立体駐車場の階を降りた繭月百合菜が、三人を見付けるのはそう困難ではなかった。
駆け寄る繭月に気付いた白檀揚羽は泣いて狂喜し、自身と三十センチ以上も身長差のある相手に縋り付いた。
「繭月さん、よく来てくれました! 心細かったですう!!」
情けない姿に困惑を禁じ得ない繭月だったが、白檀の立場からすれば無理も無いことである。
神為の乏しい彼女の前から、同じく戦闘能力を持たない雲野兄妹を残して、他の者達が突然姿を消したのである。
「もう気が気じゃなかったですよお! エレベーターの中で襲われたら逃げ場が無くて詰むからって取り敢えずフロアに出ましたけど、車が出入りする度に敵が出てくるんじゃないかって息が詰まりそうで、心臓が張り裂けそうで!」
白檀の目からは滝の様な涙が止め処なく溢れていた。
傍らでは雲野兄妹が双子特有のそっくりな顔を全く同じ仕草で傾けている。
「白檀さん、もう少しで他のみんなも降りて来ると思います。そうしたらすぐに出発しましょう」
「はい一刻も早く安全圏へ!」
幻覚的な赤い髪を振り乱して首を前後させる白檀の姿は宛らヘッドバンキングである。
この目立つ格好で息を潜めていて、嘸かし不安だったことだろう。
そんな二人の許へ一人分の足音が近付いていた。
遠くで聞いていた彼女達は最初、仲間の誰かが降りてきたのだと思った。
だがすぐに、その歩幅、体重が見知った者の誰とも違うことに気が付いた。
振り向いた繭月が見たのは、小柄な少年に見える総角髪の、古代の朝服姿にも似た服装の男だった。
「おめでとう、一先ずは生き残ったようだね」
少年は手を叩いた。
その雰囲気は見た目に反して、まるで何百年も生きた様な貫禄を感じさせるものだ。
「誰!?」
繭月と白檀は警戒から臨戦態勢を取った。
そんな二人に対し、少年は不気味な笑みを浮かべて答える。
「初めまして、お嬢さん方。僕は八社女征一千、武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐だ。そして、さようなら。僕が自分から名乗るのは、相手にすぐ死んでもらうときだけだ」
八社女が放つ凄まじい邪気に、繭月は完全に呑まれていた。
そんな彼女を差し置いて、白檀が一歩前へ出た。
先程までの怯えた様子から一転、至って落ち着いた様子で八社女に言葉を返す。
「あー、貴方が八社女征一千ですかー。ということは、目的は私と根尾さんですね?」
口調こそ普段の飄々としたものだが、白檀の表情はふざけた印象を微塵も感じさせない真顔だった。
逆に、不敵な笑みを浮かべる八社女は軽妙さの裏に底知れない何かを隠している。
「へえ、随分と察しが良いじゃないか。ということは、もう例の写真は共有されているのかな? ま、僕はそれ程深刻には受け取っていないけど、推城の奴が『皇國に居るうちに始末しろ』って五月蠅くてね。悪いけど、探偵ごっこは地獄でやってもらえないかな?」
八社女はゆっくりと彼女達に迫る。
繭月は神為の乏しい白檀のことを下がらせようとしていた。
「私が戦います。ここは下がっていてください」
「んー繭月さん、申し訳無いです。私はこの男に、どうしても訊かなければならないことがあるんですよねー」
「ほう……」
八社女の足が止まった。
「良いよ、差し支えない範囲なら、冥土の土産に教えてあげようじゃないか。どうぞ、言ってみておくれ」
「そうですか、では直球で」
白檀は普段からは想像も付かない厳しい表情で八社女を睨み付けた。
「お前は蓮君を殺したのか?」
白檀の同僚、仁志旗蓮の件である。
仁志旗は武装戦隊・狼ノ牙に潜入していた間諜で、拉致被害者が脱走した時点で合流を指示された筈だった。
だが、根尾や白檀が拉致被害者を迎えに神幹線で移動している最中、一枚の写真を送り付けて音信不通になってしまった。
根尾は、仁志旗が何者か――写真を撮られた八社女か推城、或いはその手の者に殺害されたと見ている。
「蓮君? ああ、仁志旗のことか」
八社女は不敵に笑いながら、悪びれもせずに答える。
「そう尋ねるということは、もう答えは解っているんだろう? まあ一応答えてあげよう。殺したかという問いにはイエス。直接手を下したのは八卦衆の一人・屋渡倫駆郎。そして、彼にそう指示を出したのは確かに僕だ。仁志旗は事もあろうに僕の正体に感付いたようなのでね……」
その答えを聞いた時、白檀は両拳を固く握り締めた。
繭月はその後ろ姿を見ただけで、白檀の凄まじい怒りを感じずにはいられなかった。
一九三センチの、女としては勿論男と比較してもかなり大柄な体型に相応しい、強い威圧感を四方八方にぶち撒けていた。
「蓮君はですね、私にとって孤児院時代から知っている気の置けない友達だったんですよ。勿論、この仕事を選んだ時点でお互いに覚悟はしていました。でも、その仇を目の前にして何の感慨も湧かないって訳じゃない」
「成程ね、心中お察しするよ。しかし、だからどうしたと言うんだ? 君には殆ど戦闘能力が無いんだろう? さっきみたいに、情けなくお仲間に縋り付いている方がお似合いだと思うがね」
空気が張り詰める。
怒気と邪気が当たりに渦巻き、巨大な殺気の蛇となって絡み合っている。
だがそんな空気の中で、八社女は戯ける様に肩を竦めた。
「ははは、見知らぬ女性方にそう見詰められると照れちゃうな。しかし、君には結構親近感が湧いたよ」
「何が?」
白檀は最早怒りと苛立ちを隠せていない。
そんな彼女に対し、八社女は尚もふざけた調子で言葉を返す。
「白檀揚羽、君は孤児だったんだねえ。実は僕もそうなんだよ。いやあ、懐かしいなあ……」
瞬間、白檀は右手を前に突き出した。
堪忍袋の緒が切れた、と言った様に、彼女に備わった攻撃手段を遂行する。
「舐めるな。私の能力に攻撃能力が無いとでも思っているのか!」
「へ?」
白檀の術識神為、それは空気を利用した幻惑能力である。
だがそれは、幻覚を直接的に投影するものではない。
対象物を中心に、周囲の空気を揺らすことで催眠効果のある微弱な「音」を作り出し、認識を歪ませることで幻覚を見せるのだ。
使う神為が大きくなればなる程、より遠くまで微弱な振動を届け、また大胆な幻惑を掛けることが可能である。
そしてその応用として、極めて狭い範囲ではあるものの、振動を巨大化させることで音波攻撃が可能になるのだ。
その伝達は、ある程度の指向性を持たせることが出来る。
「喰らえ!」
破壊力を伴った音波の猛威が八社女に襲い掛かった。
混凝土の床や柱、天井が罅割れ、古い木材の様に毛羽立つ。
だが、そこに八社女の姿は無かった。
「消えた!? 何処へ行った!」
「此処だよ」
八社女は白檀のすぐ後で貫手を構えた。
瞬間、繭月が白檀を突き飛ばし、焔の翼を背に生やして八社女を牽制した。
「くっ、面倒な能力を……!」
焔が八社女の腕に燃え移り、彼はこれを消そうとして激しく腕を振っていた。
その間に、繭月は体勢を立て直し、能力の真価を発揮した。
八面体の燃える結晶が三発、八社女を狙って放たれ、彼の肩・腹部・大腿部を貫通。
更に二発が八社女の右肘・左膝を千切った。
(簡単過ぎる……。いくら神為の恢復力があるといっても、これじゃもうあの男は戦えない、それどころか死ぬ)
繭月はそれ以上の攻撃をやめた。
だが、八社女は不気味な笑みをその少年の様な顔に湛えていた。
「ククク、甘ちゃんだなあ……」
八社女の体がみるみるうちに修復される。
それは神為の恢復力を明らかに超えた効果だった。
肩・下腹・大腿部の穴も、右腕と左脚の欠損も何事も無かった様に元通りとなってしまった。
「そんな……莫迦な……」
「ふっふっふ、悪いがこんな程度じゃ僕は死なないんだよ。だが、一つだけ懸案事項はある。先にそれから潰させてもらおうか……」
八社女はそう言うと、突然繭月と白檀に背を向けて別方向に走り出した。
否、彼が向かう先には別の人間が居る。
標的にされたのは雲野幽鷹だった。
「嘘!? しまった、そんな!」
繭月は慌てて再度結晶を生成するも、この位置から撃っては守るべき雲野幽鷹と、その妹・雲野兎黄泉に当たってしまう。
「二人の攻撃力は恐るるに足りん! だが、神為を貸し与えて猫を虎に変貌させることが出来る餓鬼は脅威だ! 先に殺す!」
「御兄様!!」
「ふ、ふにゅううううぅっっ!!」
常に泰然自若としていた雲野兄妹も流石に青褪めて悲鳴を上げる。
この場に居る誰も八社女を止めることが出来ない、当に絶体絶命である。
だが八社女の貫手が幽鷹に振るわれんとしたその瞬間、黒い影が猛スピードで両者の間に割って入った。
そしてその女は、八社女の顔面に痛烈無比な拳を叩き込んだ。
「ぐボォァッッ!!」
八社女は激しく転倒し、混凝土の床を跳ねながら転がり飛んで行った。
超絶的な破壊の暴を放ったのは、遅れてこの場に到着した彼女だった。
「み、魅琴さん!!」
助けられた幽鷹が歓喜の声を上げた。
最強の戦乙女・麗真魅琴が颯爽と窮地に駆け付け、立ち上がることもままならない八社女を遠く見下ろしていた。