ここからだいたい本編と同じ時間軸が始まります
キヴォトスと大混乱
キヴォトスが未曾有の大混乱に陥る最中。
チヨコもまた、その混乱に無関係ではいられなかった。
「――どういうことなんですか、この値上がりは」
『生憎と、私どもカイザーメディカルとしても遺憾ながら実施せねばならない事態でして……』
『連邦生徒会長の失踪』。
キヴォトスの代表者、連邦生徒会長が数週間も表に出ないという事態は、急激な犯罪率の上昇を引き起こした。
キヴォトスに存在する数千もの学園自治区が混乱したことで巡り巡ってインフラが停止。
インフラの停止で飢えた不良たちが襲撃を繰り返し、治安を大幅に悪化させ、対応に追われたヴァルキューレ警察学校と連邦矯正局はとうとう脱獄を許してしまう。
挙句の果てには戦車やヘリコプター、出所の分からない武器の不法流通が2000%以上増加したのだ。
ここまで並べれば、世間知らずでも異常事態と理解できることだろう。
「だからって医薬品の値段が3倍になることはないでしょ~!? 工場でも燃えたんですかぁ!?」
『はい、今朝燃えたんです……』
「わぁ大正解~! 当てたくなかったあ!」
トリニティ総合学園の中で最も被害を被ったのは、まさに救護騎士団だった。
治安の悪化は正義実現委員会とトリニティ自警団が手を組み、ティーパーティーが派兵することでどうにか抑え込んでいたが、傷ついた彼女たちを治す薬が足りなくなっていたのだ。
そこにきて、取引先企業のひとつであるカイザーコーポレーション系列の製薬企業から、薬品全種の値上げの報せを受け、どういうことかと電話を入れているのが今である。
『ここに温泉が出るに違いない、と宣う生徒たちから襲撃を受け、工場が爆散したのが今朝でして……不良生徒の所属であるゲヘナ学園に問い合わせはしているのですが……』
「ううう、おのれゲヘナ……」
カイザーコーポレーション。
キヴォトス全土に事業展開する大企業であり、同時にキヴォトス全域に悪名を轟かせる悪徳企業である。
あらゆる分野に事業展開し、様々なインフラに食い込んでいるが、自社の利益のみを追求するスタイルによってほうぼうに迷惑をかけた上で去っていくことも少なくない……典型的な「悪い大人」の見本市だ。
とはいえ、今回のような大混乱は彼らにも悪影響を与えたようで、チヨコに取り次いでいた営業担当の声からも困惑と疲弊が滲み出ていた。
『私共としても、生産ラインの復旧費用回収は急務でして……上層部の決定で、では在庫を値上げしろ、と……』
「……爆散って、工場で製薬する筈だった原料も燃えちゃいました?」
『確認します、3分ください!』
泣き言を言う営業担当にチヨコは一切同情せず、次の商談の話を振った。
そうすれば彼はすぐさま立ち直り、明確な対応をしだすとチヨコはよく知っていたのだ。
つまり先程までの態度は泣き落としの為の演技ということだが、チヨコはそれを責め立てはしない。そんなことに逐一腹を立てていたら、大人との交渉は一向に進まないのである。
『確認できました。そちらが発注された分の製薬に足る原料は確保できます!』
「でしたら、原料を相場の2倍で買い取りますので、大至急発送いただけますか?」
『勿論です! 製薬工場などご指定あれば、追ってご連絡ください!』
「普通に救護騎士団本部で大丈夫です~、では急ぎでよろしくお願いします~」
『はい! 今後とも、是非カイザーコーポレーションをご贔屓に!』
情け深い隣人――そして、最高のカモとして商売を終え、チヨコは溜息をつく。
原料を相場の2倍で購入など、チヨコとしてもちょっと考えたくないほどの損だったのだ。
「はぁ……こんな時じゃなければ、がんばって~で済ませられたのにぃ」
工場の機能停止も鑑みれば、普通なら美談として語られるほどの善行だが……カイザーコーポレーションの大人たちに、それを恩として感じるような殊勝な精神はないだろうとチヨコは見切りをつけていた。
先程対応した営業担当も、今日の騒乱がすぎれば「自分が間抜けな生徒に対して、倍の価格で売りつけることに成功した」と嬉々として上司へ報告するだろう。
そうしてチヨコは今後甘っちょろい汁まみれのドル箱バニーと扱われ、事あるごとにつきまとわれるのである。勿論彼らのイメージの中でさえ、チヨコの身体はもちもちであった。
「チヨコ。先程原料を買う、と言っていましたが……」
「そうだよミっちゃん。カイザーの製薬工場が燃えたってさ」
「救護の必要性は確認しましたか?」
「荷も確保できてるってことだから、人員の退避と救助も済んでるでしょ~」
「成程。それならば良いのですが」
「とにかく、製薬は薬事班でやるよ。工房動かしたいけど……」
「今はミレニアムの風力発電所が停電して、トリニティから送電している都合上、通常電源は病院以外計画停電中のはずです」
「そうだよね。じゃあ倉庫の発電機、回せるようにしてもらっていい?」
「勿論です。3台ほど運んできましょう」
しかし、そうまで軽んじられようと、チヨコはとにかく薬をかき集めねばならなかった。
正義実現委員会や自警団の進退は、救護騎士団の提供する医薬品にかかっているのである。それが滞ることは、即ち治安の悪化を意味するのだ。
勿論、杞憂だと笑うことはできるが……失踪直前、連邦生徒会長が遺した「任せます」という言葉が、チヨコの胃に重たい冷たさをねじ込んでいた。
お蔭で今日のチヨコは、おやつのスコーンを3個しか食べられていない。勿論朝ごはんと昼ごはんはちゃんと摂った上での話だ。
「ミっちゃんたちは大丈夫そう?」
「セリナはペース配分が上手なのでまだやれそうですが、ハナエは少しバテていますね。他の救護班には全員、ローテーションで休憩をさせています」
「じゃあキワキワだねぇ。最悪、正実やティーパーティーの下級生を借りて救護もアリかも」
「確かに、彼女たちが自分で救護を実践できればとても頼もしいですね。であれば、各委員会に実習の申し出をするべきでしょう」
「うん、こっちでやっとくよ。ミっちゃんは現場の指揮をお願い」
「任せてください。救護の場において、チヨコが案ずるようなことは何も起きません」
明瞭に、簡潔に、チヨコとミネは段取りよく問題を整理していく。
こちらの言葉に粛々と答えるミネを見て、チヨコは状況が少しずつ悪くなっていることを理解した。
通常、もう少し余裕があるならば、ミネは何かに対して憤りを覚え、救護の必要性を検討していたに違いない。それが必要なことだけを述べているのは、検討の必要がないほど周囲に救護すべきものが沢山ある、ということなのだ。
未だ土埃の残る羽を梳くように、チヨコはミネの翼を撫でた。
「んっ……チヨコ?」
「ミっちゃんのことも、心配してるんだからね」
ミネはその手を拒絶することなく、しかし困ったような微笑みでチヨコを見つめる。
それがミネを案じてのことというのは、誰が見てもわかることで――それがチヨコなりの甘え方だというのは、ミネにしかわからないことだ。
「……わかっています。チヨコが案ずるようなことは、何も起きません」
「うん……なら、いいの」
ミネの宣誓するような言葉に、チヨコはあっさりと引き下がった。
チヨコがどれだけ心配しようとも、ミネのやることは変わらない。ただ、救護の必要な場所に救護を齎すだけ。ミネ自身の摩耗など、ミネには関係ないのだ。
だからこそ、余計な言い合いをしてミネの体力を削ることをチヨコは避けたのである。それはお互いがお互いのことをよく理解しているからこそできる、気の遣い方であった。
「発電機、早めでお願いね。作り次第調剤して回すから」
「ええ。すぐに……」
「団長、副長! 正義実現委員会から、緊急の要請です!」
そう言って扉を開ける音もなく入ってきたセリナを見て、チヨコとミネは慌てて離れた。
翼を梳くのは、本来とても親しい――俗に言う「御姉様と後輩」的な文化においての――間柄でやるような乙女同士の戯れである。
そんなものを見られては、正実やシスターフッドから「風紀が乱れている」と訴えられるに違いなかった。
現にセリナは顔を赤くして、咳払いしてから話を続けているのだから。
「スケバンの襲撃で、病院に回している発電機が故障したそうです。今は通常電源で保ってますが……」
「チヨコ。すみませんが」
「うん。セリナちゃん、倉庫にある発電機をすべて提供するから、正実に回収要員を要請しちゃって~」
「わかりました、すぐに伝えます!」
チヨコの返事にすぐさま頷いたセリナは、スマホから正義実現委員会に返答を連絡する。
チヨコは腕を組み……または胸と腹肉に腕を沈ませて思案した。
病院の人命の方が必要性が高いとはいえ、電力がなければ薬の生産が始められない。そうなれば待っているのはジリ貧だ。
それを回避する為に、どうすればいいか……チヨコは考えた末、これしかないと頷いた。
「ミっちゃん、ティーパーティーから発電機借りてくるよ」
「承認します」
「ありがと」
ティーパーティーで使う発電機と、救護騎士団で使う発電機は同じ型である。
つまり同じだけの電力が得られるということだ。
それを期待し……些か以上に面倒なことになりそうだとも思いながら。チヨコはティーパーティーで唯一繋がりのある人物、桐藤ナギサにメッセージを送った。
お読み頂きありがとうございます
次回は2024/03/03 23:00頃を予定しております