GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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ⅩⅩⅩⅩⅣ 狩人

 

 路地を抜け、大通りに出た狩人がまず目にしたのは広い空と、その中心の孔から注ぐ燦々とした光だった。

 

黒い雨は絶えず降りしきるが、それを翳らせるまでには至らない。強風に煽られ、空の孔から降りる黄ばんだ紙が狂ったように宙を舞う。

 

「こっちだ、猟犬」

 

唐突に響いた声に、頭上を見上げていた狩人は視線を落とした。大通りと街道を結ぶ十字の岐路に、曇王が悠然と立っている。

 

傍には赤い頭巾の女と、金と銀の双斧を携えた屈強な男が控えていた。そして彼らの背後には、黄泉返りの兵の一団がずらりと並んでいる。

 

「チャーミングな連中を従えてるな」

 

狩人はそう言って笑うと、頭巾の女をじっと見た。

彼女の肌の血色は明らかに良くなっており、桃色の唇や栗色の長い髪にも色艶が戻っている。それらの輝きは少なくとも死人のものではなく、生者のそれであった。

 

「しばらく見ないうちにずいぶん色気づいたじゃないか」

 

狩人は馬鹿にするように指さし、あからさまに顔を歪める。

 

「どんな気分だ? ご自慢の弟子が死ぬところを特等席で見物できるんだ。最高だろうな」

 

彼の皮肉に、頭巾の女は特に反応を示さなかった。死者であった頃と同じく、感情の読めぬ無機質さは変わることがない。

 

彼女を庇うように前へ出た王の顔は、巌のような険しさをさらに増していた。

 

「猟犬、お前はここで死ななければならない」

 

「魔女を殺したからか?」

 

「それもある」

 

地に突いた剣の柄を握る曇王の手に、幾重にも筋が浮かぶ。

 

「だが、それだけではない。余のため、そして余の国とその民のために、お前は死なねばならぬのだ」

 

「さっぱり意味が分からん」

 

「意味を知る必要はない」

 

「だろうな」

 

鋭く笑い、猟銃の引き金に指をかける狩人。

照準を王の眉間に合わせ、息を長く吐いてから止めた。

 

「覚悟ありか。潔いな」

 

「あんたと違ってな」

 

彼は鼻を鳴らしたあと、すっと目を細める。その瞳の奥に一瞬、獰猛な金色の影が過ぎ去った。

 

「命の一つや二つ惜しくない。欲しいというヤツがいたらくれてやる。ずっとそのつもりだった。……少なくとも、あの女が死ぬまでは」

 

「今は違うと言うのか?」

 

「ああ」

 

狩人は眉尻を下げ、困ったような笑みを浮かべる。「妙なことに、今さら命が惜しくなった」

 

「……そうか」

 

曇王の顔つきに変化はなかったが、ほんの少しの間、目を伏せたように見えた。

 

「ハッ、何だぁそのツラは。洒落臭い。さっさと始めようぜ」

 

大げさに肩をすくめてから、銃を構え直す狩人。

王は無言で頷き、両手剣を石畳から引き抜く。緩慢とも言える動作で手元に引き寄せた後、腰だめの構えをとった。

 

「無用な苦痛は与えぬ。すみやかに逝け」

 

返事の代わりに、狩人は引き金を引こうとする。

しかし彼の指先よりも速く曇王は動いていた。低く地を蹴り、瞬くような速さで狩人の眼前に現れると、その身体を両断する。

 

ずるりと斜めに崩れる狩人を見たとき、頭巾の女はわずかに目元を歪め、顔を背けた。

 

 

 

 

 

 深い微睡みから醒めたとき、狩人は霧の中にいた。一面が乳白色に染まった視界の中、何か暖かいものに包まれた感触を覚える。

 

平衡感覚が戻ったとき、彼は自分が地面に寝そべっていることに気がついた。そして頭の後ろに、ひんやりとしつつもどこか暖かい、誰かの膝の温もりを感じる。

 

「……お袋」

 

狩人の呟きに、魔女ははにかむように微笑んだ。

彼女の両手が頬を包むと、暖かい何かが流れ込んでくるように感じる。

ややあってから狩人は腕を伸ばし、彼女の手首を掴んだ。

 

「なあ、甘やかすのはいいんだが……手を貸してくれないか。俺はどうあっても、あの男を殺さなきゃならんらしい」

 

狩人の顔を見下ろす魔女の笑みが明らかにこわばった。狩人は暗く鋭い視線を、彼女に容赦なくぶつける。

 

「残酷かもしれんが、選ぶのはあんただ。俺を殺すか、アイツを殺すか。今すぐ決めてくれ」

 

魔女は機嫌が悪そうに顔をしかめたあと、眉間の皺を指で伸ばした。

 

しばらくしたのち、彼女がかざした手の内に、光を発する何かが現れる。それは羽を淡い水色に光らせる、一匹の蛾だった。

彼女の表情はかざした手の向こうに隠れていたが、問いの答えはすでに出ていた。

 

「そうこなくっちゃな」

 

狩人はニヤリと笑うと、その蛾を躊躇いなく掴み取る。

 

 

 

 

 

 狩人の死体に近づこうとした頭巾の女は、おもむろにハッと息を呑んだ。ほとんど反射的に手を伸ばし、曇王を突き飛ばす。

 

上体を反らした王の顔のすぐ横を、銀の弾丸がすり抜けた。

 

「相変わらず冴えてるな。俺の死を間近で見せれば、少しは動揺すると思ったが」

 

通りの向かいの陰から現れた狩人は、苦笑しつつも次弾を発砲する。曇王は素早く動き、散弾を背中で受けて彼女を庇った。

 

王は視線を流し、狩人の遺体と思しきものを一瞥する。その輪郭はすぐにぼやけていき、やがて水色の光を発する美しい蛾の群れへと変わった。

 

「動揺するとして、それは一瞬だ。隙にはなりえない」

 

今の今まで沈黙していたが、初めて言葉を発する頭巾の女。対して狩人は笑みを深め、面白そうに目を細める。

 

「ククッ、そうか? だが一瞬あれば……ヤツには十分さ」

 

「!」

 

女は何かを察して振り返る。鎧では守りきれない位置の曇王の首から、鮮血が噴き出していたのだ。命に関わる量ではないが、手傷には違いない。

 

彼らの背後の数歩ほど離れた位置に、いつの間にか『照れ屋』が片膝をついていた。砕け散る黒い短剣を手放し、顔をしかめる。「やはり浅いか」

 

「いや、上出来だ。一太刀浴びせればいいんだろ?」

 

そう言って狩人は頭上の空を顎で示した。

天の孔は見る見るうちに小さくなっていき、完全に閉じてしまう。黒々とした雷雲もまばらに散っていき、黄金色の満月が顔を覗かせた。

 

狩人の死体から変じた蛾の群れは月に向かってひらひらと舞い上がるが、やがては淡い光だけを残して闇夜に溶け去ってしまう。

 

企みを妨害されたにも関わらず、曇王は平然としていた。首から流れる血もそのままに、儚く消えていく蛾たちを見送ったあと、狩人に視線を戻す。

今やその顔に険しさはなく、どこか穏やかですらあった。

 

「……お前が殺したのではなかったのだな」

 

「何の話だ?」

 

「いや、気にするな」

 

王は片手を振って話を終わらせる。「決着をつけよう」

 

「上等だ」

 

狩人は獰猛な目つきで猟銃を構えるが、装填していないことに気づいて真顔になった。

 

「……その前に、ちょっとだけ時間をくれないか」

 

「もうお前には何もさせない」

 

頭巾の女に銃を向けられ、狩人はおかしな笑い方をする。

 

「ちょっとでいいんだ。ほんのちょっとだけ……」

 

「くどいぞ」

 

彼女は引き金を引こうとするが、背筋に妙な感覚を覚え、飛び退いた。遅れて彼女の身体があった場所を、鋭い刃が過ぎ去る。

 

「!?」

 

狩人は思わずぎょっとした。背後から彼女を急襲したのは、倒れ伏していたはずの魔女狩りだった。致命傷を負っていた彼らはどういうわけか次々と立ち上がり、曇王たちへの攻撃を再開する。

 

頭巾の女は敵の刃を躱しつつ身をひねり、反動で繰り出した回し蹴りでその首をへし折った。魔女狩りは仰向けに倒れるが、それほど間を空けずに再び起き上がる。

 

身構える彼女の前で、男の背中が歪に膨れ上がった。シャツとコートを突き破り、黒い獣毛に包まれた半身が露わになる。隆々とした筋肉が、毛皮越しにもありありと浮き上がっていた。

 

彼だけではなく、全ての魔女狩りたちが変容し、獣と人の混ざりの姿となる。彼らは自前の鋭い爪だけでなく、銃や長物を用いて黄泉返りの兵士たちと互角以上に渡り合っていた。

 

獣の力と速さで振り抜かれた爪は甲冑を裂き、容易く肉を抉る。だが歴戦である兵たちの刃も獣の手足を斬り飛ばし、あるいはその喉を正確に穿った。

 

「猟犬、そして黒い小人くん。協力に感謝する」

 

鉄と血と肉が舞い飛ぶ阿鼻叫喚の場に、魔女狩りの首領がゆらりと現れる。痩躯を揺らして敵味方入り乱れる中を亡霊のように歩き、曇王の前で立ち止まった。

 

彼もまた怪物と化していたが、身につけた衣服は破れずそのままだ。悪趣味なシルクハットの下には爛々と光る金色の眼、そして狡猾に歪む大きな口と鋭い牙が覗いている。

 

「さあ……狩りの時間だ」

 

「狩られるのは貴様の方だ」

 

曇王は低く呟き、離れた距離から剣を振るった。

生じた真空の刃は通りを斜めに切り裂くが、首領は人ならざる動きでこれを回避する。

そのまま王へと飛びかかるが、振り下ろされた爪は金の斧によって防がれ、容易く砕かれてしまった。

 

「お任せを」

 

怪物顔負けの屈強な肉体を広げ、木こりの男は前進する。手にした金と銀の斧を無造作に振るい、魔女狩りの首領の爪や銃弾をいとも簡単に叩き返した。

 

「おおっ、お、え、ちょ、待……」

 

直後に男の巨岩のような突進をまともに受け、首領は道の反対側まで撥ね飛ばされてしまった。彼の砕けた爪や牙の破片が、飛んでいった軌道に沿って地面に散らばっている。

 

「は? 何だアイツ。よっわ」

 

呆れつつも装填を完了させる狩人。しかし続いてこちらに向かってくる木こりの男に気づくと、悲鳴に近い声をあげた。

 

「わーちょっと待て待て待て待て! 来るな! わあーーっ!!」

 

狩人の叫び声を聞きつけ、『照れ屋』が駆けつけようとする。だが行く手に頭巾の女と兵たちが立ち塞がると、小さく舌を打った。

男の突進が狩人を捉えようとした、そのとき。

 

「捜したぜ、旦那!」

 

横から飛び出してきた筋肉質な小人が、掲げた戦斧で二振りの刃を受け止める。けたたましい金属音が、これでもかとばかりに周囲に反響した。

 

「おお、お前! ……あれお前、いたんだっけ。いや、いつからいなくなってたんだっけ??」

 

「ご挨拶じゃねえか! 礼くらい言ったらどうなんだ?」

 

自慢の怪力で得物を一閃し、男を遠くへ弾き飛ばす『怒りんぼう』。そのまま一回転させて頭上に構えると、左右に視線を走らせる。

 

「それで? 俺は誰を殺せばいい?」

 

「本命はそこの王様だな」

 

「ヴァルデックか! ガハハ、そいつはいい!!」

 

『怒りんぼう』は歯を剥き出しにして笑いながら曇王に向かっていく。

 

「『先生』に教わったことの復習は済んでるか? この俺で試してみろ!!」

 

「受けて立とう」

 

曇王は鋭い眼光で宣い、片手を頭上に掲げた。

黒雲が湧き立ち、稲妻が小人に直撃する。

 

「まさかその若さで耄碌してるのか? 俺が雷ごときで怯むわけねえだろうが!!」

 

鎧は白熱し、全身から煙が噴き出すが、それでも彼の足が止まることはない。愉しげに笑いながら斧を振り上げ、王に肉薄する。

両手剣を構え、迫り来る敵の刃を迎える曇王。魔法で鍛えられた重厚な鋼同士がぶつかり、音と衝撃が大気を震わせた。

 

「後ろだ、躱せ猟犬」

 

耳元で響いた声に、狩人はハッとする。背後に立つ死神の気配に気づくと、身を投げて紫焔の一閃を回避した。

反撃すべく立ち上がるが、その頃には周囲の魔女狩りたちが死神に群がるように攻撃を仕掛け、動きを止めていた。

 

いつの間にそこにいたのか。狩人は肩口に止まっていた一匹の蝿を見つめる。「……『鏡』か?」

 

「その通り」

 

蝿は羽を鳴らし、人の声に似た穏やかな音を響かせた。「どうやら正念場のようだな」

 

「馬鹿言え。絶体絶命の間違いだろ?」

 

狩人は苦笑しつつ周囲を見渡す。すでに黄泉返りの兵士たちは斃れ、獣へと変じた魔女狩りたちが曇王とその側近を取り囲んでいた。

包囲の輪には『怒りんぼう』も混じっていたが、小人の背丈では彼らに紛れてしまいほとんど姿が見えない。

 

「こちらが優勢に見えるが」

 

「みたいだな」

 

狩人は呟きつつ王に狙いを定めた。だが引き金を引く直前に銃口をずらし、死神に向けて発砲する。

 

敵をまとめて葬ろうと鎌を大きく振りかぶっていた彼の手元に、銀の弾が命中した。握りが砕けてしまった鎌を名残惜しそうに見た後、死神は空へと逃げ去ってしまう。

 

「冷静な判断だ。らしくないな」

 

「一言多いんだよ」

 

狩人は顔をしかめて王に視線を戻した。じりじりと輪を狭めていく魔女狩りたちを前にしても、彼は堂々とした佇まいを崩さない。

 

「さっきあの女に会ったんだが……お前の仕業か?」

 

狩人の問いに、『鏡』は抑揚を変えることなく返す。「その通り」

 

「ハッ、余計な気遣いだけは一丁前だな」

 

「よく言われる」

 

蝿越しに響く彼の声は、わずかに震えたように聞こえた。少し笑ったのか少し泣いたのか、どちらかだろう。あるいは両方かもしれない。

 

「剣を捨てろ、曇王。貴殿の首なら、魔女の代わりとして申し分ない」

 

魔女狩りの言い放った言葉に、王は青い目を鋭く細めた。「余が自ら剣を置くことはない。断じてな」

 

「では、華々しく散るがいい」

 

その言葉を最後に、魔女狩りたちは容赦なく彼らに襲いかかる。

しかしその一瞬、奇妙なことが起きた。満月が照らす夜の空を、朝日を思わせる暖かな光が奔ったのだ。夜明けにはまだ早いはずだが、場違いな鶏の鳴き声まで響いた気さえする。

 

「不味いな。形勢が逆転するぞ」

 

『鏡』の呟きに狩人は眉根を寄せたが、直後にその意味を理解した。夜明けの光は波のように一瞬で過ぎ去ったが、悍ましい奇蹟を死者たちにもたらす。

 

「……何だと?」

 

思わずそう洩らす狩人の周囲で、屍に戻ったはずの兵たちが次々と起き上がっていた。壊れた甲冑すらも綺麗に直り、元の煌びやかさを取り戻している。

彼らは再び各々の武器を構え、獣たちに突進した。

 

 

 

 

 

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