GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅣ 愛

 

 黒雲はいつの間にか消え、空は陰鬱な鉛色に満ちていた。雨足は先ほどより弱まったが、未だに止む気配がない。

 

傭兵たちの死体で溢れる道まで戻って来たとき、蝋燭の火はやや激しさを増した。

狩人は天幕の陰に身を滑らせると、慎重に辺りの様子を窺う。黒い蝋燭は、再び尻ポケットに収めた。

 

「私はここまでだ、猟犬。お前と一緒にいるところを、王妃様に見られるわけにはいかない」

 

『鏡』の声が響き、肩口にしがみついていた蝿が何処かへと飛んでいく。狩人は無言でそれを見送ったあと、猟銃の撃鉄を起こした。

泥濘んだ地面の上を不気味な青白い霧が流れている。生者から精気を奪い尽くすような、無慈悲な冷たさに満ちていた。

 

「……!」

 

周囲を見渡していた狩人の視線がぴたりと止まる。彼の目は、一人の傭兵の死体に釘付けになっていた。

 

「あいつは……」

 

魔女の気配の有無を確認してから、狩人は天幕の陰から抜け出す。

胴当の胸部と片足の鉄靴が散弾により破損した、傭兵の死体だ。手には得物である曲刀が握りしめられている。

 

「この曲刀使い……そういやとどめを刺してなかったな。すっかり忘れてた」

 

狩人は慎重に死体に近づき、死因を調べるべく覗き込む。そして訝しげに眉をひそめた。

曲刀使いの肌は干からび、土気色に染まっていたからだ。目は落ちくぼみ、歯のほとんどは抜け落ちてしまっている。

 

「……」

 

狩人は片手を顎にやり、考え込んだ。こういう死に方をした男を、以前に何処かで見た気がしたからだ。

耳元で柔らかな声が響く。

 

「もしかして貴方の友達だった?」

 

「……!!」

 

狩人は背後に飛び退き、猟銃を構えた。

青白い霧を纏った魔女が、すぐそこに立っている。

狩人の目は血走り、引き金にかかる指にも力がこもった。「クソ野郎……!」

 

魔女はわずかに顔をしかめ、呆れたように首を振る。

「言葉遣いはもう注意しないわ。好きにしなさい。男の子って、汚い罵りを使いたがるのよね」

 

「よくも雑魚どもを大量に寄越してくれたな。おかげさまで肩ならしは万全だぜ。覚悟しな」

 

狩人は猛犬のように牙を剥いた。

魔女はその顔を面白そうに眺めていたが、不意に口元を歪めて叫ぶ。「お尻から火が出てるわよ!? ちょっとやだ、何なのそれ!」

 

「これから死ぬお前には関係ない」

 

「いや確かに関係ないけど! やめなさいよ、みっともない!」

 

「……別にいいだろ」

 

「よくないわよ! 他の人に注意されないの? どうせウケでも狙ってるんでしょ! すべってるから! やめなさい今すぐ! ホンットいい歳していつまでも子どもみたいなんだから!」

 

「そこまで言うことないだろ……」

 

狩人は渋々ポケットから蝋燭を取り出し、その辺に投げ捨てた。

 

「それでいいのよ」

 

魔女は俯き、眉間の皺を指で伸ばす。

 

「……で、何の話だったかしら」

 

「俺の肩ならしが万全だから、覚悟しろって話だ」

 

「そう、そこまで言ってたわね」

 

若干小さくなった狩人の声に、魔女はうんうんと頷いた。

次の瞬間、地面に青白い火花を残し、魔女の姿が消える。銃声に似た、火薬が爆ぜるような音が辺りに反響した。

 

「……?!」

 

狩人は目を見開き、左右に視線を走らせる。

わずかな痕跡も逃すまいと全神経を五感に注いだが、無駄であった。

 

「ぐ……あっ……!」

 

気づいたときには既に遅い。彼の首に、魔女の細長い指が食い込んでいた。

狩人は掠れた悲鳴を上げながらも、猟銃を向けようと腕を動かす。しかし魔女が軽く拳を振ると、呆気なく弾き落とされた。

彼女は狩人を片手で軽々と持ち上げ、顔を近づけて囁く。「滑稽を通り越して呆れるわ。貴方のその自惚れにはね」

 

「……!」

 

狩人は歯を食いしばり、首に力を込めた。

僅かながらも気道を確保し、腹に力を込めて蹴りを打ち込むが、まるで効いている様子がない。

魔女はフンと鼻を鳴らし、狩人を睨みつける。黒いヴェールの奥の菫色の瞳を、退屈そうに細めた。

 

「まるで力が入ってないわよ。傭兵どもにずいぶん痛めつけられたみたいね? よくも肩ならしは万全、だなんて強がりが言えたものだわ」

 

「……っ!」

 

狩人は魔女の指を引き剥がそうともがくが、それは吸い付いたように離れない。身体の芯から熱を奪うような、嫌な冷たさを帯びていた。

 

「もう分かったはずよ。腕が立つといっても、貴方はしょせん狩人。骨の髄まで人殺しの技を染み込ませた傭兵や騎士とは違う。ましてや魔の者の手口を知り尽くした魔女狩りでもないわ」

 

「……!」

 

魔女はさらに狩人に顔を近づける。

鼻先が触れ合い、吐息がかかるような距離だ。実際、彼女の息が頬にかかるが、ぞっとするような冷たさだった。

 

「貴方はただの人間なの。物語の英雄にも、悪役にも成れはしない。出しゃばれば死ぬだけの端役よ。……もちろん、銃が強いのは認める。けど本気で私を殺そうと思うなら、私に気づかれる前に私に気づかなきゃダメでしょ。化け物に真正面から挑むなんて、無謀な愚か者のすることよ。勝つなら不意打ちしかない。それぐらい分かるわよね?」

 

「…………」

 

狩人は腕をだらりと下げ、抵抗を止めた。こうも正論をまくしたてられては、ぐうの音も出ない。敗北を認めねばならないだろう。

 

「殺せ」

 

絞り出すような狩人の言葉に、魔女は眉間に皺を寄せた。「嫌よ」

 

「何故だ。皆殺しにするつもりで来たんだろ。ならまず真っ先に……俺を殺せ」

 

「散々生意気な口を叩いた罰よ。楽に殺したらつまらないでしょ?」

 

冷ややかな笑みを浮かべ、魔女は狩人から手を離した。彼は膝から崩れ落ち、苦しげに咳き込む。

魔女は口元に冷笑を貼り付けたまま、狩人を見下ろした。

 

「もう一度チャンスをあげるわ。私に今一度、服従を誓いなさい。そうすれば命だけは助けてあげる」

 

「どうやら思っていた以上に慈悲深いお方のようだ」

 

「!」

 

聞き慣れない声に、魔女は驚いて顔を上げる。

髭の形を指で整えながら、ゆったりとした足取りで槍の騎士が現れた。

魔女は目を細め、見知らぬ男を睨みつける。「……だれ?」

 

「サー・ローリーと申します。『隣の国』のしがない宮仕えです」

 

恭しく頭を下げる槍の騎士。「貴方様のお命を頂戴しに参りました」

 

「そう。つまり死にたいってことね」

 

魔女は溜息をつくと、どうでもよさそうに片手を振った。「片付けなさい」

 

「気をつけろ!」

 

狩人の警告に、槍の騎士は鋭い笑みを見せた。

いつの間にか背後に立っていた『曇王』の不意打ちを、軽やかな身のこなしで回避する。振り下ろされた両手剣は地面を割り、直線上の天幕を吹き飛ばした。

 

「これはこれはヴァルデック公。お初にお目にかかる」

 

特に慌てる様子もなく、優雅に腰を折る槍の騎士。「しかしながら、ひどい顔色ですな。体調が優れぬときは、無理をなさらぬ方がいい」

 

「そいつは死人だ、間抜け」

 

狩人の言葉に、槍の騎士はフフッと笑みを洩らす。「存じております。わざと言いました」

 

「……真っ二つになって死んでりゃ良かったのに」

 

狩人が呟くと、槍の騎士は苦笑した。「どうやら私の味方は一人もいないらしい。窮地ですな」

 

「下がって王子を守ってろ。あんたの役目だろうが」

 

「いいえ、私の役目は王子の命に従うこと。そしてこれが、王子の下した命です」

 

言うや否や、槍の騎士は槍を逆手に持ち替え、背後に立つ魔女めがけて無造作に突く。

視線は曇王に向けたままの予期せぬ攻撃であったため、彼女の反応は遅れた。

 

「ッ!」

 

青白い火花とともに魔女の姿が消え、後方の地面に軽やかに降り立つ。その足元に、二つに裂けた黒いヴェールがひらりと落ちた。

 

「この……!」

 

素顔を晒された魔女は、怒りに表情を歪める。

騎士にその気があれば、ヴェールもろとも頭蓋を割られていただろう。鋭く正確な槍捌きから、彼女は否応なしにそれを感じていた。

 

「なんと美しい」

 

槍の騎士は溜息をつき、顕わとなった魔女の美貌を讃える。「貴女こそ、このしみったれた森に咲く幻の青い薔薇。嗚呼、その艶やかな水色の唇に、一晩中愛を囁かれたい」

 

「何言ってるのコイツ。気持ち悪いんだけど」

 

魔女は不愉快そうに狩人を見るが、彼も困り顔で肩をすくめる。「俺もよく知らない」

 

「友達は選んだ方がいいって前に言わなかったかしら。あの可愛い王子様はいいけど、こいつは生理的に受け付けないわ。やめときなさい」

 

「……だ、そうだ」

 

二人のやり取りなどまるで聞いていないらしく、槍の騎士は懐から一輪の薔薇を取り出す。「これは私の愛の証明。どうかお受け取りください」

 

「そんなの入れる余裕があるなら、拳銃でもしまっとけよ……」

 

狩人のもっともな言葉も無視し、槍の騎士は薔薇を差し出しつつ、魔女にじりじりとにじり寄った。

彼女はうざったそうに鼻を鳴らすと、曇王に顔を向ける。「何ぼうっと見てるのよ! 片付けなさいって言ったでしょう?!」

 

魔女のわめき声を聞き、曇王が動き出した。爆発するような勢いで地を蹴り、槍の騎士に肉薄する。

 

「おおっ、死してなおその膂力! さすがは曇王! おまけにこの速さ! 惚れてしまいそうですな!」

 

縦横無尽に振り回される両手剣を躱しながら、槍の騎士は感嘆の声を上げた。

不意を突かれて懐に潜られたためか、体勢を立て直す余裕がない。満足に得物を構える暇もなく、ただひたすらに長大な刃を避け続ける。

口だけはよく回っているが、この様子だと長くは保ちそうにない。なにせ片手に槍、もう片方の手には、まだ薔薇の花を大事そうに持っているのだ。

 

「どうしてあんな馬鹿の世話を焼かなきゃならん。貧乏くじだぜ」

 

狩人は地面に落ちた猟銃を拾おうとするが、その腕に冷たい何かが触れる。それは透明で鋭い、薄氷の刃だった。

 

「助太刀は許さないわよ。分かってるでしょう?」

 

氷の長剣を握る魔女が冷酷な声で言った。狩人は舌を打ち、彼女を睨みつける。

 

「許されなくてもやると言ったら? 俺を殺してくれるのか?」

 

「……私の忍耐を試しているのかしら。だとしたら賢明とは言えないわね」

 

魔女は氷の刃を狩人の首にあてがった。冷たい死の気配にも狩人は動じず、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。

 

「やれよ。殺せ」

 

魔女の厳しい目つきが一瞬揺らぎ、哀しげに彼を見つめ返した、そのとき。

 

「狩人さんから離れろ!!」

 

声変わりもまだであろう、甲高い少年の声が響きわたる。天幕の陰から飛び出した王子の握る細剣が、氷の剣を叩き落とした。その刀身は銀の軌跡を描きながら、すくい上げるようにして魔女の首を狙う。

 

「……!」

 

狩人は息を呑んだ。身体を反らして剣を回避した魔女の頬に、一筋の傷が走ったのが見えたからだ。

 

「やああっ!」

 

続けざまに繰り出される鋭い突きを、魔女は青い火花を地に残し、高速移動で回避する。

 

「ご無事ですか?」

 

「馬鹿野郎! どうして来たんだ?!」

 

狩人が怒鳴りつけると、王子は口をつぐんだ。

代わりに側にやって来た槍の騎士が答える。「私の提案です、狩人様」

 

「テメエ、何考えてやがる!」

 

狩人の鋭い眼光にも怯まず、槍の騎士は微笑んだ。「おそらく貴方より、はるかに多くのことを」

 

「……喧嘩売ってんのか?」

 

怒りより、疑問や戸惑いを含んだ声を出す狩人。

槍の騎士はフフンと鼻を鳴らし、手に持っていた薔薇を大事そうにしまうと、曇王に視線を向ける。彼は魔女を庇うように前に立ち、狩人たちを見つめていた。

 

「ここまでは概ね想定内です。ここから先は、おそらく王子の覚悟の強さが問われるでしょう。よろしいですかな?」

 

騎士の問いに、彼は無言で頷く。死人となった曇王を見やり、悲しげに目を細めた。

しかしやがては表情を引き締め、細剣を胸の前に掲げると、十字を切る。「『Honi soit qui mal y pense(悪意を抱く者に災いあれ)』」

 

「結構。では、踊りましょうか」

 

槍の騎士はウインクすると、前方に力強く踏み込んだ。地面を蹴ろうと足に力を込める曇王めがけて槍を投げ放ち、出鼻を挫く。

間髪入れずに足元に落ちていた見覚えのある槍斧を蹴り上げ掴み取ると、臆さず悠然と向かっていった。

 

「端役が出しゃばりすぎよ。いい加減退場なさい!」

 

魔女は霧と冷気を頭上に集め、再び氷の長剣を生み出す。そして腕を素早く振り上げ掴み取ると、勢いそのままに上段から槍の騎士に斬りかかった。

 

「僕たちが彼らを抑えます。貴方はここから銃で援護を」

 

「待て、行くな! 死ぬかもしれないんだぞ。分かってるのか!?」

 

狩人は王子の肩を掴んで引き留める。彼は困り顔で足を止めたが、やがて振り返り、微笑んで見せた。「サー・ウォルシンガムの戦いは見ましたか?」

 

「あ? ああ……」

 

狩人が頷くと、王子はにっこりと笑う。「それなら安心してください。僕はあの方に、剣で負けたことがない」

 

「……!」

 

呆気に取られた狩人を尻目に、王子は走り出した。狩人はしばらく口を開けていたがやがて閉じ、猟銃を構える。あの少年に顧問官を上回る実力があるとは思えなかったが、『鏡』の未来の話が本当なら、少なくともここで死ぬことはないはずだ。今はうだうだ迷うより撃つ。

 

「はあっ!」

 

気合いの声とともに、王子は曇王に斬りかかる。

体格は小さく、武器もそれに合わせてやや短かいため、リーチの面だけ見ても明らかに不利だ。しかしそれを補う要素が、彼の立ち回りにはあった。

曇王の剣筋を一目で見切り、最小の動作で躱すと、巧みな足捌きと突きの連打で果敢に攻め立てる。

あるときは曇王が剣を振る前からその攻撃範囲を予測して身を引き、刃が過ぎたと同時に懐に鋭く踏み込む。

またあるときはその剣先と腕をばねのようにぎゅっと引いて大きく後退したと誤認させ、距離を詰めてきた敵に牽制の突きを放つ。

やたらと剣を打ち合わせず、理論を重視し突きを多用する戦法は、貴族の間で流行っているという決闘剣術由来のものだろう。

剣技に限って言えば、確かにウォルシンガムを上回るかもしれない。彼の剣術はそれだけ練度が高く、洗練されている。ましてや今は、決闘剣術が真価を発揮する一対一の状況であった。

相手が子どものせいか、曇王の剣は先ほどよりも攻め気に欠ける。そのせいもあるが、現状王子は剣の技量のみで曇王を抑え込んでいた。

 

「王子、勝負を急ぎませぬよう! 私が行くまでお待ちください!」

 

槍の騎士は槍斧を巧みに操り、魔女の氷の剣と打ち合う。そして隙を見ては、王子と曇王の戦いに文字通りの横槍を入れていた。

だが王子の軽快な突きも騎士の槍斧も、決定打にはならない。曇王の纏った重厚な甲冑は、剣はもちろん斧でも破壊できるか怪しい頑丈な代物だった。

王子は手足の関節にある隙間や剥き出しの頭部を果敢に狙うが、素直に弱点を攻撃させるほど曇王は甘くない。鋭い攻撃は剣で防ぎ、そうでないものは分厚い装甲部分で受け止めている。

 

「舐められたものね。その余裕そうな笑み。引き裂いてやりたくなるわ」

 

異国の舞踏を思わせる、軽やかな舞いとともに繰り出される氷の長剣。騎士は槍斧を片手でくるりと回して彼女の攻撃をいなしつつ、空いた手を懐に入れる。

 

「まだ貴女様への贈り物を渡せておりませんでしたな」

 

「気持ち悪いって言ってるでしょ。他を当たりなさい」

 

「いいえ、是が非でも貴女に受け取っていただく」

 

言うや否や、槍の騎士は大きく身を捻って突きを躱すと、薄氷の刃めがけて槍斧を振り下ろし、粉々に破壊した。

 

「!」

 

魔女は目を見開く。槍の騎士は悪戯っぽく笑うと槍斧を手放し、取り出した薔薇を魔女の眼前に放り投げた。

そして彼女の手に捕まるより先に、腰に納めた白柄の剣を天に掲げるように一閃する。

 

「ッ!!」

 

空中で真っ二つに裂けた薔薇から、真紅の花びらが散った。同時に砕けた氷の破片が風に流れる。赤と白銀の華のコントラストが煌めき、それらは互いを慈しむように宙を舞った。

 

「お気に召しましたかな?」

 

片腕を斬り落とされ、膝をつく魔女。

人外である彼女は血の流れをある程度操れるため、出血はほとんどない。だが肉体の損傷が衰弱に繋がる点は、普通の人間と変わりなかった。

彼女の傍らで、槍の騎士は剣を静かに鞘に納める。

 

「ご安心を。ただの鉄の剣です。しかしながらそれほどの重傷は、すぐには治せますまい」

 

「……!」

 

「しばしお待ちを。マドモアゼル」

 

槍の騎士は優しい声で言うと、槍斧を拾い上げ、曇王に向かって駆けていく。「王子! ご無事ですかな?」

 

「まだ、なんとか……!」

 

王子は荒い息を吐きながら言った。

魔女が膝をついてから、曇王の剣圧が明らかに増している。元より物理を超える膂力の持ち主。ひとたび力押しに転じれば、抑え込める者などそうはいまい。

その剣が地を走れば土砂を巻き上げ、空を裂けば風の刃が伸びる。たとえその剣筋を見切って完璧に躱しても、もはや無傷では済まなかった。風圧で飛ばされた礫から逃れるため、王子は大きく飛び退いて槍の騎士の隣に並ぶ。

 

「挟撃を!」

 

「喜んで」

 

王子の一声に、槍の騎士は会釈した。さながら竜巻のように猛々しく迫る曇王を、二人は左右から迎え撃つ。

もはや虚ろではない曇王の爛々とした瞳が、彼らをはっきり捉えた。

 

「やっと射線が空いたぜ。お前らびゅんびゅん動きすぎなんだよ」

 

狩人の疲れた声が響く。と同時に、一発の銃声が轟いた。銀の弾丸が王子と騎士の間を抜け、曇王の胸部に命中する。

 

「騎士やら英雄やらがお役御免になった理由を教えてやる約束だったよな。単純さ。銃が戦場に現れたからだ。剣も弓もろくに扱えない間抜けでも、銃を持たせて数さえ揃えば、お前ら化け物を殺せる」

 

弾丸は胸の真ん中、心臓付近を射抜き、背中から貫通した。鉛弾と比較して銀の弾は過剰と呼べるほどの貫通力を持っている。

表情こそ変えなかったが、曇王は動きを止め、前のめりにぐらついた。

 

「今です!」

 

槍の騎士の声に、王子は前方へと飛び出す。

短く息を吐くと、柔軟かつ鋭い踏み込みとともに細剣を繰り出した。曇王の右手首、両膝、眉間の四点に、瞬きも許さぬ刹那の突きが打ち込まれる。

彼が咄嗟に身を反らしたため眉間の傷は浅いが、それ以外の三カ所が銀の刃に穿たれ、腐敗した黒い血と煙が吹き出した。死肉の焼ける、むせ返るような臭いが辺りに漂う。

 

「止まってください、ヴァルデック王」

 

曇王の懐の中で、懇願するように王子が語りかけた。その言葉に、彼の瞳から猛りが消える。

しかしそれは一瞬のことで、すぐに闘争の色を取り戻し、王子の首ねっこを掴んで遠くに放り投げた。

 

「わああっ?!」

 

間抜けな声を上げながら宙を舞い、泥の上を転がる王子。曇王は左手に剣を持ち替え、槍の騎士を見据えた。背後には、未だ膝をついたままの魔女がいる。

 

「『死んでも行かせぬ』と言いたげですな。しかし残念ながら、貴公はもう死んでいる」

 

槍の騎士は鉄靴で土の中を探り、泥に潜んでいた銀の槍を高々と蹴り上げる。それを左手で掴み取ると、右手の槍斧と合わせて構えを取った。

 

「思い出させて差し上げよう。我が槍で。冷たい死を」

 

「どけ!」

 

突然飛び出してきた狩人が、騎士の後頭部を銃床で殴りつける。

 

「はぁんっ!?」

 

やけに甲高い悲鳴を上げ、槍の騎士は泥濘に頭から突っ込んだ。狩人は低く地を蹴り、獣のような速さで曇王に肉薄する。

 

「俺を見ろ、クソ野郎!」

 

曇王は驚いたように狩人を見つめていたが、やがて両手剣を左手で構え、迎え撃つ。間合いに入った狩人めがけて横薙ぎに振るうが、彼は凄まじい脚力で飛び上がり、これを躱す。

 

「ウオォッ!!」

 

獣の咆哮にも似た叫びとともに、狩人は頭上から曇王に襲いかかった。

曇王は素早く斬り返そうとするが、聖銀に焼かれた両膝が言うことを聞かず、体勢が戻せない。

狩人は曇王に組み付き地面に押し倒すと、その口に銃口を押し込み、引き金を引いた。銀の弾丸は喉を貫き、脳幹を破壊する。

曇王は声も上げずに空を仰ぎ、それきり動かなくなった。虚ろな瞳が、灰色の空を見ている。

 

「どいつもこいつも、人を舐め腐りやがって……」

 

狩人は曇王に唾を吐くと、腰の後ろに留めた大振りの鉈を引き抜く。

 

「これでお望み通り、得体の知れない脇役どもはご退場だ。あとは、あんたと俺だけだな」

 

魔女は呆然と曇王の死体を見下ろしていた。

切り落とされたはずの片腕はすでに繋がっていたが、感覚はまだ戻らないらしく、肩からだらりとぶら下がったままだ。乱れた前髪の間から覗く菫色の瞳が、狩人の姿を静かに映す。

 

「このときを待ってたぜ。ぶっ殺してやる。できるだけ苦しめてな」

 

狩人は歯を剥き出し、獰猛に笑った。

魔女はぼんやりと狩人を見つめていたが、やがて彼女の周囲に青白い霧が集って渦巻き、その姿を覆い隠す。

 

「テメエ……逃げる気か? ふざけるな!!」

 

全身に満ちた怒りを吐き出すように吼える狩人。「逃がすもんか。お前は俺の獲物だ! 俺の……!!」

 

魔女の周囲だけでなく、辺り一面の霧が深く、濃くなっていく。狩人は歯ぎしりしながら視線を彷徨わせていたが、ふと気配を感じ、鉈を振るった。

横から音もなく迫ってきていた魔女の肩に、分厚い刃を突き立てる。しかし彼女の勢いは止まらず、そのまま狩人の懐に飛び込んだ。

殺られた。狩人の脳裏に死がよぎったのも束の間、気がつけば彼は、魔女に優しく抱きしめられていた。

 

「!?」

 

狩人は目を見開いた。精気や熱を奪われるような感覚はない。むしろ彼女の肌は温かく、身体の芯から暖められる心地がした。そこに敵はおらず、危険など何もない。目を閉じれば微睡みに誘われるような、安心だけがあった。

 

「何のつもりだ! 離せ!」

 

狩人は安心できずに暴れたが、魔女は彼を抱きしめたまま離さない。無言でその胸に額を当てていたが、遠くから距離を詰めてくる聖銀の気配を察し、そっと離れた。透き通った菫色の瞳が、彼の顔を見つめている。

その姿は霞のようにおぼろげとなっていき、いつの間にか消えていた。

 

「狩人さん!」

 

鈍く銀色に輝く細剣を携え、王子が早足に駆けてくる。「何かされましたか? お怪我は?」

 

「ない。たぶん」

 

狩人の返答に、彼はほっと息をついた。しかし狩人の顔をじっと見つめ、はっと表情を変える。「狩人さん……」

 

「?」

 

狩人は首を傾げたが、やがて気付いた。頬に温かい何かを感じる。指で拭うと、微かに湿った。

 

「……涙」

 

王子の呟きに、狩人は適当に頷く。「ああ、目にゴミでも入ったんだろ。何かおかしいか?」

 

「いえ……」

 

王子は言い淀み、狩人から顔を逸らした。

驚いているような、悲しんでいるような、何か言いたげであり、言いたくないようでもある、微妙な顔をしている。

 

「何だよ」

 

「い、いえ」

 

「何か言いたいことがあるんなら言えよ」

 

「い、いいえ……!」

 

狩人が顔を近付けるごとに、王子の身体が縮こまっていく。

 

「愛ですな」

 

霧の向こうから槍の騎士が現れた。泥だらけの顔を、白いハンカチでしきりに拭いている。

 

「お前は何を言ってるんだ?」

 

狩人の問いに、ようやく顔を綺麗にした槍の騎士は口髭の形を整えたあと、チッチッチ、と舌を鳴らした。「とぼけるのはおよしなさい」

 

「……ああ?」

 

「お分かりのはず。世の中は愛で回っているのです。全ては愛」

 

騎士はハンカチを宙に放り、両腕を広げて空を仰ぐ。透き通るようなテノールで、唐突に歌い出した。「ラララ、愛~♪ それは愛~♪ それは無償の……!」

 

「うるせえよ」

 

狩人は彼の顔面に銃床を叩きつける。

 

「あひぃん!!」

 

生娘のような悲鳴を上げ、騎士は頭から泥濘に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

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