蒼森ミネはこの日、12回目の仮眠を終えた。
仮眠の時間は15分。それ以上の睡眠は深い睡眠に陥ってしまうので避けている。
2時間に1回、床ずれ防止に体位変換を行う為、睡眠不足もやむなしという判断だった。
「発熱なし、発話機能正常。定期検診を開始」
ヨハネ分派が代々秘匿してきた、要人救護の為のセーフハウス。
それはBasis schola……「生徒たちの拠点」と呼ばれる、誰も使わない、古い洋館の地下深くに存在した。
ここはかつて救護騎士団の本部であり、表向きは歴史的建造物として保護されているが、真実はティーパーティーの要人を救う為の施設だったのだ。
これを知る者は、代々の救護騎士団団長のみ。つまり、ミネにしか知り得ない場所である。
「……発赤なし、褥瘡なし。血圧変動なし、体温変動なし……」
備え付けられた入院用ベッドに横たわるセイアを転がしながら、ミネは彼女の身体を診察する。
セイアは傷ひとつついていない、きれいなままの状態だ。しかし一向に意識を取り戻す気配がない。
治療はできることを施したが、何故起きないのかはミネにもわからない状態である。
窮状にミネも不安に駆られるが、その度にセイアの薄い胸で鼓動を立てる、弱々しい心臓の音が彼女を勇気づけた。
セイアはまだ、生きている。救護を必要としているのだ、と。
「薬品残量、残り、3日……」
その勇気を振り絞り、ミネは現実と向き合う。
植物状態の人間を生かすためには、多くの薬品が必要だ。
それを理解はしていたが、薬品の補給に対する見通しが甘かったことは否めない。
「チヨコに話しておけば、少し薬にも余裕があったでしょうか」
ミネは己が弱く、脆くなっていることを自覚した。
チヨコがいなければどうしていただろうか。きっとトリニティでの薬品供給を早々に諦め、迅速にトリニティから離脱を試みていたことだろうとミネは結論づける。
今までチヨコに助けられてきたからこそ、その視点に至れない。それをミネは恥じた。
己の未熟さが、己のみならず、救護すべき者を危うくさせている。それが何よりも、ミネとしては恥ずべき事柄だったのだ。
(救うためには……この穴蔵から、出ねばならない)
そう決心したミネは、思考を研ぎ澄ませる為に5分祈りを捧げ、銃と盾を担いで外に飛び出した。
辺りはすっかり日が暮れており、歴史的価値以外にない古い洋館を訪れる者はない。
だがそれでも、隠し扉を開ける瞬間に、銃口が向けられる恐れをミネは抱いていた。世界中の空気に針が紛れているような息苦しさに、ミネは吐き気を催しながらも外の様子を伺う。
トリニティの豪奢で厳かなゴシック建築群に、黴臭い歴史と不信の香りが漂っていた。
(……あれは?)
探索する内、ミネはセーフハウスに潜る前に見た光景とは違うものがあることに気付いた。
通りの角に一定間隔で置かれた、小型のロッカー。
トリニティらしい厳かな装飾のついていない、あまり似つかわしくない造形のそれは、その分だけ急ごしらえであると伺わせる。
しかしそこに塗料でペイントされた『配置薬』という文字に、ミネはこれが誰の計らいであるかを理解した。
(……チヨコ。貴方はまだ、私を助けてくれるのですね)
それはチヨコとナギサの計らいにより、凄まじい早さで作られた薬品供給ルートだった。
扱いは各施設にあるAED(自動体外式除細動器)と同じものであり、急な体調悪化に伴い、適切な薬品を提供するべく設置された無人販売機である。
これの優れた点は、各々の生徒証明証と連携することで誰がどれを使ったかを把握できる点にある。このデータは各病院にも共有され、処方箋として記録されるのだ。
生徒証明証のない不良生徒などは、シャーレの対応窓口に申請することでこの無人販売機を割安で利用できる為、医療のハードルを下げる政策として期待が持たれている。
(勿論、素人判断による薬の濫用や盗難被害など、懸念材料は多々ある為、現在はあくまでも試験運用の段階である)
「薬品も複数種置いてありますが……医療の知識がなければ、どれが自分に効く解熱剤かわかりませんね。情報の集積は自己負担を原則とする、チヨコらしい設計ミスです」
ロッカーに貼り付けられた説明用のポスターを眺め、ミネはおおよその仕組みと課題点を理解する。
アンケートに意見を投函し、ほっと一息。
そうしていざ利用しようと、新しいおもちゃを見つけた子どものように喜び勇んだ時……
「……あっ!?」
(し、しまった。私の生徒証明証は使えない……!)
……ミネは自身が隠遁の身であることを漸く思い出した。完全な職業病であった。
(く、くぅ……そんな、目の前に来て)
まるでシスターフッドの長のような苦渋に満ちた表情を浮かべるミネ。
だが、躊躇いなくロッカーを吹き飛ばす為に弾薬を漁った時、ポケットに弾薬とは違う、硬質な感触があった。
思わず取り出したそれは、最後の別れの時、チヨコが託した電子カードキー。
導かれるようにミネがカードキーを翳すと、ロッカーはミネを歓迎するかのように開いた。
「……ありがとうございます、チヨコ。励みになります!」
ミネは用心深く持ち出す薬を選び、複数の配置薬ロッカーから別々の薬を持ち出す。
それは目撃情報を増やすことでセーフハウスの特定を防ぐ意図だったが、お蔭で新たな発見をすることができた。
“To market, to market, to buy a plum cake, Home again, home again, market is late; To market, to market, to buy a plum bun, Home again, home again, market is done.”
(市場へ 市場へ プラムケーキ買いに 帰ろう 帰ろう 遅すぎた 市場へ 市場へ プラムケーキ買いに 帰ろう 帰ろう 買い物は終わった)
「……マザー・グース?」
ロッカーの蓋、その裏に貼られた小さなメモ用紙。
そこに書かれた文章は、マザー・グースと呼ばれる童謡集だ。
トリニティ総合学園の生徒には馴染み深いものであり、ミネもよく幼き頃、チヨコや友人たちと歌って歩いたものである。
ミネは筆跡鑑定に明るい訳ではなかったが、その判読性をとにかく重視した、細いセリフ体をプリントしたような字には見覚えがある。チヨコが書いたものだ。
(チヨコは何を伝えたいのだろう。彼女は今まで、何と言っていたか)
メモ用紙を写真に撮り、ミネはセーフハウスに戻って思索に耽る。
“To market, to market, to buy a plum cake, Home again, home again, market is late; To market, to market, to buy a plum bun, Home again, home again, market is done.”
(市場へ 市場へ プラムケーキ買いに 帰ろう 帰ろう 遅すぎた 市場へ 市場へ プラムケーキ買いに 帰ろう 帰ろう 買い物は終わった)
“Jack Sprat could eat no fat. His wife could eat no lean; And so between them both, They licked the platter clean.”
(ジャック・スプラット 脂身がきらい おかみさんは 赤身がきらい そこでふたりは 肉の皿 ぺろり きれいに 平らげた)
“Humpty Dumpty sat on a wall, Humpty Dumpty had a great fall.”
(ハンプティ・ダンプティ 塀の上 ハンプティ・ダンプティ 落っこちた)
ロッカーに収まっていたマザー・グースの詩篇はこの3種類。
照らし合わせる内、筆跡に不自然なインク跡を見つけたが、これは撹乱用の罠であるとミネは見抜く。
「……チヨコの悪い癖です」
黄瀬チヨコ。
幼馴染であり、親友である彼女のことを、ミネは静かに想った。
丁寧で、冷静で、温和で、気遣い上手なチヨコは、救護騎士団に、そしてヨハネ分派の為に忠誠を捧げ、富を注ぎ続ける『金の成る木』である。
しかしそうしてヨハネ分派の大人たち……トリニティの大人たちと繋がりを保ち続けた結果、責任で互いを縛り、利益を提示することで相手を動かす。そういう生き方を身に着けてしまった。
それは社会を善く回す為の最善の策であり、万人が幸せになれる為の方程式でもあると、ミネも理解している。しかしだからこそ、彼女が利益を提示せねば人を頼れないと思っていることに何度も悲憤し、彼女と大喧嘩してきた。
この無数に散りばめられた罠の数々こそ、チヨコの不安と疑心を指し示すものである。ミネはそう捉え、一切合切を無視した。
ここに彼女の本心などない。ミネはチヨコとの友情がそう囁くのを、ただ信じた。
「あるとすれば……これですか」
ミネは直感を信じ、電子カードキーを改めて検分した。
薄い金属プレートが溶接されたそれを、ミネは細心の注意を払ってこじ開ける。
カードキーに記されていたのは、ひとつの座標とメッセージ。
座標を調べてみれば、そこはD.U地区の港湾施設だった。
そしてメッセージは……
『私と貴方だけのもの。それだけが私の真実』
「……本当に、あの子らしい」
……謎掛けにかこつけた、チヨコなりの思慕。
その結晶でできたような詩篇であり、すべてを繋げる暗号鍵。
ミネはその言葉を噛み締めながらも、その言葉に従って考えを進める。
「恐らく、D.Uの港湾施設がゴール地点でしょう。そして、マザー・グース……私とチヨコだけもの……」
マザー・グースは600から1000以上のものが存在するが、すべての本がすべての童謡を収録しているわけではない。
それらは歴史を追うごとに好き勝手に増えていき、子どもたちの為に、子どもたちと共に歌われるものだからだ。
故にミネは、チヨコに関する思い出を焦点を当て、探り当てていく。
しかし詩に対して、チヨコが深く言及する思い出はなかった。幼い頃のチヨコは、あまり語学に興味がなかったのだ。
「確か、私があの子に読んだものは、44篇だけだった筈」
だからこそ、ミネはページ数に着目した。
昔ふたりが幼い頃。
幼い頃から優秀だったミネという才女に両親が与えたご褒美は、何の家柄も関係ない、ただの友達を作ること。
黄瀬チヨコという少女こそ、ミネの初めての誕生日プレゼントだった。
「確か、ひとつ目が12頁、ふたつ目が13頁、みっつ目が25頁……」
幼いミネは自分と同じようにチヨコが学べると無邪気に信じ、そして沢山挫折してきた。
マザー・グースもまた、その挫折の一冊である。
「女の子なら詩は大好きだろう」と練習して諳んじた古い詩がラジオから流れる気難しいニュース番組に負けた時、思わず膝から崩れ落ちたことを彼女は思い出した。
(当時、ナギサやサクラコはすごいすごいと無邪気に拍手をしてくれたものだったのに、幼い頃のチヨコはあくびひとつ上げてラジオにかじりついていたのだ! これはミネの屈辱的な思い出でもあったので、ミネは思い出してちょっとムッとして、しかしちゃんと覚えていたのが嬉しくなったことも付記しておく)
「港湾施設の予定は……12日、13時25分。ミレニアム行きの高速貨物船!」
10時間後に訪れる、チヨコからの文字通りの助け船。
それを信じ、ミネは行動を起こすこととした。
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次回は2024/03/27 23:00頃を予定しております
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