一桐陶麿は六摂家当主の中でも最年長で、公殿句子と並びヤシマ人民民主主義共和国時代を経験している。
そしてその時代を、権力に擦り寄ることで体制側に立った公殿とは異なる立場で生きた経験が、今日の彼を支えていた。
「皇紀二五八〇年八月十五日、世界大戦終結と八月革命が起き、国が亡われると、我が一桐家も没落を余儀無くされた。麿が十歳の時分であった。六摂家の中にあって、海外へ亡命した甲流二家、革命に協力した公殿家とは異なり、十桐流三家は抵抗したが故に辛酸を舐めた。特に、他二家が軍門に降る中でも最後まで抵抗した一桐家は麿を除き粛正、遺された麿は路頭に迷う羽目となった」
一桐は天を仰いだ。
「麿は全てを喪った。麿が一桐家の忘れ形見と示す持ち物も、要らぬ御節介焼きの愚か者が僅かの金に換えおった。麿にほんの二・三日、糊口を凌がせる為だけにな。そんな絶望の中、他摂関家の辿った路も知り、最早貴族社会に頼れる者など無いのだと分かった。尤も、彼らを責めるつもりはおじゃらん。敗戦革命以前より、国家は既にどん詰まりで、皆時代を生き抜く為に必死だったのだ」
一桐は両眼を閉じた。
足元で伏せる虎駕も、彼の背後を取る形となっている新兒もまだピクリとも動けない。
それを確信しているが故に、一桐は感傷に浸れるのだ。
彼は続ける。
「嘗ての栄華が夢幻の如く消え去り、塵を漁り泥水を啜る日々。しかもその素性が人民の敵と蔑まれる元貴族であったが故に、血の誇りすらも踏み躙られて奪われた」
一桐の両目がカッと見開かれた。
「だから戦う他無かった! 皇紀二五八五年、ヤシマ政府と戦い、背景にある共産主義という悪魔の思想を討ち滅ぼすべく、麿は裸一貫で対抗勢力を作り上げた! 民衆が困窮しているにも拘らず独り善がりの国家観のみを盲目的に追従する無能な政府を斃し、一桐家の誇りと大日本の魂を取り戻さねばならなかった! その為に、ヤシマ政府に簒奪された神和維新政府の正当性を掲げた臨時政府を立ち上げたのだ!」
いつの間にか、虎駕は一桐の話に聴き入っていた。
皇國が別の世界線で辿ってきた歴史が、世界史も含めてかなり異なっていることは既に知っている。
だがそれは、ヤシマ政府の流れを汲む武装戦隊・狼ノ牙が自分達に都合の良い様に編纂した冊子集「篦鮒飼育法」のみから得た知識である。
当にその時代を生きた一桐の言葉は、重みも説得力も異なるように思えたのだ。
「だが、成果は無かった。当時、世界は段々と不穏な情勢になり、再びの世界大戦を迎えようとしているように思えた。そんな中にあって、徒に国を乱すことには躊躇いもあった。諸外国に狙われ征服されては、神和政府の復権という麿の望みも完全に絶たれると思ったからな。そんな中、神皇陛下が還御なさったのだ」
話を聴いているうちに、少しずつ虎駕の体に力が戻ってきた。
絶体絶命のピンチからこれだけの時間稼ぎに成功しただけで、虎駕にとっては僥倖である。
そのうちに新兒も目を覚ますかも知れない。
「畏れ多くも神皇陛下の君徳は凄まじかった。疲弊した民心を宸儀に集められ給い、正当なる選挙という手段で政権を御手に戻され給うた。しかも一桐家の復興を御許しになられるばかりか、麿と共に戦った同志達にも新たに爵位を与えられ、新華族として封ぜられ給うた。陛下の皇恩、深甚なること海にも優れり。麿は生涯の忠義を以てこれに報いることを心に刻んだ」
虎駕はどうにか立ち上がった。
それを受け、一桐も再び構えた。
しかし、彼は尚も話し続ける。
「虎駕憲進といったな。異なる日本にて、嘗ての麿と同じ志を聞けたのは誠に嬉しい。貴公らの血に流れる精神、大和魂は同じであると確信を深めることが出来た」
壮絶、波乱の過去を明かした一桐に自身と並べられ、虎駕はむず痒く思った。
はっきり言ってしまえば、虎駕のしてきたことは口先だけである。
唯々机上で、独り善がりの空論を並べ立ててきただけである。
「俺のは……貴方ほど立派なものじゃない。切実な事情も無く、ただ闇雲に届く筈も無い声を上げているだけだ……」
どん底にあってそれでも己の誇りの為、民衆の為に立ち上がった一桐とは、比べることも烏滸がましい。
一桐に「自分と同じ」と評される資格がある者など、今の日本国に居るとは思えない。
「いや、逆に麿は必要に迫られたが故に戦わざるを得なかったに過ぎぬ。己の意思と志のみで報国の精神に目覚めた貴公のことを、何故軽んじることが出来ようか。貴公の葛藤も理解する。正しき訴えであっても、民心に届けるのは難しい。況して、現状特に問題無く思える国では尚のことだ」
虎駕は目を伏せた。
あまりの買い被りに居た堪れなくなったのもあるが、それだけではない。
虎駕自身が感じている壁を、一桐は見事に言い当てた。
そして一桐はそれだけでなく、驚きの提案を持ち掛けてきた。
「そこで、貴公に提案がある。貴公、一桐家の婿養子とならぬか?」
「は……!?」
唐突な言葉に、虎駕は目を丸くした。
「な、何を言って……?」
「先程も言ったとおり、麿は神皇陛下への忠義を胸に皇國を御守りする一心で己を鍛え上げ続けた。しかし、一桐家には後継者となるべき男子がおらず、麿亡き後に報国の意志を繋ぐことが出来ぬのでおじゃる。正統なる血筋を残そうとはしたが、息子と鬼獄伯爵家から嫁いだ令嬢の間に生まれた綾花は第一皇子殿下に見初められるも夭逝、更に息子夫婦も亡くし、皇別摂家としての嫡流は絶えた。そこで十桐家から養子の稿麿を得たが、稿麿の唯一の娘はまだ縁談が纏まっておらん。そして一桐家に入る婿に、麿は血筋よりも意志を求めたいのだ」
一桐は虎駕の方へ手を差し出してきた。
彼を勧誘する言葉に嘘偽りは無いようだ。
「貴公にはその資格がある。皇國は近い内に、明治日本の救済へと動く。明治日本は皇國と一つになるのだ。その際は、其方の文化はなるべく尊重した上で両国を同化する。貴公には、その折に新たな臣民となる明治の民への啓蒙に邁進してもらいたい。そこには貴公の大望である日本人の誇りを取り戻すという意義も含まれる。麿は貴公に必要な人脈も、力も与えることが出来る。未熟さが心許ないならば鍛えてやることも出来る。さあ、この手を取って麿の下へ来い」
虎駕は揺れていた。
今、一桐は白地に日本国の独立を脅かすような話をしている。
しかし、今の虎駕の思想にはその言葉を否定する論理が無かった。
虎駕に絞り出せたのは、たった一つの質問だけだった。
「その手を取れば……他の仲間は見逃してもらえますか? 故郷へと帰して頂けますか?」
それは、敗色濃厚な虎駕にとって極めて切実な願いだった。
それさえ保証されるならば、この提案に乗ることも已むを得ないとさえ思った。
一桐陶麿という男は、決して誠の心を弄ぶような卑劣漢ではない。
そう信用するに足る、尊敬に値する男だと、ここまでの遣り取りだけで思えた。
しかし、そんな虎駕の問いに、一桐は眉根を下げた。
「貴公の気持ちは充分に理解する。だが、それに応えてやることは出来ぬ。基より叛逆者に加担した者を一人掬い上げること自体、一桐家の力と麿自身が得た陛下よりの信頼を以て初めて実現出来る、あり得ぬ程の特別措置でおじゃる。全員を見逃すことは到底出来ぬ。救えるのは貴公一人でおじゃる」
虎駕は痛恨に顔を顰めた。
断られてしまっては、悲壮な覚悟を決めるしかない。
歯を食い縛り、継戦に臨むしかない。
「じゃあ受けられない! 俺一人が助かる訳にはいかないのだよ! 虻球磨と二人で貴方を斃し、みんなで祖国へ帰る!」
虎駕は震える声を精一杯張り上げた。
これから、助かるチャンスを不意にして勝ち目の無い戦いに挑むのだ。
心細くない筈が無かった。
そんな虎駕の心境を察してか、一桐は明らかな哀しみを湛えた眼で虎駕を見据えていた。
「そうか……。誠に遺憾でおじゃる。あいわかった。ならば憲進、この場で死ぬが良い!」
一桐は拳を握り、再び敵対者へと潰れるような圧を放つ。
死地へと一気に引き戻された虎駕は、一桐が来る前に迎撃の態勢を整えねばならぬと能力を発動させた。
体に金剛石の防御壁を纏い、手には薄い金属箔を形成する。
(あの人が仕掛けてきたらやられる! こっちから向かって行かないと!)
虎駕は薄い箔を刃として、一桐へと斬り掛かった。
勿論、一対一ならばみすみす斬られる一桐ではない。
だがこの時、戦況に一つの異物が挟まった。
一桐の背後には目を覚ました新兒が跳びかかっていた。
「ぬっ!?」
一桐は新兒に裏拳を放った。
本来の動きならば、新兒は直撃を受けて死ぬしか無い。
だがこの時、虎駕の刃を躱す必要があった為に攻撃が鈍ったらしく、一桐の拳は新兒の腕を掠めて骨を圧し折るに留まった。
「ぐがっ!?」
新兒は痛みに体を歪めながら、虎駕の方へと回り込む。
更に、虎駕の金属箔が一桐の直衣を切り裂いた。
この隙に、二人は一桐から距離を取った。
「虎駕、よく言ったぜ。二人でこのオッサンを斃すぞ」
「ああ!」
虎駕と新兒は闘志を確認し合い、防御の態勢を整えた。
しかし、相変わらず勝機は極めて薄い。
依然、二人は一桐に何ら有効打を与えられておらず、服が切れただけである。
直衣が破れ落ち、一桐の鍛え抜かれた上半身が露わになる。
「思い上がるなよ! ヤシマ政府時代に二十年! 皇國の秩序を守るべく八十年! 合せ百年! 己の心身を錬磨し続けた麿に、二十歳やそこらの若造が二人掛かりとて万に一つも敵うと思うな!」
異様な程に練り上げられた肉体を見せられ、虎駕と新兒は息を呑んだ。
「す、凄え……! こんな体、喧嘩でも格闘技観戦でも見たことねえよ。人間の筋肉ってこんなに鍛えられるものなのか……!」
「多分、最強の敵なのだよ。気合い入れていくぞ、虻球磨!」
「覚悟せい、不幸なる明治の民らよ。ヤシマ残党たる武装戦隊・狼ノ牙に関わったとあっては生かしておけぬ。ヤシマ政府の中心人物だった道成寺公郎と久地縄穂純の血を引く道成寺太と久地縄元毅だけには、嘗ての己が立場故に一定の理解は持てる。だが、それ以外はただ皇國の安寧を脅かす破落戸共に過ぎぬ。そのような社会の敵に連なる者共は、蟻一匹残さず殲滅せねばならぬ!」
一桐は刹那にして新兒との距離を詰め、瞬く間に二人へ上段突き、中段突き、そして回し蹴りの三連撃を叩き込んだ。
「ぐっはああああッッ!!」
唯でさえ耐え難い攻撃を三発も受けた新兒は大きく吹き飛ばされて再び倒れ伏した。
「虻球磨!」
「他人の心配をしている場合ではないぞ、憲進。貴公も往生せい!」
強烈な上段蹴りが虎駕の蟀谷を打った。
この一撃を受けた虎駕は転倒し、再び立ち上がれなくなった。
強い、強過ぎる。
気合いや覚悟ではどうにもならない絶望的実力差、格が違い過ぎる。
「冥土の土産に教えておこう。麿は超級為動機神体をも打ち負かすことが出来る。つまり、生身に於いて尚貴公らよりも遥かに強いのだ」
万事休す。
とその時、突如として辺りを覆っていた薄闇が晴れた。
虎駕と新兒、そして一桐が戦っていた場の景色は立体駐車場の一角に塗り替えられた。
「術識神為が解除された……。十桐卿、敗れたのか……。彼女は能力こそ強くとも、戦いを知らぬところがあった。その隙を突かれ、不覚を取ったということか……」
どうにか起き上がろうとする虎駕と新兒だが、二人とも体に力が入らない。
「まだ戦うか? 起き上がれぬならばと止めを刺してやろう。斯くなる上は残りの者も麿が始末せねばならん。余り待ってはやれぬ」
一桐は拳を振り上げた。
と、そこへ一人の男が息も絶え絶えに駆け寄ってきた。
「お待ちください、一桐公爵閣下!」
間一髪、根尾弓矢が二人に止めを刺される前に間に合った。
息を切らす根尾を、一桐は厳しい眼で睨み付ける。
根尾と一桐の間に緊迫した空気が流れていた。