キヴォトスとシャーレ
「連邦捜査部、シャーレ……?」
日が傾き、夜に包まれる仲、呆然とその名を呟くチヨコと同じように。
このキヴォトスに住むあらゆる人が、今やこの『シャーレ』という存在に同じような困惑を浮かべていた。
何せスラムもかくやと言わんばかりの不良激戦区と化していたD.U地区を、このシャーレの『先生』と名乗る大人が事態を収拾させたというのだ。
いったいどこから来て、何の目的でそうして、キヴォトスに何を求めているのか。憶測が憶測を呼んで真実をひた隠し、『先生』の声明はまだかとキヴォトス中が注目している。
そんなことを、あらゆるネットニュースが喧伝している状態だった。
「あぁ、えぇっと……救護騎士団のみんなは……?」
大慌てでチヨコは起き上がり、スマートフォンからSNS『モモトーク』を起動して、報告内容を確認する。
《受信一覧》
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救護騎士団:定時報告 未読㉑
蒼森ミネ :業務報告(無事) 未読④
朝顔ハナエ:ぶじです! 未読⑫
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尾刃カンナ:医薬品受領と感謝御礼 未読③
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桐藤ナギサ:お茶会のお知らせ 未読④
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鷲見セリナ:業務報告(無事・相談)未読⑥
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「ひええ……ぶ、物量ぉ……!」
ずらりと並ぶ通知の数々に、チヨコはおもわずうめき声を上げる。
夜勤の後のメールチェックは大抵膨大になるのが常だったが、今日はやけに多くなっていた。
しかし、ひとつひとつを精査していくと、段々とキヴォトスで何が起きたかがチヨコの痛む頭にも理解できるようになってくる。
「ええと、とりあえず救護騎士団とトリニティは問題なし。D.Uの鎮静化と連邦生徒会の復旧に伴い、トリニティも治安が良化しつつある、と……」
事の推移はこうだ。
まず、突如現れた『先生』が連邦生徒会のリン、そしてハスミやスズミ、他ミレニアム・ゲヘナ両校の生徒と邂逅し、連邦生徒会の行政権を司るサンクトゥムタワーに対して奪還作戦を実施する。
『災厄の狐』率いる不良たちを『先生』が乗り越え、サンクトゥムタワーの制御を連邦生徒会に返還したことで、連邦生徒会の行政能力が回復。各種インフラを取り巻く問題に対応措置が行われ、物資・電力・交通網が正常に戻っていった。
このタイミングでハスミの援護要請に応じたセリナ・ハナエが『先生』のもとへ馳せ参じ、彼女たち生徒の提案を受けた『先生』が連邦捜査部シャーレの部員募集を開始。不良たちを仮入部という形で組み込むことで衣食住の補償を連邦生徒会から引き出すことに成功した。
加えて同時期に、D.U地区で大暴れしていた脱獄囚『災厄の狐』が完全撤退。(先生に恐れ慄いたという噂もあるが、真偽不明)
それを受けてヴァルキューレ・蒼森ミネと対抗していた不良軍団が潰走し、D.U地区の暴動は完全に終息したのである。
「そんな無茶苦茶な……」
数週間続いていたD.U地区の実質的崩壊を、よくわからない大人がたった1日で救った。
これほど馬鹿げた話はないと、チヨコは深い、深いため息をつく。
今回の一件を、連邦生徒会のファインプレーと考えることは、チヨコにはとてもではないができなかったのだ。
「サンクトゥムタワーの行政権の返還……? それって一瞬でも大人の手に、キヴォトスの中枢が握られてたってことじゃない……」
サンクトゥムタワーの行政権を手に入れるということは、実質的にキヴォトス中のインフラをすべて手中に収めるということである。
実際、連邦生徒会長はこれを上手く使いこなしており、だからこそ連邦生徒会は疎まれながらも今日まで、キヴォトスの中心であぐらをかいていられたのだ。
そんな大事な権限が、もし野心ある大人の手に渡ったなら。学園都市キヴォトスは瞬く間に生徒主体の世界ではなくなってしまう。
そうでなくとも先生にカイザーグループの息がかかっていたならば、キヴォトスは「商業都市」に生まれ変わっていたことだろう。キヴォトスの大人をよく知るチヨコにとっては、どんなホラーより恐ろしいやらかしであった。
「それで……兼部、かぁ」
それより何より恐ろしいのは、『先生』の生徒募集に、セリナやハナエといった救護騎士団の生徒たちが前向きに検討していることだった。
連邦捜査部S.C.H.A.L.Eは所属を希望する生徒を自由に編成し、超法規的措置を以て事件を解決できる……キヴォトスにおけるあらゆる分野の特異点である。
信用しがたい、おぞましい大人の伏魔殿。同時に、連邦生徒会長が「任せる」と託したであろう希望の灯台。
そんな混沌の坩堝に、手塩にかけて育てた可愛い後輩たちを放り込みたくはない、というのがチヨコの正直な本音であった。
「……ああ、ダメだ頭回んない。ご飯食べよ」
ぐるぐる回るのは頭の中だけでなく、腹の虫もだった。
チヨコの自宅は安い寮であり、唯一ありがたいのは個室ということだけ。
それでも共同の炊事場では時間の合う者が和気あいあいとした食事風景を見せているものだが、今日は全員出払っているようだった。
仕方がないので、チヨコは適当にセーターと白衣を纏い、救護騎士団本部へと足を運ぶことにした。
***
救護騎士団本部には、食堂がふたつある。
入院病棟で寝泊まりする患者用の病院食を作る、比較的新設の大食堂と、団員専用の古くからある小食堂だ。
大食堂でも自由に調理することが許可されているが、病院食を作る時間はそちらが優先されるので、がっつりとしたものが食べたければ小食堂で作り、大食堂で食べるのが慣習となっている。
しかし20時にもなれば病院食の配膳はとっくに終わっており、大食堂では夜勤をする者たちと退勤する者たちの為に、腹に溜まる栄養たっぷりの料理が振る舞われていた。
「お疲れ様です、副長。さっきセリナちゃんとハナエちゃんが探してましたよ」
「あらぁ、ありがとね。探してみるよ~」
あつあつのフィッシュ・パイとマリガトーニ・スープを受け取り、チヨコは適当な席に座る。
香ばしい生地の中へ鱈と玉ねぎの濃い味をぎゅっと包んだパイに、スパイスとココナツミルクの風味が効いたとろとろの野菜スープ。チヨコにとって最高の夕食だ。
がっつきたい気持ちを抑えながら、チヨコはモモトークで、セリナたちに大食堂にいることを伝える。程なくしてセリナが、ハナエを連れてやってきた。
「副長、お疲れ様です! サインください!」
「はぁい。じゃあこっちのブロマイドにサインを……」
「くじのことじゃなくて、モモトークでご相談した兼部の件ですよ?」
「……はぁい、わかってますよ~」
ふたりが手に携えているのは、救護騎士団の兼部届であった。
救護騎士団は兼部自由ではあるものの、必ず団長・副長の承認を要する。
これは緊急時に救護隊を編成する際、誰が何処にいる可能性があるのかを責任者たる両名が把握している必要があるためだ。
既に兼部届にはミネのサインが記入されており、あとはチヨコが記入、受理すれば兼部が承認されたものとみなされる。
兼部先は、勿論あの連邦捜査部S.C.H.A.L.Eであった。
「……あれ? シャーレからはなにか、入部に関する書類もらってないの?」
「特にいらないって言ってました!」
「入部同意書の記入はしましたけど、所属学校からの入部承認とかは特に必要ないみたいです。先生、書類は苦手らしくて」
「えぇ……?」
稀代の傑物、或いは政治の化物という評価から一転して、チヨコの『先生』に対する評価ががくんと下がる。
書類の扱いが杜撰な大人、というのはキヴォトスでもそう珍しくないが、そういった手合はあまり細やかな配慮を期待できない人物だと、チヨコはそう認識している。
勿論、上の立場であるなら専用の秘書部門を用意すればいい話だが、それならそれで書類は丁寧に扱わねば下の者が困るということを理解する筈だ。
つまり、『先生』は組織の上層部に立った経験があまりなく、そしてその志向もない人物だ、という評価となってしまう。最初に抱いていた不安感とはまた別の不安が、チヨコの胃に重くのしかかっていた。
「ううん……先生って、どういう人だった?」
「いい人でした! あとこう、おっきいです!」
「おっきい」
「姿はあまり私たちと変わらない感じでした。けど、身長は私より30cmほど高いです」
「それは……大きいねえ」
セリナの身長は156cm。
それより30cmも高いとなれば、ミネやチヨコでさえ少し見上げることとなるだろう。
公式の声明は連邦生徒会が代理で読み上げており、『先生』当人は会見に出席することはなかった。なので容姿については何の情報もない。
セリナたちと変わらない容姿ということは、少なくともロボットや獣人ではないようだが……ますますもって『先生』に対する謎は深まっていた。
「とても優しく接してもらえましたし……シャーレの周りには救護が必要な人が多い気がするんです」
「それは……大丈夫そう?」
「あはは……放っておけない雰囲気はありますけど、チヨコ副長が心配するのとはちょっと違うと思います」
セリナはチヨコの憂いに気づきながらも、それが杞憂であることを暗に示していた。
チヨコは『先生』のことは多大に疑っているが、セリナたちの人を見る目については疑っていない。未熟な後輩たちは悪意に対する疑いこそ欠けているが、善意に対する感受性は非常に豊かであることをチヨコはよく知っていた。
「いい人でしたよ、先生。少なくとも私たちは、そう思いました」
「……そう」
そのセリナやハナエが「いい人」と言っている以上、チヨコがそれに対し否ということはできない。
チヨコは深い溜息をつきながら、2枚の書類にサインを記入した。
「シャーレの要請で出動する時は、こっちにも連絡を頂戴ね」
「わかりました! モモトークで連絡しますっ!」
「ありがとうございます、副長」
「いーえー。先生によろしくね~」
キヴォトスでは大人に対し、警戒するに越したことはない。
しかしセリナたちが信じると決めたものを、よく知らないままに否定することはチヨコの救護の道に反するものだった。
ひとまず様子見。チヨコはそう結論づけながら、ふたりを見守ることにしたのである。
「副長は、シャーレに入らないんですか?」
「えっと、ハナエちゃん。それは……」
「私はちょっと、薬の管理で忙しいから~」
「そうなんですね! 工房、すごかったですもんね!」
そういったチヨコの内心には流石に気づけなかったようで、ハナエは無邪気に質問をする。
忙しいから、と避けたが、チヨコにとってはそれ以上に、政治的特異点とも言える絶大な権限を持ったシャーレにチヨコが属することで、ティーパーティーから目くじらを立てられることを憂慮していた。
(ミっちゃんはともかく、私は政治を利用する側だからね。どこに立つかは見極めないと)
救護騎士団の団長、蒼森ミネはヨハネ分派首長でありながら、救護の為に中立を維持している。
それはティーパーティーなど、他の政治派閥としてもありがたいことではあるのだが、同時に救護騎士団全体が政治的に没交渉となってしまう難しさも持っていた。
その為、ミネの代わりに調整役として立ち、各派閥・各組織の便宜を図るという役目をチヨコはティーパーティーから預かっているのだ。
そんなチヨコがいきなりシャーレに属するなどすれば、救護騎士団がシャーレを利用しようと目論んでいると言われかねない。なので、チヨコはティーパーティーの誰かがシャーレに所属でもしない限り、シャーレ加入は見送ることにしたのである。
「セリナちゃんたちがシャーレでの救護に困らないように、何かできないか考えておくよ。セリナちゃんたちもシャーレの備品で何か足りなくて困ったりしたら、相談してくれていいからね~」
「わかりましたっ! ありがとうございます、副長!」
「流通は詳しくないので、助かります。配置薬とかも確認しておきますね」
「うんうん、よろしく~」
とはいえ、セリナたちだけに任せておくのは不安が過ぎる。
そう考えたチヨコは、薬品庫の電子目録を確認するのだった。
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次回は2024/03/11 23:00頃を予定しております