GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅨ 零度

 

 廃村にしんしんと降り積もる雪は、徐々にその勢いを強めていた。天から地へと叩きつけるような強い風が、雪を吹雪へと変えつつある。

 

この不可思議な風は、廃村とその一帯の森を囲うように渦巻き、空気の壁を作り出していた。さらには先述した天からの強風により、冷気の逃げ道を完全に塞いでいる。

そうして辺りの気温は際限なく下がり、もはやその寒さは真冬の北国をも凌ぐものとなっていた。

 

すでに日は落ち、荒れ狂う冷気を阻むものは何もない。木々は瞬く間に凍りつき、内側から膨張した水分によりパキパキと音を立てる。

巻き込まれた哀れな鹿の親子は、身を寄せ合うように身体を丸めたまま彫像と化し、その身を吹雪に晒していた。

 

「全然暖かくならんぞ。やっぱ暖炉なんてクソだな」

 

悪態をつきながら、狩人は地下室から運んできた薪を暖炉に投げ入れる。「いっそ家ごと丸焼きにするのはどうだ。そっちの方が暖まるんじゃないか?」

 

「そんなことしたら煙で死んじゃいますよ」

 

暖炉の側でマントにくるまっていた王子がそう返した。寒そうに身を縮こませ、青白い顔でゴホゴホと咳を繰り返す。

 

「大丈夫か?」

 

狩人は暗緑色の上着を脱ぎ、王子にかけてやろうとしたが、彼はそれを受け取らなかった。「白雪姫に譲ってください」

 

「あいつか。あいつはな……何というか、大丈夫だ」

 

狩人はそう言って白雪姫に視線を送る。

彼女は台所でテキパキと動き回り、身体が暖まる食べ物を用意していた。

 

小人たちも家中を忙しく動き回り、扉や窓の縁に松脂のようなものを詰めている。隙間風を減らそうという試みらしいが、果たして効果のほどは分からない。

 

「僕は情けないです」

 

恥ずかしそうに俯く王子の肩に、狩人はポンと手を置く。

 

「気にするな。思うに、あの娘は魔女以上の怪物だ。俺たち人間様と同じ尺度じゃ……」

 

そこまで言いかけて、狩人は急に口を閉じた。白雪姫が肩越しに振り返り、彼を睨んでいたからだ。「私は繊細です」と、目で訴えている。

 

「まあ、とにかく気にするな」

 

何か話題を変えようと、狩人は虚空に視線を彷徨わせる。「前から気になってたんだが、王族には料理の習慣があるのか?」

 

王子は目をぱちくりさせる。「いえ、僕はできません。そういうのが好きな人はたまにいますけど」

 

「じゃああいつは、その『たまにいる』奴か?」

 

狩人が台所の白雪姫を顎で示すと、王子は少し考えたあと、口を開いた。「推測になりますが……おそらく彼女の出自に関係しているのではないかと」

 

「出自?」

 

「はい。この国の先王、ヴァルデック王は元から王族だったわけではなく、神聖ローマ帝国から武力で土地を勝ち取ったお方です。それまでは、単なる一辺境伯に過ぎませんでした」

 

「それは知ってる。で?」

 

「北方の血を引く貴族の家には特別な客を招く際、家主が直々にもてなす風習があるんです。料理はもちろん、お掃除とか、様々な雑事を自分でこなして」

 

「召使いに任せずにか?」

 

「はい」

 

王子が頷くと、狩人は感嘆の声を上げた。

「なるほどな。ご立派な風習じゃないか。召使いも楽できるし、良いこと尽くめだ」

 

「そうですね」

 

王子が笑みを溢してそう返す。うんちくを語るのに夢中になったおかげか、先ほどより顔色は良くなり、咳も治まっていた。

狩人は王子の背中をさすってから、白雪姫の方に振り返る。「飯はできたか?」

 

「はい。急いで作ったから、味は自信がありませんけど」

 

会話の流れで褒められたのを聞いたのだろう。少し機嫌を良くした白雪姫が、スープの入った鍋を抱えて持ってきた。

『おとぼけ』が棚から持ってきた人数分の器に湯気を纏った金色のスープをよそい、狩人に差し出す。

 

「生姜のスープか?」

 

「にんにくも入っています。魔除けになるかと思って」

 

「気が利くじゃないか」

 

狩人は受け取ったスープを一気に飲み干すと、『おとぼけ』に器を返した。胸の奥から指先に至るまで、全身に温もりが広がっていくのを感じる。

 

「俺はすぐに出る。あの槍髭はいつまで待っても帰らないし、チンタラしてても事態は一向に良くならなそうだからな」

 

「くしゅん! べくしゅん! へやっ!! えーいっ」

 

怒濤の勢いでくしゃみを連発する『くしゃみ』。狩人に何か言おうと口を開いた矢先のことであった。

彼の言葉を代弁するように、『おとぼけ』が代わりに喋る。「いくら狩人さんでも、一人で行くのは危ないよ」

 

「ならお前らがついてきてくれるのか? そいつは頼もしいぜ。百人力だな」

 

皮肉たっぷりに返す狩人。

王子はスープを咳き込みながらもなんとか飲み込むと、白雪姫にお礼を言いつつ椅子から立ち上がる。「僕がお供します」

 

「必要ない。今のお前なんか、こいつら以上に足手まといだ」

 

狩人は壁に立てかけていた猟銃を担ぐと、大股で戸口に歩み寄る。

しかし狩人が手をかけるより先に、扉が外から勝手に開いた。

 

「……!」

 

慌てて身を引き、寸手のところで扉を避ける狩人。戸口の外には『寝ぼすけ』がぼんやりと一人で立っていた。

分厚く雑な作りの毛皮のマントを重ねて羽織り、肩には柄の長い草刈り鎌を担いでいる。「ごめん、旦那。当たった?」

 

「辛うじて躱してやったぜ、クソ野郎」

 

狩人は顔をしかめ、気怠げな目つきの『寝ぼすけ』を睨んだ。「何で一人で外にいる。 こんな天気の良い日に庭仕事か? 精が出るなぁ。眠ってたんじゃなかったのかよ?」

 

「そうしたかったんだけど、『怒りんぼう』が一緒に来いって。裏口から出て、二人でしばらくウロウロしてた」

 

「……裏口だと?」

 

「うん」

 

呆気に取られた様子の狩人に、『寝ぼすけ』は事も無げに頷く。「表の玄関は見張られてるかもしれないから、出るなら裏からが良いって」

 

「……」

 

狩人は気まずそうに沈黙したあと、咳払いをした。

 

「ああ、そうだな。もちろんそうだ。俺も監視の可能性は頭に入れていたさ。だが抜け目のない魔女を出し抜くには、あえて正面からの方が……」

 

無用な言い訳をそこまで終えてから、彼はいったん口を閉じ、眉をひそめる。「……待て。わざわざ裏から出たくせに、何でこっちから入ってきた?」

 

「吹雪が収まったから、知らせようと思って」

 

「何だと?」

 

狩人は『寝ぼすけ』を押し退け、外を見た。

確かに彼の言うとおり、吹雪は綺麗に止んでいる。心なしか、気温も少しずつ上がってきているようだ。

 

「どういうことだ。魔女が逃げたのか?」

 

「そうかもしれないって。もしかしたら、誰かが止めてくれたのかも」

 

狩人の脳裏に、槍の騎士の姿が浮かぶ。

王子も同じことを考えたらしく、腰に下げた細剣を握りしめた。

 

「やっぱり僕も行きます。彼がまだ魔女と戦ってるなら、加勢に行かなくては」

 

「足手まといだと言ったはずだぞ。俺一人に任せとけ」

 

狩人はそう言って玄関から飛び出す。

早足に雪原を横切る彼の後ろを、『寝ぼすけ』がのんびりとついてきた。

 

「来るな! 家の中にいろ! そもそもお前戦えるのか?」

 

「ううん、あんまり」

 

「じゃあ尚更ついてくんな!」

 

狩人は振り返って怒鳴り散らしたが、『寝ぼすけ』は足を止めない。

もふもふした暖かそうな灰色の髭を指で弄りながら、狩人に向かって言った。「煙草のパイプくれたら戻ってあげる」

 

「チッ」

 

狩人は舌を打ってから懐を探ると、手にしたパイプを『寝ぼすけ』に投げつける。「ほらよ! これ持ってとっとと失せろ」

 

『寝ぼすけ』は雪の上に落ちたパイプを拾うと、どこか軽やかな足取りで家に戻っていった。

 

「自由な奴だぜ。これからあいつの名前は『自由』だな」

 

勝手に小人の名前を変えたあと、狩人は再び急ぎ足で歩き出す。元々は花畑だった雪原を下り、廃屋の並ぶ道までやって来ると、物陰に隠れつつ進み始めた。

 

廃屋の影から影へ素早く身を移し、森の入口までやってくる。

夜空を覆っていた黒雲はいつの間にか失せ、眩いばかりの丸い月が、痩せた木々の小枝や黒ずんだ葉の一枚一枚を鮮明に照らしていた。

木々の間を縫うように広がる沼地には分厚い氷が張り、夜空に瞬く星々の光を作りかけの鏡のように淡く映している。

 

そしてその表面を優しく撫でるように、青白く輝く不気味な霧が流れていた。

 

「森の中だな。間違いない。俺でもそこに隠れるさ」

 

狩人は口の中で呟き、躊躇いなく足を踏み入れる。姿勢を低くし、足音を立てず、気配を殺し、それでいて大胆に歩を進めた。

殺し合いならいざ知らず、森での隠れんぼで魔女に遅れを取るつもりはない。獣の嗅覚さえ欺く隠密に、彼は絶対の自信を持っていた。

 

「人間相手にこそこそするのは好きじゃない。だが……そもそもあんたは人間じゃなかったな」

 

沼地に張った氷は見た目以上に分厚く、狩人の体重くらいでは軋みもしない。彼は足跡を残さぬよう、なるべく氷の上と草地を選んで歩いた。

 

そうして数十分が経った頃、狩人はおもむろに足を止める。あらゆる敵の痕跡を逃すまいと五感を研ぎ澄ませていた狩人の耳に、パキパキと何かが割れる音が届いた。

 

「……」

 

狩人は眉をひそめ、左右に視線を走らせる。

おそらく凍った木の幹が鳴っているだけだろう。

だが森の中での隠れんぼは、臆病なほどに慎重でなくてはならない。一つ一つの判断が死に直結する。お尻を出した子が一等賞を取れるような、甘い世界ではないのだ。

 

狩人はすぐ音の原因を特定した。案の定、凍りついた樹木の表皮が内側から氷に押され、剥がれかかっている。

何と言うこともない。ただそれだけのことだ。無視して行こうとしたが、何かが引っかかる気がして、樹木に視線を戻した。

 

「……?」

 

剥がれかけた表皮を手で掴み、むしり取る。

内側を見ると、小さな蝿が身を縮こませていた。

狩人が軽く息を吹きかけると、蝿はぴくりと頭を動かし、羽を鳴らし始める。「……猟犬。生きているか?」

 

「お姫様のスープのおかげでポカポカさ。お前も後で飲ませてもらうんだな」

 

狩人は肩をすくめてそう言った。辺りを見渡し、木の影に身を隠してから、声を抑えて質問する。「魔女はどこにいる?」

 

「私にも分からない」

 

『鏡』の返答に、狩人は顔をしかめた。「嘘つけ。お前は悪魔で、過去も未来も現在も全て読めるんだろ?」

 

「今は少し調子が悪い」

 

「へえ、そうかい」

 

狩人は口を尖らせる。「質問というか、文句がもう一つある。お前は以前『天は神の領域で魔の力は及ばない』とか何とか言ってたよな」

 

「言ったとも」

 

「ならこの状況はどういうことだ?」

 

狩人が両腕を広げて言うと、『鏡』はしばらく沈黙したのち、語りだす。

 

「王妃様が操っているのは天そのものではない。空気の温度と、その流れだ」

 

「どういう意味だ?」

 

「王妃様が扱える魔術の中で、天候を変えうるほどの力を持ったものはただ一つ。私がお授けした『暴食』の権能。何かを奪う力だ」

 

「……?」

 

狩人は難しい顔で腕を組んだ。

『鏡』は彼の様子など気にせず、静かな声色で喋り続ける。

 

「『暴食』はただ奪うだけなら無限に奪える。時間を気にしなければな。他者の身体に触れて精気などを吸い上げるのが本来の使い方だが、大気から熱を継続して奪い続ければ、このような芸当も可能になるわけだ。加えて空気そのものも奪えばそこに低気圧が生まれ、気流も多少は操れる」

 

「……??」

 

「操っているのは天そのものではなく、大気の寒暖差とそれを維持するための気流だ。天候が変わるのは、ただ結果としてそうなっているというだけで、言うなれば副作用に過ぎない。理解したか?」

 

「いや、全く」

 

「……」

 

『鏡』は再び沈黙した後、少し沈んだ声で言った。「……時間を無駄にして悪かった」

 

「いや、すまん。全くっていうのは嘘だ。要は天気が変わるのは狙ってやってるわけじゃないからセーフってことだろ?」

 

「その通り」

 

『鏡』がそう返すと、狩人は唇を尖らせる。

「お前説明下手くそなんだよ。物事はできるだけシンプルにしろ。地頭の悪い奴ほど、わざわざ話を難しくしたがるよな」

 

「……」

 

やや間があってから、『鏡』は小さな声で言った。

「すぐに戻れ。ここでお前ができることは何もない」

 

「できることはあるぜ。あいつを殺せる」

 

にやりと笑い、猟銃を掲げてみせる狩人。

蝿が次に発した音は、どこか溜息に似ていた。

実際溜息だったのかもしれない。少なくとも狩人はそう解釈し、目元を鋭く歪めた。

 

「できないと思ってるのか? 何でも知ってるお前なら、曇王にとどめを刺したのが誰かも分かってるはずだよな。それでもできないと?」

 

「できないとは言わない」

 

「フン」

 

狩人は鼻を鳴らし、猟銃を肩に担ぐ。

「確かに時間の無駄だな。魔女の居場所も分からんあんたに用はない。どっか行けよ」

 

彼はしっしっと手を振って蝿を追い払い、先へと進んだ。蝿は耳障りな羽音を立て、忙しなく周囲を飛び回る。「その先へは行くな」

 

「何故だ?」

 

「お前は優しいから、きっとショックを受けるはずだ」

 

「チッ」

 

狩人は舌を打った。怒鳴り散らしてやろうかと思ったが、なんとか思い留まる。

『鏡』の警告を無視し、どんどん足を進めた。 狩人は押し黙り、蝿も沈黙している。月明かりの照らす夜の森は空虚で、ただ張りつめた静寂だけがあった。

 

やや開けた場所に出たとき、狩人は片方の眉を上げる。「……ショックを受けるってのは、あれのことか?」

 

彼が指さす先には、凍死した鹿の親子の死体があった。木の根元で身を寄せ合って目を閉じ、全身に雪を被っている。霜を纏った毛皮からは、つららが無数に垂れ下がっていた。周囲の雪も彼らの体温で溶けておらず、脇腹の辺りまで覆っている。

 

生きているはずはない。一目で死んでいると分かる姿だった。

 

「いくら何でも馬鹿にしすぎじゃないか? 鹿なんてこの森じゃ貴重な収入源だ。見かけたら親子だろうが迷わず殺すぞ。いちいち心を痛めてたらきりが……」

 

そこまで言いかけ、狩人ははっと息を呑んだ。

鹿の親子の隣にもう一つ、凍りついた生き物の影がある。

 

それははっきりと人の形をしていた。片膝をつき、親子に手を差し伸べるように腕を伸ばすその姿に、妙な既視感がある。

おそらく背中に背負った銀の槍のせいだろう。あんな高価なものを身につけた人間など、この国ではそうは見ない。

 

「まさか……」

 

狩人は周囲の気配を確かめてから、その凍死体に近づいていった。

罠の可能性が高いため、できれば近づきたくなかったが、どうしても確かめる必要がある。

 

そして、彼の悪い予感は的中していた。

雪と霜に塗れた青白いその顔には、形の整った口髭がある。何より胸に抱いた左手には、あの黒い指の蝋燭が、大事そうに握られていたのだ。

その目は最期に鹿の親子を捉えていたらしく、慈しみの表情で目元が緩んでいる。

 

「……くそったれ」

 

狩人は悪態をつき、槍の騎士の冷たい身体を蹴りつけた。騎士の身体はぐらりと揺れ、頭から雪の中に突っ伏す。

そしてそれきり、決して顔を上げることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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