「こいつはホイールロック式の拳銃だ」
硝煙の燻る銃身を傾け、狩人は抑揚もなくすらすらと述べた。
「魔女狩りの死体から拝借した。一時期ローマで流行った代物で、側面の車輪というか、歯車が回転することで火薬に着火する。リボルバーと同じで安定性に欠けるから、マスケットほど広くは普及していない。値も無駄に張るしな」
「よくも……よくも!」
魔女はわなわなと唇を震わせる。発砲された銀の弾丸は肩をほんの少し掠めただけだが、彼女の顔色はいつにも増して真っ青だった。
「そう怒るな。どうせあんたには当てられん」
狩人は肩をすくめて言った。
憑き物が落ちたような、あるいは逆に何かに憑かれたような、静かで感情を感じさせない声だ。
「この距離ならたとえ目を瞑ってたって当てられる。本来ならな。だが外した。どうあっても、俺にはあんたを殺せんらしい」
「私に銃を向けて引き金を引いただけでも大罪よ! 私はこの国の王妃なの! それなのに、よくもこんな……!」
「悪かったな。だが、そこまで驚くことでもないだろ。こんなこと予測して然るべきだ。それができなかったのは、あんたが俺のことを……舐めてるからだ」
狩人は冷たい笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がる。「まあ、俺は犬だ。舐められて当然だけどな。だが、それももう終わりだ」
膝にぐっと力を込め、前方に飛び出した。素早く魔女の背後に回り込み、羽交い締めにする。
すっかり気が動転していた彼女は、ほとんど反応できなかった。
「あ、貴方! この期に及んで何をする気?!」
「全てを終わらせる」
狩人は魔女の耳元で囁くと、呆然と立ち尽くす『怒りんぼう』を見る。
「やれ。俺ごとこいつをぶった斬れ。その無駄にでかい斧ならやれるだろ」
「け、けどよ」
「早くやれ!!」
狩人が声を荒げると、『怒りんぼう』は歯を食いしばり、戦斧を振りかぶった。
だがやがて頭を振ると、震える腕で得物を下げる。
「……できねえよ、旦那」
「くそが! 普段イキってるくせに、いざとなったらそれかよ! 『イキり雑魚』に改名しろ!」
相も変わらず改名させたがる狩人。
次に『寝ぼすけ』に視線を送るが、彼は壁に背中を預けてうたた寝していた。
「嘘だろ!? この状況で何やってんだアイツ! いくら何でも自由すぎるだろ!」
狩人は目を血走らせて『寝ぼすけ』を睨みつけたが、それで起きるはずもない。
見かねた槍の騎士が、するりと背中から銀の槍を抜いた。「お任せを」
「頼む」
狩人の言葉に、騎士は短く頷く。
「やめなさい! こんな、こんな死に方で満足なの?! 貴方には、これから……!」
魔女は狩人を引き剥がそうと暴れるが、彼の膂力はこの土壇場で本領を発揮していた。彼女の人間離れした力に拮抗するばかりか、明らかに上回っている。
彼女が全身の力で振りほどこうとしても、狩人の腕はびくともしなかった。
「自慢の怪力が形無しだな。魔力を使い過ぎて燃料不足か? ざまあみやがれ」
狩人はもう一度魔女の耳元に口を近づけ、静かに囁く。「これでようやく、あんたの犬も卒業だな」
「……くっ!」
魔女はきっと歯を食いしばると、眉をひそめて魔力を集中させた。青白い霧が彼らの周囲を渦巻き、氷の刃が出現する。
「離れなさい! 腕を切り落とすわよ!」
「やってみろ。たとえ首を落とされても離さない」
魔女は泣きそうな顔で狩人を見上げた。「死んだら……そこでお終いなのよ?」
「話聞いてたか? 終わりにするって言ったろ」
狩人は冷たい目で彼女を見下ろす。「地獄で会おうぜ」
「っ」
魔女は口を開くが、出てきた言葉は掠れて聞き取れなかった。
槍の騎士は黙って二人の様子を見ていたが、おもむろに槍を構え、一直線に突く。
「ぐうっ!?」
狩人はくぐもった悲鳴を上げる。
突き出されたのは槍の穂先ではなく、石突だった。その上魔女には当たらず、狩人の眉間を強く打ったのだ。
彼は思わず魔女から手を離し、尻もちをついてしまう。
「て、テメエ……何してくれてんだ! せっかくのチャンスを!」
「お許しを。つい手が滑ってしまいました」
槍の騎士は悪びれる風もなくそう言った。
魔女は青白い火花とともに姿を消し、槍も斧も届かぬ位置に現れる。掠れた息を吐き出して呼吸を整えたあと、狩人たちを睨みつけた。
「……情けをかけようとした私が愚かだったわ。我が慈悲を無碍にした無礼者には、残酷な死を与える!」
「お待ちなさい!」
槍の騎士は片手を前に突き出し、鋭い声を上げる。
魔女は舌を打ち、攻撃の手を止めた。「何よ! 貴方の茶番に付き合うのはうんざりなんだけど?」
「茶番などではありません」
槍の騎士は懐に手を入れ、一枚の羊皮紙を取り出す。「貴女の美しさを讃える渾身の詩です!!」
彼女の頭のすぐ横で形作られた薄氷が、鋭い軌跡を描いて羊皮紙を引き裂く。
「ああっ、そんな馬鹿な!」
「馬鹿は貴方でしょ?!」
魔女が片手を掲げ、次の氷刃を生み出そうとしたときだった。ドン、と鈍い衝撃音が、彼らの耳に届く。
「……何だ?」
「後ろからだ」
『怒りんぼう』は首を傾げたが、狩人は警戒して振り返った。ドン、ドン、と何かを叩くような音が連続して響き、天井からぱらぱらと砂が落ちる。
狩人は眉をひそめ、呟いた。「氷が……」
廃坑の出入り口を塞いでいた分厚い氷に、鋭い亀裂が走っている。透明な壁の向こうにうっすらと見える黒い影が、その色を濃く、強く映した。
「まずい!」
狩人は槍の騎士とともに、横の岩壁にぴたりと張り付く。
轟音とともに氷が砕け、坑道の中に『獣』たちが雪崩れ込んできた。
彼らはそれぞれ姿に微妙な差異こそあれ、大雑把に人の形をしていた。元々は衣服であったらしい黒いぼろ切れを纏い、剥き出しの牙は鋭く、爪はサーベルのように長く強靱に見える。
「……!」
『怒りんぼう』は驚いて戦斧を向けるが、『獣』たちは彼の横を過ぎ、魔女のみに襲いかかった。その金色の目は飢えの狂気に淀んでいたが、初めから彼女の姿しか映していなかったのだ。
「相手にするな! この数は手に追えん!」
狩人は訳も分からぬままの小人たちを抜け穴から外に押し出す。もたつく槍の騎士も乱暴に蹴り出し、最後に一度だけ魔女の方を振り返ると、自分も穴を潜って脱出した。
彼女の姿は重なった『獣』たちの身体に隠れ、すでに見えなくなっていた。
「何なんだ、さっきの獣どもは。 旦那が呼んだわけじゃねえよな?」
『怒りんぼう』がこう言うと、狩人は片方の眉を上げた。「俺が魔法使いに見えるか? あんな連中、魔女にだって操れん」
「だがあいつらは目の前にいた俺を無視したぞ! おかしいだろ? 奴らはいつだって腹を空かせてる。小人の肉は口に合わないってか?」
「きっと好き嫌いがあるんだろ。筋肉達磨は食えるところが少ないしな」
「誰が筋肉達磨だこの野郎」
「考えるだけ無駄だ。『まざり』の行動なんて予測できるもんか。夜の街中に突然現れることだってあるくらいだしな」
狩人は冷静にそこまで言ってから、思い出したように眉間に皺を寄せる。「そんなことより……テメエ、クソ髭野郎」
「何か?」
装束の襟を呑気に正す槍の騎士に、狩人はずんずん近づいていった。猟銃を乱暴に構え、彼の眉間につきつける。
「よくも邪魔してくれたな。納得のいく説明をしてみろよ。できなけりゃ、お前は死ぬ」
狩人の冷酷な言葉に、槍の騎士は苦笑した。
「手が滑ってしまったと申し上げたはずですが」
「そうか? それなら俺も手を滑らせて構わないよな?」
ゴリッと音を立て、銃口が騎士の眉間に押し当てられた。
槍の騎士はフフンと鼻を鳴らし、大げさに肩をすくめる。
「私は演技の指導をしたまでです。少々乱暴でしたが……まあ、目には目を、というやつですよ」
「なるほどな。じゃあこっちも目で勘弁してやる」
銃口が眉間からずれ、眼球にめり込んだ。
槍の騎士は「あっ……♡」と短い嬌声を上げる。
「旦那。気持ちは分かるが、そんなことしてる場合じゃないぜ」
『怒りんぼう』が止めに入ると、狩人はしぶしぶ猟銃を下げた。「そうだな。魔女か獣か。どっちが勝つかは分からんが、ここにいると巻き添えを食うかもしれん」
「帰ろうよ」
子鹿を抱えた『寝ぼすけ』の言葉に、狩人は疲れた顔で頷く。「そうだな。いったん帰るか。なんかもう、いろいろと面倒になった」
山道を下り、高台まで降りてきたとき、先頭を歩いていた狩人は前方の光景に目を細める。
「俺の記憶違いか? この辺りには魔女狩りどもの死体がとっ散らばってたはずだが」
「なくなっていますか? それは奇妙ですな」
槍の騎士は首を傾げ、少し考えてから言った。
「他の動物に食べられてしまったのでは? たとえば、さっきの獣とか」
「まあ、そんなところだろうな」
狩人は適当に頷く。自分で言い出しておいてなんだが、どうでも良いことであった。
「あっ」
『寝ぼすけ』が小さく声を上げ、狩人を抜いて前へ走り出る。月明かりの下に浮かび上がる眼下の景色に目を見張り、呟くように言った。「ちょっと不味いかも」
「何の話だ」
そう訊ねながらも、狩人は嫌な予感がしていた。
彼が見ている方向には、小人たちの家があるからだ。
崖っぷちに立つ『寝ぼすけ』の隣に並び、狩人も目をこらす。
「……くそったれ」
彼は小さく悪態をついた。遠目に見える小人たちの家が、ゆらゆらと蠢く人影に囲まれていたのだ。
「ありゃ何だ?!」
「死人の群れだ」
声を荒げる『怒りんぼう』に、狩人は冷静に返した。
「連中は普通、その辺をうろうろしているだけだ。民家を……ましてや、かわいい小人さんのお家を取り囲んだりなんてしない」
「魔女が操ってるってことか?!」
「何らかの命令を受けてる可能性は高いな」
あくまで冷静に返す狩人に、『怒りんぼう』はぎりっと歯を鳴らす。
「俺はあんたほど落ち着いてられねえぜ、旦那。あの家と仲間に手を出す奴らは許せねえ。どこの誰だろうとな!」
転がるような勢いで山道を駆け下りていく『怒りんぼう』。
彼の背中を追いながら、狩人はぼそりと呟いた。「どうにもやる気が出ない。何でだろうな」
「自分に嘘をついているからですよ」
彼の自問に、並走する槍の騎士が答える。
狩人はフンと鼻を鳴らし、騎士を睨みつけた。
「可能な限り自分に正直に行動したつもりだぜ。おたくのアドバイスを真に受けてな。その結果があの仕打ちだ。逆に聞くが、テメエは一体何がしたいんだ?」
「私は魔女様をからかって遊びたい」
「は?」
狩人が怪訝な顔を見せると、槍の騎士はコホンと咳払いをする。「失礼、今のは冗談です」
「限りなく本音に聞こえたが?」
「私は私自身が定める『敵』と戦っているに過ぎません。そのために命をかける。おざなりですが、それが軍人であり、騎士の称号を持つ者としての務めです」
「テメエはただの変態だろ」
「フフフ……」
槍の騎士は肯定とも否定とも取れない笑い方をする。
「そう言う貴方も、何やら拙い衝動に身を任せているようですな。建前こそご立派ですが、一皮剥けば、駄々をこねてわめいているだけの子どもが顔を出す。今の貴方はまさにそれだ」
狩人の暗い瞳の奥に、凶暴な光がちらついた。
「……素晴らしいな。今のは分かりやすかったぜ。喧嘩を売られてるってはっきり理解できた。だが、らしくないな。回りくどい言い回しはやめたのか?」
「実のところ私も、婉曲な言葉遣いは苦手なもので」
槍の騎士は懐に手をやり、何かを投げてよこす。
狩人が掴み取り、手を広げると、そこには黒い蝋燭があった。火の勢いは弱く、夜の闇の中で頼りない光を洩らしている。
「何度も捨てた記憶があるが、そのたびに戻ってくるな。気色悪いクソ髭野郎のおかげで」
「大切なのは、信念を持つことです」
騎士は狩人の目を真っ直ぐに見る。
「何を守るべきで、何が敵かを決めるのは利害ではない。信念です。それが無い者は、己が何者であるかを定めることができない。そうなれば他者の言葉をオウムのように繰り返す、哀れな愚者と成り果てるでしょう。お恥ずかしい話ですが、我が国の政治の中枢には、そういった人間がごまんといます」
「そいつはご愁傷様だな」
狩人は黒い蝋燭を手の平の上で転がした。
「そのご大層な信念とやらで飯が食えるなら大したもんだ」
「生活ではなく、生き方の問題ですよ。信念で他者を一人でも救えるのなら、それは私自身が生きていく上での糧であり、慰めになる」
言いながら、槍の騎士は後ろを振り返り、『寝ぼすけ』が抱っこしている子鹿を見る。
「……取りこぼしてしまうことも多いですがね。だからこそ、貴方には後悔してほしくない」
「ああ、そうかい」
狩人は適当に相槌を打ち、蝋燭を懐にしまう。
「それでいい。貴方が持っていなさい。……今度こそ、大切なものを思い出せるように」
槍の騎士は呟き、満足げに頷いた。