「お、お酒……!?」
「うん。不可飲処理されてないから、飲めちゃうね~」
キヴォトスでは生徒の優遇制度が充実しているが、一点だけ不自由な点がある。
それは生徒はどのような立場でも、お酒を飲んではいけないということだ。
不思議なことにどの学校、どの企業も遵守するその法は、大人たちによって徹底的に管理されており、料理として扱う高級レストランなどは生徒は出入り禁止になっていたりもする。
生徒には絶対に手に入れられない筈の、禁断の飲み物。それがお酒なのだ。
「何故、わかったのですか」
「不可飲処置されてないからね~。見てもわかるし、臭いでもわかるよ~」
勿論、料理酒や消毒液も立派な高濃度アルコールだし、容易に手に入る品だ。
だが、それらは不可飲処置がなされており、とてもではないが飲料には向かないものとなっている。
(昔はキヴォトスの消毒液は飲むと失明する、などと言われていたが、今はそれほど有害な物質ではない)
そして、今回の品は不可飲処置がなされていなかった。だから酒として成立しているのだ。
「まあ、たまたま加水が多くて、たまたま不可飲処置が漏れて、たまたま味が整っているだけだけ~」
「それだけ偶発が重なったなら、それは故意として立件できるのですよ」
「……そだね~」
チヨコは犯人の追及をしなかったが、それが故意であると確信していた。
雑に作った結果の事故なら、そうだとわかる質となるものだ。
しかしこれは違う。この酒は精巧に偽造された品だ。
「たまたま加水が多く、たまたま不可飲処置を抜き、たまたま味が整った」ように見せかけた、騙す為の品。
いっそ悪意さえ伺える品であり――正しい薬学の知識がなければ、できない芸当である。
「それで、どうする~?」
「どうする、とは」
「ここで検挙しちゃうと、もうお薬は作れないよね。お酒を作る可能性は、ほんの僅かでも排除しなきゃ駄目でしょう?」
「……見逃すことにメリットがあるとでも?」
「更生の取り組みは、尾刃さんが提案してくれたものだよね」
「…………」
カンナの苦渋に満ちた沈黙に、きっとこれは遊びなのだろう、とチヨコは理解する。
チヨコのような専門家が気付かれるまでが仕込みであり、この二者択一を尾刃カンナに迫ることこそ、この仕掛け人が求めていたことなのだろう。
ここにミネがいれば、きっと今頃、矯正局は救護の嵐が吹き荒れたに違いない。安堵するべきか、嘆くべきか。チヨコにはわからなかった。
「……チヨコ副長」
「うん」
「今まで御尽力頂き、感謝の念にたえません。しかし……」
「わかった。また別の方法がないか、考えてみるよ」
「……ありがとうございます。そして、申し訳ない」
薬学の提供、その失敗。
それを暗に示されても、チヨコは鷹揚に頷き、受け容れた。
一番苦しんでいるのはカンナ本人だろう。ならば、チヨコから責める謂れはない。チヨコはそう考えていた。
「……それにしても、誰がこんなことを?」
「リストにある。山海経の生徒だったみたいだ」
「山海経?」
失意に沈むカンナの背後で、ヴァルキューレの生徒たちがリストから誰が作ったのかを照らし出す。
山海経、という言葉に、チヨコのロップイヤーが動いた。
「名前は――申谷カイ」
確か山海経には、薬の扱いで矯正局に送られた生徒がいたはずだ。
***
「残念でしたね。取引の継続、中止になっちゃうなんて……」
「まあ、作ってもらった分は全部買ったから。今月は大丈夫~」
医薬品をいっぱいに詰めたトラックを乗り回し、チヨコは落ち込むハナエに朗らかに笑った。
結局、カンナは自身の正義を選び、薬の継続的な製造を中止した。
彼女はきっと正しいことをしたと、チヨコはそう考えていた。そんな彼女に敬意を払うべきだし、だからこそ次はハンカチーフや服飾などの事業を申し出るつもりでもあった。
きっといつか報われるだろう。そうであってほしいと、チヨコはそう願ってやまない。チヨコにとって、尾刃カンナは尊敬すべき友人だったのだ。
「今度はハンカチとか、三角巾とか作ってもらおっか。刺繍付きのやつ~」
「わ、いいですね! かわいいうさちゃん作ってもらいましょう!」
「難易度たか~! ハナエちゃん、なかなか攻めるねえ」
「がんばればがんばるほど、お値段上がりますから!」
「成程~。それも、一理あるねえ」
くすくすと笑い、チヨコは小さく溜息をついた。落胆がないと言えば嘘になった。
誰かの少しの悪意が、多くの善意を壊してしまう。
それに直面したことは一度では足りないし、この程度ではチヨコはへこたれない。が、ハナエは別の筈だ。
(ハナエちゃんには、頑張れば報われる、って見せてあげたかったな)
この先、ハナエはたくさん失敗をするだろう。
それは悪いことではない。失敗を重ねることで、人はより強く、たくさん成長できるのだ。
しかしその経験が「頑張っても報われない」という諦観を生むこともある。
その諦観は、ない方が望ましい。チヨコはそう思い、今回の試みが結実する瞬間をハナエに見せようとしたのだ。
「今日、とっても楽しかったです!」
「え」
だからこそ。
ハナエにそう言われた時、チヨコは驚いてハナエの顔を見た。
彼女の顔は明るい笑顔できらきらと輝いており、次は何ができるだろう、何が見れるだろうと希望で満ち溢れていたのだ。
「また、お手伝いしていいですか? 団長に許可は取りますから!」
「いいの? また今日みたいな面倒事頼んじゃうよ?」
「はい! 私におくすりのこと、も~っと教えてください!」
ふんすふんすと鼻を鳴らすハナエに、嘘は見当たらない。
そんな彼女を見て、チヨコは急に微笑ましい気分になった。
感謝を示すように、チヨコは片手でハナエの頭を撫でる。
「救護、ありがとね~」
「へ? 私、何かしましたか?」
「充分、充分。お礼に帰り、ケーキ買ってあげよう」
「わーい! よくわからないですけど、嬉しいです! ありがとうございます!」
喜ぶハナエを見て、ハナエにどんな本を買い与えようか、チヨコは考えた。
この子はきっと大成するだろう。だからこそ、自分が携われる1年の間に、多くのものを残したい。チヨコはそう期待していたのだ。
「がんばってね、ハナエちゃん。応援してるからね」
「はい! 帰ってからもがんばります!」
窓から吹き込む風を浴びながら、チヨコとハナエは歌を歌って帰った。
それはきっといつか、ハナエにとって楽しい思い出になるだろう。
お読みいただきありがとうございます
次回は2024/02/23 23:00頃を予定しております