下を揺らす地響きが数度起きた後、辺りはしんと静まり返った。
「撤退したようです」
『鏡』の言葉に、魔女は肩をすくめる。
「あんなのが暗闇から突然出てきて刃物ブンブン振り回してたら、私だって逃げるわよ」
「あんなのって……貴方の夫でしょうに」
「夫だろうが何だろうが、いかついのは事実よ」
魔女はそう言うと、ちょうど戻ってきた曇王に向き直り、強い口調で命じた。
「部下どもを連れて追いなさい! 侵入者の首を私の元に持ってくるのよ!」
再び扉をくぐり、冬眠明けの熊のようにのそのそと出ていく曇王。
『鏡』は無言でその背中を見送った後、遠慮がちに告げる。「死人では小人の足には追いつけません。気配を辿ることすら難しいでしょう」
「知ってるわよ」
「ではなぜ追わせたのです」
『鏡』の問いに、魔女は片方の眉を上げてみせた。「恐怖を与えるためよ。当然でしょう? 客人を手ぶらで帰すなんて、あり得ないわ」
「この程度で恐怖するようなら、そもそもここまでやっては来ないと思いますが」
「貴方うるさいわね。口を閉じてなさいって言ったの忘れてるでしょ?」
「……忘れておりました」
「じゃあ黙ってなさい」
「はい」
静かな夜が明け、丘の花畑にうっすらと朝靄がかかる頃、狩人は小人たちの家をこっそりと抜け出していた。黄金色の朝日が東の空にぼんやりと浮かび、靄に反射した光がきらきらと煌めいている。
「旦那様」
廃村の出口で待ち構えていた『先生』に声をかけられ、狩人は舌を打つ。
「あんた、未来でも見えてるのか」
「年の功です」
『先生』は短く返すと、悲しげに眉を下げた。
「行ってしまわれるのですか」
「まあな」
「貴方が白雪姫をお守りしてくださるなら、心強いのですが」
「悪いがお断りだ。ガキのお守りなんてガラじゃない」
狩人は『先生』の横を通り過ぎるが、ややあってから立ち止まり、付け加えた。「それに俺は……実のところ、あんたのことを言えた義理じゃないのさ」
「……」
白髪の小人は無言で狩人の背中を見つめる。
狩人は俯き、呟くように言った。「俺は魔女に銃を向けた。絶対に当たるという確信があった。そういうときに撃った弾は、まず外れたことがない」
「……撃たなかったのですね」
『先生』の言葉に、狩人はもう一度舌を打つ。
「白雪姫が死にかけてるって話を聞かされてな。慌てて戻ってきちまった」
「……」
「俺は奴に選ばされた気でいた。だが……今思えば、俺は選んでいたのかもしれない。他でもない、自分の意思で」
握り締められた銃床が、ミシリと音を立てて軋む。「俺に果たしてあの女が殺せるのか、今はもう分からない」
「撃たなくて良かったのです」
「……なに?」
『先生』の思いがけない言葉に、狩人は顔をしかめた。振り返ると、『先生』は真っ直ぐに彼を見ている。
その目は白く濁っているが、少なくとも冗談を言う者の眼差しではなかった。
「貴方ほどの凄腕の狩人が、撃つか否かの判断を誤るはずがない。撃たずに退くは、賢明な判断だったはずです」
「だが、俺は……」
狩人の声を、『先生』は首を振って遮る。
「それで良いのです。屍を積み上げた先に得るものに、価値などありはしない」
「……」
狩人は押し黙り、『先生』をじっと見つめた。
何か言おうと口を開くが、結局何も言わずに閉じ、再び開いたときには、彼自身にとっても意外なほど、強い侮蔑の言葉が飛び出していた。
「それが数百年生きてきたあんたの人生の答えか? だとしたら随分と薄っぺらいな」
「そう思いますか」
「ああ、思うね。あんたは何も分かっちゃいない」
狩人は『先生』に背を向け、苛立たしげな足取りで廃村を去っていった。
狩人は再び北東を目指した。国境近辺にいるはずの『隣の国』の兵士たちと接触するためだ。
図らずも底なし沼で出会ったあの少年には借しができた。上手くすれば白雪姫の保護のみならず、魔女の殺害にすら手を貸してもらえるかもしれない。
もっとも獣の襲撃や、銃で武装した『死人返り』の攻撃を生き延びていればの話だが。
廃村を出てから数時間が過ぎた頃、狩人はふと足を止めた。湿った森の空気の中に、微かに血の匂いが混じっている。
彼は慎重に足を進め、匂いの元に近づいていった。
「……!」
狩人は目を見開く。霞がかった土の上に、獣の死体が転がっていた。猪や狼ではない。人との『混ざり』だ。それは大雑把に人の形をとっていた。
痩せているが肩幅は広く、それに合わせて背中の筋肉は肥大している。黒ずんだ足は細く弓なりに捩れ、爪はサーベルのように長く鋭い。
骨格や獣毛の有無には個体差があるが、この『混ざり』は人と同じく、ほとんど毛が生えていなかった。顔つきも不気味なほど人によく似ている。
「気色悪い上に、食えるところがほとんどないんだよな」
独り言を呟きながら片膝をつくと、獣の死体を仰向けにひっくり返す。死因を調べるための行為だが、案の定『それ』はすぐに見つかった。
「これは……散弾か?」
胸に空いた弾痕に触れ、狩人は首を傾げる。
撃たれたというより、刃こぼれした剣で無理やり抉り取ったような浅く広いものだった。心臓付近の血管を滅茶苦茶にされて絶命している。
「……」
彼は無言で辺りを見渡した。
死の臭いはここだけではない。あちこちから漂っている。似たような獣の死体が、そこら中に散乱していた。正確な数は把握できないが、十は超えるだろう。
「……チッ」
狩人は舌を打つ。不用意に近づくべきではなかった。
こいつらを殺した連中が、まだ近くにいる。
「ごきげんよう」
近くの木陰から、人影が音もなく現れた。
草臥れた黒いコートに身を包んだ、痩せた長身の男だ。丁寧な挨拶とは裏腹に、その手には物騒な大振りの鉈が握られている。シルクハットを目深に被っており、顔はよく見えない。
「お前たちは誰だ?」
「お前たち?」
男は首を傾げ、大げさに肩をすくめる。
「私は独りだ。お前たちではなく、お前が正しい」
「とぼけるな。こんな数の獣を、独りで殺せるはずがない」
狩人がそう言うと、男の口元に鋭い笑みが浮かんだ。「よくできました」
彼がパチンと指を弾くと、周囲の霧が揺らぎ、続々と人影が現れる。手にする武器は様々だが、古ぼけた黒いコートという出で立ちは共通していた。数は十人は下らない。
狩人は顔をしかめ、じりじりと後ろに下がった。
これだけ多くの人間の気配を掴めなかった自分を、内心で罵っていた。あんな服装で森の空気に溶け込むなど、並の人間にはできない。
「魔女狩りだな?」
「ご名答。またもやよくできました」
シルクハットを被った痩躯の男が拍手をした。
どうやらこいつが首領格のようだと、狩人は当たりをつける。
「我々は魔女狩り。そして私は、彼らを率いる統率者だ」
ニヤニヤと笑いながら、恭しく頭を下げる魔女狩りの首領。慇懃無礼という言葉がよく似合う男だ。
狩人は唇をなめ、首領との距離を計りつつ言った。「魔女狩り様が何の用だ? 俺はしがない狩人だ」
「人を探していてね。聞き込みをしているんだ」
「聞き込みは人の多いところでやるもんだろ。ここは適切な場所じゃない」
狩人が呆れて言うと、首領はくっくっく、と笑みを溢す。
「違うな。その男は滅多に人里に姿を現さない。だからここが適切なんだ」
「……誰を探している?」
狩人の問いに、首領は尖った形の顎髭を指で弄びながら答えた。
「狩人だ。聞けばその男は、長年魔女の従者をしているらしい。『魔の森の魔女』を狩るには、その者の協力が是非とも欲しくてね」
魔女狩りのうちの数人は音もなく移動し、いつの間にか狩人の背後に回っていた。
狩人は肩越しに彼らを睨みつけ、小さく舌を打つ。
「奇遇だな。俺も狩人だ。だがそんな奴の噂は聞いたことがない」
「どうかな? 忘れているだけかもしれないぞ?」
首領の鋭い金色の目が、帽子の影からわずかに覗いた。人間の知性に、獣の獰猛な飢えが混じっているように見える。
「思い出してもらいたいなぁ。どうすれば思い出す?」
「あいにく物覚えが悪くてね」
狩人の返答に、首領はにちゃあ、と歯茎を剥き出しにして笑う。「それはいい。……調教のしがいがある」
彼の言葉を合図に、魔女狩りたちが動き出した。狩人を取り囲む輪を、徐々に狭めていく。
「勘弁してくれよ。俺はこう見えて潔癖症なんだ。お前らちゃんと風呂に入ってるのか? 」
軽口を叩きながら、狩人は背中の猟銃にゆっくりと手を伸ばした。
勝ち目がないのは明らかだが、降参するつもりも毛頭ない。この悪趣味で不潔な連中に一泡吹かせてやる。
首領が不気味な笑みを浮かべたまま、ベルトに下げたラッパのような形の銃をわし掴んだ、そのときだった。
「やめよ!!」
声変わりもまだであろう、高い少年の声が響き渡った。魔女狩りたちも、首領も、狩人も、一様にぴたりと動きを止める。
「武器を納めよ、魔女狩り! その方は私の恩人だ!」
木々の狭間から、いつぞやの金髪の少年が姿を現した。その声は幼いが、人を従えることに一切の疑問を持たない、生まれながらの統治者としての威厳があった。
「失礼。どちら様でしたかな?」
魔女狩りの首領の問いに、少年は鼻を鳴らして答える。「知らぬなら教えてやる。我が名はエドワード6世! 大ブリテン王国の王位継承者である!」
「これはこれは! 『隣の国』の王子様でしたか!」
首領は恭しく頭を下げた。しかし彼も、彼の部下たちも、武器を納める様子はない。
少年改め、隣の国の王子は眉尻を上げて怒鳴りつける。「何をしている! 早く武器を降ろさぬか!」
「恐れながら……王子様」
へり下ったままの姿勢で、首領は答える。
「我々は貴方が本物か疑っているのです。変装が得意な魔女や妖精が世に多いものでね」
「な……なんだと、無礼な! 私は本物だ!」
多少動揺しつつも、強気な態度を崩さない王子に、首領は鋭い目を向ける。
「何か証拠はお持ちですかな?」
「しょ、証拠!? 証拠……」
彼の言葉をオウム返しに呟く王子。生まれながらの統治者としての威厳が、だんだん怪しくなってくる。
「証拠がないのであれば、貴方を偽物として扱わざるを得ません。そもそも我々は国家に帰属せぬ流浪者の集まり。誰の手も借りず、利も求めず、ただ魔女とそれに連なる者どもを殺すだけ。如何なる国の王家であれ、忠を示す道理はないのです」
「え、えっと……その……」
顔を青くし、水から上がった魚のように口をぱくぱくしだす、生まれながらの統治者。
首領はそんな彼の様子をじっと見ていたが、やがてつまらなそうに溜息を吐くと、片手を上げて言った。「武器を降ろせ。どうやら本物らしい」
「ふうっ……!」
王子は大きな溜息をつくと、その場にへたれ込んでしまう。狩人は彼の側まで歩み寄ると、肩にぽんと手を置いた。
「立派だったぜ、王子様。少なくとも最初の方はな」
「はは……ご無事で何よりです」
力なく笑う王子だったが、ふと狩人の方を見返したとき、驚きに目を丸くする。
「お尻から火が出てます!」
「は?」
「お尻から火が出てますって!」
「何で尻から火が出るんだ?」
「知りませんよ! 自分で確認してください!」
王子に怒られ、しぶしぶ尻のポケットを探る狩人。
中から出てきたのは、人の指を模した黒い蝋燭だった。火をつけた覚えはないが、ひとりでに激しく燃えている。
「忘れてた。そういえばこんなの貰ってたな」
「ああ、驚いた。何ですか、それ」
王子に訊かれるが、狩人は無言で肩をすくめた。
「……さあ、何だったかな。忘れた」