皇國首都統京、その栄華を極めた街並の人波の中、男女が一際足早に小走りしている。
道行く人々とは違い、岬守航と麗真魅琴は何かを探す様に彼方此方に視線を行ったり来たりさせる。
丁度千世田区の、魅琴が鷹番夜朗に絡まれた辺りだ。
統京に入れないのではないかという仲間達の懸念はあったが、二人はどうにか同じ地へと辿り着いていた。
「そこら中に神為を使った形跡が残されているわ……」
「そうだね。それくらい僕にも解るよ」
「白檀さんの神為だわ」
「それと、虎駕のも混じってる」
二人は怪訝そうな眼で空を見上げて呟いた。
別れて先行した仲間が何らかの異変に巻き込まれたことに間違いは無かった。
「気になるわね……。無事なのかしら」
魅琴は眉根を寄せた。
と、そこへ一人の男が駆け寄ってきた。
「あれ? 揚羽姐さんのお友達じゃないッスか」
男は何やら魅琴のことを知っている風である。
航は口をへの字に曲げ、男の行く手を遮る様に立ち塞がった。
魅琴へ馴れ馴れしく近寄ってくる男に対し、航は露骨に喧嘩腰だった。
「誰ですか、貴方?」
「一寸、航……」
魅琴はそんな航を咎め、肩を掴んで後ろへ引き下がらせた。
「貴方は私が白檀さんとディスコに入った時に声を掛けてきた人ですね。どうかしましたか? 悪いけど私達、急いでいるんですが……」
「何、ディスコ? どういうことだ魅琴?」
「航、貴方は黙ってて」
再び出しゃばろうとした航を魅琴は腕で遮った。
航は怒った番犬の様に唸り声を上げている。
そんな嫉妬を剥き出しにする同行人に男は若干たじろいだ。
「か、彼氏ッスか?」
「違います。不快な思いをさせてごめんなさいね。こいつのことは一切気にしなくて構いませんから」
秒で否定する魅琴の反応に航はショックを受けて悄気た。
気にしなくて良いと言われた男だったが、それでも遠慮がちに一歩引きながら話を続ける。
「お、俺はただこの辺は今危ないよって言おうとしただけだったんスけど……」
「何かあったんですか?」
「実はついさっきまで、空で為動機神体が暴れてたんスよ」
男の言葉に、二人に緊張が走った。
航の嫉妬に呆れていた魅琴も、魅琴の情無い言葉に消沈していた航も一気に真顔になった。
男は一層怖がって引き気味に顔を引き攣らせる。
「た、多分何処かの貴族が私兵を動かしたんスよ。偶にあるんスよね、叛逆者を見付けて始末する為に貴族が動くことって。だからもしかしたら、この辺に叛逆者が潜んでいるかもしれないッス」
貴族の私兵、という言葉に航と魅琴の懸念は一層強まる。
先程から其処彼処に感じる虎駕憲進と白檀揚羽の神為が、もし為動機神体に襲われて応戦したものだとしたら、辻褄が合ってしまう。
皇國最大の貴族である六摂家の力なら為動機神体が出て来るのもあり得ることは、既に烏都宮警察署で経験している。
「この道の向こうに為動機神体の砲撃が開けた穴があるッスよ」
「教えてくださってありがとうございます。航、龍乃神邸に向かうよりも先にみんなを探した方が良さそうね」
「ああ、そうだね」
「それはそうとして、貴方からもちゃんと謝ってお礼を言っておきなさい」
魅琴に咎められて航は渋々男に軽く謝罪と謝意を述べた。
二人は先ず仲間達との合流を試みる。
⦿⦿⦿
閉ざされた薄闇の中で、派手な格好をした女が少女と見紛う女に追い詰められていた。
武装戦隊・狼ノ牙の最高幹部「八卦衆」の一人・沙華珠枝は首に掛けていたファーを失い、ピンク色のラメが輝く際どいボディコンシャスドレスは至る所で無残に破れてボロボロになり、厚化粧も乱れている。
相対する六摂家の一角・十桐公爵家の女当主・十桐綺葉は小柄な体に身に付けた小袖にも、髪をすっぽり覆うように掛けた被衣にも一切の乱れが無い。
二人の間に争いが生じていたとして、形勢は一目瞭然だった。
そんな二人の脇では、繭月百合菜が縄で縛られて坐らされている。
彼女はどちらにも加勢出来ず、成り行きを見守るしかなかった。
(なんて術識神為……。狼ノ牙の女も相当強かったのに、あの小さい人には手も足も出ていない。そりゃそうよね。理不尽過ぎる、誰も勝てっこない能力だもの……)
十桐綺葉が無傷な理由、それは単に彼女の圧倒的な能力にある。
それは戦っている沙華の方が嫌という程思い知っているだろう。
沙華は膝を突いて血を吐き、口惜しそうに十桐を仰ぎ見ている。
「六摂家当主、これ程の化物とは……。私が今まで戦ってきた狗共とはまるで次元の違う強さだ……」
「ふん、抑も貴様ら卑怯な叛逆者の賊共が真の強者と真面にぶつかることは滅多にあるまい。大部分の活動は地主や企業、金融機関といった抵抗手段の乏しい弱者を安全圏から襲うなどという情けないものじゃ。我ら六摂家当主は皇族方を除けば皇國に於ける最高戦力、貴様らが僅かにでも及ぶと思うが間違いじゃろう」
十桐の丸く大きな眼は憎悪の焔を宿して静かに燃えていた。
沙華は気圧されて身震いしながらも、歯を食い縛って立ち上がった。
「黙れ! 決着はまだ付いちゃいない!」
沙華の髪が伸び、一本の長縄状に編み込まれた。
それは当に、繭月の体を拘束している縄だ。
『術識神為・鞭韻鞭鸚鵡』
長縄状の髪が沙華の手に握られ、先端が片喰紋様に光った。
これが沙華珠枝の術識神為の形である。
沙華は髪の長縄を鞭の様に十桐へ向けて振るう。
この時、その先端の速度は音速を優に超える。
これは総合力で彼女を上回る屋渡倫駆郎すら出せない速度であり、そのままでもかなりの攻撃力を誇る。
加えて、先程光った先端には毒が帯びており、打たれると皮膚から浸食してじわじわと衰弱していき、最終的には死に至るのだ。
恐るべき能力、武装戦隊・狼ノ牙で三番手の戦闘力という看板に偽り無しの術識神為である。
だが、十桐は無関心を貫いてただその場に立っていた。
「下らん技名なんぞ付けおって。無駄じゃというにの……」
沙華の鞭が十桐を打ち据える、かに思えた。
だが鞭の先端は十桐にあたる直前で急旋回し、そのまま沙華自身へと襲い掛かる。
「くっ、またか!」
沙華は自らの攻撃を躱そうとする。
だが、その動きが止まった。
沙華は為す術無く自らの鞭を胸に受けてしまった。
「うぐアアアアッッ!!」
沙華は痛みに悲鳴を上げて倒れた。
「な、何故動けなかった……?」
「簡単じゃよ。宇宙の法則が貴様にそれを許さんかったのじゃ」
十桐は苦痛に顔を歪める沙華を冷たく見下ろす。
「この空間は我が用意した小宇宙じゃ。しかも、単なる隔離空間として用意したわけではない。三千世界の何処かで無数に存在するという多元宇宙から、我にとって都合の良い物理法則を持った宇宙を見繕って入れ替えたものじゃ。しかも状況に合わせて、任意の相手の周囲だけ別の法則を持った宇宙に入れ替えることも可能。謂わば我が用意した空間に於いて、我は神にも等しい存在となるのじゃ」
宇宙が誕生したのは約百三十八億年前とされる。
それ以前の世界は無限に只管に広がる無の空間であったとされ、正の因子と負の因子が誕生と消滅を繰り返し、渾沌たる均衡を保っていた。
ある時その均衡が破れ、爆発的に「存在」が膨張。
新たなる秩序が生まれたのが、宇宙の誕生と言われている。
それは日本書紀に記された天地開闢の様子を彷彿とさせなくもない。
しかし、その均衡の崩壊が遠大無窮なる無の空間にたった一箇所だけで生じたと言い切れるだろうか。
それらは無数に生じ、無数の宇宙として膨張し続けているのではないか。
――そう考えた説が多元宇宙系の一つ、泡宇宙である。
更に、宇宙の物理法則そのものがこの均衡の崩壊によって生じたものだとすれば、異なる宇宙では異なる物理法則が働いている可能性がある。
それが無数に存在するとすれば、何処かには自分の要望を十全に満たす物理法則を持った宇宙もまた存在するだろう。
十桐綺葉の術識神為とは、それ程の途方も無いスケールを持った凄まじい能力である。
如何に沙華が強力な戦士であろうと、あまりにも次元が違い過ぎる。
「うぐううううっっ!」
沙華は呻き声を上げた。
鞭の先端が服の破れた箇所から肌に当たったのだ。
肌はどす黒く変色し、毒が彼女自身を蝕んでいる。
「貴様の胸中を当ててやろうか、小娘。先程までは後悔しておった。敵同士とはいえ、そこに居るもう一人の小娘と共闘すべきじゃったとな。貴様らが出会って即戦いになったところを見ると、どうやらお得意の内ゲバが生じたらしいの。ま、取るに足らん女二人とは言え、潰し合うならば潰し合わせるのが得策と思い静観しておった。しかし状況が変わり、我自身が働かなくてはならなくなった。故に出て来たのじゃが、貴様はもう一人の女との決着を先延ばしにし、一旦拘束して我に挑みかかった。これが間違いだったという後悔が、先程までの心境じゃろう」
青褪める沙華を見下ろし、十桐は少女の様な顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「しかし、今は後悔を通り越して絶望しておる。何故なら我の能力は、共闘したところでどうにかなるものではないからじゃ。矮小なる身で我らに、皇國に戦いを挑んだのが抑もの間違いじゃった、そのような絶望が今の貴様の心境! どうじゃ、当たらずも遠からずといったところじゃろう!」
毒に苦しむ沙華を十桐の小さな足が踏み付ける。
「ぐはっ! がはっ!」
「ははははは! 言っておくが我の能力に因って貴様の毒すらも我の思うがまま! 元の宇宙とは比較にならぬ程の苦しみに苛まれるが、元の宇宙では到底考えられん程にしぶとく生き延びてしまう、そんな宇宙法則を手向けてやったわ! だから死ぬまでの間、精々苦しむが良い! どうせ叛逆者は確定死罪じゃ! ただ殺すのでは面白くないわ!」
何度も執拗に沙華を踏み付け、必要以上に弄る十桐には異様な程の憎悪が宿っている。
だが、そんな様子を見守る繭月は奇妙な程落ち着いていた。
この光景に繭月が抱いた感情は、恐怖ではなく単なる困惑だった。
(何だろう……? 明らかにおかしい様に思えるのに、この感覚はどういうこと?)
繭月の脳裡に、二人の男の顔が浮かんだ。
死んだ仲間の殺人鬼・折野菱と、拉致の実行犯・屋渡倫駆郎――共に人殺しを何とも思っていない男である。
ただ後者は繭月を恐怖させたが、前者とは普通に接することが出来た。
今、繭月が十桐に抱いた感情は、折野に対するそれに近い。
つまり繭月は、十桐の憎悪を異常だとは思えなかった。