GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅩⅧ 狼

 

 

 雲間から夕暮れの光が覗き、灰色の森を燃えるような赤に染め上げた。

鬱屈とした空気を押し流す清涼な風が、狩人の頬を優しく撫でて過ぎていく。

病に侵された木々は黒く腐りきった葉を散らし、麗らかな日の光と風とにその身を晒していた。

 

「……おかしいな」

 

狩人は風の臭いを嗅ぎ、首を傾げる。『魔の森』らしからぬ爽やかな空気に、少なからず違和感を覚えていた。

国の首都に近いこの場所は、森の中心に位置している。普段なら毒と瘴気に満ちた、危険で悍ましい気配に満ちているはずだ。昼夜が入れ替わる夕刻なら尚更である。

 

「気のせいじゃないな。こりゃ異常だ」

 

狩人は呟き、地面に膝をついた。

沼地の濁った水は干上がり、指ほどの太さもある大きなミミズたちが乾いた落ち葉の上で苦しげにのたうったあと、絶命している。絡まり合って連なる彼らの死骸は、烏たちの贅沢なご馳走であった。

 

ふと何処かで金属の擦れる音がし、狩人は反射的に頭を低くする。木の陰に身を潜め、革紐を引っ張って背中から猟銃を降ろした。

慎重を期し、しばらくその場で様子を窺うつもりであったが、次の瞬間聞こえてきた声に、彼は思わず顔をしかめる。

 

「まったく臆病な犬だ。出てこい。しゃぶりかけの骨をくれてやる」

 

「チッ」

 

狩人は舌を打ち、木の陰から抜け出した。

聞き覚えのある声だった。何処で聞いたかは忘れたが、少なくとも敵意は感じられない。

何よりこのような挑発を受け、黙って隠れたままというわけにはいかなかった。このふざけた声の主と正面から対峙し、場合によっては二、三発殴る必要がある。

 

「そうだ。こっちへ来なさい。よーしよしよし。良い子でちゅねぇ」

 

「……」

 

狩人は無言で銃の撃鉄を跳ね上げた。

事によると、殴るだけでは済まないかもしれない。もし相手が銃を抜いていたなら、つい指が滑って引き金を引いてしまったとしても、こちらに非はないだろう。

彼は音を立てぬよう、静かな足取りで声の聞こえる方に進んでいく。

 

それほど遠くない場所に、声の主の姿はあった。空に向け大きく枝を広げた大木の根元に、背中を丸めて座り込んでいる。草臥れたコートは黒々とした血と泥に塗れ、異音の混じった呼吸はか細い。

その男は近づいてきた狩人に気づくと、シルクハットのつばを指で上げ、にちゃあ、と不気味な笑みを見せる。

 

「よくできました」

 

「ケガしてるのか?」

 

狩人は鞄の中を探りながら、男の傍に膝をついた。服の襟を掴んだが、男はやんわりとその手を払いのける。

 

「手当ては必要ない。どうせもう助からん」

 

「らしいな」

 

濃厚に漂う死の臭いに、狩人は思わず顔をしかめた。その男、魔女狩りの首領は彼の頭からつま先まで視線を流したあと、ふっと小馬鹿にするように笑う。

 

「どうやら男にはなったようだな。だが、魔女とその他諸々を殺すにはまだ足りん」

 

「何だと?」

 

魔女狩りの首領を睨みつける狩人。

彼の鋭い眼光にも怯まず、首領はニヤニヤとした笑みを崩さない。

 

「どうせ私が何者かも憶えていないだろう。違うか?」

 

「何処かで会ったか?」

 

眉をひそめる狩人に、首領は弱々しく肩をすくめる。「やれやれ……まさか本当に憶えてないとは」

 

「ああ?」

 

「馬鹿な犬は痛みを伴わなければ学習できん。あのとき調教できなかったのが残念でならんな」

 

「何の話だ。お前、人を煙に巻くのもほどほどに……」

 

そこまで言いかけ、狩人ははっと目を剥いた。

その視線は、悪趣味なシルクハットに注がれている。

 

「お前、魔女狩りのリーダーか。あの気色悪い奴!」

 

「ご名答。よくできました、と言いたいが……簡単な問題に時間をかけすぎたな」

 

直後に首領は俯き、軽く咳き込んだ。

口の端から垂れた血の筋をスカーフで拭うと、瞳に真剣な色を宿す。

奇しくも狩人のものによく似た、切れ長の鋭い目だった。

 

「……どうやら本当に時間がない。今から必要なことのみを話すから、手悪させずによく聞くんだ」

 

「遺言を遺すヤツにしては、妙に態度がでかいな」

 

狩人は呆れながらも、膝をついたままの姿勢で魔女狩りの首領に近づく。警戒して猟銃を構えたままだが、銃口の先は地面に向いていた。

 

「聞くだけ聞いてやるよ。何だ?」

 

「これを持っていけ」

 

首領は膝下に手をやり、落ち葉の下に隠していた拳銃を差し出した。

やや大型のもので、銃口の先がラッパのような形に広がっている。

 

「何だこの不格好な銃は」

 

「ラッパ銃というものだ」

 

「見たまんまだな」

 

ぼそりと呟く狩人に、首領は顔をしかめて言った。

 

「いいから黙って聞け。これは市場に出回っていない最新の銃だ。優れているのは、弾切れを心配する必要がない点にある」

 

「弾が切れない? 馬鹿言え。そんな銃があってたまるか」

 

「あるんだよ。用意するのは少量の火薬だけでいい。火薬をひとつまみ、そしてそこらの砂利や鉄くずを銃口に詰めれば……それで装填は完了だ」

 

首領の言葉に、狩人は片方の眉を上げる。

 

「何でも弾にできるってことか? 確かにそりゃ便利だな」

 

「精度は期待するなよ。射程はせいぜい数メートルが限度と思え。接近戦でのみ使うんだ」

 

「分かった」

 

「それと……詰めすぎには注意しろ。よく部下たちが暴発させていた」

 

「お前のところのアホどもと一緒にするな。俺は銃の設計もできるんだぞ」

 

狩人がそう言うと、首領は満足げに頷いた。ラッパ銃を狩人に手渡し、言葉を続ける。

 

「よし。これでまず一つ目だ。今から二つ目を言うぞ」

 

「まだあるのかよ」

 

「口を挟むな。時間が無いと言っているだろう」

 

首領の顔色は目に見えて悪くなっていた。

唇は青く、瞳からは生気が失せていく。舌だけはよく回っているが、それも時間の問題だろう。

 

「いいか。これは一つ目より重要だ。お前は男にはなった。だが……まだ犬の気が抜けていない。習性として身体に染みついてしまっている」

 

「……」

 

狩人は顔をしかめてじっと首領の顔を睨みつけた。ややあって、上げかけていた銃口の先を再び地面に向ける。

 

「あんたが死にかけじゃなけりゃ、いたぶって遊んでやってるとこだぜ」

 

「ほほう、狩猟本能を持て余しているな」

 

「黙れ」

 

狩人はドスの利いた声を出したあと、眉間にできた皺を指で伸ばした。

 

「……いいさ。百歩譲って、俺がまだ犬だとする。どうすれば完全に犬じゃなくなるのか、教えていただけると助かるな」

 

狩人が慇懃に訊ねると、首領は口元を鋭く歪める。「簡単だ。狼になればいい」

 

「……?」

 

狩人はせっかく伸ばした眉間に再び皺を作った。「あんた、人を煙に巻くたびに寿命が延びるのか?」

 

「クックックッ……」

 

首領は軽く俯き、乾いた笑いに喉を震わせる。

 

「お前の冗談はつまらんらしいが……今のは面白かったぞ。花丸をあげよう」

 

「俺は真面目に聞いてやってるんだぞ。時間がないんじゃなかったのか?!」

 

狩人が苛立たしげな声を出すと、首領の顔からふと表情が消える。死にかけとは思えない力で狩人の胸ぐらを掴み、ぐいと引き寄せた。

ぎょっとする狩人に顔を寄せ、間近で睨みつける。その濁りかけた瞳の奥に、金色の影がちらついた。

 

「見えるぞ。お前の首には未だに、重い鎖が巻きついている。それでは駄目だ。主人の手に少々噛み傷を残したくらいで、犬をやめたことにはならん。主人に勝利し、屈服させ、初めてお前の鎖は解かれるのだ。狼になれ。お前には素質がある。古き神をその牙にかけ、このくだらないお伽話に終わりをもたらす……怪物の素質が」

 

「わけ分かんねえこと言ってんじゃねえ! あとテメエ息が臭いぞ! 放せ!」

 

狩人は力任せにもがくが、首領の手から逃れることができない。そればかりか身体をさらに引き寄せられ、頭をわしゃわしゃと撫でまわされる。

 

「よーしよしよし。よーしよしよしよしよし」

 

「何がしたいんだテメエは!!」

 

首領を突き飛ばし、背後の大木にぶつける狩人。乱れた帽子と襟元を正したあと、冷たい目で彼を見下ろした。

 

「……で、遺言は終わりか? それとも三つ目があるのか?」

 

「これで全てだ」

 

「ああ、そうかい。じゃあさっさと死ね」

 

「ククク……」

 

魔女狩りの首領は小さく肩を震わせる。

もう顎を上げる余力もないのか、地面に重なる黒々とした落ち葉を見つめ、ゆっくりと目を細めた。

 

「必ず打ち倒すさ。お前は……私の……」

 

最後の言葉は掠れ、誰の耳にも届くことはない。

魔女狩りの首領は眠るように目を閉じると、その身体は静かに冷たくなっていった。

夕日が地平に沈む、最後の燦めきが穏やかな死に顔に差し、やがて辺りは夜の闇に包まれる。

 

「時間がないとか言っときながら無駄なことばかりしやがって。馬鹿なのかコイツは」

 

狩人は頭を振り、思い出したように膝についた泥をはたき落とす。

 

「狩人さん!」

 

聞き覚えのある、高い少年の声がした。

振り返ると、軽やかに茂みを飛び越え、こちらに駆けてくる人影が見える。

日が落ちてしまったため姿が見えにくいが、果たして誰かは確かめるまでもあるまい。

 

「よう、王子様。お前一人か?」

 

狩人は片手を挙げるが、王子はそれに応えなかった。近くにやって来るなり細剣を抜き払い、鋭い目つきで周囲を見渡す。「敵はどこですか?」

 

「は?」

 

「さっき悲鳴をあげてましたよね? 敵に襲われたのでは?」

 

「悲鳴なんてあげてないぞ」

 

「え、でもさっき……」

 

「そりゃお前の勘違いだ」

 

狩人は呟きつつ、もう一度背後を振り返る。そして思わず目を瞠った。

大木に背を預け、息絶えていたはずの魔女狩りの首領の姿が影も形もなかったからである。臭いもなく、血の痕跡すら残っていない。落ち葉に吸われたのだろうか。

 

「……??」

 

狩人は首を捻り、しばらく考えていたが、やがて首を振った。「……まあ、どうでもいいか」

 

「あの木がどうかしたんですか?」

 

王子の問いに、狩人は無言で肩をすくめた。

懐を探り、ラッパ銃の重厚な感触を確かめると、にやりと笑う。

 

「思わぬ贈り物があっただけさ。息の臭い、不潔で悪趣味な妖精さんからな」

 

「……?」

 

王子はきょとんとした顔で狩人を見たが、それ以上何も訊かなかった。

 

「他の連中はどうした。近くにいるのか?」

 

狩人の問いに、王子はこくりと頷く。「すでに集まっています。貴方が来れば、それで全員です」

 

「俺はビリってことか」

 

「い、いえ。みんな来たばかりですよ?」

 

慌てて付け加える王子を横目に、狩人は銃の革紐を肩に引っ掛けた。

 

「皆さんをお待たせするわけにはいかないな。先導してくれ」

 

「はい!」

 

元気よく返事をする王子の背中を追いかけ、その場を後にする狩人。

金色の影を帯び、不気味なほどくっきりと闇に映える満月が、彼の行く獣道を導くように照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

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