GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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Ⅵ 隣の国の王子

 

 半日が過ぎ、『魔の森』に再び夜が訪れたころ、狩人は『隣の国』との国境付近に到着していた。

 

元々は小さな島国に過ぎなかった『隣の国』は、近年徐々に台頭を見せつつある。

資源が少なく産出こそ乏しいが、思慮深く賢き女王の安定した統治の元、有能な人材が集っていた。つい数年前には『太陽の沈まぬ国』の無敵艦隊を打ち破り、海洋世界に覇を示したばかりだ。彼女の治世は、後の世に『黄金期』と謳われることとなる。

ローマやフランスからの盾となる大陸の領地を得んがため、長年に渡りこの国への内政干渉、侵略活動を続けていた。

 

この半世紀、彼らが大陸の領地を手にすることができなかった理由は、大きく分けて二つある。

一つは『魔の森』の広さと、その侵攻の難しさ。もう一つは、この国をたった一代で築き上げた王、ヴァルデックの存在である。

 

彼は近年稀に見る陸戦無敗の王であり、軍略はもちろん、武勇にも秀でていた。噂では幼少より『魔の森の賢者』なる人物に師事し、古き良き軍略、戦術とを学んだという。

彼が戦場に姿を現す日には決まって空に暗雲が立ち込めていたという逸話から『曇王』と呼ばれ、周辺国から畏れられていた。

 

しかし数年前に王は病に伏し、病状の悪化に伴い『隣の国』は侵攻の拡大を続けた。そして今年、ついに『曇王』は天に召された。『隣の国』がどう出るかは、火を見るより明らかである。

 

 

 

 

 周辺の最も高い木を選んで登った狩人は、北西の国境を目を細めて眺めていた。

曇天は月明かりを通さず、夜の森には光源などなかったが、狩人はその鷹のような視力に加え、夜目が利いた。しかしそれでも彼の見通す先には点々と広がる黒い木々以外、何も見えない。

 

そこは『魔の森』の終着である。平野がちで霧はなく、木々も疎らで見通しはそれほど悪くない。だが『魔の森』特有の日の光すら許さぬ分厚い雲は健在だ。

『隣の国』はこの森をひどく恐れており、侵攻も二の足を踏んでいる。つまり『魔の森』と普通の平野との境界が、現在そのまま国境となっているのだ。

 

「フン」

 

狩人は小さく鼻を鳴らした。国境付近で横一列に上がる火の手を見たからだ。森を燃やそうとしている。無意味なことだ、と内心で小馬鹿にした。

『魔の森』の草木は穢れた水気に満ちており、油をかけようが火など点かない。そもそもこの森の付近で火を焚くこと自体が愚行だ。

ここの獣たちの多くは人との『混ざり』だ。火など恐れず、逆に光と熱の元に集ってくる。闇夜に光を求める弱者たちがそこに集うことを、本能で知っているからだ。

 

「ほら見ろ。酷いもんだ」

 

狩人は顔をしかめた。遠目に火の影がちらちらと揺れ、掻き消されるのが見える。闇夜に火の手が遮られるほどの獣の群れが、あの地点に押し寄せたのだ。

あるいは炎そのものに飛び込まれて消されたか。どちらにせよ、火をつけた人間は無事では済まないはずだ。今ごろ獣に群がられ、生きたまま喰われていることだろう。

だが、それはまだマシな方だ。もっと酷い死に方もある。説明する気にはとてもならないが。

 

狩人は首を振ると、木の側面を滑って地面に降り立つ。好んで化け物を呼び寄せる間抜けどもがいるため、夜に国境を通過するのは危険だ。

賄賂さえ用意すれば、国境警備の兵士たちは密入国には寛容だろう。むしろ相手が人間なら、こそこそする方がかえって怪しまれる。

通るなら昼。できれば天気の良い日がいい。そんな日がこの森にあればだが。

 

「……?」

 

狩人は首を傾げた。周囲に点在する沼の一つから、コポコポと泡が湧き立っている。

灰色の落ち葉と黒い苔で地面に溶け込んだ、いわゆる底なし沼だ。毒ガスが噴き出していることはよくあるが、これはそういう泡ではない。

 

「……」

 

狩人はその場に膝をつき、注意深く地面を見つめる。そして落ち葉に隠れた真新しい靴の跡を見つけると、小さく舌を打った。

 

「間抜けがここにもいたな」

 

彼は辺りの木から手頃な枝を一本鉈で刈り取ると、試しに沼に突っ込んでみる。半分ほど沈めたところで、重みがぐっと増したのを感じた。近くの木の幹を支えにし、全身の力で枝を引き上げる。

 

「ゲホッ! ゴホッ!」

 

沼が湧き立ち、枝にしがみつく少年が顔を出した。激しく咳き込んでいるが、どうやら意識はしっかりしている。体格は小柄で、あの白雪姫とそう変わらない。恐らく歳も彼女と近いのだろう。泥で髪がべったりと張り付き、顔はよく見えない。

 

「そのまま離すなよ」

 

狩人は枝ごと少年を陸地に放り投げた。彼は地面に落ちると、泥を苦しげに吐き出す。そして両手をつき、荒い呼吸を少しずつ整えた。

 

「……助かりました。もうダメかと」

 

「災難だったな」

 

「いえ、貴方は命の恩人です」

 

少年は頭にこびりついた泥を手でこそぎ落とす。そして顔を上げると、にっこりと微笑んだ。

女性のように整った顔立ちで、白雪姫ほどではないが美形に近い。鮮やかな金髪を持ち、まるでどこぞの王子様のような気品がある。奴隷商に売ればかなりの値がつくだろうと、狩人は物騒なことを考えていた。

 

「お前……金を持ってそうだな。命の恩人に対して、誠意を見せてはくれないか?」

 

狩人は冗談なのか本気なのか分からない言葉を口にした。彼の図々しさにも怯まず、少年はにこにこと笑う。

 

「もちろんです! 僕の国においでください。家臣にして差し上げます」

 

「家臣?」

 

「はい! 伯爵の地位を……」

 

なにやらとんでもないことを言い出したので、さすがの狩人も慌てた。「いや、そういうのはいい。金貨とかにしてくれ」

 

「金貨? いえ、貴方の行いにそんなものでは釣り合いません」

 

「俺がそれでいいって言ってんだからいいんだよ」

 

「そうですか。謙虚な方ですね」

 

少年は残念そうに言ったあと、懐を探り始める。そして首を傾げ、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。「……あれ?」

 

「どうした?」

 

狩人が声をかけると、少年は申し訳なさそうな顔で言った。「金貨入れを落としてしまったみたいです。たぶん……底なし沼に」

 

「チッ」

 

狩人は沼の方を見やり、舌を打つ。

 

「しょうがねえな。じゃあお前、取ってこい」

 

「え?」

 

「沼から取ってこいって言ってんだよ。もう一回沈んで」

 

狩人の言葉に、少年の顔は青ざめた。

「そんな、死んでしまいます」

 

「死ぬ前に引き上げてやるから大丈夫だよ。行ってこい」

 

「で、でも……沼の中は視界が悪いんです。手探りでは、とても……」

 

「そこは気合いでどうにかすんだよ。行ってこい」

 

「あの、その……」

 

言葉が続かず、ただ泣きそうな顔で震える少年を、狩人は冷たい目で見下ろす。

 

「お前さあ、誠意を見せてくれるって言ったよな?」

 

「う、うう……」

 

「男が一度言った言葉を曲げるのか? 俺は命の恩人なんだろ? 恩人に対して、命をかけて誠意を見せる。当たり前だよなぁ?」

 

「ぐす、ひっく」

 

少年は蜂に刺されたような泣きっ面であったが、やがて服の袖で目元をぐいっと拭うと、底なし沼の前まで歩いていく。そして躊躇なく頭から飛び込み、ずぶずぶと沈んでいった。

 

「馬鹿かあいつ。本当に行きやがった。しかも頭から……」

 

狩人は呆れたように言った。沼の淵に腰を下ろし、二分ほど待った後、声をかける。「あったか?」

 

当然だが、底なし沼から返事はなかった。時折こぽこぽと泡が湧くだけで、何の反応もない。狩人は立ち上がると、沼に枝を半分ほど沈め、少ししてから引き上げた。

 

「ゴボゴボッ! ゲホッ!」

 

少年が釣れる。狩人は彼を地面に放り投げ、呼吸が整うのを待ってから言った。「お前さあ、そこは断固として断れよ」

 

「ぐすっ、はあはあ……はい?」

 

少年は涙目で狩人を見つめる。狩人は呆れた表情で彼を見返した。「財布なんて見つかるわけないだろ。そんなもん普通は馬鹿でも分かるんだよ」

 

「で、でも……誠意を見せろって」

 

「お前、他人に死ねって言われたら死ぬのか?」

 

狩人の言葉に、少年ははっとした。

しばらく目を伏せてから、狩人を真っ直ぐに見る。

 

「……責任ある立場の人間には、そうすることも時には必要かと」

 

「何が責任だ。自分の命が一番大事に決まってるだろ、間抜け」

 

「でも……」

 

「それで誰かが尊敬してくれるのか? しないね。誰もがお前を指さして笑うだけだ。まさにこの状況がそうだろ」

 

狩人は鼻を鳴らすと、底なし沼を指さした。

「……というわけで、お前、もう1回行ってこい」

 

「え???」

 

少年は前後の文脈が読めず、目を白黒させる。

そんな彼を、狩人は地べたの羽虫を見るような目で見下ろした。

 

「責任ある立場なんだろ? 俺みたいな無垢で正直に生きる臣民の期待を裏切るなんて……許されるわけないよな? 行ってこい」

 

「う、うう……」

 

少年は泣きべそをかきながら、しかし迷いのない足取りで沼に向かって歩いていく。

狩人は苛立たしげに舌を打つと、彼のマントの襟口を掴んでぐいっと引き戻した。

 

「だから断固として断れって言ってるだろうが!!」

 

「……何なんですか!? さっきから行けって言ったり断れって言ったり行けって言ったり断れって言ったり!」

 

「お前自身の意思で断れって言ってんだよ!」

 

狩人は少年の胸ぐらを掴んで怒鳴りつける。少年は涙と泥に塗れた顔を真っ赤にし、ぷいっと彼から背けた。

 

「あのな、俺が言いたいのは……」

 

言いかけて、狩人は途中で口を閉じた。眉をひそめ、そのままの体勢で固まっている。

 

「言いたいのは……何ですか」

 

「黙ってろ」

 

少年を黙らせ、狩人は耳を澄ませた。

唸り声が聞こえる。一つや二つではない。何重もの唸り声が、重なり合うように響いてくる。

獣の唸りにしてはどこか虚ろで、敵意を感じられない。それは唸り声というより、うめき声に近かった。乾いたうめき声はやまびこのように、木々の狭間の暗闇を反響している。

 

「……この音は?」

 

少年の耳にも届いたらしく、彼は不安げな表情で辺りを見回す。腰に下げたお飾りにしか見えない金柄の細剣に手をかけたが、結局抜くことはなかった。

 

「『死人返り』だ」

 

狩人はそう言って踵を返す。

「移動するぞ。ここは連中の通り道らしい」

 

少年はきょとんとした顔で狩人を見ていたが、彼が無言で移動を始めると、素直に後に続いた。

 

 

 

 

 

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