狩人は荷車の陰から飛び出し、猟銃の引き金を引いた。撃ち出された散弾は、負傷兵を踏みつけて遊んでいた傭兵の胸部に命中する。
彼は防弾性の高い胴当を着ていたが、被弾の衝撃はあばら骨を軽くへし折った。
「ぐあああっ!」
後ろにひっくり返り、苦痛にのたうち回る傭兵。「畜生! 誰だ!?」
狩人は松明の照らす明るみにその身を晒し、高らかに名乗り出る。「俺だ!」
「いや誰だよお前?!」
「尻からすげえ勢いで火を噴いてやがるぞ!?」
「意味が分からん! ぶっ殺せ!」
傭兵たちは口々に叫び、狩人に襲いかかった。
軽装で足の速い男が、槍斧を低く構えて一番に迫る。狩人はにやりと笑うと、男にくるりと背を向けた。
「ぶわっ?!!」
尻から噴き出す炎を受け、男は思わず仰け反った。黒い蝋燭の火で火傷を負うことはないが、彼らがそれを知る由もない。
隙を晒した槍斧の男に対し、狩人は銃床を大きく振りかぶり、その顔面に叩きつけた。
「……っ!」
男は鼻血を吹き出し、意識を手放しかけたが、寸手のところで持ちこたえる。
そしてとどめとばかりに振り下ろされた鉈を、槍斧の刃で難なく受け止めた。
「チッ」
舌を打ち、後ろに飛ぶ狩人。側面から迫っていた両手剣使いの鋭い一振りを、紙一重で躱す。
槍斧の男は息をつくと、折れ曲がった鼻を指でつまみ、無理やり元の位置に戻した。
「あいつ、なかなか使うぞ。気をつけろ」
「お前が油断したからだろ、間抜け」
「だって尻から火を噴いてるし……」
軽口を叩く傭兵たちに向け、狩人は片手で猟銃を構える。しかし眉をひそめると、素早く辺りを見渡した。
胸に被弾し地面に倒れていた傭兵が、いつの間にかいなくなっていたからだ。
乱暴に地を鳴らす足音を聞き取り、狩人は横に視線を移す。
その目線の先、壊れた天幕の陰から、あばらを砕かれた割には元気いっぱいな傭兵が踊り出た。曲刀を頭上で大きく振りかぶり、狩人に飛びかかる。「死ね!!」
「お前がな」
脳天めがけて振り下ろされた曲刀を、狩人は鉈で受け止めようとした。
しかしその刃は流れるように軌道を変え、鉈に絡みつくような弧を描いたかと思うと、真上に弾き上げる。
まずい、と狩人が察したときには、すでに白刃が目の前にあった。
「ぐっ……!」
曲刀は狩人の鼻先を掠め、袈裟斬りにその胸を斬り裂く。
勘か偶然か、彼は曲刀使いの傭兵と肉薄する際、半歩ほど左足を引き、身をよじれば致命傷をどうにか避けられる間合いを維持していた。
「くそっ」
悪態をつく狩人。胸の傷は深くはないが、プライドがズタズタである。剣術相手に不覚を取るのは初めての経験であった。
狩人はもう一度尻を向けて敵を炎で怯ませたあと、その胸部に後ろ蹴りを打ち込む。
折れたあばらが肺に刺さったか、曲刀使いは血の混じった咳を吐きながら、大きく後ろによろめいた。
狩人が猟銃の引き金を引こうとする刹那、彼らの間に槍斧の男が割って入る。男は半身を引き、正中線を守るように得物を縦に構えた。
放たれた弾丸は槍斧の分厚い刀身に弾かれ、火花を散らす。
「こりゃまずいな」
狩人は呟き、飛び退いた。背後から飛び込んできた両手剣使いの横薙ぎを躱すが、その刃は彼の膝をわずかに傷つける。
「こいつら全員、俺より強くないか?」
「……だからそう言っただろう」
呆れた『鏡』の声が耳元で響いた。
狩人は溜息を吐くと、肩口にしがみついてる蝿に向かって囁く。
「このままだと死んじゃうから、手を貸してくれないか?」
「悪魔の手を借りればお前の魂は死後、地獄に落ちることになるぞ」
じりじりと包囲の輪を狭めてくる傭兵たち。
狩人は『鏡』の言葉を頭の中で反芻した後、にやりと笑う。「元より天国に行けると思っちゃいないさ」
「……分かった。私が合図をしたら、暗がりに飛べ」
『鏡』の声に、狩人は小さく頷いた。
「命乞いなら、もっと大きな声で言ってくれないと聞こえねえぞぉ?」
血の咳を吐きながら、曲刀使いが残忍に笑う。
「気にするな。独り言だ」
狩人がこう返すと、曲刀使いは怒りに顔を歪めた。「舐めやがって。ぶっ殺してやる!」
彼は狩人に飛びかかろうとしたが、両手剣使いの男に片手で制される。
男はじろりと狩人を見つめ、静かな声で言った。
「お前、狩人だろう。 魔女の……王妃様の従者をやってるんだって?」
「従者はもうクビになった。今はただの狩人だ」
彼が肩をすくめて言うと、傭兵たちは沈黙し、互いに顔を見合わせる。
「……お前は生け捕りにしろと王妃様から命を受けてる。大人しく捕まってくれないか?」
槍斧を担いだ男の言葉に狩人は真顔になり、しかし次の瞬間、大口を開けて笑い飛ばした。
「はははっ、そうか! なら俺の命の心配はしなくていいんだな? 心置きなく、お前ら全員ぶち殺せるってわけだ」
「……」
槍斧の男は呆れ顔で狩人を見つめる。
隣の曲刀使いの男が鼻息荒く、一歩前に出た。
「抵抗するなら止む無しだぜ。殺される前に殺してやるよ」
「止めておくんだな。傭兵如きに、俺の命は取れんさ」
狩人の挑発に、曲刀使いは顔を真っ赤にする。
仲間の制止も聞かず、鋭い足捌きで一息に狩人との距離を詰め、その身体を袈裟斬りに斬り裂いた。
狩人の身体は肩口から脇腹まで斜めに裂け、ずるりと崩れ落ちる。
「……おかしいぜ。何だこの手応え?」
狩人の死体と刃を交互に見つめ、曲刀使いは戸惑いを口にした。真っ二つになった身体からは血が流れず、内臓がこぼれ落ちる様子もない。
「殺すなって言ったろ、馬鹿が」
仲間の非難の声も無視し、曲刀使いは死体に顔を近づけ、覗き見る。
そして突然悲鳴を上げると、後ろに飛び退いた。「ぎゃあああ!」
仲間たちも思わず後ずさる。死体の輪郭がぐにゃりと歪んだかと思うと、黒々とした蝿の大群へと姿を変えたのだ。
蝿たちは耳障りな羽音をたてて上空を旋回した後、四方八方に飛び去っていった。
「何なんだ何なんだ畜生! うんざりだぜこんな森はよぉ!!」
泣き喚いたあと、苦しげに吐血する曲刀使い。
槍斧の男は溜息を吐くと彼に歩み寄り、肩をポンと叩いた。「もう安静にしてろ。死んじまうぞ」
そのまま横を通り過ぎ、狩人の死体があった場所に近づいていく。
「……何だこれは?」
人の指を模した黒い蝋燭を拾い上げる槍斧の男。
その火は今にも消えそうなほどか細かったが、男が拾ってからしばらくすると、小ぶりながら強く燃え上がる。
「……?」
男が首を傾げた、そのとき。
彼の側頭部に弾丸が命中し、反対側から突き抜けて何処かへ飛んでいった。
「!!」
曲刀使いの顔から血の気が失せる。
膝から崩れ落ちる仲間に慌てて駆け寄って抱きとめたが、案の定即死であった。
彼の呆然とした顔が、見る見るうちに怒りでまだらな赤に染まる。「……あの野郎!!」
「伏せろ! 的にされるぞ!」
仲間の警告にも耳を貸さず、彼は弾丸が飛翔してきた方向へがむしゃらに走った。頭部への狙撃を避けるために低い姿勢を保っていたが、無防備同然である。
無慈悲な銃声が轟いた。
「があっ!?」
曲刀使いは泥の中に顔から突っ込んだ。
鉄靴が破損し踵の肉が裂け、骨が見えている。散弾を受けたのだ。
「畜生! 殺す! ぶっ殺してやる!!」
「伏せてろって言ってんだろうが! 俺がやる!」
両手剣使いは並び立つ天幕の陰から陰へ身を移し、狩人との距離を確実に詰める。彼は二回の銃声と微かな発砲光から、狩人の隠れた位置をほぼ正確に割り出していた。
「散弾を当てる距離だ。そう遠くには行っていない。すぐ近くだ。……例えばこことかな!」
立ち止まり、天幕の一つに剣を振り下ろす。それは抵抗なく真っ二つに裂け、中から狩人が転がるように飛び出した。
「悪いが生け捕りにするって話は無しだ。お前は危険すぎる。死んでもらうぜ!」
両手剣使いは肩に担ぐように得物を構え、狩人に襲いかかる。
しかし、その剣が振り下ろされることはなかった。何処からともなく飛んできた銀の槍が、その胴当を貫いたからだ。
「がはっ……?!」
わけも分からず吐血し、地面に膝をつく両手剣使い。狩人は振り返り、槍を投げたと思われる人物を睨みつけた。
煌々と燃える松明を背にしているため、顔はよく見えない。長身であることを強調するように、長く影が伸びている。
「お前、誰だ? 人の獲物に手を出しやがって」
「申し訳ない。つい手が滑ってしまいました」
近づいてきた見知らぬ男は、恭しく頭を下げた。
鍛え上げられた肉体を、白地に金の刺繍が施された騎士の装束に包んでいる。口髭を綺麗に整えた品の良い顔立ちの伊達男であった。
「手が滑った、だぁ……?」
凄む狩人に、槍の騎士は苦笑する。「失礼。実は王子に頼まれまして。貴方様に加勢するようにと」
「余計なお世話だ、クソ髭野郎」
「ほほっ、これは手厳しい」
口元に手を当てて上品に笑う槍の騎士。
狩人は振り返り、両手剣使いを見た。虚ろな目で膝をついたまま、浅い呼吸を繰り返している。
吐血する気力もないように見えた。銀の槍に胸の真ん中付近を貫かれ、地面に縫い止められている。
即死でないのが不思議なほどの致命傷だ。
「どいてろ。俺が殺す」
狩人は鉈を握りしめて近づこうとしたが、足元がふらつき、危うく転びかける。激しい動きで胸の傷からの出血が増したせいであった。
彼の横を槍の騎士が颯爽と過ぎ、瀕死の傭兵の前に立つ。手にはいつの間にか、柄が象牙で作られた白い剣が握られていた。
「それは劇薬だが、全ての病を癒すであろう」
詩句の一節のような言葉を囁き、騎士は剣を振り下ろす。その刃は一息に傭兵の首を落とし、絶命させた。
彼は得物を腰に納めると、神妙な面持ちで十字を切る。
「チッ」
狩人は舌を打ち、目を逸らした。そして、小さく息を呑む。
彼の目線の先には、派手な服で着飾った傭兵たちの死体が溢れていた。奇しくもそちらは、槍の騎士がやってきた方向と一致する。
「お前……あいつら、全部やったのか?」
「王子の身を狙っていたもので、致し方なく」
狩人は騎士を睨み、死体の山を睨み、もう一度騎士を睨みつけると、ぼそりと呟く。「『隣の国』の武官ってのは化け物しかいねえのか」
「お褒めの言葉として、有り難く頂戴します」
騎士はそう返し、優雅な動作で一礼した。
狩人たちは敵兵の死体を跨ぎつつ、野営地の中央付近まで歩いてきていた。
大きな灰色の天幕の傍らで、王子が負傷兵たちの手当てをしているのが見える。こちらの姿を認めると慌てて立ちあがり、駆け寄ってきた。
「狩人さん、ご無事でしたか! どこかお怪我は?」
「ない。おかげさまでな」
狩人は肩をすくめて答える。王子は彼の身体を上から下まで見た後、胸の傷に手を伸ばして言った。
「斬られたんですか? 手当てをした方が……」
「触るな。大丈夫だ」
「膝の傷は? 血が滲んでます」
「大丈夫だっつってんだろ」
狩人は王子の手を払いのける。「それより、あのウォル、ウォル……何だっけ。裏拳野郎はまだ戻らないのか?」
「サー・ウォルシンガムですか? 救援の狼煙を上げたので、すぐ来るとは思うんですけど」
王子の言葉に、槍の騎士が髭を手で弄りながら言った。何故か知らないが、ニヤついている。
「すぐかどうかは分かりませんよ? 足止めを食らっているかも」
「悠長に待ってる余裕はないぞ。じきここに魔女が来る。俺たち全員を皆殺しにするつもりらしい」
「おお、それは怖ろしいですな」
槍の騎士はわざとらしく身体を震わせた。
狩人は彼のふざけた態度が気に入らず、苛立たしげに顔をしかめる。
「ずいぶん余裕そうだが、あんた、王子を守り切る自信はあるのか?」
「さあ、どうでしょうな。私は魔女退治は専門外なので、確かなことは言えません」
槍の騎士は心許ないことを堂々と言い切った。
狩人は呆れた表情で溜息を吐く。
「お前らって人に希望を持たせる言葉を吐けない呪いにでもかかってるのか? そこは無難に『命をかけてお守りいたします』でいいだろ」
「もちろん、そのつもりですとも。この命に代えても」
槍の騎士は片方の眉を上げた。「というより、王子に何かあると私の首も危ないのです。宮廷社会に味方が少ないものでね」
「だろうな」
狩人はズボンの尻ポケットに手をやる。そして忌々しげに舌を打った。「ちっ。あの蝋燭、無くしちまった」
「これのことですかな?」
槍の騎士が懐に手をやり、黒い蝋燭を取り出した。大きくはないが、煌々とした火が灯っている。
「興味深い品だったので、拾っておりました。お返ししましょう」
「助かったぜ」
狩人は尻のポケットに蝋燭を収めた。「俺の尻から火が出たら、魔女が近くにいる証拠だからな」
彼の言葉に、王子と槍の騎士は顔を見合わせる。
王子は少し躊躇ったあと、小さい声で言った。「その……もう出てます」
「マジ? 」
「はい」
「火力はどれぐらいだ?」
狩人は身をよじって自分の尻を見ようとするが、背中の銃が邪魔で上手くいかない。じれったくなってポケットから取り出し、手の平に乗せる。
「さっきよりもだいぶ大きいな」
「近くに来てると思いますか?」
「うーん……たぶん」
狩人が顎に手を当てて考え込んだ、そのとき。
先ほどまで沈黙していた肩口の蝿が、不意に言葉を発する。「正解だ、猟犬。王妃様が現れた」
「……何処だ?」
「野営地の北東側。お前が傭兵たちと戦っていた場所だ」
「……」
狩人は無言で虚空を見つめた。その鋭い目に、燃えるような光が満ちる。
肩紐を引っ張り、猟銃を素早く背中から下ろした。紙の薬莢を口にくわえて引きちぎり、銃口に火薬を流し込む。二つの銃身の両方ともに、銀の弾丸を詰め込んだ。
「おい、髭野郎。王子を任せていいな?」
「構いませんが、貴方はどちらへ?」
「済ませなきゃならん用事がある」
「お手洗いですかな?」
槍の騎士の言葉を無視し、狩人は来た道を獣のような速さで駆け戻っていく。
「待ってください! 一人で戦ってはいけません! 戻って!!」
見る見るうちに遠ざかっていく彼の背に向かって王子は必死に叫んだが、その足が止まることはなかった。