日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十六話『不撓不屈』 急

 一(いち)桐(どう)陶(すえ)麿(まろ)は六摂家当主の中でも最年長で、公(く)殿(でん)句(ふし)子(こ)と並びヤシマ人民民主主義共和国時代を経験している。

 そしてその時代を、権力に擦り寄ることで体制側に立った公(く)殿(でん)とは異なる立場で生きた経験が、今日の彼を支えていた。

 

「皇紀二五八〇年八月十五日、世界大戦終結と八月革命が起き、国が亡(うしな)われると、我が一(いち)桐(どう)家も没落を余儀無くされた。麿(まろ)が十歳の時分であった。六摂家の中にあって、海外へ亡命した甲(きのえ)流二家、革命に協力した公(く)殿(でん)家とは異なり、十(とお)桐(どう)流三家は抵抗したが故に辛酸を舐(な)めた。特に、他二家が軍門に降る中でも最後まで抵抗した一(いち)桐(どう)家は麿(まろ)を除き粛正、遺(のこ)された麿(まろ)は路頭に迷う羽目となった」

 

 一(いち)桐(どう)は天を仰いだ。

 

「麿(まろ)は全てを喪(うしな)った。麿(まろ)が一(いち)桐(どう)家の忘れ形見と示す持ち物も、要らぬ御(お)節(せつ)介(かい)焼きの愚か者が僅(わず)かの金に換えおった。麿(まろ)にほんの二・三日、糊(こ)口(こう)を凌(しの)がせる為(ため)だけにな。そんな絶望の中、他摂関家の辿(たど)った路も知り、最(も)早(はや)貴族社会に頼れる者など無いのだと分かった。尤(もつと)も、彼らを責めるつもりはおじゃらん。敗戦革命以前より、国家は既にどん詰まりで、皆時代を生き抜く為に必死だったのだ」

 

 一(いち)桐(どう)は両眼を閉じた。

 足元で伏せる虎(こ)駕(が)も、彼の背後を取る形となっている新(しん)兒(じ)もまだピクリとも動けない。

 それを確信しているが故に、一(いち)桐(どう)は感傷に浸れるのだ。

 彼は続ける。

 

「嘗(かつ)ての栄華が夢(ゆめ)幻(まぼろし)の如く消え去り、塵(ごみ)を漁(あさ)り泥水を啜(すす)る日々。しかもその素(す)性(じよう)が人民の敵と蔑(さげす)まれる元貴族であったが故に、血の誇りすらも踏(ふ)み躙(にじ)られて奪われた」

 

 一(いち)桐(どう)の両目がカッと見開かれた。

 

「だから戦う他無かった! 皇紀二五八五年、ヤシマ政府と戦い、背景にある共産主義という悪魔の思想を討ち滅ぼすべく、麿(まろ)は裸一貫で対抗勢力を作り上げた! 民衆が困窮しているにも拘(かかわ)らず独り善がりの国家観のみを盲目的に追従する無能な政府を斃(たお)し、一(いち)桐(どう)家の誇りと大(おお)日(やま)本(と)の魂を取り戻さねばならなかった! その為に、ヤシマ政府に簒(さん)奪(だつ)された神(しん)和(わ)維新政府の正当性を掲げた臨時政府を立ち上げたのだ!」

 

 いつの間にか、虎(こ)駕(が)は一(いち)桐(どう)の話に聴き入っていた。

 皇(こう)國(こく)が別の世界線で辿ってきた歴史が、世界史も含めてかなり異なっていることは既に知っている。

 だがそれは、ヤシマ政府の流れを汲(く)む武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)が自分達に都合の良い様に編(へん)纂(さん)した冊子集「篦(へら)鮒(ぶな)飼(し)育(いく)法(ほう)」のみから得た知識である。

 当(まさ)にその時代を生きた一(いち)桐(どう)の言葉は、重みも説得力も異なるように思えたのだ。

 

「だが、成果は無かった。当時、世界は段々と不穏な情勢になり、再びの世界大戦を迎えようとしているように思えた。そんな中にあって、徒(いたずら)に国を乱すことには躊(ため)躇(ら)いもあった。諸外国に狙われ征服されては、神(しん)和(わ)政府の復権という麿(まろ)の望みも完全に絶たれると思ったからな。そんな中、神(じん)皇(のう)陛下が還(かん)御(ぎょ)なさったのだ」

 

 話を聴いているうちに、少しずつ虎(こ)駕(が)の体に力が戻ってきた。

 絶体絶命のピンチからこれだけの時間稼ぎに成功しただけで、虎(こ)駕(が)にとっては僥(ぎよう)倖(こう)である。

 そのうちに新(しん)兒(じ)も目を覚ますかも知れない。

 

「畏れ多くも神(じん)皇(のう)陛下の君徳は凄(すさ)まじかった。疲弊した民心を宸(しん)儀(ぎ)に集められ給(たま)い、正当なる選挙という手段で政権を御手に戻され給(たも)うた。しかも一(いち)桐(どう)家の復興を御(お)許(ゆる)しになられるばかりか、麿(まろ)と共に戦った同志達にも新たに爵位を与えられ、新華族として封ぜられ給うた。陛下の皇恩、深甚なること海にも優(まさ)れり。麿(まろ)は生涯の忠義を以(もつ)てこれに報いることを心に刻んだ」

 

 虎(こ)駕(が)はどうにか立ち上がった。

 それを受け、一(いち)桐(どう)も再び構えた。

 しかし、彼は尚(なお)も話し続ける。

 

「虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)といったな。異なる日本にて、嘗ての麿(まろ)と同じ志を聞けたのは誠に嬉(うれ)しい。貴公らの血に流れる精神、大和魂は同じであると確信を深めることが出来た」

 

 壮絶、波乱の過去を明かした一(いち)桐(どう)に自身と並べられ、虎(こ)駕(が)はむず痒(がゆ)く思った。

 はっきり言ってしまえば、虎(こ)駕(が)のしてきたことは口先だけである。

 唯(ただ)々(ただ)机上で、独り善がりの空論を並べ立ててきただけである。

 

「俺(おれ)のは……貴方(あなた)ほど立派なものじゃない。切実な事情も無く、ただ闇雲に届く筈(はず)も無い声を上げているだけだ……」

 

 どん底にあってそれでも己の誇りの為、民衆の為に立ち上がった一(いち)桐(どう)とは、比べることも烏(お)滸(こ)がましい。

 一(いち)桐(どう)に「自分と同じ」と評される資格がある者など、今の日本国に居るとは思えない。

 

「いや、逆に麿(まろ)は必要に迫られたが故に戦わざるを得なかったに過ぎぬ。己の意思と志のみで報国の精神に目覚めた貴公のことを、何故(なぜ)軽んじることが出来ようか。貴公の葛藤も理解する。正しき訴えであっても、民心に届けるのは難しい。況(ま)して、現状特に問題無く思える国では尚のことだ」

 

 虎(こ)駕(が)は目を伏せた。

 あまりの買(か)い被(かぶ)りに居た堪(たま)れなくなったのもあるが、それだけではない。

 虎(こ)駕(が)自身が感じている壁を、一(いち)桐(どう)は見事に言い当てた。

 そして一(いち)桐(どう)はそれだけでなく、驚きの提案を持ち掛けてきた。

 

「そこで、貴公に提案がある。貴公、一(いち)桐(どう)家の婿養子とならぬか?」

「は……!?」

 

 唐突な言葉に、虎(こ)駕(が)は目を丸くした。

 

「な、何を言って……?」

「先程も言ったとおり、麿(まろ)は神(じん)皇(のう)陛下への忠義を胸に皇(こう)國(こく)を御(お)守(まも)りする一心で己を鍛え上げ続けた。しかし、一(いち)桐(どう)家には後継者となるべき男(おの)子(こ)がおらず、麿(まろ)亡き後に報国の意志を繋(つな)ぐことが出来ぬのでおじゃる。正統なる血筋を残そうとはしたが、息子と鬼(き)獄(ごく)伯爵家から嫁いだ令嬢の間に生まれた綾(あや)花(か)は第一皇子殿下に見初められるも夭(よう)逝(せい)、更に息子夫婦も亡くし、皇別摂家としての嫡流は絶えた。そこで十(とお)桐(どう)家から養子の稿(わら)麿(まろ)を得たが、稿(わら)麿(まろ)の唯一の娘はまだ縁談が纏(まと)まっておらん。そして一(いち)桐(どう)家に入る婿に、麿(まろ)は血筋よりも意志を求めたいのだ」

 

 一(いち)桐(どう)は虎(こ)駕(が)の方へ手を差し出してきた。

 彼を勧誘する言葉に嘘(うそ)偽りは無いようだ。

 

「貴公にはその資格がある。皇(こう)國(こく)は近い内に、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の救済へと動く。明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)は皇(こう)國(こく)と一つになるのだ。その際は、其(そ)方(ちら)の文化はなるべく尊重した上で両国を同化する。貴公には、その折に新たな臣民となる明治の民への啓(けい)蒙(もう)に邁(まい)進(しん)してもらいたい。そこには貴公の大望である日本人の誇りを取り戻すという意義も含まれる。麿(まろ)は貴公に必要な人脈も、力も与えることが出来る。未熟さが心(こころ)許(もと)ないならば鍛えてやることも出来る。さあ、この手を取って麿(まろ)の下へ来い」

 

 虎(こ)駕(が)は揺れていた。

 今、一(いち)桐(どう)は白地(あからさま)に日本国の独立を脅かすような話をしている。

 しかし、今の虎(こ)駕(が)の思想にはその言葉を否定する論理が無かった。

 虎(こ)駕(が)に絞り出せたのは、たった一つの質問だけだった。

 

「その手を取れば……他の仲間は見逃してもらえますか? 故郷へと帰して頂けますか?」

 

 それは、敗色濃厚な虎(こ)駕(が)にとって極めて切実な願いだった。

 それさえ保証されるならば、この提案に乗ることも已(や)むを得(え)ないとさえ思った。

 一(いち)桐(どう)陶(すえ)麿(まろ)という男は、決して誠の心を弄(もてあそ)ぶような卑劣漢ではない。

 そう信用するに足る、尊敬に値する男だと、ここまでの遣(や)り取(と)りだけで思えた。

 

 しかし、そんな虎(こ)駕(が)の問いに、一(いち)桐(どう)は眉根を下げた。

 

「貴公の気持ちは充分に理解する。だが、それに応えてやることは出来ぬ。基より叛(はん)逆(ぎやく)者に加担した者を一人掬(すく)い上(あ)げること自体、一(いち)桐(どう)家の力と麿(まろ)自身が得た陛下よりの信頼を以て初めて実現出来る、あり得ぬ程の特別措置でおじゃる。全員を見逃すことは到底出来ぬ。救えるのは貴公一人でおじゃる」

 

 虎(こ)駕(が)は痛恨に顔を顰(しか)めた。

 断られてしまっては、悲壮な覚悟を決めるしかない。

 歯を食い縛り、継戦に臨むしかない。

 

「じゃあ受けられない! 俺(おれ)一人が助かる訳にはいかないのだよ! 虻(あぶ)球(く)磨(ま)と二人で貴方(あなた)を斃し、みんなで祖国へ帰る!」

 

 虎(こ)駕(が)は震える声を精一杯張り上げた。

 これから、助かるチャンスを不意にして勝ち目の無い戦いに挑むのだ。

 心細くない筈が無かった。

 そんな虎(こ)駕(が)の心境を察してか、一(いち)桐(どう)は明らかな哀(かな)しみを湛(たた)えた眼で虎(こ)駕(が)を見据えていた。

 

「そうか……。誠に遺憾でおじゃる。あいわかった。ならば憲(けん)進(しん)、この場で死ねい!」

 

 一(いち)桐(どう)は拳を握り、再び敵対者へと潰(つぶ)れるような圧を放つ。

 死地へと一気に引き戻された虎(こ)駕(が)は、一(いち)桐(どう)が来る前に迎撃の態勢を整えねばならぬと能力を発動させた。

 体に金剛石(ダイヤモンド)の防御壁を纏い、手には薄い金属箔(はく)を形成する。

 

(あの人が仕掛けてきたらやられる! こっちから向かって行かないと!)

 

 虎(こ)駕(が)は薄い箔を刃として、一(いち)桐(どう)へと斬り掛かった。

 勿(もち)論(ろん)、一対一ならばみすみす斬られる一(いち)桐(どう)ではない。

 だがこの時、戦況に一つの異物が挟まった。

 一(いち)桐(どう)の背後には目を覚ました新(しん)兒(じ)が跳びかかっていた。

 

「ぬっ!?」

 

 一(いち)桐(どう)は新(しん)兒(じ)に裏拳を放った。

 本来の動きならば、新(しん)兒(じ)は直撃を受けて死ぬしか無い。

 だがこの時、虎(こ)駕(が)の刃を躱(かわ)す必要があった為に攻撃が鈍ったらしく、一(いち)桐(どう)の拳は新(しん)兒(じ)の腕を掠(かす)めて骨を圧(へ)し折(お)るに留(とど)まった。

 

「ぐがっ!?」

 

 新(しん)兒(じ)は痛みに体を歪(ゆが)めながら、虎(こ)駕(が)の方へと回り込む。

 更に、虎(こ)駕(が)の金属箔が一(いち)桐(どう)の直衣(のうし)を切り裂いた。

 この隙に、二人は一(いち)桐(どう)から距離を取った。

 

「虎(こ)駕(が)、よく言ったぜ。二人でこのオッサンを斃すぞ」

「ああ!」

 

 虎(こ)駕(が)と新(しん)兒(じ)は闘志を確認し合い、防御の態勢を整えた。

 しかし、相変わらず勝機は極めて薄い。

 依然、二人は一(いち)桐(どう)に何ら有効打を与えられておらず、服が切れただけである。

 直衣が破れ落ち、一(いち)桐(どう)の鍛え抜かれた上半身が露(あら)わになる。

 

「思い上がるなよ! ヤシマ政府時代に二十年! 皇(こう)國(こく)の秩序を守るべく八十年! 合せ百年! 己の心身を錬磨し続けた麿(まろ)に、二十歳(はたち)やそこらの若造が二人掛かりとて万に一つも敵(かな)うと思うな!」

 

 異様な程に練り上げられた肉体を見せられ、虎(こ)駕(が)と新(しん)兒(じ)は息を呑(の)んだ。

 

「す、凄え……! こんな体、喧(けん)嘩(か)でも格闘技観戦でも見たことねえよ。人間の筋肉ってこんなに鍛えられるものなのか……!」

「多分、最強の敵なのだよ。気合い入れていくぞ、虻(あぶ)球(く)磨(ま)!」

「覚悟せい、不幸なる明治の民らよ。ヤシマ残党たる武(ぶ)装(そう)戦(せん)隊(たい)・狼(おおかみ)ノ(の)牙(きば)に関わったとあっては生かしておけぬ。ヤシマ政府の中心人物だった道(どう)成(じょう)寺(じ)公(きみ)郎(お)と久(く)地(ち)縄(なわ)穂(ほ)純(ずみ)の血を引く道(どう)成(じょう)寺(じ)太(ふとし)と久(く)地(ち)縄(なわ)元(げん)毅(き)だけには、嘗ての己が立場故に一定の理解は持てる。だが、それ以外はただ皇(こう)國(こく)の安寧を脅かす破落戸(ごろつき)共に過ぎぬ。そのような社会の敵に連なる者共は、蟻(あり)一匹残さず殲(せん)滅(めつ)せねばならぬ!」

 

 一(いち)桐(どう)は刹那にして新(しん)兒(じ)との距離を詰め、瞬く間に二人へ上段突き、中段突き、そして回し蹴りの三連撃を叩(たた)き込(こ)んだ。

 

「ぐっはああああッッ!!」

 

 唯(ただ)でさえ耐え難い攻撃を三発も受けた新(しん)兒(じ)は大きく吹き飛ばされて再び倒れ伏した。

 

「虻(あぶ)球(く)磨(ま)!」

「他人の心配をしている場合ではないぞ、憲(けん)進(しん)。貴公も往生せい!」

 

 強烈な上段蹴りが虎(こ)駕(が)の蟀谷(こめかみ)を打った。

 この一撃を受けた虎(こ)駕(が)は転倒し、再び立ち上がれなくなった。

 

 強い、強過ぎる。

 気合いや覚悟ではどうにもならない絶望的実力差、格が違い過ぎる。

 

「冥土の土産に教えておこう。麿(まろ)は超(ちょう)級(きゅう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)をも打ち負かすことが出来る。つまり、生身に於(お)いて尚貴公らよりも遥(はる)かに強いのだ」

 

 万(ばん)事(じ)休(きゆう)す。

 とその時、突如として辺りを覆っていた薄闇が晴れた。

 虎(こ)駕(が)と新(しん)兒(じ)、そして一(いち)桐(どう)が戦っていた場の景色は立体駐車場の一角に塗り替えられた。

 

「術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)が解除された……。十(とお)桐(どう)卿(きよう)、敗れたのか……。彼女は能力こそ強くとも、戦いを知らぬところがあった。その隙を突かれ、不覚を取ったということか……」

 

 どうにか起き上がろうとする虎(こ)駕(が)と新(しん)兒(じ)だが、二人とも体に力が入らない。

 

「まだ戦うか? 起き上がれぬならばと止めを刺してやろう。斯(か)くなる上は残りの者も麿(まろ)が始末せねばならん。余り待ってはやれぬ」

 

 一(いち)桐(どう)は拳を振り上げた。

 と、そこへ一人の男が息も絶え絶えに駆け寄ってきた。

 

「お待ちください、一(いち)桐(どう)公爵閣下!」

 

 間一髪、根(ね)尾(お)弓(きゆう)矢(や)が二人に止めを刺される前に間に合った。

 息を切らす根(ね)尾(お)を、一(いち)桐(どう)は厳しい眼で睨(にら)み付(つ)ける。

 根(ね)尾(お)と一(いち)桐(どう)の間に緊迫した空気が流れていた。

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