「白雪姫を逃がしたい」
王子が魔女狩りを追い払ったあと、狩人は開口一番にこう言った。
王子は首を傾げて彼を見つめる。
「白雪姫……どなたです?」
「そういうヤツがいるんだよ。本名は確かブランコだかフラミンゴだかって言ってたな」
狩人は腕を組み、国境の方角を睨みつけた。
「この国の王女様でね。魔女に命を狙われている。国外に脱出させたい」
事の重要さを理解したのか、王子の顔も引き締まる。「その方は今どちらに?」
「味方に匿ってもらっているが、安全とは言えない」
「……分かりました。我々の手でよければ、お貸ししましょう」
「頼む」
王子は頷くと、素早く立ち上がった。
「枢密顧問官、サー・ウォルシンガムを紹介します。要人警護にかけては、彼の右に出る者はいません」
「近くにいるのか?」
「僕たちの足ならすぐです」
「よし」
猟銃を担ぎ直す狩人。王子は頷き先導しようとしたが、渋い顔で立ち止まった。
その視線は狩人のズボンの辺りに留まっている。
「またお尻から火が出てますけど……」
「ああ、大丈夫だ。どうも服には燃え移らないらしい。便利な蝋燭だ」
「でも、絵面が変ですよ?」
「俺の尻の絵面なんか心配しなくて良いんだよ。さっさと案内してくれ」
「……分かりました」
腑に落ちない様子で、王子は走り出す。
狩人も尻を光らせながら後に続いた。
それから半刻と経たぬ内に、二人は『隣の国』の兵士たちが屯する野営地に着いていた。道中何度か王子が足を滑らせて底なし沼に沈みかけたこと以外は、何事もなく安全な道のりだった。
布と棒きれで組み上げたあり合わせの天幕と、獣除けのかがり火が無秩序に並ぶ、殺風景な平地。仮にも王族を匿う一国の陣地にしては、いささか華に欠ける。
見張りの兵士たちは狩人の接近に対して銃を構えたが、王子が一喝して下がらせた。
「ウォルシンガム卿はどちらに?」
「あの中です」
王子の問いに、兵士の一人が野営地の中心にある天幕を指さす。
新大陸の原住民が用いるような、大きな円錐型のものだ。灰色の布地に金の唐草模様が織られており、兵士たちのものに比べると多少は華美であった。
王子は狩人に手招きすると、天幕に続く道を急ぐ。だが半分も行かぬ内に、目当ての人物が向こうから現れた。布を片手で払うように姿を見せ、王子の姿を認めると、早足に近づいていく。
「……!」
狩人は目を丸くした。その男は王子の横っ面を裏拳で打ち、地面に転ばせたのだ。
それほど強い力を込めた様子はなかったが、正確な打撃で脳が揺れたのだろう。
起き上がるのに難儀する王子を冷たい目で見下ろし、顧問官ウォルシンガムは低い声で言った。「私に『単独行動はおやめ下さい』と、何度言わせれば気が済むのです」
「……ご説教は後にお願いします、ウォルシンガム卿。今は僕の軍規違反よりも重大な問題がある」
「聞きましょう」
王子は慌てて駆け寄ってきた兵士たちの肩を借りて立ち上がると、狩人の方を手で示す。
「こちらの狩人様が、この国の王女を保護していらっしゃるそうです。魔女に命を狙われていて……」
「なるほど」
顧問官は冷たい目つきのまま頷いた。
歳は狩人より少し上くらいか。神経質そうな眉間の皺と、後ろに撫でつけた濃い黒髪が印象的だ。
よく鍛えられ引き締まった肉体を、黒地に金の刺繍が施された装束に包んでいる。狩人と比べるとやや小柄だが、決して弱そうには見えなかった。
王子が言葉を続けようと口を開くが、狩人が横から遮る。「待て。その前に一つ訊きたいんだが」
「何なりと」
「こいつ本当に王子なのか?」
狩人に指をさされ、王子は目をまん丸にする。
「も、もちろんです! 信じてなかったんですか?」
「いきなり王子ですとか言われて信じると思うか? そもそも王族がこんな前線に出てくること自体おかしいだろ」
「そ、それは……」
言葉に詰まり、口をぱくぱくさせる王子。
見かねた顧問官が、引き継ぐように答えた。
「王子たっての強いご希望です。この方には優秀な影武者が一人おりまして。留守の間の政務はその者が」
「ますますおかしいだろ。普通逆じゃないか? 大体こんなアホを前線に出したところで、士気なんて大して上がらんだろうに」
「ひ、ひどい……」
王子が顔を赤くしてべそをかき出すが、特に誰も何も言わなかった。
狩人は肩をすくめ、「まあどうでもいい」と話を切り替える。
「それより白雪姫だ。この国の王女を保護してもらえると助かるんだが」
「……王子の命の恩人というのは、貴方ですね」
「ああ、たぶん」
狩人が曖昧に頷くと、顧問官は溜息を吐いた。
「ならどの道、無碍にはできませんな。こちらへ。話は中で聞きましょう」
先導する彼の後を、気怠げな狩人が続く。しばらく間を空けてから、泣きべそをかく王子が追いかけた。
顧問官の天幕の中は机と椅子、そして組み立て式の寝台以外には何もない、質素なものだった。
隅にいくつか物資が纏められていたが、それらもすぐに担いでいける程度の量しかない。装飾と言えば、机の横に立てかけられた『隣の国』の国旗くらいであった。
仮にも一部隊を率いる男の居所だ。護衛の一人くらいはいてもいいはずだが、出口の内にも外にも兵士の姿は見えない。
「白雪姫がいるのはこの廃村だ。小人たちに匿われている」
狩人が机の上に広げられた地図の一点を指す。
この国の首都とそこを囲む魔の森の地形を精密に測量し、羊皮紙におこしたものだ。
「魔女の襲撃を二回も受けてる。襲撃というか暗殺というか……まあ、そんな感じの」
「隠れ家を変えてみては? 」
顧問官の提案に、狩人は首を横に振る。
「それも考えたが、恐らく意味がない。どうもあの女には白雪姫の位置を正確に知る術があるらしい」
「どのような手段かご存知ですか」
狩人は彼の問いに口を閉じ、やがて思い出したように言った。「蝿だな」
「は?」
「いや、こっちの話だ。たぶん魔法とかだろ。 知らないが」
「なるほど」
顧問官はこめかみに指を当て、地図を見つめる。
「魔女の能力について、他には?」
「白雪姫を油断させるために、老婆に化けたらしい。空を飛べるとも言ってたな。見たことはないが」
「空を?」
「たぶん箒とかちりとりとか使うんだろ。……あと、あんたらはもう知ってるかもしれないが、奴は死人を操れる」
彼はちらりと狩人の顔を一瞥してから、地図に視線を戻した。
「先日に襲撃を受けて知ったばかりです。『死人返り』が銃を使う光景も初めて見ました」
「俺もこの前初めて知った。犠牲は出たのか?」
「いいえ。彼らの銃は泥が詰まって湿気ており、ほとんど不発でした」
「……ああ、そう。そいつは何より」
「しかしこちらも相手を仕留めきれなかった。死人は二度は死なない」
「だろうな」
狩人はそう言って腕を組んだあと、思い出したように付け加える。「銀の弾丸が効くと聞いたことがある。俺も少しだけ持ってるぞ。もったいないから使わないが」
「聖別された銀の武器は、魔に属する者全てに有効です。私の部隊で所持しているのはごく少数ですが」
「全員に配ってやれないのか?」
狩人の言葉に、顧問官は目を閉じた。
「予算の都合で無理です」
「なんだそりゃ。しょうもねえな。おたくの国は貿易でさんざん儲けてるって聞いたが?」
「いいえ。植民地入植を含め、ほとんど軌道に乗っていないというのが実情です。サー・ドレイク率いる私掠船のおかげで、多額の負債をなくすことはできましたがね」
「へえ、国ってそんなに借金するのか」
「予算を割くべき問題が山積みなもので」
「宮仕えも大変なんだな。ガキのお守りも押しつけられるし。苦労が偲ばれるぜ」
「恐縮です」
彼はにこりともせず会釈した。
後ろの壁際で暇そうにしていた王子が、むっとして口を挟む。「誰のことですか?」
「気にするな。こっちの話だ」
狩人が肩をすくめて返した。
王子は頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向く。
やや間を置いてから、顧問官が静かな声で言った。「誠に心苦しいのですが、お力になれるか分かりません」
「なに?」
狩人は驚いて顔を上げる。顧問官を睨みつけ、口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。
少し間を置いてから、苦々しげに呟く。「ガキのお守りで手いっぱいってか?」
「有り体に言えば、そうです」
「チッ」
狩人は舌打ちし、ふてぶてしく腰に手を当てた。「色々訊かれたから素直に答えてやったのに。理解はできるが、そりゃないだろ」
「もう一つ質問があります」
「……遠慮のない野郎だな。何だよ」
顧問官は狩人のズボンを見下ろし、眉をひそめて言った。「どうしてお尻から火を噴いているのです?」
「火を噴こうが、ワインが湧こうが、俺の尻の勝手だろ」
「ちょっと何言ってるか分からないです」
「何で分からねえんだよ」
狩人は顎に手をやり、しばらく考え込んだ。
そのとき壁際から王子がやって来て、顧問官に耳打ちする。「どうしても無理なんですか?」
「無理です。優先事項は貴方の身の安全と、魔女の抹殺。この二つだけ」
「……なら、僕が王女を守ります。僕が王女を守り、貴方が僕を守れば、何も問題ないですよね?」
顧問官は冷たい表情で王子を見下ろすと、顔を近づけ、囁くように言った。「『必要なら足を折ってもいい』。女王陛下からのお言葉です。私は必要に迫られれば躊躇いなくやります。ご存知でしょう」
王子は肩を落とし、すごすごと壁際まで戻っていく。二人のやり取りを眺めていた狩人は、首を傾げて言った。
「魔女の抹殺……と言ったか?」
「はい」
顧問官が頷くと、狩人はにやりと笑う。
「協力できると思うぜ」
「というと?」
「取引をしないか? 魔女を殺す手伝いをしてやる。代わりに白雪姫を国外に逃がせ」
彼は俯き、狩人の言葉を頭の中でゆっくりと反芻した。「……魔女が死ねば、そもそも白雪姫を逃がす必要はなくなる。矛盾があるのでは?」
「矛盾なんてない。あんたらを見て確信したが、この国はもう終わってる」
「終わってる、とは?」
狩人は顔をしかめ、じろりと顧問官を見た。
「とぼけるなよ。分かってるはずだ。『魔の森』のせいで作物が育たず、安定した食糧供給が叶わない。そうなると人口が増えず、国力が育たない。南にはローマ。北にはあんたら『隣の国』。今まで独立を保てていたのは、曇王とかいう謎に強いおっさんがいたからだ。しかしそいつはもう死んで、この国は魔女が支配している。終わってるだろ」
「話が見えてきませんが……」
狩人はいよいよ舌を打ち、顧問官を睨みつける。
「とぼけるのも大概にしとけ。魔女が死のうが生きようが、この国は欧州各国の餌食になるって言ってんだ。あんたらだってこの国の領土目当てでやって来てるんだろ? 事実として、この国の軍隊はそれを阻止できていない。おそらく気づいてもいないはずだ」
「……」
顧問官は無言で目を伏せた。
彼の後ろに立っていた王子が、唐突に口を挟む。
「魔女の統治が続けば、神聖ローマ帝国は恐らく十字軍を差し向ける。僕らが魔女の首級を狙うのは、彼らの介入を防ぐためです」
顧問官はぴくりと眉を動かした。
「王子、黙っていてほしいと言ったはずです」
少し考えたあと、不機嫌そうな顔をする王子。
「言われた覚えがありませんけど?」
「では今言います。黙っていてください」
「僕は王子ですよ。そしてこの方は、僕の命の恩人です。蔑ろにすることは、王族を軽んじる行為に他ならない」
顧問官は顔をしかめ、額に手を当てる。
「そんなこと今に始まったことじゃありませんよ」
彼の言葉に、王子はたちまち顔を赤くした。
「自覚があったんですね。驚きです! ならもっと僕の言うこと聞いてください!」
「そういうわけにもいきません。今の貴方は立場上、私の部下に過ぎない」
「それも姉上からの言いつけですか!?」
「女王は十分貴方に甘いですよ。本来なら貴方のようなやんごとなきご身分の方は、こんな危険な作戦に参加すべきではないのです」
「それを言うなら貴方だって……!」
「まあまあ、痴話喧嘩はその辺にしてくれ」
しびれを切らした狩人が割って入る。
「要はローマとの間にある中立地帯を維持しておきたいってことだろ? 宗教的に魔女は野放しにできないが、この国が潰れるのは困ると」
「……仰るとおりです」
顧問官が不服そうに言うと、狩人は相槌を打った。
「なるほど、合点がいった。確かにこんな怪物だらけの森なんて誰も欲しくないわな。あんたらが大陸を侵略したがってるっていう噂は、ローマが流したホラか」
「……」
またもや無言の顧問官に代わって、王子が答える。
「ローマというか……カトリック側の流した噂だと思いますが、ホラとは言い切れません。この国や周辺国への軍事介入は昔からやってますし」
「何で大陸にちょっかい出すんだ? 」
「理由はいくつかありますが……」
「王子」
顧問官が鋭い目で黙らせようとしたが、王子は逆に声を荒げた。
「別にいいじゃないですか! 国家機密でも何でもないでしょう! どうして何でもかんでも内緒にしたがるんですか? 年頃の女の子じゃあるまいし!」
気まずそうに押し黙る顧問官。
対照的に、狩人の表情はどこか明るい。
「あんたらの事情はよく分からん。深入りするつもりもないが……十字軍は知ってる。聖地奪還を謳って中東に侵略戦争をしかけ、結果めそめそ逃げ帰ってきた面白軍団だろ? すごいな。魔女の統治が続けば、そいつらがここに来るのか。ハハハッ」
「笑い事じゃありません。彼らは恐ろしいですよ。異教徒に対して一切の容赦がない」
神妙な王子の言葉に、狩人は頷いた。
「知ってるよ。さんざん略奪してまわって、場所によっては女子どもも皆殺しにしたんだろ? ひょっとしたらここもそうなるかもな。今日日、十字架を持ち歩いている奴なんてこの国では珍しい」
そこまで言ってから彼は肩をすくめ、どうでもよさそうに続ける。「まあ何人死のうが知ったことじゃないけどな。そこまで仲の良い奴なんていないし」
顧問官はコホンと咳払いをすると、狩人に向き直った。
「魔女の抹殺に協力する、と仰いましたね」
「ああ」
「具体的にはどのように?」
狩人の暗い瞳に、鋭い光が宿る。
「何でもやってやる。好きに使え」
「……ほう」
顧問官は眉を少しばかり上げた。彼の目に、奇妙な光が一瞬よぎる。
「狩人様! 滅多なこと言わないでください!」
王子が切羽詰まった様子で叫ぶ。
そして二人の男を交互に見比べたあと、主に顧問官の方を睨みつけた。
「ご安心を。最初に申しました通り、貴方の恩人を無碍にはできない」
彼は片手で王子を制すと、狩人に冷たい目を向ける。「ありがたい申し出ですが、お断りいたします」
「……何故だ?」
「貴方を信用できない」
「チッ」
狩人は舌を打った。そう言われても仕方がないことは、彼自身もよく分かっていた。
「無碍にしてるじゃないですか!」
横で王子が怒っているが、顧問官は耳を貸さない。狩人は「邪魔したな」と一言だけ告げると、天幕を後にした。