GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅩⅦ 粛正

 

 

 夜明けが近づき、魔女が消えた東の空が明るみ始める。木々に絡みつく朝靄が金の衣のような燦めきを見せる頃、廃村にほど近い森の中で、槍の騎士は『隣の国』の長弓部隊に囲まれていた。

 

「これはこれは。何とも物騒な」

 

矢を番えた弓を次々に向けられ、苦笑を洩らす槍の騎士。

弓兵たちを掻き分け顧問官が現れたとき、彼は片方の眉を上げて言った。「これは貴殿の計らいですかな?」

 

「……」

 

顧問官はその問いには答えず、槍の騎士の身体を頭からつま先までじろりと見る。

 

「随分こっぴどくやられたようですね。貴方ともあろう人が」

 

「まあ、色々なことがありましてね。退屈しない一夜でした」

 

ボロボロになった白い装束を見下ろし、騎士ははにかむように笑った。

顧問官は神経質そうに眉をひそめると、ゆっくりと彼に近づいていく。

 

「貴様は戦力外だ。本国に送り返す」

 

「なんと!」

 

騎士はわざとらしく仰け反ってみせる。

 

「しかし私は魔女を討ち取らねば首が飛ぶ身。 つまり貴方様は……私に死ねと?」

 

顧問官は騎士の前まで来ると、冷酷な目つきで彼を見上げた。「そう言っている」

 

「はぁん♡」

 

気色悪い声を出し、よろめく槍の騎士。

 

「はあ、はあ……しかし、今は一人でも多くの兵士が必要なはず。私の穴を埋めるだけの戦力は揃うのですか?」

 

「問題ない。小人たちの何人かが、我々に協力すると申し出てきた」

 

顧問官の言葉に、彼はぴくりと肩を震わせた。一瞬だが、目から戯れの色が消える。「……脅したのですか?」

 

顧問官はじっと彼の表情を見たあと、わずかに首を振った。

 

「いいや。白雪姫を救出し、本国への亡命を手助けするという条件を付けた」

 

「なるほど。利害の一致ですね」

 

「そうだ」

 

顧問官の言葉に、槍の騎士は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「貴殿はやはり有能だ。その若さで、セシル卿の後釜に据えられるだけのことはある」

 

顧問官は表情を険しくし、騎士を睨みつけた。

 

「貴様を送り返す理由はまだある」

 

「ほう?」

 

「王子の身に危険が及んだ場合、私の合図を待たずに撃て。王子自身に何を言われようが取り合うな。各部隊には、このように伝達がしてあった」

 

「ほうほう」

 

「だが彼らは撃たなかった。王子の覇気に怯んでしまったと皆言うが、私はそうは思わない」

 

顧問官はいったん口を閉じると、辺りを見渡す。

弓兵たちが気まずそうに顔を背けるのを見て、その目を鋭く細めた。

 

「思うに……貴様の制止を受けたのではないか、ローリー卿。私の真後ろで待機していた部隊は魔女の声が聞こえていた。事態を詳細に把握していたはずだ。だから撃とうとしたが、貴様に止められたのだ」

 

「ほっほほほ」

 

槍の騎士は口元に手を当て、上品に笑ってみせる。「言いがかりですな。何の根拠もない」

 

「確かに。然るべき者たちに尋問を行えば、正しい答えは出るだろう。だが、今はそんな時間も惜しい」

 

顧問官はそこで言葉を切り、騎士を冷酷な目で見つめた。

 

「貴様の甘さは命取りだ、サー・ローリー。如何に兵たちや国民の心を掴んでいようが関係ない。秤の重さを見誤れば、天秤は崩れるのだ」

 

彼の視線を余裕の笑みで受け止め、槍の騎士は囁いた。

 

「『愛に勝るものはない。我らも愛に身を任せよう』」

 

「?」

 

顧問官の訝しげな視線を受け、槍の騎士は明るい声で答える。

 

「もちろんご存知でしょう? ウェルギリウスです」

 

「……」

 

顧問官の冷たい瞳に呆れと、諦観の色がちらついた。やがて短く息を吐くと、槍の騎士に背を向ける。

 

「思いのほか小人たちは強兵揃いです。しかしながら、人手が不足していることに変わりは無い。貴方に魔女を討ち取る最後のチャンスを与えます。どうか無駄に致しませぬよう」

 

「御慈悲に感謝します」

 

槍の騎士が恭しくお辞儀をすると、顧問官はうんざりした表情を隠す余裕もなく、その場を早歩きで立ち去る。

いささか疲れが見えるその背中が見えなくなるまで、騎士は頭を下げたまま、顔を上げることはなかった。

 

 

 

 

 

 小人の廃村から馬で半日ほど南に下った場所には、人間たちの暮らす街がある。

 

ローマの黄金期から残る城塞に開拓民が住み着いたのが始まりで、その歴史はこの国のものより長く古い。

大陸中に張り巡らされた街道が交差する場所に位置するこの街は、立ち寄る行商人たちのおかげでそれなりに栄えていた。

 

『魔の森』の中である以上ここにも様々な危険があるが、国の兵や自警団による警備は手厚い。

『この国の首都よりも安全かつ景気が良い』とは、派遣されてくる兵士が最初に口にする言である。

 

消耗品を買いにこの街にやって来た狩人は、帽子を目深に被って口元には覆面までしていた。手配書が出回っていることを受け、人目を避けるための間に合わせの工夫である。

しかしかえってジロジロ見られることが多かったため、覆面は途中で取ってしまった。

 

見つかっても構わない。なるようになれという心持ちであったが、市民はもちろん、憲兵までもが彼に目を止めることはなかった。

それもそのはず、この国の民たちは今、賞金首などに構っている余裕はなかったのである。

 

「よう、狩人のあんちゃん!」

 

街道から外れた場所にある寂れた酒場に入ったとき。入口近くの席で飲んだくれていた老人が、彼に気づいて声をかけた。

ひょろりと背が高く、痩せ細った身体にぼろ布を纏った姿は一見浮浪者のようであるが、真っ白い髪や髭などは短く剃られ、比較的小綺麗に見える。

 

「聞いたぞ! お前さん、お姫様をぶっ殺したんだって?! ダハハハハハハッ!!」

 

「いや、笑いごとじゃないだろ」

 

狩人は呆れながらも、老人の傍の椅子に腰を下ろした。老人は酒瓶に直接口を付け、ぐいと喉の奥に流し込んだあと、とろんとした目つきで続ける。

 

「王妃様も人が悪い。おふざけにしては少々過激だ。王族殺しの冤罪なんて」

 

「ああ。憲兵に捕まったら即処刑だ。まったくスリルがあるぜ」

 

「ハハハ、違いない! お前さんもいよいよ年貢の納め時じゃな!」

 

老人はたちまち瓶を空にすると、ウェイターを呼び止め、追加の酒を注文した。

 

「ほどほどにしとけよ。飲み過ぎで死ぬぞ」

 

狩人の言葉に、老人は煩わしげな顔をする。

 

「じゃあ今から来る分は誰が飲むんじゃ」

 

「俺が飲んでやるよ」

 

鋭い笑みで返す狩人。

老人は「ふむ……」と一考したあと、快く頷いた。「いいぞ。奢りにしてやる」

 

「気前の良い老人は長生きするぜ」

 

狩人は運ばれてきたビールジョッキを掲げ、乾杯の仕草をすると一気に飲み干す。

老人は彼がジョッキを机に置くのを待ってから、少し抑えた声で訊ねた。

 

「ところでお前さん……知っとるか? あの噂」

 

「どの噂だ?」

 

「王様が生き返ったとかいう噂じゃよ。森の中で姿を見た奴がいるらしい」

 

「ああ……」

 

狩人はジョッキに残った小さな泡をじっと見つめる。

 

「噂は噂だろう。死人が歩き回るなんて、普通ならありえない」

 

老人は疑り深げな目を彼に向けた。「この国の森は普通じゃないだろう」

 

「そうか? 森なんてどこもこんなもんだろ」

 

あくまで彼はシラを切るが、老人は何を見透かしてか、顔つきを鋭くする。「お前さん、何か知っとるな?」

 

「さあな」

 

「やっぱり王妃様の仕業なのか?」

 

「何のことだか分からないね」

 

狩人は大げさに肩をすくめた。老人はしばらく彼を睨んでいたが、やがて諦めたように俯く。

 

「まあ、お前さんの態度が正しいかもな。王妃様が魔女というのは、この国じゃ誰もが知っとる公然の秘密じゃ」

 

「その通り。詮索好きな老人は早死にするぜ」

 

「確かにな」

 

老人は酒瓶を呷ったが、空だったことに気づき、ものすごくがっかりした顔をする。

 

「……だが、曇王様が生き返ってくださるならわしは嬉しいよ。たぶんみんな嬉しい。たとえ『死人返り』だろうがな。これだけみんな騒いでるのは、きっとそういうことじゃろう」

 

狩人は眉間に皺を寄せた。「そんなに噂になってるのか?」

 

「もちろん。やれ『隣の国が攻めてくる』だの『十字軍がやってくる』だの『王妃様が空を飛んでるのを見た』だの……妙な噂がたくさんあるが、一番騒がれてるのは王様のことじゃよ」

 

「……」

 

狩人は渋い顔をして天井を見上げ、しばらくの間黙っていた。「話の種が多いのは良いことだよな」

 

「まあ、そうじゃな。だが戦争の気配だけは良くない。他所の国へ逃げる準備をしてる連中も多いのよ。市で買い物したなら気づいたろう? 在庫整理で、どの商品もびっくりするほど安い」

 

「この国が弱ってて得したな。まったく嬉しい限りだぜ」

 

狩人は椅子に背中を預けると、帽子を傾けて顔を隠す。

 

「この辺、昨日雪とか降らなかったか?」

 

彼の問いに、老人は楽しそうに笑った。

 

「降ったぞ。たくさん降った。朝になったらすぐに溶けてしまったが」

 

「この辺りだったらまあそんなもんか」

 

「王様がやったことだってみんな言っとるよ」

 

狩人は指先で帽子のつばを上げ、暗い瞳をわずかに覗かせる。

 

「知ってるか。天気を変えるってのは神様にしかできないらしいぜ。ただの人間に神様の真似事ができるもんか」

 

「お前さんこそ知らんらしいな。曇王様はな、神様なんじゃぞ」

 

「フン」

 

狩人は馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「王様は確か病気で死んだんだろ。神様がそんな情けない死に方するかよ」

 

「ただの神様ではない。古い神様なんじゃ。力を失ってるから、病気で死ぬことだってある」

 

「神様に古いとか新しいとかあるのか? 神様は唯一絶対、天上に一人だけのはずだろ」

 

狩人の言葉に、老人は不愉快そうに顔をしかめた。口をへの字に曲げ、床にぺっと唾を吐く。

 

「……新しい神様はな、皆の傍に寄り添ってくれるわけではないんじゃよ。皆を救ってくれるわけでもない。救われて天に昇れる者は初めから決まっておるんじゃ。生きてる間にどんな良いことをしようが、そのことが覆るわけじゃない」

 

「そうなのか? 初めて聞いたぞ」

 

「少なくともわしが子どもの頃に聞かせられた話ではそうじゃった」

 

「神様ってのは存外狭量だな」

 

「そうなんじゃよ」

 

老人は顔をしかめたまま相槌を打つ。

 

「だから一昔前まで、女神様へ祈るのが流行っとった。神様は救ってくれないが、女の神なら慈悲を向けてくださるかもしれんとな。何でも処女にして神の御子をお産みになったとか、冗談みたいなお人らしい」

 

「それ、誤訳で生まれた間違いだぞ」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。ラテン語は難しいからな。誤訳のまま定着しちまうことはよくあるらしい」

 

「ふうん……まあいい。とにかく、その頃はどこの教会も女神様の像ばかりだったし、そうした祈りの甲斐あってか、泉や小川、井戸の一つ一つに女神様が住んでおった。小さな願い事なら、ときどき叶えてくださったんじゃぞ」

 

「へー、なんか逆に有り難みがないな」

 

「何を言う。有り難いに決まっとるじゃろ」

 

老人は唇を尖らせて言った。狩人は顎に手を当て、ふと意地悪な笑みを浮かべる。

 

「要は『昔は良かった』って話だろ? 年寄りがよくする過去を美化した自慢話だ。まったく有り難いね」

 

老人は彼を一瞥すると、馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「お前さんは物知りなようでいて、その実何も知らんな。若者にありがちな『偏った知識』というやつか?」

 

「俺はそれなりに歳を食ってるつもりだが」

 

「三十そこそこで年寄り気取りか、フン。本当に知らんなら教えてやるが、わしらの若い頃はな、そりゃもう大変だったんだぞ」

 

「今よりもか?」

 

「史上最悪と言っていいかもしれん。ちょうど昨日の夜みたいな季節外れの寒波が、何十年も吹き荒れていた。寒さと飢えで、数え切れないくらいの人が死んだよ」

 

「『明けない冬』か」

 

「そうじゃ。極めつけは『黒死病』じゃな。あれは本当に酷かった。通りに毎日新しい死体が捨てられ、古い死体の上に積み重なって山を築いておった。大人も、子どもも、老人も。貴族も平民も牧師も騎士も、区別なくな。……髑髏が黒衣を纏ったような死神の群れが、夜な夜な人々を襲うのを確かに見たよ。身内も友人も、みんなアイツに殺された。わしが生き延びることはできたのは、ただ運が良かっただけと言っていい」

 

狩人は神妙な顔で老人の話を聞いていたが、不意に口を挟んだ。

 

「話の腰を折るようで悪いが、じーさん。あんた頭の医者にかかった方がいい」

 

「なんじゃと?」

 

不機嫌そうに顔を上げる老人。

狩人は「俺の知識が正しければだが」と前置きした上で話を続ける。

 

「今長々とくっちゃべってるのはあんたが子どものときの話だよな?『明けない冬』も『黒死病』も、数百年は昔の話だったはずだ。妖精とか魔女ならともかく、ただの人間がそんなに長く生きられるはずないだろ」

 

老人はきょとんとしていたが、やがて酒で黄ばんだ歯を見せ、にやりと笑う。

 

「まあ、月日が経つのはあっという間ってことじゃな」

 

「訳が分からん。こっちの言葉で喋ってくれ」

 

「はっはっは」

 

面白そうに笑う老人を尻目に、狩人は立ち上がった。帽子を被り直すと、彼に背中を向ける。

 

「悪いが用事が立て込んでてな。そろそろ行くぜ。長生きしろよ、じーさん」

 

「おう、あと数百年は生きてやるわ」

 

老人の返事に、眉根を寄せる狩人。「やっぱ長生きしなくていい。早めに死んでくれ」

 

「ダハハハハハッ!!」

 

大口を開けて笑う老人につられて狩人も少し微笑むと、颯爽と店の外に出ていく。

老人は手元の瓶を引き寄せてぐいっと呷り、中身がなかったことを思い出すと、この世の終わりのような顔をした。

 

 

 

 

 

 王宮の地下を長く伸びる闇に包まれた回廊を、魔女は早歩きに進んでいた。

蝋燭や松明などの照明はなく、一寸先も見通せないほど暗いが、彼女の足取りに迷いはない。脇に『魔法の鏡』を抱えつつ、軽やかに靴音を響かせる。

 

「……帰ってきて早々、私に見せたいものとは何です」

 

『鏡』の問いに、魔女はにこりともせずに言った。「じきに分かるわ」

 

おもむろに立ち止まり、その場でくるりと向きを変えると、鉄で造られた重厚な扉を押し開ける。

のっぺりとした石の壁に四方を囲まれた部屋で、中央に置かれた水晶の放つ光が、周囲を青白く照らしていた。

 

「ここは……?」

 

『鏡』の訝しげな声に、彼女はうっすらと微笑む。

 

「貴方でも見通せなかったでしょう。この部屋はね、特別なのよ」

 

「あの水晶は……」

 

「私が作ったの」

 

得意げに話し出す魔女。

口元の笑みは次第に深く、歪みを増していく。

 

「『魔の森』の霧が封じ込めてあるのよ。貴方に頼らずとも、この国の全てが見渡せるように」

 

「いつの間にこんなものを……」

 

「貴方に全てを晒け出すわけがないでしょう? 女にはね、秘密が付き物なの」

 

言い終わるや否や、魔女は突然腕を振り、『鏡』を天井近くまで放り投げた。声を上げることもなく、くるくると宙に弧を描く『鏡』。

床に叩きつけられるかと思いきや、魔女のスカートの陰から飛び出した氷の刃がその身を貫き、壁に鋭く縫い留めた。

 

「意外だったかしら?」

 

魔女の問いに、『鏡』は抑揚のない声で返す。

 

「いえ……今日が終わりであることは、知っておりました」

 

「その割には随分冷静だったじゃない」

 

魔女は小首を傾げ、『鏡』をじっと見つめる。

 

「まあ、悪魔は決して死ぬことがないものね。その鏡だって、しょせんは地獄から現世を見るための覗き窓に過ぎないんだし」

 

「それは違います」

 

「何が違うのよ」

 

眉間に皺を寄せる魔女に、『鏡』は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 

「貴方たちと過ごした日々は……まさしく至高でした。またあと数百年、現世の光を見れぬと思うと……この身を御子の万雷に焼かれる思いです」

 

「自業自得よ」

 

魔女は顎を上げ、冷たい目で彼を見下ろした。

 

「私に黙ってあの犬に肩入れしていたでしょう。今までは見逃してあげていたわ。……でも、ここからは正念場なの。例えほんの少しでも、敵に情報を与えることは許されない」

 

「……」

 

「他に何か言い残すことは?」

 

彼女の周囲に次々と現れる氷刃を見て、『鏡』は少し沈黙した後、穏やかな声で応える。

 

「貴方たちの身を、ただ案じております」

 

「フン」

 

魔女は顔を背けようとしたが、最後に一度だけ振り返り、彼を真っ直ぐに見つめた。

 

「これまでの献身に感謝するわ、『蝿の王』。契約したのが貴方で、本当に良かった」

 

そして『鏡』に背を向け、片手を無造作に振り抜く。放たれた刃が彼を貫き、抉り、粉々にする音を聞きながら、魔女は眩く光る水晶を手に取り、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

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