日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十八話『自信』 破

 航(わたる)達は広々とした部屋へと通された。

 どうやら側仕えする使用人の為(ため)に用意した使っていない部屋をいくつか割り当ててくれたらしい。

 

「御要望のお風呂につきましては、準備が整い次第お呼びいたします。今暫(しばら)くお待ちください」

 

 先程とは対照的に、再び航(わたる)達の前に現れた灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の態度は丁寧になっていた。

 深々と一礼し、下がっていった。

 

「なんか一寸(ちよつと)感じ良くなってねえか?」

「深(み)花(か)様に叱られたんじゃないかな」

 

 好き勝手に憶測を並べる航(わたる)と新(しん)兒(じ)、その傍(そば)で静かに寝息を立てている幽(ゆ)鷹(たか)、そして縁側の小卓を挟んで向かい合う椅子には根(ね)尾(お)弓(きゅう)矢(や)と虎(こ)駕(が)憲(けん)進(しん)が腰掛けている。

 虎(こ)駕(が)は窓から外の景色を眺めていた。

 高層建築物の波が聳(そび)え立(た)つ光景は、おそらく世界でも類を見ない程に発展した都市風景だろう。

 

「根(ね)尾(お)さん、皇(こう)國(こく)は日本を吸収しようとしているのですか?」

「ん? ああ……」

 

 虎(こ)駕(が)が公爵・一(いち)桐(どう)陶(すえ)麿(まろ)に聞かされた話を、根(ね)尾(お)は特に否定しなかった。

 公表されている話ではないが、今更隠し通せはしないという判断だろう。

 虎(こ)駕(が)は外を見詰めながら続ける。

 

「もし戦争になったりしたら、日本は一(ひと)溜(た)まりも無いですよね……」

「そうだな。これは以前にも麗(うる)真(ま)君と話したことだが、皇(こう)國(こく)は世界中どの国と比較しても国力が、文明力が、軍事力が、それ以前にもっと純粋な『力』が違い過ぎる。更に、皇(こう)國(こく)は神(しん)為(い)に依(よ)って全ての面で自給自足が出来る。だからこそ、たった一箇国で世界線を越えても平気なんだ。つまり完全に孤立しようが戦い抜ける。これは非常に大きい」

 

 虎(こ)駕(が)は溜息を吐いた。

 

「同じ日本なのに、どうしてここまで違うのでしょうね……」

 

 言葉に不穏な影を読み取った根(ね)尾(お)は眉を顰(ひそ)めた。

 

「虎(こ)駕(が)君、俺(おれ)は日本が皇(こう)國(こく)と比べて劣っているとは断じて思わない」

「何故(なぜ)ですか?」

 

 虎(こ)駕(が)は根(ね)尾(お)の言葉に被(かぶ)せる様に疑問を重ねてきた。

 

「少なくとも皇(こう)國(こく)は未来の希望に溢(あふ)れていますよ。注意深く探さなくとも一目瞭然に」

 

 二人の間に短い沈黙が嫌な空気と共に流れる。

 虎(こ)駕(が)の言葉の裏に、根(ね)尾(お)は幽(かす)かな毒味を感じた。

 

「君(きみ)は嫌なのか。今の日本が……」

 

 根(ね)尾(お)は、別に虎(こ)駕(が)を責めたかった訳ではない。

 寧(むし)ろ、責められるとすればそれは政治を担う自分達の方だろう。

 確かに、抑(そもそ)も国に対して「まだまだ捨てたもんじゃない」などと態(わざ)々(わざ)言わせてしまうような、国を好きになれるところを敢(あ)えて考えなくてはならない状況は、行政の担い手にとって不(ふ)甲(が)斐(い)ない話でもあるだろう。

 認めたくはないが、虎(こ)駕(が)の言葉にも一理あるかも知れない。

 

 若者達に国家への失望感を与えてしまっているとしたら、それを絶望感に変えてしまわないように、自分達は何をすべきなのだろうか。

 根(ね)尾(お)が虎(こ)駕(が)に尋ねたのは、そんな思いからだった。

 しかし、虎(こ)駕(が)は冷めた眼(め)を根(ね)尾(お)に向けていた。

 

「日本は良い国ですよ。四季もあるので」

 

 対する、虎(こ)駕(が)の言葉はそれだった。

 根(ね)尾(お)は少し不快感を覚えた。

 

「君(きみ)がそんなことを言うなんてな……」

 

 一昔前であれば、それは確かに日本の国土の美しさを純粋に称(たた)える言葉だっただろう。

 だがそれは、今や「何処(どこ)にでもあるものを殊更に称揚する、空虚な無条件愛国者」を揶(や)揄(ゆ)する意味合いを持ってしまった。

 事もあろうにそれを、愛国者を自認する虎(こ)駕(が)が言ってしまった。

 

 根(ね)尾(お)は仏頂面で踏ん反り返った。

 虎(こ)駕(が)も黙って窓の外を見詰めている。

 二人の間に、それ以上の言葉は紡がれなかった。

 

「御士人方(メッシュー)、お風呂の準備が整いました」

 

 再び部屋へやって来た灰(かい)祇(ぎ)院(いん)の言葉を、男達は皆待(ま)ち侘(わ)びていた。

 根(ね)尾(お)と虎(こ)駕(が)の会話は、所詮夏日と疲労による不快感が纏(まと)わり付(つ)いた体を持て余していた者達の、ほんの一時凌(しの)ぎに過ぎなかった。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸(てい)には浴室が三つある。

 二つが邸宅の主である龍(たつ)乃(の)神(かみ)深(み)花(か)の為のもので、いつでも入浴できるように時間をずらして清掃を行っている。

 もう一つが、航(わたる)達男性陣の借りる使用人用のものだ。

 女性陣は、龍(たつ)乃(の)神(かみ)の為の広々とした浴室を一つ借り受けている状況だ。

 

「良ーい湯ですねー……」

「ふみゅう……」

 

 昼間珍しく八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)と張り合った白(びやく)檀(だん)は、すっかり普段の暢(のん)気(き)な雰囲気を取り戻し、大きな体を伸ばしている。

 雲(くも)野(の)兎(と)黄(よ)泉(み)も小さな体を白(びやく)檀(だん)の方に預け、二人して湯(ゆ)浴(あ)みを満喫している。

 繭(まゆ)月(づき)百(ゆ)合(り)菜(な)はさっさと入浴を済ませ、浴室から上がっていた。

 

 一方、少し離れた別の一角では、麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)と久(く)住(ずみ)双(ふた)葉(ば)が浴槽に浸(つ)かっている。

 

「麗(うる)真(ま)さん、相変わらずスタイルが良くて、綺(き)麗(れい)な体してるよね」

「そう?」

 

 双(ふた)葉(ば)が魅(み)琴(こと)に話し掛けた。

 高校時代、仲の良い友人同士だった二人だが、卒業後は疎遠になっていた。

 事件を切(きっ)掛(かけ)に再会したのだが、何気にそれ以来初めての会話だ。

 

 高校時代、魅(み)琴(こと)の美しさは同性の間でも評判だった。

 特に水泳の授業にあっては、羨(せん)望(ぼう)と憧憬の眼(まな)差(ざ)しを一身に集めていた。

 

「それに引き換え私(わたし)なんて体も小さいし、色々貧相だし、昔から『羨(うらや)ましいな』って……」

「別にそんな卑下するようなものでもないと思うけれど……」

 

 魅(み)琴(こと)は湯船の縁に腰を上げた。

 抜群の肉体美が湯のヴェールを脱ぐ。

 

「それに、体のラインって姿勢でも結構見え方が変わるのよ。久(く)住(ずみ)さんの場合、もっと自信を持って、背筋を伸ばして胸を張った方が良いと思うわ」

 

 魅(み)琴(こと)は例を示す様に体を反った。

 

「そうやって、見せ付ける感じで?」

「ええ。まあ、そうね」

「それは……嫌だな……」

 

 双(ふた)葉(ば)はそれを横目に、体を方まで湯船に沈めてしまう。

 俯(うつむ)く彼女の、浮かない表情が水面に映っていた。

 露(あらわ)に波立って翳(かげ)りが揺れる。

 そんな双(ふた)葉(ば)の様子に、魅(み)琴(こと)はつい尋ねてしまう。

 

「久(く)住(ずみ)さん貴女(あなた)、高校出てから何かあったの?」

 

 双(ふた)葉(ば)は高校を出てから、自分の夢を叶(かな)えると言って魅(み)琴(こと)とは別々の道を歩み始めた。

 その後この機会に再会するまで、魅(み)琴(こと)は双(ふた)葉(ば)の環境について殆(ほとん)ど報(しら)されていない。

 そんな魅(み)琴(こと)に、双(ふた)葉(ば)はぎこちなく笑って答える。

 

「別に、麗(うる)真(ま)さんが気にするようなことは無いよ。屹(きつ)度(と)全然大した事じゃ無いんだと思うし、もう終わったことだから……」

 

 そう言われてしまうと、魅(み)琴(こと)はそれ以上追求出来ない。

 したところで、今の魅(み)琴(こと)には何も出来ないし、無責任なだけだ。

 魅(み)琴(こと)はただ黙って湯船に浸かり直すしかなかった。

 

 魅(み)琴(こと)には魅(み)琴(こと)のすべきことがある。

 その為の準備を着々と進め、様々なことを整理しなくてはならない。

 それが魅(み)琴(こと)にとって、どれだけ不本意で辛い選択であろうとも……。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 何処とも知れぬ闇の中で、四人の男女が卓上の蝋(ろう)燭(そく)を囲っている。

 

「結局、彼らは龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸へ辿(たど)り着(つ)いてしまったのね。大の男が二人揃(そろ)ってこの為体(ていたらく)とは、情けないったらありゃしない……」

 

 女は両脇の男に失望の溜息を吐いた。

 叱責を受けた長髪を髷(まげ)状に結った裃(かみしも)姿の大男――推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)と、古代の朝服に似た格好をした総(あげ)角(まき)髪(がみ)の少年――八(や)社(おと)女(め)征(せい)一(い)千(ち)は互いに睨(にら)み合(あ)う。

 八(や)社(おと)女(め)はつい先程自爆したはずだが、平然とこの集まりに顔を出している。

 

 推(つき)城(しろ)は手に持っていた長(なが)槍(やり)の石(いし)突(づき)で床を鳴らした。

 どうやら相当苛(いら)立(だ)っているらしい。

 

「まさか、皇(こう)國(こく)最高の戦力などと大層な謳(うた)い文(もん)句(く)を掲げる六摂家当主があれほど役に立たぬとは……! やはり、公(く)家(げ)などを当てにしたのが間違いだったか……!」

「そこまで言うなら、自分が出れば良かったんじゃないか? あの化物女を君(きみ)が抑えてくれていたら、今頃僕(ぼく)が標的を殺せていただろうに」

 

 八(や)社(おと)女(め)が推(つき)城(しろ)に不平を垂れる。

 彼にしてみれば、推(つき)城(しろ)の要請を受けて自ら根(ね)尾(お)の始末に出向いたが故に、手痛い歓迎を受けたのだ。

 一言二言、推(つき)城(しろ)に物申したくても当然だろう。

 

「私(わたし)には表社会での立場があるのだ。それは我々の計画の為、失う訳にはいかん類のものだ。私(わたし)とて、貴様にそう言われずとも出られれば出ていた」

「どうだかね……」

 

 二人の間に険悪な空気が流れる。

 しかしそんな間に、もう一人の男――軍服姿の老翁が割って入った。

 

「御(お)二(ふた)方(かた)、今はそれよりも今後の方針を決めるべきでは? 流(さ)石(すが)に、今やあの男を始末するよりも別の方向で計画を進めた方が良いと存じますが喃(のう)……」

 

 老翁は不敵な笑みを浮かべている。

 そんな彼に、向かい側に坐(すわ)る女が尋ねる。

 

「何か腹案がある、とでも言いたげな顔ねえ……」

「ええ。元々、策謀を最も得意とするのはこの儂(わし)で御座いますよ」

「では、聴かせてもらいましょうか」

 

 女に促され、老翁は自身の考えを述べた。

 話を聞いた女はさも愉快といった様子で口角を上げる。

 また、八(や)社(おと)女(め)と推(つき)城(しろ)からも嫌(けん)悪(お)な表情が消えている。

 どうやら三人は老翁の話に納得したようだ。

 

「良い考えだね。此(こ)方(ちら)の手駒を余すところなく使わなくてはならないけど」

「よくぞそのようなことを提案出来るものだ。恐るべき冷血漢よ」

「儂(わし)が慮(おもんぱか)るのは御(お)三(さん)方(かた)のみで御座いますから喃」

「素晴らしいわ」

 

 女が手を叩(たた)いた。

 

「お誂(あつら)え向(む)きに、明日は七夕。男女の巡り合わせに悲劇が踊る策を動かすのに、これ程皮肉の効いた日程はないでしょう。実に面白い趣向よ」

「御(お)褒(ほ)めに与(あずか)り光栄に御座います。媛(ひめ)様(さま)は浪漫趣味者(ロマンチスト)で御座います喃」

 

 話は纏(まと)まり、蝋燭の火は吹き消され、四人の姿が消えた。

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