日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

101 / 399
第三十一話『幸福な休日』 序

 巫(ふ)璽(じ)山(さん)麓は第(だい)六(ろく)天(てん)極(ごく)楼(ろう)――皇(こう)國(こく)の反政府テロ組織「武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)」本部。

 薄気味悪いロビーで、加特力(カトリツク)の神父を思わせる黒ずくめの老紳士、首(しゆ)領(りよう)Д(デー)こと道(どう)成(じよう)寺(じ)太(ふとし)は電話端末を睨(にら)んでいた。

 

「相変わらず連絡が付かない……。扇(おうぎ)君は一体何をしているんだね……」

 

 首(しゆ)領(りよう)Д(デー)は扇(おうぎ)小(さ)夜(よ)という女に連絡を取ろうとしていた。

 その正体は水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)という新華族の男爵令嬢であり、姉の居場所を探す為(ため)に身分を偽って潜入捜査していたに過ぎない。

 そして岬(さき)守(もり)航(わたる)達の脱出に協力し、事を為(な)した後は狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)から離れていった。

 そうとも知らずに、首(しゆ)領(りよう)Д(デー)は彼女を最高幹部「八(はつ)卦(け)衆(しゆう)」に昇進させようとしていたのだ。

 

「結局こうなったのか……」

 

 首(しゆ)領(りよう)Д(デー)の娘・椿(つばき)陽(よう)子(こ)が意味深に呟(つぶや)いた。

 彼女は休憩拠点(サービスエリア)で早(さ)辺(え)子(こ)の電話を盗み聞きし、その正体を知っている。

 しかし陽(よう)子(こ)はそれを他の者達には黙っていた。

 当然、首(しゆ)領(りよう)Д(デー)は娘を問(と)い質(ただ)す。

 

「どういうことだね?」

「彼女を信じていたから黙っていたけど、どうやら彼女も仁(に)志(し)旗(き)さんと同じく間諜(スパイ)だったみたいだ。彼女、本当の名前は水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)というらしい。自分で名乗っているところを偶然聞いちゃったんだ」

「水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)だと……?」

 

 首(しゆ)領(りよう)Д(デー)は怒りに顔を顰(しか)めた。

 

「道理で姉のことを執(しつ)拗(よう)に訊(き)いてきた訳だ。しかし陽(よう)子(こ)、知っていたならどうして黙っていた?」

「姉の志を継いだと思いたかったのさ」

 

 陽(よう)子(こ)は口から出任せを言った。

 実際には、早(さ)辺(え)子(こ)が裏切っていようと気にしなかったから見逃しただけだ。

 陽(よう)子(こ)にとって、革命の成否などはどうでも良かった。

 だが彼女は今、少し拙(まず)い状況に置かれていた。

 

「成程。扇(おうぎ)君の正体がそういうことなら、例の脱走者も彼女の仕込みか。同志屋(や)渡(わたり)は寧(むし)ろ被害者で、同志土生(はぶ)や同志鍛(か)冶(じが)谷(や)を失ったのも彼女の仕業ということになる。ならば陽(よう)子(こ)、一つペナルティを与えよう」

「ペナルティ?」

 

 陽(よう)子(こ)は肩を少し震わせて身構えた。

 その表情は恐怖からか少し硬くなっている。

 

「思惑はどうあれ、お前は重大な情報を伝えなかった。その埋め合わせとして、脱走者共の掃討と、水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)の粛正を任せる」

「私(あたし)一人でか? 戦力的にはいざ知らず、能力的には難しいよ」

 

 陽(よう)子(こ)の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)は戦闘に特化した放電能力である。

 最(も)早(はや)行方の分からなくなった航(わたる)達や早(さ)辺(え)子(こ)を見つけ出すことは不可能に近い。

 だが、八(はつ)卦(け)衆(しゆう)にはこんなときに打って付けの人材が居る。

 

「同志逸(へ)見(み)」

「はい、首領様」

 

 背の高い、女装した男が呼び掛けに応えた。

 八(はつ)卦(け)衆(しゆう)の一人・逸(へ)見(み)樹(いつき)。

 この日、鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)を殺害して本部へ戻ってきたところである。

 標的の居場所を的確に見つけ出し、倭(しず)岡(おか)州から栃(とち)樹(ぎ)州までの約七百粁(キロ)を一日で往復出来たのは、彼の能力に依(よ)る。

 

「陽(よう)子(こ)を脱走者の許(もと)へ転送させられるかね?」

「遺伝子情報があれば。ただ、今日はもう疲れちゃいました。明日まで休んで神(しん)為(い)を回復しないと……」

「そうか。では今夜のご褒美は無しだね。折(せつ)角(かく)久々に抱いてやろうと思ったのだが」

「そんなっ……!」

 

 首(しゆ)領(りよう)Д(デー)と逸(へ)見(み)には肉体関係がある。

 逸(へ)見(み)は首(しゆ)領(りよう)Д(デー)の性技の虜(とりこ)なのだ。

 陽(よう)子(こ)はそんな二人の様子に眉を顰める。

 父親の情事を仄(ほの)めかされたのだから当然である。

 

「待って。僕(ぼく)も行く」

 

 その会話へ、陽(よう)子(こ)の双子の弟である道(どう)成(じよう)寺(じ)陰(かげ)斗(と)が割って入った。

 普段無感情な彼には珍しく、強い意志を感じさせる眼(め)をしていた。

 

「脱走されたのは僕(ぼく)にも責任がある」

「ああ、そういえばそうとも言えるね……」

 

 航(わたる)達が超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)・ミロクサーヌ改で碧(あお)森(もり)支部を脱出する際、陰(かげ)斗(と)が折(おり)野(の)菱(りょう)に狙われたことで更なる混乱が引き起こされた。

 これが決定打となり、拉致被害者全員の脱出が成されたと見ることも出来る。

 

「宜(よろ)しい。但し、二人で行動するのなら監視役に同志沙(さ)華(はな)を付ける。良いね」

「今度は私(わたし)が屋(や)渡(わたり)の尻拭いか……」

 

 ピンクのラメが入った派手な服を身に纏(まと)った女は八(はつ)卦(け)衆(しゆう)の紅一点・沙(さ)華(はな)珠(たま)枝(え)である。

 彼女は屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)と犬猿の仲であるが、それは彼女が屋(や)渡(わたり)に比肩する戦闘能力を持っているライバル関係にあることも影響している。

 戦士としての実力でナンバーワンが首(しゆ)領(りよう)Д(デー)、ナンバーツーが屋(や)渡(わたり)なら、ナンバースリーは間違い無く沙(さ)華(はな)だった。

 

「解(わか)った。じゃあ明日、三人で行ってくるよ」

「うむ。革命の道理も解らぬ愚昧な狗(いぬ)共に思い知らせてやりなさい」

 

 人の寄り付かない山荘で、彼らは更なる毒牙を研いでいた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 烏(う)都(つの)宮(みや)にある工事中のビルで、岬(さき)守(もり)航(わたる)と麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)は明日に備えて就寝しようとしていた。

 何度も述べるが、翌日の月曜には作業員が入って来る。

 遭遇を避ける為に、航(わたる)と魅(み)琴(こと)は朝早く出発しなくてはならない。

 

 だが、二人は今一つ眠れなかった。

 異国の地は堅い混凝土(コンクリート)の上とはいえ、若い男女が一つ屋根の下で一夜を超すのだ。

 心の中に何の感慨も芽生えない筈(はず)が無いだろう。

 

 しかし、航(わたる)にとってはここで大きな問題が立(た)ち塞(ふさ)がる。

 

「まだ動けないんだよなあ……」

 

 鷹(たか)番(つがい)の能力で低下した航(わたる)の筋力は相変わらず戻っていない。

 少しずつ体に力が戻ってきてはいるが、依然として立ち上がれるには至っていない。

 これでは、折角の二人切りの夜に何も出来ることが無い。

 

「つまり、私(わたし)も敵襲が無い限りは安心して眠れるという訳ね」

 

 壁に凭(もた)れ掛(か)かっている魅(み)琴(こと)は、悪戯(いたずら)っぽい微(ほほ)笑(え)みを浮かべて航(わたる)の独り言に応えた。

 

「ま、何かしようとしてきたら殺すけど」

「いやあ、素手で超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)を解体出来る人が言うと迫力が違いますね……」

 

 航(わたる)は顔にズキリと幻覚の痛みを感じた。

 初めて会った時に食らった竹篦(しっぺ)返しの痛みを、航(わたる)は今でも能(よ)く覚えている。

 あの時折れた歯が乳歯でなければ、今頃は差し歯だろう。

 

 しかし、そんなことよりも現状の航(わたる)にはもう一つの問題があった。

 それに比べれば、一つ屋根の下で魅(み)琴(こと)に手を出せないことなど大した事ではない。

 

「魅(み)琴(こと)」

「何?」

「お腹(なか)減った」

「我慢しなさい。今の貴方(あなた)を置いて買い物になんか行けないわよ。襲われたらどうするの?」

 

 そう、二人は夕食を摂(と)っていないのだ。

 神(しん)為(い)を身に着けていれば、飲まず食わずで長期間活動すること自体は可能だ。

 しかし、空腹感は依然として中枢神経を襲ってくる。

 健(けん)啖(たん)家(か)の魅(み)琴(こと)が噯気(おくび)にも出さないのが寧ろ不思議なくらいだ。

 

「魅(み)琴(こと)」

「何?」

「喉渇いた」

「我慢しなさいって」

 

 航(わたる)は天井を見上げたまま溜息を吐いた。

 我慢しているのは魅(み)琴(こと)も同じなのだから、あまり不平不満を言うのは悪い気はしている。

 だが、それでも辛いものは辛いのだ。

 

「どうにかならないかな? ビルの中に自販機が置いてあったりしない?」

「駄目よ。目を離す訳にはいかないわ」

 

 航(わたる)を見る魅(み)琴(こと)の眼には窓から差し込む幽(かす)かな月明かりが帯び、憂(うれ)いの色を浮かび上がらせていた。

 そんな彼女の様子に、航(わたる)は考える。

 

(そうか。そりゃ心配だよな……)

 

 抑(そもそ)も、航(わたる)は狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に攫(さら)われて此(こ)処(こ)に居るのだ。

 態(わざ)々(わざ)皇(こう)國(こく)に乗り込んでまで取り返しに来た魅(み)琴(こと)は、もう二度と同じ轍(てつ)を踏みたくないという思いで一杯だろう。

 四六時中見張っていたい、というのも無理は無い。

 

「解ったよ。もう我(わ)が儘(まま)は言わない」

「そ、助かるわ」

 

 魅(み)琴(こと)はほっとした様に航(わたる)に微笑みかけた。

 しかし、決意を表明した矢先、今度は航(わたる)の腹が空腹を訴える様に鳴ってしまった。

 

「……ごめん」

「もう、しょうがないわね……」

 

 魅(み)琴(こと)は溜息を吐いて航(わたる)に歩み寄ると、彼の体を再び抱え上げて背負った。

 

「ちょっ……!?」

「そんなに辛いなら、買い物に連れて行ってあげるわ」

「待って待って! 流(さ)石(すが)に恥ずかしい!」

「三度目よ。我慢しなさい」

 

 女に負(お)ぶわれた姿を人に見られてしまう――これは男として、考えただけで穴があったら入りたくなる恥辱だろう。

 しかし、魅(み)琴(こと)は意地悪くクスクスと笑っている。

 どうやら彼女の心は羞恥プレイモードにスイッチが切り替わったようだ。

 

「ま、取(と)り敢(あ)えずはビルの中を見て回りましょう。食料の自販機があるかも知れないわ。無かったら、覚悟することね」

「このドS……」

 

 航(わたる)はビルの中で食料が売っていることを祈りつつ、小声で魅(み)琴(こと)の意地悪を責めるしかなかった。

 

⦿

 

 二人は食料と飲料を調達して戻ってきた。

 魅(み)琴(こと)はつまらなさそうに航(わたる)を床へ寝かすと、ペットボトルのキャップを開ける。

 

(助かった……)

 

 幸い、ビルの中には食料を売る自販機もあった為、なんとか羞恥プレイは避けられた。

 不満げな魅(み)琴(こと)は仰(あお)向(む)けに寝る航(わたる)にペットボトルを傾け、口元に飲み口を近付ける。

 

「口を開けて。行くわよ」

 

 今の航(わたる)は自分で飲み食い出来ない。

 こうやって、魅(み)琴(こと)に口の中へ流し込んでもらわなければならないのだ。

 航(わたる)の嚥(えん)下(げ)に会わせ、ゆっくりとしたペースで等張液飲料(スポーツドリンク)が注がれる。

 

「一(ひと)先(ま)ずこれくらいで良いかしら?」

「ああ、ありがとう。生き返ったよ」

 

 大(おお)袈(げ)裟(さ)ではなく、航(わたる)はその潤いだけで本当に生き返る思いだった。

 今度は、あんぱんの包装が開けられた。

 細く白い指先で細かく千切られたパンが航(わたる)の口内へ運ばれる。

 

「噛(か)める?」

 

 航(わたる)は咀(そ)嚼(しやく)しながら頷(うなず)いた。

 それを受けて、魅(み)琴(こと)は優しい微笑みを浮かべた。

 

「そ。良かった」

 

 食事の世話を受けているせいか、航(わたる)には魅(み)琴(こと)がまるで天使の様に見えていた。

 それはそれは、とても幸せな一時だった。

 

 ふと航(わたる)に一つ、邪(よこしま)な案が浮かんだ。

 今となっては後の祭りなのだが、咀嚼出来ない振りをすれば魅(み)琴(こと)はどう対応してくれたのだろう。

 

「今、何か変なことを考えたわね?」

「え? ソンナコトナイヨ?」

「恍(とぼ)けても分かるわよ。何年一緒に居ると思っているの?」

 

 今度は魅(み)琴(こと)が自分のあんぱんと等張液飲料(スポーツドリンク)を摂取する。

 考えてみれば、この様な形で食事を共にするのは初めてかも知れない。

 手料理ではない既製品の軽食で、同じものを食べるのは新鮮な経験だ。

 

「私(わたし)も少し助かったかも知れないわ。なんだかんだ、空腹と渇きは辛いもの」

「だろ?」

「出来れば貴方(あなた)にはもっと確(しつか)り食べさせたかったけれどね」

「御(お)為(ため)ごかしだが、要するに外へ行きたかったということだろ?」

 

 航(わたる)にとって、こうやって魅(み)琴(こと)と冗談を言い合える一時は堪(たま)らなく愛(いと)おしかった。

 出来ることなら、いつまでもこのような関係を続けていきたい。

 

 航(わたる)は考える。

 今なら、動(やや)もすれば思いを伝えられるのではないか。

 しかし、すぐに思い直した。

 

(いや、今は止(よ)そう。こんな状態じゃ締まらないし、元々は帰国を成し遂げてから告白するつもりだったじゃないか。その時こそ、必ず言おう。今度こそ、ヘタレるもんか)

 

 航(わたる)は密(ひそ)かにそう誓った。

 そんな航(わたる)の胸の内など知る由も無い魅(み)琴(こと)は再び航(わたる)にドリンクとあんぱんを与える。

 そうやって何度か互い違いに飲食を繰り返し、二人は一先ずの腹(はら)拵(ごしら)えと水分補給を済ませた。

 

「さ、もう寝ましょう。明日は早いわ」

「ああ、助かったよ。どうもありがとう」

「どういたしまして」

 

 空腹と渇きを満たした二人に、窓から柔らかな月明かりが差し込んでいた。

 七月五日の日曜日は、航(わたる)にとってささやかな幸せを感じられる休日となった。

 

 しかし、そうこうしている間にも、彼らには複数の勢力が刺客を送り込もうとしている。

 そして航(わたる)と魅(み)琴(こと)を脅かそうとしているのは、何も敵対者ばかりではなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。