GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅥ 硝子の棺

 

 狩人は重い身体を引きずり、丸一日かけて小人たちの家まで辿り着いた。空には薄い雲がかかり、淡い日差しが花畑に注いでいる。

 

彼は扉に手をかけたがふと思い直し、ブーツの泥や上着の汚れを払った。余計な勘繰りや同情をされない程度に身だしなみを整え、最後に息を落ち着けると扉を開ける。

 

居間に揃っていた小人たちが、一斉に振り返って狩人を見た。

皆一様に顔色が悪く、目の下には濃いくまができている。珍しいことに『寝ぼすけ』はしっかり起きているし、『くしゃみ』の鼻も静かだ。

彼らの中から『先生』が進み出て、狩人に頭を下げる。「旦那様」

 

「どうしたんだお前ら、雁首揃えて。腐った人間どもを根絶やしにする計画でも練ってたのか?」

 

何だかよく分からない冗談を口にする狩人。

白髪の小人は視線を落とし、沈んだ声で答える。「恐れていたことが起きてしまったのです」

 

「お前らみたいな能天気が、一体何を恐れるって言うんだ?」

 

狩人の言葉に、『先生』は口をつぐんだ。

壁に背を預け、浴びるように酒を飲む『怒りんぼう』が代わりに言い返す。

 

「能天気さなら、旦那もなかなかのもんだぜ」

 

「何だと? お前……」

 

『怒りんぼう』を睨みつけた狩人だったが、ふとしたことに気づき、眉をひそめる。

 

「斧はどうした? いつも馬鹿みたいに持ち歩いてるじゃないか」

 

「用心のために肌身離さず身につけていたのさ。だが今はもう、その必要もない」

 

「それはどういう……」

 

言いかけて、ようやく狩人にも思い至った。

彼らの言う『恐れていたこと』に。

 

「……白雪姫は何処だ?」

 

『怒りんぼう』は何も言わず、黙って酒瓶を呷った。寄り集まっていた他の小人たちが、道を空けるように脇に退く。

 

部屋の中央に置かれた硝子の棺に、白雪姫が納められていた。庭で摘んだのであろう、色とりどりの花に包まれ、その顔は眠っているように穏やかである。

 

「……死んでるのか?」

 

訊きながら、狩人は自分の冷静さに内心驚いていた。彼女の死には、もっと様々な感情が伴うものだと思っていたからだ。

 

「毒のりんごを食べさせられてしまったのです。様々な方法で蘇生を試みましたが、無駄でした」

 

『先生』の言葉に、狩人が頷く。事実として受け入れても、やはりそれほどの動揺はない。あの野営地で勇敢な兵士や仲間想いの傭兵たちを殺したときの方が、まだ気分が悪かった。

 

子どもが殺されたというのに何の感傷もない。

やはり自分はクズなのだ。その事実に心の底から安堵していた。

 

「あんたがそう言うんなら、まあそうなんだろうな」

 

「クソったれが!!」

 

突然『怒りんぼう』が怒鳴り、酒瓶を床に叩きつける。他の小人たちが怯えるなか、『先生』は白く濁った瞳で彼を睨んだ。

 

「抑えなさい、『怒りんぼう』」

 

「抑えるだと? 冗談じゃねえ!! 復讐だ! 俺はあの女を殺しに行く! 場所はもう割れてんだ! 止められるもんなら止めてみやがれ!!」

 

『怒りんぼう』は床を踏み抜くような勢いで足を運び、『先生』の横を通り過ぎる。

そのとき、微かな銀色の軌跡が一瞬だけ煌めいた。

 

「……っ」

 

糸が切れたように『怒りんぼう』の身体が床に崩れ、ピクリとも動かなくなる。

狩人はしばらく呆気に取られたあと、彼の元に駆け寄った。「おい、大丈夫か?」

 

「気絶させただけです。望み通りに」

 

『先生』は静かに言うと、両手で握っていた白木の杖を地面に突いた。

小人たちの方へ振り返り、少し大きな声を出す。「ベッドへ運んでやりなさい」

 

彼らは慌てて『怒りんぼう』に走り寄り、三人がかりで持ち上げる。

狩人が少し気の引けた様子で『先生』に訊ねた。「あんたって、もしかしてけっこう強いのか?」

 

「まさか。ただの死にかけの年寄りです」

 

「その杖に何か仕込んでるだろ?」

 

「ただの杖ですよ」

 

『先生』はあくまですっとぼける。顎を上げ、鼻をひくつかせると、悲しげに眉尻を下げた。

 

「その服は着替えた方がいい。胸の傷も手当てが必要でしょう」

 

「いらん」

 

狩人はそう言ってから舌を打つ。「あんたに隠し事はできないらしいな。おまけにあんたの考えは、こっちには読めないと来たもんだ」

 

「私に隠し事などありません」

 

「どうだかな」

 

狩人は投げやりに呟くと、硝子の棺に静かに歩み寄る。『先生』の許可を得てから棺の蓋を開け、白雪姫の顔を間近で見た。

 

肌は雪のように白く、頬は桃色で、唇は艶めいて赤い。閉じた瞼は長く繊細な睫毛に縁取られている。頬に触れると、しっとりと柔らかいままだった。

生前の可憐さをそのまま保ち、本当にただ眠っているようにしか見えない。

 

「防腐処理でもしたのか?」

 

「いいえ。彼女の生命力は、本当に父親譲りのようです。死してなお、その健やかさを保持している」

 

「異常な生命力だったから、死んでても生きてるように見えるってことか?」

 

「はい」

 

「……いや、そうはならんだろ」

 

「しかし、現になっております」

 

「あー、分かったよ。百歩譲って、納得してやる」

 

狩人は白雪姫の手首を取って、脈を確かめた。次に胸に耳を当て、心臓の鼓動を聴く。

最後に瞼を指で開き、瞳孔を見てから呟いた。「……マジで死んでるな」

 

「はい」

 

「その『毒りんご』とやらも見せてもらえるか? どうせ取っといてるんだろ」

 

『先生』は無言で地下室に降りると、かじりかけの真っ赤なりんごを持ってきた。

狩人はそれを受け取り、まじまじと近くで見る。

 

「……一口がでけえな」

 

「まあ、そうですね」

 

狩人はりんごの欠片を舌先に乗せると、すぐに顔を歪めて吐き捨てた。

口元を拭い、やや舌足らずの口調で言う。「主にトリカブトだな。魔女がよく使う。あいつの仕業で間違いない」

 

彼は硝子の棺を閉めたあと、りんごを投げて『先生』に返した。

 

「あの野郎も言ってたが、復讐は考えないのか?」

 

白髪の小人は背中を弱々しく丸め、棺の側に腰を下ろす。

 

「その気でいるのは『怒りんぼう』だけです」

 

「だろうな」

 

狩人は肩をすくめた。「あんたらが手を出すまでもない。魔女はどうせ終わりだ。どこから湧いたのかも分からん謎のおっさんどもに、命を狙われてるんだからな」

 

『先生』はぼさぼさの眉をひそめて訊ねる。「謎のおっさんどもとは?」

 

「謎のおっさんどもは謎のおっさんどもだろ。魔女狩りとか、あとは『隣の国』の軍人連中だな」

 

「どの隣の国ですか?」

 

狩人は少し不機嫌そうに返した。「隣の国は隣の国だろ」

 

「ローマもフランスもネーデルラントも隣にありますが」

 

「海を隔てた隣だよ」

 

「ああ、イングランドですね」

 

「今はブリテンなんとかとか名乗ってるらしい」

 

狩人の言葉に、白髪の小人の目に光が灯った。

長くぼさぼさの眉と髭で表情が読めないが、顔をしかめているように見える。

 

「……サクソン人め。面の皮の厚い連中だ」

 

「何だか知らないが、またキャラが壊れてるぞ。『先生』らしく振る舞えよ」

 

狩人がたしなめると、『先生』は気まずそうに咳払いをする。

 

「貴方が魔女様と敵対する理由はもうありません。復讐など、愚かなことを考えない限りは」

 

「……」

 

狩人は真顔で『先生』の顔を見つめた。

次第にその目に鋭さが増していき、やがてにやりと笑う。「さあ、どうだろうな」

 

「旦那様……」

 

白髪の小人は懇願するような目で狩人を見た。

彼はわざとらしく肩をすくめるが、冷たく鋭い目つきで小人を見下ろす。

 

「そう言えば……なあ、『先生』さんよ。さっきあの野郎が気になることを言ってたな。『場所はもう割れてる』って」

 

「……」

 

「お前ら、魔女の隠れ家の場所を突き止めたな?」

 

狩人は身体を屈め、『先生』に顔を近づけた。

親しげに微笑むが、目には獰猛な光が宿っている。

 

「確か『照れ屋』だっけか。あいつに探らせてたんだろ。大したやつじゃないか。相変わらず姿を見せないが」

 

「……」

 

『先生』は何も言わずに狩人を見つめ返す。

狩人はさらに顔を近づけ、耳元で囁くように言った。

 

「俺にも教えてくれないか? なあ、頼むよ。こうして優しく訊いてるうちにな」

 

白髪の小人は悲しみに顔を歪める。

 

「何故そこまで争いを望むのです。あの方は、貴方の……」

 

「あいつは俺の獲物だ。誰にも渡さない」

 

狩人は獣のように牙を剥いて言った。

小人は黙って俯き、何も答えない。痺れを切らした狩人が猟銃に手をかけた、そのとき。

 

「ウウウゥ……!」

 

どこからともなく、地に響くような唸り声が聞こえてきた。硝子張りの窓がカタカタと揺れ、机の上に置かれた小物のいくつかが床に落ちる。

 

「何だ?」

 

おっかなびっくり猟銃を構える狩人。

その横で、『先生』は静かに頭を振った。

 

「『幸せ』ですよ。『幻覚きのこ』の依存が抜けるまで、隣の物置に閉じ込めているのです」

 

「そういやそんなこと聞いたっけな」

 

狩人は頷いたが、訝しげに銃を構えたまま、玄関の扉を見つめる。

 

「念のため訊くが、物置は頑丈なのか? いきなりあの扉が開いて、『幸せ』くんが飛びかかってきたりしないよな」

 

「恐らく大丈夫かと」

 

「恐らくって何だよ。そもそも、ただの小人があんな声出せるもんか? 『幸せ』ってやつは、一体どんな猛獣……」

 

言い終わらないうちに、扉をコンコンと叩く音が響いた。狩人はビクッとして猟銃を構え直す。

 

「どなた?」

 

『おとぼけ』が扉に近づこうとするが、狩人が片手で制した。「待て。相手が誰か確認しろ」

 

『先生』は棚の上に置かれた、人の手を模した黒い蝋燭に顔を向ける。

 

「蝋燭の火に変化はありません。敵ではないのでは」

 

「今いち基準がよく分からないんだよそれ。信用できん」

 

狩人の声が外まで聞こえたのだろう。

戸口の向こうから、よく知る声が語りかけてきた。「狩人さんですか?」

 

「……王子か?」

 

狩人は猟銃を降ろし、扉の窓から外を覗いた。

色鮮やかな金色の髪が、硝子越しにちらちらと見える。

 

「よくここが分かったな」

 

狩人の声に、王子はぴょんぴょん飛び跳ねて窓から顔を覗かせた。「ウォルシンガム卿から聞きました」

 

「何であいつが知ってるんだ? ……ああ、そうか。俺が地図で指したんだったな」

 

狩人は頷くと、鍵を外して扉を開ける。

すると明らかに王子のものではない、大柄な人影が飛び込んできた。「ロミオーッ!!」

 

「?!」

 

人影に抱きつかれ、床に押し倒される狩人。

目を白黒させる彼に、槍の騎士は瞳を潤ませ、切なげに叫ぶ。「貴方はどうしてロミオなの?!」

 

「離れろ気色悪い!」

 

狩人は槍の騎士を蹴り飛ばした。尻もちをつく彼に、殺気立って猟銃を向ける。

目と鼻の先に銃口を突きつけられても、騎士に怯む様子はなかった。それどころか挑発するように両腕を広げ、勇ましい声で高らかに宣う。

 

「やってみろ。私は、女の股から産まれた者の手によっては死なん!」

 

「さっきから何言ってんだお前は! 頭がおかしいのか?!」

 

狩人は撃鉄を起こしたが、装填をしていなかったことを思い出し、小さく舌を打った。

 

「すいません、とんだご無礼を!」

 

狩人と騎士の間に、王子が滑り込むようにして割って入る。

 

「こいつ何なんだよマジで! 説明しろ!」

 

狩人が怒鳴ると、王子は小さい声で言った。「たぶん……煙草のせいです」

 

「煙草でこうはならねえだろ!」

 

「いえ、その……」

 

荒っぽい狩人の言動に、王子はびくつきながらも言葉を続ける。

 

「恐らく何か……怪しい薬草とかを混ぜたんだと思います。現地で採ったものを色々試すのが好きな方なので」

 

「『幻覚きのこ』でしょう。『幸せ』が騒ぐのも頷けます」

 

王子の説明に『先生』が付け加えた。

狩人は頭を掻き、横目で槍の騎士を睨む。

 

「そういえば目つきがなんか怪しいな。いや、普段から怪しいか」

 

「ロープか何かありませんか? これ以上粗相をすると申し訳ないので、縛って動けなくしちゃいますね」

 

王子の言葉に『おとぼけ』が頷き、地下室にロープを取りに行った。王子は槍の騎士を押さえていたが、部屋の真ん中に置かれた硝子の棺に気づき、はっと目を瞠る。

 

「……あの方は?」

 

「白雪姫だ」

 

狩人は短く答えた。王子は棺に歩み寄ると、白雪姫の顔を見つめる。

小人たちは顔を見合わせ、再び脇に退いた。

 

「噂通りの、美しい方ですね」

 

「まだガキだけどな」

 

「……」

 

狩人の返事を聞いているのかいないのか、王子は呆けた表情で白雪姫に魅入っている。

 

「うわあああっ!」

 

奇声を上げながら小人たちにしがみつく槍の騎士。慌てる彼らをよそに、騎士は目をぎょろつかせて叫んだ。「森だ! バーナムの森が攻めてくるぞぉ!!」

 

「本当にうざってえなそいつ。殺していいよな?」

 

狩人は紙の薬莢を噛み千切り、火薬を銃身に流し込む。そして散弾を装填すると、躊躇いなく騎士に向けた。

 

「頭を吹っ飛ばせば静かになるだろ」

 

「おやめ下さい」

 

銃口の前に『先生』が立ち塞がる。しかし狩人はまるで気にも留めず、引き金に指をかけた。

 

「白雪姫は死んだ。もうそいつらのご機嫌を取る必要はない」

 

どこか投げやりに聞こえる彼の言葉に、『先生』は静かに首を振る。「貴方は、魔女様にとてもよく似ている」

 

「ああ?」

 

苛立つ狩人に、白髪の小人は小さな、しかしはっきりした声で言った。

 

「貴方達は誰よりも優しい。しかしそれ故に、自分自身に嘘をつく」

 

「……」

 

黙って『先生』を見返す狩人。短く太い溜息を吐き、帽子を目深に被ると、銃口を彼の額に押しつけた。

立てた襟と帽子に隠れ、表情は窺えない。その全身から漂う殺気だけが、彼の感情を顕していた。

 

「そこまで言うなら……試してみるか? 俺の優しさを。脳みそを吹き飛ばされた後で、せいぜい後悔するんだな」

 

白髪の小人は悲しげに俯く。狩人が舌を打ち、引き金に触れる指に力を込めた、そのとき。

 

「ジュリエ~~ット!!」

 

「?!!」

 

飛びかかってきた槍の騎士が彼に組み付き、床に押し倒した。後頭部を壁にぶつけ、昏倒する狩人。

その身体の上に仁王立ちし、槍の騎士は無駄に良い声で高らかに叫ぶ。

 

「さあ進もう! 神々の示現と、卑劣な政敵が呼んでいる方へ! 賽は投げられたのだ!」

 

「このキモ髭が! 殺す! 今殺す!!」

 

気合いで覚醒した狩人が鉈を抜こうとしたが、騎士はその手首を素早く踏みつけ、動きを封じた。

 

「いってえ!? クソ髭が!」

 

足元でわめく狩人をよそに、槍の騎士は拳を掲げ、誇らしげに叫ぶ。「来た、見た、勝った!」

 

「おい王子様、お前の部下が粗相してるぞ! 何とかしろよ!」

 

狩人は助けを求めたが、王子は棺の中の白雪姫を見つめたまま、ぴくりとも動かない。

 

「……おい!」

 

二度目の呼びかけに、はっと我に帰る王子。

狩人の方に振り返ると、喉からヒッと声を洩らした。

 

「ローリー卿! 貴方何やってるんですか!」

 

慌てて駆け寄り、狩人の上から槍の騎士を引きずり下ろす。騎士は驚愕と絶望に目をカッと見開き、叫んだ。「お前もか、ブルータス!?」

 

「いい加減にしてください!」

 

王子は全身の力で彼の頬を引っ叩く。

 

「ひゃあん!?」

 

気色悪い悲鳴を上げ、床の上に大の字で倒れる槍の騎士。

彼は頬を紅潮させ、妙に色っぽい息遣いで天井を仰いだ。

 

「あああ、激しい。はあ、はあ……♡」

 

「……」

 

狩人は無言で立ち上がると、服についた土埃を丁寧に払う。そして猟銃の具合を確かめてから、槍の騎士に狙いを定めた。

『先生』が再び立ち塞がると、舌打ちを響かせる。

 

「どけ。そいつの気色悪さは万死に値する」

 

「死んでもいい人間など、この世にはおりません」

 

『先生』が返した言葉を、狩人は鼻で笑った。

 

「俺は誰よりも優しいんだったよな。ならあんたがどいても、何も問題は起きないはずだろ?」

 

「旦那様……」

 

「『嘘つきは泥棒の始まり』って知ってるか? 俺が優しくないなら、あんたは嘘つきで、泥棒の始まりってことになる。そいつが死んだ後で『泥棒』に改名しろ」

 

やたらと改名させたがる狩人。

白髪の小人は黙って彼の目を見つめた。口を開き何か言おうとしたが、言葉が出てくる前に『おとぼけ』が地下室からロープを持って上がってくる。

 

「ごめん。暗くてよく見えなくて、探すの手間取っちゃった」

 

「ランタンがなかったか? 入口にかかっていたはずだが」

 

『先生』の指摘に、『おとぼけ』は目を丸くしたあと、がっくりとうなだれた。

狩人は彼からロープをひったくると、天井の梁に通した。そして先端に輪を作り、槍の騎士の首にかけると、ロープの反対側を握りしめ、体重をかけて強く引く。

すると騎士の身体は持ち上がり、首が絞まって宙吊りになった。

 

「いいぃぃん……!」

 

か細い悲鳴を上げ、風に弄ばれる蓑虫のように宙で揺れる槍の騎士。

 

「何をなさっているのです?!」

 

さすがの『先生』も声を荒げたが、狩人はロープを離さない。口元に嗜虐的な笑みを浮かべ、顔がだんだんと土気色に染まる騎士を愉しげに見ている。

 

「安心しろよ。俺は誰よりも優しいんだ」

 

「おやめ下さい!」

 

「止めてみろよ」

 

「……っ!」

 

嘲笑する狩人に、『先生』は唇を噛み、王子の方を振り返った。

助太刀を期待したが、彼はまたもや白雪姫の棺の前で魂が抜けている。槍の騎士が真後ろで振り子のようになっているというのに、まるで気づく様子がない。

 

仕方がないとばかりに溜息をつき、『先生』は白木の杖を両手で握りしめる。刹那、銀色の閃光が煌めいた。

槍でも届かぬような間合いだったが、『先生』がカチンと杖を鳴らすと、騎士の首を絞めていたロープがぷつりと切れる。

 

だが騎士の身体は直前まで激しく揺れていたことで、おかしな落下の軌道を描いた。王子の頭上を通り過ぎ、白雪姫の棺の上に影を落とす。

 

「……あ」

 

狩人の間抜けな声が部屋に響いた。けたたましい音を立て、硝子の棺は粉々に砕け散る。

 

「な、な……にやってるんですか貴方はさっきから!」

 

怒鳴るというより、泣き叫ぶような声で王子が言った。槍の騎士は静かに立ちあがり、真顔で王子に向き直る。

硝子に頭から突っ込んだため、顔中血まみれだった。

 

「申し訳ありません。手が滑ってしまいました」

 

「どう手が滑ったらこんなことになるんですか? おかしいですよね! だって、だって……何でこんなことになってるんですか!?」

 

「いえ、それが私にもさっぱり……」

 

ヒステリックに叫ぶ王子の前で、槍の騎士はただただ頭を垂れる。小人たちが集まってきて硝子の破片を片付けるなか、『先生』は狩人の前に無言で立っていた。

 

「これ……俺のせいか? 俺のせいか、やっぱり」

 

狩人が珍しく上擦った声を出す。

『先生』は白く濁った目を切れ長に細め、狩人を見据えた。

 

「……あなたには躾が必要なようです」

 

「し、躾?」

 

「はい。子どものように振る舞う方は、子どもとして扱わせていただきます」

 

『先生』が両手で杖を握ると、狩人は言いようのない寒気に襲われる。

隠す気のない殺気が向けられたのを、全身で感じた。

 

「身体が大人な分、力加減は雑で良いでしょう」

 

「ま、待て。気持ちは分かるが、落ち着け。そもそも俺一人の責任か? ロープを切ったのはあんただろ」

 

銃を手放し、両手を前に出して命乞いする狩人。思わず後ずさるが、『先生』はじりじりと距離を詰めてくる。

 

「仰る通りですが、このままでは私の気が収まりません」

 

「何だと、おい、あんたは平和主義者じゃなかったか? そんな理由でた、他人を傷つけて良いのか?」

 

「平和主義者と名乗った覚えはありません。……お覚悟を」

 

「待てよ、おい!」

 

狩人は普段あまり回さない頭を必死に回して言葉を紡ぐ。

 

「そ、そうだ、金はどうだ? その硝子の棺は弁償する!」

 

「当然です」

 

「ま、魔女からもらった金貨がある。たくさんあるぞ! お前ら貴族ほどじゃないが、けっこう食事とかに金かけるよな? 金が欲しいんじゃないか、そうだろ!」

 

『先生』は動きを止めたが、それはほんの一瞬だけだった。

 

「魅力的な提案ですが、私がすっきりするのが最優先です。お覚悟を」

 

「こ、この外道! 人の心がないのか?!」

 

狩人は冷や汗をかきながら後退するが、いよいよ壁際まで追い詰められてしまう。

彼は『先生』の手元を一瞥し、目を瞠った。両手で握った白木の杖が割れ、中から銀色の刃がちらりと見えたからだ。

 

「やっぱり刃物仕込んでるじゃねえか! ただの杖とかホラこきやがって! 『泥棒』だお前は! 今日から『泥棒』な!」

 

「お覚悟を」

 

「さっきからそれしか言ってねえだろコイツ、舐めやがって……!」

 

怒りが恐怖を上回り、腰から鉈を引き抜く狩人。へっぴり腰で得物を構え、『先生』と対峙した、そのとき。

 

「『先生』来て! 白雪姫が!!」

 

『おとぼけ』の叫び声に、『先生』は小声で悪態をついた。狩人を鋭い目つきで一瞥した後、背を向けてそちらに向かう。

狩人もほっと息を吐いてから後に続いた。

 

「見て! 白雪姫が生き返った!」

 

駆けつけてきた狩人たちに、『おとぼけ』は声を弾ませて言う。見れば、確かに床に散らばった硝子と色鮮やかな花の上で、白雪姫が上体を起こしていた。

 

「……そんなバカな」

 

『先生』が髭に隠れた唇を震わせて呟く。

狩人はあごを手で触りながら、冷めた調子で言った。「『死人返り』じゃないのか? ちゃんと息してるか?」

 

「死人ならすぐ分かるよ!」

 

むっとして声を荒げる『おとぼけ』に、『くしゃみ』が無言で頷く。どうやら例の発作が再開したらしく、鼻と口元を手で押さえていた。

彼らのやり取りをよそに、白雪姫はきょとんとした顔で辺りを見回し、王子と槍の騎士を見つめる。「どなた?」

 

「えっと、僕たちは、その……」

 

しどろもどろになる王子とは対照的に、槍の騎士は彼女の元に素早く跪いた。

 

「お初にお目にかかります、ブランカ王女。我々は怪しい者です。……いえ、間違えました。怪しい者ではありません」

 

「間違えてないだろ。合ってるだろ」

 

失言に追い打ちをかける狩人。彼の声が響くや否や、白雪姫はぱあっと表情を輝かせた。

立ち上がって数歩歩いたところでふらつき、危うく転びかける。狩人がその身体を抱き止めると、彼女は恥ずかしそうに笑った。

 

「……ずっと悪い夢を見ていました」

 

「へえ、そうか」

 

「また貴方が、助けてくれたのですね」

 

彼女の言葉に、狩人は少し慌てた。

何か言いたげに黙っている『先生』と白雪姫の顔を交互に見比べる。

 

「いや、それは、違うというか……いや、どうなんだろう」

 

「狩人さんのおかげで、白雪姫が生き返ったぞ! ばんざーい!」

 

『おとぼけ』が両手を上げて叫ぶと、他の小人たちも一斉に騒ぎ始めた。

 

「くしゅん! はっくしゅん! へやっ!」

 

堰を切ったようにくしゃみをし始める『くしゃみ』。その横で、『寝ぼすけ』は立ったまま大きないびきをかき始める。

 

狩人は白雪姫をひとまず椅子に座らせたあと、『先生』の元に戻ってきて囁いた。

 

「お仕置きはナシでいいよな? 白雪姫が生き返ったんだ。これ以上のことはない。そうだろ? 硝子の棺だって安いもんだ。金貨も払わなくていいよな」

 

「……」

 

『先生』は頭に来すぎて体調を崩したのか、よろよろと自室に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

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