日本と皇國の幻争正統記   作:坐久靈二

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第三十九話『華族』 破

 朱に染まった摩天楼の並木が宵闇に沈んでいく。

 そんな皇(こう)國(こく)首都統(とう)京(きよう)の街並の中、一台の高級車が黒塗りの長い車体に、夜の街を装う灯を纏(まと)って走っている。

 広々とした客席には、三人の男女が腰掛けている。

 主から食事の誘いの命を受けた、第一皇子の近衛侍女・敷(しき)島(しま)朱(と)鷺(き)緒(お)、誘いを受けた麗(うる)真(ま)魅(み)琴(こと)、そしてその彼女を送り届けることにした、第二皇女の侍従・灰(かい)祇(ぎ)院(いん)在(あり)清(きよ)の三名である。

 

 魅(み)琴(こと)の正面に坐(すわ)る敷(しき)島(しま)と灰(かい)祇(ぎ)院(いん)は、並ぶと背丈が変わらない。

 灰(かい)祇(ぎ)院(いん)も長身ではあるので、敷(しき)島(しま)が女としては相当なのだ。

 長身の女といえば、魅(み)琴(こと)は既に白(びやく)檀(だん)揚(あげ)羽(は)を見慣れている。

 しかし、どこか抜けている白(びやく)檀(だん)に比べると、敷(しき)島(しま)の凜(りん)とした所作は逆に長身が映える程だ。

 

 だが、魅(み)琴(こと)は敷(しき)島(しま)にあまり良い印象を持っていなかった。

 彼女は済ました事務的な態度、気取った丁寧な態度を装っているが、その実第一皇子側の要求ばかりを押し付けてくる。

 

「麗(うる)真(ま)様、これより我が主・獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)殿下に再び謁(まみ)えられるわけで御座います。呉(くれ)々(ぐれ)も、あの御(お)方(かた)の宸(しん)襟(きん)を損ねられることなきよう願います」

「宸(しん)襟(きん)? 仮にも一国の皇子様と御(お)目(め)文(も)字(じ)する訳ですもの。それなりの、相(ふ)応(さわ)しかろう態度で接しますよ」

「それなり、では困ります。誠心誠意、あの御方の宸(しん)襟(きん)にご配慮くださいませ。あの御方が喜べと仰(おつしや)れば歓喜に胸を震わせ、楽しめと仰れば享楽に身を委ね、あの御方の賜る全てに全身全霊で最上の謝意を御(お)示(しめ)しください」

 

 魅(み)琴(こと)は呆(あき)れ果(は)てて溜息を吐いた。

 これでは先が思(おも)い遣(や)られる。

 自らの行く末を憂(うれ)えずにはいられなかった。

 

「随分とまあ阿(あ)呆(ほう)の様に媚(こ)び諂(へつら)った態度を要求するのですね。他人をお人形か何かだとでも思っているのかしら、彼は……」

「獅(し)乃(の)神(かみ)殿下の御(み)心(こころ)は純(じゆん)真(しん)無(む)垢(く)にして遠(えん)大(だい)無(む)窮(きゆう)。その器の巨(おお)しきことは三千世界随(ずい)一(いち)なる、神(しん)采(さい)英(えい)抜(ばつ)の御方であらせられます。侮られること罷(まか)り成(な)りません」

「では、貴女(あなた)達が態(わざ)々(わざ)人形を演じて、彼を道化に祭り上げているというわけね。主君に恥を掻(か)かせて、本当に良く出来た臣下ですこと」

 

 魅(み)琴(こと)は堪(たま)らず、敷(しき)島(しま)を辛辣な言葉で咎(とが)めてしまった。

 脇では灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が顔を青くしている。

 敷(しき)島(しま)は魅(み)琴(こと)の言葉を受け止める様に目を閉じる。

 

「……私(わたくし)の使命は……あの御方の夢を御(お)守(まも)りすることです」

「それは随分……言い得て妙ね」

 

 敷(しき)島(しま)の吐いた言葉を、魅(み)琴(こと)は少し意外に思った。

 魅(み)琴(こと)に言われた内容を自覚しているような物言いだったからだ。

 その上で、魅(み)琴(こと)はもう少し話を突っ込む。

 

「でも、人間はいつまでも夢見る少年少女ではいられないでしょう」

「その時は……」

 

 敷(しき)島(しま)は少し言葉に詰まった。

 正しく人形の様だった表情に、初めて色が宿る。

 青白い、底知れぬ畏れが胸の奥底から湧き上がった様に。

 

「その時は思い知ることになるでしょう。森(しん)羅(ら)万(ばん)象(しよう)、三千世界は余すことなくあの御方を幸福にする為(ため)に、満(まん)福(ぷく)たらしめる為に存在していたのだと。それこそが、汎(あら)ゆるものの存在意義だったのだと……」

 

 魅(み)琴(こと)は感じた。

 敷(しき)島(しま)は、決して主君たる獅(し)乃(の)神(かみ)叡(えい)智(ち)のことを盲目的に崇拝している訳ではない。

 彼の何かを凄(すさ)まじく畏れ、不本意ながら従っているのではないか。

 

「敷(しき)島(しま)さん、もしかして貴女(あなた)は……」

「麗(うる)真(ま)様、その先は決して口になさらぬよう。私(わたくし)は唯(ただ)、あの御方に変わってほしくない。あの御方に、今の純粋な御(み)心(こころ)のままで居てほしい」

 

 移ろう景色が敷(しき)島(しま)の横顔を照らす。

 彼女の微(かす)かな表情が、宵闇に隠れていくようだ。

 

「あの御方はこの上無く心地良い夢を御覧になられているのです。その夢があってこそ、この世界はあの御方にとって真に愛すべきものであると信じていただけているのです。あの御方の大いなる愛が世を包む限りに於(お)かせられて、あの御方の生(あれ)坐(ま)ししは至上の福(ふく)音(いん)であると私(わたくし)は心より信じます。何(なに)卒(とぞ)、あの御方の夢を、幻想を壊してしまわぬよう切に願います」

 

 魅(み)琴(こと)は敷(しき)島(しま)の静かな言葉に切実を感じた。

 畏れも忠誠心もおそらくは本心なのだろう。

 魅(み)琴(こと)は最(も)早(はや)反論する気も起きなかった。

 そんな二人に、灰(かい)祇(ぎ)院(いん)が話題を変える。

 

「御婦人方(メドモアゼル)、間も無く麗(うる)真(ま)様のお召物を見繕う、龍(たつ)乃(の)神(かみ)殿下御用達の洋裁店へ到着するでしょう。急(きゅう)拵(ごしら)え故、一点物を仕立てることは出来ませんが、屹(きっ)度(と)皇太子殿下の御(おん)前(まえ)に相(ふ)応(さわ)しき装いが御用意出来るかと存じます」

 

 自動車は宵に沈む街を走っていく。

 

 

 

⦿⦿⦿

 

 

 

 千(ち)世(よ)田(だ)区の糀(こうじ)街(まち)御所龍(たつ)乃(の)神(かみ)邸(てい)から杉(すぎ)濤(なみ)区の甲(きのえ)公爵邸までは遠く、徒歩での所要時間は八時間程度である。

 神(しん)為(い)に因(よ)って身体能力を強化された航が夕刻に出発して急いでも、辿り着く頃には夜になってしまうのは仕方の無いことだった。

 

 岬(さき)守(もり)航(わたる)は先(ま)ず、統(とう)京(きよう)駅で甲(きのえ)公爵邸の最寄駅である荻(おぎ)凹(くぼ)駅までの路線を確認した。

 そしてその線路を目印に走っていき、荻(おぎ)凹(くぼ)駅の道案内板で甲(きのえ)邸近傍の公園へ行く道筋を調べる。

 これらは、一昨日の夜に魅(み)琴(こと)が甲(きのえ)邸付近の地図を電話端末から確認していて、特に最寄り駅近くを通る線路は具(つぶさ)に調べていたことが助けになった。

 尤(もつと)も、何気なく覗(のぞ)き込(こ)んでいた航(わたる)は魅(み)琴(こと)の不興を買ったが、兎(と)に角(かく)航(わたる)は甲(きのえ)邸の最寄駅と近辺の公園を覚えていたのだ。

 

「流(さ)石(すが)は皇(こう)國(こく)一の貴族の邸宅、大(でか)い門だ。だが逆に助かる。此(こ)処(こ)で間違い無いな」

 

 目的地に辿り着いた航(わたる)は右腕に超(ちよう)級(きゆう)為(い)動(どう)機(き)神(しん)体(たい)の光線砲ユニットを形成した。

 今この時にも、早(さ)辺(え)子(こ)が甲(きのえ)からどんな目に遭わされているか分からない。

 貴重な弾数といえど、出し惜しみしている場合ではないだろう。

 

 航(わたる)は先ず一発、光線砲で門を破壊した。

 異変に気付いた使用人との交戦を覚悟したが、思いの外静かなものだ。

 

「行くか」

 

 罠(わな)の可能性も顧みず、航(わたる)は甲(きのえ)邸の敷地内へと侵入した。

 術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)を発動した航(わたる)は、奇妙な充実感に包まれていた。

 何やら頗(すこぶ)る調子が良い。

 今なら光線砲を、五発と言わず十発は撃てる気がする。

 

 そして暫(しばら)く庭を進むと、航(わたる)はこの邸宅の異変に気が付いた。

 彼(あ)方(ち)此(こ)方(ち)で火が燻(くすぶ)っており、何やら人の死体が燃えている。

 航(わたる)が侵入する前に、何者かとのいざこざがあったのだろうか。

 

「こっちとしては手間が省ける。このまま本館へ殴り込んでやる」

 

 航(わたる)は走る速度を上げた。

 このまま誰とも遭遇せずに、六摂家最後の公爵・甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)に辿(たど)り着(つ)ければ良い――そう思っていた。

 だが、皇(こう)國(こく)最大の貴族の邸宅に不法侵入したという事実は、そんな甘い算段を航(わたる)に許さない。

 

「来たか、明(めい)治(じ)日(ひの)本(もと)の民。貴様は岬(さき)守(もり)航(わたる)だな?」

 

 一人の男が航(わたる)の前に立ちはだかる。

 長身の、鍛えられた武芸者を思わせる男だった。

 髷(まげ)状に結った長髪と裃(かみしも)に似た服装が、如(い)何(か)にもといった風情を帯びている。

 

「水(み)徒(と)端(はた)賽(さい)蔵(ぞう)め、あ奴(やつ)の狼(ろう)藉(ぜき)で衛兵が消えて素通りではないか。お陰でこの私(わたし)が出る羽目になろうとはな……」

「お前は……甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)の側近か?」

「私(わたし)は推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)。この邸宅の主である甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)卿(きよう)の秘書にして、皇(こう)道(どう)保(ほ)守(しゅ)黨(とう)青年部長だ。これより御相手仕(つかまつ)る」

 

 航(わたる)は今目の前に居るこの男の立ち姿を見ただけで只(ただ)者(もの)ではないと感じた。

 推(つき)城(しろ)朔(さく)馬(ま)には屋(や)渡(わたり)倫(りん)駆(く)郎(ろう)とも鷹(たか)番(つがい)夜(よる)朗(あき)とも違う、歴戦の戦士の風格がある。

 

「出来れば通してほしいし、叶(かな)うなら水(み)徒(と)端(はた)早(さ)辺(え)子(こ)という女性の居場所に案内してほしいんだがな」

「図(ずう)々(ずう)しい要求だ。水(み)徒(と)端(はた)嬢よりも寧(むし)ろ自分の身を心配するが良い。貴様は私(わたし)の仕える公爵・甲(きのえ)夢(む)黝(くろ)、華族の頂点、皇(こう)國(こく)貴族社会の総本山とも呼べる邸宅に不法侵入したのだ。ならば当然、この私(わたし)と手合わせする義務があると思わないか?」

 

 勿(もち)論(ろん)、航(わたる)も話せば通じるとは思っていない。

 推(つき)城(しろ)の言葉は尤もであるし、戦って押し通る他無いだろう。

 航(わたる)は右腕の光線砲を構えた。

 対する推(つき)城(しろ)は右手を前に突き出す。

 

『武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)・菊(きく)水(すい)龍(りゅう)尾(び)ノ(の)長(なが)鑓(やり)』

 

 推(つき)城(しろ)の手に光の粒が集まり、長さ三米(メートル)程の槍(やり)が形成された。

 

「武(ぶ)装(そう)神(しん)為(い)だと? 何だ、それは?」

「術(じゆつ)識(しき)神(しん)為(い)とは系統の異なる神(しん)為(い)の深化、そのもう一つの発露だ。極めて珍しく、数え切れる程しか使い手はおらんがな」

 

 推(つき)城(しろ)は槍を構えた。

 

「尤も、そんなことはどうでも良いこと。貴様はこの場で死ぬのだからな。ではいざ、参る!」

 

 推(つき)城(しろ)の圧が大幅に上がり、航(わたる)は衝突を予感した。

 夜の甲(きのえ)邸、その広大な庭園で一つの戦いが始まろうとしていた。

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