日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十話『六摂家』 急

 統(とう)京(きよう)都(と)は湊(みなと)区に、紅(あか)阪(さか)御用地と呼ばれる皇族の住居がある。

 敷地内には皇子皇女のうち上の三人――第一皇女・麒(き)乃(の)神(かみ)聖(せい)花(か)、第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)、第二皇子・鯱(しゃち)乃(の)神(かみ)那(な)智(ち)がそれぞれの邸(てい)宅を構えている。

 中でも第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)の住まいは、父親である神(じん)皇(のう)の住まいと同じく旧御所に似た宮殿であるが、大きさで言えば御所を超えて皇(こう)國(こく)最大の個人邸宅である。

 

 尤(もつと)も、親子の邸宅で真に様子が異なるのは内装の方が大きい。

 父・神(じん)皇(のう)の御所は、高級感はそこそこに木材や石材の選定や処理、和洋折衷の伝統的な建築様式といった「味わえば味わう程に深みの増す」「解(わか)る者を唸(うな)らせる」という「厳かな豪華さ」を醸し出している。

 対して息子・皇太子の邸宅は甲(きのえ)邸の内装に近く、分かり易(やす)い派手な輝きを纏(まと)った「煌(きら)びやかな豪華さ」を見せ付けている。

 

 そんな絢(けん)爛(らん)豪(ごう)華(か)な邸宅の入り口、門となる御(お)車(くるま)寄(よせ)で、まさにこの宮殿の主が出迎えられていた。

 屋内へ向けてずらりと並んだ侍従達の最前で、二人の近衛侍女が第一皇子・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)に一礼する。

 

「お帰りなさいませ、獅(し)乃(の)神(かみ)殿下」

「お帰りなさいませ。御家族での御(お)食(しよく)事(じ)会(かい)、如(いか)何(が)で御座いましたか?」

「うむ、追々話すことがある。それよりもこの暑さだ、先(ま)ずは体を清めたい。風呂は沸いているか?」

 

 二米(メートル)を優に超える巨漢・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)は、鴉(からす)羽(ば)根(ね)の装飾と白金(プラチナ)の毛波が艶(つや)めく袖なしの上着を侍従へ向けて放り投げた。

 黄(こう)櫨(ろ)染(ぜん)色(しょく)と呼ばれる茶金色の肌の下には山の様な筋肉が一(ひと)欠(かけ)片(ら)の贅(ぜい)肉(にく)も許すことなく備わり、絶対強者と呼ばれるに相(ふ)応(さわ)しい力強さを誇示している。

 

「貴方(あなた)様の宮は貴方(あなた)様の御(ご)要(よう)望(ぼう)に二十四時間三百六十五日、常々十全にお応え出来ますよう、準備万(ばん)端(たん)の状態を維持しておりますわ。第一浴場は昼食会前に御利用で、現在清掃中に御座いますので、第二浴場をどうぞ御利用ください」

 

 ゴシックロリータ服に身を包んだ妖艶な近衛侍女・貴(き)龍(りゆう)院(いん)皓(しら)雪(ゆき)が朗らかに主へ笑い掛けた。

 対照的に、クラシカルなメイド服に身を包んだもう一人の近衛侍女・敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)はあくまでも畏(かしこ)まった無表情を堅持している。

 

「湯(ゆ)浴(あ)みの共は如何なさいますか? 私(わたくし)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)殿、どちらが御背中を御(お)流(なが)しいたしましょう」

 

 敷(しき)島(しま)は淡々とした口調で主に尋ねた。

 獅(し)乃(の)神(かみ)は敷(しき)島(しま)と貴(き)龍(りゆう)院(いん)、二人を吟味する様にまじまじと見詰める。

 そして、薄青い口を僅(わず)かに緩めて答えを下す。

 

「どちらも捨て難(がた)い。一層二人共にするか」

「畏まりました。誠心誠意努めさせていただきます」

「貴方(あなた)様の御要望でしたら、喜んで」

 

 獅(し)乃(の)神(かみ)は二人の近衛侍女の肩を抱き、長い回廊を浴場へと連れ歩いて行った。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 七月五日、鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)の襲撃を受けて足止めを食らった航(わたる)と魅(み)琴(こと)の元にも夜が訪れた。

 工事中のビルに作業員が入ってくるのは明日月曜日の朝、それも早い時刻だろう。

 今は二人、この場所で鷹(たか)番(つがい)の能力の影響が消えるまで息を潜めているが、人が来るまでに立ち去らなくてはならない。

 

「うう……」

 

 一人で床に寝そべる航(わたる)は、天井を見上げて歯(は)痒(がゆ)さを感じていた。

 出入り口の向こう、廊下へ出て少し離れた場所にあるシャワー室から、微(かす)かに水音が聞こえてくる。

 

「なんで僕(ぼく)がこんな目に……」

 

 今、魅(み)琴(こと)がシャワーを使っている。

 その気配がただそれだけで悩ましい。

 航(わたる)は一人、悶(もん)々(もん)とした想(おも)いを抱えていた。

 

「シャワー長いな……。というかあいつ、わざと水勢を出してこっちまで音を響かせてるよな……」

 

 航(わたる)は半ば強制的に、シャワーを浴びる魅(み)琴(こと)の瑞(みず)々(みず)しい裸体を妄想させられる。

 おそらく、これは魅(み)琴(こと)の挑発だろう。

 思い出されるのは、彼女が酒に酔って絡んできた出来事である。

 

『このヘタレが。私(わたし)を押し倒すくらいのこと、してみなさいよ。ま、返り討ちにしてやるけれどね』

 

 囁(ささや)き声が脳(のう)裡(り)に反響し、擦り寄ってきた身体の感触が鮮明に蘇(よみがえ)る。

 航(わたる)にとって、これは非常に辛い状況だった。

 

「くっそー、こっちが動けないのを良いことに男心を弄(もてあそ)びやがって……」

 

 航(わたる)は鷹(たか)番(つがい)の能力に因(よ)って筋力が衰えてしまった影響で、未(いま)だに指一本動かせずにいた。

 なんとなく、身体の感覚的には少しずつ力が戻っていると分かる。

 しかし、それでもまだこの有様である。

 

「いや、動けたからってどうこう出来る訳じゃないけどさ……」

 

 魅(み)琴(こと)もまた、鷹(たか)番(つがい)の能力を受けている。

 しかし、彼女はそれでも百瓩(キロ)近くある鷹(たか)番(つがい)を遙(はる)か彼方(かなた)へと投げ飛ばした。

 その凄(すさ)まじい膂(りよ)力(りよく)には弱体化の影響を全く感じさせない。

 今の航(わたる)は勿(もち)論(ろん)、万全の態勢で手を出したとしても、返り討ちに遭う未来しか見えなかった。

 

 もしかすると、魅(み)琴(こと)がシャワーを浴びているのはそんな自分の力を航(わたる)に誇示しているのかも知れない。

 昔から彼女は、何かにつけて航(わたる)と勝負事をしては負かすことを楽しんでいた。

 

「あいつ結構そういうところあるからな。良い性格してるよ全く……」

 

 しかし痘痕(あばた)も靨(えくぼ)とは言ったもので、航(わたる)にとってはそんな魅(み)琴(こと)の勝ち誇る顔も堪(たま)らなく愛(いと)おしく感じていた。

 彼女と一緒に居られるなら、楽しませられるなら、そうやって負けて悔しがる役割も悪くないと思っていた。

 

「本当、敵(かな)わないよな……」

 

 航(わたる)は溜息を吐いた。

 魅(み)琴(こと)には何一つとして勝てない航(わたる)だが、それ以前に惚(ほ)れてしまった時点で敗けてしまっているのだ。

 

 ふと、航(わたる)はいつの間にかシャワーの水音が止まっていることに気が付いた。

 もう間も無く、魅(み)琴(こと)が戻って来るのだろうか。

 

(でもやられっぱなしは面白くないからな。何かちょっと気の利いた反撃を、一つくらいは考えてやるか……)

 

 航(わたる)は考える。

 生涯に一つ、何か一つくらいは、魅(み)琴(こと)をギャフンと言わせる勝利の勲章があっても良いではないか。

 今のうちに作戦を練っておくのも良いかも知れない。

 そんな一(いつ)世(せ)一(いち)代(だい)、乾(けん)坤(こん)一(いつ)擲(てき)の大勝負にも打ち負かされるとしたら……それはそれで、とても甘美な経験になるかも知れない。

 

 それは兎(と)も角(かく)、航(わたる)は新たな妄想を呼び起こす。

 丁度全裸の魅(み)琴(こと)を想像していた影響で、裸で悔しがる彼女の表情を想像してしまう。

 何とも下卑た興奮が込み上げるが、同時にやる気も湧いてくる。

 

「よーし、今に見てろよ魅(み)琴(こと)! 吠(ほ)え面(づら)掻(か)かせてやるからな!」

「あら、それは面白そうね。楽しみにしているわ」

 

 その声を聞いた瞬間、航(わたる)は青(あお)褪(ざ)めた。

 近付いてきた魅(み)琴(こと)がわざとらしい満面の笑みを浮かべて航(わたる)の顔を覗(のぞ)き込(こ)んだ。

 濡(ぬ)れた髪が実に色っぽい雰囲気を醸し出している。

 

「や、やあ。戻って来たんだ……」

「いけない妄想に夢中でシャワーが止まったことに気付かなかったのかしら?」

「いや、気付いてはいたんだけどね」

「……莫(ば)迦(か)なの?」

 

 直球にして、あまりにも当然の反応が航(わたる)の胸へと突き刺さる。

 間も無く戻って来ると分かっていながら、その相手を陥れようという意気込みを声に出したと、航(わたる)はそう言ったのだ。

 間抜けを通り越して莫(ば)迦(か)という誹(そし)りを受けるのも已(や)む無しだろう。

 

 魅(み)琴(こと)は呆(あき)れたように溜息を吐いた。

 

「それより、狡(ずる)いよな魅(み)琴(こと)は。自分だけシャワー浴びちゃってさ」

「仕方が無いでしょう。動けない貴方(あなた)を入浴介助までしてあげるような義理は無いわ」

「いや、この季節にシャワーも無しは厳(きつ)いって……」

「我慢しなさい。貴方(あなた)が弱いのがいけないのよ」

「頑張って戦った人間にそりゃ無いよ……」

「私(わたし)だってその体臭を我慢しながら無力な貴方(あなた)を守らなきゃいけないのよ」

「そういうこと言わないでよ。ただ恥ずかしくなるだけだから」

「今まで私(わたし)の匂いを色々なところで楽しんでおいて、よくそんなことが言えるわね」

 

 航(わたる)は何も言い返せなくなった。

 ここへ来て、鷹(たか)番(つがい)戦の後で咄(とつ)嗟(さ)に吐いた嘘(うそ)が徒(あだ)となったのだ。

 加えて魅(み)琴(こと)の指摘通り、航(わたる)は中学時代に魅(み)琴(こと)の椅子の匂いを嗅いで見付かったことがある。

 あの時の冷たい眼(め)は、今思い出しても背筋がゾクゾクしてしまう。

 

「どうやら、吠え面を掻かされる期待は薄そうね」

「ぐ……!」

 

 航(わたる)の計画は立案以前の段階で暗礁に乗り上げてしまった。

 何はともあれ、それぞれの人間が様々な思惑を巡らせた一日は後残り僅かである。

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