救護の手にクリームを   作:救急パックA

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3時間の遅刻、恐縮です。
がんばっていっぱい書きました。


後悔と再起

少し歩き。

アルたちは高架橋の下で、目当てのコンテナを見つけた。

ご丁寧にトラックに積まれていたが、運転手は見当たらない。

 

「セリナさんは運転できるかしら」

「このくらいなら先輩に教わったのでなんとか。でも、席は2人分ですがどうするんですか?」

「カヨコっち、助手席おねがーい」

「車内はライフルの取り回し悪いしね……いいよ、やっとく」

 

勝手知ったるとばかりに、アルたちはコンテナの上に陣取っていく。

キヴォトスであってもキヴォトスなりの道交法は存在し、それは安全な交通を保障する為に各々が守るべきルールである。それを真っ向から破っていく便利屋たちにセリナが唖然とするのは無理からぬことだろう。

 

「……ああ。社長たちなら大丈夫。慣れてるから」

「そ、そうなんですね……」

 

セリナは改めて、自分がどういう生徒とつるんでいるのか理解しながらも、ルールを破ってでも依頼を遂行する姿勢にはミネと親しいものを感じた。

これから自分の働きが、そんな彼女たちの仕事の成否に関わるのだと理解すれば、否応なく肩に力が入る。

 

「……で、では、行きます!」

「いぇーい、しゅっぱ~つ♫」

 

トラックが重たいエンジン音と共に動き出す。

緊張こそしていたが、セリナの運転は実に堅実なものだった。

しばらく快調に道路を走っていたが、やがてムツキが運転席を叩く。

 

「セリナちゃん、この先を右に曲がって〜」

「わかりました。直線の方が早いですけど、いいですか?」

「うんうん、だいじょうぶ〜。真っ直ぐ行くとバリケードあるって、アルちゃんが言ってるから♫」

「えっ!?」

 

言われてセリナが目を凝らすと、つい先程通った道に、車によるバリケードが組まれつつあった。その辺りには銃を手にした大人たちがうろついている。

あのようなものはなかった筈だ。いったい何処から嗅ぎつけたのか? そう考える間もなく、セリナは慌ててハンドルを切った。

 

「迂回して別口から入るよ。みっつ先の交差点を左ね」

「は、はい! ……わわっ!?」

「後方から追手、2台! 挟んでくるわよ!」

「おっと、やばやば。あたまぺしゃんこになる~」

 

襲い来る2台の車両には、銃を持った大人たちが座席いっぱいに乗っていた。

ロボットの大人たちはみな思い思いの服装と武器を手にしており、明らかに練度が低いことが見て取れる。

 

「オラァ! ガキども! 止まりやがれ!」

「積み荷置いて何処かへ失せろってんだよ、オオ!?」

 

しかし、敵意はそこらの不良を遥かに上回る。

その恫喝の口ぶりも慣れたもので、並の生徒なら震え上がっていたことだろう。

 

「舐められたものね」

 

しかし、その恫喝に竦み上がった者は誰もいなかった。

見るからにたおやかな少女であるセリナであっても、蒼森ミネという本当の強さを示す者の背を見てきた生徒のひとり。

更には、彼女とコンテナを守護するのは、生粋のアウトローたちである。

 

「威嚇なら、射撃と共にやるべきよ。ヴァルキューレの新米だって覚えてるわ」

「例えばこういう風~に♪」

 

アルが銃を抜き放ち、ムツキがボストンバッグから爆弾をばら撒く。

大人たちが一瞬思考を空白に染め上げる中、アルたちはコンテナの縁を掴んで言い放った。

 

「「全速前進!」」

「は、はいッ!」

「待ッ――!?」

 

エンジン音を吹き鳴らし、トラックがスピードを上げて両端の2台を突き放す。

片方の車、その天井にはムツキの爆弾が貼り付き。

片方の車、その床底にはアルの炸裂弾が跳弾となり、ガソリンタンクを食い破って破裂した。

慌てて追おうとするが、もう遅い。

 

「「うわああああああッ!?」」

「アハハッ♪ アルちゃんカッコい~!」

「当然よ、片手でも命中させられるわ!」

 

背後から迫る爆炎、そして轟音。

アルはそれらをバックに、優雅な決めポーズを取って見せた。

渾身のキメ顔をスマホで撮られても余裕の表情だ。

 

(キマったわぁーっ!! これ! これすっごくカッコいい!!)

 

何故なら今、アルはカッコいいからである!

自分の置かれている状態がカッコいい時、アルはめちゃめちゃにテンションが上がるのだ!

当然調子に乗る! しかし身体スペックも上がり、更に活躍する!

アル、絶好調!! さながらバブル経済の如し!!!

 

「あ、今の爆発でヴァルキューレが来たみたい」

「ぱ、パトカーの群れです……!」

「な、ななななんですってぇーッ!?」

 

つまり、バブルというからには弾けるのである。

ここはD.U地区。ヴァルキューレ警察学校のお膝元である以上、そこで騒ぎを起こすということは「どうぞお縄をかけてください」と言っているようなものだ。

当然ながら緊急出動した機動隊が、パトカーに乗り込んで追いかけてきたというわけである。

ちなみに調子づいていたアルは、すっかりこのリスクを忘れていた。調子バブル崩壊、今週最速の記録であった。

 

「と、とにかくコンテナを積むわよ! セリナさん、次の次で左折!」

「はい!」

「ハルカ、足を支えて!」

「い、いつでも、撃ってください……!」

 

あっという間に窮地に追い詰められこそしたものの、この程度でアルが諦めることはしない。

左折時の減速、その僅かな時間を有効に使うべく、アルは懐に飛び込んできたハルカの背にライフルを置く形で精密狙撃の体勢をとった。

狙いは、威嚇射撃とばかりに銃を乱射し始めた機動隊の生徒たち――ではない。

 

「そこのトラック、止ま――」

「止まるのはそっちよ……!」

 

狙いは今正にパトカーの足元に近づく、先程ムツキがバラ撒き、誘爆から逃れた爆弾たち。

正確に撃ちぬかれたそれらは、弾ける炸薬によって引火し、誘爆を引き起こした。

それによって先頭車両が吹き飛び、巻き込まれた車たちが団子になって転がっていく。

 

「や、やったわ……! このまま進んで!」

「任せてください!」

 

爆炎が後ろ髪を焦がすのを感じながらも、アルたちはなんとか港湾施設に辿り着く。

あとはコンテナを船に積むだけ。そう考えた彼女たちの頬を、銃弾が掠めていった。

 

「おらぁー! 下がれ下がれ! この港はたった今から、このピチピチヘルメット団のシマだぁ!」

「すべての貨物船を私たちの漁船にするぞぉー!!」

「ウソでしょ!?」

 

そこに立ち塞がっていたのは、ヘルメットを被った不良生徒たち。

ヘルメット団と名乗る彼女たちは、キヴォトス中によくいるカラーギャングの類だ。

◯◯◯◯ヘルメット団、と名乗るのがお約束となっており、お揃いのヘルメットを被ることで防御力と結束力を高めている。

便利屋68と違うのは、彼女たちは質より量、という点だ。

 

「この港は私たちのモノ! つまりそのコンテナも私たちのモノだ!」

「さっさと置いてかないと、後悔することになるぞぉー!」

「だってさ。アルちゃん、どうするー?」

「こ、こんなところで立ち往生なんてしてられないわよーっ!」

 

前門のヘルメット団。後門のヴァルキューレ。

窮地から窮地へ追い詰められたアルたちだが、それでも情けなく諦めるなど、思考の端にも浮かんではいなかった。

彼女たちは即座に、揃ってヘルメット団に銃を向ける。ぎょっとするヘルメット団の反応など、お構いなしだ。

 

「どきなさい! 便利屋68のお通りよ!」

「な、なんだァテメェら!? バカみてえにコンテナの上に乗りやがって……」

「アル様をバカにするなぁあああ――ッ!!」

「わぁああああ――ッ!?」

 

真っ先に飛びかかったのはハルカだ。

彼女はまるで恐れを知らぬとばかりに盾もカバーも使わずに飛び込み、ショットガンを乱射した。

その勢いのままある者は蹴倒され、ある者は打ちのめされる中、抵抗を試みる者はアルやムツキが上から仕留めていく。

 

「セリナさん、そのまま進んで。貼り付かせはしないから……」

「か、カヨコさん! あれを!」

「……あれは、不味いな」

 

セリナが指差した方向を見て、カヨコは眉をひそめる。

指先にはタラップを畳み、何人の介入も拒む貨物船の姿があった。

カヨコは急いでスマホを手繰り、船の担当者に連絡を取る。

彼らも待っていたのだろう。通話はすぐに繋がった。

 

「今、港で不良とやり合ってる。すぐ片付けるから、タラップを下ろして」

『すまないが、それはできない』

「理由は?」

『ヴァルキューレが近くまで来ている。捜査の手から逃れる為に、すぐ出港しなければ』

 

背の向こうから響いてくる、再びのサイレン音。

ではどうする、とカヨコが頭を巡らせる中、視界の端で何かが見えた。

貨物用のガントリークレーンだ。

 

「あのクレーン。あれでそこまで届く?」

『……わかった。鍵は入れてあるから、クレーンを起動させて、牽引フックを繋げろ。あとはこちらで制御する』

「了解」

 

淡々とした……切迫した状況の中では冷たいとも取れるやり取りだが、船の担当者たちはできる限りの譲歩を行った。

それが利益か義理か、人情かはさておき、首の皮一枚繋がったことを理解して、カヨコは溜息をつきながらトラックのドアを開ける。

 

「セリナさん。あそこまでトラック回して、コンテナの固定具を外して」

「わかりました。カヨコさんはクレーンに向かうんですね?」

「うん。社長とムツキが守るから、安心して」

「大丈夫です! ちょっとの窮地なら、救護で慣れてますから!」

「……そっか。じゃ、任せるよ」

 

ふ、と微笑んだカヨコの顔があまりに美しく、セリナが固まるのも刹那のこと。

爆炎と共にその顔は決意に満ちた鋭さへと変わり、拳銃を撃ちながら彼女は飛び出していった。

セリナは努めてヘルメット団を踏み潰さないよう運転しながら、どうにか指定のポイントまでトラックを辿り着かせる。

 

「ムツキ! アーム下ろすから繋げて!」

「はいはーい! おーらいおーらーい♪」

「ハルカ、コンテナに乗りなさい! 私たちも船でずらかるわよ!」

「は、はい、アル様!」

 

大急ぎで駆けつけてきたカヨコとハルカ、そしてセリナをコンテナの上に乗せ、牽引フックと接続させる。

宙に浮く鉄塊に肝を冷やすには充分だが、迫りくるヘルメット団とパトカーから降りてきたヴァルキューレの生徒たちを見れば、コンテナなどには構っていられなかった。

 

「動くな! ヴァルキューレ警察学校だ!」

「機動隊をナメやがって、後悔させてやる!」

「う、うわぁ!? もう来やがったのか!?」

「クソっ、こうなりゃ船を奪って脱出だ! あのコンテナに乗って渡るぞ!」

 

ヴァルキューレの生徒たちに気付いたヘルメット団たちが、我先にとコンテナへ殺到する。

弾薬を撃ち切る勢いで発砲するアルたちだったが、この多勢に無勢の状況で、コンテナを守りきるというのはなかなかに難しい。

 

「ハルカさん、傷を手当しますね……!」

「わ、わ、すみません。私なんかの為に……」

「いやぁ~、ぜったいぜつめーってカンジ?」

「ま、まだよ! コンテナさえ、あのコンテナさえ船に下ろせば……!」

 

正に絶対絶命の窮地の最中。

空の彼方から飛来した、ガスグレネード弾をアルたちは確かに見た。

煙を振りまきながら床に転がるそれらに、ヘルメット団の足が止まる。

 

「煙幕!? ヴァルキューレのか……エンッ!?」

「な、なんだ、これっ。く……コッ!?」

「わぉ。毒ガス攻撃ってやつ?」

「え、えぇっ!? どこから……」

 

煙を吸い、ばたばたと倒れていくヘルメット団たち。しかし、アルたちにその煙は何ら害をもたらさない。

突然の出来事に驚くアルだったが、狙撃手として優秀な……遠視気味の目がはっきりと捉えた。

 

「あ、あれは……」

 

ビルの上に佇む、グレネードランチャーを携えたひとつの影。

生徒と思しきそれは、再び装填を済ませると、アルたちを守るべくガスグレネードをヘルメット団に浴びせかけた。

太陽による逆光を浴びたそれは、一切の主張をしない。しかし仕事を確実に遂行するその姿に、アルはきらきらとした眼差しを向ける。

 

(か、カッコいい……!)

 

瞬間、アルの脳裏にはビルの上から太陽を背に、窮地の覆面水着団を助けに入る自分の姿が浮かび上がっていた。

あれ絶対めちゃくちゃカッコいい。アルは電撃のような直感に脳を焼かれ、胸を貫かれる。

ドンピシャで好みのシチュエーションだったのだ。

 

「く、くそっ、麻痺ガスか何かか!?」

「コンテナだ、コンテナを撃て! 密輸を阻止しないと、局長に怒られるぞー!」

「ちょ、ちょお!? 私たちも乗ってるでしょー!?」

 

しかしいつまでも恍惚とはしていられない。

煙のせいで近づくのが困難だと理解したヴァルキューレの生徒たちは、せめて最後の密輸は阻もうと懸命に銃を撃ち続けていた。

時折それがクレーンのワイヤーに当たり、コンテナを不規則に揺らしていく。

 

「わ、わわわっ。落ちる……!?」

「こ、こんなっ、あとちょっとで……!」

「……いえ。ここまで来れば充分です」

 

アルたちが、誰の声かを理解するより早く。

コンテナの扉が蹴破られ、海面に落ちた。

呆気に取られるアルたちをよそに、青い影が何かを抱え……

 

「……ご苦労さまでした、セリナ。そして、便利屋68の皆さん」

「え、えっ」

「それでは……ごきげんよう!」

 

……コンテナを大きく蹴って、跳んだ!

惚れ惚れするほどの跳躍で、その少女は貨物船の甲板へと跳び乗る。

そしてその勢いに大きく揺られたコンテナは、遂に牽引フックから外された。

 

「そ、そんなの聞いてないわよぉーッ!?」

 

空中に放り出されたアルたちは、悲鳴を上げながら海に飛び込む羽目になる。

依頼達成に喜ぶ時間など、まったくありはしなかった。

 

***

 

「……よしよし。なんとかなったね」

 

D.U地区、港湾施設を見下ろすビルの上にて。

チヨコは出港する貨物船を見つめながら、グレネードランチャーを下ろしてホッと一息ついた。

 

「港の近くにボートは手配したから、あの子達ならそれで逃げられるでしょ……一応、尾刃さんに深追いはしないよう、お願いしておくかな」

 

予想通り、エンジン付きのボートが貨物船の反対へと逃げ去っていくのが見えて、チヨコは深く息をついて安堵する。

アウトローという触れ込みから荒事には慣れているとは思うが、捕まることは彼女たちにとっても不本意な結果だろう。それが避けられたことは、チヨコにとっても喜ばしいことだった。

 

「セリナちゃんもお世話になったみたいだし、今度なにかの形で、お礼しないとね……」

 

セリナが同行したことはチヨコにとっても想定外だったが、追い込まれた状況下でも、便利屋の面々がセリナを気遣っていた様子ははっきりと見て取れた。

依頼達成の為に尽力してくれたことも含めて、いつか礼は果たさねばならない。そう考えながら港へと背を向ける。

 

「それで……どこまでが想定通りで?」

「すべて貴方の手のひらの上でしたよ、チヨコさん」

 

最大限の警戒をもって振り返ったチヨコを待っていたのは、桐藤ナギサ、ただひとりだった。

 

「先んじて言いますが、私が手を回したのはヴァルキューレだけです」

「まあ……そうでしょうね。ティーパーティーなら、公権力を使う方が楽でしょうし」

 

銃さえ構えずに、彼女はチヨコへと近づく。

とっさに飛び降りられればどれだけ楽だったか、とチヨコは考えるも、ここは十数階建てのビルであり、彼女が生やしているのは兎の耳であって鳥の翼ではなかった。

 

「……で、どうやって暗号を解いたんです? あれは、私とミっちゃんしかわからない筈」

「貴方にマザー・グースを読んであげるのだと、ミネさんが言っていたのを思い出したんですよ。彼女は私やサクラコさんの前で、何度も披露してみせたんですから」

「えッ」

「その後で、貴方がまったく興味を示さなかったとミネさんがおかんむりで。私たちが頑張って宥めたことは、彼女は伝えなかったようですね?」

「……その節は、主人がご面倒を……」

「それは女房役なんですか? 従者役なんですか?」

 

幼少の砌とはいえ、素直に申し訳なくなり、チヨコは頭を下げた。

すべての思い出がミネとチヨコだけのもの、そういった驕りはチヨコもしていなかったが、幼いミネがそんな惚気話のようなやり取りをしていたとはまったく想定外だったのである。

そして、そんな些細な思い出話から、欠けた謎を解いてみせたナギサの頭脳に、改めて舌を巻いた。記憶力もそうだが、たった3つの詩篇からそこまで導き出すインスピレーションにも驚かされる。

 

「……それより。あの、水色の髪がミネさんですか?」

「ええ……まさか、船を沈めようなんて言いませんよね」

「しません、しませんよ。ただ、見たかっただけです」

 

ナギサは柵から身を乗り出しそうなほど、食い入るようにミネの背を見つめていた。

何かを船員に引き渡し、船の中に入っていく彼女。

それがなんなのか、チヨコにもナギサにも正体は掴めない。しかし彼女が、遂にトリニティに渦巻く魔の手から逃れたことは、ふたりともよくわかっていた。

 

「……最後に、あの気高き友人の姿を。この目で見たかっただけです」

 

だからこそ、ナギサが溢した一言は、チヨコにとって想像を絶するものだった。

どんな恨み言も、どんな罵詈雑言も、チヨコは聞き入れるつもりだった。八つ当たりじみた責め苦を受けようとも、絶対に何処へ逃げるのかは伝えまいと口を固く閉じるつもりだった。

しかしナギサは責めず、怒鳴らず、ただ……ただ、ミネの背をずっと、見つめていたのだ。

 

(私は、何を間違えたんだ?)

 

チヨコは自問する。

脳が空白で染まる中、胸に深く刺さった感情の正体が何であるかを探る為、チヨコはナギサの横顔を見つめていた。

 

(私は、前提を間違えていた?)

 

ナギサは泣いてはいなかった。

ナギサは怒ってはいなかった。

ナギサは笑っていた。

ナギサは、安心するように微笑んでいた。

まるで無事に送り出せたと、喜ぶように。

飛び立つ鳥を見送る、死期の迫った老人のような、安堵の笑みを浮かべていた。

 

(今までずっと、あの人の、ミネの為に頑張ったつもりだった)

(本当にそれは、あの人の、ミネの為になることだったのか?)

(本当は。本当はあの人と、この人の疑心を晴らすことこそ――)

 

「貴方に、任せますね」という声が、チヨコの脳裏に響く。

これから起きるすべての事は、自身の選択ミスから生まれているのではないか。その疑念が頭で渦巻いて離れない。

ひとつ確かなことがあるとすれば、チヨコはミネと違い――舞台に取り残された、ということだ。恐らく、ナギサと同じように。

 

(――ミネの救護は、確かにセイア様に必要だった)

(だけど、私の救護が必要だったのは、きっと――)

 

ポケットの中に、柔らかい、粉の感触があった。

チヨコが引っ張り出したそれは……弾の間でぐしゃぐしゃになった、ビスケットの袋。

かつてナギサが贈った、『新愛の証』。

チヨコが気づかないまま、壊してしまったものだった。

 

「き、桐藤……いえ、ナギサ、様」

「……なんでしょう」

「わ、私に……何か、貴方の為にできることは、ありますか?」

 

それは思わず出てきた、手を差し伸べる為の言葉だった。

だが、その喉は震え続け、最早どちらが縋りつくべき者なのかわからない。

それでも、チヨコは声をかけざるを得なかった。

 

(私の動機は、計画は、すべてナギサ様に伝わった。もうナギサ様は私を疑う必要がない)

 

きっと気が済めば、ナギサは救護騎士団からマークを外し、触れることがないだろう。

それはトリニティに未だ渦巻く恐れと疑いから救護騎士団を守る為であり、犯人がそこにいないことをナギサが確信する為でもある。

旧友たるミネを疑い続けずに済む。それがナギサにとって一番、心の負担を減らすことができるからだ。

 

(この機を逃せば――二度とこの人に、関わることができない)

(そうなったら、あの人が、ミネが戻った時、手遅れになっている可能性もある)

 

だから関わらなければならない。手を差し伸べ続けなければならない。

仮に今、こうして助力を申し出ることが、煽りだと捉えられようと。

不興を買い、地獄の責め苦を受けようとも、ナギサと関わり続けなければ、今でさえ深く刻まれているであろうミネの後悔を、更に決定的なものとしてしまうかもしれない。

そんな不安が、チヨコの喉を、頭を、すべてを必死に動かしていた。

 

「ミっちゃんのことは、話せない。けど、力になれるなら……っ!」

「結構です」

「……っ!」

「貴方を疑う必要はなくなった。喜ばしいことです。友人を疑う機会なんて、一度でも少ない方が良いのですから」

「なッ、なら……!」

 

跪くことさえ厭わず、チヨコはナギサに懇願した。

 

「私に、どうか罰を。裏切りの罰を、お与えください……!」

「……貴方は」

 

その言葉を、どう受け取ったか。跪くチヨコには伺うことができない。

しかしナギサはすぐに手を差し伸べ、震えるチヨコを立たせようとした。

 

「それなら、チヨコさん……頼みたいことがあります」

「……お伺い、致します」

「貴方の主人、蒼森ミネに対する疑いのすべては、彼女の政治的退場という結果により保留となりました。しかし、貴方の主人、その家の大人たちに対する疑いは残っています」

「それは、ヨハネ分派の者たちの関与の疑いがある、と?」

「そうです。ヨハネ分派のみならず、トリニティの大人たちが抱える企みのすべてを、私は把握せねばなりません」

 

何の為に、とはナギサは言わなかった。恐らく、言えないのだろうとチヨコは理解する。

今回のミネ脱出に際しても、大人たちの介入があった。いったい誰が、あのコンテナの価値を嗅ぎつけたというのか? それはまだわかっていない。

今も誰が、何の目的で聞いているかわからない以上、未だナギサは慎重に慎重を重ね、疑心暗鬼に駆られる必要があるのだ。

恐らくは、真の犯人を見つけるその日まで。

 

「チヨコさん。貴方が私への親愛を証明する機会を望むのなら、どうか手を貸してください」

 

それは再び、身も震えるような暗闘に足を踏み入れることを決定づけている。

しかし、チヨコはもう、迷うことはできなかった。

 

「……喜んで、お力添えします」

 

すべては救護の手に、クリームを与える為。

本当に救いを求めるべき、何かを救おうとする人を支える為の、苦行のはじまりであった。




お読みいただきありがとうございます
次回は2024/04/04 23:00頃を予定しております
(今日はちょっとお祝いごとを楽しみ過ぎたので、1日頂戴できれば幸いです。
 仕事でいいことがあったので……)
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