日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十三話『十字架との戯れ』 破

 薄暗い闇の中、傷だらけの根(ね)尾(お)が立ち上がった。

 丁度、野球場の内野に相当する広さが辛うじて見える範囲だ。

 投手と打者が問題無く勝負出来る程度の光度はあり、対面の会話や戦闘は問題無く行えるだろう。

 しかし、それ以外は何も無い奇妙な空間だ。

 

 根(ね)尾(お)の口元から血が垂れ落ちる。

 その一方で、彼が対(たい)峙(じ)している二人の相手は塵(ちり)一つ被っていない。

 余裕の笑み、蔑(さげす)みの笑みを湛(たた)え、四つの糸目が根(ね)尾(お)を弄(もてあそ)んでいる。

 

「おやおや、大口を叩(たた)くものだからどれほどのものかと戦々恐々でしたが、この程度ですか。まるでお話になりませんな」

 

 六摂家当主の一人、公爵・丹(に)桐(どう)士(あき)糸(つら)は拍子抜けした様に両腕を拡(ひろ)げた。

 根(ね)尾(お)の相手を買って出た宣言通り、ここまで根(ね)尾(お)を一方的に痛め付けたのは専(もつぱ)ら丹(に)桐(どう)である。

 

「折(せつ)角(かく)二対一やのに、やはり此(この)身(み)の出番はありまへんなぁ……」

 

 もう一人の六摂家当主、女公爵・公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)は手で口元を覆い、小さく欠伸(あくび)をした。

 彼女が同じ場に居るのは、この空間を作り出した術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)の使い手であるもう一人の女公爵・十(とお)桐(どう)綺(あや)葉(は)の采配である。

 一人ずつ確実に葬る為(ため)に一対二の状況を作り出したのだろうが、公(く)殿(でん)は何もやることが無くて退屈なのだろう。

 

「十(とお)桐(どう)卿(きよう)は心配性に過ぎますなあ。抑(そもそ)も、吾(ご)人(じん)ら六摂家当主の能力を以(もつ)てすれば、徒党を組む理由などありませんのにねえ……」

「まあそれを言うてしまうと、甲(きのえ)卿に態(わざ)々(わざ)四人で行こう言い出したのは丹(に)桐(どう)卿やったと思いますけどなぁ……」

 

 公(く)殿(でん)の言葉に、丹(に)桐(どう)は一瞬笑みを消した。

 彼女の指摘に若干思うところがあったのかも知れない。

 

「あのですね公(く)殿(でん)卿、吾(ご)人(じん)は『複数で掛かった方が良い』と言ったのです」

 

 丹(に)桐(どう)の双(そう)眸(ぼう)が妖しく光り、藤の紋様を宿した。

 その瞬間、まだ体勢を立て直せていない根(ね)尾(お)の背後に巨(きよ)躯(く)の男が姿を顕(あらわ)した。

 丹(に)桐(どう)と同じ服装だが、明らかに鍛え方が違う筋骨隆々とした男が根(ね)尾(お)の首根を掴(つか)み、八十六瓩(キロ)の体を片腕で軽々と持ち上げる。

 それは展示人形の様に顔の無い男――どうやら丹(に)桐(どう)の能力に因(よ)って創り出された分身らしい。

 

「吾(ご)人(じん)の能力で『複数で掛かる』には事足りるのですよ」

「ああ、そうでしたねぇ」

「このっ……!」

 

 根(ね)尾(お)は自身を持ち上げる分身の腕を掴んだ。

 分身の体は掴まれた腕から一気に石化する。

 神幹線で襲い掛かってきた大(たい)河(が)當(まさ)熙(ひろ)のときよりも遥(はる)かに速い進行度合だ。

 

「ほ、石化能力ですか。厄介ですな」

 

 言葉とは裏腹に、丹(に)桐(どう)は余裕の表情を崩さない。

 石化した分身を蹴り砕いた根(ね)尾(お)が本体たる自身に向かって来ようとも眉一つ動かさない。

 

「見事な体術。宙に持ち上げられた状態から岩をも砕く後ろ蹴りを繰り出すとは。中々鍛えておられるようだ」

「白々しい。この程度、神(しん)為(い)の使い手なら特筆すべき身体能力ではないだろう」

 

 根(ね)尾(お)は僅(わず)かなステップで丹(に)桐(どう)に肉薄し、踏み込みと共に拳を繰り出す。

 しかし、丹(に)桐(どう)はあっさりと片手で手首を掴んで根(ね)尾(お)の拳を止めてしまった。

 

「謙虚なのは結構ですが、その平凡な力でこの丹(に)桐(どう)士(あき)糸(つら)に敵(かな)うとでも?」

 

 蹴り砕かれた分身の破片が光の粒となり、丹(に)桐(どう)へと集まる。

 その光が吸収されると共に、手首を掴む丹(に)桐(どう)の握力が上昇していく。

 

「ほれ」

「ぐあっ!!」

 

 根(ね)尾(お)の右手首から嫌な粉砕音が鳴った。

 堪(たま)らず蹲(うずくま)る根(ね)尾(お)を、丹(に)桐(どう)は掴んでいた手をさも汚らわしいとばかりに振って見下ろしていた。

 そして、力任せのぶっきら棒な蹴りで、砕けた手首を押さえる根(ね)尾(お)に追い打ちを掛ける。

 

「ぐうぅぅぅっっ!」

 

 根(ね)尾(お)は苦し紛れに床を転がり、丹(に)桐(どう)の間合いから逃れようとする。

 だが、その逃避はその場凌(しの)ぎの無駄骨だった。

 

「逃げられませんよ。残念ながら吾(ご)人(じん)の分身は何度でも作り出せるのです」

 

 再び丹(に)桐(どう)の眼が光り、巨躯の分身が根(ね)尾(お)目掛けて落下し、激しく踏み付けにした。

 更に、強烈な脚力で根(ね)尾(お)の体を何度も踏(ふ)み躙(にじ)る。

 

「ぐあああああっっ!!」

 

 薄闇の中、根(ね)尾(お)の悲鳴が谺(こだま)する。

 分身は足を上げ、再び根(ね)尾(お)を踏み付けた。

 繰り返し、繰り返し、唯々根(ね)尾(お)を痛め付ける。

 

「うぐっ……!」

 

 根(ね)尾(お)は身を捩(よじ)って分身の軸足に手を触れた。

 石化した分身は再び光の粒となって丹(に)桐(どう)の本体に吸収される。

 息も絶え絶えの根(ね)尾(お)は震える足に鞭(むち)打(う)って立ち上がった。

 

「はぁ……はぁ……。何ということだ……。丹(に)桐(どう)一人相手にもまるで勝ち筋が見えない。皇(こう)國(こく)最高の貴族、六摂家当主の力、これほどとは……」

 

 神(しん)為(い)に因る力の強弱がその者の持つ神性に依存し、家柄という要素が大きなアドバンテージとなる――その、皇族貴族に圧倒的有利な構造は根(ね)尾(お)も承知していた。

 だが、実際に体感してみた絶望感は想定以上だった。

 自分達に立ちはだかる敵の大きさを実感せざるを得ない。

 

 既に足下も覚(おぼ)束(つか)無(な)い根(ね)尾(お)の様子に、丹(に)桐(どう)は公(く)殿(でん)と顔を見合わせて露骨な嘲笑を浮かべた。

 

「これはこれは、最(も)早(はや)戦いというよりは弱い者虐(いじ)めになってしまいますな」

「せやねぇ。推(つき)城(しろ)殿が態々名指ししはったから十(とお)桐(どう)卿も気ぃ使ったんでしょうけど、この為体(ていたらく)やと、ねぇ……」

 

 推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)――公(く)殿(でん)の口を突いて出たその名前が、根(ね)尾(お)の瞳に灯を点(とも)した。

 先程から、丹(に)桐(どう)と公(く)殿(でん)はまるで自分を警戒して狙い撃ちにしたという旨の発言を繰り返している。

 やはり、この襲撃はただ拉致被害者を無事返したいという皇(こう)國(こく)政府の思惑を挫(くじ)こうとする甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)の政治的立場だけで行われたものではない。

 推(つき)城(しろ)が関わり、何か別の陰謀による意図が隠されているのだ。

 

(仁(に)志(し)旗(き)のあの写真か……!)

 

 思い当たるのはやはり、大(たい)河(が)侯爵に襲われた理由だった。

 推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)という甲(きのえ)の秘書が、八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)という叛(はん)逆(ぎやく)組織「武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)」の重要人物と密会しているというスキャンダル。

 それは情報を掴んだ根(ね)尾(お)の部下・仁(に)志(し)旗(き)蓮(れん)が消され、託された根(ね)尾(お)もまた命を狙われる程の一大事らしい。

 

(俺(おれ)は……敗けられん……! 助けた拉致被害者を無事に帰す為にも、仁(に)志(し)旗(き)の無念を晴らす為にも……!)

 

 根(ね)尾(お)の闘志が燃え上がる。

 

「だがどうやって勝つ? 突破口が見えない」

「ほっほ、大変そうですな」

 

 相も変わらず、丹(に)桐(どう)は根(ね)尾(お)を完全に見下して笑っていた。

 その表情は慢心に緩み切っている。

 

「その薄ら笑い、今すぐ消してくれる!」

 

 根(ね)尾(お)は再び丹(に)桐(どう)本体との間合いを詰めようとした。

 しかし、今度は三度作られた分身が根(ね)尾(お)に応戦し、本体に近付かせない。

 根(ね)尾(お)の拳は、蹴りは、分身に難なく受け流されてしまい、逆に強烈な打撃を叩(たた)き込(こ)まれてしまう。

 

「ぐはっ! こいつ……!」

 

 欠伸を浮かべる丹(に)桐(どう)が根(ね)尾(お)の眼に映ったが、それよりも気になることがある。

 もし彼の考えが正しければ、根(ね)尾(お)の雲行きは更に怪しくなってしまう。

 

「こいつは……この分身は……! 斃(たお)して再生成される度に強くなっている……!」

「ほっほっほ、まあ概(おおむ)ね正解です。正確には、斃された分身を吸収することで戦いの経験が吾(ご)人(じん)に取り込まれ、それを元にしてより強くなった分身を作り出すのが吾(ご)人(じん)の能力なのですよ。因(ちな)みに、本体である吾(ご)人(じん)自身も当然取り込んだ分だけ強化されます」

 

 丹(に)桐(どう)の話が本当だとすると、いくら分身を斃しても全く意味が無いどころか、状況は寧(むし)ろ悪化する。

 通常であれば分身を作り出せば出す程に神(しん)為(い)を消費するだろうが、丹(に)桐(どう)の余裕の表情からは全くそんな様子が見えない。

 六摂家当主の神(しん)為(い)は、他の者からすれば無尽蔵に等しい程に膨大なのだ。

 

(分身の相手をしても埒(らち)が明かない。本体を仕留めなければ!)

 

 しかし、この分身は既に充分強くなっており、そう簡単には突破出来ない。

 それどころか、少しでも気を抜くと簡単に痛恨の一撃を浴びせられてしまう。

 今も、強烈な拳が根(ね)尾(お)の顔面を殴り飛ばした。

 

「糞(くそ)!!」

 

 根(ね)尾(お)は反動で勢い良く起き上がった。

 しかし、今度は分身の方から根(ね)尾(お)に肉薄し、応戦を余儀無くされる。

 

 そんな戦いの様子を窺(うかが)い、公(く)殿(でん)はさも飽き飽きしたと言った様子で溜息を吐いた。

 そして痺(しび)れを切らした様に上空を仰いで声を張り上げる。

 

「ねーえ、十(とお)桐(どう)卿ぉ! こっちはもう丹(に)桐(どう)卿だけで充分ですよぉ! これやと此(この)身(み)が退屈過ぎて眠ってしまいますぅ! 別の方の所へ送って下さいませんかぁ!」

 

 分身相手に悪戦苦闘する根(ね)尾(お)を尻目に、公(く)殿(でん)は十(とお)桐(どう)への不平を口にし、返答を待っている。

 暫(しばら)くすると、公(く)殿(でん)の姿はその場から忽(こつ)然(ぜん)と消えてしまった。

 どうやら、この空間の創造主である十(とお)桐(どう)が公(く)殿(でん)の要望に応えたらしい。

 

「おやおや、女性陣に見限られてしまいましたねえ」

 

 丹(に)桐(どう)は根(ね)尾(お)を嘲笑しながらゆっくりと歩み寄って来る。

 分身の拳を腕で受けた根(ね)尾(お)は、力に押されてジリジリと後退していた。

 

「最早俺(おれ)に勝ち目は無いと……そう判断したのか……。貴様一人で充分だと……」

「そういうことですね」

「そうか……」

 

 根(ね)尾(お)の纏(まと)う空気が変わった。

 血に汚れた顔に不敵な笑みを浮かべている。

 丹(に)桐(どう)が怪(け)訝(げん)そうに目を眇(すが)めた、その時だった。

 

「有難い!」

 

 突然、根(ね)尾(お)は分身の圧力を受け流し、腹部に右手で掌底を叩き込んだ。

 分身はあっという間に石化した。

 更に、不用意に接近していた丹(に)桐(どう)本体にも刹那のうちに肉薄し、左手で拳を繰り出す。

 

「うおっ!?」

 

 丹(に)桐(どう)は拳を回避したが、根(ね)尾(お)は空(す)かさず蹴りの追撃を見舞う。

 初めて丹(に)桐(どう)の表情が歪(ゆが)み、堪らずその場から逃れる。

 

「莫(ば)迦(か)な! さっきまでと全然違うではないか!」

 

 焦りと困惑の中、丹(に)桐(どう)は二体の分身を同時に根(ね)尾(お)へ差し向けた。

 

「吾(ご)人(じん)の作り出す分身は一体だけではない! 複数同時に! 同じ強さの分身を生成出来るのです!」

「だろうな。想定の範囲内だ!」

 

 迫り来る二体の分身に対し、根(ね)尾(お)は両腕で同時に掌底を喰(く)らわせた。

 またしても、分身は忽(たちま)ちのうちに石化する。

 

「な、何故(なぜ)急に強くなった……?」

「さっきまでのは演技だ。流(さ)石(すが)に六摂家当主を二人同時に相手取るのは厳し過ぎると思ったんでな。一人で充分に始末出来る弱体だと思わせ、もう一人には他へ回って貰(もら)うことにしたのさ」

「な、なんですと……?」

 

 丹(に)桐(どう)は目を瞠(みは)って後(あと)退(ずさ)る。

 

「で、では貴方(あなた)は守るべき者達へ吾(ご)人(じん)ら六摂家当主の脅威を進んで向かわせたというのですか?」

「そういうことになるな」

「何を開き直っているのですか! 我が身可(か)愛(わい)さに護衛対象を危険に曝(さら)すとは! 己の職責を何と心得ますか! は、恥を知りなさい!」

 

 丹(に)桐(どう)は根(ね)尾(お)を指差し、口角泡を飛ばして詰った。

 そんな相手の批難を真(まつ)直(す)ぐ受け止める様に、根(ね)尾(お)は構えを取った。

 

「貴様の言うとおりだ。俺(おれ)も此(こ)処(こ)へ閉じ込められる前まではそう気負っていた。だが彼らは、伊(だ)達(て)にこの一箇月間を地獄の様な環境に耐え抜き、自ら脱出してきた訳ではないらしい。俺(おれ)などより、余程肝が据わって逞(たくま)しい者達だ。だから賭けてみることにしたのさ」

 

 根(ね)尾(お)はステップを軽く踏み、反撃の足音を鳴らす。

 

「薄ら笑いが消えたな。今度は貴様が絶望を味わう番だ。演技ではなく、本心からな」

 

 本当の勝負は当(まさ)にこれからである。

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