GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅩⅩⅦ 悪意を持つ者に災いあれ

 

 魔女の履く鉄靴から青い炎が噴き出すと、彼女の身体は軽やかに宙を舞った。目にも止まらぬ速さで王子に肉薄し、氷の長剣を振るう。

 

月は分厚い雲の中で、礼拝堂は薄暗い。おまけに氷の刃はガラスのように透明で、視認するのが難しかった。

捌くことはおろか、躱すことも不可能に思えるが、王子に焦りはない。

 

「はあっ!」

 

間合いを掴み、一歩身を引いてその透き通った刀身を見送ると、気合いの声とともに踏み込んで鋭い突きを見舞う。

 

素早い反撃を可能にするのは、バネのようにしなやかな足腰だ。これらは並みの鍛錬では決して身につかない。狂気的とも呼べる努力の成果である。

 

細剣の刃先は魔女が身に纏う黒いドレスを掠め、浅くはない傷をつけた。ドレスが金属で編まれていなければ、肉まで裂いていただろう。

とっさに飛び退き、片膝をついて着地する魔女。スカートの裾に走る鋭い傷を一瞥してから、恨めしげに呟く。

 

「どいつもこいつも無礼な輩ばかりね」

 

「え?」

 

「女王であるこの私に、膝をつかせるなんて」

 

「……」

 

彼女の言葉に、王子は思わず困った顔をした。

機動力を削ぐために足を狙っただけで、跪かせる意図はなかったからだ。

 

「フン、まあいいわ」

 

魔女は存外早く気を取り直すと立ち上がり、得物の刃先を再び指でなぞる。

 

「それよりも……貴方、それなりに強いんだったわね。すっかり忘れてた」

 

「……」

 

王子は無言で魔女の顔を見返した。やっぱりこういうところは狩人さんに似ている。

彼は構えを崩さぬまま、努めて穏やかな声で言った。「僕たちが戦う必要はありません」

 

「それを決めるのは貴方じゃないわ」

 

魔女の菫色の瞳が、暗がりの中で妖しく光る。

彼女はゆっくりと後ずさって柱の影に入るや、青い火花を残して姿を消してしまった。

 

「……っ!」

 

王子は息を呑み、慌てて周囲を見回す。しまったと内心で呟くが、すでに遅い。

自分は気配を探るのは不得手だ。目で追い、耳で聞くことはできるが、それだけで敵の位置を正確に掴むことはできない。

 

王子は目を閉じ、聴覚で魔女の動きを捉えようとするが、自信はなかった。案の定、辺りは不気味なほどの静寂に包まれている。

白雪姫の緊張した息遣い以外、聞こえる音は何もなかった。

 

「姫、大丈夫です。心配いりません」

 

彼女を安心させるために囁くが、そんな言葉で安心できるはずがないことも理解している。

事実、言った当人が一番不安だし緊張していた。

 

「長椅子の下に身を隠してください。氷の刃が飛んでくるかもしれない」

 

「貴方は?」

 

「僕は大丈夫です」

 

全然大丈夫じゃないのにそう返す王子。柱を背にして剣を構え、やがて思い出したように懐の黒い蝋燭を取り出した。

それは以前と変わらず、煌々とした星の光を発している。瞬きも揺らぎもない蝋燭の灯火に、彼は勇気づけられた。これがどういった代物なのか今ひとつ分からないが、頼りになることに違いは無い。

 

視界の端に、風を切り裂く黒い影を捉える。

彼は反応し、迎え撃とうとするが、何か背筋に嫌なものを感じた。回避に専念して身を引くと、その頬に浅くも鋭い傷がつく。

 

「!」

 

驚き、自身の頬に手をやる王子。指先にペタペタと絡みつく血を間近で見て取り、目を細める。

初擊で間合いは見切ったはずだ。余裕を持って躱したのに、刃が顔を掠めるのはおかしい。

再び横から迫る氷の刀身に、今度は大きく飛び退いた。膝下に刃が呻る空気の震えを感じ、思わず背筋を震わせる。

 

「大したものね。もう合わせてくるなんて」

 

わずかな月明かりが洩れるステンドグラスと十字架の前に、魔女は姿を現した。

彼女の手にした武器を見て、ようやく王子はその絡繰りを理解する。

 

「……あっ」

 

槍だ。魔女が手にする得物が、いつの間にか長剣から槍に変わっている。

思えば当たり前の話だ。自在に武器の形を変えられるのだから、わざわざ剣のみにこだわる必要は無い。

刃の筋は多少荒いが、彼女も『怒りんぼう』と同じか、それ以上に怪力だ。不得手は力押しで誤魔化せるのだろう。

 

「手加減する余裕はないわね」

 

魔女は呟き、眼前で指を弾くと、青白い霧が足元から立ち上る。虚空に氷の矢が次々に現れると、王子の表情に初めて焦りが浮かんだ。

 

「そう言えば、貴方は必ず殺しておけってどこかのお馬鹿さんも言っていたわ」

 

魔女の形の良い唇が笑みに歪むと、王子は額に冷や汗を滲ませる。のしかかってくる恐怖に堪えるため、ぐっと歯を食いしばった。

 

 

 

 

「おい、誰でもいい! あいつを何とかしろ!」

 

来た道を全速力で戻りながら、なりふり構わず助けを求める狩人。

頭巾の女と密偵の格闘戦を暢気に観賞していた槍の騎士は、微笑みとともに振り返る。そして迫ってくる金と銀の斧の男を視界に入れると、不思議そうに首を傾げた。

 

「狩人さん、その方は?」

 

「俺に訊くな!」

 

狩人はわめきながら一目散に走る。

彼の悲鳴をいち早く聞きつけた『おとぼけ』が弓を射るが、斧の男は避けもせずに前進した。小さな矢は男の強靱な筋肉と骨格に阻まれ、刺さることなくポロポロと地面に落ちる。

 

「おやおや、これはこれは」

 

豪傑もかくやという男の振る舞いを見て苦笑する槍の騎士。地に突いた銀の槍を持ち上げ、背筋をすらりと伸ばし優雅な構えを取る。

男は彼を一瞥するや否や鋭く目を細め、二振りの斧を投げ放った。金と銀の刃は脇目も振らず逃走する狩人の横をすり抜け、騎士に襲いかかる。

 

だがそれらは標的に達する前に、噴水の影から飛びだした重厚な戦斧によって防がれた。

 

「良い武器だな。テメエとは気が合いそうだぜ」

 

『怒りんぼう』が物陰からのっそりと顔を出す。

相変わらず血まみれだが、顔色は先ほどと比べて良くなっていた。

 

「まだ休んでろ!」

 

「俺はお姫様じゃねえぞ旦那。見くびるなよ」

 

狩人の声に『怒りんぼう』は不敵な笑みで応じる。

彼によって弾き上げられた二本の斧は、空中で弧を描いて主の手元に戻っていった。得物を掴み取った男は足を止め、力自慢の小人と対峙する。

 

「ええぇっくし!!」

 

そのとき響きわたる『くしゃみ』のくしゃみ。

轟く爆風は斧の男はおろか『怒りんぼう』までも巻き込み、何処かへと吹き飛ばしてしまった。

 

「お前絶対わざとやってるだろ!」

 

「えっへん」

 

『くしゃみ』は自慢げに胸を張るが、空から落ちてきた戦斧が足元の石畳を叩き割ると、びっくりして木の後ろに隠れた。

 

「そこまでだ! 動くんじゃねえぞテメエら!!」

 

突然響いただみ声に、狩人たちは驚いて振り返る。見れば満身創痍の傭兵が子鹿を抱え上げ、その首にナイフを突きつけていた。

 

「武器を捨てろ! こいつの命が惜しかったらな!」

 

狩人は迷いなく猟銃を構え、引き金を引く。

弾丸は正確に傭兵の眉間を撃ち抜き、彼はくぐもった声を洩らしつつ仰向けに倒れた。

 

「何やってるの! 危ないよ! 子鹿に当たってたかもしれないのに!」

 

「知ったことか。シチューの具に気をつかう馬鹿がどこにいる」

 

珍しく声を荒げる『おとぼけ』に鼻を鳴らして答える狩人。

槍の騎士は険しげに眉をひそめ、低い声で呟いた。「品性を疑いますな」

 

「……何で品性とかお前に疑われなくちゃいけないんだよ」

 

狩人はぶつぶつ言いながら銃を装填しようとする。しかし一発目を押し込んだところで、中断せざるを得なかった。

 

「うっ……!」

 

頭巾の女の蹴りをまともに受けてしまった密偵が吹き飛ばされる。

騎士は彼女を優しく受け止めると、囁くように言った。「代わりましょうか?」

 

「いえ……お構いなく」

 

密偵は額を伝う血を拭い、何とか自力で立ち上がろうとする。

 

「ふむ」

 

注意深くその様子を観察する槍の騎士。

おもむろに頷くや彼女を片手で掴み、そのまま軽々と後ろに放り投げた。「狩人様、お任せします」

 

「は??」

 

狩人は銃を足元に落とし、わけも分からず飛んできた密偵を受け止める。

彼女は腕の中でぐったりとしており、呼吸も明らかに乱れていた。

 

「お前も休んでろ」

 

密偵を噴水の縁石に寄りかからせたあと、正面を向いたとき、狩人は奇妙な違和感を覚える。

気のせいではない。見逃してしまいそうだが、微かに今までになかった気配を感じる。

 

振り返れば、花壇を挟んだ丘の向こうに『照れ屋』がいるのが見えた。まだ息のある傭兵たちを縄で縛り、隠し持ったナイフなどを取り上げている。

彼は狩人の視線に気づくと、足音もなく近づいてきた。

 

「あっ、『照れ屋』だ! 久しぶり! ……久しぶり?」

 

子鹿を引き連れた『おとぼけ』もやって来ると、狩人は気怠げに息を吐き、密偵の女に視線を落とす。「お前ら、こいつは任せるぞ」

 

「狩人さん、何処か行くの?」

 

「まあちょっとそこまでな」

 

狩人は大した説明もせず踵を返し、青白い霧に包まれた礼拝堂に向かって走った。

 

 

 

 

「ぐっ……!」

 

刃が肌を裂く鋭い痛みに、思わずうめく王子。次から次へと放たれる氷の矢に、たまらず柱の影に飛び込んだ。肩の傷に手を当てると、真っ赤な血が手の平にこびりつく。

 

傷口は浅い。だが、このままやられっぱなしでいるわけにもいかない。こちらから攻めなければ。

 

彼は意を決して柱の影から回り込むように飛び出すと、絨毯の道を素早く駆けて魔女に向かっていく。

 

「本当に勇敢な子ね、貴方は」

 

彼女はどこか愛おしげに呟くと、再び指を弾き、氷の矢を追加で生み出した。空中に浮かぶ数が十を超えたとき、それらは王子に向かって一斉に放たれる。

 

「っ!」

 

身をひねって躱しきれる量ではない。

彼はとっさに倒れた燭台を盾にして矢の群れを凌ぐと、そのまま足を止めずに魔女との距離を詰めていく。

 

「やあっ!」

 

気合いの声とともに細剣を突く王子。

しかし彼女は青い火花を床に残し、再び一瞬で姿を消してしまった。手ごたえからして、おそらく掠ってすらいまい。

 

「くっ……」

 

彼は悔しげに顔をしかめる。だが鉄靴の鳴る微かな音を背に聞き、振り返りざまに薙ぎ払った。

細い銀の刃は目前に迫った氷の剣を跳ね上げ、魔女は舌を打ちつつも後退する。

 

「ッ」

 

額を掠めた刃の感触に、王子は恐怖で身震いした。流れ出た血で左の視界が赤く霞む。

見れば、魔女の握る得物は槍から重量のありそうな両手剣へと変化していた。おそらく曇王の愛剣を模したものだろう。

捌ききれなかったのも納得だ。一級の品とはいえ細剣があの長大な刀身とまともに打ち合えるはずがない。

 

「どうやらこのやり方で正解みたいね」

 

薄闇の中で光る菫色の瞳を、王子は険しい顔で見返した。

彼女は微笑むが、やがて冷酷な表情で告げる。

 

「今のうちに言っておくわ。剣を捨てて降参すれば、命だけは助けてあげる」

 

「遠慮します」

 

「そう答えると思ったわ」

 

魔女は呆れた調子で溜め息をついたあと、再びその唇を鋭い笑みに歪める。

 

「せいぜい後悔しなさい。手足の一、二本を失えば、少しは意志も削げるでしょう」

 

「……」

 

王子は目を細めて両手剣との適切な間合いを計り、数歩後ろに下がった。そして背中に何か固いものが触れ、肩越しに背後を見やる。

 

「!」

 

彼の目に映ったのは石造りの寝台と、そこに静かに横たわる曇王の姿だった。

 

「ヴァルデック王!」

 

王子が叫ぶが、彼の瞼はピクリとも動かない。

灰色の肌には変わらず精気がなく、かつて武骨ながら美しかった甲冑と紺のマントは黒ずみ、色褪せていた。

 

「あら、気づいてなかったのね。まあ無理もないわ。ここすごく暗いし」

 

あっけらかんとした様子で呟く魔女。

王子は振り返り、眉をひそめて彼女を睨みつける。「もうこのお方の遺体は操らないのですか?」

 

「そうしたいのは山々なんだけれどね」

 

魔女は軽く肩をすくめて答えた。「もう動かなくなっちゃったのよ。少々乱暴に使いすぎたかしら」

 

「……っ!」

 

王子は怒りを滾らせた目を魔女に向ける。その瞬間、彼女への同情も、蝿の王との約束も、頭から飛んでしまうのを感じた。

彼は長く息を吐き、乱れた呼吸を整える。

頭に上った血を下げようとするが、ふと横に視線をずらすと、左手の中で光る黒い蝋燭が見えた。揺らぎない小さくも眩い光に、彼は考えを改める。

 

どうやら僕は自惚れていたらしい。

彼女はどこまでも自身の野望に忠実であろうとしている。そんな人と互角に渡ろうとするなら、こちらも手加減などできるはずがないのだ。

同情も慈悲も必要ない。あるべきはただ勝利を得るための道筋のみ。それ以外のものは一切不要だ。

 

「貴女がヴァルデック王を殺したとは、僕にはどうしても思えない」

 

「は?」

 

唐突な王子の言葉に、魔女は思わず眉をひそめる。

彼は蝋燭の光を抱くように胸に押し当て、俯きがちに続けた。

 

「貴女は本性以上に冷酷に振る舞う節がある。ローリー卿もそうおっしゃっていました」

 

「チッ」

 

心底不愉快そうに舌を打つ魔女。

王子はいったん黙って彼女を一瞥してから、再び口を開く。

 

「あの方も必要以上に奇天烈に振る舞う方ですが、彼なりに大局を見据えています。ウォルシンガム卿もそれは同じです。しかし貴女は……もしかしたら、我々以上に重い何かを背負っているのかもしれない」

 

「……」

 

魔女は眉をひそめたまま王子を見返すが、特に何か言うことはなかった。だが彼が発した次の言葉に、美しい顔をあからさまに歪める。

 

「正しいのは僕たちではなく、貴女の方なのかもしれません。でも……申し訳ありませんがこの場は、僕が勝たせていただきます」

 

「生意気な……」

 

眉間に鋭い皺を寄せ、魔女は両腕を頭上に掲げた。青白い霧が足元から湧き上がり、ステンドグラスを背にした虚空に、無数の氷の刃が燦めく。

 

「強がるのも大概にしなさい。本気を出した私に、貴方が勝てると思うの?」

 

「やり方次第です」

 

王子はそれだけ言うと、額の前に剣を掲げた。祈るように目を閉じ、静かに呟く。

 

「Honi soit qui mal y pense(悪意を抱く者に災いあれ)」

 

 

 

 

 

 

 

 

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