GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅩⅨ 十字

 

 この国の首都の西隣には、山と呼ぶにはやや背の低い小高い丘がある。

各地に散っていた『隣の国』の部隊は続々とそこに集い、砦に勝るとも劣らぬ規模の野営地を築いていた。

 

先んじて到着した長弓部隊は付近の森を偵察し、木材として使えそうな木々に目処をつけた。

そして人手がある程度集まってから速やかにそれらを伐採して丘に運び上げ、防壁や杭はもちろん破城鎚や投石器に至るまで、数時間のうちに組み上げたのである。

日が暮れる頃には、決戦を迎えるに相応しい強固な陣地が完成していた。

 

「指揮官の指示もなしにこれだけの仕事をやってのけるとは、大したものです」

 

屈強な体格の壮年の兵士が、崖に沿って並ぶ投石器の一つに触れて呟く。

 

「私が選んだ精鋭たちです。これぐらいやってもらわねば困ります」

 

顧問官は後ろ手を組んで崖のふちに立ち、冷たい目で敵国の首都を見下ろしていた。

ローマ全盛の頃に建てられた大きな砦をそのまま街にした、強固な城塞都市である。

今宵は雲一つ無く、眩いばかりに夜空を彩る金色の満月の下で、その姿をくっきりと顕している。

 

「大砲があれば言うことなしでしたな。現地調達の品のみで作るとなると、この辺りが限界なのでしょうが」

 

「問題ありません。それらは恐らく使うことはないでしょう」

 

振り返ることなく放たれた顧問官の言葉に、壮年の兵士は眉をひそめた。「どういう意味ですか?」

 

「言葉通りです」

 

「つまり、我々は守りに徹すると?」

 

兵士の問いに、彼は抑揚のない声で言った。

 

「あの狩人の情報によれば、魔女には遠方の出来事を正確に知る術がある。正しくは『鏡』という名の側近……おそらくは使い魔が、そういった力を持っているといいます」

 

「なんと……」

 

「つまり、相手にはこちらの出方が筒抜けということです」

 

それだけ言うと、顧問官は口を閉じた。

壮年の兵士は顎に手を当てて俯いていたが、やがて顔を上げる。

 

「隠し事ができないなら、あえて選択肢を与えて迷わせる。そういうことですか」

 

「その通りです」

 

おもむろに踵を返す顧問官。崖のふちから離れ、彼の方へと歩いていく。

 

「敵方から丸見えの位置に陣を構え、分かりやすく投石器まで並べたのはそのためです。相手方が先制攻撃を選ぶなら、こちらは守りに徹する。逆に都市に引き篭もるのなら、攻城兵器の出番というわけです」

 

「なるほど」

 

壮年の兵士は頷くが、同時に怪訝そうな顔をしていた。

 

「しかし報告によれば、魔女は浅慮で攻撃的、かつ軍略には疎いといいます。籠城を選ぶ可能性は低いのでは?」

 

彼の問いに、顧問官は片方の眉を上げる。

 

「ですから、そこは最初に言った通りです。それらは恐らく使うことはないと」

 

「そうでしたな」

 

壮年の兵士は恥ずかしそうに笑った。「失礼。近頃は歳のせいか、どうにも記憶が……」

 

「まだそんな歳ではないでしょう。私が死んだ場合、指揮権は貴方に回ってくる。しっかりしてもらわねば困ります」

 

「申し訳ない」

 

頭を下げる兵士の横を過ぎたところで、顧問官はふと立ち止まった。

櫓の下に積まれたわずかばかりの食糧を見て、神経質そうに眉をひそめる。

 

「どの道、こちらは長期戦に耐える備蓄がない。急拵えの攻城兵器の作りも甘く、連続使用は利かないでしょう」

 

「攻めてきてもらわねば困ると?」

 

「籠城を選択されたら一巻の終わりです」

 

顧問官の断言に、壮年の兵士もつられるように表情を険しくする。

 

「……そうでしたな。目的は制圧ではなく魔女の抹殺。都市内から残存勢力を少しでも引きずり出さねば、暗殺の成功率は限りなく低くなる」

 

「攻めてくるさ。間違いなくな」

 

突然響いた誰かの声に、壮年の兵士は目を瞠った。横を見ると、防壁に背を預けた狩人が煙草のパイプを吹かしている。

 

「ここまでお膳立てしてもらったんだ。必ず上手くいくさ」

 

「だと良いのですが……」

 

壮年の兵士の尻すぼみな口調に、狩人はじろりと彼を見返した。「お前ら自分に自信を持つってことを知らんのか? 今までやってきたことを信じて、臆せず前に進めばいいんだよ」

 

「はあ」

 

「昔の話だが、ジャンヌ・ダルクっていたよな? お前らがフランスの北半分奪い返されたのだって、あのトチ狂ったジャリガキとそのおっかけファンの勢いにビビり散らして中途半端な戦い方をしたからだろ? 堂々としてりゃ負けなかったんだよ」

 

「いえ、しかし……」

 

「何だよ」

 

「戦争において、勢いというのは大事ですから」

 

兵士の言葉に、狩人は呆れたように首を振る。

 

「俺の話聞いてたか? 要はこっちも勢いを持とうぜってことだろ」

 

「な、なるほど」

 

「しっかりしてくれよおっさん。ったく」

 

煙草の灰を地面に捨て、グチグチと文句を言いながら去っていく狩人の背中を、兵士と顧問官は何とも言えない顔で見送った。

 

「……彼も連れていくのですか」

 

「ローリー卿はそのつもりのようです」

 

顧問官は地面に落ちた灰に歩み寄り、残り火を軍靴の底で踏み消す。乾いた木で作られた防壁に燃え移るのを防ぐためである。

 

「どの道ここに置いておく選択肢はない。王宮の地下へ続く抜け道を知っているのは、我々の中では彼だけですから」

 

「信用できるのですか?」

 

「問題なく」

 

そう言い切ったあと、彼は微かに顔をしかめた。「信頼が置けないのは、むしろローリー卿の方です」

 

「はは……確かに」

 

壮年の兵士は苦笑したあと、思い出したように訊ねる。「王子は何と?」

 

「背骨を折ると脅したのですが、『這ってでもついて行く』と言って聞きません」

 

「はあ」

 

兵士は呆れたような、あるいは感心するような溜息を吐いた。「貴方の本気の脅しに屈さないのは、現状あの二人くらいなのでは?」

 

「恐らくそうです。我が軍はブリテン国随一の厄介の種を、二つも抱えていることになる」

 

「ご苦労が絶えませんな」

 

「恐縮です」

 

顧問官は軽く頭を下げる。

壮年の兵士は少し考えたあと、遠慮がちに言った。「私は王子と剣を交えたことがあるのですが」

 

「はい」

 

「正直に言いますと、手も足も出ませんでした」

 

「……」

 

無言で兵士の顔を見る顧問官に、彼は身振り手振りを交えて話し出す。

 

「こちらの剣に力が乗りきらない、絶妙な位置に絶えず身を置いています。素早い足捌きは回避はもちろん、その後の速攻においても真価を発揮している。剣筋も正確無比。体格差などものともしない。まさしく天才です」

 

「本人には言わないで下さい。あれ以上調子に乗られては困ります」

 

顧問官の言葉に、壮年の兵士は頭を掻いた。

 

「実は……すでに言ってしまいました。ついさっきです。大変喜んでおいででした」

 

「……」

 

額に手を当てて俯く顧問官に、兵士はしどろもどろになって言う。

 

「しょ、少々元気のないご様子でしたので、その、励まそうとしたんです。申し訳ない。なんなりと処罰を」

 

「結構です。貴殿のような熟練の将に私用で罰を下すほど、私は自惚れてはいない」

 

顧問官は顔を上げ、壮年の兵士の顔を真っ直ぐに見た。

 

「貴方の言いたいことは分かります。王子は足手まといにはならない、と言いたいのでしょう。私も同意見です。細剣を用いた決闘剣術など、戦場では当てになりませんが」

 

「では……」

 

「敵地に乗り込んでからは迅速な行動が要です。彼の足の速さを捨てるのは惜しい。背骨を折るのは、またの機会にするつもりです」

 

彼のこの言葉に、兵士は無言で目を細めた。

顧問官は彼の顔を一瞥したあと、顔を背ける。

その目は味方のいる野営地でも敵のいる首都でもない、遠くの地平を見ていた。「意外だったようですね」

 

「ええ。貴方は作戦の成否より、王族の安全を重視するものとばかり」

 

「つい数刻前まではそうでした」

 

「?」

 

兵士が首を傾げると、顧問官は彼に視線を戻す。「優先順位が変わったのです」

 

「というと?」

 

「南の国境を監視する密偵から伝書が届きました。『十字軍』が編成されていると」

 

「な……!?」

 

壮年の兵士はさっと顔色を変えた。

対照的に、顧問官の表情にはこれといった変化はない。

 

「規模は約一万。いつでも進軍できる状態にありますが、どうやらカトリック諸国からの援軍と合流するつもりのようです」

 

「今すぐ進軍してきた場合、ここへはいつ頃?」

 

「徒歩なら少なくとも三日。しかし馬の場合、半日とかからず到達する可能性が高い」

 

「半日と、かからず……」

 

兵士は呆然とした表情で、ただ立ちつくしていた。顧問官は彼の顔をじっと見たあと、首を横に振る。

 

「あくまで最悪の想定です。経緯は不明ですが、ここ数日で『魔の森』は大きく変化しました。沼地は涸れ、大気は澄みきって見通しが良く、怪物どもは姿を消し、街道も安全になっている。馬を使うに何ら問題のない環境へと変わったのです。しかし、神聖ローマ帝国はまだそのことを知らないでしょう」

 

「斥候を使えばすぐに気づくことです。お言葉ですが、少々楽観が過ぎるのでは?」

 

「自覚しています」

 

顧問官は頷き、再び南の地平に目をやった。

 

「しかし『半日とかからず』というのは、先ほども言いましたが最悪の想定。機動力に特化した騎兵や早馬の伝令兵を想定した話です」

 

壮年の兵士は眉間に皺を寄せる。

 

「……騎兵と伝令だけの部隊など聞いたことがありません。ましてや騎兵など、今どき戦列歩兵の餌食にしかならない」

 

「ええ。普通ならばありえません。補給や補助を想定していない部隊など現実的ではない。有り得るとすれば数人規模の少数精鋭ですが……その程度の人数でできることと言ったら、斥候か暗殺くらいでしょう」

 

「ローマが我々と同じことを考えている可能性があると?」

 

「あるいは、我々以上に多くの物事が見えている可能性もあります。どちらにせよ、こちらには一刻の猶予もない」

 

顧問官は首都の方角に身体ごと向き直り、兵士に完全に背を向けた。

 

「エドワード様は第一王子。順当にいけばブリテンの次期国王となられるお方です。しかし極論、王族というのはいざというとき『替えが利く』」

 

「……」

 

壮年の兵士は黙って彼の背中を見た。

その目つきは今までと違い、穏やかなものではない。

 

「そのような発言はお控えになった方がよろしいかと」

 

「貴殿もローリー卿に毒されましたか。私は事実を口にしたまでです。実際武芸に達者な王族は、短命な者が多い」

 

顧問官は振り返って彼を見返す。

その目は感情を他人に読ませぬ、普段通りの冷酷なものに戻っていた。

 

「我々は混乱しています。しかし魔女には、それ以上に混乱してもらいましょう」

 

「部隊を招集しますか?」

 

「はい。あと数時間のうちに敵が攻めてきます。各部隊長を集め、迎撃準備をお願いします」

 

「数時間のうちに攻めてくる? ……失礼ですが、いつ伝書を受け取ったのです?」

 

壮年の兵士が訊ねると、顧問官は眼下にある首都を顎で示した。見れば外壁付近の街の一角から、か細い二本の煙が上がっている。

 

「内部に潜入している密偵からの合図です。狼煙が闇に紛れやしないかと不安でしたが、この月夜では杞憂でした」

 

「はは、天は我々の味方ですな」

 

兵士は苦笑したあと、ふと表情を引き締めて言った。

 

「私は王子のご帰還を確信しております。あの方には、神の強いご加護がある」

 

「……」

 

顧問官は壮年の兵士の揺るぎない瞳をじっと見たあと、やがて目を細める。「では、私も信じるとしましょう」

 

「光栄です。サー・ウォルシンガム」

 

兵士は敬礼したのち素早く踵を返すと、大股で野営地の方へと歩き去っていった。

 

「これより陣形の指示を出す! 各部隊長、集まれ!!」

 

壮年の兵士の力強い声が響く。顧問官は胸に小さく十字を切ると、兵たちの集まる場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 持ち場につく兵たちに細かな指示を与えるため、壮年の兵士は野営地の中を歩き回っていた。

そして偶然にも、作戦本部の天幕へと向かう槍の騎士の背が視界に入り、一瞬迷ってから声をかける。

 

「ローリー卿!!」

 

彼は眉を上げて振り返り、壮年の兵士を認めるとにっこり笑った。

 

「これはこれは。相も変わらず活力に満ちておいでですな」

 

「失礼……つい大声を」

 

「お気になさらず」

 

悪戯っぽく笑う槍の騎士に、彼はやや躊躇いがちに言った。

 

「ウォルシンガム卿からも説明があると思いますが、敵はあと数時間で攻めてきます。いよいよです」

 

「素晴らしい。貴殿らの腕の見せ所というわけですな」

 

愉しそうに頷く槍の騎士。怯えや緊張といったものは微塵も感じられない。

兵士は再び躊躇ってから、周囲には聞かれぬ小さな声で呟く。「エドワード様をお願いします」

 

彼の言葉に、槍の騎士はきょとんとした顔をする。が、ややあってからにっこり笑うと、背中から銀の槍を抜き、穂先を額に合わせるようにして胸の前で掲げた。

 

「必ずやお守りしましょう。この槍に誓って」

 

「感謝します」

 

「フフ、お任せ下さい」

 

天幕の方を一瞥し、ニヤついた笑みを浮かべる槍の騎士。

 

「王子の緊張を解くためのちょっとした秘策があるのです。緊張さえ解ければ、あの方は強い。相手が魔女様とて遅れは取らないでしょう」

 

「そ、それは心強い」

 

壮年の兵士はぎこちない笑みでそう返す。

彼の秘策というと何やら嫌な予感しかしないが、それを口に出すのは無礼であった。

 

「ご安心を。あの方は魔の者に敗れはしない。少なくともそれだけは、()()()()()()()()()()()なのです」

 

「……?」

 

彼の言葉に、兵士は胡乱げな顔をする。

少しの間首を捻ってから、自信なさげに訊いた。「それは、神のご加護があるということですか?」

 

「クククク……」

 

槍の騎士は忍び笑いをもらしてから、肯定も否定もせずにその場から去っていく。

一人残された壮年の兵士は、首を傾げつつも自分の仕事に戻った。

 

 

 

 

 

 

 





こちらもそろそろストックが尽きてきたので更新頻度遅れます。
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