狩人が野営地に戻ると、入口に『隣の国』の兵隊が集まっていた。
彼らを掻き分けるようにして顧問官が現れ、狩人に鋭い目を向ける。
「先ほどの銃声は?」
「魔女の兵どもと遭遇して、三人殺した。ここにも大勢押し寄せてくるぞ」
彼の言葉に兵たちはざわついたが、顧問官は特に表情を変えなかった。
「数は四十ほどですね」
「知ってたのか?」
「付近に潜伏していた連中のことは把握済みです」
彼は近くに侍らせていた壮年の屈強そうな兵士に耳打ちする。兵士は頷くと辺りを見回し、声を張り上げた。
「野営地に背を向けて戦列を組め! 敵はこちらより多勢だ! 銃は過信するな! 二発に一発は不発に終わると思え! 各自即座に接近戦に移れるよう、備えておくのだ!」
「返り討ちにする自信はあるか?」
狩人の問いに、顧問官は真顔で返す。「あるわけないでしょう」
「……え、ないの?」
「はい。首都近辺の偵察に出ている別働隊に伝書を飛ばしましたが、まず間に合わないでしょう。ここの戦える兵士は少数。我々は終わりです」
肩をすくめる顧問官。言葉とは裏腹に、絶望や悲壮感といったものは感じられない。
狩人は迷ったあと、小さな声で訊ねた。「その……手を貸そうか?」
「貴方を信用できないと言ったはずです」
「堅いことを言うなよ。大口を叩かせてもらうが、この国の兵隊なんざ五十いようが百いようが、俺にとってはものの数じゃない」
顧問官は興味深そうに狩人を見た。
彼の肩口にいた蝿が再び羽音を鳴らし、『鏡』の声を響かせる。「どの口がそんなことを……」
「王子の恩人に無茶はさせられません」
顧問官が呟くと、狩人はにやりと笑った。
「必要な無茶なら仕方ないだろ。四十人の兵は前座だ。遅れてやって来る魔女の方に、俺は大事な用があってね」
「……なるほど」
彼は理解したように頷く。どこまで見透かされたのか気になったが、狩人はあえて訊かなかった。
「それならば……後方にて援護をお願いします。もしくは王子の護衛を」
「分かった。任せてくれ」
狩人が快く頷いた、そのとき。
彼の尻のポケットで燃えていた蝋燭の火が音を立て、吹き上がるような炎に変わる。
「うわっ!」
さすがに驚いた狩人が、慌ててポケットを弄った。引っ張り出された黒い蝋燭は、彼の手の平の上でさらに激しく燃え上がる。
周囲で忙しなく動いていた兵士たちも、思わずその光景にたじろいだ。
「……今、思い出したんだが」
「何でしょう」
特に驚く様子を見せない顧問官に向き直り、狩人はぼそぼそと言った。
「これ、敵意を持つ者の接近を知らせるとかなんとか……そういう感じのやつだった気がする」
「ちょっと何言ってるか分からないです」
「何で分からねえんだよ」
狩人は『鏡』に意見を求めようと、肩口を見る。
しかし蝿は運悪く火の粉でも浴びたらしく、静かに事切れていた。
「……ズボンは燃えないのに、蝿は死ぬのかよ」
「敵襲!!」
壮年の兵士の鋭い声が野営地に響き渡った。
狩人は蝋燭を頭上に掲げ、敵の姿を確かめようとする。しかし顧問官がその腕を掴み、下げさせた。
「敵は雨天での襲撃を想定し、クロスボウで武装している。狙い撃ちにされますよ」
「そこまで分かってるなら、対処は考えてあるんだろうな?」
狩人の問いに、彼は首を横に振る。
「元々無理のある作戦です。現場の私としては、破れかぶれになるしかない」
「あんたさっきから聞いてりゃ、不安になることしか言わないな」
「楽観視できる状況ではありません。貴方も魔女の暗殺を狙うなら、最悪の結末を想定すべきだ」
「……その点はおそらく問題ない」
「そうですか。では」
軽く会釈をすると、顧問官は狩人から離れていった。野営地の明かりに照らされた木々の向こうからは、続々と敵兵たちが飛び出してきている。
彼らを迎え撃つのは、雨よけの布の下で戦列を組む、『隣の国』の兵隊たちだ。
「第一陣、斉射!!」
壮年の兵士が腕を振り下ろすと同時に、横一列に並んだ兵隊が一斉に引き金を引く。
十二丁近くあるマスケット銃のうち、弾丸がまともに放たれたのは七丁ほどだった。それでも彼らの狙いは正確であり、向かってきた敵兵のほぼ全てに命中し、絶命させる。
「第二陣、前へ!!」
号令が響くと、発砲した十二人の兵が銃身を立てて下がり、入れ替わりで前に出た後列の十一人が片膝をつき、マスケットを構える。
「斉射!!」
再び銃声が轟いた。今度も半数近くが不発に終わるが、向かってきた敵兵はことごとく鎖帷子を撃ち抜かれ、声を上げる間もなく地面に倒れる。
しかし致命傷を免れた、あるいはそもそも弾が命中しなかった敵兵も僅かながらいた。彼らは勇ましい雄叫びとともに武器を振り上げ、『隣の国』の戦列に飛び込んでいく。
後列と前列はまだ交代しておらず、装填も終えていない。銃を捨て、接近戦に移らざるを得ないだろう。その場合、一体何人殺されるだろうか。
そうした狩人の予想は、全くの的外れだった。
「長槍、突けぇ!!」
後列の兵士が装填を諦め、銃から
「さすがは『隣の国』。大した練度だ。ただのマスケットでよくやる」
独り言を呟きながら、狩人は天幕の下で銃の装填を始めた。
紙製の薬莢を犬歯で破り、中の火薬を銃口に流し込む。続けてそこに弾丸を放り込むと、鉄の棒を使って奥まで押し込んだ。左の銃身には普通の弾。右の銃身には少し迷ったあと、散弾を込める。
そうして装填を終え、撃鉄にカバーをかけて立ち上がったとき、不意に飛んできたクロスボウの矢が頭上を掠めた。
「おっと」
狩人は姿勢を低くしたまま、近くにあった荷車の陰に移動する。
敵兵の多くが無鉄砲な突撃から、森に身を潜めての狙撃に切り替え始めていた。木々を盾に銃弾を躱しつつ、クロスボウによる反撃を行う。弾と鉄の矢が、野営地と森の間を休みなく飛び交った。
しかし不発が多い分、どうしても銃頼みの『隣の国』側が不利だ。追い打ちをかけるように、雨足は徐々に激しくなっている。
『隣の国』の兵隊はすでに陣形を崩し、弾除けのために転がした丸太の陰に身を伏せていた。
「劣勢だな。……あの裏拳野郎は何やってるんだ? さっきから姿を見せないが」
荷車の後ろから顔を覗かせ、狩人は戦場を見渡す。それからほどなく顧問官の姿を見つけたが、彼は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「はあ? 何やってんだアイツ!」
狩人の反応も無理はない。顧問官ウォルシンガムは矢と弾丸が飛び交う中を、まるで散歩でもするような足取りですたすたと歩いていた。
眉間に神経質そうな皺を寄せ、真っ直ぐ前方を見ている。手には銃はおろか、剣すら握っていない。
「あ、破れかぶれってそういう……」
狩人は呆気に取られて顧問官の散歩を眺めた。
『隣の国』の兵たちも彼に気づいたが、狩人とはいささか反応が違った。
「サー・ウォルシンガムに続け! 抜刀! 突撃!!」
「うおおおおお!!」
壮年の兵士の号令とともに、勇ましい声を上げながら剣を抜く『隣の国』の兵たち。二十数名が雪崩れるように、彼の後を追って戦場を駆ける。
「……『隣の国』の人間は、もっと賢くて品がある感じだと思ってたんだがな」
狩人は呆れたように呟くが、ひとまず援護でもしようと猟銃を構えた。
「ウォルシンガムだ! 奴を討ち取れ!」
敵兵の一人が怒声を上げ、クロスボウを向ける。
しかしその男が引き金を引くより、狩人の発砲の方がわずかに早かった。男は胸を銃弾で穿たれ、あらぬ方向に矢を撃ちつつ、仰向けに倒れて事切れる。
「次の一発は間に合わない。アイツ、やられるぞ」
狩人はそう呟き、唇を噛んだ。案の定クロスボウを捨てた敵兵の一人が、歩いてきた顧問官に抜剣して襲いかかる。
「サー・ウォルシンガム、討ちとった!」
しかしその長剣が振り下ろされるよりも早く、彼の裏拳が敵兵の顎を打った。正確な打撃は兵士の意識を一瞬で刈り取り、膝をつかせる。
顧問官はその首に腕を回して抱え上げ、飛来する鉄の矢を受ける盾にした。瞬く間に十本近くの矢が刺さり、敵兵は呻き声を上げて絶命する。
彼は涼しい顔でその死体を盾にしたまま、歩みを遅らせることなく敵陣に近づいていく。
「この距離か」
敵兵が身を隠す森との距離が十メートルを切ったとき、顧問官はおもむろに懐から拳銃を抜いた。
八連装式のリボルバー拳銃である。装填を挟まぬ連射が可能だが、「高価な上に機構が複雑で壊れやすい」と悪評が絶えず、実戦よりも観賞用の美術品として扱われる代物だ。
銀の装飾が施されたその銃を目線の高さで斜めに構えると、撃鉄を指で起こし、撃つ。即座に手動で円筒形の弾倉を回転させ、撃鉄を起こし、また撃つ。盾となる敵の死体を抱えたまま真横にすたすたと歩きつつ、これを六度繰り返した。
敵の矢は顧問官に当たらず、逆に彼の放った弾は、付近の敵兵全員の眉間を正確に撃ち抜いていた。
「おのれ、よくも!」
「殺してやる!」
激昂した敵兵たちが一斉に向かってくるが、顧問官は慌てず銃を右手の中で反転させ、銃身を握りしめる。そして一人目の敵の剣を掻い潜って懐に飛び込むと、その脳天に銃把に取り付けられた鉄球を叩きつけた。
「あ……ひゅ……」
微かな最期の息をもらし、陥没した頭蓋からピュッピュッと血を吹き出す敵兵。
彼の手放した長剣を左手で掴み取り、二人目の兵士が振り下ろした白刃を受け止める。再び右手の中で銃を反転させ、その腹部に至近距離から弾丸を撃ち込んだ。
衝撃で倒れかけた二人目の顔面に、逆手に持ち替えた長剣を突き刺して仕留める。
「ふむ……」
背後に回り込んで強襲する三人目の剣を見もせずに避けながら、顧問官は顔を近づけて拳銃を眺めた。
鈍器として使用した際にわずかに歪みが生じ、それに気づかず発砲したため、衝撃で弾倉が外れかけている。
「やはりリボルバーは実戦に耐えないか」
呟きながら三人目に拳銃を投げつけ、怯んだところに逆手で握った長剣を叩きつけたあと刃を横に滑らせ、首を引き裂く。
「何としても貴様の首をとる!」
「死ねえ!!」
四人目、五人目は左右から同時にかかってきた。
顧問官は長剣を地面に落とし、丸腰になると、やはり散歩するような足取りで彼らに向かっていく。
「うわ?!」
「ぎゃああ!?」
刹那、敵兵たちの身体が宙を舞った。空中で反転し、為す術なく地面に叩きつけられる。衝撃で背骨がイカれたか、立ち上がることすらままならない。
その横をすたすたと通り過ぎ、顧問官は続く六人目、七人目の敵兵に向かって歩いていった。
「ひいっ!?」
「ぐあっ!」
後続の者たちもまた同様に、抵抗できずに宙を舞う。向かってくる相手の勢いをそのまま利用した柔術だが、そのあまりに無造作かつ無駄のない動作から、予測はもちろん、後から何が起きたか理解するのも至難であった。
実際、遠目に見ている狩人の目には、顧問官がただ散歩し、その周りで敵兵が勝手にすっ転んでいるようにしか見えない。
「あの野郎……何が『我々は終わりです』だ。一人で半分近く倒しやがって」
単独で動き、今や弾除けも持たない顧問官はクロスボウの格好の的であったが、この頃にはすでに周囲に味方の兵隊が布陣しており、射撃能力のある敵兵を優先して始末していた。
数で劣っていたはずの『隣の国』だが、今や勝利は確実である。
「……ん?」
装填を終えた狩人は、首を傾げた。何かを叩き壊すような、妙な物音が背後でしたからだ。
振り返ると、野営地を囲む木の柵の一部が崩れ、そこから数人の敵兵が侵入している。
両手剣や槍斧で武装しているが、とりわけ目を引いたのは、その奇抜な服装であった。縦縞模様の華美な衣装に全身を包んでおり、だぼついた上着や左右の足で色の異なるズボンなど、兵士というよりも道化師のようだ。
「行くな、猟犬」
近くで聞き覚えのある声が響く。
狩人が肩を見ると、予想通りそこには蝿が止まっていた。どうやら新しい一匹をわざわざ寄越したらしい。
「連中は強い。敵方の本命だ」
「近衛兵じゃなさそうだが?」
「かつてローマを裏切り、曇王と志を共にした傭兵たちだ。お前では敵わない」
「そうは言っても、放っとくと不味いだろ。見ろ」
狩人が指で示す方には、抵抗もむなしく地面に転がされ、その背中に剣を突き立てられる負傷兵たちの姿があった。死に物狂いで立ち向かおうとする彼らを、傭兵たちは嘲笑いながらいたぶっている。
「見捨てろ。心配しなくても、王子が殺されることはない」
「フッ」
『鏡』の返した言葉を、狩人は鼻で笑った。
それは馬鹿にするようでもあり、呆れるようでもあり、それでいて親しみも込めているような笑い方だった。
「『鏡』さんよ。あんた、悪魔か何かなんだろ?」
「その通り」
「人間は好きか?」
「……ああ」
『鏡』があっさり肯定すると、狩人は苦笑する。「ククク、そうか。じゃあ、今日で嫌いになれ」
「何だと?」
「俺たちは、あんたらが思ってるよりよっぽどドス黒いぜ。誰かを傷つけ、屈服させて、奪って、そうすることでしか生きられない。いや、そうやって生きることを選んだのが、俺たち人間だ」
狩人は撃鉄を指で起こすと、蝿に向かって囁いた。「答えが欲しかったんだろ? もう一度近くで見ておけ。これが人間だ」
「……!」
『鏡』の息を呑む音が微かに響く。狩人は猟銃を構え、荷車の陰から飛び出していった。
もうこの辺から真面目に白雪姫を書く気が失せているのが分かる。
何でポッと出のよく分からないおっさんの戦闘描写に丸々一話使ってるんだよ。