「いやね?
薄暗く、四方に大量のサーバーやデータ通信の大仰な装置が設置された部屋に、アタラヨの声が響く。
話を聴きながら、カタカタとキーボードを叩いていた各務チヒロが手を止め、椅子ごと体をアタラヨの方に向ける。その顔は、心做しか呆れているようだった。
「……はあ。珍しく訪ねてきたかと思ったら……。なに、わざわざ私に愚痴を言うために来たの?」
「いや別件。でもせっかくだし、慰めてほしいなと思いまして」
「却下。アタラヨがネルに怒られるのはいつもの自業自得なんだから当然。ユウカから聞いたよ。また勝手に単独で暴れたんでしょ? あんたは毎度毎度無茶しすぎ。心配するこっちの身にもなって」
「……善処します」
「本当分かってる? まあ……いいや、それで結局なんの用? さっきからその箱が怪しいんだけど……」
「別に怪しい物ではないよ。これを各務さんにあげたくてね」
「私に?」
アタラヨは持って来ていたオシャレな箱を、怪訝な表情を浮かべるチヒロに手渡した。受け取ったチヒロはキョトンとして箱を覗き込み、箱の側面を撫でる。
「コーヒーメーカー……?」
「それも結構高性能のね! しかもサイフォン式ってやつ!」
「え、私に?」
「うん。だって
「じゃあなんで買ったのよ」
「徹夜テンションのネットショッピングってさ、なんか、こう……キマるよね」
「怖っ。もー、いつも言ってるでしょ、徹夜中とか徹夜明けにネットショッピングしたらダメだって。アタラヨはすぐ自分であまり使わないの買っちゃうんだから……。この前は何買ったんだっけ、人生ゲーム?」
「『泥沼Everyday☆ 人生転落ゲーム!!』っての」
それは、アタラヨが四徹の最中に購入してしまったテレビゲームだ。正直なんで買ったのかは覚えていない。届いた時には案の定ユウカの雷が落ちた。
見るからにパッケージからクソゲー臭がしていたが、せっかく買ったんだしと、セミナーメンバーでプレイしてみることに。――その結果、アタラヨのどん底最下位で幕を閉じたのである。
「最終的にはアタラヨが負けたんだよね」
「うん、ボロ負け。生塩さんと早瀬さんとで三回ずつ結婚と離婚を繰り返したし。その慰謝料やら企業失敗やらギャンブルやらで借金膨れて……負けた」
「うーん、テンプレ通りの転落人生。それで、借金額は?」
「二京」
「桁がおかしい」
最低評価のレビューと長文の感想を投稿してやった。もう二度と、やらないと誓った。ちなみに余談だが、兆超えの借金をするプレイヤーは、一割にも満たないほどレアらしい。全然嬉しくない。
「でも本当にいいの? こんな高価な物もらってさ」
「いいよいいよ。だって各務さんはいつも色々とお世話になってるし。それにコーヒー好きの君には、もっと美味しいコーヒーを飲んでもらいたいしね」
「……ッ。(そういうこと、当たり前みたいに言うのって……ずるい……。こっちの気も知らないで……!)」
チヒロはアタラヨから顔を逸らし、小さなため息吐く。それがなんなのか分からず、アタラヨは首を傾げた。
「どうかした?」
「! べ、別に、なにも……。じゃあ、うん、お言葉に甘えて使わせてもらうよ。うちの子たちも喜ぶだろうし、ありがと」
「それなら良かった。……さてと、
「もう? もっとゆっくりしていけばいいのに……」
「そうしたいのは山々なんだけど、この後ちょっと用事があってね」
早瀬さんにお願いされてね、と付け加えてアタラヨは椅子から腰を上げ、机に立て掛けていた銃を掴む。
「ふーん。相変わらず慌ただしいんだね」
「それはお互い様でしょ。でもまあ、バタバタはしてるけど、それなりに充実はしてるかな」
「そっか。……ねえ、アタラヨ。アタラヨが良ければなんだけどさ……その、今度――」
おずおずと、チヒロが何かを言おうとした、その時。
甲高いスマホの着信音が鳴り響いた。アタラヨのスマホだ。
「あ、電話だ。はい、もしもs」
『アタラヨ先輩!!! 今どこにいるんですか!!! 約束の時間とっくに過ぎてますよ!!??』
鼓膜が破れそうになるぐらい耳がキーンとした。尻尾もびっくりしてぴんっと伸びる。電話の相手はユウカからだった。どうやら大変ご立腹なようである。
「〜〜〜〜ッ。……んあー、うん。ごめんごめん、ちゃんと分かってる。分かってるからツーサイドアップだけは勘弁してください。ん。今からそっち向かうよ。うんうん、了解した。はーい、また後でねー。……ふぅ」
「ユウカからだよね。何かあったの?」
「うん、今から緊急の会議なんだ。ほら、最近キヴォトスのあちこちで問題があってるからさ。というわけで、またね、各務さん。話聞いてくれてありがと。……そういえばきっき何か言おうとした?」
「う、ううん、気にしないで。私のは大したのじゃないから(本当は買い物に誘いたかったけど……)。えっと、仕事頑張ってね」
とは言ったものの、チヒロの本音としては、もう少しアタラヨに居てほしいし話していたい。愚痴を言いに来てくれたのも、なんだかんだで嬉しかった。
だけれどアタラヨは、ミレニアムサイエンススクールのセミナー副会長。それなりに長い付き合いだし、忙しいのは理解しているので、強く引き止めることはできない。だからこうして『頑張れ』としか言えず、部屋を出ていこうとするアタラヨの背中を眺めるだけだった。
「そうだ、言い忘れたことがあった」
「?」
扉を開けたところで、アタラヨがチヒロの方を振り返った。言い忘れたとは一体……。もしかして
そんなことを考えていると、アタラヨが小さな物体を投げ渡してきた。
「飴あげる。チーちゃんもヴェリタス頑張ってね。くれぐれも無理はしないように! じや、行ってきまーす」
「へっ!? ……ぁ、うん、行ってらっしゃい……」
バタンと扉が閉まる。
親しい同学年からしか呼ばれない『チーちゃん』というチヒロの愛称。普段周りを苗字で呼ぶアタラヨから、いきなり愛称呼びされてチヒロは、だんだんと自分の顔が熱くなるのを感じた。
このままではまずい。中断しているデバック作業に支障をきたしてしまう。
(〜〜〜っ。アタラヨめ……!)
一度頭を振って、どうにか平静になろうと試みてみる。
だが、モニターに薄っすらと映った頬の赤い自分の顔に、チヒロは何とも言えない気持ちになった。
「はあ……あの不意打ちは卑怯でしょ……」
改めて思う――この『感情』は厄介極まりない、と。特にあの手強い人たらし相手だと尚更だ。顔もまだ火照っている。
(多分……いや、確実に私と同じ気持ちの子はいるんだろうなあ……)
アタラヨに貰った飴の包み紙を剥がしながら、チヒロはしみじみと思ってしまう。前途多難である。
でも、自分のことを気にかけてくれるのは純粋に嬉しいし、それだけで胸が暖かくなってしまう。ストレスや疲れも数割ほど緩和される。なんて単純な女なのだろうか。しかしそれを案外悪くないと思っている自分がいる。
「ん? ふふっ、なにこれこんぶ味じゃん。アタラヨってばおじいちゃんみたい」
口の中で転がすアタラヨがくれた飴は、あまじょっぱかった。
「さ、頑張ろ」
体を伸ばして意気込み、チヒロはモニターに向き直す。そして再び、モニターにある複雑な文字列を修正するべく、キーボードのキーを叩いた。
次回、本編プロローグスタートです。