GRIM WOOD   作:無職のプーさん

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Ⅷ 栄光の手

 

 狩人が小人たちの住む廃村に着いたとき、すでに夜は明け、日は高く登っていた。

魔の森の気候には珍しく、天には深く蒼穹が広がり、綿を散らしたように雲が点々としている。日の香りが混じるうららかな風が、花畑をそよがせていた。

 

その草花を蹴り散らしながら、狩人が乱暴に丘を駆け上がる。呼吸は荒く、ブーツについた泥もそのままに、白壁が眩しい家のドアを乱暴に押し開けた。

 

「白雪姫、無事か!?」

 

彼の目に最初に飛び込んできたのは、床を藁箒で掃く白雪姫の姿だった。

彼女はきょとんとした顔で狩人を見返す。

 

「……どうかされました?」

 

「ん何で無事なんだよぉクソが!」

 

狩人は扉近くに置かれた壊れかけの椅子を蹴りつけ、バラバラにしてしまった。

けたたましい物音に、部屋の隅で眠っていた『寝ぼすけ』が目を覚ます。彼はごしごしと目元をこすると、不機嫌そうに言った。「旦那、うるさい。眠れない」

 

「黙れ! こっちはな、そいつが毒を盛られたって聞いて、慌てて戻ってきたってのに……!」

 

狩人の言葉に、白雪姫は青い瞳をキラキラさせて言った。「心配してくださったのですか?」

 

「うるさい、黙れ! お前ら二人とも黙れ!」

 

ひとしきり喚いたあと、狩人は疲労でふらふらとよろめいた。慌てて白雪姫が箒を手放し、彼の身体を支える。

 

「平気だ。触るな」

 

白雪姫をはねのけ、狩人は大きく息をつくと、壁に背を預けて座り込んだ。

『寝ぼすけ』が部屋の奥から毛布を持ってきたが、狩人は片手でそれを制す。「いらねえよ」

 

『寝ぼすけ』は頷くと、その場で毛布を広げ、自分でくるまって眠り始めた。

 

「……お前が使うんかい」

 

白雪姫がキッチンから水の入ったグラスを持って戻り、狩人に差し出す。彼はそれをひったくるように受け取ると、あっという間に飲み干した。

狩人が息を整えるのを待ってから、白雪姫はすぐ側に腰を下ろす。

 

「私が毒を盛られたこと、誰から聞いたのですか?」

 

「魔女からだ。あの女、とんだでたらめを……」

 

そこまで言いかけて、狩人はしまった、と口をつぐんだ。案の定、白雪姫は目を丸くしたあと、不安そうな目で狩人を見つめる。

 

「お義母様に会われたのですね。危ない目に遭いませんでしたか?」

 

「別に。少し話しただけだ」

 

狩人はそっぽを向いた。白雪姫はじっと狩人の目を覗き込み、呟く。「嘘ですね」

 

「嘘じゃない。っつうかお前、顔を寄せるな」

 

「……恥ずかしいですか?」

 

「ああ? お前、脳天ぶち抜くぞ」

 

「ふふっ」

 

白雪姫ははにかむように笑うと、立ち上がって狩人から離れていく。白いスカートがひらりと靡くと、微かに女の匂いがした。

ガキのくせに生意気な野郎だと、狩人は無駄に腹を立てていた。

 

 

 

 

 夕暮れ時になり、『先生』を含む小人たちが仕事から戻ると、白雪姫は人数分のシチューと上質な小麦粉で作ったパンを木の器によそい、馬車の車輪を加工した大きな食卓の上に並べた。

大陸南部産のワインや草花の根を煮出したお茶が各々のコップに注がれると、短い神への祈りの後、賑やかな夕食が始まった。

 

過酷な放浪生活に身を置いていたため、小人たちの舌は肥えているとは言い難い。それゆえ白雪姫の作る手の込んだ料理には何でも「うまい」「おいしい」と口々に言う。

何を食べさせても褒めてくるため、作り甲斐があるのかないのか微妙なところだが、少なくとも小人たちとの団欒は彼女にとってとても好ましいものだった。

 

『怒りんぼう』に早くもおかわりをせがまれ、器を手に立ち上がった白雪姫は、あることに気づく。「あら、狩人様は?」

 

「とっくにいなくなったよ。『先生』と一緒にね」

 

白雪姫の問いに『おとぼけ』が答えると、彼女は拗ねたように頬を膨らませた。

 

「……夕食時くらい、ゆっくりすればいいのに」

 

「全くだ。飯を食う楽しみを疎かにするとは、奴ら人生の半分を損してるな」

 

白雪姫がよそったおかわりのシチューを受け取り、『怒りんぼう』がそう言った。

しかし彼自身も器を手に『先生』がこもる地下室に引っ込んでしまったため、白雪姫はますます頬を膨らませた。

 

 

 

 

 小人たちの家の地下室は、白雪姫が来るまではただの倉庫であった。彼女が書斎を自室として使っている今は、ここが『先生』の書斎である。

ワイン樽と山積みの小麦粉の袋に囲まれた部屋は狭く暗い。おまけにカビの匂いまでしていたが、『先生』は元々盲目に近いため、暗さに限って言えば大した問題ではなかった。

 

中央の四角い机には本や巻物の他に、人の腕を象った黒い蝋燭が置かれている。肘の位置から切り取られたように机の上に立ち、広げられた五本の指の一本一本に、火を灯すための紐がついていた。

全体の大きさや腕の曲線、手相、指の皺の細かさなど、あまりにも本物そっくりである。

 

「趣味の良いことだな。こんな不気味な代物、初めて見るぞ」

 

蝋燭を指の先でおっかなびっくりつつきながら、狩人が言った。『先生』は暗闇の中、手探りなしにマッチに火をつけると、その蝋燭の指に順に火を灯していく。

 

「『栄光の手』をご存知ありませんか」

 

「『栄光の手』?」

 

狩人が聞き返す頃には、『先生』は全ての指に火を灯し終わり、マッチの火を息で消していた。

 

「呪術師のための道具です。様々な用途がありますが、多くは魔術的な儀式のために使われます」

 

『先生』の説明に、狩人はフンと鼻を鳴らす。

 

「知らんな。魔女が使っているところも見たことがない」

 

「まあ、あの方はこんなものに頼る必要がそもそもないでしょうからな」

 

「こいつが何の役に立つんだ?」

 

狩人の問いに、『先生』は白く濁った瞳で黒い指に灯る火をじっと見つめた。

 

「通常、『栄光の手』は悪しき侵入者の味方となるものです。ですがこれに施された魔術は反転している」

 

「つまりなんだ?」

 

「つまり……悪意を持つ者の接近を感知し、激しく燃えます。悪しき者の侵入を事前に知り、阻むことができるのです」

 

「ほう、便利じゃないか」

 

面白そうに笑う狩人だったが、しばらくしてから眉をひそめる。「だが胡散臭いな。本当の話か?」

 

「由緒正しき呪具です」

 

「本当に機能するなら便利だぜ。魔女の変装なんてもう怖くない、ってことだろ?」

 

「そいつはどうかな」

 

シチューの入った器を片手に、『怒りんぼう』が梯子を降りてくる。狩人は首を傾げて訊いた。「どういう意味だ?」

 

「言葉通りさ。悪人の接近に気づけても、それに正しく対処できるかは別だろ」

 

『怒りんぼう』の言葉に、『先生』はなにやら心当たりがありそうな顔で押し黙った。

狩人はますます首を傾げる。

 

「何故だ? 悪いやつが近づいてきたのが分かったんなら、少なくとも家の扉を開けなければいい話だろう」

 

狩人がそう言うと、『怒りんぼう』は苦笑した。

「開けちまうんだよなあ、これが」

 

「??」

 

狩人はますます首を傾げる。

『先生』は居心地悪そうに咳払いした。

 

「騙されるのが悪いのではない。騙す方が悪いのだ。履き違えるな、『怒りんぼう』」

 

「どうかな、程度によると思うぜ俺は」

 

「『怒りんぼう』!」

 

珍しく声を荒げる『先生』。『怒りんぼう』は大げさに肩をすくめると、手元のシチューに集中し始めた。

 

「お前らさっきから何の話をしてるんだ?」

 

狩人が訊ねると、『先生』は少し迷ったあと、小さな声で言った。「今日の午後、白雪姫が魔女様の襲撃を受けました」

 

「でたらめじゃなかったのか。毒を盛られたって? 今はピンピンしてるよな」

 

「毒の櫛を頭に刺されたのです。しかし櫛を抜いたらすぐに息を吹き返しました」

 

「……」

 

狩人は少しの間、無表情に『先生』を見つめる。

 

「……いや、それおかしくね?」

 

「というと?」

 

「櫛に毒を塗るってのもよく分からんが、毒を頭に刺されて昏倒し、抜いたらすぐに息を吹き返す? おかしいだろ。解毒もしてないのに」

 

「彼女の生命力は父親譲りなのです」

 

「いやいやいや……」

 

「話の肝心はそこではありません」

 

「ああ……そう。まあいいけど」

 

狩人がとりあえず頷くと、『先生』は話を続けた。

 

「魔女様が何らかの手段で白雪姫を狙うのは分かっていたので、彼女には扉を開けてはいけないと注意しておりました。窓辺にも近づいてはいけないし、誰が来ても応対するなと」

 

「俺でもそう言うだろうな」

 

「ところが彼女は開けてしまうのです。今回もそうですが、前回のときも……扉を開けたのは彼女です」

 

「……」

 

狩人は黙って顎に手をやった。

白雪姫の顔や仕草を思い浮かべ、しばらくしてから口を開く。「そこまで阿呆とは思えないんだが。どちらかと言えばませてるよな。どういうことだ?」

 

「おそらく、育ちが良すぎるせいでしょう。人を疑うことを知らぬのです」

 

「……」

 

狩人は黙って腕を組んだ。心当たりがないこともない。つい先日同じような人種に出くわしたばかりだ。阿呆というよりは、間抜けという言葉が適切だろう。

シチューを平らげた『怒りんぼう』が狩人の隣までやって来て、その背中をばしっと叩く。

 

「ここは悪い大人が世間の怖さを教えてやるべきだぜ。旦那の出番なんじゃねえか、ええ?」

 

「……『怒りんぼう』」

 

『先生』の静かな殺気が地下室に満ちた。

狩人が思わず肩を震わせる程度には、鋭いものである。彼が白木の杖を両手で握ると、さすがの『怒りんぼう』も青ざめた。

 

「わ、分かった。悪かったよ『先生』。そいつは抜かないでくれ」

 

「……」

 

『先生』は無言で杖を下ろした。

狩人は黙って二人の様子を見ていたが、やがて口を開く。「これじゃどっちが『怒りんぼう』か分かんねえな」

 

「何かおっしゃいましたか?」

 

「いや、何も」

 

狩人は咳払いをする。「地下室に鍵でもかけて閉じ込めておけばいいんじゃないか? 」

 

「それはあまりにもかわいそうでは」

 

「死んじまう方がかわいそうだろ」

 

「それはまあそうですが……私は反対です」

 

『先生』が控えめに言うと、狩人は舌を打った。

 

「前から思ってたんだが……『先生』よ。あんた白雪姫に甘い割に、いまいち守ってやろうって意思には欠けるよな」

 

「そんなことは……」

 

言い淀む『先生』に、狩人はゆっくりと詰め寄る。「いいや、そうだね。俺が言えた義理じゃないが、あんたどっちの味方なんだ?」

 

「……」

 

老境の白髪の小人は俯き、黙り込んだ。

見下ろす狩人の瞳が次第に鋭く、冷たい色を帯びる。

 

「……まあ、別に構わんぜ。どちらにせよやることに変わりはない。白雪姫を連れて国外に脱出する。あんたらが頼りにならんようなら、俺一人でもやってやるさ」

 

「国の外に逃げて、その後はどうする。当てがあるのか?」

 

「ないこともない」

 

『怒りんぼう』の問いに、狩人は曖昧な返事をする。二人の小人は訝しげに顔を見合わせたが、それだけだった。

 

「これは貴方が持っていてください」

 

そう言って『先生』が狩人に何かを手渡す。手を広げてよく見れば、それは黒い指だった。

 

「げっ」

 

思わず落としそうになったが、慌てて空中で掴み取る。机の上に視線を移すと、『栄光の手』の薬指が欠けていた。

 

「こんなもの俺にどうしろと?」

 

狩人の問いに、『先生』は小さく微笑む。

 

「良い気分はしないでしょうが、役に立つはずです」

 

「具体的には?」

 

「貴方を害そうとする者、貴方の財産を狙うもの。悪意を持って貴方に近づくもの全てに、その指は反応を示すでしょう」

 

「……なるほど。それなら遠慮なくもらっておくぜ」

 

狩人は薄気味悪さを覚えながらも、黒い指を尻のポケットに納めた。

 

 

 

 

 

 

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