GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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Ⅱ 魔法の鏡

 

 この国の王宮の地下には、誰も知らない隠し部屋がいくつもある。

 

敵国の侵攻などに備えたものであり、それらは回廊を通して数珠繋ぎに長く伸び、首都の周囲を縁取るように広がる『魔の森』に通じていた。

 

王族を逃がすための秘密の抜け道として造られたものだが、敵国よりも森に潜む怪異たちの方がよほど身近な脅威だったため、その出入り口は厳重に塞がれ、今ではすっかり忘れられている。

 

魔女は王妃としての政務をこなす傍らそこを秘密の工房とし、魔術の研究に勤しんでいた。

 

「っ」

 

森との出入り口である分厚い鉄の扉を閉めたとき、魔女は右肩に痛みを覚える。ローブをずらして肩口を露わにすると、そこには銃弾が掠めた痕が残っていた。

 

「……まったく、使えない犬ね」

 

彼女は呟き、溜息を吐く。じんわりと森の湿気が残る通路を靴音を響かせて進み、工房の扉を開けた。

 

「お帰りなさいませ、王妃様」

 

紫色の絨毯が敷かれた頑丈な石造りの部屋で、壁に掛けられた『魔法の鏡』が出迎える。

『鏡』は少し間を開けた後、訝しげな声で訊ねた。「その肩の傷は? どうされたのです」

 

「あら、貴方にも分からないことがあるのね」

 

顔のヴェールを外し、片方の眉を上げてみせる魔女。『鏡』は再び間を置いてから、静かな低い声を響かせた。「……『魔女狩り』の銀の弾丸ですか」

 

「弾が鉛か銀かまでは知らないけど、とにかく銃で撃たれたわ」

 

彼女は不機嫌そうにそう言うと、灰色のローブを脱いで暖炉の側に吊す。ヴェールは綺麗に畳んで机の上に置き、浴室へと足を運んだ。

 

「猟犬が守ってくれると思ったんだけど……ちょっと期待し過ぎたかしらね」

 

「突き飛ばされなければ、弾は心臓を穿っていたでしょう。彼の忠誠心は評価すべきです」

 

「まあ、あんな雑魚は私一人でも余裕だったけどね」

 

暖炉の余熱で温まった湯につかり、魔女は間の抜けた長い溜息を吐く。「あ~~~っ……」

 

「おやめ下さい。淑女として恥ずべき声です」

 

「うるさいわね。私は王妃よ」

 

魔女が口を尖らせると、『鏡』は遠慮がちに付け加えた。「それと、沐浴はほどほどになさった方が賢明かと。清潔な流水は魔力を奪います」

 

「そういう貴方は、もう少し口数を減らした方が賢明よ。訊かれたことだけに正確に答えるのが貴方の役目でしょう」

 

ふわふわした綿のタオルで水気を拭き取り、彼女は浴室から出た。

暖炉の向かいの肘掛け椅子に背中を預け、思い出したように口を開く。「鏡よ鏡。この国で一番美しいのはだあれ?」

 

『鏡』はすぐには答えなかった。長い沈黙が訪れる。暖炉からパチパチと飛び散った火の粉が愉しげに部屋を舞った。

 

魔女は眉をひそめ、椅子から立ち上がる。

「ちょっと、鏡? 訊かれたことには答えなさいよ」

 

『鏡』は何かを諦めたような声で言った。

「それは森に住む白雪姫です」

 

「……」

 

魔女は真顔で鏡を見つめた。暖炉の側に吊したローブに早足で歩み寄ると、ポケットから茶色い包みを引っ張り出す。

狩人から手渡された『白雪姫の心臓』である。

 

「じゃあ、これは何?」

 

「それは猪の心臓の塩漬けです。滋養強壮に効果があり、薬としても取引されます」

 

「…………」

 

彼女は美しい顔に、複雑な表情を浮かべた。

まず最初に呆れ、しばらくしてから怒り、最後には歪んだ笑みを見せる。

 

「長いこと可愛がっていた猟犬に、とうとう反抗期が訪れたのかしら?」

 

「魔が差したのでしょう」

 

「お黙り。庇うのはおやめなさい」

 

「幼い少女を殺すというのは、あの男には荷が重すぎたのです」

 

「黙れと言ったはずよ」

 

鏡が掛けられた壁のすぐ横に、魔女は力強く手をついた。紅潮した頬から一筋の汗が流れ、長い喉を伝い、豊満な乳房の間に消える。

 

「許せないのはね、この私を欺こうとしたことよ。どうせ期待していなかったわ。できないならできないと言えば良かったものを」

 

「貴方の信頼を裏切りたくなかったのです」

 

「は、どうかしら」

 

「……」

 

魔女は『鏡』に顔を近づけ、囁くように命じる。

「鏡よ鏡。白雪姫の居場所を教えなさい」

 

「森の西部にある廃村です。かつては炭鉱街として栄えておりました。今は七人の小人たちが住処としています」

 

「そう、妖精が匿っているのね」

 

鏡から離れ、再び肘掛け椅子に腰を下ろす魔女。

怒りは収まったのか、顎に手を当てて何事かを考え込んだ。

 

「……鏡。次の嵐はいつ?」

 

「一週間後です」

 

「そう。それならちょうど暇があるわね」

 

魔女はクックック、と声を抑えて笑った。

『鏡』は彼女の背中に遠慮がちに声をかける。

「どうなさるおつもりです」

 

「さあね。貴方には教えてあげなーい」

 

魔女は椅子から立ち上がると、鼻歌を歌いながら部屋を後にした。

 

一人残された『鏡』は、彼女に聞かれない小さな声で呟く。「知らせておいた方がいい。だが、そんな隙があるかどうか……」

 

 

 

 

 色褪せた葉を鬱蒼と茂らせる木々が、瘴気に似た淀んだ空気を吐き出す。

たとえ快晴の日でも、『魔の森』は年中濃い霧に包まれ、日の光が差すことは稀であった。灰色の木々が根付くことを諦めた開けた沼地にも、同じことが言える。

その沼地のほとりに立つ小さな小屋が、狩人の住処であった。

 

「おいおい……何だこりゃ」

 

狩人はそう呟き、舌を打った。

沼を避けて小屋まで続く蛇のような小道を、蛆虫が列をなして這いずっている。

 

あれから半日が過ぎた。魔女狩りの遺体は軽く弔ってから燃やして裏庭に埋めた。猪の死体もちゃんと処理し、ちょうど不要な部位を他所に埋めてきたところだ。狩人には、自分の寝床が蛆にたかられる覚えはなかった。

 

「まったくひどい森だ。嫌になるぜ」

 

狩人は重い足取りで小道を進み、扉を開ける。

小屋の中は殺風景で質素だ。壁の金具には弓や銃が掛けられ、天井の鉤針からは毛皮や薬草、魔除けのニンニクがぶら下がっている。

作業台の上には砥石や銃の部品が散らばっていた。装飾や嗜好品の類いはなく、狩りに必要な物以外は置かれていない。

 

蛆の行列は腐りかけた床板の上を進み、小屋の奥まで続いている。

 

「……?」

 

狩人は首を傾げた。奥は寝室で、あるのはベッドと洗面台だけだ。どちらも蛆虫が喜ぶような物ではない。

何かがいる。蛆に好かれる何かが。狩人の直感がそう告げていた。

 

彼は猟銃を構えると、撃鉄を指で弾き起こした。

寝室に続く扉に忍び足で歩み寄り、銃身の先でゆっくりと押し開ける。

 

「……??」

 

狩人は再び首を傾げた。物置のような狭い寝室には何もいない。蛆虫の行列は洗面台の上の四角い鏡のまわりをぐるぐると回っている。

 

「これは……何かの魔術か?」

 

「その通り」

 

「……!?」

 

鏡から突然声が響き、狩人は仰天した。

よく見れば鏡に映っている顔は自分の顔ではない。

ぼんやりとしていてよく見えないが、その肌は漆黒に近く、目は赤く光っていた。髪はなく、口元には何か突起のようなものが長く伸びているように見える。

 

「誰だ? 人様の家の鏡に勝手に入り込むとは、良い度胸だな」

 

狩人が銃を構えたまま言うと、鏡に映る何者かは申し訳なさそうに答える。知的で温和な印象を受ける、静かな声だった。「これが一番早くお前に会える手段だった。許してほしい」

 

「……」

 

狩人は肩をぐるりと回して骨を鳴らすと、銃を構え直す。「お前は誰だ?」

 

「『鏡』だ。昔何度か会っている。覚えていないか」

 

「……?」

 

狩人が怪訝そうに眉をひそめると、『鏡』は静かな口調で続けた。「私が何者かはどうでもいい。王妃様がお前の裏切りに気づいたぞ。すぐ逃げた方がいい」

 

「何だと?」

 

狩人は目を丸くする。

遅かれ早かれバレるだろうとは思っていたが、いくら何でも早すぎる、と舌を打った。

 

「何故バレた? 素人に人間と猪の心臓の区別はつかない。並べられたら、俺だって間違えるぞ」

 

「私が教えた」

 

「……???」

 

狩人は眉をひそめた。口を開きかけたが閉じ、再び開きかけ、また閉じた。どうも質問をすればするほど疑問が増えるようだ。

 

「おたくの正体が気になるが、まあそれは置いとく。肝心なのは、魔女が激おこプンプンだってこと。そうだな?」

 

「その通り」

 

『鏡』が頷くと、狩人は苦笑して肩をすくめた。「俺も年貢の納め時だな。で? 魔女はどう出るって?」

 

「今しがたお前の首に懸賞金を掛けたところだ。ブランカ王女……つまり『白雪姫』殺害の容疑で」

 

「容疑ねえ……。まあ殺そうとしたのは事実だ」

 

「憲兵隊がここに向かっている。捕まれば王令により裁判を待たず処刑されるだろう。今すぐ逃げなさい」

 

『鏡』の言葉を聞き、狩人は自嘲的な笑みから、ふっと真顔になった。「自分では来ないのか。憲兵を寄こすって?」

 

「その通り」

 

「……」

 

無言で俯く狩人。先ほどよりも険しい表情で、腕を組んで考え込んだ。銃はとっくに下ろし、洗面台の横に立てかけている。「なぜ直接来ない……?」

 

「別の用事があるからだ」

 

「用事?」

 

「白雪姫の暗殺」

 

狩人は目を見開き、鏡を凝視した。鏡に映る黒い人物は顔を逸らしたように見える。

 

「あんた……それ、止められないのか?」

 

「私には無理だ」

 

「なぜ魔女は白雪姫の居場所を知ってる?」

 

「……私が教えた」

 

狩人は鋭い目で『鏡』を睨みつけた。「おたく、どっちの味方なんだ? え? 『鏡』さんよ」

 

「私は……」

 

「どっちつかずのこうもりの話を知ってるか? どっちにも良い顔をし続けた結果、どっちにも捨てられる」

 

「…………」

 

『鏡』は黙って俯き、しばらくしてから顔を上げる。「私が味方できる人間の数には限りがある」

 

「そのうちの一人が俺か? なぜ俺なんだ?」

 

「……」

 

沈黙する鏡。答えたくないというより、明確な答えを持っていないという風であった。

彼の性格上、答えを持っていたなら何であれ、正直に答えてしまっていただろう。

狩人は鏡の横にドン、と強く手を置いた。燃えるような鋭い目で、『鏡』を睨みつける。

 

「俺や魔女はクズだ。人を何人も殺してる。地獄に落ちて然るべきだ。だが、あの王女様は違うだろ」

 

「……」

 

「ただこの国一番の可愛い子ちゃんだってだけだ。顔の造りがたまたま良かったってことが罪なのか? 違うだろ!」

 

「……王妃様が白雪姫を殺したい理由は美貌だけではない。絶対の権力を得たいがためだ」

 

「うるせえ! 」

 

「私ができるのは警告だけだ。王妃様に対しても、お前に対しても、それは同じ」

 

「……」

 

「王妃様が呼んでいる。行かなければ」

 

「てめえコラ、待て……!」

 

狩人が鏡を両手で鷲掴む。しかしそのときにはすでに黒い影の姿はなく、彼自身の顔しか映っていなかった。

 

「くそっ」

 

狩人は悪態をつく。

そしてふと足下を見ると、先ほどまで列を作っていた蛆虫たちがひっくり返り、魂を抜かれたように事切れていた。

一カ所ではなく、小屋中の床にまんべんなく散らばっている。

 

「……これ、俺に掃除させんのか? くそっ!」

 

二回目の悪態をつき、狩人は壁を蹴りつけた。そして壁に穴が空き、三回目の悪態をついた。

 

 

 

 

 

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