日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

110 / 399
第三十四話『天竺牡丹』 序

 薄闇の空間の中、根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)は背中に地べたの冷たさを感じながら、見えもしない天を仰いでいる。

 

「六摂家当主・丹(に)桐(どう)士糸(あきつら)、恐ろしい相手だった。こんな状態で他の敵が顕(あらわ)れたら間違い無く殺されるな……」

 

 辛うじて丹(に)桐(どう)士糸(あきつら)を倒した根(ね)尾(お)だったが、全ての力を出し尽くし、神(しん)為(い)を使い果たし、最(も)早(はや)戦う力など残されていない。

 公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)の口振りでは、他の者達も六摂家当主に襲われているだろう。

 仮に一人でもやられてしまうと、始末を終えた敵は間違い無く根(ね)尾(お)の許(もと)にも顕れる。

 

「逆に、それで良いのかも知れないな。俺(おれ)はみんなを危険に曝(さら)したのだ。それで誰かを死なせてしまったのなら、責任を取らねばならん」

 

 今はただ、この一箇月で逞(たくま)しく成長した四人に賭けるしかない――そう覚悟を決め、咀(そ)嚼(しやく)して呑(の)み込(こ)む様に、根(ね)尾(お)は深く深く息を吸っては吐いた。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 何処(どこ)までも広がる薄暗い闇の中、久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)は心細さに震えていた。

 立体駐車場の屋上から昇降機に乗ろうとしたところ、突然視界が暗転してこの様な場所に閉じ込められたのだ。

 

「な、何……? どうなったの……? 一体、此(こ)処(こ)は何処……?」

 

 一応、完全な闇という訳ではなく、それなりの広さを何となく見渡せる程度の、薄らとした明かりに照らされてはいる。

 しかし、果ての見えない無の空間に独りで閉じ込められていると、精神が弱ってしまう。

 今のところ誰にも襲われていないが、逆にそれが双(ふた)葉(ば)の心を追い詰めていた。

 

「誰か……助けて……。麗(うる)真(ま)さん……岬(さき)守(もり)君……。繭(まゆ)月(づき)さん……。陽(よう)子(こ)さ……」

 

 寂しさを紛らわす為(ため)に、知った名前を呟(つぶや)いていた双(ふた)葉(ば)の言葉が途切れた。

 高校時代の友人に、公(こう)転(てん)館(かん)で苦楽を共にした仲間、思い浮かぶ顔はそんなところだったが、ふと悲しい切ない思い出も蘇(よみがえ)ってしまった。

 武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)の内通者だった椿(つばき)陽(よう)子(こ)は、一箇月の間双(ふた)葉(ば)と相部屋であり、心を通じ合わせていた。

 まだ少し、双(ふた)葉(ば)は現実を受け止めきれていない。

 

「あらあらぁ、こらまた随分と可(か)愛(わい)らしいお嬢さんやねぇ」

 

 突然、双(ふた)葉(ば)の前に青いドレスを纏(まと)った糸目の女が現れた。

 不自然な程に柔(にゆう)和(わ)な表情から却(かえ)って黒い腹の内が垣(かい)間(ま)見(み)える、不気味な女だった。

 見た目は若作りの美女だが、その印象がどこまで当てになるか分かったものではない。

 

「だ、誰……?」

「初めましてぇ、此(この)身(み)は公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)と申しますぅ。皇(こう)國(こく)に於(お)いて最高位の貴族たる六摂家の一角、公(く)殿(でん)公爵家の当主を務めさせて頂いとる者ですよぉ」

「六摂家!?」

 

 双(ふた)葉(ば)は警戒して身構えた。

 一昨日から新たな脅威として挙げられ、出発の直前に実際襲ってきた敵の仲間の一人だ。

 公(く)殿(でん)の柔和な表情が一層、顔色一つ変えずに人を殺せる危険人物のそれに見えてくる。

 しかし、そんな双(ふた)葉(ば)に公(く)殿(でん)は相変わらず笑みを貼り付けたまま語り掛ける。

 

「まぁまぁ、そんなに怖がらんでもええですやろ。そや、貴女(あなた)のお名前も教えてくださいませんか。無害だと判(わか)れば、此処から出したげられるかも知れまへんよぉ?」

「……久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)」

「うーん、知らん名前やねぇ……」

 

 小さく呟いた双(ふた)葉(ば)の名前を聞いて、公(く)殿(でん)は首を傾(かし)げた。

 その反応が一々わざとらしい。

 

「実はこの空間を作ったのは此(この)身(み)でなくて十(とお)桐(どう)卿(きよう)でぇ、此(この)身(み)を含めた他の六摂家当主は賊を討つ為に同席させてもろたんです、此(この)身(み)が狙うとるんは貴女(あなた)ではなく別の人なんですよねぇ……」

「じ、じゃあ出してくれます……か?」

 

 双(ふた)葉(ば)は駄目元で、しかし極々僅(わず)かな期待を込めて公(く)殿(でん)に尋ねた。

 しかし、答えは予想の範囲を出ない。

 

「いやいやぁ、やっぱりそれはあきまへんわぁ。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の逃亡者を始末するのもまた、此(この)身(み)らの目的ですさかいにぃ。ま、別に一人でも殺してしもうたら充分なんですが、せやったら貴女(あなた)をその一人にしてしまうのも手やしねぇ」

 

 公(く)殿(でん)の放つ圧が不気味に高まる。

 双(ふた)葉(ば)は思わず後(あと)退(ずさ)った。

 

 拉致被害者の中で、双(ふた)葉(ば)は誰よりも戦いが嫌いである。

 しかし、必要に迫られて一切抵抗しない程に諦めが良くはない。

 やられるに任せていては状況は悪化する、加害者は際限無く加害してくると、双(ふた)葉(ば)は経験から能(よ)く知っていた。

 だが問題は、双(ふた)葉(ば)が公(く)殿(でん)の脅威を本当の意味では知らないことだ。

 

「まぁあまり怖がらすのも可(か)哀(わい)想(そう)やしぃ、一瞬で終わらしたげましょうねぇ……」

 

 公(く)殿(でん)の姿が揺らめいた。

 双(ふた)葉(ば)の直感が命の危機を報(しら)せ、喧(やかま)しく警告音を鳴らす。

 

(攻撃しないとやられる!!)

 

 双(ふた)葉(ば)は咄(とつ)嗟(さ)に両腕を突き出し、公(く)殿(でん)の周囲から木の蔓(つる)を生やした。

 蔓はあっという間に公(く)殿(でん)を覆い尽くし、巨大な繭の様に公(く)殿(でん)を密封して閉じ込めた。

 

「あらまぁ、閉じ込められてしまいましたわぁ」

「助けてほしかったら私(わたし)を此処から出して! 十数える前に出さないと攻撃する!」

「それは嫌やねぇ。一寸(ちよつと)相談してみましょうかぁ。十(とお)桐(どう)卿、如(いか)何(が)なさいますぅ?」

 

 言葉とは裏腹に、全く危機感のない間延びした喋(しやべ)り方(かた)だ。

 双(ふた)葉(ば)は数を一つずつ数え上げていく。

 しかし、予告した十に近付いても全く反応がない。

 

 双(ふた)葉(ば)がこの状態から仕掛けようとしている攻撃は、非常に殺傷力の高いものだ。

 だが出来ることならば、双(ふた)葉(ば)はそれを執行したくない。

 彼女はまだ殺しに躊(ため)躇(ら)いを覚えていた。

 

「九……あの、本当に出してくださいませんか? 貴女(あなた)、死んでしまいます……よ?」

「そないなことを言うてもねぇ。先程も言うた様に、この空間は此(この)身(み)やなくて十(とお)桐(どう)卿の能力に因(よ)るものやさかい。此(この)身(み)にはどないも出来ませんわぁ」

「では、これを見てください!」

 

 双(ふた)葉(ば)は少しムッとして蔓の繭に手を翳(かざ)した。

 すると繭を構成する木の蔓から無数の棘(とげ)が生え、ゆっくりと伸び始めた。

 

「なんと、これで串刺しにしよいうんですかぁ? えらい物騒やねぇ」

「十数えたら一気に伸ばします! 嫌ならお仲間にもっと必死に訴えてください! でないと、本当にやります……よ?」

 

 蔓の繭からは必死の懇願どころか、双(ふた)葉(ば)への嘲笑が漏れ聞こえてきた。

 

「くすくす、一層此(この)身(み)を殺してまうのも手かも知れまへんよぉ。そないすれば、能力の持ち主である十(とお)桐(どう)卿が乗り込んで来はるかも知れません。そうなったら、直接交渉の目も出るんと違いますかぁ」

 

 挑発され、双(ふた)葉(ば)は逆に追い詰められた。

 今からやらなければならないこと、自分で宣言してしまったことへの躊躇いから、差し伸べた手が震えている。

 ここまで、拉致被害者で殺人を犯したのは、既に人殺しだった折(おり)野(の)菱(りよう)ただ一人だけである。

 その一線を最初に越えるのが自分になってしまうと思うと、恐怖で足が竦(すく)む。

 

(私(わたし)、人を殺さなきゃいけないの? い、嫌だよ……)

 

 双(ふた)葉(ば)の両目に涙が滲(にじ)む。

 と、その時、彼女は背後に別の気配を感じた。

 それは少しずつ、ゆっくりと近付いて来る。

 

「双(ふた)葉(ば)、殺(や)らなきゃ殺(や)られるよ。覚悟を決めな」

 

 背後から肩に手を置いて双(ふた)葉(ば)に囁(ささや)きかけたのは、聞き覚えのある声だった。

 いや、「能く知った声」と言った方が正しいか。

 

「十数えて殺(や)っちまいな。でないと、私(あたし)が貴女(アンタ)を殺す、と言ったらどうする?」

「よ、陽(よう)子(こ)さん?」

 

 信じられなかった。

 しかし、一箇月も同じ部屋で過ごした双(ふた)葉(ば)が間違う筈(はず)も無い。

 椿(つばき)陽(よう)子(こ)の声を、体格を、仕草を、その全てを双(ふた)葉(ば)が他人と取り違う筈も無い。

 

「私(あたし)、本気だからね。他の誰か、それもあんな奴(やつ)に殺されるくらいなら、一層私(あたし)が貴女(アンタ)を殺してあげる。それが嫌なら、覚悟を決めるんだ」

 

 双(ふた)葉(ば)は細めた目から涙を零(こぼ)し、口角を上げた頬(ほお)に伝う雫(しずく)の感触に勇気付けられた。

 無論、陽(よう)子(こ)の言葉は建前だろう。

 しかし、双(ふた)葉(ば)にとってはその建前が感涙ものだった。

 更に、建前の裏に隠された本音も双(ふた)葉(ば)の手の震えを止める。

 

 脅迫に依(よ)る、罪悪感の除去。

 殺さなければ自分が殺されるのだから仕方が無い、という免責。

 それは覚悟と呼べるものではないが、双(ふた)葉(ば)に重大な決心をさせた。

 

「十!!」

 

 木の蔓から勢い良く棘が伸びた。

 中では公(く)殿(でん)が串刺し、穴だらけになっているだろう。

 

「あぁーれぇーっ」

 

 あまりにも間の抜けた、断末魔の悲鳴に似つかわしくない声がした。

 公(く)殿(でん)に逃げ場は無いし、絶命は免れ得ない筈だが、何かがおかしい。

 

「双(ふた)葉(ば)、警戒を怠るな!」

 

 椿(つばき)は背後から手で双(ふた)葉(ば)の鼻と口を覆った。

 双(ふた)葉(ば)が息が出来なく鳴ったと同時に、蔓の繭の内部から凄(すさ)まじい爆発が起こり、木の蔓が粉々になって弾(はじ)け飛(と)んだ。

 

「まだ息をしちゃ駄目だ! こいつの、公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)の能力はヤバいんだ!」

 

 蔓の中から爆煙が上がっている。

 しかし能く見ると、その煙には人の顔の様な影が浮かび上がっている。

 影は少しずつ、公(く)殿(でん)の顔の形を取り始めた。

 

『その口振り、此(この)身(み)の術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)を知ったはる様子やねぇ。つまり、貴女(あなた)が此(この)身(み)の本命やいうことですかぁ。ねぇ、首(しゅ)領(りょう)Д(デー)の娘・椿(つばき)陽(よう)子(こ)さん?』

 

 煙の影の口が動き、公(く)殿(でん)の声で陽(よう)子(こ)に語り掛ける。

 ゆっくりと煙が集まり、煙は公(く)殿(でん)の姿を取り戻していく。

 完全に元の姿に戻ったのを確認し、陽(よう)子(こ)は双(ふた)葉(ば)の呼吸を解放した。

 

「双(ふた)葉(ば)、あいつがさっきみたいな拡散状態になったら息を吸っちゃ駄目なんだ。その瞬間に煙が体の中へ取り込まれ、血流に乗って全身に回る。そして内部から爆発を起こされ、即死させられる」

「じ、じゃあ陽(よう)子(こ)さんは私(わたし)を助ける為に呼吸を?」

「ああ。初手であいつを密閉して閉じ込めたのは大正解だったよ。ああしないと間違い無く瞬殺されてた。そして、私(あたし)が此処へ一緒に閉じ込められていたのも良かった。貴女(アンタ)じゃあいつに攻撃を通せないからね」

 

 双(ふた)葉(ば)は背筋に凍り付く様な寒気を感じた。

 攻撃面では初見殺し・呼吸封じの即死能力を持ち、防御面では相手の攻撃を煙の様に無効化する絶対防御を持つ、公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)の恐るべき術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)に戦慄を禁じ得なかった。

 

 だがそれにしても、どういう風の吹き回しなのか。

 脱走した双(ふた)葉(ば)と、正体を明かした陽(よう)子(こ)は、今や敵同士の筈である。

 

「でも陽(よう)子(こ)さん、どうして?」

「あいつら皇(こう)國(こく)貴族にとっては寧(むし)ろ私(あたし)達が本来の敵なのさ。勿(もち)論(ろん)、こっちも貴女(アンタ)達を狙って此処まで来た訳だけど、まんまと奴らに目を付けられてしまったらしい。しかしそういうことなら、敵の敵は味方という体(てい)で私(あたし)と貴女(アンタ)で一時的に協力し合っても良い筈だ」

 

 陽(よう)子(こ)の言うことは理に適(かな)っている。

 といっても、他の者達ならばこの申し出を素直に受けない可能性が高い。

 だが、双(ふた)葉(ば)と陽(よう)子(こ)に限っては違う。

 一箇月の間に、双(ふた)葉(ば)は確かに陽(よう)子(こ)との絆(きずな)を強く感じていたのだ。

 

「解(わか)った! 一緒にやろう!」

 

 苟且(かりそめ)の友情、復活である。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。